1 死体と助っ人
財布から一枚の切り抜きを取り出す。県警の広報に小さく載っていた記事。
『本部長付き特別捜査チーム、通称マギステル誕生』
写真に映っているのは、色黒の新しい本部長、整った顔にメガネをかけたチーフ、鑑識の制服を着た丸顔の女性、そして地味な男性刑事が顔をしかめて見ている先に、栗色の髪の女性刑事がダブルピースで映っている。女性二人は、私とそう年齢も変わらないだろうか。
……いいな。
特別捜査チームというのが具体的にどんな仕事をするのかはわからないけど、今私がいる生活安全課の仕事とはかけ離れていることはわかる。
ここ五十里浜署は、A県で最も海に近く、最も県警本部から遠い場所にある。今は見慣れてしまったけれど、配属された三年前は通勤時に電車の窓から海が見えるのが新鮮で嬉しかった。
でも、この世は光と闇がワンセットなのだ。美しい海があるということは、そこには港がある。港があるということは、様々なものが外から運び込まれる。
良いものも、悪いものも。
そして悪いものを専門に輸入する人たちと、それを買う組織。最近は反社会的組織という名で報道される人たちだ。
その人たちを取り締まるために、五十里浜署には見た目のいかつい大柄な男性刑事が数多く配属されている。この仕事は外見で舐められたら終わりなのだ。
つまり身長も規則ギリギリの百五十五センチで体重四十数キロの私は、そんな現場に行かせてもらうことはまずない。生活安全課は銃の所持許可を取り扱っているとはいえ、銃器の密輸を摘発する仕事は刑事課や県警の組織犯罪課の仕事だ。
それでなくても、この土地の銃器がらみの事件にはほぼ傷害と殺人がつきものなので、慣例で刑事課が全て持っていってしまうのだ。それはそれで合理的だし、特に異議はない。
少し寂しいだけで。
そんなわけで私の主な仕事は、援助交際をしたおじさんにお説教したり、ゴミの不法投棄をした社長にお説教したり、ストーカーにお説教することの繰り返し。
最近、高校以来の友人に久々に会った時、「先生みたいなこと言うようになった」と指摘されてしまった。きっと仕事の弊害だ。
今朝出勤してからしばらくして、署内に人が少ないのに気が付いた。
「課長、何か大きな事件ですか?」
小諸課長に聞くと、眠そうな声が返ってきた。
「んー、何かねえ、高校の裏の水路で男の死体が見つかったみたいよ。今朝通報があったって」
小諸課長は50代で、丸顔でぽっちゃりしたおじさんだ。「女の子だから」と変に過保護になるところはあるけど、決して悪い上司じゃない。短気で細かい上司は願い下げだけど、小諸課長のように闘争心や正義感がゼロの人も考えものだ。何でこの人は警察官になったんだろう。
「高校って、どこですか?」
「えっとね、ほら、あれ」
「あれじゃわかりません」
「最近名前が出てこなくなってさあ。ほら、あの最近できた学校。どこだっけ?」
「明智ですか?」
「そう、そこ」
明智高校は数年前にできた私立の新設校だ。一度近くを通ったことはあるけど、水路なんてあったっけ。
「その件で私に……生活安全課に、何か仕事はありますか?」
「うーん」
課長はフチなし眼鏡の向こうから、私を見た。
「今のところ百合ちゃんが出動する理由は無いねえ。学校側から何か要望があったら別だけど。生徒たちの警護とかさ」
「……そうですか」
私が露骨にがっかりした顔をしたのか、課長は笑った。
「そうしょんぼりしないでよ。別にいいじゃない。市民の安全を守るのも警察の立派な仕事だよ。特に百合ちゃんは女の子なんだから、わざわざ危ない現場に行くこともないでしょ」
「はは……」
心の無いカラ笑いを課長に返す。また女の子、か。
市民の安全、というのもどうなんだろう。
今まで出会った犯人たちは、乱暴にくくってしまえば動機は「お金」と「寂しさ」だ。ゴミを不法投棄した社長は処理業者に払うお金を浮かせたかったからだし、援助交際やストーカーで捕まえた相手は寂しい中年男性だった。もちろん自制して真面目に生きている人が圧倒的に多いのだし、犯罪者に同情する気は無いけれど。
それでも。
社会の仕組みそのものが生み続けるかわいそうな人たちを、定年まで捕まえ続ける無間地獄に落とされているんじゃないかって、疲れた夜によく考えてしまうのだ。
翌日。
出勤してすぐに、私は署長室に呼ばれた。
何だろう。何かヘマをしたかな。心当たりは無いけど。
ノックして署長室に入る。大人になったのに、まるで職員室に入る時のような緊張感がある。全く心地よくない緊張感。
「失礼します」
