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始祖

「杞龍さん!こちらです」


職員室前の玄関から入って来た嗣を見つけると、総の担任、鮓は急いで駆け寄った。


「先生、この度は総がご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ありません」


目の前で深々と頭を下げる嗣に、鮓は狼狽した。

頬が青ではなく赤に染まっているのは、きっと嗣の気のせいだろう。


「いいえ!こちらの方こそ申し訳ありません!大事な弟さんに怪我をさせてしまって・・・担任失格です」


目の前で沈みきった鮓に軽く笑みを零す嗣当然です。それで先生、総の様子は?」


「今は保健室で休んでいます。クラスの子供達にその時の状況を聞いてみましたら、昼休みにみんなでサッカーをしていて、その際、ボールが杞龍君の頭に当たってしまったようです。軽いたん瘤ができてしまっていたので、氷で冷やしたらだいぶ良くなったのですが・・・」


「そうですか。お手数をお掛けしました」


公共の場である学校では狙われる可能性は低いと考え、登下校のみ総達に気づかれないよう、あとをつけ護衛するようにしていた嗣だったが、鮓から電話連絡をもらった時は、一瞬肝を冷やしたが、杞憂に終わって胸を撫で下ろした。

しかし、運動神経は人並み以上にある総が、ボールを避けれないとは珍しいこともあるものだ、と思ったのも束の間、鮓は逡巡しながらも言葉を続けた。


「・・・実は、杞龍さん」


「はい?」


「杞龍君。頭を打ってしまった影響なのか・・・少し様子がおかしいんです」


「・・・どういうことでしょう?」


「その・・・何と言いますか・・・日頃の杞龍君が使わない口調で話して・・・おまけに自分は杞龍総ではないと言い張るので・・・・・もし良ければ大きな病院で頭の検査をしてもらった方が良いのではと思い、連絡させて頂いたのですが・・・・・どうされますか?」


鮓の言葉に即答は出来なかった。頭を強打した影響からの、記憶混乱なのかは不明だが、鮓の説明だけで判断するのは不十分だと感じ、とにかく総への面会を求めた。


「先生。先に総の様子を確認しても良いでしょうか?それから病院に行くか判断したいと思います」


「勿論です!私ったら、ご案内が遅れて申し訳ありません!こちらです!」


慌てふためき足早に前を進む鮓に、嗣は多少の不安を覚えながら黙ってあとに着いて行った。


(総・・・)


鮓が保健室のドアをノックすると、中から声が返ってきた。


「どうぞ」


「失礼します・・・・・小鹿(こじか)先生。杞龍君、お兄さんが来られたわよ」


鮓の後ろに続き、保健室へ足を踏み入れる嗣。中には保健医の小鹿と総がいた。


「小鹿先生、この度は弟がご迷惑をお掛けしました」


鮓の時と同様、深々と頭を下げる嗣。顔を上げた瞬間、心なしか小鹿先生の頬が赤いのは、きっと嗣の気のせいだろう。


「い、いえ、こちらこそ。どうぞ弟さんの方へ」


総はベッドから起き上がり、胡坐(あぐら)を掻いて座っていた。

嗣が学校に呼び出されたのを気にしているのか、下を向いて顔が良く見えないが五体満足そうで、とりあえず安心した。

ベッドに近づき、総の顔が見えるように膝を折った。


「総、気分はどうですか?もし気分や体調が悪ければ病院に行きましょうか?それとも」


「お主は誰だ?」


「?」


一瞬、嗣の時間が止まった。耳がおかしいのかと思い、もう一度尋ねた。


「総、気分が悪いのですか?悪ければ」


「何度も言わせるな、お主は誰だ!?それに総とは誰のことだ?」


苛立ち聞き返す総。声は総だが、口調が明らかに違う。


「杞龍君・・・何度も言っているでしょう?総はあなたの名前じゃない。そして目の前にいるのはあなたのお兄さんでしょう?」


まるで如何わしい物を見るかのような目つきで、嗣の顔をジッと見つめる総。

警戒感と嫌悪感を露わにハッキリと答えた。


「私は知らぬ!」


嗣は動揺を隠しきれなかった。

目の前に座っているのは一番下の可愛い弟、総のはずなのに、総であって総でない人物がここにいる。

立ち上がり、努めて冷静に、嗣は担任である鮓に視線を移した。


「これが先生の仰っていたことですか?」


「・・・はい。何度聞いても自分は杞龍総ではない、学校なんか知らないと・・・・・まるで、その・・・全くの別人・・・二重人格者にでもなってしまったかのようで、本当にどうお詫びしたらいいのか・・・・・・・・」


