銀の槍、誇りを諭す
銀色の毛並みの人狼の周りを、無数の銀の線が走る。
「がっ、ああああああ!」
銀の線が走るたびに人狼から赤い飛沫が飛ぶ。
しかしその傷はすぐに塞がっていき、跡形も無くなる。
「……くっ、やはり本物の銀でなければ効果は無いか……」
将志はアルバートの周りを飛び回りながらそうこぼす。
将志の持つ銀の槍『鏡月』は、実際に銀で作られているわけではない。
月の民の刀匠の技術で作られた、銀色に輝く別の素材で作られたものであった。
それ故に、吸血鬼や人狼を祓うような破魔の力は有していないのだ。
「……ならば、心が折れるまで戦うのみだ!」
将志はそういうと、攻勢を強めた。
無数に走っていた銀の線はどんどん重なっていき、やがてアルバートの身体を塗りつぶしていく。
それと同時に、アルバートの銀色の毛はどんどん赤く染まっていく。
「まだだ……この程度では終わらん!」
アルバートは素早く動き回る将志に向かって、何とか反撃しようと爪を伸ばす。
しかし、高速で動く将志を捉えることは出来ず、その手は空を切った。
「……その程度では俺は捉えられん」
「ぐううううう!」
将志は相手の心を言葉で揺さぶりながら、アルバートの身体に妖力の銀の槍を突き刺した。
槍はその身体を貫き、そこに留まる。
「おおおおおお!」
アルバートは自らに刺さった銀の槍を引き抜くと、将志に向かって放り投げた。
その身体に開いた穴は鮮やかな紅い色があっという間に埋め尽くし、元の銀の毛並みが再生する。
「……当たらん」
将志は投げられた銀の槍を躱し、アルバートに手にした槍を突き出す。
「ふんっ!」
それに対してアルバートも爪を繰り出す。
刃と爪がぶつかり合い、火花を上げる。
「はあああああああああああ!!」
アルバートは将志に連続で斬りつける。
左右正面から息を吐かせぬ猛攻を繰り出していく。
「……お前の攻撃は、全て読めている」
将志はそう言いながらその全てを手にした槍で捌く。
爪が槍に触れるたび、甲高い音と共にオレンジ色の火花が散る。
「……次はこちらから行くぞ!」
「ぐっ……」
将志はそういうとアルバートの攻撃を打ち払い、そこに向かって連続で突きを入れた。
体勢が崩れたアルバートは攻撃をいくつか受けながらも捌いていく。
「……っ!?」
将志は突如として危機を察し、身体を引く。
するとアルバートは大きく息を吸い込んだ。
「オオオオオオオオオーーーーーーーン!!」
アルバートは遠くまで聞こえるような、低く響く大きな遠吠えを上げた。
その遠吠えには魔力が込められており、周囲には強烈な衝撃波が走る。
「……そこだっ!」
将志は遠吠えを上げるアルバートの腹に銀の槍を投げつける。
しかし、アルバートは飛んでくる槍を掴み取った。
「その攻撃、既に見切った!」
アルバートはその槍を将志に向けて投げる。
将志はそれを苦にせず避ける。
「……それがどうした? お前はまだ俺の攻撃の一部を見切ったに過ぎん。俺にはまだ指一本触れられていないぞ?」
「それがどうした! こうして一つ一つ見切っていけば、いつか貴様に届くはずだ! さあ、来るが良い!」
「……良いだろう、ならば次はこれだ!」
将志は銀の槍をアルバートから少し離れた場所に向かって投げた。
銀の槍は水上を進む船が立てる磯波のように弾幕をばら撒いていく。
「……さあ、この攻撃を見切れるものならば見切ってみるが良い!」
将志は次から次に槍を放り投げていく。
ゆっくりと進んでくる弾幕の間を縫って、鋭く銀の槍が飛んでくる。
「くぅ……!」
目の前を覆いつくす銀に、アルバートは手を触れる。
ゆったりと漂う銀の弾丸は、触れるとはじけてその手に突き刺さる。
アルバートは、大きく息を吸い込んだ。
「オオオオオオオオオーーーーーーーン!!」
その遠吠えは自分の周囲に迫ってきた弾幕を消し去った。
それを見て、将志は小さく舌打ちをする。
「……ちっ、あの遠吠えは厄介だな……」
衝撃波を放つ魔力の籠もったアルバートの遠吠えは、将志にとって脅威となりえるものであった。
防御をしていようと範囲にいれば問答無用で喰らってしまうその攻撃は、放たれてしまえば一撃で状況を逆転してしまうのだ。
つまり遠吠えでかき消されない攻撃をするためには、遠吠えを受けるリスクを背負わなければならないのだ。
「……くっ……届かんか……」
一方のアルバートも将志が遠吠えを嫌っていることに気付いていた。
しかし遠吠えをするには息を大きく吸い込む必要があり、連発することは出来ない。
