表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の槍のつらぬく道  作者: F1チェイサー
紅い霧と翠の眼
99/175

外伝if:清涼感のある香り

注意


 この話は本編に関係のない外伝です。

 閲覧の際には以下のことにお気を付けください。



 ・ヤンデレ注意



 以上の点が苦手、またはご了承しかねるという方はブラウザバックを推奨いたします。


 では、本文をお楽しみください。


















「はー……お茶が美味しい。なんだかんだで師匠もこういうの上手いのよね」


 永遠亭の縁側に座って、ウサ耳の少女がお茶を飲んでいる。

 彼女の師匠が淹れたお茶は赤みがかった茶色で、とても良い香りを放っていた。

 そのお茶を飲んで、そのウサ耳少女こと鈴仙はホッと一息つく。


「うーん……私もこういうの練習したほうがいいのかな?」


 鈴仙はそう言って考え込む。

 彼女の周りでは師匠である永琳の他に、将志と銀月と言う料理上手な男達が居るのだ。

 彼らに比べると、自分の料理の腕は非常に心許無い。

 鈴仙としては、女としてそれはどうよ? と思わなくもないのであった。


「うどんげ、ちょっとこの薬作ってくれないかしら?」


 そんな鈴仙に、紺と赤の二色に分けられた服の大人びた女性が声を掛けた。彼女の師匠、永琳である。

 永琳は鈴仙に声を掛けながら、手に持っていた紙を手渡した。

 鈴仙はその紙に眼を通すと、首をかしげた。


「あれ、これ新しいレシピですよね? 新薬ですか?」

「ええ、そうよ。この近くでこれの群生地があって、効果を試してみようと思ってね」


 永琳はそう言うと一枚の草の葉を取り出した。

 その丸みを帯びた幅の広い草の色は赤く、鼻を近づけてみると清涼感のある心地良い香りが漂ってきた。


「何なんですか、この葉っぱ? 結構良い匂いがしますけど」

「分からないわ。私も初めて見たもの。でも、香りが良いって事は何か効果がありそうだとは思わない?」

「確かに……薬用成分は何かありそうですね」

「でしょう? だからまずは精神安定効果を期待してこの薬を作ろうと思うのよ」


 永琳は新しい薬の効果を想像して微笑む。

 それを聞いて、鈴仙は首をかしげた。


「あれ? でも、何で私に頼むんですか? 新薬なら、師匠が自分で作った方が確実じゃないですか?」

「ああ、私は今別の薬を作ってるのよ。期限が切れた薬があるんだけど、そっちのほうが調合が難しいのよ。それに原料が新鮮なうちに薬を作ってしまいたいからうどんげにお願いしようと思っているのだけれど、駄目かしら?」

