銀の月、キレる
銀月が銀の霊峰に来てから数年が立ったある日、来客を示す鐘の音が銀の霊峰の社に響き渡る。
突然の来客に将志が対応すると、そこに現れたのはグレーのスーツ姿の初老の男だった。
「久しいな、将志」
「……良く来たな、アルバート。今日はどうしたのだ?」
「今日は紹介したい者がいるのでな」
「……紹介したい者だと?」
「ああ。ギル、こっちに来い」
アルバートが声を掛けると、後ろから子供が現れた。
子供の髪は金色で眼は青く、ジーンズと黒いジャケットを着ていた。
「……その子供は?」
「私とジニの息子だ」
「ギルバート・ヴォルフガングって言うんだ、宜しく」
ギルバートと名乗ったアルバートの息子はそう言って軽く礼をする。
将志はそれに対して会釈をして返す。
「……銀の霊峰首領、槍ヶ岳 将志だ……アルバート、息子なんて居たのか?」
「ああ。今年で八歳になる。少々口は悪いが、こちらからも宜しく頼む」
「……親父、人間の匂いがするぜ? ここには妖怪しか居なかったんじゃないのかよ?」
二人が話していると、ギルバートが不愉快そうに表情を歪めながらそう言った。
それを聞いて、アルバートも漂っている匂いを嗅いだ。
「……確かにそうだ。将志、ここに人間が居るのか?」
アルバートはそう言って将志に視線を向ける。
それを聞いて、将志はため息混じりに答えを返した。
「……確かに居る。少し訳ありでな、ここに住まわせているのだ」
「どんな人間だ?」
「……いささか純粋すぎる子供だ。齢にしてお前の息子と同じくらいだろうか?」
将志がそう言うと、奥から誰かが走ってくる軽快な音が聞こえた。
「お父さん、愛梨お姉ちゃんが呼んで……あ、お客さん……」
現れた黒髪の少年は、将志が客に応対しているのを見て気まずそうに口ごもった。
アルバートは、その白い胴衣と袴を身に着けた少年に眼を向ける。
「その子供が訳ありの人間か?」
「……ああ。名を銀月と言う。便宜上は俺の養子という扱いになっているようだがな」
「えっと、銀月と言います。宜しくお願いします」
銀月はそう言うと、アルバートに深々と頭を下げた。
アルバートは銀月を見て、怪訝な表情を浮かべた。
「流石に妖怪の子が人間と言うのは無理がある……と言いたい所だが、ここまで纏う空気が似通っているとはな」
「……ああ。紫曰く、魂のレベルで似通っているらしいからな」
将志がそう言うと、アルバートは興味深いと言った視線を銀月に送った。
それを受けて、銀月は無言でその場に固まる。
「人間でありながら神と近しい魂を持つ子供か。将来どのような人物になるのだろうな?」
「ふん、所詮は人間だろ? だったら碌な奴にはならないさ」
アルバートの疑問に、ギルバートが吐き捨てるようにそう言った。
その発言に、アルバートは大きくため息を吐いた。
「ギル、前にも言っただろう。全ての人間が愚かな者ではないのだと」
「だとしても信用できないな。こいつが親父達を追いやった連中と違うなんていう証明は無いだろ」
アルバートの説得にも、ギルバートはそう言い返した。
視線は銀月を見ようともせず、まさに取り付く島もないといったところである。
「あの……僕、何かしちゃった?」
「話しかけてくるなよ、人間。俺は人間と話す気なんて無いんだからな」
銀月が話しかけると、ギルバートは目を背けながらそう返した。
その言葉に、銀月はこてんと首をかしげた。
「……君は人間じゃないの?」
「あ? 人狼とお前達人間を一緒にするな、殺すぞ」
銀月の言葉に、ギルバートは射殺さんばかりの眼で睨みつけた。
その言葉を聞いて、笑うものが約一名。
「……はははっ、銀月をそう簡単に殺せるものならやってみろ」
「……なに?」
「え、お父さん?」
将志の発言に、ギルバートと銀月の眼がそちらに移る。
すると将志は笑みを崩さぬままそれに答えた。