その間にも、銀の壁が再び迫ってくるのを再び遠吠えで退ける。
「……今だ!」
将志は遠吠えの直後の隙を見計らって一気に突っ込み、槍を繰り出した。
「がっはあっ……」
アルバートはその槍を腹に受け、口から血の塊を吐き出す。
そして、にやりと笑った。
「……っ!?」
「くくっ、捕まえたぞ……」
アルバートは腹に刺さった銀の槍を掴み、大きく息を吸い込んだ。
将志の頭の中で、けたたましく警鐘が鳴り響く。
「はああああああ!!」
将志は左手で槍を引きながら、右手で体重を乗せて掌打をアルバートの胸に打ち込む。
身体の内部に衝撃を伝えるその一撃は、その狙い通り肺を強打した。
「がひゅっ!?」
アルバートの口から吸い込まれた空気が押し出され、奇妙な音が鳴る。
そして将志は緩んだ手から槍を引き抜き、喉を蹴り抜いて一気に離脱した。
喉を蹴られたアルバートは、声を出せずにそのまま将志を見送った。
「……そこだっ!」
将志は銀の蔦で結ばれた二つ黒耀の球体を、呼吸が乱れて体勢が崩れているアルバートに投げつける。
当たると蔦が巻きつき、その身体を拘束した。
「ぐ、こんなもので……」
アルバートは振り解こう土地からを込めるが、銀の蔦は千切れない。
鉄の鎖を容易に引き千切れるはずの力が、身体に巻きついている細い銀の蔦を千切れないという現状にアルバートは焦りを覚える。
「……その銀の蔦、そう簡単に千切れるものではないぞ」
「ぐはっ!」
将志は拘束されているアルバートの足を払い地面に叩きつけ、銀の槍で地面に縫い付ける。
そしてその喉元に『鏡月』の刃を当てる。
「ぐっ、貴様……」
「……動くな。下手なことをすると、俺の槍がお前の首を刎ねる。以下に人狼といえど、首を刎ねられればただでは済まないであろう?」
将志はアルバートを見下ろしながらそう言い放つ。
すると、アルバートの体から一気に力が抜けていった。
「……私の負けか……」
「……ああ」
「……殺せ。私は生き恥を晒すのは御免だ」
アルバートは眼を閉じ、そう言い放った。
「……下らんな」
将志はその言葉にそう言って返した。
それを聞いて、アルバートは眼を開く。
「……何?」
「……下らん、実に下らん。貴様の誇りはその程度のものなのか?」
アルバートを蔑むように将志はそう言う。
突然の将志の物言いに、アルバートは困惑した。
「貴様、何を言って……」
「……貴様の誇りというものは、ただ一度の敗北で全てを諦められる様なものなのか? ……ふざけるな、俺が賭けたものはそんなに軽いものではない。貴様が賭けた誇りが俺の賭けたものに釣り合うものだと言うのであれば、立ち上がって見せろ。再び俺の前に立ちはだかり、結界を叩き壊す位して見せろ!!」
「な……!?」
怒りを含んだ将志の言葉に、アルバートは呆然とする。
それを見て、将志はアルバートの眉間に槍の切っ先を突きつけた。
「……答えろ! 貴様の誇りとは何だ! それはどれだけの重みがある! そのために貴様はどこまで出来る! 答えろ、アルバート・ヴォルフガング!!」
その表情は憤怒に染まっており、声は怒鳴り散らすようなものであった。
それを聞いて、アルバートは眼を伏せた。
「……そうであった。私の、人狼の誇りは、我等が生きていくための一縷の希望だ。ただ一度の敗北のために諦められるものではない。だというのに、私は……」
アルバートは悔いるような口調でそう呟いた。
それを聞いて、将志は槍を引き、拘束を解いた。
もう既に戦意が折れていると判断しての行為であった。
「……ならば、ここで首を刎ねられるわけにはいくまい」
「しかし、何故だ? 何故貴様は私を生かしておく? 私は確実にお前の妨げになるぞ?」
「……貴様を殺したところで、敵などまだ数えるのも面倒なほどいる。殺したところで敵がいるのは変わらないのなら、俺は殺さん。それだけの話だ」
将志の言葉に、アルバートは思わず笑みを浮かべた。
「ふっ……敵なんぞ歯牙にもかけないのだな、貴様は」
「……そうでもない。俺としてはお前のような強敵が現れることは喜ばしいことだ。強い者が周囲を束ねることで弱い者が育つことが出来る。その点を考慮しても、お前を殺すのは惜しいのだ」
その言葉に、アルバートは唖然とした表情を浮かべる。
「貴様……まさか私の群れのことまで考えていたのか?」
「……ああ。長とは群れのことを常に考えて生きるものだからな」
アルバートの問いに、将志はそれが当然といった様子で答えを返した。
それを聞いて、アルバートは深々とため息をついた。