「いいえ、任せてもらえるんなら頑張って作りますよ。それじゃあ、早速取り掛かりますね」


 鈴仙は永琳に新薬の調合を任された事に喜びを感じながら、作業に取り掛かった。

 先程の赤い草の葉をすりつぶし、先に粉末にしておいた他の材料と混ぜ合わせる。


「えっと、これとこれをこの割合で調合して……これで完成で良いのかな?」


 作業を進めていくうちに出来た丸薬を見て、鈴仙は永琳からもらったレシピを確認しながらそう呟いた。

 そして手順に間違いがないことを確認すると、薬包紙に丸薬を包んで永琳のところへ持っていった。


「師匠。出来たんですけど、これで良いですか?」

「どれどれ……うん、これなら大丈夫そうね。ありがとう、今度銀月にうどんげに何かご褒美あげるように頼んでおくわ」


 鈴仙が作った丸薬を見て、永琳は満足そうにそう言って頷いた。

 それを聴いた瞬間、鈴仙の顔が一瞬で真っ赤に染まった。


「な、なんで銀月くんの名前が出てくるんですか!?」

「あら、あんな優良物件そうそうお目にかかれないわよ? 将志が言うには、友達の一人暮らしの女の子のところに甲斐甲斐しく料理を作りに行ってあげてるって話よ?」

「え、うそぉ!? ……って、師匠。その友達の名前、霊夢って言ってませんでしたか?」


 鈴仙は一瞬驚いた後、心当たりがあったのでそれを永琳に告げる。

 すると、永琳は少し考えてから頷いた。


「ああ、確かにそういう名前だったわね。でも、何で分かったのかしら?」

「銀月くんをこき使っている人が居るって言うのを聞いてましたから……銀月くん、過労で倒れたりしなきゃ良いんだけど……」


 銀月の体の心配をする鈴仙。

 そんな鈴仙を見て、永琳は苦笑いを浮かべた。


「流石にそこまで心配することはないと思うわよ? 無理だと思ったら将志が止めに入ると思うし」

「う~ん、それもそうか……」

「でも、うかうかしてると取られちゃうわよ? 銀月くんが放っておけない駄目な子が好きだったりしたら取り戻すのが大変よ?」


 二人は話していると、突如としてノックの音が響いた。

 木製の引き戸が開くと、そこには銀髪の青年が立っていた。


「……主。食事の仕度が出来たぞ。仕事は終わっているか?」

「ええ、今ちょうど終わったところよ。それじゃあ、お昼にしましょう」


 将志の言葉に頷くと、二人は片づけをして昼食を取りに行った。

 将志が用意した昼食は本日も細かいところまで工夫がされた、とても洗練された料理であった。

 全員箸が凄い勢いで進み、あっという間に食事が終わった。


「ご馳走様。今日も美味しかったわよ」

「……お粗末様、だな」


 全員が食事を終えたことを確認すると、将志は食器を下げ始める。

 そんな将志に、永琳が声を掛けた。


「それから将志、少し水を持って来てくれるかしら?」

「……了解した」


 将志は台所に向かうと、茶碗に水瓶から水を汲んだ。


「……持ってきたぞ」

「ありがとう」


 永琳はそれを受け取ると、ポケットから薬包紙を取り出した。

 薬包紙の中には、先程鈴仙が作った丸薬が入っていた。

 将志はそれを見ると、永琳に詰め寄った。


「……待て、その薬包紙は何だ?」

「ああこれ? さっき作った新しい薬草を使った新薬よ。これからこれを飲んで臨床試験をしようと……」


 永琳がそこまで行った瞬間、将志はその手から薬包紙を取り上げて中の丸薬を口に含んだ。

 そして、茶碗の中の水で胃の中に流し込んでしまった。


「あっ……」


 突然の将志の行動に、永琳は唖然とする。

 そんな彼女に、将志は平然と声を掛けた。


「……それならば、何も主がすることはない。まずは俺が使って効果を見てやる。だから主はもう少し身体を大事にしてくれ」

「……私はもう不老不死だし、死ぬことは無いのだけれど……」

「……だからこそだ。もしこの薬のせいで主が永遠に障害が付きまとうことになったらどうする? ……俺は主のそんな姿は見たくない」


 将志は永琳の眼を見つめてそう言った。

 その言葉を聞いて、永琳は嬉しい気持ちと心配な気持ちが入り混じった複雑な表情を浮かべた。


「……その言葉、そっくりそのままあなたに返すわ。気持ちは嬉しいけど、もうこんな無茶はしないで」


 永琳はそう言いながら将志を優しく抱きしめた。


「……ああ、分かった」


 それに対して、将志も柔らかく抱きしめて返す。

 その様子は、まるで愛し合う恋人のようであった。


「……抱き合っちゃってまあ……」

「……ちょっとは人目をはばかってほしいものね……」

「あはは……確かにね」


 そんな二人を見て、輝夜にてゐ、そして鈴仙が口々にそう話す。

 毎度毎度繰り広げられる二人の世界に、全員辟易しているようである。

 そんな中、黒髪の青年がトレーを持ってやってきた。


「本当に父さんと永琳さん仲が良いなぁ……はい。コーヒー入ったよ」


 銀月はそう言って笑いながら、コーヒーが入ったカップを載せたトレーを机に置く。


