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瑞花が咲く

 ちりちり、と静やかな鈴の音が響いている。一歩、また一歩、私の歩みに合わせて、空間へと染み渡っていく。


 ここは、裳着や元服を執り行う斎場へと続く道。あの永遠に続く茜空を持つ墓場の奥に存在する場所。永遠の宵闇に支配された場所。


 どうして空の色が違うのかはわからないけれど、最後の場所と、これから本当の意味で人生を始める場所が同じところにあるというのは、とても面白いような気がしていた。


 ここを照らすのは、私たちが普段夜に頼る篝火ではない。自ずから光を放つ、不可思議な果実を持った木々だ。


 まるで揺らめく炎のように身をくねらせているそれらが、篝火を提げた鳥居を並べているかのようにはるか彼方まで続いている。


 この果てにあるのは、小さな祭殿だ。それはこの都市で最も貴い存在のいる場所。


 その道を、私は一人で歩く。母や行貞さんは、この道の入り口で待っている。この先へ行けるのは私だけで、それを成し遂げてくることが、大人になった証なのだという。


 女の子なのに?と思わないでもないが、これもまた伝統というものなのだろう。そもそも、それを言い出したら、私は下女の子だからここまでのことをする必要はない。


 たぶん行貞さんの嫁としての格、みたいなものが求められているのだろう。次男だが、星読みということで彼の扱いはとても複雑なのだ。


「……はぁー」


 正直に言って、ここを進むのは少し、怖い。なんでこんなことをしなくてはならないのかとかなり思う。


 でも、やらなくてはいつまでも子供扱いだし、母をバカにされかねないので行くしかないのだ。


 一歩、また、一歩前へ。進むたび、闇が深くなって、木々の灯りはどんどん頼りなくなる。


 本当にこの先に最も貴いものがいるのだろうか。むしろ逆で、何か悍ましいものが封じ込められているのではないのか。


 墓所の奥に居城を構えているという事実が、そういう妄想を掻き立ててくる。


 ――怖いならやめてもいいのよ。


 闇の中からそんな囁きが聞こえてくるような気がする。


 頷いてしまえば、私は私でなくなるという。なにせここは墓所の奥。死霊とお話しできてしまう場所の奥にあるのだから、生と死の境が酷く曖昧らしい。


 本当に、なんでそんな場所で成人を迎えなくてはいけないのかと思うけど、だからこそ、なんだとも思う。


 きちんとそれを乗り越えて、改めて、生まれ落ちるのだ。


(大丈夫、私はできる)


 行貞さんのお呪いと、芙蓉が彫ってくれた美しい角の守りが私にはあるんだ。


 ともかくなにも考えないようにしながら歩みを進めると、ふっつりと木々が消えてしまう場所にたどり着く。


 祭殿があるはずなのに、この先に灯りはなく、足元すら見えない。


 道は間違っていないはずだ。なのにこれということは、この闇を抜けろということなのだろう。


 いわゆる最大の難関というやつだ。


 ごくり、唾を飲み込んで、歩みを進める。一歩一歩、確かめるように進んでいく。


 沈んでいくように視界が闇に飲まれていく。ドクン、ドクンと高鳴る心臓の音が耳元でやかましくなる。頭が引っ張られるような気持ち悪さがあって、瞳が開いていくのを感じる。


 やがて本当に私は歩いているのか。本当に、ここにいるの、不安が胸の中に沸き始めた。


 ずっとずっと続く闇の果てに、本当に何かがあるのかと……体が、寒くなる。


 けれど、変わることなく響く鈴の音が、私の背中を押してくれる。私はここにいるのだと教えてくれる。


 唐突に湧き出す活力が歩みを後押しする。


 進む、進む、進む。

 ちり、ちり、ちり……気持ちのいい鈴の音が、聞こえて、いる。

 

 そして、私はたどり着く。

 

