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諧謔者の願い

 布団をめくってみれば、心配そうにしている芙蓉の顔が見えた。普通に寝ていたはずの相手が布団をかぶって丸くなっていたら、心配にもなるだろう。


 それに、行貞さんは私が見てしまったことに気付いていただろうし、それを彼女に伝えただろう。あの人は、そういうことをする人だ。


「ええと、水希?」


 どう接したものかわからない、という空気が芙蓉から伝わって来る。


 私にだってわからない。『あなたはわたしの旦那様になる人と恋仲なのですか』なんて、どう訊けばいいというのか。


 どうしたって角が立つ。そういう内容なのだから当たり前だ。


 でも、ここでお見合いをしていたって何も始まらない。


 芙蓉は大切だ。私の大事な人。けれど今は、彼女の後に殴りたい相手が待っている。

 だから――。


「付き合ってるんですか」

「えっ」

「二人はそういう関係なの?って訊いてるの」


 最短で行く。


「ち、違う違う! どっちかっていうと苦手な方よ!」

「そか。わかった。よかった。芙蓉と取り合いなんてしたくないし、苦手っていうのでも趣味があってよかった」

「う、うん?」


 隠している反応ではなかった。それに、そこまでして隠すくらいなら本気ってことなんだろうし、うん。


 ならこれで悩みは解決。少し傷つく覚悟があれば、大抵のことはすぐ済むんだ。


「私、芙蓉のこと好きだからね」

「え? う、うん。私もそうよ?」

 この好きはすれ違っているという確信がある。けれど、今はそこを掘り下げている暇がない。


 ごめんね、芙蓉。また後でね。

 そのこと、ちゃんと話し合おうね。


「とりあえず今は行かないといけないところがあるの。名前とかの話は、後ででいい? 終わったら帰ってくるから」

「それは名前考えられるから助かるけど……どこへ?」


 呆気にとられた雰囲気で首を傾げた芙蓉に、私は微笑む。


「未来の旦那様を殴りに、かな」

 

     ***

 

 どうせ走ったって追い付けやしないのだから、無理せず歩いて家まで帰ってきた。


 きっと、彼は私がやってくることを知っているだろう。そして、待っているはずだ。


 正門から帰宅して、私たちに与えられた住まいへ向かわず北へ、北へ。宗家の人たちが暮らす揺籃殿と呼ばれる建物のすぐ近く、黄籃家の太祖を祀った一室へと足を向けた。


 たくさんの人が出入りしやすいよう、両開きの大きな扉の設えられたその部屋は、高い高い天井に至るまで五色絢爛な装飾が施され、絶えることない香の匂いに満ち満ち、痛いくらいに静まり返りかえっている。