「もらうわよ」

「いただくわ」

「いただきます」


 すると、三人はそのコーヒーカップに口を付け、一気に傾けた。

 コーヒーが一気に口の中に流れ込み、独特の苦味が広がっていく。


「はー……」

「ふー……」

「ほー……」


 それを飲み干して喉を潤すと、三人はスッキリした顔で揃って一息つく。

 その表情は、まるで大きな仕事を一つやり遂げたときの様な清々しい表情であった。


「……そろそろコーヒー仕入れに行かなきゃか……みんな飲みすぎだよ……」


 その様子を見て、銀月は乾いた笑みを浮かべるのだった。

 その一方で、永琳は抱き合ったまま将志と話を続ける。


「それで、薬の効き目はどう?」

「……そうだな……今はまだ飲んですぐだから分からないが……どこと無く気分がスッキリしているな。主、あの薬はそういう薬なのか?」

「ええ、その通りよ。それにしても、ものすごい即効性ね。まだ服用してから十分も経っていないのに……」

「……胃の中から清涼感のある香りが漂って来ているからな。この香りによるものが大きいのだろう」

「そう……これからしばらくあなたの経過観察をするけど、構わないかしら?」

「……ああ、問題は無い。既に最低限の鍛錬は終えているし、仕事は愛梨達に取り上げられてしまった。たまには静かに過ごすのもいいだろう」

「それなら、のんびりお茶でもしながら話をしましょう?」

「……ああ、いいとも」


 二人はそう言い合うとお茶を用意し、縁側に座って話を始めた。

 話は弾み、天高く上っていた太陽が沈んで夜の帳が降りるまで続いていた。

 それを見て、将志は立ち上がった。


「……さて、そろそろ夕食の準備を……っ!?」


 その瞬間、将志はその場に胸を押さえて倒れこんだ。


「将志?」


 突然のことに呆然とする永琳。


「っは……っ……」


 将志は苦しそうに呼吸をし、自分の肩を抱くようにして丸くなっていた。

 その異変に気がついて、銀月が奥からすっ飛んできた。


「父さん!? どうしたのさ!?」

「うどんげ!! 何か適当な紙袋を持ってきなさい!! 早く!!」

「は、はい!!」


 銀月が様子を見ている間に、永琳は将志の過呼吸の症状を見るや否や鈴仙に向かって檄を飛ばす。

 すると鈴仙は大急ぎで紙袋を持って来て永琳に手渡した。


「将志、この中でゆっくりと息をしなさい。紙袋が膨らんだりしぼんだりする様にね」

「くっ……あ……」


 将志は永琳の言うとおりにしようとするが、上手く行かない。

 それどころか将志の体は震え始め、全身から大量の汗が噴出し始めていた。


「永琳、治まってないわよ!?」


 そんな将志の様子に、輝夜が慌てた声を上げる。

 その横で、永琳は冷静に将志の症状から病気を割り出そうとしていた。


「……過呼吸、身体の振るえ、そしてこの大量の発汗……将志、動悸や胸部の不快感、不安感みたいなものは感じる?」

「……っ」


 永琳の問いに、将志はかろうじて頷く。

 呼吸は浅く早く、見るからに息苦しそうである。

 永琳は将志の答えを聞いて考えた。


「症状があるのね……これはパニック障害の疑いがあるわね」

「パニック障害? 何、それ?」

「何らかの要因で脳の働きがおかしくなって、強烈な不安感や今将志が感じている症状を起こす病気よ。発作が始まるとこういう風に立っていられなくなるほど強い症状が出るわ」


 永琳は輝夜に将志の症状から想定される病名を挙げ、その説明をしていく。

 そんな永琳に、苦しむ親を見て錯乱気味の銀月が叫ぶ。


「それで、俺達はどうすればいいんですか!?」

「落ち着きなさい、銀月。もしこれがパニック障害の発作だったとすれば十分ほどで治まるはずよ。それとこれは精神に深く関わる病気だから、不安感を取り除いてあげるのが一番大事よ。だから……」

「……っ」


 永琳は将志を安心させるように、その頭を胸に抱いた。

 すると将志は自分を襲っている強い不安感を表すように永琳に抱きついた。


「大丈夫よ。傍に居るから安心しなさい。あなたが気が済むまでこうしてあげるわ」

「……っ……」


 永琳は将志の頭を撫で、とにかく安心させるように心がけた。

 将志はそれを受けながら、永琳に抱き付いて震え続ける。

 しばらく続けていると、永琳の顔が曇ってきた。


「……おかしいわ、治る気配が無い……」

「もう、あれから二十分以上経っているのに……」


 銀月はそう言いながら時計を見る。

 将志が症状を訴えてからもう既にかなりの時間が経過しており、永琳が提示した十分を遥かに越えていた。

 それを受けて、鈴仙が自分の考えを永琳に話した。


「師匠、これはもうあの薬が原因だったと見るしか……」

「確かに原因はそれだろうけど、今探しているのは解決策よ。症状は明らかに精神疾患だから……将志、今からあなたを助けるための薬を作るわ。それまで待っててくれるかしら?」

