決意の始まり(2)
最悪の目覚めだ。
まず頬っぺたが痛い。あと全身がずぶ濡れで寒い。更には縛られた両腕が痛い。おまけにお尻も痛い。極めつけは嫌悪に満ちた視線が痛い。
どうしてこうなったのかは想像がつくが、そんな事はどうでもいい。この事は水に流したっていい。だから――。
「……お手洗いに――グフッ!」
殴られました。男の蜥蜴人に思いっきり殴られました。それはもう全力で殴られました。あまりの痛さに【常時詳細確認】で体力値を確認すると、たった一撃で四割も削られた。流石は一レベル。ペラペラすぎるだろう。
だが今はそれどころではない。今の衝撃で膀胱にまでダメージが響き、ギリギリが寸前にまでランクアップした。
くそっ! まだ数分は堪えられるが、漏らしまで現実世界とリンクしないよな!?
「それじゃ拷問に移るけど、俺たちは何をすればいい?」
どうやら俺の願いは叶えてくれそうにないらしい。
俺を殴った蜥蜴人はスノーに指示を仰ぐ。拷問に憧れでもあったのか、その表情はいきいきしている。……まぁ、表情の判別ができないから、そんな気がするだけなのだが。
それはそうと、このままでは【お漏らし魔王】の不名誉な称号を獲得してしまいそうだ。今すぐ縄を解いてくれればギリギリ間に合いそうだが、いつ波が押し寄せても可笑しくはなく、ほとんど余裕なんて存在しない。
「そうですね……。全身を切り刻む前に、手始めに全身をくすぐってみましょうか?」
俺は一瞬で青ざめた。
耐えられるはずがない。数秒後には股間を濡らすビジョンしか思い浮かばなかった。そしてその姿をスノーに見られ、心に一生消えない傷を刻まれる。気がついたらスノーに陰口で【お漏らし魔王】と広められるに違いない。
「あっ、あぁあ……。た、助けて……。ハルカさん、助けて下さい!」
そんなのはまっぴらごめんだ。せっかくの異世界で何が嬉しくて仲間から陰口を叩かれなければならないのだ。
だから声を震わせてハルカに助けを求めた。きっと彼女なら『あらあら~』とか言いながら助けてくれるに違いない。確証はないけどお花屋さんを経営するぐらいだ。俺に向けている嫌悪に満ちた眼差しも、歯を剥き出しにして威嚇する姿も、前掛けを握りしめて震える姿も、他の蜥蜴人に合わせているだけに違いない。
違いないのだが、どうして拳を握りしめて俺に近寄ってくる? どうして俺の股間を凝視している? どうして拳を振りかざしている?
どうして――、……あぁ、そっか。この世界の立場もここまでのようだ。さようなら【最弱魔王】の称号。そしてこれから仲良くしよう【お漏らし魔王】の称号。
そうして二つの意味がある悲痛な叫びが空き家に響き渡った。
不幸中の幸いな事に俺の称号は【最弱魔王】のままだ。まだもう少し名誉は守られそうだで一安心……ではないけど、そう言い聞かせよう。
* *
時は少し経過して今は集落の村長家にお邪魔している。
村長の自宅とはいえ、ここは小規模の集落である。失礼だが豪邸とは程遠く、造りは木造住宅の平屋で、広さは十坪程度だろうか。どうも集落の住宅を見る限りでは平均的な広さのようだ。
そんな村長の自宅は実に質素な造りとなっている。目に見える家具はダイニングテーブルのみ! 他の部屋を探せばあるだろうが、通された居間にはダイニングテーブルしかない。なんとも生活感の無い部屋なのだが、森の中で生活をしているのなら仕方のない事だろう。
「あぁ~、とても美味しいですねぇ~。この飲み物は何ですか?」
「そちらは集落で栽培しております複数のハーブと、周辺の木に擬態したモンスターの葉を粉末状にした物となっております」
「へぇ~、よくモンスターから葉を摘めますね。襲ってこないのですか?」
「はい、彼らとは同志であり、何代も前から共に歩んできた種族でございます。モンスターとの共存は決して珍しくはないと思われますが……?」
「あ、あぁ~、うん。そうだね。そうだったね。いやはやお恥ずかしい」
「そうですよ、魔王様。はっはっはっは」
