第一話
都内某所。古びたオフィスビルが立ち並ぶ一角に、彼は居る。
それは、一見普通の個人経営会社。精々数名の社員が働く、小さな会社だ。
ゆえに、此処を訪れる誰もが、最初に疑問を抱くという。
ここは本当に、数々の難事件を解き明かしたという、沢内探偵のいる事務所なのか――? と。
狭い事務所のドアを潜ると、いつものように、強い煙草の匂いが鼻をつく。
長年過ごしていても、どうしても慣れないその空気に、優は顔をしかめた。
出入り口に繋がる応接室におり、悪臭の原因となっているのは、二十代中頃の青年。
室内の割合を大きく占める、ゆったりとした長椅子に腰かけながら、紫煙をくゆらせている。
「もうっ……。パパ、また煙草? 事務所が臭くなっちゃうよ?」
「ん、ああ、優か。おかえり」
「おかえり、じゃないでしょ!」
青年――此処の事務所の主である沢内啓輔は、愛娘の姿を認めると、まだ長いままであった煙草を、無造作に灰皿に押し付ける。
そうしてにこりと微笑むが、優に冷やかな視線を返されるだけであった。
「冷たいなあ……ほら、早く手洗ってこい。今日のおやつはシュークリームだぞ」
「本当!? パパグッジョブ! ナイス!」
おやつの事を示唆されると、途端に優の顔がぱあっと明るくなる。
しかもシュークリームは少女の大好物なのだ。
優は慌てて手を洗いに、ぱたぱたと奥の部屋へと向かう。
そんな少女を目に追いながら、啓輔はやれやれと肩を竦めるのだった。
啓輔のたった一人の愛娘である少女、優は、今年小学校にあがったばかりの一年生だ。
そのくせ、探偵の娘であるという事に誇りを持っているのか、父親の真似事をして、推理小説やら、六法全書なんかを読み漁っている。
テレビを付ければ、ニュースチャンネルや、渋い刑事ドラマなんかばかり見ている。
……とまあ、一般的な少女達と比べると、少々変わった趣味を持った六歳児なのであった。
「パパ~! 手、洗ってきたよ!」
ぱたぱたと優が駆け戻ってくる。余程楽しみなのだろう、目がきらきらと輝いている。
こういう所は、まだまだ子供なのだった。
「はいはい。それじゃ、ここで大人しく待ってろよ」
先程との温度差に苦笑しながら、啓輔は長椅子から立ちあがるのだった。
やがて啓輔の持ってきた包みは、銀座でも有名な店舗の物。
普段の食卓には絶対出て来ないような高級品に、優は目を丸くした。
そして、いつもより若干上擦った声で問いかける。
「こ、これって、洋菓子アミラの銀座本店限定高級シュークリームだよね!? どうしたの、パパ? こんな高級品」
「お前、おやつの事になると妙に詳しいな……ほら、輪島さんから貰ったんだよ。お前も覚えてるだろ? この前の事件の依頼人。娘さんと一緒に是非――だってさ」
「輪島さん? ……ああ、あの恰幅の良いお爺さんか。勿論覚えてるよ!」
瞳を伏せながら思案すると、すぐに思い当たったらしい。
すっきりしたような顔をしている。
「あの人、資産家だろ? お前がシュークリーム好きだって教えたら、贈ってくれたみたいだぞ」
「な、成程……」
かつて彼の依頼人であった輪島という男の邸宅は、確かに豪勢だった。
庶民である二人には高級品でも、彼にとっては、安い買い物なのだろう。
と、このように、小さい事務所に住まいながらも、輪島のような金持ちの客は数多い。
それほど、この事務所の評判は良かった。
客にとっては、少しくらい依頼料が高かろうと、名探偵の力添えがあったほうが良いに決まっている。
それらは全て、若くして聡明な啓輔の努力の賜物だった。
実際、初めて彼を見た時の依頼人の反応は大きい。
こんな若造に本当に解けるのか? などという言葉を投げかける者も多いのだ。
「……優? 何ぼけっとしてるんだ? 早く食わないと、俺が食っちまうぞ」
「え? あ、ああ……うん」
父の訝しげな視線を受け、優は目の前のシュークリームに小さく噛みついた。
途端、口中にクリームの甘味が広がる。サクッ、という音と共に、口の中でシューが溶けた。
さっぱりしすぎず、しつこくない甘さは、確かにそれが高級だという事を示していた。
甘いものはあまり得意でない啓輔も、薄らと目を細めている。
どうやら、彼のお眼鏡にもかなったらしい。
「結構旨いな。これ」
「そりゃ、スイーツ業界の中では、幻とまで呼ばれるシュークリームだもん! 美味しいに決まってるよ!」
「ふーん。……ま、いつか機会があったら、また食べような」
「うん!」
いつの間にか、辺りには和やかな空気が流れ出す。
そんな時、来客を告げるインターホンが鳴った――。
はじめまして、明智 ひなと申します^^
まだまだ駆け出し中の身で、駄作ばかりですが(汗)
読んでいただけるとうれしいです!