 あまりにも唐突に、視界に光が湧いた。闇が逃げ出していくように晴れていく中に、ポツンと神楽舞台が現れる。


 それ以外のものは、なにもない。いいや、ある、のだろうが、知覚できない。それくらい、周囲の光は眩しい。


 感じるのは、強烈な花の匂いと、少し肌寒い気温だけ。


『こちらへ』


 頭の中にふっと言葉が湧く。それに従って私は舞台の上に上がる。


 鈴を切ってくれる人の姿は見えない。きっと、見てはいけないのだろうと目を閉じる。


 すると、奥の方から風が吹いてくるのを感じた。花の匂いが、鼻が曲がりそうなくらい強くなって、動悸がする。


 いる。確かに、それが目の前にいる。人が安易に触れてはいけない貴いものが、今私に触れている。


『美しい角持つ幼子よ。これより長き道へ入る子よ。その道行きが、汝を彩る愛の如くに煌めきますように』


 言葉とともに、チャリンと音がして頭が軽くなった。


 さっと波が引くように匂いが遠のいていって、やがて消えてしまう。


 もう平気かと目を開けば、神楽舞台は忽然と消えていて、いつの間にか木々が開けた広場に立っていた。


 振り向けば、あの鳥居のようだった木々がすぐ近くにあった。ずいぶんと闇の中を歩いたはずなのに、たった数歩で戻ることのできる場所だった。


 化かされた気分だったけど、角に触れてみれば、覆い隠していたはずの白布はなく、頭を振っても鈴の音は聞こえない。


「大人になった、の?」


 よくわからなかった。何かが変わったような気は、なに一つなかった。


 それでも、事前に言われていたのはこれで全部で。きっともう大人の一人ということなんだろう。


 ただなんとなくそうしないといけないような気がして、私はその場で頭を下げた。そして、道を戻っていく。


 行貞さんと母の待つところへ帰るために。

 

     ***

 

 無事、入口へ戻ると、二人は全力で褒めてくれた。

「これで大人かぁ……そっかぁ」と母は少し物悲しそうだったけれど、対照的に行貞さんがすごく嬉しそうなのがなんとも言えない。やっぱりそういうことを期待してるんじゃないだろうか?


 疑ぐりつつも口にできない私は、流されるように黄籃の邸宅まで連れ戻されて、用意されていた装束に身を包むことになる。母の同僚たちが忙しなく動きながら化粧をしてくれたり、髪を整えてくれたりする。


 その中で、改めて鏡をみる機会があった。


 そこに映る私の角には、白金芙蓉の手になる綺羅派の角化粧が施されている。


 元々使っていた彩括りの翡翠から広がる花弁が、生白いばかりだった角の上に拡がっている。それは、現実にある花ではなく空想上の瑞花だ。いくつもの花の特徴を組み合わせて作られた、美しい花。


 それが私の角に咲いている。きらきらと、美しく。


 ――私はその時、初めてこの角で良かったと思った。


 だって、この彩角は、私でなければ生まれ得なかったもので。私の、大嫌いなはずの角に、大好きな人が全力で美しさを埋め込んでくれたということの証だから。


 こんなの……好きにならないはずがない。


 そんな感動に打ち震えている間に、あれよあれよと裳着の儀は進んでしまって、気付けば宴会が始まっていた。


 バカみたいな酒や食事を楽しむ彼らに勧められて、普段ならとてもではないが食べない量を食べていた気がする。


 実際食事は美味しかったし、初めて舐めたお酒もまあまあだった。私は酒に強い、というのも収穫だったし。


 とはいえ、だ。


 そういうどんちゃん騒ぎも、いつの間にかなんのために集まったのかわからないような状態になってくる。


 一時間か、二時間か。どれくらい掛かったのかはわからないけど、ともかく宴会場は酷い有様になっていた。


 ほとんど顔を知らない行貞さんの親類も、私の彩角を担当したというので呼ばれた芙蓉も、凄まじく酔っ払って辺りに絡んでいる。男たちがあわよくば芙蓉を狙っている雰囲気だが、母の仕事仲間たちが牽制ついでに自分方がいいと、角を見せびらかしたりしている。


