花映塚:幻想の地、彩られる
ここは険しい岩山の頂上にある荘厳な神社。
それは人間がただ立ち入ることすら難しい場所に、出雲や伊勢、諏訪に勝るとも劣らない、まさに大社と呼べるようなものである。
その名を銀槍神社、そしてそれが存在する岩山を銀の霊峰と言った。
幻想郷の南端にて二つの友と共に、妖怪の山と対をなすようにそびえるその山は、その山の名が付いた治安部隊が更なる力を求めて祭神のもとで修業の日々を送っている。
その銀の霊峰にも、花は存在する。
ホバナやミヤマシシウド、ハクサンフウロなどの高山植物が、日々の研鑚に疲れた妖怪たちの心を癒すように、ひっそりと力強く色をつけるのだ。
そして今、その花々は朝靄の掛かる灰色の岩山を覆い尽くすほどに広がり、色鮮やかに咲き乱れていた。
「うわぁ♪ 今年も綺麗に咲いたね、将志くん♪」
その花々を見て、道化師の格好をした少女が笑う。
左眼の下の赤い涙も、右目の下の青い月も少女につられて笑っているようにも見えた。
「……そうだな。ふむ、今日は久々に散歩にでも行くか、愛梨?」
そんな彼女の言葉に、将志と呼ばれたあずき色の胴着に紺の袴をつけた青年が答える。
彼の背中には、銀の蔦に巻かれた黒耀石をけら首に埋め込んだ銀の槍が背負われている。
それは、彼がこの山の主、建御守人である証であった。
「うん♪ キャハハ☆ 久しぶりに一緒だね♪」
将志の言葉に、愛梨はトランプの柄を四方にあしらった黄色いスカートをひるがえして踊る。
将志も愛梨も忙しい毎日を送っており、なかなか一緒に遊ぶ機会がない。
そんな中で、長である将志のその一言は彼女にとってとても嬉しいものだったようである。
「おーい、兄ちゃん!」
二人の元に、燃えるような赤い髪の幼い風貌の少女が少し慌てた様子で飛んでくる。
将志はそれを見て、小さく首をかしげた。
「……そんなに慌ててどうしたのだ、アグナ?」
「どうしたもこうしたもねえよ! いくらなんでも境内の中にまで花が咲くことは今までなかっただろ! 異変じゃねえのか!?」
アグナは激しい口調でまくし立てるようにそう口にする。
それに対して、将志は小さくため息をついて首を横に振った。
「……異変と言えば異変だが、俺達に出来ることは無いぞ? そのうち収まるものだ」
「だから言ったでしょう。お兄様に言っても無駄ですわよ。と言うか、アグナも初めて見るわけではないでしょうに」
「確かにそうだが俺は困るんだよ! チルノの奴がこの馬鹿騒ぎに乗っかってどっか行っちまったんだからな!」
長い銀の髪に赤い長襦袢を藤色の帯で止めた少女が後ろからそう言いながら歩いてくるが、アグナはさらにそう続ける。
修行の予定を組んでいたのに、その対象者が飛び出してしまったので困り果てているようであった。
その様子を見て、将志は大きなため息をついた。
「……そうか……では、捜しに行くか? 今日は皆で花見にでも行こうと思ったのだが……」
「え、マジか!?」
将志の言葉を聞いた瞬間、苛立っていた表情が一気に明るいものに変わる。
どうやら、探し人のことなど今の一言で綺麗さっぱり吹き飛んでしまったようであった。
そんなアグナに、将志は思わず苦笑いを浮かべた。
「……別にしばらく放っておいても問題はあるまい。明日、弁当を持って遊ぶついでにでも捜せばよかろう」
「そっか、そうだよな! ひゃっほう! 兄ちゃん達と花見だ!」
降って湧いたような花見に、アグナは飛び上がって喜ぶ。
久しぶりに仲間達と遊びに行けることが嬉しくてしょうがないようである。
「うふふ~、楽しみね、お姉さま♪」
「おわぁ!? ルーミア、テメエいきなり抱きついてんじゃねえ!」
「あぁん、良いじゃないの。いつもこうしてるんだし」
その彼女に、後ろから金髪に黒い服を着た少女が勢いよく飛び付く。
嬉しさに舞い上がっているところを狙い澄ましたかのように捕らえるその腕前は、もはやプロの暗殺者レベルにまでなっている。
アグナは慌てて抵抗するが、ルーミアは彼女をがっちり抱え込んで離れる気配がない。
「テメエが勝手にやってきてんじゃねえか! あ、こら、服の中に手ぇ突っ込んでんじゃ、ひゃん!?」
「きゃ~! お姉さま可愛い! 次はどこ触ろうかしら~ うふふ♪」
脇から服の中をまさぐられ、アグナは身を捩らせる。
