兄弟
季節が何度も巡り、輝彦は立派な青年になりました。元から優しい性格のため、頼まれなくとも父と母の手伝いをよくやりますし、山を駆け回って遊んだおかげで足腰が鍛えられました。さらには熊と相撲を取れるほど力も強くなりました。そして、源一郎に弓矢の引き方をしっかり叩き込まれ、今では名手といってもいい腕前です。ただ、2つのコブは依然として輝彦のおでこに角のように生えていました。
しかし、輝彦はもうそのコブのことを気にしなくなりました。人に見られるのには抵抗はありますが、このコブのお陰で素敵な家族に巡り逢えたのです。輝彦はこのコブに感謝をしているぐらいでした。
一緒に生活していくうちに、輝彦は父と母のこともよく知るようになりました。
父、源一郎はこの土地を治め、悪しき妖怪が入らないように番をしているのです。母、椿は言霊という不思議な力を持っています。輝彦の涙を真珠に変えることが出来たのはそのお陰です。
そして源一郎と椿はどちらも人間に化けることができました。源一郎は人間の姿形になると、屈強で威厳のある壮年の男性になります。椿は豊かな黒髪を持つ、細目の若くて美しい女性になります。
源一郎は人間になるのは窮屈だといって里に降りる以外めったに化けません。しかし椿は綺麗な着物を着て、度々化けては楽しんでいます。
親子3人は仲が良く、確かな絆をもって暮らしていました。
ある日のこと、めったに里に降りない源一郎が、降りて様子を見て来ると言いました。
なんでも里の方から気味の悪い雰囲気がするそうです。
「私もついて行ってもいいですか?」
輝彦はなにか父の助けになれればと思い、そう言いました。源一郎は少し悩みましたが、是と答えました。
「輝彦は清らかな心を持っている。悪しき物に取り込まれはしないだろう」
そうして、源一郎と輝彦は里に降りてみることになりました。椿は輝彦に、御守りにと涙を真珠に変えた首飾りをかけてくれました。
源一郎は錫杖を持ち、法師の姿に化けました。輝彦は笠を深く被り、弓を持ちました。
里は輝彦が八つの頃まで過ごしていた里でした。しかし、源一郎の言う通り、暗く気味の悪い雰囲気でした。
「あそこの家から最も嫌な雰囲気がする」
源一郎が指差した家は、驚いたことに輝彦が捨てられ前まで住んでいた場所でした。
「あそこは私の血の繋がった家族がいる家です」 輝彦は源一郎に言いました。源一郎はそうか、と言うとずんずんとその家に向かい、戸を叩きました。
家の中から輝彦の母が出てきました。しかし、輝彦の記憶にある、母とは違い酷くやつれ、年老いていました。
「これは、法師様ではございませんか。どうなさいましたか」
母はやつれた顔に少しの微笑みを乗せ、そう源一郎に尋ねました。
「この家から不気味な気配がする。何かに祟られているのかもしれんから、訪ねてきたのだ」
母はそれを聞くと、目から大粒の涙をこぼしました。
「私の息子が熱を出し、なかなか下がらないのです。医者に診せても、どんな薬を与えてもダメなのです。どうか助けて下さい」
そう言うと、母は源一郎と輝彦を中に招き入れました。
囲炉裏のそばに薄い布団がひかれ、そこに青年が寝かされていました。その青年の顔は、青白く苦しげに顔を歪めていました。しかし、その顔は苦しげに歪めかれてもなお、端麗な顔立ちだと分かりました。
源一郎はその青年を見るや、鬼の仕業だと言いました。
「怨みや嫉妬はやがて、人を鬼にする。なにか怨まれるようなことを誰かに怨まれるようなことはしなかったか」
源一郎がそう言うと、今まで黙っていた父が口を開きました。
「この子の前に私達には子供がいました。しかし、余りの醜さにその子を山の奥に捨てました。もしかしたら、その子が怨んでいるのかもしれません。角のようなコブが額にあり、鬼のようでしたから。しかし何故今になって……。この子は里長の娘と結婚するはずだったんですよ。それが、この病でその話しもなくなりました」
父は忌々しそうにそう話しました。輝彦はそれを聞いて、悲しくなると同時に、胸が火のように熱くなりました。
「私は八つまで、育ててくれたことを感謝している! あなた達を怨むことなどしないし、ましてや実の弟を苦しめることなど致しません!」
そうして、気がつけば笠を脱ぎ捨てそう怒鳴りました。
父と母は驚き輝彦を怯えた目で見ました。
「お前達、法師と偽って私達を騙しに来たな! 祟りも全てお前達のせいだ!」
父がそう激しく怒鳴りました。輝彦の心はもう怒りでいっぱいでした。こんな人達と血が繋がっていると思うと、自分の血さえ疎ましく思いました。
そのときです。今まで黙っていた青年が口を開きました。
「私に兄がいたとは知りませんでした。しかし兄が私を祟るなどしないでしょう。この家に入って来たときからその方は、私を心配そうに見てくれていることが感じられました。全ては私が悪いのです。私には里のある娘と恋をし、夫婦になる約束をしていました。しかし、里長の娘との結婚という話しがきて、私は富に目が眩みました。夫婦となる約束をした娘は身よりがいなかったのです。私は里長の娘と結婚することにし、その娘を手酷く裏切ったのです。もしその娘が鬼となっているのなら、全て私のせいです。どうかその娘を救ってやって下さい」
青年は苦しげにそう話したのです。父と母はそんな事は知らなかったのか、目を大きく見開いて何も言えませんでした。 福助は話し終えると、輝彦に尋ねました。
「私の名は福助と申します。私の兄の名前はなんと仰るのですか」
輝彦の心は急速に穏やかになっていきました。そうして、福助の手を握りしめ、言いました。
「私の名は輝彦といいます。必ず福助とその娘を助けましょう」
福助はそれを聞くと、ニコりと微笑み、また苦しげに目を瞑りました。源一郎は今までのやり取りを静かに見届けると、口を開きました。
「兄弟と言うのは良いものだ。して福助とやら、その娘と思い入れのある場所はどこだ」
「里から少し離れた、丘です。そこで私達は夫婦になる約束をしたのです。娘の名はお花といいます。名前の通り、花が好きでした。丘には花が沢山咲いていますから、一等好きな場所だったと思います」
福助はそう話しました。輝彦は福助に椿が持たせてくれた、真珠の首飾りを首にかけてやり、これは御守りです、少しは楽になればいいのですがと言いました。すると福助の顔色が少しよくなりました。
「ありがとうございます。兄さん」
福助のお礼を背に、源一郎と輝彦ひ丘を目指しました。
前回で後1話と言いながら、まだ少し続きます。期間中に完結出来るように頑張ります。