phase.2-5
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位相世界から戻った晴一朗と心は智恵に呼ばれ司令室に居た。
「とりあえず、無事でよかったよ」
ほっとしたのか柔和な笑みを浮かべてコーヒーを啜る智恵。
「首の火傷はどんな具合?」
智恵に首を見せるとコップを咥えながら目を細めて凝視してくる。
「うん。たいしたこと無くてよかったよ」
「そこまで痛くないからそんなことだとは思った」
と言いつつも違和感のある首を指で撫でる。
「今日は早いけど疲れたでしょ? 明日の学校はアタシのほうから休むって言っとくから仮眠室使っていいよ」
晴一朗の事をよく知る智恵だからこそ見えない気遣いをすることが出来た。
「ありがとう姉さん。悪いけどそうさせてもらう」
そう言い残して晴一朗は司令室を後にした。しれっと後を付いて行こうとする心。
「ちょっと心ちゃんには話があるから残ってね」
釘を刺し、心の付き添いを止める。
「わかりました」
渋々といった様子で心はその場で足を止めた。
晴一朗が遠ざかったの頃合を見て智恵は口を開く。
「あいつは心ちゃんが思ってるほど強い男じゃないから」
「? それはどう言う意味でしょうか」
ため息をついて智恵は困ったように頬を掻く。
「過大評価かも知れないけど晴一朗は殴られても蹴られても、ナイフで刺されようが銃を撃たれようが笑なければならないなら笑える男だよ」
晴一朗を知っているからこそ今回の件はかなり困ったと嘆くように呟いた。
「でもね、心はそうじゃないの。人一倍感受性が強いというか何でもかんでも一人で背負い込むタイプで自分の善意で自分を傷つける様な弱くて馬鹿な男」
子供の頃からよく知っている弟の本質。
「だからきっと、今回のことも一人で抱え込こむつもりだから、整理がつくまでそっとしてあげて。それしか今はしてあげられないから」
ふざける様子も無く智恵はそういって視線をヴィクトリア達から送られる映像に向けた。
心は智恵の言葉を聞いて少し俯いて考える。
十分もしないうちに心は静かに司令室を後にした。
その頃晴一朗は一人、ベッドに座って考えていた。どうすればあの少女を救えたのだろうかと。
本当は死の間際、少女が救われていたことを知らない晴一朗は深く後悔していた。
手の届く命だったと、俺の弱さがあの娘を殺したのだと。
気負わなくてもいい仕方のないことに晴一朗は異常なまでの責任を感じていた。
それはあの少女を死に追いやったこと、心に人殺しをさせてしまったこと。
二重の責任が肩に重く圧し掛かっていた。
目に焼きついた少女の顔が胸を抉る。
ずっと一人で、孤独の中で耐えてきたのに始めて出会えた誰を憎むというのはあまりにも悲惨だ。
その到底想像の及びもつかない状況を胸のうちで考えるだけで悔しかった。
何も出来なかった。救ってあげられなかった。俺にはそれが出来たはずだと。
身勝手な優しさから生まれる浅はかなエゴイズムで自らを傷つけていく。
情けない話だと笑い話にすればいいものを馬鹿みたいに背負ってしまう。
そして窮まった感情はその目じりから溢れ出した。
男の情けない嗚咽。
声を押し殺してもその口からは後悔を孕む泣き声が零れ落ちる。
目元を隠した手に力をこめ痛みで涙を抑えようとするが感情の行き先はそこにしかない。
己がエゴの痛みと少女の痛み。その二つの思いが晴一朗の心を蝕んでいく。
苦しみを分かち合うことも打ち明けることもなくただ晴一朗はそれを背負うという形で飲み込む。
心の箍を締め泣きつかれた晴一朗は泥に沈むように意識を手放しベッドに倒れこんだ。
晴一朗の様子を見に来た心が部屋から聞こえる嗚咽に何度も部屋に入ろうとノックをする手を泳がせて震える手を下ろしてその場を立ち去っていた。
それらか数時間後、中間地点で一区切りして位相世界から戻ってきたヴィクトリアが智恵の忠告を無視して仮眠室の前へと訪れていた。
何から話そうか。
そんな他愛もないことを考えながらヴィクトリアは部屋の戸を開けた。
名前を呼ぼうと口を開けた瞬間静かな寝息を立てて横になる晴一朗の姿が目に入り口を押さえた。
一度廊下へと顔を出して誰も居ないことを確認してそっと扉を閉めて鍵を掛ける。
足音も無く晴一朗の傍によりまだ湿っぽい目じりにヴィクトリアは笑みを零す。
それが確信だった。
短い付き合いでもヴィクトリアはそう言える自信を持っていた。
自ら感じた死の恐怖で泣き出す人間ではないと、であればこの涙は誰の為に流した涙だと。
それはきっと彼が苦しみの中で手を伸ばしたであろう彼女のことだと。
あのときの今にも泣きそうな顔で心を抱きしめていた横顔が目に浮かぶ。
だからそこヴィクトリアはあのとき、ほんの少しだけ蜘蛛の姿をした姉妹が羨ましかった。
自分達、『機械人間』の為に涙を流してくれる晴一朗の優しさに惹かれていた。
きっと彼なら自分を他の誰でもない、朽ち果てぬ肉体を持つ自分をただの『機械』では無く一人の少女として恋してくれるのではないかと。
その晴一朗の持つ唯一無二の輝きは一等星のように輝いて見えた。
もし運命と言うものがあるのであればヴィクトリアはそれに今ほど感謝したことはない。
これほどまでに愛おしい人に出会えたのだから。
座ったまま横になったのか布団も掛けずに寝ている晴一朗を抱き上げて隣のベッドに寝かして布団を掛ける。
そうしてベッドの脇に腰を下ろし晴一朗の髪を撫でる。
「どうやら余はお主に……いや、そなたに惚れているようだ」
迷いの無い瞳は恋しき男の寝顔を映す。
「であれば、次は余がそなたの心を奪う番である。楽しみにしておくがよい」
そう言い残して上機嫌でヴィクトリアは仮眠室を後にした。
当の本人はそのことを知らず今はただ眠りに落ちていた。