「……くっ……」


 永琳の言葉に、将志は苦しそうに頷いて手を離す。

 永琳は立ち上がると、鈴仙に声を掛けた。


「うどんげ、銀月と一緒に将志の様子を見ていてちょうだい。私は薬を作ってくるわ」

「分かりました!!」


 そう言うと永琳は走って薬の調合に向かった。

 将志は薬が出来るまでの間、自分の肩を抱いて震えていた。

 流れ出る汗は小豆色の胴衣を濡らし、まるで水を被ったかのような状態になった。

 そんな中、永琳が駆け足で戻ってきた。


「将志の様子はどう!?」

「永琳さん、父さんの様子は一向に良くなってません。むしろ悪化しているような……」

「……っ……っ……」


 銀月は永琳に現状を報告する。

 見てみれば、将志の身体の震えは大きくなっており、息をするのもやっとと言う状態に陥っているようであった。


「分かったわ。将志、この薬を飲みなさい」

「……っ……」


 永琳が薬を差し出すと、将志はそれを分捕るように掴んで口の中に押し込んだ。

 薬を飲んでしばらくすると、将志の症状はまるで嘘だったかのように消え去っていた。


「……落ち着いた?」

「……ああ……だが主、この薬は……」


 その薬を飲んで、将志は既視感を覚えた。

 何故なら、今感じているのは胃から上ってくる清涼感のある香りだったからである。

 将志の呟きに、永琳は頷いた。


「……ええ、さっきの薬に手を加えたものよ」

「師匠!? それ、どういうことですか!? それじゃあまたさっきみたいなことが起きても……」


 驚きの表情を浮かべて、鈴仙は永琳に詰め寄った。

 将志の症状の一番の原因であろうあの薬を再び投与したのだから当然の反応であろう。

 永琳はそんな鈴仙に説明を始めた。


「うどんげ、さっき私はパニック障害の疑いがあるって言ったわよね?」

「え、あ、はい……確かにそう言いましたけど……」

「実はこれとよく似た症状を引き起こす病気があるのよ。何だと思う?」

「えっと……分かりません……」


 鈴仙は永琳の問いに言いづらそうにそう答えた。

 それを聞いて、永琳は苦笑いを浮かべた。


「まあ、そうでしょうね。一般的にはその病気はここまでの重篤な症状は見られないもの。答えはさっきの将志の行動を思い出せばすぐに分かるはずよ」


 鈴仙は先程までの将志の様子を思い浮かべた。

 そしてしばらく考えて、鈴仙はとある病名に思い至った。


「……まさか、依存症ですか?」


 鈴仙が思い至ったのは、将志が永琳の手から薬を奪い取るような形で取った行動。

 この行動は、依存物質を求める患者の衝動性として見られることがあるのだ。

 そこから、アルコールやニコチンなどで多く見られる依存症を疑ったのであった。


「ええ。将志のさっきの症状は、恐らくあの薬の成分が切れたことによる禁断症状。あの薬には、たぶん脳内の機能の一つを麻痺させる効果があるのだと思うわ」

「その脳内の機能って何ですか?」

「詳しく説明すると長くなるから噛み砕いて話すけど、人間には不安感を感じるための物質であるノルアドレナリンと、精神安定物質であるセロトニンと呼ばれる脳内物質があるのよ。あの薬はこのうちのセロトニンの分泌に関わる部分に作用しているんだと思うわ。それが原因で、パニック障害の様な症状を引き起こした」

「でも師匠、それなら何であの薬を投与したら症状が治まったんですか? それだと少し説明が付かないと思うんですけど……」

「恐らく、セロトニンを合成するために必要な成分としてあの薬の成分が必須になってしまったのだと思うわ。その結果があの重篤な禁断症状。状態としては、インスリンの外部摂取が必須となってしまう糖尿病の様なものね」

「『あらゆるものを貫く程度の能力』で何とかならないんですか?」

「……それは、出来ないわけじゃないと思うわ。確かに、将志の能力で自己暗示を掛ければ症状は抑えられるとは思う。でも、それをやると将志はずっと能力を使い続けなきゃいけなくなる。休むことすら儘ならず、永遠に、燃え尽きるまで能力を発動させなければならない。こんなの、たぶん死ぬよりつらいと思うわよ?」