「そうだったね、村長さん。はっはっはっは」
村長の夫人に淹れてもらったお茶モドキの飲み物を飲みながら、椅子に座って村長と楽しく談笑をする。
ちなみに村長から服を一式借りている。全身ずぶ濡れだったし、ズボンにシミがついたら見るたびに落ち込むからね。今頃は外で乾かしている事だろう。
さて、どうして村長の自宅にお邪魔する事となったのかは簡単な話である。結論からいえば魔力値が全快の状態で、再び【擬人化】のスキルを発動したら元の姿に戻った。スノーの情報とは食い違いがあるが、まぁ小さい事を気にしても仕方がない。そういうスキルだと割り切ろう。
そこからの展開は早く、事情と素性を知らない蜥蜴人は呆気にとられるが、スノーだけは違った。それはもう目が泳ぎ全身から汗を拭き出し、数秒後にはコテンとその場で気絶した。そうして目が覚めたら全力で俺に平伏し「こ、こここここの度は! お日柄も良く――」と、いらぬ前振りを経て謝罪をしてきた。その時にスノーが口を滑らせて俺が魔王だとカミングアウトし、それを聞いた蜥蜴人の動揺した姿は実に面白かった。
そうして今はスノーを先頭とし、その後ろでハルカ、若い男の蜥蜴人二名、年配の神官が一名、計五名が額を床にこすりつけて平伏している。まぁ過ぎた事をとやかく言うつもりはないし、知らなかった事を攻めるつもりもない。だがスノーには多少のお灸をすえる意味も込めて、連帯責任でこのような事態になっている。
「魔王様! どうか、どうかお慈悲を!」
「ん? ……あぁ、確か君はスノーといったかね? まぁ気にしなくていいよ。ほら、だって君とはここでお別れだから。これからは集落で拷問でもしながら、楽しく暮らすといいよ」
「魔王様! どうか、どうかもう一度チャンスを!」
「チャンス? 何か勘違いしていないかい?」
「と、言いますと?」
「本当なら打ち首の所を、今回は水に流して忘れる。これがチャンスじゃなかったら何だ?」
「ま、魔王様!」
そしてスノーの大号泣。その小さな体のどこから溢れたのか分からないが、床にはいつしか水たまりが出来た。なんだかちょっと黄色いような気がするが、まぁ妖精族の生体について何も知らないし、多分だが涙の色だろう。
それにしても少しいじめすぎたかな? ちょっと可愛そうになってきた……。だがここで折れてはスノーのためにもならないし、最低でも半日程度はこのままを貫こう。
「あの~、魔王様? それで集落の者たちの処分はいかがなさいましょうか? 見ての通り小規模な集落なため、男手が失われるのは集落の存続にかかわります。どうか、寛大な処置を私の方からよろしくお願いします」
「大丈夫ですよ。特に処罰するつもりはありませんから。全面的にスノーの不手際のせいですし、彼らもいわば被害者。善良な領民あっての魔界であり魔王軍であり、そうして私が魔王としてここにいるのです。ですから気にしないで下さい」
「なんとお心の広い! 今までの魔王様とは比べられない寛大さ、この老いぼれは感服いたしました!」
何となくそれっぽい態度で接しているけど、村長が俺に向ける憂いの瞳から察するに中々の高評価みたいだ。案外この手のキャラは俺に合っているのかもしれないな。
それはそうと、何やら村長の顔つきが変わってきている。ただ言いにくい事なのか、声を出そうとはしているが、それを寸前で飲み込む。見ていてじれったい。
仕方がないから「ん? どうかしたかな?」と、助け舟を出してみた。
「その寛大な魔王様に一つだけ、この老いぼれの頼みを聞いてはくれないでしょうか?」
どうやら目的地に到着するのは当分先になりそうだ。
だけど仕方がない。自分の招いた事態だし、その責任を取るのも社会人の務め。ただ、一レベルでもこなせる危険のない頼みだと願うだけだ。まっ、俺よりレベルが高い蜥蜴人からの頼みだ。それはありえそうにないけども……。
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