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銀の槍のつらぬく道  作者: F1チェイサー
幻想郷と繚乱の花
169/175

銀の槍、覗き見られる


 山の中腹にある屋敷に、突如として来訪者が現れた。

 その人影は四つあり、それぞれ医者に道化師に九尾に紅葉の神という取り合わせであった。

 その奇妙な取り合わせを見て、濡れ羽色の翼を持つ妙齢の女性は怪訝な表情を浮かべた。


「いきなり何だ? 随分とまとまりのない組み合わせだが」

「天ちゃん、まずはこれを見て欲しいんだ♪」

「ん? 何だ、これ……は……?」


 黄色のスカート、オレンジのジャケット、赤いリボン付きのシルクハットといった格好の道化師は、そう言いながら一枚の写真を取り出した。

 そしてそれを見た瞬間、椿の表情は固まった。

 何故なら、その写真に写っていたのは自分と普段一緒に遊んでいる槍妖怪が抱き合って寝ている写真だったからである。


「さ~て、一体これはどういうことだか説明してもらおうか?」

「……素直に話したほうが身のため……」

「初対面だけど一切手加減はしないわ。少しでも逃げようとしたら、撃ち抜かせて貰うわ」


 凄絶な笑みを見せる藍に、無言で威圧しようとする静葉に、無表情で弓に手をかける永琳。

 その迫力は凄まじいものであり、死の危険すら感じるものであった。

 一方で、椿はフリーズした思考を何とか解凍すると、頭を抱えて首を横に振った。


「……いやいやいや、ちょっと待て。私は一切心当たりはないが?」

「将志はお前が酔って暴れたからそうしたと言っていたな」

「何だ、ならそれで全て解決ではないか。私とあいつとの間には何もない。それで良いだろうに」


 ぽんと手を叩いて、椿はそう口にする。

 しかしそれに対して、横からそれに否を唱える声が上がる。


「キャハハ☆ それが全く良くないんだ♪」

「この頬の口付けの痕に関してはどう説明するのかしら?」


 少し低い笑い声を上げる愛梨と、少しドスの効いた声で問いかける永琳。

 その横では藍と静葉がさりげなく側面に回りこみ、椿を包囲する。

 その写真の中の状況とあまりに本気すぎる周りの現状に、椿は頭を抱えてため息を付いた。


「私の頬のか? それはあいつが勝手にやったことだろう。酔っているとはいえ、毎度毎度……」

「……それが問題……」


 椿の言葉を遮って、静葉がポツリとそうつぶやいた。

 その内容が想定外だったのか、それを聞いた椿はキョトンとした表情を浮かべた。


「なに?」

「将志は例え酔っていようと自分からこういうことは滅多にしようとしない。私だって、つい最近になってようやく一回もらえたきりだ」

「主である私だって数えるほどしかもらっていないのよ……なのに、貴女はこうも容易くもらえている」


 藍はどうして椿が口付けをもらえているのかを考えるそぶりを見せながらそう口にし、永琳に至ってはとうとう矢筒に手を伸ばした。

 そして一切の無駄な動きのない動作で弓に矢を番えると、曇りのない嫉妬心によって弓を引いた。


「さあ、どうやって誑かしたのか教えなさい」

「……つまり、お前達は女の嫉妬でここに来たというわけだ」

「有体に言えばそうなるね♪」


 異様な剣幕の永琳と笑顔の裏で何を考えているか分からない愛梨に、椿は頭を抱えてため息をつく。

 そりゃあ全く持ってその気はないのに、勝手に嫉妬を受けているとなればため息の一つもつきたくなると言うものである。


「悪いがね、お前達が期待しているようなことなど何一つないぞ? 私はただあいつとわいわい騒いでそれで終わりなんだ。色恋沙汰などあるわけがない」