「……伊達に俺達と一緒に修行を積んでいるわけではあるまい、銀月? 同世代の相手と戦ういい機会だ、試しに戦ってみるが良い」
「……うん。分かったよ、お父さん」
将志の発言に銀月は頷き、気合を入れるように自分の頬を叩いた。
その一方では、人狼の親子が話をしていた。
「さて、向こうは乗り気のようだが……お前はどうする、ギル?」
「ああ、やってやるよ。人間なんて叩き潰してやる」
ギルバートはそれだけ言うと、銀月の前に立った。
「……お願いします」
銀月はギルバートに一礼して、その前に立つ。
手には何も握られておらず、武器を持っているそぶりも無い。
「……銀月、槍は出さないのか?」
「ちょっと試したいことがあって……」
将志が疑問を呈すると、銀月はそう言って答えた。
「……そうか。まあ、好きにするといい」
それを聞いて、将志は一つ頷いてその場を離れた。
「ギルも、その姿で良いのか?」
「ああ。ちょうど良いハンデだろ?」
ギルバートは人間の姿のまま、アルバートにそう言い放つ。
その表情には自信が溢れていて、負けるわけが無いという思いが溢れていた。
「……ギル。相手を侮るな。うかうかしていると足元を掬われるぞ」
「はっ、人狼が人間に負けるわけ無いだろ」
ため息混じりに忠告するアルバートに、ギルバートは手をひらひらと振りながらそう返して、開始線に立った。
それを確認すると、将志が号令を掛けるべく試合場に立つ。
「……では、始め!」
「……行くよっ!!」
開始と同時に、銀月はギルバートの懐に風切り音と共に飛び込んで蹴りを放つ。
霊力で身体能力を強化し、勢いを殺さずに素早く放たれた攻撃は見事と言わざるを得ない。
「なあっ!?」
ギルバートはその想定外の速さに対応できず、攻撃を腹に受けて派手に吹っ飛ぶ。
「……あれっ?」
一方の銀月も、この程度ならば避けられてしまうだろうと思っていたため、唖然とした表情を浮かべていた。
「ちっ……まぐれだ。次は当たらない!」
ギルバートは素早く受身を取って態勢を立て直すと、銀月に向かって走り出した。
「でやあっ!!」
ギルバートは全体重を乗せて銀月に体当たりを掛ける。
こちらも身体能力を強化されているのか、八歳の子供とは思えない速度で相手に突っ込む。
「ふっ……やあっ!」
それに対し、銀月は飛び上がってギルバートの頭を左手で掴み、逆立ち状態になる。
そして向こう側に倒れる勢いを利用して投げ、ギルバートを片腕で地面に叩きつけ、背中に右の拳を突き刺した。
「ぐあっ!!」
背中を痛打され、ギルバートはその場で激しく咳き込む。
銀月は反撃を警戒して素早く後方に下がった。
「えっと……ごめんね。お父さん達よりずっと遅いから……」
銀月は少し言いづらそうにそう言った。
普段相手しているのが将志以下銀の霊峰のトップメンバーの化け物達であるため、銀月の基準はそれになってしまっているようである。
そんな声を掛けられているギルバートに、アルバートが声をかける。
「だから行っただろう、馬鹿者が。今のが銀の武器だったらお前は死んでいるぞ?」
「くそっ……まだだ、まだ負けちゃいない!」
ギルバートは立ち上がると、右手をグッと握り締めた。
すると手首の辺りに魔法陣が現れ、その手を覆うように金色の玉が現れた。
「はあっ!」
ギルバートはその金色の魔弾を銀月に向かって投げ飛ばす。
しかし唸りを上げて迫るそれは、銀月が手を一振りすると真っ二つに裂けて狙いを外れていった。
「よし、上手く行ってるみたい」
銀月の両手にはいつの間にかそれぞれ札が人差し指と中指で挟むようにして持たれていた。
元は薄い半紙であるはずの札は真っ直ぐに伸びており、銀月の霊力によって仄かに銀色の光を帯びていた。
どうやらこの札がギルバートの放った弾丸を切り裂いたようである。
