第二話
「ア、アポイトメントも取らず、急に押しかけてしまい……本当に、すみません!」
本当に申し訳なく思っているのなら、早く用件に入ってもらいたいものだ――と、啓輔は心の中で毒づいた。
先程訪れた来客は、未だ年若い少女。速水菜々――都内有数の進学校に通う高校生と言っているが、普通の学生がこんな時間帯に居る筈もない。何か訳ありなのは、一目瞭然だ。
顔立ちは中々整っており、同じ年の頃の少年達からには人気があるのかもしれないが、生憎啓輔にその気は無い。
別段他に仕事があるわけでもないのだが、用件を話す訳でもなく、こう謝られてばかりいるだけでは埒があかない。
正直、かなり迷惑だ。
そんな態度が表れてしまっているのだろうか。少女は、先程から恐縮してばかりだった。
「――ええと、お嬢さん。別に、怒っていませんから。そんなに、謝らなくても……」
「あ、えっと、す、すみませんっ!」
「……」
啓輔は心の中で、小さく溜息をついた。
と、そんな時――。
「あの、お姉さん……」
「ひゃっ!」
優がやってきた。
手には、お客様用のティーカップに淹れられた紅茶と、クッキーを載せたお盆を持っている。
「よろしければどうぞ」
そう言ってにこやかに営業スマイルを浮かべる優は、とても小学一年生には見えなかった。
実父である啓輔ですらも、あの、笑顔でシュークリームを頬張っていた少女と同じ人物だとは、信じがたい。
そう思うのは菜々も同じらしく、目を白黒させていた。
「え、えっと、この子は一体?」
「娘の優です。優、ご挨拶なさい」
「はじめまして。沢内啓輔の娘、優です。以後お見知りおきを」
「は、はじめまして。速水菜々です」
優がお盆を机に置き、菜々に手を伸ばす。
握手を求められているのだと察すると、菜々も、慌てて手を差し出し、手を握り返す。
「緊張しないでも大丈夫ですよ。パパ、秘密は絶対守ってくれますから!」
普段は絶対使わないような言葉使いと微笑みで、依頼人の緊張を解く。
優もまた、沢内探偵事務所を経営する事において、かかせない人物だった。
「ん……そ、それじゃ、そろそろお話しさせて頂いても、宜しいでしょうか?」
「あ、はい。お願いします」
口が重かった彼女にも、ようやく決心がついたようだ。
伏せていた顔をあげ、真っすぐに啓輔を見据える。
その瞳には、怯えの色が滲んでいた。
「実は私――ストーカーに遭っているみたいなんです」
菜々は、ゆっくりとそう言った。
啓輔が口を開いたのは、少女の告白から、たっぷり三拍ほどおいた後の事だった。
明らかに困ったような口ぶりで、少女に問いかける。
「……えっと、ストーカーって、あのストーカーですよね?」
「は、はい。特定の人に執拗につきまとう、あのストーカーです」
「……」
啓輔は、相手に気付かれない程度に眉根を寄せる。
確かに此処は探偵事務所で、探偵もいる。
しかし、“探偵”と一括りに言っても、その種類は様々だ。
頼るなら、警察やらもっと良い専門の探偵事務所があるだろうに――と、啓輔は、心の中で溜息をついた。
……いや、仕事にケチを付けるのは、宜しくない。
「や、やっぱり、天下の名探偵さんに、こんな事を依頼しちゃ、失礼ですよね……すみません」
啓輔のささやかな変化を感じ取ったのだろう。
菜々は、再び瞳を伏せる。気のせいか、目元には薄らと涙すら滲んでいる……。
幾ら年を食っているとはいえ、啓輔も男。
自分のせいで、少女を涙目にさせてしまった事に、ちくりと良心が痛んだ。
心なしか、近くで控えている優からも、冷やかな視線を感じる。
「ほ、本当にすみませんでした。……私、やっぱり失礼しま――」
「待って!」
菜々が席を立とうとすると、それを制する声が聞こえる。
……優だった。演技なのか知らないが、目元が潤んでいる。
「大丈夫です! ストーカーなんて女の敵、絶対にパパが捕まえてくれますっ! だから、泣かないで下さいっ!」
「もう、いいんです。ありがとう、ございました」
そう言いながらも、菜々は未練がましい瞳で、啓輔を見つめる。
優の視線が、更に険しくなるのを、啓輔は感じた。
重たい沈黙と良心の呵責に耐えられず、啓輔は半ば諦め半分で頷いた。
「……分かりました。私なんぞで宜しければ――」
「やった! 菜々さん、パパ、引き受けてくれるそうです!」
「本当ですか!? あ、ありがとうございます……」
その途端、二人の表情が綻ぶ。
……まさか、演技? 二人の突然の変貌に、啓輔は、そう思わざるを得なかった。
「それではまず、少し質問をさせて頂きます。優、お前は下がっていなさい」
「はーい」
純真無垢な笑顔を浮かべながら、優は奥の部屋へと入っていく。
守秘義務と言う奴だ。一応、被害者のプライバシーは守っているつもりらしい。
尤も、張り込みやら何やらにはついてくるので、あまり意味はないのだが。
優が奥の部屋へと戻るのを見届けた後、啓輔は、菜々を見つめる。
その表情は、先程とは打って変って、真剣そのものだった。