 しかし、祀っているといっても、そこには何もない。誰も座っていない台座があるだけだ。


 それはどうしてなのかと昔、問うたことがある。


 元々彼らはこの都市に住んでいたわけではない。故郷は別の場所にある。

 これほど巨大な部屋を設けるのだから、本体が持ってこられないような大きさなのは理解できる。だとしても、それによく似せたものを据えないのはなぜなのかと。


 その理由は、行貞さんにもわからないのだという。ただ、昔からこの様式で続いているから続けているだけなんじゃないかな、と適当に答えてくれた。


 実際、訪れた当初はこの形にも意味があったのだろう。だが、長い年月を経てそれは失われ、形だけが残った。


 彩角の中にも、そういう手順がある。はるか昔には、確かな意味のあったもの。けれど今は、何の意味もないものが。


 そんな空っぽの台座の前に、行貞さんは立っていた。ぼうっと天井の角を睨むようにしながら何かを見ている彼の隣に立つ。


 いつもだらしのない格好をしている彼も、ここにいる時は襟を正している。そのせいで少し凛々しく見えるのが、何だかおかしい。


「ただいま戻りました」


 声をかければ、はっと現実に引き戻されたような顔をして彼がこちらを見る。その深く暗い眼が、舐めるようにして私の顔の縁をなぞっていった。


「今回も可愛らしいね」

「いつも通りです」

「そうかなぁ。毎年、細々したところが違うと思うけど」


 微苦笑しながらの言葉に、案外きちんと見ているのだなと思った。

 もっと適当だとばかり思っていた。


「細かいところはお任せ、ですからね」

「面倒な客だねぇ」

「丸投げの方が気楽ですよ?」

「それは修行してみての感想かなぁ?」

「ええ」


 細かく注文をつけられるのは大変だ。そのイメージ通りに彫ればいいから楽だ、という人もいるだろうけど、窮屈でたまらない。


「なら、彼女の元に通わせたのは、意味があったのかな」

「童女の一過性だとでも思ってましたか」

「さぁて、ね」


 誤魔化すような呟きに、眉を立てた。逃げようとしたって、未来が見えていることは知れているのだから無駄な立ち回りだというのに。


 私の表情に、彼は仕方なさそうな吐息をして。


「あそこが大きな分岐点だったのは確かだろうけど、そんな細かなところまで見えないよぉ」


 彼は目を細めながらそういった。眩しそうな、そういう瞳。

 それは、ものがよく見えないときにするものだ。


 はっ、と気付いた。


「見ないようにしている、ではなくて?」

「……君は頭が回るねぇ」


 困ったなぁという風に、彼は吐息をこぼした。期せずして隠していたものが表出してしまった、と感じている雰囲気だった。

 誰だって、身内の未来なんて見たくないものだと思うのだが……。


「立ち話もなんだ。場所を改めよう。ここは……ご先祖様たちが見ているからね」

「なんだか、そういう格好を見せるの、初めてな気がします」

「僕だって人間だよぉ~。隠したいことくらい、あるさ」


 耐え難い事を口にするように、彼はそう言った。

 見えないと思っていた彼の顔が、見えていくような気がした。

 

 

 廊下を渡って、行貞さんに与えられている部屋へ移動する。


 中に入ると、生活臭の酷く薄い部屋が出迎えてくれた。唯一部屋の主人の匂いを感じ取れるのは、文机の上に無造作に置かれた書物くらいで、あとはまるで、人が住んでいないかの如くに物がない。


 人が退去したばかりの部屋だって、ここまで気配が薄くはないだろう。


 それに、私たちに与えられているそれよりも広い部屋のはずなのに、なんだか酷く狭く感じる。目に見えない壁があって、もう一回り部屋が狭いような印象だった。


「おや、君はわかるみたいだね」

「何がです?」

「狭いって思ったでしょ? 仕事柄、厄介なものが入ってきたりするからねぇ……そういうのを弾くとこうなっちゃうんだよねぇ」

「私にも、そういうのをつけてくださってる、んでしょう?」


 湖で聞いたことを口にしてみれば、行貞さんが目を瞬かせる。


「今日はどうしたの? まるで開眼したみたいだ」

「色々、聞いてきたので」

「誰に? 芙蓉くんにそういう才能はないはずだけど」


 不思議でたまらないという風に、行貞さんが首を傾げた。私の知り合いに思い当たる人間がいないか探しているのだろう。


 言っていいのかわからなかったけれど、言って変な目で見られやしないかと不安だったけれど、彼なら平気だろうと私はそれを告げた。


「……前の、奥方様に」


 言葉に、彼はピクリと片方の瞼を揺らして。

「あの人は……」

 深々、ため息を吐いた。


 がっくり肩を落としながら椅子に腰掛けた彼が、手で適当に座るよう指示してくる。


 そんな珍しい彼の姿を見ながら、来客用の椅子がなかったので、寝台に腰掛けさせてもらった。


「あれ、本当の意味でおまじないだったんですね。触りたがりなのかと思ってました」

「他人に触るのは好きだよぉ~。色んなことを教えてくれるからね。それに、君はいい匂いがするから」


 発言に少しひいたようなそぶりを見せると、苦笑いを浮かべられてしまう。


「冗談だよ」

「結構本気じゃなかったですか?」

「半分くらいじゃないかなぁ? ま、それだけ君のことが大切ってことだよ」

 さらりと言われると本当に嘘くさくて困ってしまう。顔色一つ変えないくらい本気ということなのか、それくらいどうでもいいのか、こちらにはわからないのだ。


「それならもっとわかりやすくしてくれたらいいのに。私、行貞さんのことよくわからないから苦手なんですよ」

「それ、よく言われるねぇ~。胡散臭いとか、もあるかなぁ。そんなにみんな他人が考えてることが気になるものかなぁ」


 それはそうだろうと思う。もちろん知りたくないこともあるけれど、全くわからないよりかはマシだ。


 私の表情から考えを読み取ったのか、彼はため息を吐く。


「……わかったって、いいことなんか何もないよ」


 気怠そうに、彼は着物を緩めるといつものような、胸元が見えそうなくらいの格好に戻ってしまった。


「例えば君は僕のことが苦手だね」

「ええ」


 ついさっき、自分から告げたことだ。


「そしてそれは、僕のことがわからないからだ。そういう振る舞いを、僕がしたからだ。じゃあ逆ならどうだったか……わかるかな?」

「……わかってしまうと、簡単に好きになってもらえる?」

「正解。君は頭がいいね。そして、わかるからこそ相手に脈があるかどうかが初対面でわかる。それを隠すのって大変なんだよぉ~。嫌い嫌いとトゲトゲした心に触れていると、こっちまでおかしくなりかねないしね」