「はい、ダウト。そもそも、あの将志が一緒になってわいわい騒いで酔いつぶれるところから異常なのよ」

「……私達の前では、いつも静か……」

「将志くん、とってもクールだもんね♪ 周りが騒いでても、将志くんは滅多に混ざらないよ♪」

「それが色恋に直結するとは限らんだろう。大体、私にはやましい事など何一つ……」


 反論をするも、相手は即座に反例を持ち出して言い返してくる。

 椿は腹の底に煮え立つものを抑えながら、勤めて冷静に反論を続けようとした。


「じゃーん♪」


 が、その矢先、全ての会話の流れをぶった切るように愛梨が声を上げた。

 その手には、何やら幻想郷では物珍しい物体が握られている。

 それを見て、椿は怪訝な表情で首をかしげた。


「む、何だそれは?」

「河童のみんなにお願いして作ってもらったんだ♪ ビデオカメラって言うんだよ♪」

「……カメラ?」

「写真ではなく、映像として記録できる装置なのだそうだ。言いたいことは分かるな?」


 愛梨と藍は手にした装置の説明を簡潔に行った。

 それを聞いて、椿は興味深そうに頷いた。自分の私生活を撮られる事より、目の前にある目新しい道具への興味のほうが勝ったようであった。


「つまり、私の家にそれを仕掛けて将志と私のやり取りを記録しようというのだな?」

「ええ、その認識で正しかったわ」


 が、にやりと黒い笑みを浮かべた永琳の一言でまた表情が変わる。

 過去形を強調するその言葉は、椿にある嫌な確信をもたらすものであった。


「……何だと?」

「……既に記録済み……」

「私達が今日来たのはだな、その証拠となりそうな映像を入手したからここに来たんだ」


 椿のそのいやな予感を確信に変える一言を、静葉と藍がそれぞれ口にし、その後ろでは永琳がビデオカメラを持参したモニターにつないで準備をしている。

 その様子を見て、椿の顔からどんどん血の気が引いていった。


「どうしたのかな、天ちゃん? 顔が青いよ?」

「……いや、奴と飲むと大体飲みすぎて記憶が飛んでいるのでな……一体何をしたのやら……」


 薄く笑みを浮かべる愛梨の一言に、目が泳ぎ、落ち着きなくおろおろとし始める椿。

 ビデオカメラを仕掛けている間は大人しくして体裁を保とうと思っていたのだが、実際には完全に無防備な時を撮られていたのでどうなっているのか気が気ではないのだ。


「まあ、とりあえず見てみるとしましょう」


 永琳がそう言うと、録画された映像が再生された。



 * * *



「やあ、待っていたよ将志君」

「……貴様がそういう呼び方をするときは大体が碌でもないことになっているときなのだが?」

「まあまあ、そう言うな。たまにはお前にも息抜きが必要だろう?」


 再生されたビデオは、銀髪ツンツンヘッドの槍の神がやってきたところから始まった。

 その表情は非常に不機嫌そうな仏頂面であったが、椿はお構いなく笑顔で将志に近寄っていく。

 すると、ブチリと何かが切れる音が聞こえてきた。


「……ほう? では、ちょっと来てもらおうか、つ・ば・き・ちゃ・ん!」


 将志はそう言いながら椿の身体に手をかけると、素早く担ぎ上げて相手の腰を自分の首の後ろに当て、首と脚をロックする。

 いわゆる、アルゼンチンバックブリーカーである。

 一切の慈悲も無く締め上げ始める将志に、椿はバタバタと手足を動かし始めた。


「ぐえあっ!? き、貴様、一体何を……」

「……俺がお前からの誘いを受けたのはだ、大天狗が重要書類が来ないとまた俺に泣き言を言ってきたからだ」

「な、なにぃ?」

