phase.1-3
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ヴィクトリアに手を引かれ進む途中で心とすれ違い不思議そうな顔で心は首を傾げていた。
「ちょっと待ってくれ! 話が見えない!」
それが聞こえたのかヴィクトリアは立ち止まり晴一朗の瞳を見つめる。
「第一界、ひいては位相世界に興味があると思ったのだが、違うかの?」
晴一朗が位相世界のことを色々と調べているところをヴィクトリアは見ていたのだ。
故にヴィクトリアはヴィクトリアなりに気を利かせて智恵と所長の田処に調査に晴一朗が同行できるように頼んでいた。
「それは確かに興味はあるけど」
本心では危険を伴うと分かっていても、もう一度行ってみたいと思っていた。
姉のやっていることや彼女達の目的、知りたいことは山ほどあっても知る権利はほんの少し。
もし、位相世界での活動に加わることが出来ればもっと色々なことを知ることが出来ると考えたからだ。
「ならばよいではないか。危険ならば心配するな、余も共に居るのだ大船に乗ったつもりで良いぞ」
胸を張り自信満々なヴィクトリアを見ていると確かに大丈夫なんじゃないかと思えてきた晴一朗。
しかし、はっとなって首を振る。
「違う、そういう問題じゃって、うわっ!」
言いかけたところでヴィクトリアが腕を引き走り出し釣られて晴一朗も走り出す。
「やってみたい、行ってみたい、見てみたい。これ以上何が必要であるのだ! 余はそれだけで十分だと思う! 故に余はお主をつれて行ってやりたいのだ」
自分勝手な意見に晴一朗は呆れてしまいそうになるが千載一遇のチャンスでもある。
手を引かれたどり着いたのは司令室と書かれたプレートの部屋。
ためらう事無くヴィクトリアはドアを開き中に入る。
「晴一朗を連れてきたぞ」
その口ぶりは晴一朗が行くと言い切ることを核心しているような口ぶりだった。
「はいはい。で、どうする?」
姉である智恵はすでに晴一朗が何と言うか分かっている様子だった。
「……俺、行くよ。偶然じゃなくて自分の意思で行ってみたい」
晴一朗の腹積もりでは危険は無く安全に戻れる自信があるからこその言葉だった。
流石に智恵とて危険極まりないならば行かせるはずがないに決まっている。
ヴィクトリアが連れ出した時点で行ってもよいというのは確約された様なもの。
「アンタならそういうと思ってた。危なくなったすぐ帰ってくるって約束できる?」
「勿論、じゃないと行かせてくれないだろうし」
まぁねと言いたげに智恵は視線を逸らす。
「決まったな、よし! では行くぞ!」
またもや晴一朗はヴィクトリアに腕を引かれ部屋を飛び出す事になった。
成すがまま晴一朗はヴィクトリアに任せ後を追うように引っ張られていく。
「ここだ!」
そういってヴィクトリアが中に入ったところは初めてここに来た場所だった。
見覚えのある黒い箱が並んでいた。
「確かこれが『ブラックボックス』だっけ」
機械仕掛けの黒い箱。大きさは人が三人くらい入れるほど。
印象は大き目の棺が立てかけられているというのが一番近い。
「うむ。これで『ダイブ』をするのだ」
『ダイブ』、田処の説明にもあったように他人に感知されない状況下で一定の条件が整うと別世界に行くことが出来るという現象。
それを人為的に引き起こす装置、『ブラックボックス』。
「ちょっと待っておれ」
ヴィクトリアは五つのブラックボックスの設置された部屋の片隅からチョーカーを手に取り晴一朗に手渡した。
「これは?」
「分かりやすく言うのであれば命綱である。これが位相世界での目印になる。えーっとつまりはだな」
ヴィクトリアが説明しようと頭を捻っているとクロッカスが部屋に入ってきた。
「あら、冗談かと思ったけれど本気なの?」
何が言いたいのかは晴一朗は理解していた。
「駄目かな」
「別に私は構わないわよ。荷物が一つ増えたところでさして問題にすることではないから」
そういいながらヴィクトリアのほうを見つめていた。
「うむ? クロッカスか。おぉー、良いところに。これの説明を晴一朗にしてやってくれぬか?」
ヴィクトリアは晴一朗の手の中にあるチョーカーを指差した。
「貴女って人は本当に……」
呆れた様子でため息を吐きクロッカスは晴一朗の前に立つ。
「仕方ないから簡単に説明してあげるわ。これは私達がダイブした後の座標を知るための物。これがないと私達は何処へ行ったか分からなくなるの。簡単に言えばコンパスみたいなものでもありGPSの様な役割も果たしているマルチデバイスよ。何があってもこれだけは手放さないこと。もし手放したら大変なことになるわ」
まくし立てる様な説明をしっかりと聞きとめ晴一朗は疑問を返す。
