調査
普段と変わらない朝のHRがそこにはあったが、ここ数ヶ月の美珠には先生の話も、クラスメイトのおしゃべりも全く耳には入っていなかった。
その理由を、美珠自身よく分かっていた。
五ヶ月前、両親と三人で暮らしていたアパートに、突然、見知らぬ男達が現れると美珠達家族を強引に車へと押し込んだ。
そして、一軒の大きな屋敷に連れて行かれた日。あの日から全てが変わってしまった。
まだまだ終わるはずのない、変わらない平穏な日々だったのに、あの人によって全て変えられ、両親は死んで、そして私は逃げ出した。
(お父さんもお母さんも私も、親子三人で暮らしていければ・・・それだけで良かったのに・・・)
美珠の心は、あの日から深い悲しみと狂おしいまでの怒りに、絶望で黒く塗り潰されていた。
そんな美珠に、転機が訪れた。
昨日、今まで蓄積され続けていた黒く澱んだ気持ちが一気に弾け、意を決しあの家を飛び出し、これからのことを公園で考えていたら、同級生の杞龍総が現れた。
彼は隣のクラスで、時々校舎内で見かけるだけの唯の同級生の一人なのに、彼は私を知っていて、私の意思を聞いても馬鹿にせず受け止め、自宅においでとまで言ってくれた。
心の奥底では泊めてもらえるわけがないと思いながらも、彼の自宅までついていったが、まさか本当に泊めてもらえるなんて思いもよらなかった。
そして、自分と同じで、両親がおらず兄弟四人で暮らしているのを聞いた時は、本当に驚いた。
学校ではそんな素振りすらまったく感じさせず、明るく笑顔で、両親がいて、兄弟がいて、人並みな生活を毎日送っている、一般的な家庭の男の子なのだろうと思っていたからだ。
彼がそんな男の子になっているのも、きっとあのお兄さん達のお蔭なのだろうと思う。
詳しい事情も聞かず、私を温かく迎えてくれ、決して無理強いや土足で人の心に入り込まず、一定の距離を取ってくれた。
自分は他人なのに、家族団欒の中で一緒に摂った食事はとても美味しく、心が少し満たされた気がした。
自分がとった行動に、罪の意識を感じるほどに・・・・・。
唯、今日の朝、学校に行った方が良いと言われた時は、正直戸惑った。家出をした自分が学校に行ったらあの人が待ち構えていて、連れ戻されるのではないかと危惧したからだ。
だけど一番上のお兄さんは・・・
(大丈夫です。学校に行っても、またここに帰って来られます。私を信じていつも通り学校に行って下さい)
『杞龍家ルール:会社・学校は可能な限り休まない』
嗣の言う通り、朝は誰もいなかったが、帰りは待ち伏せているかもしれない。美珠の心配は完全に払拭されてはいなかったが、何故また戻って来られると分かるのだろうかと、心の中で首を傾げた。
(杞龍君のお兄さんは、未来が分かるのかな?)
総と同様、杞龍家と千紫寺家の繋がりを全く知らない美珠の予想は大きな的外れで、嗣が昨夜のうちに鳴﨑に電話で美珠のことを伝えていたのだ。
鳴﨑は黙って嗣の話しを聞き、最後に一言だけ「分かりました。道成様には私からお伝えしておきます」と答え、電話を切った。
詳しいことは聞けなかったが、千紫寺美珠が千紫寺道成の血縁者なのは間違いなかった。恐らく、あの手紙の内容を鳴﨑は道成から聞いて知っているはず。とすれば、関係のない間違った情報があれば、絶対に嗣に教えてくれる。鳴崎はそういう人物だ。但し、それは主人(道成)の命令が一番で、主人が嘘をつけと言ったら、平気な顔して嘘をつく人物でもあるのだが・・・。
美珠は一番後ろの席からクラスの様子を眺めた。
皆、楽しそうに話に花を咲かせている。この学校に転校させられて、もうすぐ半年が経とうとしているが、まだクラスに馴染めない、馴染もうとしない美珠だった。
「翔。今日の昼は?」
「・・・弁当ないから学食」
「じゃあ、一緒に行こうぜ」
「・・・ああ」
終礼のチャイムが鳴り、英語の教科書を机の引き出しに直していると、同級生の猿渡大樹達が昼食に誘って来た。
待ちに待った昼休み。いつもなら家計を助ける為に弁当持参だが、今日は作る時間がなかったので、贅沢に学食だ。(値段は良心的であるのだが、杞龍家にすれば贅沢品に分類される)
食堂に到着し、各自好きな物を注文し受け取ると、席を確保しようと辺りを見渡したが、人でごった返していた。
「これじゃあ座れないか・・・」