「……一体全体どうしてお前の不始末のツケが俺に回ってくるのか……聞かせてもらおうか、天魔様?」


 ヤクザが借金を取り立てるような口調でそう言いながら、将志は部屋から出て行くのであった。



 * * *



「……い、いつの間にこんなものを……」


 記録映像を見て、椿は蒼い顔でそう呟いた。

 誰かが見ているわけでもないので気配も無く、また魔法や妖術を使っているわけでもないので一切感知できない。

 そのような芸当が出来る装置と言うものは、彼女に脅威を抱かせるに十分であった。


「私がとある烏天狗と取引をして仕掛けさせたのだ」

「……文め、次会ったらただじゃ置かん」


 藍の言葉に、椿は自分がほぼ唯一自分の屋敷に入れている烏天狗を思い浮かべて拳を硬く握る。

 なお、その烏天狗も道化師の暗黒微笑とこめかみに突きつけられた矢尻に泣く泣く降伏したことなど、彼女には知る由もない。


「それにしても、随分仲良いじゃない。ここまで砕けた将志なんて、正直初めてみるわよ?」

「そうなのか? 来るたび来るたびにバックブリーカーをかけられているから、いつもこのようなものかと……」

「……そんな訳ない。将志は、いつも優しい」

「むしろどうしたら将志くんがそうなるのか知りたいくらいだよ♪」

「例えふざけてでも椿ちゃん、何て呼ばれるのはお前くらいだ。藍ちゃん、何て私も言われてみたいんだぞ?」

「む、むぅ……」


 四人に言葉で一気に畳み掛けられ、椿は気圧されて口をつぐむ。

 将志の自分に対する接し方が他とは違うと言う事実がどうにも納得できないのだが、他で将志がどういう接し方をしているのか分からないので反論しようも無いのだ。


「それはともかく、続きを見てみましょう」


 永琳の一言によって、再びビデオは再生され始めた。



 * * *



 将志は椿を締め上げたまま、普段彼女が仕事をしているはずである書斎へとやってきた。

 そこに来て、将志は小さくため息をついた。

 

「……書類が無いな」


 呆れ果てたといった表情で将志はそう口にする。

 その表情を見れない椿は、そうとは知らずに乾いた笑みを浮かべて口を開く。


「そ、そうだろう? だから早く……」

「……床に埃が積もっているな」


 その一言に、椿の表情が凍りつく。

 将志の言うとおり、一見小奇麗に整理されているように見える書斎の床には、うっすらと白くホコリが積もっていた。

 彼女はそれでもなんとかしらを切り通そうと、口を開く。


「そ、それがどうした?」

「……貴様、俺が以前書類整理をしてから一ヶ月、一度もこの部屋に入りすらしていないな?」

「うぐっ……」


 しかし、それも無駄に終わった。

 もとより、将志は部下の大天狗に書類の未提出を聞かされてやってきているのだ、椿が仕事をしていないことなど初めから分かっているのだった。

 その証拠を隠すと言う姑息な手段をとった椿に、将志は無表情で締め上げる力を強めた。


「……ん? この一か月分の書類は何処にやった? 少し聞かせてもらおうか」

「ぐぁっ……い、言うからそう絞めるな……」

「……ああいや、言わなくて良い。言わずとも分かるからな!」


 そう口にすると、将志は担いでいた物体を書斎の中に放り込んだ。

 その瞬間、書斎の入り口には中央に印の結ばれた曇りガラスのような壁が現れた。

 それを見て、椿は大慌てで入り口に駆け寄った。


「っ!? またこの結界か!?」

「……貴様のお陰であれほど苦手だった結界もかなり上達したものだ。いつもどおり、この一ヶ月間の書類を終わらせないとそこから出られんようになっている。出たければ、早く終わらせることだ」