「……認めろ、ギル。相手は人間の姿のまま勝てる相手ではない。あの人間は今のお前では死力を尽くして戦うような相手だ」
「く、くっそ……」
再び声を掛けてくるアルバートに、ギルバートは悔しそうにそう呟く。
「別に人間に狼の姿を見せるのが恥だと言う訳ではないのだろう? 逆に、本気を出さずにいて負けるほうが余程馬鹿馬鹿しいと思うが?」
「畜生……やってやる……ぶっ殺してやる!」
アルバートの話を聞いて、ギルバートはポケットから鮮血の様な紅色の丸薬を取り出してそれを飲んだ。
すると、ギルバートの姿が人間の子供のものから、群青色の狼のものへと変化した。
爪や牙が鋭く伸び、その身体を取り巻くように金色のオーラが溢れ出ている。
「……えっ?」
突然の姿の変化に、銀月はその場で呆然と固まる。
そんな銀月に、将志は声をかける。
「……銀月、これが人狼だ。幾ら人間に近しいとは言っても、中にはこのような魔物を飼っている。先程までの相手と思うな」
「……うん」
銀月は将志の言葉に頷きながら、手にした札を強く握った。
「生きて帰れると思うなよ、人間!」
「まだ……やるって言うんなら!」
二人はそう言うと、激しくぶつかり合った。
人狼と化したギルバートが空気を震わせながら腕を振るえば、銀月は曲芸じみた動きでそれを躱す。
銀月が素早い動きで視界から消えて蹴りを放てば、ギルバートはそれを人狼の耐久力で耐え忍ぶ。
双方共に子供とは思えない、激しい攻防が続いた。
「驚いたな……将志、あの子供は本当に人間か?」
人狼と身体一つで肉弾戦を繰り広げる銀月に、アルバートはそう呟く。
「……間違いなく人間だ。ただ、色々と常軌を逸しているところもあるがな」
「なるほど……人間も鍛えていくとこれほどまでの動きが出来るのだな……」
将志が苦笑混じりにそう答えると、アルバートは感心したように頷いた。
そんなアルバートに、将志は視線をギルバートに向けながら問いかける。
「……そうは言うが、お前の息子も唯の人狼ではあるまい?」
「ああ。ギルは正確には人狼ではない。人狼と魔人の混種で、形式的に魔狼と呼ばれている。素質としては、私よりも上かも知れんな」
「……見たところ、かなり鍛えているように見えるが?」
「そのつもりではいたが……これでは鍛え直さんといかんかもしれんな」
銀月の動きに翻弄されているギルバートを見て、アルバートは苦笑する。
それを聞いて、将志はその肩を叩いてため息を吐きながら首を横に振った。
「……やめておけ。銀月の修行の量は俺から見ても逸脱しているのだ。生半可な気持ちで同じことをやると、あっという間に倒れてしまうぞ?」
その将志の様子を見て、アルバートは唖然とした表情を浮かべた。
「……お前が見てそれなら、余程のことなのだろうな」
「……注意をしてすぐは鍛錬を控えめにするのだが、しばらくするといつの間にか元の量よりも多くなっているのだから始末に終えん。今まで何度修行禁止令を出したことやら……」
目尻を押さえて唸りながら将志はそう言う。
それを聞いて、アルバートはため息を吐いた。
「そこまで来ると、もはや病の類だな。修行以外にしていることはあるのか?」
「……最近は料理や芝居に凝っている様だな。あとは愛梨に曲芸や笛を習っている」
「随分と多芸だな。ギルも色々と習わせては居るが、それ以上だな」
将志はアルバートと試合を見ながら話を続ける。
一方、その話題に上がっている二人は依然として激しい攻防を繰り広げていた。
「……このっ、くたばれ!」
ギルバートが腕を振るえば、黄金の爪がその身体を引き裂かんと銀月に飛んでいく。
「だから、僕が何をしたって言うのさ!」
銀月は飛んでくる斬撃を霊力を通した札で切り払うと、反撃に銀の弾丸を放つ。
ここまで銀月はこの札を防御にしか使っておらず、その攻撃は全て弾丸か蹴りである。
「うるさい! 人間は大人しく俺達に狩られてれば良いんだよ!」