 感情の坩堝がそこにはあった。


 とはいえ、そんな有様になることを予想していた母がこっそりと私を逃がしてくれて、無事、その地獄絵図に加わることなく済んだのだけど。


 宴会場のある中庭から北へ、北へ。太祖の祀られた部屋まで逃げてくれば、静けさが帰ってくる。


 そしてどうやら、抜け出したのは私だけではないようで、部屋の中には先客がいた。


 珍しくきちんと着ていたはずの着物を、早速いつもの気だるげなものにしてしまっている行貞さんだ。


「おや、主役がこんなところに来ていいのかな」

「そういう行貞さんだってそうでしょ」

「そうなんだけどねぇ」


 今日の宴会は私の裳着を祝うものだが、同時に次についての先祝いでもある。だから彼も、宴の主賓なのだ。


 ……もはや主賓だなんだと言えるような有様ではないが。


「あれ、どう見ても騒ぎたいだけでしょ」

「ノってきたらそうなるものなんじゃ?」

「まあそうだけどねぇ~。ああいうの苦手でねぇ。それに、お酒も飲まないようにしてるから、なかなかさぁ」


 困ったように呟く彼に、私は首を傾げる。親類の飲みっぷりを見る限り、彼だけ下戸というのは考えにくかった。味が嫌い、とかなのだろうか。


 そんな考えが顔に出ていたのか、浅く笑って彼が答えを教えてくれる。


「酔うと変なものが見えるからね。避けてるんだ」

「なるほど」

「美味しいんだけどねぇ」


 つまり、飲めないことはないのだろう。ただ、あの手の自分の間隔で飲めない席では避けているという感じなのだろうか。


「じゃあ、今度二人で飲みましょうよ」

「いいよ。ゆっくり、ゆっくりね」


 好きなものを用意して、二人だけですこしずつ舐めていくのだ。それは、きっと楽しいだろう。


「しかし……今日の君は、とても綺麗だ」

「……いきなりなんです?」


 唐突な褒め言葉に、目を瞬かせてしまう。しかも、いつものようなサラリとした声音ではなくて、それなりに真剣そうなのが余計驚きだった。


「言う暇がなかったからね。改めて、ってことだよ」

「いや、その、ありがとうございます」

「彼女はいい仕事をしてくれたね」

「そりゃ、芙蓉ですもの」


 当たり前のことを、と思いながら言い返せば、何か気に障ったのか、眉をひくりと動かされた。


「それは、お師匠様としてかな。それとも……」


 その言葉は言いたくないという風に口をつぐんだ彼が、私を覆い隠すように身を傾けた。いつの間にか、背後に壁がある。我知らずのうちに後退していたらしい。


 ただでさえ薄暗いのに、見上げる形になっているせいで彼の表情はよく見えない。でも、これは間違いなく。


「そんなことで嫉妬しないで」

「こればっかりは本能だからねぇ。男の子ってのは、好きな子に他人の手垢がついて欲しくないのさ」

「女の子の手垢でもダメなの?」

「愛してる人に触れる人の性別なんて些末なことだよ」


 角に指を這わせて、私の顎を持ち上げる彼の瞳が爛々と光っているように思える。星は見ていないのだろうけど、いつか見えてしまった景色に怯えているんだろうか。


「馬鹿な人」


 だから私は腕を伸ばして、彼を抱き寄せる。

 精いっぱい背伸びをして、求めるようにしていた口づけを送りつける。


 暖かな熱を叩きつけると、彼は驚いたような顔をしていた。


「ずいぶんとまあお転婆だ」

「だって不安がるから。仕方ないでしょ、私は芙蓉が好きなの」

「それは僕と比べてどれくらい?」

「まだ天と地くらい」

「じゃあ頑張って僕も天に登らなきゃいけないね」


 そこで努力しよう、と言えるあたり、彼も変な人だと思う。あんなにも嫉妬していたくせに。口づけをされて、満足してしまったのだろうか?


「うん、行貞さんなら出来るよ」

「僕の奥さんはずいぶんと手厳しい」


 はは、と軽く笑った彼は、そのまま流れるように私を抱き上げると、ニッコリと深く笑みを作った。


「さて、僕は燃え上がってしまったのだけど、初枕は大丈夫かな?」


 唐突にそんなことを言われても困る。いいや、ここで出くわした時点でなんとなくそうなるんじゃないかという予想はしていたんだけど。


「ええと……優しく、出来ます?」


 だから私に言えるのはそれくらいだった。


「もちろんだよぉ。蕩けるような愛を贈ってあげる」

「じゃあ、それで……」


 なんだか取って付けたようになってしまったけど……そう、悪い経験でもなかった。

 

 ……うん。悪くは、なかった。

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