「あ、おい! ちょっと待て!」


 何度も張られているであろう結界の壁を叩く椿を尻目に、将志はすたすたと立ち去っていく。

 そしてしばらくすると、将志は大量の書類の束を持って戻ってきた。


「……書類と資料だ」

「……おい、どうしてその場所が分かった?」

「……何年貴様の尻拭いをさせられてきたと思っている。貴様の隠しそうなところなぞ、俺には全てお見通しだ」

「な、何だと……」


 呆れ果てた表情の将志の一言に、雷に打たれたような表情を浮かべて椿はがくりとその場にひざを突いた。

 どうやら隠し場所には苦心していたようであり、それもあっさり見破られたとあってはその衝撃は計り知れないであろう。

 そんな椿の様子に眼もくれず、将志は二の句を告げる。


「……それから、見えないところとはいえもう少し整理しろ。何か薄い本のようなものが散乱していたぞ」

「……で、お前はなんとも無かったのか?」

「……む? いきなり何の話だ?」


 怪訝な表情を浮かべる椿に、何のことだかさっぱり分からない将志は首をかしげる。

 そんな彼の様子を見て、椿は小さく首を横に振った。


「いや、知らないのならその方が良い話だ」

「……まあ良い。とにかく、さっさと終わらせろ」


 鬼軍曹が槍を突きつけながらそう口にすると、その監視下の強制労働が始まるのであった。



 * * *



「これはひどいわね」

「道理で書類の上がりが遅いわけだ……」

「う~ん、僕も組織の高級幹部としては、ちょっとね♪」


 椿の普段の怠慢が明らかになり、永琳達は閉口する。

 書類とは、単なる情報伝達の道具ではない。それは情報や当人の意思などを形として残しておく大事な役割があるのだ。

 永琳、藍、愛梨の三人はそれぞれ組織の幹部または元幹部であり、その重要性を良く知っているのだ。

 ところが、組織のトップともあろうものがこの有様なのだから、開いた口がふさがらないと言ったところであろう。


「良いではないか。組織形態などそれぞれに違う。うちの組織では書類などさほど重要ではないと言うことだ」

「重要じゃないのなら、将志はああやって無理やりさせたりはしないわよ」


 全く反省しない椿に、永琳も頭を抱えるしかないのであった。


「しかし、薄い本のようなものが何で将志に影響があるんだ?」

「……その薄い本のようなものがこちら」


 その一言と共に、静葉が何やら本が大量に入った竹の籠を持ってきた。

 それは、いわゆる同人誌と呼ばれるものであった。


「あぁ、それか。文が何か適当に置いていった代物だな。己の妄想を余すところ無く詰め込んだ本と言ったところだ」

「……これ、誰が描いたのかしら?」

「うちの里の白狼天狗と一部の烏天狗だな。最近の里での流行らしい」


 椿の返答を、永琳は少し硬い表情を浮かべながら聞き入れる。

 何故なら、彼女の眼に留まっているのは逆立った銀髪の青年の描かれた成人向けのものであったからである。


「あわわわわ……これ、どう見ても将志くんだよね……」

「……はぁ……」


 想い人にそっくりな人物のあられもない絵を見て顔を真っ赤にする愛梨に、愛し合っている姿を見て羨ましそうにため息をつく静葉。

 愛梨は目を覆いながらも指の隙間から覗き見ており、静葉は普段の将志と本の中の彼を比べて憂鬱なため息を吐いた。

 そんな中、藍は冷静に他の作品を見ながら唖然とした表情を浮かべていた。


「いや……将志もそうだが……銀月にギルバートに雷禍におまけに善治に霖之助と、男役がほぼ私が知っている奴がモデルじゃないか。と言うか、どうして銀月らしき人物のものがこんなに?」

「知らないのか? 銀月はこっちの里じゃ魔法少女だの万能執事だので大人気だぞ? こういう素材にも男女問わずして使えるから、この手の作家にも人気なのだ」


 見てみれば、完全創作物の中にかなりの割合で実在の人物をモデルとしたキャラクターが見受けられるのだ。

 特に多いのは、黒髪の少年が魔法少女になる設定のもので、敵役に狼男や謎の道化師が出てくるものであった。もちろん、少年はそのままでも魔法少女になってもろくな目に遭っていない。

 なお、これは女性向けのものを集めたがためにモデルが男性陣に偏っているが、男性向けのものの中では六花や愛梨、霊夢や魔理沙、挙句の果てにはアグナやチルノなど、様々な人物が被害を受けているのであった。


「他の連中は?」

「将志とギルバートは夢見がちな女がいかにも好きそうなキャラだろう? 雷禍はあれはあれで需要はあるようだし、善治はちょっと将棋に負けた腹いせにネタとして売り飛ばしたら意外と受けが良くてな……」