 彼は語りながら目を細める。

 懐かしい光に、眩しさを覚えるように。


「でも面倒なことに、僕自身の感情は操れない。脈がないとわかっているのに、好きでたまらないことがある。僕にとってそれが前の奥さんで、だからあの人が幸せになってくれないかなぁと色々手を回した。結果は、ダメだったけどね」


 自嘲するような声音と共にその視線がふっとブレる。どこかを見ていた目は、どこも見なくなる。


「いいや、あの人はあの人で幸せになったんだろうけど、それは、僕が、一番避けたかった形だった」


 深い吐息。行貞さんは、あの人に傍らで笑顔になって欲しかったのだろう。


 その笑顔が自分に向くことはないと知っていても。別の誰かを見つめて幸せそうにしているのだとしても。

 元々手に入らないとわかっていたから、せめて、その輝きを傍らで見ていたかったんだ。


「……あの、その時のゴタゴタで、私になったって」


 彼女が言っていたことを伝えると、彼にしてはとても珍しい反応が返ってきた。

「そんなことまで話したの? 背中でも押したつもりなのかなぁ……お節介というか……気にしてくれるのはいいけどそれ生きてるときにして欲しかったなぁ」


 私がそのことを教えられたのがよほど驚きだったらしい。丸聞こえの声量のままで、彼は呟いていた。


「んー……知りたい? わりと、色んな人を嫌いになる話だよ」

「例えば……?」

「君のお母さんとか。もちろん、僕も入ってるけどね」


 断片的すぎて、わけがわからない。怖いもの見たさで訊きたいような気もしたし、このまま知らないでいるべきだとも思った。


「嫌なら話さないよ。僕としても愉快な話じゃないからね」

「……じゃあ、やめておきます」


 知らなくて済むなら、それでよかった。


「そう。ただ、まあ、君が選ばれたのにはそういう事情があったとしても、今現在、僕は僕として君を愛している。それは、確かだよ」

「えっ」

「わかりにくかった? 打算とかなしにってこと」

「い、いや、わかりましたけど」


 彼ほどの人になれば、結婚相手にそういう感情なんか向けなくなるのだと思っていた。なにせ二度目なのだから。


「ん? 薄情な感じがする?」


 だって、あれほど愛していると言っていたのに。同じ口で私のことを愛していると言えるのは何故なのだろう。


 いや、私も芙蓉のことが好きだし、他人のことを言えるとは思ってないけど。


 けど、私の好きと彼のそれは、やっぱり違うような気がする。

 どうしても、肉が結びつく、というか。男の人はそういう面で女を見ることもあるというし。


「……前の奥方様は、もう、いいんですか?」

「ああ……。愛情は変わらないよ。もう触れられないとか関係なしに今も愛してる」

「じゃあ、なんで?」


 私の疑問に、彼は頭をかいた。どう説明するか、困っている雰囲気だった。


「んー……なんでって言われてもなぁ」

「体目当て、とか?」

「もっと体が熟してからいうんだね」


 ぴん、と額を弾かれた。確かに、まだそんなことを言える体型ではない。母を見るに、将来はとても有望だと思うけど。


「幼児趣味?」

「君ねぇ……」

「だって、本当にわからないんだもん。こんな、こんな不気味な角の女のどこがいいんですか?」


 芙蓉も、私の角を褒めてくれるけど、私にはこれの良さがわからない。骨のような、こんなものを頭から提げている女のどこに魅力を感じるというのか。


「んー、まずはそういう気にしいなくせに、妙に気の強いところとかかな。もちろん顔そのものだって好みだよ。だから僕は君の角が不気味だなんて思ったことは一度もない」


 触るよ、と小さく声を掛けて、彼の手が私の頭に触れる。クセの強い髪を、柔らかくほぐすようにして、角の根元まで指を滑らせる。


 拒めたのに、私は拒まなかった。彼がどう感じているのか聞きたかった、のだろうか。


「雪のように白くて、太くてしっかりとしたいい角だ。表面は程よく柔らかくて、触ったら気持ちがいいだろうし、何より化粧映えする。いいや、しなくたって、君の顔に似合った、いい角だ」