 永琳は鈴仙に推察されることを話した。

 その口から放たれる言葉は、将志の身体に起こっていることの重大さをまざまざと見せ付けるものであった。

 それを聞いて、銀月が重々しく口を開く。


「それじゃあ……」

「……ええ。将志はもう、この薬なしでは生きられない。死ぬことは無いかもしれないけど、日常生活を行うためにはこの薬を飲み続けなくてはならないわ」


 その言葉を聞いて、将志は呆然とした表情を浮かべた。

 考えることがありすぎて、何から考えれば良いのか分からなくなってしまったのだ。


「……主……」

「安心しなさい。幸いにして、私はこの薬の材料の群生地を見つけているわ。だから薬の心配は要らないわよ。それに、私がしっかりあなたを支えてあげるから大丈夫よ」


 呆けた状態の将志を、永琳は少し強めに抱きしめた。

 将志は力なく、それをただただ受け入れる。


「……すまない……」

「……謝るのはこっちのほうよ……私の薬のせいで、あなたに重篤な障害をきたしてしまったのだから……」


 謝る将志に、永琳はそう言って返す。

 その声は震えており、まるで泣きそうなのをこらえているようであった。

 その声を聞いて、将志は我に返って永琳を抱き返した。


「……主、今の食生活が成立するために、何人の人間が毒等で犠牲になったと思っている? 医学もそうだ。医学の発展の影には、数々の失敗があったことだろう。物事の発展には、必ずといって良いほど痛みを生じる。今回の俺は運が無かっただけだ。主に落ち度は全く無いと断言してやる」