今度は鮓が深々と頭を下げる番だった。スカートの裾を握りしめる鮓に、嗣は一つ深呼吸をし、心を落ち着かせた。


「先生、頭を上げて下さい。先生のせいではないのですから・・・身体は無事ですし、記憶も暫くすれば戻ると思います」


「でも、杞龍さん・・・」


鮓を安心させるよう、微笑みを向けながら告げた嗣だったが、確信や確証等、どこにもなかった。総は記憶喪失でもなく、一時的な記憶の混乱でもない。鮓の言う通り、全くの別人になっている。

鮓の提案通り病院に行っても構わないが戻る保障はない。自然に戻るのを待ってもいつになるか分からない。

たった一つ、方法がないわけではないのだが、それをするのはどうしても躊躇われた。

途方に暮れる嗣を救ったのは、総ではない総だった。


「・・・お主達、私の()を知らぬ・・・・・・・・!」


総は何か言おうとしたが、直ぐに止めると、気まずい様子で口元を手で覆った。その顔は微かに青ざめていたが、嗣以外の人間は気づいていなかった。


「杞龍君、しっかりして!」


涙目で総に訴える鮓。

その様子を遠目に見ながら、総の失言に、嗣の全身は鳥肌が立っていた。


(・・・・・・総は何も知らないはずなのに)


九年前から、家族全員が総には伝えないと誓ってきたことを、総の内なる人物は知っている。


(・・・・・それなら)


ひとかけらの希望を見出した嗣は、直ぐにベッド横に置いてある年季の入った総のランドセルを持ち、鮓に笑顔で声を掛けた。


「先生」


「はぇい?」


困惑しきっていた鮓は、思わず声が裏返った。恥ずかしさで、顔がトマトのように真っ赤になる。


「とりあえず総を家に連れて帰りたいと思います。家に帰れば何か思い出すかもしれませんし・・・病院へは必要と判断すれば、私が連れて行こうと思いますので、先生は何も気になさらないで下さい」


柔和な態度で話す嗣に、どこか有無を言わせぬ重圧を感じる鮓と小鹿だった。


「ですが、学校としましては・・・」


「心配しないで下さい。学校には何の責任もありませんし、求めません。ご心配であれば一筆お書きしましょうか?」


「いえ!そういう意味ではないのですが・・・」


口籠りながら答える鮓だったが、安堵していたのも事実だった。

念願の教師になれたにも関わらず、一年目から問題を起こしたとあっては、今後の教師生活に影響する。総を心配していないわけではないのだが、ここで嗣の好意に甘えてはいけないのでは、との葛藤もある。どちらに転んでも、校長、教頭の長時間のお説教は避けられないが・・・・・・。

鮓は覚悟を決めた。


「・・・分かりました。杞龍さん、宜しくお願い致します。私の方から一度、夕方にでもご自宅にお電話させていただきます。杞龍君の様子が気になりますし・・・何かあれば直ぐに学校に連絡を下さい」


「はい。分かりました・・・・・総、家に帰りましょう」


笑顔で一礼すると、嗣は総に手を差し出した。

総は嗣の顔を一瞥すると、ソッポを向いてしまった。


「私はお主など知らぬ」


「杞龍君、お兄さんの言うことを聞いて、ね」


必死に総を説得しようとする鮓だが、頑として動く気配は感じられない。

嗣は強硬手段に出た。荷物を持っている手とは反対の手で総を強制的に肩へと担いだ。

その姿は―――――俵の米のようだった。

予想していなかった行動に、総は一瞬目が点になると、怒りを露わに暴れだした。


「お主!この!・・・何をする!放せっ!!」


微笑みは絶やさぬまま、肩上の弟にだけ聞こえる声で、ボソッと呟いた。


「・・・あまり調子にのるなよ」


中身は総ではないのだが、小さい頃からうえこまれている嗣に対する恐ろしさのあまり、体は素直に硬直してしまった。

総が暴れなくなったのを確認すると、


「それでは先生方。失礼致します」


保健室を出るまで続いた嗣の満面の笑みに、ドアが閉まった直後、鮓と小鹿はとろけるようにその場に座り込んでしまった。






 小学校をあとにした嗣と総。保健室から変わらぬままの体勢だった為か、通りすがる人々は何があったのかと、二人に奇異の眼差しを向けていく。その中には、頬を赤く染め、嗣の姿が見えなくなるまで熱い視線を送っている人も見受けられた。