大樹が先頭に立って再度辺りを見渡し、諦め外へと足を運ぼうとすると、猪俣蛍が大きな声で叫んだ。
「翔!こっち!こっち空いてる!」
机をバンバン叩きながら大きく手を振っている蛍。周りで汁物を食べている生徒達の熱い(?)視線は気にせず、彼女の友人達が代わりに謝罪していた。名前を呼ばれていない大樹はいち早く蛍の元へと駆け寄り、翔達もあとに続いた。
先頭の大樹に、蛍の口はへの字へと曲がった。
「・・・大樹達は呼んでないわよ!私が呼んだのは翔だけ!」
「翔、俺達も一緒に良いよな?」
後ろを振り返り、目力で訴えてくる大樹とその他に、一番最後尾にいた翔は大きく溜息をついた。手にしているお盆上のカツ丼を見つめ、逡巡した結果、食欲に負けて速やかにかたをつけた。
「猪俣さん、大樹達も一緒に良い?」
普段は無愛想で中々見ることの出来ない翔の輝く笑顔(輝きは蛍と友達の目の錯覚)に、蛍達は予想通り心を奪われた。
「う、うん!もちろん!」
その瞬間、翔以外が足早に席に着き食事を始めた。勿論、蛍の隣席は座らずに、空けておいてあげるというお礼は残して。
「ほら、翔も座れよ」
「・・・・・」
誰のおかげで座れたんだと口にしたかったが、無駄な争いは好まないので大人しく席に着くとカツへと箸をのばした。蛍達はその姿を恭しく見つめ、翔に聞こえいない声で会話していた。
(今の何?何?何?)
(杞龍君が笑った!超レアじゃない!)
(反則よ!あんな笑顔・・・(照))
(写メ撮った?撮ってない?もう何やってんのよー(怒))
(遊びでもいいから一度抱いてくれないかなー?)
(翔がそんな真似するわけないでしょう!抱くなら本気よ!)
無愛想ながら、たまに見せる笑顔や気遣いに、翔は女子の間で人気だった。
「翔が学食なんて珍しいね」
カツ丼を無愛想に食べる翔を、蛍は幸せそうに見つめる。翔はあえてその視線には気づかないふりをした。
「・・・今日、弁当作れなかったから」
「毎日大変でしょう?お弁当作り」
「・・・もう慣れた」
「えー!杞龍君自分でお弁当作ってるの?」
「すっごーい!」
時々、頼んでいないが二番目の兄が作ってくれているので、毎日ではないとの言葉はあえて続けなかった翔だった。
翔には両親がおらず、四人兄弟で生活していると、蛍は大樹から聞いたことがあるので、他の友達のように騒いだりせずジッと翔に眼差しを向けていた。
「そっか・・・翔。もし良ければ」
「翔は本当、料理美味いよな。この間分けてもらった里芋の煮物。マジ美味かった!」
(・・・あれは継兄が作ったけど)
二人の会話に割り込んだ邪魔者大樹に、蛍は頭上に裁きの鉄槌を下した。
「イテッ!何すんだよ!」
「天罰よ!」
当然の報いだと言わんばかりに、蛍は睨んだ。
「可愛くない女だなー」
「あんたに可愛いと思われたくない!」
二人のいつもの漫才を無視して胃袋を満たした翔は、水で喉を潤しながら、やり取りが終わったのを見計らって、大樹に声を掛けた。
「・・・大樹。泰川って知ってるか?」
「・・・・泰川?」
大樹には年齢層の幅広い友人が数多くいて、多岐にわたる情報を掴んでいる高校生らしからぬ高校生だ。
そのおかげで彼の友人や知り合いは、幾度として彼に助けられ、この高校ではちょっとした有名人だ。
昨日、兄達との話し合いで、道成の娘、泰川葉波を調査するに当たり、葉波は継兄が、一人息子の賢人は翔が担当するようになった。確か賢人は翔と同級生ぐらいだったと嗣兄が言っていたので、顔の広い大樹に尋ねようと朝から機会を伺っていたのだ。
その名に大樹は眉をしかめた。
「・・・泰川って、泰川賢人か?」
「・・・知ってるのか?」
「知ってる。俺達と同級で、俺とは同じ塾だし」
「そうか・・・・・さすが、大樹」
(塾に通ってるとなると、俺も通った方が情報は入りやすいけど・・・)
塾通いとなるとお金が必要になる。杞龍家は教育及び金銭的理由から塾通いは認めず、勉強は学校で十分との方針だった。翔もその方針には共感しているので、塾通いをしたいと思ったことはないが、その方法は無理だと諦めるしかなかった。
「泰川ってあいつでしょう?ガリ勉男」
「・・・?猪俣さんも知ってんの?」
「こいつ、親に言われて先月から俺と同じ塾に入ったんだ。この間の中間テストすっげーひどかったから」