その手つきは実に淫靡なものであり、ルーミアは得られる反応を楽しみ、意地の悪い笑みを浮かべている。
そうして放たれる言葉に、アグナの堪忍袋の緒はあっさりと切れた。
「灰になって! 空に散りやがれ!」
「ああ、これも愛なのね~!!」
アグナは肩越しに顔面に拳を叩き込み、天を貫くような巨大な火柱でルーミアを空の星にする。
飛ばされたルーミアの表情は、恍惚の表情であった。
「……よくもまあ毎日飽きないものですわね……」
「キャハハ☆ 楽しいのは良いことさ♪」
そんな二人のいつもの茶番に、六花は頭を抱え、愛梨は楽しそうに笑うのであった。
時を同じくして、博麗神社。
その周りでも春夏秋冬の様々な花が咲き乱れ、山を華やかに彩っている。
その神社の母屋に、一人の巫女が勢いよく突っ込んでいった。
「銀月! 異変よ!」
「まあ、こんなに分かりやすい異変もないよね」
突然駆け込んできた紅白の巫女に、白装束の黒髪の少年が呑気な声で答える。
銀月は弁当の仕込みの真っ最中であり、話をしながらもその手を止めることは無い。
そんな彼の様子に、霊夢は思いっきり地団太を踏んだ。
「お弁当作ってる場合じゃないわよ! 早く解決に行かないと、怠けてるって言ってるもんじゃない!」
「……これ、お仕事なんだけどなぁ……」
「今日は休みなさい!」
そうして作りかけの弁当を未練たっぷりに見つめる銀月を、霊夢は力ずくで外に引きずり出すのであった。
一方そのころ、人狼の里の黄金の鐘を持つ西洋の城。
そこでは、金の髪の少年がベッドに腰掛けて本を読んでいた。
彼は鍛錬の後の朝風呂を浴びたばかりであり、髪はほのかに湿っている。
「よおギル! サッサと出かけようぜ!」
そんな彼のところに、モノトーンの服を着た魔法使いが窓から入ってきた。
突然の、それも窓からの侵入者に、ギルバートは頭を抱える。
「……こんな朝っぱらから何の用だ? つーか、お前何で俺の部屋に居るんだよ、おい」
「何呑気なこと言ってんだよ! 外見てみろ!」
急かすような魔理沙の言葉に、ギルバートは渋々人狼の里が一望できる窓際へと足を運ぶ。
すると、普段緑色の草原が広がるはずの里の外側が、花の色の染め上げられていることに気が付いた。
それだけではなく、石畳になっている里の街道が、花でぎっしり埋めつくされている。
その様子を見て、ギルバートは唖然とした表情を浮かべた。
「……何だ、異変か?」
「ああ! さあ、早く解決に行こうぜ!」
「OK、四十秒で支度するから、部屋を出て待ってろ」
ギルバートはそう言うと、急いで支度して魔理沙と一緒に外へ飛び出した。
「妖夢殿~! 迫水涼、只今参ったでござる!」
早朝の冥界に、凛々しい女性の声が響き渡る。
彼女は黒い戦装束に、朱色の柄の十字槍を背負っている。
そんな彼女のところに、二本の刀を腰にさした白い髪の少女が駆け寄ってきた。
「あ、涼さん! ちょうど良いところに!」
「む? 何やらただならぬ様子。何かあったでござるか?」
「はい。この花の咲き方、絶対に異変ですから。今から調べに行くところなんです」
妖夢は乱れた息を整えながら、涼に事情を説明する。
すると、涼はしばらく腕を組んで考えると大きく頷いた。
「……ふむ。分かったでござる。では、拙者もついて行くとするでござる」
「あの、良いんですか? まだ異変が起きたとしか言ってないんですけど……」
「拙者も退屈していたところでござる。異変の解決をするのもまた一興でござるよ。決してお師さんにお花見に置いて行かれたと言うわけではないでござる!」
突然の申し出に妖夢が困惑していると、涼はそう言って笑った。
その想像以上に悲惨な内容に、妖夢はすっかり困り果てて乾いた笑みを浮かべた。
「え、えっと……それじゃあ、お花見も一緒にしましょうか?」
「願ってもないでござる! ささ、早く行くでござるよ!」
涼はそう言うと、妖夢の手を取ってぐいぐいと引っ張っていく。
「……あれ、何だか涙が……」
目からこぼれる熱い雫に、妖夢はただただ戸惑うばかりであった。
ところ変わって、妖怪の山にある天狗の里の入口。
入口とはいうものの空を飛べる天狗達には有って無いようなものだが、北端に位置している妖怪の山から外に出ようとすると、どうしても南側に出ることになる。
