アライグマのクリーニング屋さん
ぱしゃぱしゃぱしゃ ふぅぅぅ ぱちん
ぱしゃぱしゃぱしゃ ふぅぅぅ ぱちん
今日も街外れの川辺には、洗濯物を洗う音が響いています。もこもこもこと泡立った、石鹸の泡が風に乗って空を飛びます。それは、ふわりふわりと辺りを飛んで、ぱちんぱちんと弾けます。
その三つの音は音楽みたいなリズムを奏でて、洗濯物を洗っているアライグマさんを楽しませます。
アライグマさんが洗っているのは、隣に住んでいるヤマアラシさん家の布団です。ヤマアラシさんはあんな姿なので布団も特別です。なので、普通の家では洗えないのです。
だから、色んな道具を持っているアライグマさんが代わりに洗っているのです。もちろん、ただではありません。ちょっぴりですが、お金がかかります。
そう、アライグマさんは、クリーニング屋さんなのです。
〈アライグマのクリーニング屋さん〉
ぱしゃぱしゃぱしゃ ぎゅっぎゅ ぱんぱん
洗い終えた布団を広げながらアライグマさんは息を吐きました。お金を貰ってやっているとは言っても、量が量です。しかも、気をつけないといけないので大変なのです。
「とりあえず、今預かってるのはこれで全部かな?」
そのちょっぴり面白い形をした手で頭を掻きながら、アライグマさんは周りを見回します。そこには、タライに積まれた洗濯物がたくさんありました。そのどれもがぎゅっと絞ったあとのような状態で置いてあります。全部、アライグマさんが、一人で洗ったものです。
「うん。うん。そうみたいだ」
洗いの作業が全部済んだ事を確認するとえっこらしょ、とかけ声を出しながら、たくさんの洗濯物が積まれたタライを持ち上げて、すぐ近くにあるアライグマさんの家へと運び込みます。
家の中にはこれまた、不思議な機械がたくさんありました。けれど、今はこの子達の出番はありません。
アライグマさんはよいしょよいしょと声を漏らしながら、その間を通り抜けて家の中庭へと出ます。そこにはたくさんの物干し竿が掛かっていて、洗濯物が干されるのを今か今かと待っていました。
「よーし、もう一息だー」
気合いを入れ直して、たくさんの洗濯物を一枚一枚丁寧に伸ばして干していきます。丸まったそれを広げるたびに、洗剤の良い匂いが辺りに広がりました。アライグマさんはこの匂いが好きで好きで仕方ありませんでした。
そうして洗剤の匂いを楽しみながら、アライグマさんが汗だくになる頃には、中庭の物干し竿はいっぱいの洗濯物を、ゆらりゆらりと風で揺らしていました。辺りにはとても良い匂いが漂っています。
「ふぅー……さーて、次は」
ふーと汗ばんだ息を吐いた後に、タライを持ち上げてアライグマさんは家の中へと入ります。そう、ここからさっきの機械たちの出番です。
昨日乾かして仕舞っておいた洗濯物たちを、一つ一つ注意して台の上に広げては蒸気の出る機械を当てて形を整えていきます。
シューシュー サッサ
シューシュー サッサ
単調な蒸気の音が、家の中に響きます。ちょっと眠くなってしまいそうなリズムを奏でながら、一つ一つ丁寧に形を整えていくのです。そうして綺麗に形を整えた後は、お店の名前が書かれた袋に入れて吊しておきます。あとは、持ち主が取りに来るのを待つだけです。
「……はぁー」
此処でようやくく一息です。顔を上げて時計を見ると、もうお昼をだいぶ過ぎています。ご飯を食べなくちゃ、と思いながら店の奥に引っ込もうとしていると、とんとん、とお店の扉が叩かれる音がしました。
あれぇ、おかしいな。まだ看板は開店にはしていないぞ?と不思議に思いながら扉の方へと行くと、そこには小さな女の子が居ました。手には、汚してしまったのでしょうか、少し黄ばんだシミの付いたハンカチを持っています。
「どうかしたのー?」
扉を開けて女の子を招き入れると、女の子は泣きべそを掻きながら言いました。
「うん。これね……大事な物なのに汚しちゃったの。でも、洗っても、洗っても落ちなくて……」
うーん、これはまた難しそうな依頼がやってきました。アライグマさんは女の子に「もう大丈夫だよ、おじさんが全部綺麗にしてあげるからね」と声を掛けると、女の子はぱぁと笑顔になります。
「本当に!?」
「うん、本当だよー」
きゃいきゃいと笑顔になった女の子は本当に、ほっとしたような様子です。その様子を見届けると、さぁてここからはお仕事のお話と、アライグマさんはいつものように、ハンカチをどんなもので汚してしまったのかを尋ねました。すると、女の子は少し悩んだような様子を見せながら答えます。
「えっとね。ここの外れにある……その、子供はいっちゃだめーっていう場所があるでしょ? あそこに生えてる草の実なの」