「大変なこと?」
「言ったでしょ、コンパスやGPSみたいなものだって。これがないままダイブしてしまったら最後何処に行ってしまうか分からないもの」
観測していないだけで世界は他にもある。つまりそこの何処に落ちるか、果てまた文字通り何処に落ちるかも分からなくなってしまうということだ。
それを想像して晴一朗は肝を冷やす。
「あら、少しは可愛いところもあるのね」
そういってクロッカスは初めて晴一朗の前で笑顔を見せた。
「でもすでに貴方はそんな目印も無くダイブしてるのよ?」
気づかなかったの?と言いたげな表情に晴一朗は偶発的にダイブしたことを思い出す。
地図もない、コンパスもない、自らの位置を知らせるものもない。
その状態で飛行機から飛び降りた、そう考えると晴一朗のは自らの強運を実感する。
「もしかしたらもっと違う所に行ってしまったかも知れないと」
森やジャングルで迷子になる以上に帰ることの叶わない虚数の海から蜘蛛の糸を奇跡的に手繰り寄せて帰って来れた。
一瞬晴一朗はクラッとしてよろめく。
「ど、どうしたのだ? 大丈夫か?」
慌ててヴィクトリアが晴一朗に近づき肩に手を添える。
「大丈夫……うん。大丈夫、ありがとう」
もはや自己暗示が特技になりつつある晴一朗は今回も大丈夫だと自らに言い聞かせる。
「うむ。ならばよし。では行こうぞ!」
ヴィクトリアは蓋の開いたブラックボックスに入り込む。
百聞は一見にしかず、晴一朗はチョーカーを首に着けてブラックボックスに踏み込んだ。
その隣のブラックボックスにクロッカスが乗り込む。
「……仕方ないわね。付き合うわ、何よりもヴィクトリアだけでは不安だもの」
面倒見のいい人だなと晴一朗は思うが口にせずありがとうとだけ口にした。
『聞こえるかしら?』
チョーカーから声が聞こえ晴一朗は返事をする。
「うん。問題ない」
『クロッカスが説明してくれたみたいだけどもう一度口を酸っぱくして言っておくけど、絶対にそのチョーカーを外さないこと。分かった?』
道しるべを失う恐怖を想像し強く頷き肯定する。
『うん。じゃあ軽くブラックボックスに入った後のこと説明するから』
智恵はそういうと事務的な印象を受ける口ぶりで晴一朗に説明する。
それを晴一朗はしっかりと頭に叩き込み頷く。
『分かった? じゃあ気をつけて行ってらっしゃいな。基本的に第一界自体には外敵は存在しないから怪我だけ気をつけてね』
通信が切れると目の前の蓋がゆっくりと動きガコンと嵌る様な音がした。
その直後モーターの回転音が聞こえ心なしか息苦しくなり、ブラックボックス内部は完全に外部と遮断された。
晴一朗がゆっくりと息を吐き目を瞑る。
目を開くと暗闇だったはずのブラックボックス内部が3D投影されたスクリーンのように虚実が希薄となった曖昧な空間になっていた。
今のブラックボックス内部は第一界の着地座標と重なっている状況下にあり、晴一朗がその場でブラックボックス内部と触れるところが無くなったら。
つまり軽く飛ぶことで第一界へのダイブが完了する。
目を疑いたくなるような光景に喉を鳴らす。
「えっと、確か座標のズレで着地でない場合は非常停止ボタンで問題なければ飛べ! だったな」
位相がずれて重なり合った世界、足元に注意してよく目を凝らす。
大体五十センチほど晴一朗のほうが上位に、足場は問題ない、しっかりとした大地だ。
視線を前に向け辺りを見回す、信じられないがそこは廃墟と化した都会、ビル群に乗り捨てられた車、ガードレールや信号機、ひび割れたアスファルト。
言い知れぬ既視感は喉まで出掛かった言葉のようにもやもやさせる。
答えの出ない問題を棚上げにして晴一朗が振り向くと広大な海や空が青く澄み渡っていた。
息を呑む様な美しさに晴一朗はハッとする。
まだ自分はそこに居ないのにまるでそこに居る様な気になっていた。
「……よし。行くぞ!」
意を決して晴一朗は足場をよく見て両足で飛ぶ。
瞬間、希薄だった世界は即座に現実と成りて風や匂い、日の光が晴一朗の五感に訴えかけるように押し寄せる。
ゾワリと恐怖とは違う未知の感覚に襲われ着地を失敗してよろめき尻餅をつく。
「痛っ! ……っ!」
先ほどまで見ていたはずなのに、眼前に広がる景色は実体を持ち現実を侵食する。
荒れ果てた都会、世界の行き着く場所。
思考を纏めることが出来ず晴一朗はただ呆然と廃墟と化した都会を眺めていた。
『晴一朗? 聞こえる?』
突如と無くチョーカーから声が聞こえ驚く。
「うぇっ! あ、うん! 尻餅ついただけだ。だけなんだけど」
言葉が詰まる。
冷静になった思考は徐々に少年染みた興奮に満ちていく。
「おーい! 晴一朗は居るかー!」