ゆえに、何も無かろうが南側が妖怪の里の入り口である。
そこに、一人の烏天狗が通りかかる。
そしてしばらくして、前に見知った顔があることに気づいて、足を止めた。
「どこに行こうと言うのだ、文?」
「天魔様? いえ、ちょっと外の様子を見に行くんですけど……天魔様こそ、どうして里の入口に? 今日は将志様も来ないはずでは?」
尊大な口調でたずねてくる妙齢の女性に、文と呼ばれた少女が質問を返す。
それに対して、天魔こと烏丸椿はにこやかにほほ笑んだ。
「暇すぎて死ねる。一緒に連れて行け」
口から放たれる言葉に、文は思わずがくんと体勢を崩して落ちそうになる。
何しろ、文は椿に気に入られており、彼女の屋敷に呼ばれることも多いのだ。
そして、今その書斎に大量の書類が積み重なっていることも、それが意味するところも、彼女は十分に把握しているのであった。
「あの~……申し上げにくいのですが、書類が溜まっているとまた将志様にどやされるのでは……」
「そんなことは忘れた。せっかくこうも花が咲き乱れているのだ、花見をしない方が罪と言うものだ」
乾いた笑みを浮かべる文に、椿は威厳たっぷりにそう口にする。
よく見ると、背中には大きな風呂敷が背負われており、横からは酒瓶の口が顔をのぞかせている。
もう完全に飲んだくれる気満々であり、仕事をするつもりなど毛頭ないようであった。
「……もう、どうなっても知りませんからね」
そのダメ領主っぷりに、文はがっくりと肩を落とすほかなかった。
花咲き乱れる人里の一角。
異変の波はここにも例外なく訪れており、そこでは本来この時期に咲くはずの無い桜が満開を迎えていた。
「ま~た、妙なことが起きてるな」
「ああ……」
「今の時期に咲く桜なんて、異変の匂いしかしないな」
「ああ……」
青い着流しに黒縁眼鏡の男の問いかけに、青い特攻服の男が答える。
特攻服の男はどこか上の空であり、時折何かを思い出すかのように目を閉じる。
そんな彼の様子に、黒縁眼鏡の男が小さくため息をついた。
「……上の空だな、雷禍。桜と言えば、例の関係か? 先日お前をお持ち帰りしようとしたと言う件の」
「いや……確かにあいつを思い出すけどな。今日に限っては別のことだ」
雷禍はそう言って立ち上がると、机の上に置いてあった赤いサングラスを掛けて玄関に向かう。
その彼に、善治は背中から声を掛けた。
「雷禍? どこに行くんだ?」
「ちっと散歩だ。この花を見てたら、少し昔を思い出したんでな。折角だ、ついてくるか?」
「いや、だからどこに行くんだって」
「ま、そのうち分かるぜ」
雷禍の言葉に、まあそんなに危険は無いのだろうと判断して善治も出る準備をする。
今日は二人とも仕事は無く、気分転換にはちょうど良くもあった。
そうして準備が終わると、雷禍が手を掛ける前に玄関の戸が開いた。
「あら、珍しいわね。今日は休みなのかしら?」
開けられた戸の向こうから、赤いチェック柄のベストとスカートを着て日傘をさした女が話しかける。
その姿を見て、雷禍はひとしきり頭を抱えると、気を取り直して口を開いた。
「……よお、幽香。俺に何か用か?」
「ええ。ちょっと辺りを調べてたら、面白い話も聞けたから」
「調べるって、この異変のことか? 悪いことは起きねえと思うがな?」
「そうよ。散歩に行くなら、折角だから付き合ってもらおうと思ってね」
雷禍の言葉に、幽香はそう言いながら玄関に立ちふさがる。
どうやら二人の会話を外から立ち聞きしていたようであり、連れて行くというまで動かないつもりのようである。
そんな彼女の様子に、雷禍は大きなため息をついた。
「やれやれ。それも良いが、善治も連れて行くぜ」
雷禍は呆れ顔でそう言って、肩をすくめた。
自分の要望が思いのほかすんなり受け入れられて、幽香はやや嬉しそうに目を細めた。
「ふぅん? やけに素直じゃない?」
「……今は暴れる気分じゃねえんだ。のんびり行くためにも、こいつを連れていく」
幽香が戸口から退くと雷禍は外に出て、その後ろに幽香と善治が続く。
善治は少し早足で雷禍に追い付くと、横から話しかけた。
「どうでもいいが、戦闘に巻き込むなよ」
「分かってるっての」
雷禍はそう言って、手をひらひらと振った。
繚乱の花の中、こうしてそれぞれが外に出る。