「……あいつ、もう将棋やめたほうが身のためなんじゃないか?」


 どうしてこうなったと言わんばかりの椿に、藍は呆れ顔でそう口にする。

 何故なら、人間でありながら歳若くして妖怪の賢者ですら打ち負かしてしまう腕前の善治は、将棋好きな妖怪達の間でかなりの人気者になっているのだ。

 そんな彼の評判は当然天狗の里にも広まっており、椿が提示したその容姿は平凡ではあるが、残念なことに彼らにとっては許容範囲だったのだ。

 その容姿が分かってしまえば、このような結果になるのは自然な流れなのであった。

 それを知っているからこそ、藍はまともな自衛手段を持たない彼が将棋が原因で大変な目に遭ってしまわないかが心配になるのであった。


「まぁ、これ描いたのには後で会いに行くとして、これ少しもらっていくわ」


 その横で、永琳がそう口にしながら本の山に手を伸ばす。

 それを見て、藍は白い目で彼女を見つめた。


「……お前、こんなものにまで……」

「やぁねぇ、こんな贋作になんて興味ないわよ。私がもらっていくのは、こっち」


 そう言って永琳が手にしたのは、真っ赤な執事服を着た黒髪の少年が描かれた本。

 その内容は女所帯に男一人と言う状況を利用した、非常に悪意に満ちた作品であった。

 それを見て、藍は怪訝な表情を浮かべた。


「……誰がどう見ても銀月がモデルだな、それは。で、どうするんだ?」

「うちの弟子にあげようかと」


 藍の質問に、永琳はいたずらっ子が浮かべるような笑みを浮かべてそう返した。

 それを聞いて、藍もほぼ同じような笑みを浮かべて口を開いた。


「良い案だ。私も紫様に数冊献上するとしよう。出来る限り日常に似せた過激なものを……む、これが良いな」


 そう言うと、藍は持っていく品物を選んだ。

 その内容は、親代わりの女妖怪に白装束の少年がされるがままになると言う、よりにもよってド直球なものであった。


「きゃはは……ルーミアちゃんは確かこういうの持ってたよね……」


 そんな彼女達を見て、愛梨は乾いた笑みを浮かべてそうつぶやいた。

 彼女は以前、姉を自称する宵闇の妖怪がその手の本を見て、まるで美味そうな料理を見たときのように涎をすすっていたを目撃していたのであった。


「……はぁ……っ……」


 その一方で、静葉は黙々と本を読んではため息を吐いていた。

 彼女の横には既に読み終えた本が塔を作り始めており、かなりの速読であることが見て取れる。

 その憂鬱な表情の中にこぼれる吐息にはいつしか熱い感情が流れ込むようになり、もはや自分では止められなくなりつつあった。


「……静葉。それを羨ましそうに眺めても何も起きないぞ?」

「っ!?」


 ニヤニヤと笑う藍に声を掛けられて、静葉はびくりと肩を震わせて勢いよく本を閉じた。

 彼女は藍の顔をしばらく眺めた後、きょろきょろと周囲の様子を伺う。


「……~~~~~~っ!!」


 そして手にした本を眺め、自分の近くにある本の塔を見やると、頬を真っ赤に染めてひざを抱えてうずくまってしまった。

 無言でひざを抱えたままゴロゴロとその場で転がるその姿から、余程恥ずかしかったであろうことが見て取れた。

 その姿を四人でしばらく微笑ましい表情で眺めると、椿が思い出したかのように口を開いた。


「ところで、こいつはどうやって書斎まで移動したんだ?」

「ああ、それは親機なんだ。書斎においてある子機からの画像を受け取って、動きのあった場所の映像に切り替わるように設定されていたんだ」

「……後で探しておくとしよう」


 椿がそう言って頭を抱えると、我に返った静葉が恥ずかしさから逃げるように再生ボタンに手をかけた。



 * * *



「……もういいだろう。重要書類はほぼ片付いたからな」

「な、何がもういいだろう、だ。ちょっとでもサボりそうだと思ったら容赦無く打ち据えおって」


 画面上に映し出されたのは、竹刀を手にした鬼軍曹と、頭を擦りながら筆を置く烏天狗だった。

 山のように積まれていた書類は大分片付けられており、その様子からかなりの激務となったであろうことが見て取れた。

 それに対して文句を言う椿に、将志は竹刀をしまいながら小さく息を吐いた。


「……そうでもせんと貴様は仕事せんだろう」

「まあいいさ。今日はとことん付き合ってもらうからな」

「……何が今日は、だ。呼び出すたびに双方共倒れになっているくせに」

「それが分かっていて来たと言うのなら、お前も倒れる覚悟が出来ていると言うことだな? さあ、仕事で疲れた私を労わるが良い」

「……大天狗が大挙して押しかけてくる方がよっぽど堪える。つまり覚悟云々の前に貴様のせいだ」