「私は、そうは思いません」

「嫌いなんだもんね。別にいいよ。無理に好きになる必要はない。ただ僕は好き。それだけの話」


 一方通行な言い方だけど、不思議と身勝手な感じはなかった。ただただ、真っ直ぐな愛情だけがぶつかってくる。


 ……その勢いに、少し、ドキドキする。


「ともかくね、僕は君を愛している。愛してしまった。僕の星は、あまり優しくないから、やめようと思ってたんだけどね」


 彼は星を見てすぐ諦めてしまう、と奥方様は言っていた。つまり、それだけ悪い未来ばかりを見てきたのだろう。


「だから……今度は見ないようにした。だから僕は君の本当のところはわからない。そして、見るのに慣れていたから、どこまで考えを見せるのが普通なのかがわからない。僕なりに好意を示していたつもりだけど、その結果、君は僕が苦手になった」


 酷い悪循環だね、と彼は笑った。それは自嘲なのだろうけれど、とてもそうは見えない笑い方で。


 ……彼は疲れてしまっているのだ。


 その癒しを求めた人は既に亡く、二人目も自分を見てはくれなくて。

 だからどうにか目を向けようとして、色々とやっていて。


 ああ、ああ……この人は。


 ――なんて、愚かで。そして、優しい。


「ま、仕方がないね。普通の人は、これが普通なんだろうしさぁ」


 そう言って笑みを作ろうとした彼の顔を見ていられなくて。

 私は跳び出して、その頭を抱きしめた。


「水希?」

「無理して笑わないで。その笑い方、嫌い」

「……そうなんだ」


 抱きしめた彼の頭からは、独特な体臭が立ち上ってくる。染み付いてしまったお香の匂いと朝靄の匂いを混ぜたような独特な匂い。


 それを嗅いでいると、少しドキドキするような感じがあって。苦手だったはずなのにと、自分がわからなくなる。


 愛している、と何度も言われたからだろうか。


「君は、いい匂いがするね。柔らかい匂いだ」


 その言葉。さっきはひいてしまったけれど、今は、嫌じゃない。


「行貞さんも、いい匂いがします」

「そうかな? よく、老人臭いって言われるよ」

「鼻が悪いんです。みんな、ちゃんと嗅ごうとしてない」

「君は、してくれるんだね」


 彼の体が、腕の中で震える。


「だって、して欲しかったんでしょ。ほんとは、ずっと」


 軽口を言うように返せば、彼の腕が私の背に回っている。お腹にくっつこうとしているみたいに、ぎゅっと力を込められる。


「そうだね……情けない、話だけど」

「もっと、わかりやすく感情を出して。私、行貞さんがどう感じたのとか聞きたい」

「君の話じゃなくて?」

「ちょうどいい塩梅がいいです。お互い、うまく荷物を持ち合う感じに」

「できるかな」

「やらなきゃ」

「そうだね」


 それきり、会話はふっつりと途切れて。

 私たちはしばらく抱きしめあっていた。

 

     ***

 