遠くから聞こえるヴィクトリアの声に晴一朗は立ち上がり返事をする。
「こっちだー! 問題ない!」
答えると駆け足でヴィクトリアが晴一朗の所まで来る。
その後ろを歩いてクロッカスがついて来た。
「怪我は無いようだな。では行くか」
びしっとヴィクトリアが指を刺した直後、チョーカーから声が発せられた。
『マスター! マスター! マスター!』
三度もマスターと呼ばれて晴一朗あっと声を漏らした。
「ごめん!」
いの一番に口から謝罪の言葉が飛び出た。
『大丈夫ですか? お怪我はありませんか? お腹すいてませんか?』
おろおろと挙動不審な様子が手に取るように分かる晴一朗は苦笑してしまう。
「大丈夫、怪我もないしお腹もすいてないから。それより掃除の途中だったな。ごめん。今、戻るから待っててくれ」
『あっ、いえ! マスターが無事なら私は全然オッケーです! それにもう少しですから掃除は私がやっておきますので!』
良い娘だなぁとしみじみ思う晴一朗。
『なので、戻ったら褒めてください!』
言い方が悪くなるが晴一朗は犬みたいだなとも思った。
「わかった、戻ったらな。こっちも気をつけるから心も怪我しないように」
『はい!』
返事と共に扉が勢いよく開けられ閉められた音が響いた。
「うむぅ……」
釈然としない表情のヴィクトリアの頭をクロッカスが小突く。
「あたっ、何をするか!」
「こっちまで来たんだから仕事よ、仕事。この間貴女一人だけ先に戻ったでしょ?」
晴一朗が偶発的にダイブしてしまった時のことを言っているのだとヴィクトリアは察して唸る。
「し、しかしだなクロッカスよ。あれは人命救助としてだな」
「別に貴女がここでの仕事を嫌がっている訳ではないことは分かっているわ。でもね、サボった分はやることはしっかりやりなさい」
叱咤されている様子に晴一朗が助け舟を出そうとするとクロッカスの視線が移る。
「貴方も。ここにいるのだから少しは手伝いなさい。手は多いに越したことはないから」
言いたいことを言うだけ言ってクロッカスは歩みを廃墟のビルへと向ける。
「すまぬ。よもやこのようなことになるとは」
ヴィクトリアの算段ではこのまま色々と見て回る程度のつもりだった。
「いや、気にしなくて良いよ。どうせ何してるか知りたかったし」
何故彼女達がこの世界に来ているのか。それは晴一朗では知ることの許されていない情報だった。
だが、ここまで来て手伝うとなれば知る権利はあるはずだと思い口にした。
「で、何をすればいい?」
クロッカスにそう聞くと一息ついて答えた。
「電子機器、主にデータを保存しているデバイスね。既存のものならUSB、CD、DVD。見つかるならMDでもいいわ。まぁそんな骨董品あるわけ無いけど」
切り捨てるように手当たり次第に見たことあるデータ保存のできるものを探せとのこと。
「この時代の一般流通していたデバイスはMSD、正式にはマルチセーブドライブ。簡単に言えばHDDの進化版と言うところかしら。デザインは色々あるけれど一般的には十センチほどのスティック型のデバイスよ」
「USBより大きくないか?」
単純な疑問をぶつけると律儀にクロッカスは答えた。
「少し語弊があったわ。正確にはノートパソコンの進化系と言うべきかしら、空間液晶機能がついてるから小さくしたら使い勝手が悪いの」
「空間液晶って、もしかして画面が空中に出て触れるとかそういう?」
「まさにその通りよ」
未来の技術はそこまでたどり着いたのかと晴一朗は感極まり口を閉ざす。
「さ、無駄話はそのくらいにして、探すわよ」
そういってクロッカスは一つのビルに入っていく。
「オフィスビルかな。えっと……あった。文字はかすれて読めないけど階数は……、十二階立てか」
「ちなみにいつも上から調べておるから、次は九階になるぞ」
ずいぶんとまた遠いなと晴一朗は廊下の先を見る。
「文句を言っても仕方あるまい。行くぞ」
ヴィクトリアは元気に歩きだし、その後ろを晴一朗が追いかける。
「うむ。探し物と先にクロッカスが申したが余たち、と言うよりも智恵たちの真の探し物がある」
急にヴィクトリアが話始める。
「真の探し物って?」
階段を見つけ歩みをそちらに向けるとヴィクトリアはチョーカーを弄り出す。
するとライトが点き辺りを照らした。まねして晴一朗もチョーカーを弄りライトを点けた。
「余らリベラアニマの唯一にして無二の壊しあう理由になりえる物、いや資料であるかな」
黙って晴一朗は次の言葉を待ちながら階段を上っていく。
「『アイザックメモ』、それの在り処を余らリベラアニマは知っておる」
「その『アイザックメモ』って何なの?」
上っていた足を止めヴィクトリアは振り向く。
「幾つもの工程に分けられた、『リベラアニマ』の設計図だ」