第八話
「成程、ね。菱本さんが怪しい、って訴えたら受け入れて貰えないで、その麻美って子の悪口を不意に思いだした――ねぇ」
「皆、私と秀樹君なんか似あわない、って思ってるに決まってるんだよ。ことちゃんだってどうせ、心のどこかで、そう思ってるんでしょ?」
「馬鹿ね。そんな事、思ってるわけないでしょ。心配しなくても、二人は充分お似合いだと思うわよ」
「――嘘、つき」
菜々は先程と比べると少し落ち着いてきたものの、未だ情緒不安定だ。
瞳を潤ませ、ぐすっ、と鼻を鳴らしている。
「……じゃ、別れれば? そんなに松浦君の事が信頼できないなら、別れた方が良いと思う」
「それは嫌! だって、私――」
「考えてもみなよ! 今回こんな事態を招いたのも、元はといえば、二人が付き合いだしたのが元凶でしょ? だったら、今まで通りの友達同士に戻れば、万事解決じゃないの?」
「……それは、そうだけど」
確かに、琴音の言う事も一理ある。
それでは犯人の思惑通りではあるが、ここまで精神的に追い詰められているのなら、まだそっちの方がマシ、なのかも知れない。
琴音が、嫌がらせの為だけで“別れた方がいいかもしれない”と言ったわけではない。
菜々の事をきちんと思った上で言っているというのは、彼女にも分かっていた。
……それでも、簡単に納得がいくものではない――。
と、そんな時。
キーンコーンカーンコーン――と、昼休みの終わりを告げるチャイムが、二人の耳に飛び込んだ。
「昼休み、終わっちゃったね。急いで戻らないと、授業に遅刻しちゃうよ。菜々、行こ?」
「……うん」
頭の使いすぎなのだろうか。酷く気分が悪い。
意識の霞んだ頭を振り、菜々は教室への歩を進めた。
気分の不調は、教室へ戻ってもなかなか治らなかった。
それどころか、寧ろ悪化すらしている。
妙に肌寒いのは、気温だけのせいではないだろう。
黒板を見るのも気だるく、菜々は窓の外を、ただぼーっと見やっていた。
「――速水?」
「え、あ――はい」
ふと教師に名を呼ばれ、菜々は慌てて前を向く。
話を聞いていなかった事を咎められるかと思い、身を竦めたが、教師は心配そうな顔を向けていた。
「お前、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
そう言ってみるが、教師の表情は晴れない。
教師は一つ溜息を吐き、前の方に座る少女に呼びかける。
「石田、お前確か保健委員だったよな? 悪いけど、速水の事、保健室まで運んでってくれないか?」
「分かりました」
石田、と呼ばれた少女は、ゆっくりと立ち上がると、菜々の席へとやってくる。
そして、彼女の耳元で小さく囁いた。
「大丈夫? 顔、真っ青じゃん。行こっか」
「――ありがと、石田さん」
あまり親しくない少女だったが、快く菜々に接してくれた。
菜々が弱々しく微笑むと、そっと笑いかえしてくれた。
その優しさに心を温めながら、菜々は立ち上がる。
クラス中の視線が降り注がれていたようだが、あまり気にならなかった――。
「38度、5分……ね。随分高熱じゃない。石田さん、悪いんだけど、担任の先生に早退する旨、伝えてもらえないかしら? できれば、荷物の用意もしてくれると嬉しいわ」
「分かりました。……速水さん、お大事にね」
最後に小さく手を振った後、保健室から石田が出て行き、室内には、校医の先生と菜々の二人だけが残った。
菜々は、無理矢理校医にベッドに寝かしつけられる。
ベッドに横たわると、少しだけ気分が楽になった気がした。
「速水さん、お家にご両親はいらっしゃる?」
「いえ……うち、共働きなので」
「そう、分かったわ。先生が家まで送っていってあげる。……っと、その前に、病院行かなくちゃね」
「あ、いえ――そこまでしてもらうなんて、悪いです」
「良いから良いから……あ、起きなくていいから。石田さんが来るまで、寝てなさい」
「ありがとう、ございます――」
必要最低限の事を話し終えると、気を遣っているのか、それ以上は何も言わなくなる。
わざわざこちらから話しかける事もなく、菜々は気だるい身体に意識を委ねた――。
過労からくる、ストレス性のもの――と、医師には、そう診断された。
要は、最近起こっている事実に、体が付いていかなくなった、という事だ。
気の弱い菜々には、よくあることだった。
心配そうな顔の校医の好意に甘え、結局菜々は家まで送ってもらった。
一階のリビングにあるソファーに身を委ね、熱で朦朧とする意識の中、菜々は今まであった事を思い返す。
(はじまりは、あの脅迫状だったのよね)
全てが狂い始めたのは、あの日の手紙から。
それからは、数は決して多くないものの、繊細な菜々の心を傷つける出来事が何度もあった。
(考えてみれば、あの後ストーカー犯から受けた被害って、無言電話が二件だけなのよね。こんな事で一々傷ついて、皆に迷惑ばっかかけちゃうし……)
はあ――と、菜々は深い溜息を吐く。
こうして難しく考えてしまうのは悪い癖だ、と自分で分かってはいるのだが、中々直せるものではない。
(……ああ、もう、嫌になっちゃうよ)
そんな菜々の思考の悪循環を止めたのは、今話題の、人気歌手の曲だった。
音の発生源に、菜々はすぐに思い当たる。
……ケータイだ。確か最近、メールの着信音をこの音に変えた記憶がある。
(誰だろ……琴音、かな?)
昼休みの事もあり、正直あまり会いたくなかったが、気づいているくせに返信をしないのは、失礼にあたる。
ぼんやりとする意識の中、菜々はほぼ無意識にケータイを開く。
それが、先程までちょうど考えていた、ストーカー犯からのものだったら――という発想など、思いつきもせずに――。
『新着メールが一件届いています』という無機質な文字が、ディスプレイに浮かんでいる。
発信者は――知らないメールアドレスだった。
『お前と松浦秀樹は釣り合わない。早く別れろ』
たった、それだけの短い文面。
確かに嬉しくはないが、そこまで酷い内容ではないだろう。
しかし、……時期が悪かった。
昨日の菜々なら、そのメールを無視するか、“ふざけるな”メールを送り、自分の持っているアドレスを駆使し、片っぱしからそのアドレスの持ち主探しに勤しんでいたのだろうが、今日の菜々は、いつもより更に心が脆かったのだ。
琴音――そして、秀樹の顔が、頭をよぎる。
親しげに舞花と話す、愛しい、大好きな彼氏の姿……。
(私……もう、二人の顔、見たくないよ)
酷い頭痛とともに襲う、激しい胸の苦しみ。
胸の奥のわだかまりに耐えきれず、菜々は泣いた。
頭に浮かび続けるのは、楽しげに微笑み合う、秀樹と舞花。
菜々には入っていけない空間だった。
(私、こんな気持ちのまま、秀樹君に会えないよ)
秀樹と顔を合わせるのが無性に怖かった……。
その日から菜々は、学校に行っていない――。
はい。ようやく過去編(?)が終わりました。
この後は現在に戻り、あの探偵さんが活躍してくれるはずです! ……多分。
こんなグダグダ駄文ですが(汗) お暇なときにでも、読んでいただけると嬉しいです♪