そんな視線に全く気づかない嗣は、気が急くのか、いつもより大股で歩みを進めて行く。

ふと、今の今まで沈黙を守っていた総が、口を開いた。


「・・・お主、いいかげんに下ろせ。誰とも知れぬ者に触れられるなど・・・・恥辱だ」


「あなたが逃げ出さず、私についてきてくれるとお約束して下されば、直ぐにでも解放します」


「私が逃げると、臆病者だと言うのか!」


歩みを止める嗣。総と目が合うように、少し首を捻る。


「臆病者とは言っていません。どうなのですか?約束してくれますか?」


総は不貞腐れながら頷いた。


「・・・・・分かった。約束しよう」


嗣はゆっくりと総を下ろした。総は嗣を見上げ、腰に手を当て踏ん反り返った。


「見ろ!私は逃げぬ。臆病者ではないだろう!」


「そうですね。疑って申し訳ありませんでした」


「・・・否、私も大人気なかった」


嗣は弟の一大事だというのに、見慣れない総の態度と言葉遣いの可愛さに、思わず笑みがこぼれてしまう。そんな嗣を訝しげに見つめる総。


「何を笑っておる?」


「いえ、何でもありません」


「先程から思っておったのだが、お主は随分背が高いのだな」


「?」


「私も背が高いほうではないが、それでも・・・・・・・・!!」


突然、話すのを止めると、総は嗣の後ろにある喫茶店に向かって突進した。

そして、窓に思い切り両手を叩きつけると、ガラス張りに映る自分の姿を、これでもかと食い入るように見つめた。店内の客達は、総が叩きつけた音に驚き、窓越しに総を睨みつけている。

一方の総は、そんなことなどお構いなしに、一心に自分の姿を見つめ続けていた。

嗣は背を向けている総に向かって、ゆっくりと足を進めた。


「これは・・・・・・一体どういうことだ!?」


「これ、とはどのことでしょう?」


「な・・・何故、私は童の姿をしておるのだ?」


 総は怒りと悲しみの入り混じった瞳で、両肩を震わせながら嗣を真っ直ぐに見つめた。

今までの発言から、総の内なる人物が男性で子供ではないこと、また、今の時代に生まれた者ではないことが察すれ、心から同情する嗣だったが、今の総には侮辱と思い、決して口には出さなかった。


「残念ですが、それは分かりません。今の私に言えることは、その体の名前は、杞龍総。私の弟の体だということです」


真剣な嗣の表情に、彼が決して嘘をついているのではないと感じた総。時間が経過し、気持ちが落ち着いたのもあって、保健室の時のように反論はしなかった。

唯、その瞳には、先程までと違う、心に突き刺さるような深い哀愁を帯びていた。


「・・・・・そうか、この体はお主の弟の・・・・・それは心配だな」


小さな呟きは、嗣に向けたものではなく、自分に対して告げているようだった。


「・・・・・あなたにも弟さんがいらっしゃるのですか?」


嗣の何気ない問いに、総の顔は強張った。その顔は、総が悪いことをして、嗣に怒られるときの表情そのままだった。

総は目を伏せ、バツの悪そうに口を開いた。


「・・・ああ・・・弟がいた・・・」


「そうですか・・・それは・・・・・・申し訳ありません」


(“いた”ということは、既に・・・)