 椿の話を聞きながら、将志は憮然とした表情で書類を片付ける。

 将志としては、何故自分が他所の組織のトップの尻拭いをしなければならないのか疑問でならないのであった。

 そんな彼に、椿は怪訝な表情で口を開いた。


「何を言ってるんだお前は。すぐ帰らないのだから、元よりそのつもりで来てるのだろう?」

「……さて、つまみでも作ってくるか」


 将志はそう言うと、逃げるように厨房へと向かうのであった。



 * * *



「ツンデレかっ!」


 厨房へと消えて行く将志の姿を見て、愛梨は思わずそう叫んだ。

 画面の中の将志は、誰がどう見ても本音を突かれて退散したようにしか見えないのであった。


「随分と露骨な逃げだったな」

「あれは結構満更でもないという反応ね」

「……どう見ても好意的」

「そうだろう? あいつめ、口ではどうこう言いながら結局は飲みたいんじゃないか」


 周囲の面々も愛梨と同じ感想を持ったらしく、口々にそう言い合う。

 画面の中では部屋の中でごろ寝をしている椿と、料理をしている将志の姿が映されている。

 その中で、愛梨が何かに気が付いて声を上げた。


「あ、ひょっとして……うちの冷蔵庫から食材が無くなってたのはここで使ったからなのかな?」

「そうなのか? 道理でうちの食材が思った以上に減っていなかったわけだ」


 愛梨の言葉に、椿は納得した様子で頷いた。

 彼女は前々から不思議に思っていたのだが、出てくる料理に対して、自分の貯蔵していた食材の減りが少ないように感じていたのであった。


「料理人の矜持なんでしょうね。将志は栄養の知識もあるから、ここにある食材で補いきれない栄養をカバーする食材を持ち込んだんでしょうね」

「将志なら十分に考えられることだな。医食同源と言う言葉を肝に銘じているくらいだし」


 永琳と藍も愛梨の発言に肯定的な発言を重ねる。

 食を担うものとして、生真面目な食の神が栄養のバランスに気を割かないはずがないと思ったからであった。

 しかし、そんな彼女達の意見に関しては愛梨は首をかしげた。


「でも、確か将志くんが持っていってたのって、お肉やお魚も結構あったよ? それも、幻想郷で一番良いものだったよ♪」


 妖怪の山の長たる天魔である椿には、様々なところから贈り物が届くのである。

 その中でも食材とくれば、基本的には高級な肉や魚、果物と言ったものが主なものなのである。

 つまり、栄養に気を配るのであれば野菜類がメインになって然るべきなのだ。

 ところが、将志が持っていくものはその贈り物よりもずっと上質な肉や魚も含まれていたのだ。


「……将志も取り調べの必要があるの……」


 案の定、将志の方にもある種の疑いが持ち上がるのであった。



 * * *



「……待たせたな」


 画面の中では、将志が大量の料理を器用に両手で抱えてやってきた。

 それを見て、ごろ寝をしていた椿は笑みを浮かべて身体を起こした。


「また随分作ってきたな。まあ良い、さっさと始めようか」


 そういうや否や、椿は二つの猪口に酒を注ぐ。

 その白く濁ったどぶろくが猪口の色を完全に変えるのを見ながら、将志は疑問に思っていたことを口にした。


「……しかし、今日はどうしてサシなのだ? いつものように文も呼べば良かっただろうに」

「何故か文と連絡が取れなくてな。椛にも連絡を取ったが文は見ていないし、本人は当直で来れないというわけだ」


 椿はそう言いながら酒を口にする。

 なお、文に連絡が付かなかった理由は屋敷にセットされているビデオカメラが主な要因であることはいうまでもない。

 そんなことは露知らず、将志は納得して頷いた。


「……成程。たまには静かに飲む酒も良かろう」

「たまにはとは言うが、お前自分のところでは静かに飲んでいるんじゃないか?」

「……うちには酒乱が居るのでな。落ち着いて酒が飲めん」


 椿の言葉に、将志は若干渋い表情でそう口にした。

 それを聞いて、椿も苦笑いを浮かべる。


「そうか。私と二人の方が静かに飲めると言うのだから、余程酷いのだろう?」

「……猫が一匹出来上がって、泣き上戸が一人滝のように涙を流して泣き崩れ、突如として天高く火柱が上がり、約一名星になるような騒々しさだ。静かとはとても言えん」

「なるほど、それはさぞかし騒がしいことだろうな」


 将志の愚痴を聞きながら、椿は静かに酒を飲むのであった。



 * * *



「始まったが、予想よりも静かに始まったな」

「二人で飲むときなんぞそんなものだ。大体はお互いの愚痴の言いあいだからな」

「愚痴の言いあいとは……他に話すことはないのか?」

