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赤い瞳の少女が潮風を受け髪を掻き揚げた。
緑生い茂る草原の向こうには崖があり、その先の水平線を少女が見つめる。
視線の先には広大な海と雲一つない青空が広がっていた。
『バイタルリングからのデータを受信を確認しました』
赤色を基調としたチョーカー型のインカムから声が聞こえて少女が少し微笑む。
「聞こえておるか? おーい」
『聞こえてるよヴィクトリア。他の二人は大丈夫?』
音声の接続が安定し、ヴィクトリアと呼ばれた少女が答える。
「うむ。そろそろだぞ」
ヴィクトリアが振り返るとそこには白いブラウスにブレザーを着た紫色の髪の少女が。
「問題ないわ。成功よ。毎回の事ながら貴女は心配性ね」
「良いではないかクロッカスよ。余らのことを心配してくれておるのだ。そう無碍にすることもなかろう」
厚意に対してのクロッカスの物言いにヴィクトリアが口先を尖らせていると。
「すみませーん! ちょっとだけ座標がずれちゃいました!」
少し離れたところから銀色に輝く髪にピコピコと動く犬のような耳の少女が手を振ってヴィクトリア達に近づいてくる。
「良い良い、心は怪我はしておらぬか?」
問いかけに対して心と言う犬耳の少女は元気に返事をする。
それに合わせて藍色の袴の腰下の辺りから伸びる銀色の尻尾が激しく自己主張する。
「はい!」
「うむ。では、行くとしようか。今日はあそこであったな」
そういってヴィクトリアが指を指す。
その先には鬱蒼と生い茂る木々、巻きつくように育った蔦が廃墟と化したビル群を支配していた。
『一番手前、左側の二十階立てのオフィスビルへ行こうか』
ヴィクトリアたちが頷いたと同時に別の声がインカムから発せられる。
『副所長! 受信データの中にヴィクトリアさんのダイブ後数十秒後にダイブ現象の反応があります! 場所は右手前の雑居ビルのあたりからです!』
『夏ちゃん、正確な情報の解析を急いで。シルヴィアちゃんはバイタルモニタをそのままに周囲の索敵をお願い』
インカムの向こうで忙しなく作業が進められる。
ヴィクトリアはキュッと口角を上げる、そして手を握り締める。
「ほんと、貴女は気が早くて適わないわ。まぁ、良いけど」
そういってクロッカスはヴィクトリアとは違い、さして問題とすることなく前に進んでいく。
「クロッカスさん! 危険ですよ!」
心が慌てて後を追って行き、ヴィクトリアは口先を尖らせ近づく。
「そうかしら。タイミングからしたらおそらく偶然ダイブしてしまった。それが正解だと思うけれど」
「だとしてもだクロッカスよ。余とて遅れを取るとは思わぬが用心すべきことではあろう」
ヴィクトリアが追い上げクロッカスの横へ。
「喧嘩は駄目ですっ」
心配そうに心が二人の後を付いて行く。
「余は喧嘩をしておるつもりはないぞ? ほれほれ愛い奴め」
そういってヴィクトリアはクロッカスの頭をなでる。
「まったく。心配しなくていいわよ。別に怒っている訳ではないから」
三人が迷う事無くダイブ現象の感知した場所へと向かう。
『データの解析出ました! ダイブ時の情報から推測されるのは人間です。極めて稀ですが偶然ダイブ現象を引き起こしてしまったものかと。そちらの世界に置き去りにする訳には行きませんから接触してください。サルベージを行いますので』
それを聞いてインカムの向うからの緊張感が抜けたのが雰囲気ヴィクトリアたちに伝わる。
『ありがと夏ちゃん。シルヴィアちゃんはそのままバイタルモニタよろしくね』
うむ。とつぶやくヴィクトリアを横目にクロッサスは口にする。
「言ったでしょう? それはともかく急ぎましょう。あまり動き回られると探すのも大変になるわ」
とはいうもののクロッカスは急ぐ様子もなく淡々と歩き続ける。
「着地点に匂いが残っていたら私が追っていけますからそんなに心配しなくても大丈夫です!」
えっへんと心は胸を張り自慢げな様子。
「心には期待しておるぞ、余も無意味にこのビル群を捜索するのは嫌だからな」
「それはまあいいわ。願わくば話の通じる相手であることを祈るべきではなくて?」
ヴィクトリアは無意味やたらに銃を乱射する様な輩を連想したが一笑に伏した。
「その程度のことを悩むことはなかろう、余たちは機械人間であろう。その程度の豆鉄砲では壊れはすまい」
「それでも撃たれたら痛いですよっ!」
それに反論したのは後ろを付いて行く心。
「うむぅ。そう言われるとその通りではあるな」
ばつの悪そうにヴィクトリアは視線を上に上げる。
「もうそこまで来ているのだから無駄話はそのくらいにしたらどうしら」
クロッサスが二人を嗜めると視線の先に廃墟と化した雑居ビルの入り口が見えた。最も入り口は木々で人が一人通り抜けられるのが限界くらいに狭い。
「さて、ここは余が先陣を切るが構わぬよな?」
意気揚々とヴィクトリアが提案するとクロッサスは飽きれたように手をビルに差し出し、心は首を縦に振る。
「うむうむ、では行くぞ」
木々の合間をすり抜けヴィクトリアたちはビルの中へと進む。
壁や床を蔦が這い、風通しの良くなった窓から日差しが射しているが奥のほうは薄暗くまだまだ床が目に付く。
「そこそこ綺麗ね。この前の廃病院に比べれば可愛いわね」
ここに来るまでに調査した病院のことを思い返しクロッサスは目を細めた。
「今はそんなことよりダイブしてしまった者を探すべきであろう。夏よ、何か掴めたか?」
『ちょっと待ってください、受信データから生体反応を探しているところです。あっ、ありました。現地点のちょうど真上、高さからおそらく三階に反応があります』
「さすが夏、良い働きであるぞ。二人ともはここで待っておれ、余が行くぞ」
好きにしなさいとでも言いたげにクロッサスは頷く。
「はい! 気をつけてねヴィクトリアちゃん」
心の心配に笑顔で答えたヴィクトリアは夏のオペレートに従い順調に先に進んでいく。
『前方約五メートルに反応です』
「うむ、この扉の向こうか」
ドアノブを回しヴィクトリアが扉を開ける。
朽ち果てた机や椅子が幾つか、それにすべての窓にガラスが張られておらず室内には蔦が犇いていた。
そこに学生服を着た青年が仰向けになって気を失っていた。
それがあまりにも緊張感がないもので思わずヴィクトリアは笑ってしまう。
「うむ、目を覚ますが良い」
体を揺すられて気が付いたのか青年がゆっくりと目を覚ます。
「あれ……。ああ、気を失ってたのか」
ぼーっとした様子で起き上がろうと手を突いた瞬間妙に湿っぽい感触に違和感を感じて視線を手に向けて自体の深刻さにようやく気が付き青年の目が冴えた。
「うわっ!?何だこれ! っ!? 何だここ!」
ようやくあたりの景色の違いに気が付いたのか青年は目が点になった。
「安心するがよい。余はシャーロット・ヴィクトリア。お主を迎えに来た者だ」
まったく記憶にない人物の登場に青年はあまりの非現実さから動揺することさえ忘れてしまう。
「えっ? あっ、俺は桜真晴一朗です。ここは?」
青年がそう名乗るインカムの向うで誰かが盛大に噴出した。
しかし、そんなことどうでも良いと言わんばかりヴィクトリアは手を差し出した。
「ここは位相世界。お主の世界の数千年後の未来かも知れぬ場所だ」