「……でも……」

「……間違えたのならば、繰り返さなければ良い。第一、薬を飲んだのは俺自身の意思だ。だから、そう自分を責めないでくれ」

「……ごめんなさい……」

「……気にするなというのは無理な話かもしれないが……少なくとも、俺はこうなったのが主ではなくてホッとしている。俺はあの行動を後悔などしていない」


 将志は優しく声を掛けながら、宥めるように永琳の背中をさする。

 その言葉には迷いがなく、後悔の念は微塵も感じられなかった。


「っ……ばか……ばかぁ……」


 そんな将志の声を聞いて、永琳はそっと涙をこぼした。


 それからしばらくの間、永琳は実験室にこもって将志に飲ませる薬の研究を始めた。

 その間、鈴仙は永琳の言いつけで将志の病状の経過観察を行い記録していく。

 それには銀月も付き合い、身体を動かして以上がないかどうかを調べていた。

 そこに、永琳が暗い表情で現れた。


「将志……悪い知らせがあるわ……」

「……主?」

「さっきマウスを使って実験をしていたのだけれど……あの薬は、作ってから五分以上経過すると効力を失うわ」


 永琳は自分の作った薬の効力について説明した。

 すると、将志は小さくため息をついた。


「……つまり……俺はこの永遠亭から出られなくなった、そういうことだな?」

「……ええ。薬の効力は精々六時間程度……仕事はギリギリ出来るけれど、住居はどうしてもこちらに移さなければならないわ」


 将志の言葉に、永琳はそう言って頷いた。

 それを聞いて、将志は空を見上げた。空は一面の星空で、その中心に金色の月が浮かんでいる。

 将志は眼を瞑ると、大きく息を吐いた。


「……いや……十全の状況でなければ、万が一ということもある……俺ももう、潮時なのだろうな」

「将志?」

「……俺はもう引退することにしよう。この身体では、銀の霊峰の首領を務めることなど出来ん」


 将志は永琳に対してそう宣言した。

 その表情は、どこか憑き物が落ちたように穏やかな表情であった。


「父さん……」


 そんな将志に、銀月が少し寂しげな表情を見せる。

 将志はそれを見て、銀月の頭を撫でた。


「……しょぼくれた顔をするんじゃない、銀月。俺としては、主の従者に専念できるのだから本望さ。まあ、銀の霊峰の連中には悪いがな」


 将志はそう言って笑う。

 その表情には、銀の霊峰の首領と言う立場に対する未練は欠片も感じられなかった。

 そんな将志を見て、銀月はぎこちなく微笑んだ。


「……そっか。それじゃあ、父さんの事は俺がみんなに伝えておくよ」

「……ああ。任せたぞ、銀月」


 将志がそう言うと、銀月は将志に背を向けて飛んでいった。

 その成長してきたはずの背中は、まるで銀の霊峰にやってきた当初の時のように小さく見えた。


 こうして、槍ヶ岳 将志は幻想郷の表舞台から姿を消したのだった。




 将志が永遠亭に住居を移してから一月が経ったころ、鈴仙は永琳に薬の調合を頼まれて仕事部屋に居た。

 台所では将志が昼食の準備を始めており、鈴仙は早く終わらせるために準備を急ぐ。


「えっと、頭痛薬の作り方は……あっ!?」


 調合のレシピが書かれた本を探していると、鈴仙は机に重ねてあった本に服を引っ掛けてしまった。

 本は床の上に落ちて散乱した。


「いけないいけない、早く片付けないと……?」


 鈴仙は落ちた本を片付けようとした。しかし、ふと落ちた一冊の古びた表紙の本に眼を向けた。

 その本には研究日誌と言う題が付けられていて、その下に研究者である永琳の名前が書かれていた。


「師匠の研究日誌か……何か参考になるかなぁ?」


 鈴仙は気になって、その研究日誌の中を覗いてみた。

 中には様々な薬の調合法の実験結果が示されており、それに対する考察が書かれていた。

 その中の一ページに、鈴仙は眼を止めた。


「……これは……あの薬の調合方?」


 そこに書かれていたのは、将志が引退することになった原因となった薬の調合方であった。

 そこには原料となったあの赤い草の葉の絵や、その薬を服用した結果が記されていた。

 服用した結果は、将志の身に現れた症状と完全に一致していた。


「え……えっ……!?」


 そして、そのページの上部を見て鈴仙は混乱することになった。

 何故なら……


「これ……日付が五十年前……」


 鈴仙は背中に冷たいものを感じながらページをめくる。

 すると更に様々なデータが書き記してあり、様々な検証が行われたことが分かった。

 それも、明らかに人体実験を行ったと見られるような記述まであったのだ。

 あまりの事態に、鈴仙は凍りついた。


「まさか……師匠は全てを知ってて将志さんに薬を……」

「あら、随分と懐かしいものを見てるわね、うどんげ?」

「……ひっ!?」


 後ろから掛けられた声に、鈴仙は振り向いた。

 すると、そこには笑みを湛えた永琳の姿があった。


「うふふ……見られたのなら仕方がないわ。うどんげ、私についてきなさい」


 永琳はそう言うと鈴仙に外に出るように促した。

 その彼女からえもいわれぬ冷たさを感じて、鈴仙は思わず後ろに後ずさる。


「わ、私に何をする気ですか?」

「いいえ、何もしないわ。全てを教えてあげようと思っているだけよ。良いからこっちにいらっしゃいな」


 永琳は何もせず、ただ笑顔で鈴仙に声を掛ける。

 その笑顔からは、彼女が何を考えているのかは把握できなかった。


「……分かりました」


 鈴仙は、意を決して頷いた。




 永琳について行くと、見覚えのない場所に出てきた。

 竹林の中にある、不自然に開けた空間。それは明らかに人の手が入ったものであった。

 その片隅に、竹で作られた小屋が数件建てられていた。


「ここは……?」

「私の秘密の研究室よ。ここは将志も知らないわ」


 永琳は更に奥へと進んでいく。

 すると、そこには一面にあの赤い草が生えていた。

 よく見てみると草の生え方は一定になっており、人工的に栽培されたものであることが見て取れる。


「……この草は……」

「ええ。あの薬草よ。あれはここから持ってきたものよ。結構生命力が強くて、雪が降ろうが何しようが枯れなかったわよ」


 永琳はそこで立ち止まると、くるりと振り返って鈴仙を見た。

 その行動に思わず身構える鈴仙を見て、永琳は愉快そうに笑った。


「やあねえ、うどんげ。何もしないって言ってるじゃないの。ほらほら、訊きたい事があるんじゃないのかしら?」


 永琳は楽しそうに鈴仙にそう言った。その様子は、手品の種明かしをしたくてたまらない手品師の様であった。

 そんな永琳に、鈴仙は深呼吸をして質問を始めた。


「師匠、貴女は全てを知っていて将志さんにあの薬を飲ませたんですか?」

「ええ、そうよ。効果の分からない新薬を自分の身体で臨床試験を行う、何て言ったら将志は必ず私から取り上げると思っていたからね。一芝居打たせてもらったわ。もう、全てが怖いくらい上手く行ってくれたわよ」

「それじゃあ、私に薬を作らせたのは?」

「それは将志の『悪意を感じ取る程度の能力』を回避するためよ。あの能力は厄介よ。たぶんあの薬を私が作っていたら、将志は捨てていたでしょうね……感謝するわ。あなたがしっかり育ってくれたから、あれを実行することが出来たわ」


 永琳は心の底から感謝しているように微笑みながらそう言った。

 それを聞いて、鈴仙は悔しげに俯いた。


「つまり、私は片棒を担がされた訳ですか……」

「そういうことになるわね。第一、おかしいとは思わなかったのかしら? 作った新薬をいきなり自分の身体で試すなんて言う無謀なことをするはずがないでしょう? 注意力散漫よ、うどんげ」