「ああ、あれかぁー」
アライグマさんはその実に心当たりがありました。ちょっとした手間が必要ですが、時折、染め物にも使われる実で、この辺りでは女の子が入ってしまった辺りにしか生えていません。非常に珍しい実で、その色は染め物に使われるぐらいですから、一度付いてしまうとなかなか落ちないらしいのです。でも、染料にする前の実なら、まだ落とせないこともないはずでした。
「うーん……時間は掛かっちゃうかもしれないけど、落とせないこともないよ」
「本当に!?」
「うん。でも、時間が掛かっちゃうんだ。大丈夫かな?」
「うん、大丈夫! これが綺麗になるんなら、幾らでも待てるよ!」
「よぉし、それじゃこれは預かるよ」
女の子は目をきらきらさせて、ハンカチを差し出します。女の子の期待を一身に背負ったアライグマさんは、女の子からハンカチを受け取ると、代わりに小さな木で出来たストラップを渡しました。それはアライグマさんの面白い形をした手を模ったものでした。
「これは、君からお仕事を請け負ったよ、っていうしるしだから、無くさないようにね」
「うん! わかった! ……それで、その、お金ってどれぐらい掛かるのかな?」
この言葉には思わずアライグマさんも笑ってしまいました。まったく、最近の子供はすごいなぁと零しながら答えます。
「そうだね。すこーし、掛かっちゃうかもしれないけど、一、二回おやつを買うのを我慢すれば払える金額だから、大丈夫」
笑いながらそう答えると女の子はほっとしたように胸をなで下ろして、「それじゃあ、その子をお願いします!」と頭を下げました。
「うん、請け負いました」
その後、女の子は元気そうに店から出て行って、後には大切なハンカチが残されました。
さぁて、こりゃまたがんばらないといけないなぁと思いながら、アライグマさんはついうっかり忘れてしまいそうになったお昼ご飯を食べにいきました。
ご飯を食べ終わるとアライグマさんは看板を開店にして、カウンターに座り込みました。手には先ほど預かったハンカチからシミを落とすための資料があります。相手は染め物にも使われるような実です。染料になる前とはいっても、やはり強敵ですからしっかりとした下調べが必要なのでした。
うーん、うーん、と唸りながらページをめくって当てはまる洗い方を探します。幸いにも、と言って良いのかはわかりませんが、その日はお客さんがあまり来なかったので、アライグマさんは開店時間の殆どを調べるのに使うことが出来ました。
けれども、結局、その日のうちに洗い方は見つからなかったのです。
次の日、いつもの作業を終えた後に、アライグマさんは今度は本ではなく、お師匠さまから受け継いだ特別なメモを漁っていました。それは、クリーニング屋さんに必要な技術だけではなく、この辺りでよく見かける実などの汁のシミへの対処法がたくさん載っている大切なものでした。
うーん、うーん、と唸りながらメモをめくっていくと、やはり一時期あの実によるシミが大流行した時期があったのでしょう、対処法が乗っていました。それは、いつもアライグマさんがやる洗い方に少し手間を加えるもので、ちょっと特殊な草が必要になってくるものでした。
ああ、けれど、なんという事でしょう? その草は、アライグマさんの手元にはなかったのです。
しかもそれはこの辺りで取れるようなものではなく、遠くの離れた村で取れる特別な草なのです。そんなものを利用するのはクリーニング屋さんくらいのものですから、アライグマさんの手元にないと言うことは、この街にはないと言うことなのです。
うーん、これは困ったと頭を抱えていると、お客さんがやってきました。そう、その日は昨日とは打って変わってお客さんがたくさん来る日で、アライグマさんは何度も考えるのをやめなくてはいけませんでした。
さてお店を閉めると、困ったとばかりにアライグマさんは頭を抱えました。くだんの草を手に入れるには遠くの村に行く必要があります。けれど、たった一人のお客のためにそこまでの事はできません。かといって運んで来るであろう行商人を待つのも、時間が掛かりすぎてしまいます。
どうしたものかと、悩んでいると、ふっと頭の片隅から一つの記憶が沸き起こりました。そうです、この街にはとっても優秀な郵便屋さんがいるではありませんか! きっと彼に頼めば、そう何日もかからずに仕入れられるに違いないと思ったアライグマさんは、よぉしと気合いを入れるとその件を頼みに行ったのです。