 私たちは離れると、まるで何もなかったかのように元の位置に戻った。


「たぶん、私、行貞さんのこと好きになれます」

「それは嬉しい報告だね」

「でもそれは脇に置いて、芙蓉のことを誑かそうとしたのは文句が言いたい」


 グッと拳を作ってみせると、行貞さんが苦笑いをする。


「誑かしたわけじゃないよ。……いや、したのかな?」

「どっちでもいいです。一発、いいですか?」


 おどけたように口にする彼に、腕を振ってみせる。

 彼はやれやれ、と肩を揺らすと、すっと身構えるような体勢になった。

 どうぞ、ということなのだろう。ならお言葉に甘えさせてもらうことにする。


 立ち上がり、踏み込んで、殴った。


 とはいえ、私の腕力なんかたかが知れているわけで。きちんと鍛えていてる彼は微動だにせず。

 けれどもただ漠然と、痛みを感じさせたような気はしていた。


「全く、殴られたのなんていつぶりだろう」


 私がまた寝台に腰を下ろすと、そんな感想が聞こえてきた。


「殴られたこととかあるんです?」

「そりゃ、僕だって人の子だからね。バレないようにはやったけど、ヘマをして父に殴られたことくらいはあるよ」

「とても上手く立ち回って、そういうことから逃げそうな印象しかない……」


 今よりもっと無邪気に心を読んでいただろうから、的確に責められないところを突くことは、そう難しくもなかっただろう。


 改めて悪ガキに与えてはいけない能力だと思う。どうやって更生したのだろう……? それも、訊けば教えてくれるのだろうか。


「ま、実際のとこ大半はそうだよ。それでも、僕を正そうとしてくれる人がいて、どうにか真人間風になれたってこと」

「風、なんですか……」

「僕を真人間と呼んだら、大半の遊び人がそうなってしまうよ?」


 彼が真人間でないことには同意するが、遊び人までもが真人間扱いになるとまでは思わない。

 だって、この人はずっと孤独の中で星を読み続けていたのだから。


「私は、違うと思いますけど……」

「そうかな? なら、買ってくれているんだろうね。嬉しいことだよ。……もしかすると、君は、これからたくさんの未知を僕に与えてくれるのかもしれないね」


 そう言うと、腹を痛そうに一撫でした彼は、私のことを抱きしめてくる。


「愛してるよ、水希。早く裳着の日が来ないかな」


 それは私が大人になる日。大人と同じようなことができるようになる日。つまり、そういうことをしてもいいようになる日。


「なんか、やらしい感じがありません?」

「それは君がそういう子なんじゃないかな? まぁ、嫌なら、何年でも待っていいよ。なぁに、ここまでくるのに二十年は待ったんだ。それを続けろと言われても、耐えられるよ」


 あの嫌いな笑い方をした雰囲気がしたので、脛を蹴飛ばしてやった。


「待たせませんよ! そんなに! すぐ大人になります!」

「はは、ならそういう派手な身動きはやめないとね」

「むー」

「僕は気にしないんだけど、兄様とかがうるさいのがねぇ」

「そ、それは、まあ……迷惑にならないよう頑張ります」

「うん。もっと綺麗になっておくれ、僕の姫君」


 そう言った彼の指が、頭頂部から角の先へと走っていく。むずがゆいような、くすぐったいような感覚に、なんと返していいか困ってしまう。


「行貞さん?」

「……ねぇ、一つ思いついたことがあるんだけど、いいかな?」


 他人の角を撫でて、一体なにを思いついたというのだろう……。首を傾げて待っていると、彼は私の手を取って、己の角に触れさせた。


「僕の彩角をして欲しいんだ」


 突然の告白に、言葉が頭の中でぐちゃぐちゃに絡んでしまって上手く出てこない。


「ええっと……男性向けのは、やって、なくて……」


 一般的に男の人は彩角をしない。それは、彼らの基準が美しさではなく大きさにあるからだ。


 それでも、例えば祖神を祀る数十年に一度の祭りの年であるとか、何がしかの折には彼らも彩角をする。

 金や銀の装飾を用いたそれは、とても絢爛豪華なものだという。


 私はその技法を学んではいない、のだが……。


「女の子向けので構わないよ。渦角の練習も、していたろう?」

「まあ……やり、ましたけど」


 一通りの技術を教える、ということで、主要な角は全て触っている。

 だから、出来ないことは、ないんだけど……。


「またあそこの次男は変なことをする、とか言われますよ」

「星読みが多少奇抜な格好をしても許されるよ。実際、分かりにくくしてるだけで、角に護法を仕込んでいたりするからね。それを少し、人目につくようにして、綺麗なものにするだけだよ」


 どうかな?とどこか嬉しそうな目で見つめられると、嫌とはいえない。


 そういう性格なのをわかっていて、その顔をしたのだ。心を見ないと決めたのに、そこまでして、彼はして欲しかったんだ。


 そこまで求められてしまったなら……応えたい。


「……ええと、やり、ます」

「ありがとう」

「でもすぐには無理ですから! そ、その前に、名前です、名前。芙蓉にもらってこないと」

「そうだったね。そういう大切な試験の最中だった。……うん、行ってらっしゃい。あまり、遅くなってはいけないよ。泊まるのなら、文を届けさせなさい」

「……はい」


 いつものように、彼は私の頭を触る。


 今までは、ただの触りたがりだと思っていたもの。

 今では、私を愛しているから守りたいという意思の表れだと知っているもの。


 なんだか気恥ずかしさを覚えながらお呪いを掛けてもらって。

 私は、芙蓉の家へとまた足を向けた。

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