妖精の暴走
時は少しさかのぼりスノーが魔王を討伐した直後。
気を失っている魔王――人間族を見下ろしてスノーは勝利に浸っていた。
まだ魔王と出会って日も浅いが、それでも魔王に対する忠誠心は以上に高く、そんな魔王を神隠しならぬ魔王隠しをした人間族が許せなかった。元々の評価も相俟って、この場で殺そうかとさえ思ったが、それをしてしまえば魔王の所在を聞けない。そのため殺意をぐっと堪え、その代わりに人間族の頭部を踏みつける事によって微々たる甘美に浸る。
「あぁ、魔王様。どうして魔王様は私を置いて……。それにしても人間族! 私の大事な魔王様をよくも! 目が覚めたら生きている事を後悔する拷問を繰り返し、最後は自分の肉を食事代わりに――」
「あらあら、スノーさんですか? それと……人間族、ですか?」
そんな忠誠を誓った魔王が行方不明となり気が動転し過ぎ、色々と危ない単語を並べるスノーの言葉を透き通った美声が遮る。
声の発生源に振り向かなくてもスノーは誰だか分かった。つい先ほど、今はいない魔王と気軽に喋っていた蜥蜴人の声だからだ。
振り向けば案の定そこには蜥蜴人のハルカが立っていた。手にしていたバスケットには溢れんばかりの野花や山菜が、それこそ山の様に盛られている。
実際のところ、スノーはこのハルカを気に入っていない。魔族にとって種族差別をする習慣はないし、スノー自身も蜥蜴人だからといって特に何も思わない。ただ現魔王にして忠誠心を誓ったマエケンに対し、あまりにも友達の様に気軽に接していた事が気に入らなかった。もちろん魔王と知らない要因はあったが、それでも気に入らなかった。それはスノーと魔王との関係の願望から発生した嫉妬心であり、ただの八つ当たりだと本人も自覚しているから余計にたちが悪い。
ただ嫉妬とは別にハルカの登場は、今のスノーにとって非常に都合が良かった。どうにも体の小さいスノーには、足元の人間族を移動する手段も拷問にかける準備もできなかったからだ。
そうなれば話は早い。
「ハルカさん。この者を拷問にかけます。大変申し訳ありませんが、集落の男手を二名、治癒魔法が使える者を一名、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「ご、拷問ですか!? ……いったい彼は何を?」
「魔王様の誘拐。万死に値する重罪者です」
「そ、それは大変! 今すぐに連れてきますね!」
そうしてハルカは集落へと駆けていった。
流石は収敏性が高い爬虫類族である。三レベルとはいえ、その速度は中々に侮れなく、瞬く間にハルカの姿は森の奥へと消えていった。ただ、せっかく集めた野花や山菜が走る衝撃から零れ落ち、辺りに散乱しているのは実に可哀想である。
現在地から集落まで目と鼻の先だったのか、ハルカが二名の若い男手と年配の神官を連れて来たのは直ぐの事だった。
スノーの指示に従い二名の若い男手は人間族を仰向けにし、そのまま足をとって引きずる。スノーは人間族の胸に立ち、いつ目が覚めてもいいように臨戦態勢を崩さずに見守った。
若い男手の二名は特に何も思わず指示に従ったが、神官だけは戸惑いを隠せなく「別に引きずる事はないのでは……?」と、根っからの良心者である神官が口を挟んだ。
「私は魔王様の側近です。誘拐された魔王様を一刻も早く探さなければなりません。このように引きずれば目が覚めるかもしれないでしょう? そうすれば直ぐにでも拷問を始められます」
「そのような理由でしたか……。スノー殿、今の発言は年寄りの戯言と思って聞き流して下され」
そうして集落に向かって歩き出したのだが、その中でハルカだけはキョロキョロと辺りを見渡していた。ほどなくして「あ、あの……。マエケンさんはどちらに?」と、人間族を見つめているスノーに問いかける。
その質問にスノーはドキリとした。スノーが探している魔王様と、ハルカが探しているマエケン、その二つが同一人物だとカミングアウトしていいのか悩んだからだ。
魔界全土どころか、世界中に新たな魔王の誕生の通達を送った。だが名前も容姿も公表していない。理由としては、魔王としての器があるのか見極める期間があるからだ。その期間を過ぎ、それなりの功績を上げれば晴れて大々的に公表する手はずとなっていた。そのため現在は仮の魔王様でしかなく、それを易々と言いふらしていいものではない。
十分な間を開けて導き出した答え。それは――。
「……マエケンさんがこの人間族だったのです。流石は人間族の技術力でしょうか……。魔力不適合者として魔界に馴染み、こうして私の目を欺き続けました。……やはり人間族は侮れません」