「もう何度となくやっているからな。お互いの身の上話など、とうにネタが尽きている。必然、愚痴のこぼし合いになるさ」


 静かに始まった飲み会を見て、藍と椿はそう言い合う。

 お互いの過去の話などとうに出し尽くしており、もう近況報告と言う名の愚痴の言い合いにしかならないようである。

 そんな二人の話を聞いて、永琳は何か気になったのか口を挟んできた。


「……待ちなさい。将志が愚痴をこぼすのかしら?」

「ん? まさか、奴は愚痴をこぼさないとでも言うのか?」

「少なくとも、私は愚痴を聞いた覚えはないのだけど?」


 怪訝な表情を浮かべる椿を、永琳はそう言いながらじっと見つめる。

 そんな彼女の言葉に、椿は不思議そうに首をかしげた。


「なら良いではないか。人の愚痴なぞ、聞いたところで面白くもないだろう?」

「そういう問題じゃないわよ。愚痴ぐらい、私だって……」


 飄々とした態度でそう口にする椿に、永琳は不満げに頬を膨らませた。

 どうやら大切な想い人が自分ではなく、他人に愚痴を言っていたのが気に食わないようであった。


「ははぁ……」


 その一方で、藍はそう言ってにやりと笑いながら永琳を見やった。

 そんな彼女に、永琳は少し苛立った様子でそのほうを見やる。


「何よ、藍。何か言いたいことでもあるのかしら?」

「いや、何も。私からすれば、逆に永琳の方が羨ましいと思っただけのことだ」


 藍はニヤニヤと笑みを浮かべたまま永琳にそう言った。

 どうやら藍は将志が愚痴を言わない理由を察していて、当の本人がそれに気づいていないのが可笑しいようであった。

 その言葉を聞いて、永琳は更に口を尖らせた。


「何よ、何が言いたいのよ?」

「……暫定一位さんは男心の勉強が足りないな」


 男は見栄を張る生物である。

 それがいまいち分かっていない永琳に、藍は大きなため息をつくのであった。



 * * *



 しばらくすると、床の上には空いた酒瓶が散見されるようになった。

 作られた料理も半分程度の量になり、大分落ち着いてきていた。


「よし、では次はこれを空けようか」


 しかし、酒を飲んでいた本人はそうではなかったようである。

 酒に酔った椿が次に持ってきたのは、酒の徳利ではなく一抱えの甕であった。

 それを見て、将志は呆れ顔でため息をついた。


「……おい。二人しか居ないのに甕酒を持ってくるとはどういう了見だ」

「何を言っている。お前と飲むのならこれでも足りん」


 冷静に意見を述べる将志に、椿は赤くなった顔でそう言ってふんぞり返った。

 彼女は将志がゆっくり飲んでいる間にもかなりのペースで飲んでいて、床の空き瓶の殆どは椿が飲み干したものであった。

 それでもなお飲もうとする椿に、将志は頭を抱える。


「……その甕、二斗くらい入るのではないか?」

「高々一升瓶二十本ほどだ。気にすることはない」

「……人間だったら酒精中毒で死ぬところだぞ」

「まあまあ、良いから飲もうじゃないか」


 将志の諫言にも耳を貸さず、椿は問答無用で彼の猪口に酒を注ぐ。

 そんな彼女の様子に、将志は再び頭を抱えてため息を吐いた。


「……もう大分出来上がっているな……」

「お前が冷静すぎるんだ。飲み方が足りんぞ、そらっ」


 椿は将志が口をつけてもいないのに、二杯目の酒を差し出してくる。

 それを見て、将志はうんざりした様子で顔を背けた。


「……分かったからゆっくり飲ませろ」

「ああ、そうだな。まだまだ夜は長いことだしな」


 椿はそう言うと、将志の背後から覆いかぶさった。

 そんな椿に、将志は鬱陶しそうな視線を向けながら酒を飲み、一息ついた。


「……毎度のことながら、しなだれかかってくるんじゃない」

「つれないなぁ~、将志きゅん。私は人肌が恋しいと言うのに」

「……ええい、だから脱ぐな! 仮にも男だぞ、俺は!」


 その人肌恋しさを示さんとばかりに、椿は自分が着ている服を脱ぎ始める。

 その気配を感じ取って、将志は素早く移動して椿から距離をとった。

 もうつくづく面倒くさくなっているようであり、目すらあわせようとしなくなっている。

 そんな彼の様子を見て、椿はケタケタと笑い声を上げた。


「ははは、見られて減るものではないし、良いではないか」

「……チッ、勝手にしろ」

「おや、良いのか? 私が勝手にしたら……」


 離れた将志の背後から、わきわきと手を動かしながら近づいていく椿。

 そんな彼女の前に、音もなく銀の槍の切っ先が現れた。


「……俺に手を出したら、分かってるな?」


 静かに殺気を放ちながら、将志はそう口にする。

 せっかく静かに酒が飲めると思っていたのに、いつも通りに椿が酔い潰れてしまったのでご機嫌斜めのようであった。