「うん、おはよう」
「おはようございます。崑野百合巡査、参りました」
「ちょっと待ってね」
「はい」
私は署長の高そうな机の前に立ち、黙って待つことにした。
内野署長は、小諸課長とは対照的にひょろっと背が高くてやせている。ついでに髪も薄い。あのいかつい刑事たちのいる署のトップなんだから多分優秀なんだろうけど、怒ったり大声を出したところは見たことがない。でも意外とそういう人の方が怒らせると怖いっていうけど、署長はどうなのかな。
内野署長は机の上の書類を指を舐めて何枚かめくり、老眼鏡を外して私を見上げた。
「崑野さんは、昨日の事件についてどれくらい聞いてる?」
「昨日の事件というと……水路の死体ですか?」
「うん、そう」
「捜査に参加させていただけるんですか!?」
思わず身を乗り出すと、署長はびくっと体を縮めてのけぞった。
「そう慌てないで、説明するから」
「すみません……」
私は小さくなって一歩下がった。
「ええとだね、とりあえずこれ見て」
署長は手元の書類をこちらに手渡した。
……さっき舐めた指でめくったところ、どこだっけ。
資料によると、被害者の身元は不明。男性で、年齢は三十代から四十代。水につかっていたので、詳しい死亡推定時刻を出すのは難しいが、死後二日以上は経っていないと思われる。
死因は……銃による可能性が高い。使われたのは、9mm弾。
「抗争ですか?」
「多分そうだろうねえ」
署長が頭を抱えて首を振った。
「最近はいざこざも収まりつつあったっていうのに、どうして突発的にこんな事件が起きるのかね。まったく、弱った」
「凶器が拳銃だから、生活安全課の私に?」
「そういうわけでもない。それもあるっちゃあるんだけど。続き見て」
「はい」
書類をもう一枚めくる。
被害者の来ていたシャツとズボンから、少量の白い粉が検出された。
覚醒剤?いや、続きがある。
「炭酸カルシウム……つまり何ですか?」
「ライン引きの粉だよ、学校のグラウンドで使うアレ」
「ああ」
「僕らのころは石灰だったけどね。今は安全のためにホタテの貝殻を砕いた粉末を使うらしいよ。知ってた?」
「いえ、知りませんでした」
実はこないだテレビで見たことは黙っておこう。
私は言った。
「つまり、被害者は殺される前にすぐ近くの明智高校の敷地内にいた可能性がある、ということですか?」
「ま、今時学校以外でライン引き使うところもないだろうしね。それに、わざわざ別の学校の敷地に行ってから、また明智高校の敷地に入りなおすことも現実的に無いでしょう」
「ええ、それはわかります」
署長はうなずいた。
「そこで、だ。今朝明智高校に、敷地内の捜査のために警官を向かわせたいと連絡したんだが」
「はい」
「受験を控える生徒たちもいるのに、コワモテの刑事にぞろぞろ来られては困る、と抗議されてね」
「殺人事件ですよね?」
「しょせん他人事だよ、誰だって。そこで妥協案を出した」
「……女性警官ですか?」
署長は満足げにうなずいた。
「崑野さんは話が早くて助かるよ。高校側は、生徒に威圧感を与えない女性警官なら構わないと言ってきてね。そこで君に明智高校内の捜査を頼みたいんだ」
やった!現場に行ける!殺人事件の捜査に出られる!被害者の男性には悪いけど、ちょっとくらい喜んでもいいよね?
「……わかりました。ただちに明智高校に向かいます」
「ああ、でもちょっと待ってて。もう一人、県警本部から助っ人を呼んでるんだ」
「助っ人ですか?」
県警本部から?
「さすがに学校内を一人じゃ大変だし、殺人事件の捜査を単独で行うのは危険だからね。かと言ってうちには崑野さんくらいしか捜査できる女の子いないし。本部に聞いてみたら、有能な女性捜査官だと、本部長お墨付きの女の子を派遣してもらったよ。もう着く頃なんだけど……」
署長が腕時計を見た時、入口の外からパタパタと騒々しい足音が聞こえてきた。
「崑野さんも知ってるでしょ?こないだ本部長付で結成された特別捜査班マギステル。そこのメンバーの」
その言葉をさえぎるように、ノックもなしで署長室の扉が勢いよく開いた。
「あ」
思わず声が出た。
肩を上下させて立っているその人物は、私が財布に入れて持ち歩いている切り抜き写真に、ダブルピースで映っている人。
栗色の髪の下に見える顔は、写真で見るよりずっと小さく、整っていた。
彼女は言った。
「遅れてすみません!本部長付き特別捜査班マギステル、闇無乃衣です!闇が無いと書いてくらなしです!」
その細い体からは想像もできないほどの大声で。
つづく