夢の始まり(2)
――昨日見た夢の続きを見た事はあるだろうか?
もしかしたら似ているだけで続きではないのかもしれないが、数年前に見た夢の続きなら見た事がある。他にも以前と同じ夢を見た事もあるが、それらは『確信のない薄れた記憶の夢』である。
だが今は違う。紛れもなく『昨日の続き』を俺は見ていた。
最近買い換えたばかりのテレビも、紫煙のせいで黄ばんだ壁紙も、冬のボーナスで無理して購入した本革のソファーも、目の前の机には飲みかけの日本酒と吸い殻でタワーとなった灰皿も、どこを見ても見慣れた光景がそこにはなかった。
この場にあるのは古びた電球が一つと簡易ベッドが一つ。後はカビ臭い空間とコンクリートがむき出しの部屋。そんな所で俺は目が覚めた。
「ま、魔王様!」
体を起こすよりも早く、俺の目の前にヘンテコ生物であるスノーがパタパタと浮遊し、つぶらな瞳からは大粒の涙を流していた。どうして泣いているのか聞くよりも早く、数名の足音が慌ただしくも近寄ってくる。
「戦況と被害のご報告に上がりました。第一防衛基地が突破され、続いて第二防衛基地も時間の問題となっております。残念ながらナナ様とラクス様は共に戦死し、ショウグン様は時間を稼ぐために単身で囮に……」
部屋になだれ込むと間髪を容れず膝をついて説明を始めた。言い終える頃には兵士――鎧を着飾ったガーゴイルの目からは涙が流れる。詳細スタータスを確認してみると称号の欄に【ショウグンの配下】と記入されている。どうもショウグンとやらは部下に慕われているようだ。
そもそもショウグンもそうだが、ナナとラクスって誰だっけ?
眉を寄せて唸っていると、耳元でスノーが助け舟を出してくれた。そのおかげで思い出した。ショウグンとはカマキリモドキで、ナナとラクスは若いエルフだった。それにしても唯一のヒロイン候補であるナナが出だしで戦死とは、もしかしたらこの夢は俺――モテない人に対して厳しい設定じゃないだろうか?
「状況を把握していないのは重々に承知しております。ですが、どうか王都からの撤退をご指示して頂けないでしょうか? これ以上の被害は今後の魔王軍――いえ、魔界の存続にかかわります」
「えっ、あっ、う、ん。それなら撤退しようか?」
「魔王様から撤退のご了承を得ました! これより魔王軍と市民は全軍撤退し、王都を破棄します! 報告に上がった四名のうち二名は前線に通達、残りの二名は場内を守護するドルガ様に通達。ドルガ様には市民の避難を誘導するよう口添えして下さい!」
「は!」
そしてなだれ込んだ四体のガーゴイルはスノーの指示のもと、迅速にその場を離れていった。
俺はというと、現在の状況も分からず完全に置いてきぼりを食らっている。ただ一つ理解しているのは、昨晩の夢――ミサイル攻撃で壊滅的なダメージを食らい、更には魔王軍が何かしらの戦力に圧倒されている事だ。果たして何と戦っているのかは分からないが、それでも王都が襲撃されるほどだ。敵の戦力は底知れないのだろう。
「魔王様のお体も辛いとは思いますが、私達も撤退に移りましょう。撤退が終わり次第、今回の経緯を説明させて頂きます。それまではどうか我ら魔王軍を信じ、そしてこの非道な状況をお忘れなきよう、どうかよろしくお願いします」
確かに昨晩のミサイル攻撃は中々に衝撃的で、市民を巻き込んだ行為は非道とも言えるだろう。だから理由がどうあれ、俺は「分かった」としか言えなかった。まっ、夢だけどね。
それはそうと、今まで気にしていなかったが、夢の中の俺はどのような姿をしているのだろうか? 周りが周りだけに不安で仕方がない。幸いな事に視界から見える両腕は人間の肌――毎日見ている自分の腕で間違いない。ホクロの位置や過去の傷跡、更には仕事中にした怪我も寸分狂わず再現されている。夢なのにクオリティーだけは一人前だ。
と、自己分析もこの辺にしておこう。そのまま自分のステータスも確認したかったが、目の前で羽ばたいているスノーが「魔王様! お早く!」と、未だに簡易ベッドで横たわっている俺を急かしてくるからだ。
俺は簡易ベッドから立ち上がり、先行するスノーと共に部屋から出た。
現在は地下にいるのか窓は一つもなく、四方はコンクリートがむき出しの状態だった。そのため辺りは薄暗く、等間隔に設置された電球の明かりを頼りに、スノーを見失わない様に追う。
