phase.1-2
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晴一朗がアルバイトを始め数日が経った土曜日。
主な仕事は資料整理や電話窓口などを想定していたがそんなところはやらせてもらえなかった。
徹夜で仕事をした方々が脱ぎ捨てた衣類を拾って洗濯機で回して干したり、汚部屋と言って差し支えない共同ルームの掃除に長ったらしい廊下のワックス掛け、踏み込むに勇気を必要としたトイレ掃除。
おまけに間食にと簡単ながら料理を作らされたりともはやアルバイトではなくただの主夫であった。
そんな中晴一朗は暇を見つけては位相世界の事について調べていた。
彼が抱く疑問は日ごとに膨らんでいく。「何故」が尽きないほどにだ。
特に関心を抱いたのは機械人間に関して。
ラテン語で自由な魂と読み機械人間と書く歪さに疑問符が生まれた。
そしてそれが自らを救ったあの少女だと聞かされた時はなおさら驚きを隠せずにいた。あまりにも人間的過ぎる彼女が機械だと到底思えなかったからだ。
ヴィクトリアのほかにもホワイト・オパール・クロッカスと奥守 心の二人が居る。
その内の一人、晴一朗にとって困った相手が奥守 心だった。
「あの、そろそろ掃除始めようと思うんだけど」
何故かここに居るアルバイトの間の数時間はべったりと付きまとってくる。
「はい! お手伝いします!」
元気よく返事をしてくれる心に晴一朗は頭を掻く。
「じゃなくて、心は他にやりたい事とかないの? 助かるけど暇じゃないでしょ?」
「いえ、暇なので。あとマスターの傍に居たいので」
当然であるかのように心はそう言ってのける。
「前も聞いたけど、どうして俺をマスターって呼ぶの?」
マスター。何故か心は晴一朗のことをそう呼ぶ。
「マスターが私のマスターであることを認めたら教えて差し上げますよ?」
どうして良いやらと晴一朗は今日も頭を抱えている。
「わかった。それは置いておいて、手伝い頼むよ」
「頼まれました!」
手に持った開示を許された資料を片付けている間にどこからとも無く心が掃除用具持ってきた。
「本当に助かるよ」
「いえいえ」
ニコニコと嬉しそうに掃除用具を床に置く。
「今日は何処からいたしますか?」
「そうだな……。昨日は向かいの部屋を掃除したし、今日はその隣の部屋にしようか」
「仮眠室ですか……マスクが必須ですね……」
仮眠室と分かって心なしかシュンとした心の姿に晴一朗は眉を吊り上げる。
廊下に出て仮眠室と書かれたルームプレートの部屋をノックする。
中から返事は無い。
「悪いけど中で誰か寝てないか見てきてくれるかな」
振りかえるとマスクをつけて眼鏡まで掛けた心が待機していた。
「うーっ。大丈夫だと思いますけど、分かりました! 心、行きますっ!」
意を決して心が部屋の中を覗ききょろきょろと見回す。
「誰も居ません。オッケーです」
「うっし、じゃあやりますか」
そういって半開きのドアを開けると異様な臭いが晴一朗の鼻を貫いた。
「うおっ! なんだこの匂いは!」
鼻を摘みながら電気を付けて見ると口を開きそうになったがぐっと堪える。
「これは酷いな……」
一言で表すならやはり汚部屋。脱ぎ散らかされた衣類に飲みかけ食べかけの食料達。
景観を良くしようとしたのか窓際に置かれた花は枯れ、ゴミ箱は様々なもので溢れ返って収拾がつけられない状態。
だが、これを見なかったことには出来ようも無い。
心と同じく意を決して晴一朗は魔境に足を踏み入れ奥の窓を開け換気をする。
「悪いけど衣類は洗濯するからかごに入れて洗い場へ持っていって。俺はゴミを片付けるから」
ゴム手袋をつけてゴミ袋を手に取る。
「分かりました、では集めますね」
この素直さが今の晴一朗には何よりもありがたかった。
「ひぃうっ!」
聞いたことも無いような悲鳴を心が上げるがあえて目を向けない晴一朗。
「どうしても駄目なら付き合わなくても良いんだよ」
どちらにしてもやることは変わらないんだと言い聞かせて提案するが心はこれを拒否して任務の続行を望んだ。
「こんな地獄にマスターを置いては行けません。奥守の名にかけて!」
決意を新たに心が汚部屋の衣類と格闘している最中、晴一朗の目の前に奴が現れた。
黒い弾丸は光を得た部屋の中を縦横無尽に駆け回る。
「心! 奴が出たぞ!」
晴一朗は比較的に耐性のある方なので大丈夫だが、女の子の心は駄目かも知れないと晴一朗が危険を促す。
「奴って何ですか?」
その対象を理解していない心。しかし容赦なく奴は心に忍び寄る。
ちょうど心が手にした衣類に奴は飛びついた。
「あっ」
素っ頓狂な声が晴一朗の口から漏れると心はその視線の先の奴に気が付く。
「あー。なるほど」
そういって心はゴム手袋越しとは言え手づかみした。
「ここに居ると危ないですよっと」
そういって換気中の窓から奴を投げ捨てる。日の光を浴び黒光りする奴は遥かかなたへ飛び去った。
鮮やかな手腕に晴一朗は思わず拍手していた。
「えっ? あの、どうかしましたか?」
「いや、すごいなぁと思ってさ」
ゴム手袋をしていなかったら頭の一つでも撫でてやりたい気分だった。
「すごいですかね? あっ、いえ、褒めて頂けるのは嬉しいのですが」
当然のことをして褒められることが妙にこそばゆい心は照れ隠しに神速とも言える速度で衣類を回収して回る。
「じゃあ私はこれを持って行きますね」
忙しなく心は仮眠室を後にし、残されたのは晴一朗のみ。
「俺も続きやりますか」
気合を入れてゴミ袋を手に取り続きを始める。
そうして、掃除を始めて三時間、大体片付き仮眠室として機能するレベルまで来た。
「長かったですね……」
流石の心も骨が折れたのか弱音のように感想を吐く。
「そこそこ掛かったね。少し休憩入れようか」
「了解です。何か飲み物持ってきますね!」
返事をする間も無くびゅんと風のように心は駆け抜け仮眠室を後にした。
せっかくなので心を待つことにした晴一朗はベッドに腰を下ろして息を吐く。
「おーっ! こんな所に居ったのか!」
開けっ放しのドアのほうを向くとヴィクトリアがそこに居た。
「どうしたの?」
「どうしたの? ではない!」
瞳を輝かせてヴィクトリアは晴一朗の手を掴む。
「なに?」
「行くぞ!」
急に引っ張りどこかへ連れて行こうとする。
「何処へ!?」
「第一界へだ!」