日常
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピカチャ。
「ん~」
枕元で鳴り響く目覚まし時計を止めると、杞龍総はゆっくりと起き上がり、小さな体で大きな伸びをした。
(よし!今日は早く起きれた!)
時計の短針が六時を指しているのを見ると、素早く二段ベッドから降り、下段の住人がいないのを確認し、和室部屋へと向かった。
(そういえば何か夢を見たような気がするんだけど・・・・・・・・まっ、いいか)
和室部屋前にたどり着くと、総はゆっくりと襖を開けた。
六畳の和室部屋は、カーテンで閉ざされた窓一つと仏壇だけが置かれ、そこには男女が幸せそうに写っている写真が、一緒に飾られてあった。
仏壇の前に座ると、総は手を合わせ満面の笑みで挨拶をした。
「おはよう。お父さん、お母さん」
毎日の日課である挨拶を済ませ、顔を洗う為、次は洗面所へと向かう総。
ここまではいつもと同じ朝の行動パターン。
目覚まし時計が鳴ってから一分以内に不快感なく起きれたのだから、今日は調子が良い。
(今日は小学校で何か良いことありそうだなー)
幸福感に包まれながら妄想の世界に耽っているその緩みきった表情は、はたから見れば『不気味』としか言えない。
しかし、そんな表情も、洗面所の鏡に映る自分を見ると、一気に固まった。
(!?イヤイヤイヤ、まさか・・・)
体中嫌な汗をダラダラと流しながら、もう一度、鏡ギリギリまで顔を近づけゆっくりと瞬きをすると、鏡の中には有名な絵画を模写したかのような表情になってしまった自分がいた。
「ギャーッ!!!」
家中に響く雄叫びに、家族の反応は笑・怒・無だった。
雄叫び終わった総は拳を握り締め、平屋造りで築八十年の(若干)腐敗し軋む廊下を走り、リビング兼台所に駆け込んだ。
「継兄!僕の髪また染めただろう!!」
キラキラと光り輝く金色の髪。
一瞬、金髪も似合ってる?(照)と惑わされそうになったが、昨夜までは確かに黒髪だったこの髪を染めたりする人間は、この家、日本中、世界中、否、宇宙中を探してもたった一人しかいない。
台所で鼻歌を歌いながら、朝食当番で味噌汁を作っている二番目の兄、杞龍継だ。
その前に染められたのに気づかないのか?という疑問は、置いておこう。
(継兄はいつもいつも!)
継は包丁を置くと真正面から総を見た。顔は笑っているが目が笑っていない。額からは何本か血管が浮かび上がり、目の下には薄らとくまが出来ている。
「総、それは仕方ないんだ。お前のいびきがあまりにも五月蠅いから!(怒)」
『杞龍家ルール:一人部屋は認めない』
杞龍家では総達の両親が決めたルールが幾つかある。その一つ、一人部屋は認められず共同部屋が認められている。
これは一人部屋が必要ないという理由であって、決して家が狭いからという事情ではない。その為、総と継は同じ部屋で共同生活をしていて、限られた広さを有効利用する為ではないが、二段ベッドの上は総、下は継が使用している。
「だからって染めるなよ!この間は赤でその前は青。その前は・・・えーと覚えてないけどそんなことするなら」
「継、総。喧嘩を始める前に言うべきことが先にあると思いますが」
「「!」」
(・・・嗣兄)
後ろをゆっくり振り返ると、スーツ姿の一番目の兄、杞龍嗣が腕を組んで立っていた。
嗣は継よりも身長は低く細身だが、杞龍家では絶対存在であるので誰も彼には逆らわない。(その日によって多少違うが、逆らえば素敵な特典が付いてくる)
ばつの悪い顔をした二人だったが、直ぐに気を取り直して、
「おはよう。嗣兄、継兄」
「おはよう。兄貴、総」
「おはようございます。継、総」
『杞龍家ルール:挨拶は全ての基本』
満足した嗣は微笑みながら総の頭を優しく撫でた。
「先に顔を洗ってきなさい。その後で、この馬鹿継と喧嘩をすればいいです」