時折ではあるが爆発がコンクリートを反響し、それと同時に地震の様に揺れる。爆発の影響からか至る所でコンクリートに亀裂が入り、このままでは城が倒壊するのも時間の問題だろう。
それから三十分ほど走った先、そこが目指している目的地なのか、六畳の開けた空間にたどり着いた。そこには開けた空間があるだけで、窓どころか扉すら何もない。余談だが、タバコを吸っているため現実なら三十分どころか、五分もまともに走る事はできない。それが可能となっているのは、流石は夢といったところだろう。
それはさておき、スノーはおもむろに何もない空間に向かってブツブツと呟き始めた。聞き耳を立てて聞いてみると、どうもファンタジー世界では当たり前の『魔法を発動する呪文』のような事を呟いていた。
俺の読みが正解だったのか、言い終えた頃には何もなかった空間に、直径一メートルほどの魔法陣の様な何かが浮かび上がった。それは薄っすらと赤く輝いて薄暗い辺りを綺麗に照らし、どことなく幻想的な空間へと早変わりした。
「魔王様、準備が整いました。お手を煩わすようで恐縮ですが、私を抱きかかえて魔法陣の中に入っていただけませんか?」
スノーの指示通り胸元にギュッと抱きかかえ、先が読めない展開に不安を覚えつつ俺は魔法陣に足を踏み入れた。それと同時に薄っすらと赤く輝いていた魔法陣が徐々に輝きを増し、次の瞬間には目も開けられないほどの閃光を放つ。
だがそれも一瞬の出来事だった。先ほどまでのカビ臭い空間とは打って変わり、今は焦げ臭さと火薬の臭いが鼻を刺激した。更にはコンクリートに反響していた爆発音が今ではクリアに響き渡り、それと同時に爆風が頬を撫でる。
ゆっくりと目を開けると、そこには王都が広がっていた。先ほどの魔法陣はワープの機能があったようで、現在は王都の全体を見渡せる位置――切り立つ山に人工的に造られた洞窟の入り口に立っていた。
そして目の前に広がる王都の至る所、主に城下町では無数のクレーターや火災と共に煙が上がり、城壁は今となっては意味のない崩れた壁となっていた。その中で城だけがギリギリ姿を保ってはいるが、無数にあった張り出し櫓や城の出入り口である跳ね橋型のゲートハウスは倒壊し、見るも無残な姿となっていた。
これだけの被害なのだが、それでも個々の生命力が高いのだろうか。比較的被害の少ない城門から市民が避難を始めていた。王都に暮らす人々の民度が高いのか、個々に逃げ惑うのではなく列を作り、これだけの被害でも秩序が保たれていた。
その姿に俺はホッと安堵を漏らす。
「ま、魔王様! 早く洞窟の奥に行きましょう! 早く、早く!」
何かを感じ取ったのかスノーが慌てた様子で俺を急かす。俺も特にこの場に止まる理由もないため、スノーの言う通りに洞窟内に向かって歩き出した。
その時だった。俺の安堵も束の間、爆発音が鳴り響く。一つや二つではない。数十もの爆発音が連続で響き渡った。
そして刹那の静寂が訪れ、俺の全身を覆う嫌な予感が走る。抱きかかえているスノーを放って入り口まで駆け――俺はその場に膝をついて嘔吐した。
先ほどまで秩序を保って避難をしていた王都の市民はいない。あるのは数十ものクレーターと、そのクレーター付近に散らばった血液と肉片のみ。十数キロ離れたこの場でも認識できるほど、それほどの市民が固まって出来た無残な光景が広がっていた。これが夢だとしても笑えない。笑えるはずのない光景だった。
「魔王様……。これが我ら魔王軍の敵であり、争いを拒む民や領地を侵す人間族の所業でございます。人間族はこの大陸の覇権を得るためだけに我らを根絶やし、時には己の欲望のままに性を満たし、時には捕らえた民を奴隷とし快楽の道具として扱います。気が付けば領土は六割をも奪われ、その分だけ尊い命が詰まれました。これを打破するべく、異界の地より魔王様を呼び寄せた次第でございます」
「……つまりこれは夢ではなく、目の前の出来事は現実だと言いたいのか? それこそあり得ねぇだろ……」
「今すぐに信じてもらえるとは我らも思ってはいません。ですが、この殺戮は現実であり事実です。それだけは魔王様の御心に留めて頂ければ幸いです。……この続きは安全地帯まで撤退した後にお話しさせて頂きます。今はどうか私と共に――いえ、今後の魔王軍のためにも、今は速やかにこの場から離れましょう」