「……私の完敗だな。私はお前の仲間のことなど少しも考えなかった……」
「……一つ気になったことがある。お前の持つ誇りが、何故希望とまで呼ばれるようになっているのだ? 何故己が存在を賭けてまでそれに縋る?」
ふと将志はアルバートに疑問を投げかけた。
それを聞いて、アルバートはゆっくりと身体を起こした。
「……それを話すと長くなるが良いか?」
「……ああ、構わない」
将志が頷くと、アルバートは語り始めた。
「人狼は、本来忌み嫌われるものなのだ。私も人狼となったときは絶望した。逃げるように村を去り、自害しようにも死ねず、狂気に呑まれて人を襲う日々。その当時は地獄のような日々だった。孤独に苛まれ、人間には迫害され続けた。一つ目の転機は、仲間が出来たことだ。仲間が出来たことにより、私は孤独ではないと知った。そして、私達は誰にも知られずに森の中に身を隠した。それから何百年間もの間、我等はそこで誰にも知られることなく過ごしたのだ」
「……では、何故人を再び襲うことになったのだ?」
「森の中での生活は平穏そのものだった。自然と共に育ち、共に生きていく。それだけで十分に幸せであった。だがある日、人間共は森を破壊しつくした。自らの贅のためだけに木を切り倒し、動物を狩りつくした。その時我等は深く絶望したのだ。人間とはかくも醜いものだったのか、と。そして、我等は自らの姿を見た。人間を襲うための爪や牙、人知を超えた力と治癒力、そして人間を襲う本能。それらを見つめなおした時、我等は悟ったのだ。我等は人間を狩るために生まれたのだ、あの醜き心から無垢なものを守るために生まれたのだ、と。その日から、我等は忌み嫌っていた自らの力に誇りを持つようになったのだ。そしてそれは、我等人狼が生きるための寄る辺となったのだ」
「……人間の悪意から周囲を守る。それが人狼の誇りの本質か……」
「……それを失ってしまえば、我等はどうすれば良いのか分からない。だから、その誇りだけは決して失ってはならんのだ」
アルバートがそう言った瞬間、空の色が博麗神社の方角から虹色に染まっていき、全体を覆いつくした。
そして数瞬の後、元の青空へと戻っていった。
「……結界が張られたか……」
「くっ……」
将志の呟きに、アルバートは無念そうに地面にこぶしを打ちつけた。
そんなアルバートに、将志が声をかける。
「……人間を襲う件だが、手立てが無い訳ではない」
その声を聞いて、アルバートは将志に眼を向ける。
「……どういうことだ?」
「……ここ、幻想郷は全てを受け入れる。つまり人を喰らう妖怪も当然多く存在するということだ。そしてそれらが生活するためには、人間が供給されなければならない」
「だが、この結界で外からは隔離されているのだぞ?」
「……この結界だが、外に出る手段が無い訳ではない。そして、責任者は食料となる人間を確保するための係を設置すると聞いている」
将志のその言葉を聞いて、アルバートの瞳に希望の色が灯る。
「……では……」
「……お前達が希望するのであれば、俺が責任者に推薦しておこう。それで満足できない場合は……もう一度俺に挑むが良い」
将志はアルバートに槍を向けながらそう話す。
「……感謝する」
アルバートは、感謝の意を示すように頭を垂れた。
そして顔を上げると、将志に声をかけた。
「こちらからも一つ聞いて良いか?」
「……何だ?」
「お前が賭けた妖怪の未来とはいったい何だったのだ?」
アルバートがそういうと、将志は顎に手を当てて考え込んだ。
思いついてはいるのだが、それを上手く言葉に出来ないようであった。
「……そうだな……上手くは言えないが、一言で例えるならば……『笑顔』だな」
将志の回答を聴くと、アルバートは笑みを浮かべた。
「笑顔、か。成程、私が誇りを賭けるに相応しいものだな」
「……ああ。もっとも、俺は主との誓いで勝手に消えるわけにはいかないというのもあったがね」
「誓いだと?」
将志の言葉に、アルバートはそう言って尋ねる。
すると将志は眼を閉じた。
「……生きて傍にいる。それだけの誓いだがな」
将志は自分の中に再び刻み込むように、厳かにそう呟いた。
それを聞いて、アルバートは静かに頷いた。
「……良い誓いだ。お前のような臣下が居たら、主も鼻が高いだろう」
「……ふっ、そうだと良いがね」
二人はそう言って笑いあう。
もはや最初に会った時の敵意など、そこには無かった。
「……さて、これから責任者の元に行くが、一緒に来るか?」
「ああ、そうさせてもらおう」
二人はそう言い合うと、博麗神社に向けて飛び立った。