けれど郵便屋さんも暇なわけではありません。むしろ忙しすぎて手が足りないくらいですから、そんなお願いをすぐに承知するという訳にはいきませんでした。それでも、何度も何度もお願いするアライグマさんに、その近くの村まで荷物を届ける際に、足を運ぶことが出来れば、という条件付きでお願いを聞くことにしました。
この条件にすぐに飛びついたアライグマさんは何度も何度もお礼を言って家へと戻ると、その日が来るのを今か今かと仕事をしながら待っていました。その間に何度かあの女の子が尋ねてきましたが、もう少しで綺麗になるよと伝えると、ぱぁと笑顔になって家へと帰っていくのです。
そうやってそのやり取りを何度も繰り返して、ついにその日がやってきました。えっほえっほと走ってきた郵便屋さんの手には確かにアライグマさんの頼んだ草が詰まった箱が握られていました。
「うん。うん。ありがとう。ありがとう!」
それを受け取って何度も何度もお礼を言うと、さっそくあのハンカチのシミ落としに掛かります。お師匠様のメモの通りに草を煮詰めると、なんともまぁ、これで本当にシミが落ちるのかと問いたくなるような目の痛くなる色の煮汁が出来上がったのです。
お師匠様はとても素晴らしい方でしたが、流石にこんな色では本当にシミが落ちるのかどうか疑ってしまいます。
そこで、ここはひとつ実験が必要だと、真っ白な布を一枚用意するとあの女の子がハンカチにシミを付けてしまった辺りまで行って、その布に同じ実のシミを付けてきました。
それから先ほど作った目の痛くなる色の煮汁を小さな布に染み込ませて、ぽんぽんぽんと軽くシミのついた部分を叩いていきます。一叩きする度に、小さな布に染み込ませた煮汁が布に染み込んでいって、段々とシミは目の痛くなる色で覆われていきます。メモの通りにやってはいるのですが、アライグマさんはこれで本当に落ちるのだろうか、むしろ逆にシミが広がるだけじゃないのかと不安になってきました。
けれどもそこはアライグマさんの師匠が残したメモです。その処理をした後に水洗いをしてみると、あらまびっくり! あの目の痛くなるような色と一緒にシミが綺麗さっぱり消えているではありませんか! 元の通りの真っ白です。そこにシミがついていたあとすらありませんでした。
これにはアライグマさんも驚きながら胸を撫で下ろして、女の子のハンカチに挑戦しました。これもやっぱり、先ほどの布と同じようにシミは綺麗に抜け落ちました。まったく不思議な事もあるものでした。
こうしてシミは無くなったので、よしよしと頷いてハンカチをすぐに乾燥へと回します。乾くのを待つ間に、他の洗濯物を片づけてしまいます。
そうしてすっかり準備万端にするとあとはもう乾くのを待つばかり。その頃にはもうお昼で、ご飯を食べると看板を開店へと変えました。
看板を開店にすると、すぐにあの女の子が駆け込んできました。
「ねぇ、綺麗になった?」
尋ねるのはいつもと同じ文句です。でも今日は答えが違います。
「うん。なったよー。もう少しだけ待っててね、乾いたらすぐに形を整えちゃうから」
その答えに女の子は目をきらきらさせて、「本当に!」と尋ねます。本当だよと答えても、「ホントのホントに?」とちょっとおかしなやりとりを何度かしてしまいます。
そのやりとりにも疲れた頃、今日はお客さんも少なかったので、ちょっと後ろに引っ込むと、乾いていたあのハンカチをしゅーしゅーと蒸気を出すあの機械に当ててさっと形を整えてしまいます。
「はい。できました」
そうして綺麗になったハンカチを渡すと、女の子はもう宝石みたいに輝いて、何度も何度もお礼を言います。そして、どうにかして工面してきたのでしょう、ポケットからお金を出すと、もう一度お礼を言ってアライグマさんに手渡しました。
「はい。受け取りました。ありがとうございました。またのご利用は……お待ちしない方がいいかな?」
そんなちょっとおかしな事を言って、また女の子を笑わせます。
「うん。今度は汚さないように気を付けるからお待ちしない方が良い!」
そんな元気いっぱいの答えに、アライグマさんも楽しくなって笑いました。
さて、そうして女の子は笑顔のままにお店を出て行きました。アライグマさんの心はもう気持ちいい気分で一杯でした。
ああ、あの笑顔はとっても素敵で、元気をくれます。明日も、色んな洗濯物を真っ白にしようと、心に決めて、乾いた洗濯物達に蒸気を当て始めるのでした……。
ここまでお読みくださって、ありがとうございました
この物語を気に入っていただけたなら幸いです
もしよろしければ、下部の評価フォームからポイント評価や、感想フォームから感想などいただけるととても励みになります