俺はどうにもスノーの言っている事の意味が信じられなかった。だが目の前の光景は紛れもない事実で、現に魔王軍は一方的な殺戮で大敗し、王都もそこに住む住民も、その全てが人間の手によって奪われた。理由がどうあれ平和ぼけした俺にはかなり刺激が強かった。
だからだろうか? 目の前でパタパタ羽ばたいているスノーの言葉が重くのしかかり、戦争の原因を問い詰める前に『魔王』として、一人の『人間』として同族の過ちを正さなければならない。そう思ってしまった。
もしかしたらスノーの言葉が嘘で固められ、実際と食い違う点も無いとは断言できない。できないのだが、それでも俺にできる事が一つでもあるなら、それで争いとは関係のない一般民が犠牲にならないのなら、俺はそれだけの理由でいいとさえ思う。
実際のところは『かなりリアルな夢』を前面に押し出して現実逃避したいし、一介の社会人にできる事は何もないのもまた事実。だがここで『これは夢だから』と笑って逃げ出すぐらいなら、『夢だからこそ』全力で立ち向かいたいと思うのもまた事実。結局のところ俺は、優柔不断で即決ができない駄目男なのだ。
だからこそ俺はスノーを抱きかかえて洞窟内に歩き出した。疑問を全て払拭し、まずは俺自身の身の安全を優先し事の経緯を知るために。
洞窟内には城のあった魔法陣と同じものが設置されていた。スノー曰く長距離での移動はスノーには出来ないらしく、どうも魔力値によって左右されるみたいだった。そのため八レベルのスノーでは、緊急用に設置された無数の魔法陣を何度も通り、目的地まで行かなければならない。
問題が発生したのは二十個目の魔法陣に入り、その次に設置してあるはずの水車小屋に入った時だった。老朽化が原因なのか、それとも人為的な仕業なのか、水車小屋の床板が数枚ほど剥ぎ取られ、本来あるはずの魔法陣がそこにはなかった。
「魔王様、いかがなさいましょうか?」
「俺に聞かれても……。近くに別の魔法陣はないのか?」
「ここにあった魔法陣の出口――数十キロ先にしかありません」
中々に絶望的な答えだった。何もかもが未知の世界に放り出され、更にはレベル制の世界において相方のスノーはたった八レベル。平均値が分からない以上は何とも言えないが、城にいた五体の猛者――カマキリモドキ、グリフォン、今は故人となった二人のエルフ、背中が燃えているサンショウウオ、それらのレベルは七十を超えており、そんな猛者と比べると実に頼りない。これは俺のレベルもベリーイージーモードと信じ、魔王たる俺のステータスを見るしかない。
俺は自分の腕に意識を集中し――絶望的な新事実に体がよろめく。腕の中にすっぽりと入っているスノーは「ま、魔王様? お体でも優れないのでしょうか?」と、つぶらな瞳で心配そうにこちらを見上げてくる。
だって仕方がないじゃないか。俺のレベルは一レベル。称号欄には【最弱魔王】の不名誉な烙印まで押されている。まぁ確かに『召喚』として呼ばれたのなら、それも頷けるのだが、もう少し配慮してくれても良かったのではないだろうか?
ちなみに各種パラメーターは最低値なのは言うまでもないが、なぜか種族の欄は魔王となっている。魔王には種族という概念が無いのだろうか。
そして意外にもスキル欄だけは充実している。その中には【常時詳細確認】があり、つまり詳細ステータスが見られるのはスキルのおかげらしい。その他なら【常時自動通訳】【迷彩】【擬人化】の四つがある。名前通りなら【常時自動通訳】は勝手に言語を日本語にしてくれるのだろう。【迷彩】は俺自身が透明になるのだろうか? これはリサーチする必要がありそうだ。最後の【擬人化】のスキルだが、それはつまり俺の姿は人間ではない事の証明になる。これは知りたくはなかった。それにしても全てが非戦闘用のスキルなのだが、これは対応性に関してはベリーイージーモードかもしれないが、戦闘となればベリーハードモードだったのではないだろうか? これは先が非常に思いやられる。
「……取り敢えず次の魔法陣まで歩いて向かおうか」
「魔王様にこのような失態を晒し、更には魔王様が自らの足で……。この失態は私の尻尾を献上し、どうか寛大なる処置を――」
いや、別に尻尾とかいらないから。
突如として興奮状態に陥ったスノーをなだめつつ、俺はスノーを抱きかかえて森の中を歩き出した。
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