むしろ核心に迫った答えなのだが、今のスノーには知る術はない。
ハルカはその答えを聞いて肩を落とした。つい先ほど楽しく会話を楽しんでいた相手が人間族だったからだ。思い返せば不思議な点がいくつかあった。魔力不適合者とはいえ、あまりにも魔界の事を知らな過ぎているし、どこか情報を収集されているような気もしていた。
そしてハルカは気が付く、自分が利用されていただけなのだと。同時に悲しみは怒りへと転化し、背中を引きずられて運ばれる人間族を睨みつけ、ある事を誓った『もう二度と人間族を信用しない』と。こうして人間族に悪意を覚える魔族がまた一名増えるのであった。
時間にして二時間ほどかけハルカ達が暮らす集落へと到着した。
舗装されていない森で人間族を運搬するのは、森に住み慣れた蜥蜴人とはいえ容易ではなかった。定期的に小休憩を挟みつつ無理のない移動の結果、本来なら徒歩で数十分の距離を二時間もかかった。
そのせいで太陽はすっかり沈み、街灯が一つもない集落は闇に包まれた。もちろん数分先も見えないほどではない。住宅から漏れる明かり、満月からの明かり、それらのおかげで多少は辺りを認識できる。ただ王都暮らしに慣れたスノーにとっては、この環境は非常に原始的で『闇に包まれた』と比喩しても間違いはないほどだった。
だがそれはスノーの感想であり、この生活に慣れ親しんだ蜥蜴人にとっては当たり前の光景である。そのため迷うことなく人間族を、集落の外れにある古びた小屋まで運搬する。
当たり前だが拷問部屋が集落にあるはずがない。そのため空き家を一時的に拷問部屋としたに過ぎず、拷問道具どころか家具の一つもない。
「この人間族が逃げ出さないように拘束します。椅子と縄を借りてもいいですか?」
「はい! 分かりました!」
スノーの要望に人間族を運んだ若い蜥蜴人が答え、乱暴に人間族を放ると空き家を後にした。
それからほどなくしてスノーの要望通り、古びた椅子と数メートルはあろう縄を手に現れる。
後はスノーが指示を出して椅子に人間族を座らせ、天井から吊るした縄で両腕を縛り上げる。余った縄で椅子と人間族を固定して作業は終了となる。
「ご協力感謝します。明日の朝いちばんに拷問を開始しますので、本日はこれにて」
「見ての通り何もない集落でして、スノー殿には申し訳ないが宿の方が……」
「この人間族の監視も兼ねて空き家で一夜を明かしますので、私の事は御構い無く」
「そうですか。それでは毛布だけでもお持ちします」
「それは助かります」
そうしてほどなくして神官は毛布を手にし、スノーは毛布にくるまり肌寒い空き家で一夜を明かした。
窓から差し込む朝日にスノーは目を覚ました。
既に集落の蜥蜴人は活動時間を迎えているのか、外からは子供たちの声や割り当てられた仕事をする大人たちで喧騒に包まれた。
それから直ぐの事だった。コンコンと控えめなノックが響き、スノーの返事を待たずに朝食を持ったハルカがやってくる。
「スノーさん、おはようございます。昨晩は冷え込みましたけど大丈夫でしたか?」
「おはようございます。ええ、借りた毛布があったので」
「そうですか。拷問の前に朝食をお持ちしましたので、よろしかったら」
ありがたい申し出にスノーはお礼を言い、お世辞にも美味しいとは言えないボソボソのパンと具材の入っていないスープを食べ始める。
体に見合った朝食の量をペロリと完食し、未だに目が覚めない人間族を一瞥し、そしてふと疑問に思う。
どうして魔王様と同じ服を着ているの? かと。
本当に今更な疑問なのだが、スノーは魔王の行方不明でパニックに陥り、一夜を明かすまでその事に気が付かなかった。
もしかしたら自分はとんでもない失態をしたのではないか。そう思った途端にスノーの全身に冷や汗が流れる。
「いや、それは流石に……。無いですよね?」
もちろん誰も答えてはくれない。
だからスノーは信じた。目の前の人間族が魔王様ではない、と。だから冷や汗を流しつつ、それでも己を信じて拷問を始める事にした。
頃合いを見てやってきた昨日の蜥蜴人――ハルカ、人間族を運んだ若い二体の男性、年配の神官の立会いの下、手始めに人間族を起こすため水をかけたり平手打ちをしたり、それぞれ思いのままに行動する。
そして人間族――いや、魔界の現トップである魔王が目を覚ました。
ほどなくしてスノーは後悔した。己の行動がいかに軽薄だったか、と。
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