第十二話
確かに、秀樹の話を聞く限り、菱本舞花が犯人だ――と安直に決めるのは、早すぎる気がする。
……まあ、かといって、彼の話をまるっきり鵜呑みにし、彼女を容疑者候補から外す気はさらさらないのだが。
啓輔は二つ目の質問を、秀樹に問う。
「それでは最後にもう一つ――まあこれは、純粋な好奇心が強いのですがね。お二人は、どこで知り合われたんですか? 速水さんの話を聞く限り、お二人のクラスは違うらしいですし……失礼ですが、普段の速水さんと松浦さんに、接点があるとは思いにくい」
結構酷い事を言った気もしたが、秀樹は気にした様子もなく、照れくさそうに微笑んでいた。
「ああ。……これ、ちょっと惚気話になっちゃうんですけど、良いですか?」
「どうぞ」
「菜々とは、一年の頃、クラスが同じになったんです。出席番号の関係で、席替えする前の最初の一ヶ月は隣同士で……」
そこで一旦言葉を区切り、秀樹は、どこか遠くを見る様な目をした。
口元には薄らと微笑が滲んでいる。
その頃に一目惚れしたんだな――と、啓輔には何となく思った。
「――ああ、すみません。つい、当時の事を思い出しちゃって。それで、二年になってクラスは離れちゃったんですけど、文化祭の実行委員会で、一緒になったんです」
「成程。それで、昔の想いが蘇ってきた、と。……随分、素敵なお話ですね」
「す、すみません! こんなくだらない事長々と話しちゃって……」
啓輔がにこやかに微笑んだ瞬間、はっとしたように、秀樹が真っ赤になる。
菜々の聞いていたイメージとの違いに少し戸惑ったが、なかなか面白い少年だ――と啓輔は思った。
「いえ、聞いたのはこちらですし。こちらこそ、お時間を取らせてしまい、すみませんでした」
「い、いえ、そんな――」
秀樹は照れ隠しに、頼んだアイスコーヒーに口を付けた。
しばらく二人は世間話を交わしていたが、六時半を過ぎた頃、啓輔はわざとらしく時計を見やる。
そして、秀樹に小さく会釈をしながら、申し訳なさそうに告げた。
「こんな時間まですみませんでした。そろそろ、失礼します」
「あ、じゃあ俺も……」
啓輔が立ち上がると同時に、秀樹も立ち上がった。
「え? パパ、もう行くの?」
届いたばかりのサンドイッチを頬張る優が不満げな声を上げたが、啓輔は無視する。
優は名残惜しげに皿を見つめていたが、二人に置いて行かれるのは嫌なので、渋々立ち上がった。
「お会計、1152円になります」
「えっと、アイスコーヒー一杯だから――」
レジの前で財布を取り出す秀樹を、啓輔がにこやかな微笑みで制した。
「ああ、結構です。今日は、私の奢りですよ」
「そんな……悪いです」
「話を聞かせて下さったお礼です。気にされなくて結構ですよ」
「本当に大丈夫ですから。俺、お金の事で問題作るの嫌いなんです」
困ったように微笑みを浮かべ、秀樹は自分の分を店員へ支払う。
幾ら高校生とはいえ、所詮は学生。
手に職を持つ啓輔と比べ、手持ちがそんなに多いわけではないだろう。
最近の若者にしては、随分しっかりしているな――と啓輔は思った。
……いや、彼自身も充分若者の部類に入るのだが。
結局、秀樹が啓輔に奢られる事は無かった。
二人が秀樹と別れ、車に戻っても、優の機嫌が悪くなる事は無かった。
食事の邪魔をされたのだから、てっきりまたあの不機嫌そうな顔で膨れ出すかと思っていたので、啓輔には少し意外だった。
「優、怒ってないのか? サンドイッチ、まだ全部食べてなかったのに」
「え? ……ああ、別に」
シートベルトをしながら、優は淀みなく答える。
確かに、声音からも怒りは伝わってこない。
一体どういう心境の変化だ?――と、啓輔は、訝しげに眉根を寄せた。
「どうしてまた急に? てっきりお前の事だから、“パパの馬鹿! サンドイッチの神様に呪われちゃうよ!”なんて言い出しかねないと思って、結構覚悟してたのに」
「……パパ、一体私の事、何だと思ってるの?」
その言葉に、優は少し不機嫌気味に眉根を寄せる。
“食い物の恨みが尋常じゃない魔人”という言葉が喉の奥まで出かかったが、何とかこらえた。
「パパがあの時間に帰った理由は分かってるもん。秀樹さんの帰りがあまりにも遅くなるのを防いだだけでしょ? 秀樹さん、何度かちらちら壁の時計見てたし」
確かに、優の言うとおりだ。
世間話をしている間にも、彼はちらちらと不自然に時計のある方を見やっていた。
気遣いの出来る彼の事だ。
これも菜々のため――と、なかなか別れを切り出せなかったのだろう。……悪い事をした。
啓輔は小さく苦笑を浮かべた。
「当たり。……よく分かったな?」
「私だって、いつまでも子供じゃないんだよ? 人間観察くらい、どうって事ないもん!」
そこで優はえっへんと胸を張る。
いつもと変わらないその動作に啓輔はクスッと微笑んだ。
途端、優が頬を膨らませる。
「な、何よ! また馬鹿にしてるの?」
「してないって。――いや、やっぱり変わってないな、って思っただけだよ」
「やっぱり馬鹿にしてる!」
少しは成長したかと思ったが、やっぱりまだまだ子供だな――なんて親心は、優には伝わらなかったようだ。
啓輔が車を発進させても、優の頬はまだ膨らんだままだった。