その弾丸を躱し、ギルバートは爪で襲い掛かる。
それは鋭く光り、触れたものを切り裂くような力が感じられる。
「何でさ!」
銀月は手にした札でその攻撃と切り結ぶ。
その感触は、まるで刀同士で切り結んだような感覚であった。
「人間は自分達の勝手な都合で親父達を追い出したんだ! だから俺は人間を許さない!」
「それじゃあ唯の八つ当たりじゃないか! 僕は君のお父さんを追い出したりなんてしていない!」
ギルバートと銀月はそう言い合いながら激しく斬り合う。
切り結ぶのは爪と札、しかし聞こえてくる音は金属音だった。
その甲高い音が、絶え間なく連続でその場に響き渡った。
「だが親父達だって何もしていなかったはずだ! それを人間達は平気で!!」
ギルバートはそう言いながら突き飛ばすように爪を繰り出す。
銀月はそれを受け止めると、勢いを殺すように後ろに跳んだ。
「……そうかい。だから、君はその仕返しに僕を殺すって言うんだね?」
そう言った瞬間、銀月の纏う空気が変わった。
くりくりとした眼は鋭く細められ、ギルバートを睨みつけていた。
「っ!?」
その眼に睨まれた瞬間、ギルバートの全身の毛が一気に逆立ち、寒気が走った。
今まで感じたことの無い感覚に、ギルバートは思わず立ち止まった。
「……ふざけるな。そんな八つ当たりで殺されてたまるか。そんなことで殺されるくらいなら、僕は君を殺す……覚悟は出来てるよね?」
銀月の声がその場に響く。
その声は冷たく、まるで機械の様に感情の無い声であった。
「……ああ。やれるもんなら、やって見やがれ」
そんな銀月に若干の恐怖感を覚えながら、それを微塵も感じさせない声でギルバートはそう答えた。
それを聞いて、銀月は少し俯いた。
「そう……後悔しないでね……っ!」
そう言った瞬間、突然ギルバートの前に離れていたはずの銀月が現れた。
「は、速い!」
「……しっ」
驚くギルバートに向かって、銀月は音も無く二度三度と腕を振りながらすり抜ける。
すると、群青の毛並みの手足に赤い線が引かれ、鮮やかな色彩の液体が流れ出した。
「ぐっ……」
「……痛い? 君はこれと同じ事を僕にしようとしてたんだよ?」
思わず膝を突くギルバートに、銀月は冷たく言い放つ。
指に挟んだ札からは血が滴っており、それがギルバートの身体を切り裂いていたことが分かる。
「この……っ!」
「遅い!」
「がはっ!?」
繰り出される手を銀月は掴み、相手の腹に札を突き刺す。
そして相手の勢いを利用して肩に担ぎ、一本背負いの要領で地面に叩き付けた。
ギルバートの腹には横一文字の深い刺し傷が刻まれ、血が流れ出している。
「殺すって言うからにはもっと痛いことをするつもりだったんだよね? まだまだ終わらないよ」
「舐めるなぁ!」
「遅すぎる!」
「ぐふっ!?」
立ち上がって弾丸を放とうとするギルバートに、銀月はそれよりも早く弾丸を撃ち込んだ。
鳩尾に弾丸を受け、ギルバートは両膝をついてその場に沈む。
「……一方的にやられる気分はどう? 君はこれと同じ事を他の人間にもするつもりだったのかな?」
そんなギルバートを、銀月は感情の籠もらない瞳で見下ろす。
上から降ってくる声に、ギルバートは悔しげな表情で顔を上げる。
「ぐ、ぐぅ……人間なんかに……」
そう言っている間に、人狼の再生能力が発動してギルバートの身体の傷は塞がっていく。
それを見て、銀月は小さくため息を吐いた。
「そうだったね、君は人間よりは強いんだったね。でも覚えておいて。お父さんの言葉だけど、『強者は弱者を守るためにあるべきだ』。君みたいに、八つ当たりに使うなんておかしいんだよ」
「くっ……偉そうに!」
淡々としゃべる銀月に、ギルバートは掴みかかろうとする。
それを見て、銀月はため息をついた。
「……もういいや、寝てろ!」