不味いことを聞いてしまった、と面目なさそうな嗣の表情に総は好感を覚えた。


「何を詫びる?私に弟がいたのは事実なのだから、お主が詫びる必要はどこにもない」


「・・・ありがとうございます。えーと・・・」


今更ながら、体は総だが中身は別人なので、名前を口にしようとしたが、分からず嗣は思い止まった。そんな嗣の様子に総は察した。


「私の名か?名は“リョウ”だ」


「リョウさんですね・・・・・改めまして、私の名前は杞龍嗣です。嗣と呼んで下さい」


「分かった、嗣」


大きく頷くリョウ。嗣は一瞬だけ微笑むと、直ぐに真剣な面持ちに切り替わり、歩道で膝を折った。服が汚れるのも、周囲の視線も声も全く気にしていなかった。

そんなことよりも、どうしても確かめないといけないことがある。


「リョウさん」


「何だ?」


「あなたは先程、保健室で言っていましたよね?」


「何のことだ?私が総ではないということか?」


大きく頭を横に振る嗣。


「いいえ、違います。あなたはこう言いました。“お主達、私の刀を・・・”と」


瞬間、リョウの顔が顔面蒼白になる。

しかし、すぐさま平常心を取り戻し、平然と答える。


「何を言っておるのだ、嗣?」


リョウの答えを気にせず、嗣は続ける。


「あの時の言葉・・・こう続くのではないのですか?“私の刀を知らないか?”と」


「先程から何を言っておる?私はそんなことを口にしてはおらぬ!お前の聞き違いではないか?」


「・・・・・残念ながら、私の聴力は至って正常です」


真っ直ぐに自分に向けられ、また訴えてくる視線に、リョウは真っ向から睨み返した。


「聞き違いだ!」


「リョウさん!」


「私がそのようなことを口にするわけがない!嗣、お主の聞き違いだ!」


リョウは胸の前で両腕を組み、嗣に背を向けた。リョウの肩が微かに震えていることに、嗣は気づいた。

嗣は努めて冷静に心を決め、言葉にした。これは一種の賭けだった。これを口にすることで、何も変わらないかもしれない。でも、可能性があるのなら試すべきだ。ダメな時はまたその時に考えればいい。

勿論、本音を言えば、今は総の心がここになくても、総の身体に話すことは、絶対にしたくなかった。


「リョウさん」


「しつこいぞ!私は」


「その刀は、特別な刀ですよね?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・何?」


その言葉を消化するのに、数分の時間を要した。リョウは機械仕掛けの人形のように、ゆっくりと、ぎこちなく嗣に顔を向けた。


「・・・・・今・・・・・何と言った?」


「あれは普通の刀とは違う、唯、切れるだけの刀とは違う。そうですよね?」


口元に弧を描きながら話す嗣に、リョウの両目は釘付けになっていた。


私も持っています(・・・・・・・・)


「!?・・・な、何を世迷言を言って・・・」


リョウは平静を装っていたが、明らかに狼狽、困惑していた。嗣は心の中で賭けに勝ったと思った。


(やはり、この人物は刀のことを知っている。ならば・・・)


「世間一般の皆様には縁がない物でしょうが、杞龍家直系の人間であれば、刀を持っているのは当たり前のことです。みんな持っていますよ。私も、私の父も、私の祖父も、そして」


「嘘を吐くな!!」


嗣の言葉を遮るように、総は腹の底から叫び、その両手は怒りで激しく震えていた。


「お前が、お前達が刀を持っているわけがない!あれは、あの刀は特別な代物なのだ!それをお前達のようなもの・・・が・・・・!?」


その瞬間、リョウの頭の中で、天啓とも云える閃きが舞い降りた。

今の発言で、刀の存在を認知してしまった後悔の念は一切なく、遠い昔、最も大切な人とした、最も大切な約束が、脳裏に鮮明に蘇っていた。

そして、焦点の合わない虚ろだった視線を、嗣へと凝視した。


(・・・この男・・・この男は・・・・・嘘を吐いていない。もしやこの男は・・・・)


途中で口を止め、銅像のように固まってしまったリョウの様子を、黙って見つめていた嗣は不安を覚えた。


(まさか・・・総に・・・・戻ったのですか?)


「あの・・・・・リョウさん?」


恐る恐る声を掛ける嗣。

すると、リョウが嗣の両肩を思いきり掴んだ。いきなりの行動に嗣は驚き、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

尚も、リョウは嗣の両肩を放さなかった。


「一体、どうしたのですか?・・・・・リョウさん?」


リョウはまじまじと嗣を見て、微笑んだ。どこか吹っ切れたような、呆れたような、そんな表情だった。


「お主は、嘘をついていない」


「ええ、ですから」


「恐らくお主は・・・・・・否、お主達は私の子孫だ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


思いもよらない告白に、嗣の頭と顔がガラガラと音をたてて崩れ、嗣は暫くの間、そこから動くことが出来なかった。

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