「兄貴ひでぇ!」
継が抗議のポーズを取っているが完全無視された。
「・・・もういいよ。でも、また小学校に呼び出されても・・・僕は知らないよ」
嗣は膝を折り、総を真正面から見つめた。
「小学校には謝罪の電話を入れておきます、もちろん継が。それでも呼び出されたら今度は私が小学校に行きます」
「・・・仕事が忙しいのに?」
嗣は微笑んだ。彼は笑うと実年齢よりも幼く見える。
「私にとっては仕事よりも家族の方が大切です。その為の有給休暇は大事にとってあります」
「うん!分かった」
最後の言葉の意味は理解できなかったが、大好きな兄の優しさを感じ、機嫌良く再び洗面所へと向かって行った。
嗣は総を見送ると立ち上がりテーブルに箸を並べ始めた。
そんな兄を横目で見ながら継は苦笑していた。
「兄貴の仕事に有給休暇制度があるのか?」
嗣は動作を止め不敵に微笑む。
「当然です。私はサラリーマンですから」
「サラリーマンねー・・・」
(・・・どう考えたって兄貴の仕事はサラリーマンじゃねーだろう)
杞龍家の収入源である嗣は近所の人達にはサラリーマンで通しているが、全く違う職種であるのを継は知っているので、一般労働者に保障されている制度が、嗣には適用されないのは十分理解していた。
「それよりも継。総の小学校での様子も気になるからといって度々呼び出されるようなことはしないように」
身長が高く体格の良い継は、小さな弟を弄って遊ぶことが多々ある。度が過ぎると、嗣が口をはさむのだが、兄の注意等全く気にせず、今度は継が不敵に微笑む番だった。
「しょうがないだろう。総が可愛いんだから」
微笑みながら無言で見つめあう兄弟。
そこには二人だけの時間が流れているようだったが、そこに二人のもう一人の弟が現れた。
「朝から気持ち悪いんだけど・・・」
総の三番目の兄、杞龍翔が(本人にそのつもりはないが)いつもの無愛想な顔に、目はまるで不審者を見るかのような目つきで現れた。
朝の新聞配達のアルバイトを終え、水分を求めて台所に来てみれば、妖しい兄達の会話が否応なく耳に入ってきてしまったのだ。
「おかえりなさい、翔」
「お疲れ、翔」
「・・・ただいま。嗣兄、継兄」
溜息を一つ吐くとコップに水道水を入れ、翔は一気に飲み干した。
「で、何で気持ち悪いこと言ってんの?」
「何を言ってる翔!お前も総が可愛いだろう?あっ、心配しなくてもお前も俺の可愛い弟だ」
屈託のない笑みで答える継。彼の後ろからは眩しい光のオプション(幻覚)も付いていて、これが冗談ではなく本気で言っているのが否応なく理解できたので、翔は継から視線を外し、当惑しながらも辛うじて反論した。
「・・・そんなことは聞いてないんだよ」
二人のやりとりを見ながら嗣は椅子に座った。
テーブルには今日の朝食の献立、御飯と豆腐のみそ汁、焼き魚、そして両親の写真が真ん中に飾られている。
「総ももう来るでしょう。家族皆で朝ご飯にしましょう」
『杞龍家ルール:食事は二人以上で摂る』
程なくして総も現れ、杞龍家のいつもの・・・正確には六年前からの朝食風景がそこにはあった。
「じゃあ、いってきます、継兄」
「いってきます。継兄」
「いってきます、継」
「いってらっしゃい。兄貴、翔、総。車に気をつけろよ」
朝食を終え継以外の三人は会社及び学校へと出かけて行った。
「さてと・・・」
一人残った継は台所に掛けてあるホワイトボードへと目を向けた。
『嗣:会社残業。夕飯必要なし』
『継:大学講義なし。9時~16時まで配送のバイト』
『翔:高校。18時~21時まで喫茶店のバイト。夕飯必要なし』
『総:小学校。獅ヶ原莫也の家に寄って帰るので帰りは18時』
「よし、まだ時間があるから家の掃除をするか」
晴れ渡る青空を窓から眺め、袖をまくり気合いを入れて脱衣所へと向かう継。
季節はもうすぐ初夏を迎えようとしていた。