蛍の代わりに意地の悪い笑みで答える大樹。二人は家が隣同士で、子ども達はともかく、親同士がとても仲が良いのだと、大樹が前に言っていた。
「余計なことは言わなくていいの!翔。あいつはね、とにかくすっっごくムカツク奴!自分以外の人間は絶対クズだと思ってる!この間、塾で小テストがあったんだけど、私にしては良い点数だったのに、“七十点しかとれていないのに馬鹿みたいに喜んで・・・・・あなたのような人が塾に来たって無駄です。真剣に取り組んでいる他の生徒に申し訳ないと思わないのですか。酸素と紙も無駄になりますし、限りある資源は大切にして下さい”って言われたの!ムカツクでしょう!最低な男でしょう!!」
立ち上がり身振り手振り力の限り説明する蛍に圧倒されながら、翔は無愛想のまま人形のようにコクコクと頷いた。
「蛍の言う通り嫌な奴だな。ほとんど話したことねーからよくは知らねーけど、勉強しか頭にないみたいだ。確かに頭はいーみたいだけど・・・あっ、それに自分は千紫寺商事社長の孫だって自慢してたな」
「何よそれ!あいつの爺さんがすごいだけで、あいつは関係ないじゃない!エラそうに自慢しちゃって、馬鹿じゃないの!」
大樹が人の悪態を吐くとは珍しいと思いながら、間違いなくその男が葉波の一人息子だと確信した瞬間だった。
「あいつに何か用があるのか?」
大樹の真面目な表情に、翔は逃げるように視線を逸らし、お盆を片手に席を立った。
「ちょっと、な・・・ありがとう大樹。この礼はまた今度する」
翔はこれ以上の追及を避けるように、足早に食堂を後にした。
(どうやって泰川と接触するか・・・大樹には迷惑はかけられないし、となると塾で待ち伏せして・・・)
食堂から校舎へと続く渡り廊下を思案しながら歩いていると、息を切らしながら蛍が近づいて来た。
「翔!」
「・・・猪俣さん?」
「あ、あ、あ、あのね・・・」
「?」
「あの・・・・その・・・・あのね・・・・」
呼び止めたにも関わらず、しどろもどろに話す蛍に、さっきまでの勢いはどこに消えたのだとつっこみたくなる翔だったが、根気強く蛍の言葉を待った。
(落ち着いて、私。大丈夫、私なら言える!)
拳を思い切り握り締め、蛍は頬を染めながら告げた。
「私が翔のお昼のお弁当を作ってきていい?」
「!」
「前から考えてて・・・・・翔の家、兄弟だけで大変でしょう?少しでも翔の為に何か出来ればと思って・・・・・こう見えて私、料理得意だし、自信はあるの!だから・・・」
二人の間に沈黙が流れる。
蛍の心臓は今に飛び出そうなほど鼓動し、翔に聞こえないかと危惧する。
(みんなの前では平気でしゃべれるのに、二人っきりになると何でこうなんだろう・・・私)
沈黙は、数秒にも満たない時間だった。
「・・・・・ごめん、猪俣さん」
「!!」
それだけ言うと、翔はさっさと踵を返し、教室へと向かった。
茫然と立ち尽くす、蛍一人残したまま・・・・・・・・・。
一ヶ月前、翔は蛍に告白された。
蛍とは違うクラスだったが、大樹を通じて友人になり、顔を合わせれば蛍から積極的に話し掛けられるようになった。
正直、蛍のことは嫌いではないが、特別好きというわけでもない。あくまでも、友人の一人だ。だから、告白されたあの日にハッキリと断った。
自分にとって今最も大切なのは家族で、それ以外を相手にする余裕も覚悟もない。仮に付き合っても彼女に愛想をつかされて別れるのがオチだ。
友人からは、試しにいろいろ女子と付き合えと促されるが、相手が期待するような真似はしたくないし、させたくないので、告白される度、ハッキリと断っている。
ほとんどの女子はそれで諦めてくれるのだが、蛍が今でも自分のことを諦めていないのには、頭が痛かった。
こういうことには鈍感になりたいのだが、残念ながら、なれない自分に嫌気を覚える翔だった。
(・・・もっと強く言った方がいーのか?)
顔には出ていなかったが、憂鬱な気分に翔の足取りは重かった。
叶うなら、蛍の気持ちが自分以外の者へと変わることを願いながら・・・・・・。
同時刻。杞龍家。
プルルルルル。プルルルルル。
コール音に気付いた嗣は、急いで電話を取った。
「はい、杞龍です。ああ先生、いつも総がお世話になって・・・え?総が怪我?はい、はい。分かりました。直ぐに学校に伺います」
電話を切ると、必要最低限の荷物を持って、嗣は玄関を飛び出した。