第六話
翌朝。菜々がそろそろ登校しようかと思った頃、来客を知らせるベルが鳴った。
菜々はインターホンのモニターを覗きこみ、来客を確認する。
――琴音だった。菜々が見やっていると気付くと、小さく手を振る。
「ちょっと待ってて」
一言声を掛けてから、菜々は急いでコートを羽織り、鞄を手に取る。
もう少し経ってから行こうと思っていた菜々にとって、突然の来客はかなり驚きだった。
「ゴメン、待ったよね?」
「ううん。私こそ、急に来ちゃってごめん。ほら。菜々、最近色々あったじゃん。だから、朝くらい一緒に行って、話聞こうと思ったんだけど……迷惑、だったかな?」
琴音は、少し困ったように笑う。何の連絡もなしに訪れた事に、罪悪感を抱いているようだった。
彼女の家だって、菜々の家から決して近いわけではない。
遠回りをする、とまではいかないが、かなり余計な時間をくった筈だ。
そんな心遣いさえも、今の菜々には有り難かった。
「ううん。……私なんかのために、ゴメンね? 気遣ってくれて、ありがと」
「気遣ってなんかないって。私、菜々の傷つく顔が見たくないだけ」
「ありがと」
“俺の事気にしてんなら、大丈夫だから。俺、お前がそんな顔してんの、見たくない”
琴音の言葉に、不意に既視感を覚える。昨日の事を思い出し、菜々は思わず、ふわりと微笑んだ。
「どうしたのよ。菜々、今日は随分元気じゃない」
「ふふ、……実はね――」
少し照れくさかったが、菜々は、昨日あった出来事を琴音に話す事にする。
微笑みながらのろけ始める菜々の話を、琴音は、曖昧に微笑みながら聞いていた――。
話し始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。
気がつくと二人は、学校に到着していた。
今まで、黙って菜々の話に耳を傾けていた琴音も、流石に苦笑しながら口を挟む。
「菜々ったら、本当松浦君に首ったけね。あんたみたいな彼女持てて……松浦君、本当幸せ者なんだから」
「そ、そんな事ないよ……!!」
菜々は照れ隠しに首を振る。頬が真っ赤なのは、寒さのせいだけではないだろう。
そんな他愛ない会話すらも、本当に楽しかった――。
彼女達の会話が聞こえてきたのは、本当に偶然だった。
休み時間。菜々が用を足し終え、個室から出ようとした時――一人の少女の声が聞こえたのだ。
「ねえ麻美、松浦君に彼女出来たって噂、本当なの?」
「らしいよ。しかも、相手は舞花じゃないんだって……。あたし、本人から聞いたもん」
「マジで!? 舞花と松浦君って、付き合ってたんじゃなかったの?」
どうやら三人グループのようだった。
声に聞き覚えが無い事から、恐らく他のクラスの女子なのだろう。
生徒数が多いこの学校なら、決してあり得ない事ではなかった。
そして――噂の中心は、菱本舞花。出ていける状況ではなく、菜々はその場に立ち尽くした。
聞きたくない! という菜々の心情とは裏腹に、少女達の雑談は続いていく――。
「だって舞花って、松浦君追っかけてこの高校入ったんでしょ? ぶっちゃけ、元々そんなに頭が良いわけでもなかったらしいよ」
「陸上部マネだって、松浦君目当てで入ったらしいしね」
「それが本当だったら、舞花めっちゃ可哀想じゃん!」
「小学校からの幼馴染だっけ? 健気だよね~」
少女達の一言が、菜々の心に深く突き刺さる。
……そして、それと共に湧きあがる疑念。
ストーカー犯人って、もしかして――。
よく知らない人に対する勝手なイメージに、菜々は嫌悪感を覚える。
……しかし、有り得ない話ではないのだ。
陸上部で朝練がある彼女なら、早朝のうちに脅迫状を忍び込ませておく事くらい、可能かもしれない。
非通知で電話する事だって、別に難しい話ではない。
電話番号をどうやって知ったのかは問題だが、そんな物は、友人達にそれとなく聞けば済む話だ。
秀樹君に、相談しなきゃ……。
少女達が立ち去った後も、菜々の頭の中は、菱本舞花の事でいっぱいだった――。
昼休み。菜々は、休み時間思った事を打ち明ける為、秀樹の教室へと向かった。
これまでも、彼と共に昼食をとった事は何度かあったが、内気な菜々から誘うのは初めてだった。
少し緊張する。
やがて教室に辿りつくと、菜々は恐る恐る辺りを見回す。
見慣れない顔ぶれの中に、彼は――いた。仲が良いのであろう男友達と談笑している。
舞花と話していない事に、菜々は少しだけほっとする。
人ごみの中に、彼女の姿は見えない。
恐らく、他の友人達とお昼を食べに向かっているのだろう。
菜々は、扉近くで談笑している男子グループに向かって声を掛ける。
「あ、あの――松浦君、呼んで貰えませんか?」
「あんた、秀樹の彼女? 秀樹~! お前の愛する彼女が来てるぞ~」
グループの中心格らしき少年が、クラス中に呼びかける。
その瞬間、教室中にくすくす笑いが広がった。
菜々の頬は真っ赤になるが、とうの本人である秀樹は、いつもの笑顔で受け答えしている。
そして、菜々の元へと訪れると、いつもと変わらない明るい声で問いかけた。
「菜々、急にどした? お前から誘いに来るなんて、珍しいな」
「あ、あの――。突然、ゴメンね。い、一緒にお昼でもどうかな? ……って思って」
表情や声音から、菜々の言わんとする事を、秀樹は瞬時に察したようだ。
いつも浮かべている笑みが一瞬にして消え、真面目な顔へと変わる。
「……分かった。ちょっと待ってて、昼飯取ってくる」
秀樹は踵を返すと、元居た席へと戻っていく。
菜々は小さく、深呼吸をする。心なしか、少し緊張が薄れた気がした。
※改訂前 琴美 ☓ 改訂後 琴音 〇
内容自体に変更はありません(汗)