 鈴仙の質問に次々と答えていく永琳。

 その表情は晴れやかな笑顔でで、種明かしが楽しくて仕方がないといった様子であった。

 鈴仙は拳を固く握り締めた。


「……何でこんなこと……将志さん、あんなに師匠の事を慕っていたのに!!」

「黙りなさい! あなたに私の何が分かるって言うの? ずっと、ずっと将志だけが私の心の支えだった!! 私が月に行って離れ離れになっても、私は将志のことをずっと想っていた!! 今だって将志のことをずっと考えているのよ!! 朝も昼も夜も、一年間三百六十五日将志のことを想わない日は一日たりともなかったわ!! でも、その将志とは週に一度逢えるか逢えないか……私が将志を想うことしか出来ない間、将志は仕事で色々な人と触れ合うわ……それは愛梨だったり、藍だったり、とても魅力的な人が沢山……優しい将志のことよ、きっとその人達の事を真面目に考えて、誠心誠意その人に向き合うわ。そして、そんな将志に惹かれてどんどん人や妖怪が集まってくる……将志は私を置いていく様なことはしないって言ってくれたけど、もう耐えられない。私はもう自分ではどうしようもなくなるくらい、将志が欲しかった……」


 永琳は愛しげな視線を宙に漂わせながらそう言いつつ、何かを抱きしめるような動作をした。

 それはあたかもそこに意中の相手が居るかのような動作であった。

 永琳の表情がそれだけでどんどんと幸せに満ち溢れたものに変わっていく。彼女は、自分の記憶に刻み込まれた将志との抱擁の感触を思い出して悦に浸っているのだ。

 その行為には永琳が心の中に飼っていた狂気と言う名の悪魔が姿を見せていた。


「だからって、将志さんの人生を狂わせる様なことをするなんて間違ってます!!」


 その狂態を見て鈴仙は思わず怯むが、何とか持ち直して永琳に訴えかける。

 しかし、永琳から返ってきたのは嘲笑であった。


「……あなたに分かるはずがないわね。想いを伝えても届かない。それでも優しく尽くしてくれる彼。その度に私はじれったくて、もどかしくて、とても苦しかった……だって、その優しさは私以外の誰かにも向けられているのだもの。私は将志を独り占めしてしまいたい。誰にも彼を渡したくない。一日中でも触れ合っていたい。燃えるように愛し合いたい。将志と出来る色んなことをしてみたい。将志と一緒に居られるのなら、悪魔に魂を売り渡してやってもいい……こんなに相手のことしか考えられなくなるような恋、あなたはしたことが無いでしょう、うどんげ? 私はもう何も要らない。私は、私の全てを失っても将志の全てが欲しいのよ……」


 永琳は幻の思い人を抱きしめながら、切ない声でそう訴えた。

 その息は荒く、眼からは理性の光が完全に抜け落ちている。彼女から感じ取れるのは、理性を焼き尽くし精神を狂わせるほどに激しく燃え上がる、将志への灼熱の恋心だけであった。

 そんな永琳に、鈴仙は力なく肩を落とす。


「……狂ってる……師匠、あなたは……っ!?」


 永琳に語りかけようとした刹那、鈴仙は身体に違和感を覚えた。

 心臓を握りつぶされるような圧迫感。まるで空気が無くなったかのような息苦しさ。そして迫り来る強烈な孤独感。

 倒れこむ鈴仙を見て、永琳は微笑んだ。


「ねえ、うどんげ。あなた少しも疑問に思わなかったのかしら? 私が何故、あんな自分が不利になりそうな証拠を、すぐにでも見られてしまいそうな場所に置いていたのか。ねえ、分かるかしら?」

「……く……あぁ……」


 鈴仙は自身を襲っている異変に喘ぎながら、精一杯何故こうなったのかを考える。

 ……目の前の彼女はいったいいつ私に薬を飲ませたのか……

 そして彼女が淹れてくれていたお茶の色が、ちょうど目の前に生えている赤い草から抽出したら出そうな色であったことに気付く。


「あのノートに書かれたことの意味が分かるのは私とあなただけ。つまり、あなたにさえ見つからなければ問題は無いってことよね? けど、私はそんなに隠し事が得意ってわけじゃないのよ。それよりは、いっそ打ち明けて協力者にしてしまったほうがボロも出ないし、確実だとは思わないかしら?」


 永琳は顔に笑みを貼り付けたまま、悶え苦しむ鈴仙の頬を撫でる。

 依然として永琳の眼は狂気に染まっており、その視線はどこか上の空であった。


「……ぁ……ぎぃ……」


 鈴仙は今自分が感じている苦痛から逃れるために、永琳が育てていた赤い薬草を齧り始めた。

 しかし清涼感のある香りが口腔内に広がるばかりで、症状は一向に改善されない。

 そうやって足掻く鈴仙を見て、永琳は微笑ましいものを見るような表情を浮かべた。


「ふふふ、無駄よ。その草を食べたところで、あなたの症状は治まらないわ。あなたに飲ませた薬は少し特殊なもので、症状を抑えるにはあなたには教えていない調合法で作った薬が必要よ。ねえ、うどんげ。私の言うことを聞いてくれるだけで全て丸く収まるのよ? 協力、してくれるわよね?」

