第四話
無言電話に脅迫状。
昨日起こったばかりの出来事で、菜々の頭はいっぱいになっていた。
今日も、昨日と同じくらい――いや、昨日より酷い気分だ、と菜々は思う。
この事を、秀樹に相談しようと、何度考えたことだろう。
しかし、ただでさえ陸上部主将という立場で、ストレスを抱えているというのに、さらに心配事を増やしてはいけないだろう……という複雑な思いから、どうしても言いだせないのだ。
「――み、速水。呼ばれてるぞ」
「……え?」
隣から困ったようなクラスメートの囁き声が聞こえ、菜々は今、授業中だという事を思い出す。
前を見やると、厳格な事で評判の数学教師、青木が頬を引きつらせている。
それを見た瞬間、菜々は一気に現実に引き戻された。
「速水。何、ぼけっとしているんだ?」
「す、すみません!」
慌てて謝るが、彼は相当ご立腹のようだ。目が全く笑っていない。
「余程俺の授業が退屈らしいな。いい度胸だ、速水。この後、職員室でゆっくり先生とお話ししような」
青木は、“ゆっくりと”の部分を特に強調して言った。
昼休み。菜々がこっぴどく叱られた後、職員室を出るとそこには見慣れた姿があった。
……秀樹だ。
壁に寄りかかってどこか遠くを見る様な目をしていたが、菜々が帰って来た事に気付くと、ゆっくりと視線を向けた。
「秀樹君? どうしたの、こんな所で……」
「ん、ああ。菜々が、青木に説教くらってる、って聞いてさ。どうしたのかな? って思って」
そういいながら秀樹は、にかっと爽やかな微笑みを浮かべる。
昨日の事も含め、少しブルーだった菜々にとってその笑顔は、とても安心できるものだった。
「昼、まだだろ? 一緒に食べようぜ」
「え? 秀樹君、お昼まだなの? だって、もう昼休み始まって、随分経つよ……」
現時刻は、一時過ぎ。昼休みが始まって、三十分ほど経っている。
流石に、この時間までお昼抜きは辛いものがあるだろう。
男子の秀樹なら、普段は食べ終わっている時間帯のはずだ。
「ばーか。大事な彼女が怒られてんのに、一人で飯なんか食える訳ないだろ。早く弁当とって来いよ。ここで待ってる」
「あ、ありがと……」
秀樹の精一杯の優しさに、菜々は心が温かくなる。
今なら少しだけ、昨日の事すら忘れられる気がした。
駆け足で教室までの道を往復して、早五分。
菜々が職員室前に戻ると、そこには二人の人影があった。
一人は言うまでもなく、菜々の愛しの彼氏である秀樹。
もう一人は……陸上部のマネージャーの少女だ。名前は確か、菱本舞花――。
クラスメートで、幼馴染であるという二人は、仲睦まじげに立話をしていた。
「あ、菜々。お帰り」
そのうち、秀樹が菜々に気が付く。
舞花への視線をそらし、菜々に微笑みかけた。
「じゃ、舞花。俺、これから昼だから」
「秀樹……あんた、まだお昼食べてないの? あっきれた。今の今まで、何をしていたのやら」
舞花は大袈裟に肩を竦めてみせる。
その様子は、二人の仲はかなり親密だという事をうかがわせた。
「まあな。行こうぜ、菜々」
「うん」
……その時、菜々は、背後から冷たい視線を感じ、咄嗟に後ろを振り向く。
そこには、先程までの朗らかな笑顔とは対照的に、感情の読み取れない無機質な表情を浮かべた舞花がいた。
秀樹と仲良さ気に歩く菜々を、じっと睨みつけている。
「菜々、どした?」
「あ、ゴメン。今行くね」
思わず止まってしまった菜々に、秀樹が声を掛ける。
歩きながら、もう一度後ろを振り向くと、舞花の姿は既に消えていた――。
数分後。二人は屋上の隅に腰を下ろす。
いつもは定番のお昼スポットであるここも、時間が時間なだけに人っ子一人いない。
二人の貸し切り状態だ。
「――で、菜々。どうしたんだよ……いつも真面目なお前が、青センに怒られるなんて。本当、珍しい事もあるもんだよな」
「ん、ちょっと、考え事してて……。その時、ちょうど指されたみたい」
「あ~あるある。あの先公、人が考え事してる時とかに限って指してくるんだよな。俺もよく怒られる」
「秀樹君の場合、真面目に授業受ける気が無いのが原因じゃない?」
「はは、バレた?」
他愛ない会話を交わしながら、菜々は持参の弁当箱を開ける。
両親が共働きの彼女は、お弁当もお手製だ。
ちなみに、秀樹の昼は購買で買ったパンだ。
ペットボトルのお茶で喉を潤しながら、焼きそばパンに齧りついている。
「――でさ、菜々。お前、本当どうしたの?」
「え?」
いつの間にか、和やかなムードは吹き飛んでいた。
あまりにも突然の変化に、菜々は少々面食らう。
「青センが機嫌悪いのはいつもの事だけど……。お前、昨日から様子変だよ? 何かあったの、ばればれ。無理に、とまでは言わないけど、相談くらいならのってやるし。……それとも、俺じゃ頼りにならない?」
「そ、そんな事……!」
秀樹は、酷く傷ついた顔をしていた。