銀月は掴みかかってくるギルバートの腕を掴み、その勢いを利用して宙に放り投げる。
跳躍してそれを空中で受け止めると、銀月は相手の首に膝を当て、そのまま地面に叩き付けた。
「がっ……」
後頭部を強く打ち首を圧迫されたことで、ギルバートの意識は混濁し、動かなくなった。
「……えっと……生きてるよね?」
そんなギルバートを、一転して心配そうな表情で銀月は見つめる。
「安心しろ、首を飛ばされたり銀の武器で心臓を突かれない限りは死にはせんよ」
そんな銀月にアルバートが声を掛けた。
すると、銀月はアルバートに深々と頭を下げた。
「あ、あの……ごめんなさい……」
「なに、気にすることはない。今日のことはギルにとってもいい薬になっただろう。ギルは少々人間を嫌いすぎる上に見下している節があるからな。出来れば仲良くしてやってくれ」
アルバートは苦笑気味にそう言い放つと、ギルバートのところへ向かった。
それと入れ替わりに、将志が銀月に話しかける。
「……なかなかに強くなったな、銀月。その札は何だ?」
「いつもの槍をしまってるお札に霊力を通しただけだよ。お父さん達に追いつくにはいろんな戦い方が出来ないとダメかなと思って……」
銀月は札についた血を払い落としながら将志にそう言った。
……また修行量増やしたのか。
将志は頭を抱えながらそう思いつつ、銀月と話を続けた。
「……それにしても、お前最後まで槍も俺の力も使わなかったな。何故だ?」
「……お父さんからもらった槍に血を付けたくなかったから。この人、こうなるまで絶対に止まってくれないと思ったから。それに、お父さんの力を使うのは奥の手だもん」
それを聞いて、将志は苦笑いを浮かべた。
「……銀月。俺がやったものを大事にしてくれるのは嬉しいが、それはお前の大切なものを守るためのものだ。ただの喧嘩に使うのはあれだが、このような場や身の危険を感じた時にこそ使って欲しいものだ」
「うん……」
将志が頭を撫でると、銀月は少し嬉しそうに眼を細めた。
それを見て頷くと、将志は倒れている群青の人狼を指差した。
倒れたことにより、その身体に纏っていた黄金のオーラは消えている。
「……さて、勝者の責任として、そこで寝ている魔の人狼を看病してやるがいい」
「うん、分かった」
銀月は一つ頷くと、ギルバートを手当てするために運んでいった。
そんな銀月を、観戦していた二人は見送る。
「……それにしても、銀月がああまで怒るのも珍しいな」
「そうなのか? お前に似て、ああ見えて激情家なのではないのか?」
アルバートの言葉を聞いて、将志は首をかしげる。
「……俺が激情家だと?」
「自分で気付いていないのか? お前、誓いや誇り、絆といった類のものに関しては普段からは想像も出来ないほど感情的になっているのだぞ?」
「……そうか?」
「その通りだと思うわよ?」
将志が問い返すと、どこからとも無く大人びた女性の声が聞こえてくる。
その瞬間、目の前の空間が裂けて金髪の女性が現れた。
白いドレスに紫色の垂をつけたその姿を見て、男二人は深々とため息を吐いた。
「……また突然現れたな、紫。何の用だ?」
「そうねえ……用があるとすれば銀月にかしら?」
紫は口に扇子をあて、意味ありげに笑いながらそう言い放つ。
その胡散臭い言動に、将志は眉をひそめた。
「……銀月に何の用だ?」
「無理をしていないかどうか気になってね。あの子、約束してもどんどん無茶をしそうだし」
それを聴いた瞬間、将志はため息と共に大きくうなずいた。
「……銀月、本当に信用が無いな……同意するが」
「それにしても……怒らせると怖いわね、銀月は。たぶん、一歩間違えていれば人狼に命は無かったかもしれないわね。何しろ、銀月には前科があるし」
紫は銀月が去っていった方向を見つめながらそう言った。
それを聞いて、将志はため息混じりに問いかける。
「……それはあの夜のことを言っているのか?」