「……っ……ぃ……」


 永琳の言葉を鈴仙はのた打ち回りながら聞く。

 激しい禁断症状による苦しさと、永琳の行為を否定したい気持ち。

 その思いが鈴仙の心の中で激しくせめぎ合う。

 その葛藤のあまりの苦しさに死を考えたとき、永琳はくすくすと笑った。


「言っておくけど、その症状じゃ死ねないわよ? たぶん、死ぬより悲惨な状態がずっと続くんじゃないかしら? ねえ、楽になりましょう、うどんげ? もう誰にばらしても元には戻れないのよ? なら、みんなが平和に過ごせたほうがいいでしょう?」

「……、……」


 そして鈴仙は、決断をした。





「……主、今までどこに行っていたのだ?」


 永遠亭では、姿の見えなくなっていた己が主を探す将志の姿があった。

 将志の問いに、永琳は素直に答えることにした。


「薬の材料の群生地を見てきたのよ。万が一、そこが枯れるような事態になったら困るから、しっかり研究しておかないとね」

「……そうか。世話を掛けるな」


 永琳の回答に、将志は申し訳なさそうにそう言った。

 そんな将志の腕に、永琳は自分の腕を絡めた。


「良いのよ。あなたの為だもの、これぐらいのことなら軽いわ」

「……そう言ってもらえると助かる」


 なんて事のない様にそう言う永琳に、ホッとした表情を浮かべる将志。

 愛する想い人に触れて、笑いあう日常。

 それを認識した永琳の顔から笑顔がこぼれる。


「……ふふっ……」

「……? いきなり笑ってどうかしたのか?」

「いいえ……不謹慎な様だけど、ずっとあなたと一緒に居られるのが嬉しくて……」


 永琳は幸せそうな表情で将志にそう語りかける。

 それを聞いて、将志も嬉しそうに笑った。


「……ははっ、それじゃあそのうち飽きられないように努力しなければな」

「もう、そんなことしなくて良いわよ。私があなたに飽きることなんて絶対にないのだから」

「……それはどうも」


 まるで夫婦の様に身を寄せ合う二人。

 その周りには、近寄りがたいほどの幸せそうな空気が漂っていた。

 それを見て、輝夜とてゐが盛大にため息をつく。


「あ~あ、また始まったわ……これからも毎日これを見るのかと思うと……」

「やってらんないわね……そう思わない、鈴仙?」

「え、あ、はい……」


 鈴仙はてゐに話題を振られるが、そう言ったきり俯いてしまう。

 その顔は青白く、つらそうな表情を浮かべている。

 そんな鈴仙に、輝夜は首をかしげた。


「……やけに顔色悪いじゃない。イナバ、どうかしたの?」

「え、あ、あはは……ちょっと風邪引いたかも知れないかな……」


 鈴仙はそう言ってその場を取り繕う。

 すると、てゐが鈴仙にジト眼を向けた。


「ちょっと、気をつけなさいよ。兎達にうつって大流行でもしたら大変よ? 今日はもうさっさと休みなさい」

「……うん、そうするよ……」


 鈴仙はそう言うと、重い足取りで部屋へと戻っていった。


 結論から言うと、彼女は永琳に屈してしまったのだ。

 本来臆病な性格である彼女は、永琳に逆らうと一生あの症状に苦しむという恐怖に耐え切れなかったのだ。

 この先鈴仙がどのような気持ちで生きていくかは、我々には計り知れないであろう。


「将志」

「……ん? どうした、主?」












「これからはずっと一緒よ。もう何があっても離さないわ」



 と言うわけで、ヤンデレのえーりんのお話でした。

 えーりんの場合、相手に気付かれないように、今までの関係を壊さないように綿密に計画を練ってそうなイメージ。

 狙われた相手は気が付かないうちにえーりんの手の中に落ち、気が付いた時には取り返しの付かないことになっている。

 ……とまあ、そんな感じで今回のお話が出来ましたとさ。

 今回のは、ヤンデレとしてはライトな部類に入るとは思います。たぶん。



 それから、脳内物質が云々って言うのは調べたけど仮説の段階だし、間違っているかもしれないので、あまり鵜呑みにしないでくださいな。


 では、また次回お会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