「ええ。あの夜以来、銀月があの時みたいに大暴れしたことは無いわ。けど、いつどんな時に銀月がまたあの夜みたいになるか分からない。その時は将志、貴方が止めてあげて」
「……ああ」
紫の言葉に、将志は静かに頷いた。
そんな二人に、訝しげな表情を浮かべてアルバートが声をかける。
「……あの夜、とは何だ?」
「……銀月が訳ありと言われる所以となった夜だ。銀月はかつて、たった一人で妖怪の群れを槍一本で全滅させたのだ」
アルバートの問いに、将志は淡々と答える。
それを聞いて、アルバートは唖然とした表情を浮かべる。
「……信じられんな。あんな子供が、妖怪達と命のやり取りをして生き残ったと言うのか?」
「そういうこと。そんな子を、むやみに人里なんかに預けられないでしょ?」
紫はそう言って、言外に銀月がここに居る理由を述べた。
言わんとすることを理解し、アルバートは頷いた。
「俄かには信じがたいが、この現状こそが事実か。成程、銀月のあの空気と気迫は実際に命のやり取りをしていたから作り出せたものか」
アルバートの言葉に、紫は満足そうに頷く。
「ええ……って、藍? 突然通信を入れてきてどうしたの? 仕事しろ? やあねぇ、銀月の様子を見に行くのもちゃんとした仕事……はぁ? だったら将志が女を口説かないかどうか監視する仕事に移る? わかった、分かったからちょっと待ってちょうだい! ……じゃあ、これで失礼するわね」
そう言うと、紫はそそくさとスキマを開いて帰っていった。
すると、アルバートは将志にジト眼を向けた。
「……お前、そんなにそこら中で女を口説いているのか?」
「……そんなはずは無いのだがな……」
アルバートの問いに、解せぬと言わんばかりに将志は首を横に振るのであった。
「……うっ……」
「眼は覚めたかい?」
金髪青眼の少年が眼を覚ますと、横には黒髪茶眼の少年がついていた。
ギルバートは布団から身体を起こすと、銀月に視線をやった。
「……お前……」
「強く頭を打ったから、少し頭がぼーっとすると思うけど……」
「……俺を殺すんじゃ、なかったのか?」
その言葉に、銀月はキョトンとした表情を浮かべた。
「え、殺すわけ無いよ。僕が君を殺すとしたら、君が本当に僕を殺しそうな時ぐらいだよ」
「つまり、俺がお前を殺せそうだったら……」
「……たぶん、僕は本気で君を殺そうとしたと思う。だって、死にたくないもの。死んだらもう終わりだからね」
銀月は少し暗い表情でギルバートにそう告げた。
それを聞いて、ギルバートは悔しそうに床に拳を叩き付けた。
「……ああくそ、つまり俺は歯牙にも掛けられなかったって事かよ」
「けどね、それでも僕は君を殺さなかったよ。だって、あの場にはお父さんも君のお父さんも居たから」
「は?」
「だって……君のお父さんは、君が殺されそうになってるのを黙ってみてると思う? 逆だってそう。お父さんは、たぶん僕が殺されそうになったら助けてくれたよ」
「ちっ……そういうことかよ……っと」
ギルバートはそう言うと立ち上がった。
まだダメージが抜け切っていないようで、足元は若干ふらついている。
「お前、名前は?」
「え、銀月だけど……って、君大丈夫?」
ふらついているギルバートに、銀月は心配そうに声をかける。
それを聞いて、ギルバートは煩わしそうにため息を吐いた。
「君君ってうるせえな。俺にはギルバートって名前があるんだよ……その名前覚えたぜ。次は負けねえよ、銀月」
「いいよ。次も負けないからね、ギルバート」
憮然とした表情のギルバートに、銀月はそう言って笑い返した。
その後、銀月とギルバートは幾度と無く拳を交え、互いに修練を積むことになるのだが、それはまだ先の話。
余談ではあるが、銀月はギルバートに負けないようにと懲りずに修行を増やし、将志に見つかってこっ酷く叱られることになるのだった。