「む、本当につれないな、お前は」


 それを見て、椿はぷうと頬を膨らませるのであった。



 * * *



「……私は酔うとあんな感じだったか?」


 椿は唖然とした様子で、酔い潰れた自分の醜態を見ていた。

 確かに将志とは気兼ねなく対等に話せる中ではあるのだが、それでも想像以上に自分がひどいことになっていたようである。


「きゃはは……天ちゃん、酒癖悪いんだね♪」

「これは酷い。酒癖もそうだが、それまでに飲む量も多いな」

「……どう見ても飲みすぎ……」


 愛梨達も、口々に椿の酒癖の悪さに言及する。

 三人にはどう見ても椿が飲みすぎているように見え、それが原因で乱れていると感じたようである。

 そんな割と冷静な三人とは対照的に、お冠になっている者が約一名。


「ふ~ん……これを何度となく繰り返してきたわけね?」

「おっと、ここで武器の使用は控えてもらおうか。流石に暴れられるのは面倒だ」

「……っ」


 弓に手をかける永琳の手を、椿は手にしたキセルで押さえて制する。

 それを見て、永琳は苦い表情で静かに弓を下ろした。

 目の前の烏天狗を制することが、どうやら一筋縄では行かないと言うことが分かって気に入らないのであった。


「まあ、酒癖に関して言えば愛梨は人の事をとやかく言えないな」


 その横から、藍がにやりと笑って愛梨にそう言い放った。

 その瞬間、愛梨の表情がピシッと固まった。


「うっ……」

「……猫……」

「ううっ……」

「あれにはびっくりしたわ。将志のひざに納まって、顔をぺろぺろと……」

「うにゃ~!! 忘れて~!!」


 次々と明らかにされる自分の醜態に、愛梨は顔を真っ赤にしつつ手をバタバタと振り回してそう叫んだ。

 どうやら愛梨自身はそのことを覚えているようであり、それ故になおさら恥ずかしくてしょうがないのだ。

 そんな彼女の様子を見て、椿は興味深そうに愛梨の肩にポンと手を置いた。


「ふむ……今度一緒に飲もうか、愛梨?」

「悪意しか感じないよ!? と、とにかく、続きを見よう♪」


 愛梨は乾いた笑みでそう誤魔化すと、そそくさと再生ボタンを押した。



 * * *



「……おい、いつまで俺にもたれているつもりだ?」

「良いじゃないか、これくらい……だいたい、嫌なら振り払えば良いだろう……」


 画面の中では、椿が相変わらず将志にしなだれかかっていた。

 椿は完全に酔っ払っており、ぐでんぐでんの状態で後ろから抱きつくようにもたれかかっている。

 そんな将志に、将志は小さくため息をついた。


「……迷惑ではないからな」

「なら、問題ないな」


 将志の返答に、椿は少し満足気にそう口にする。

 すると、何を思ったのかその頬を将志はぷにぷにと人差し指でつつきはじめた。

 それを受けて、椿は気だるげに将志に眼を向けた。


「……おい、貴様何をしている?」

「……少し手持ち無沙汰なのでな」

「だからって人の頬をつつくのか?」

「……正直、暇だ」


 椿と会話をしながらも、将志は指で突くのをやめない。

 どうやら将志も少々酔っているらしく、顔が少し赤みが差していた。

 そんな彼に、椿は面白そうに笑みを浮かべた。


「ほほう……私で遊ぶとは良い度胸をしているじゃあないか」

「……俺で遊んでいるお前のほうが余程良い度胸をしていると思うが?」

「はむっ」


 話をしている椿の口に、将志は煮付けに入っていたうずらの卵を放り込む。

 椿はしばらくそれを咀嚼すると、ゆっくりと飲み込んだ。


「んぐんぐ……あ~……」

「……ふむ」


 口をあけた椿に、将志は再び料理をその中に突っ込んだ。

 そしてその料理を飲み込むと、椿は愉快そうに笑い出した。


「くっくっく……この天魔ともあろうものが、これではまるで子供みたいだな」

「……俺から言わせれば子供も同然だ。これでも、俺はこの世界で最も古い存在の一人だからな」


 椿の発言に対して、将志は静かにそう口にする。

 実際、恐竜が現れる前から将志は生きているのである。そんな彼からしてみれば、椿の年齢などたかだか数千年なのだ。

 そんな将志の言葉を聞いて、椿は苦笑を浮かべてため息と共に首を横に振った。


「やれやれ、私とてこの山の最長老なんだがね。だがまあ、親のように甘えられる存在と言うのも悪くはないものだ」

「……ふっ、随分と手の掛かる子供もできたものだ」

「よし、そういうことなら今度から書類仕事は一切合切親に手伝ってもらうことに、あたっ!?」


 朗々としゃべる椿の頭に、容赦なく拳が振り下ろされる。

 椿は頭を抱え、将志の肩の上に沈んだ。そんな彼女に対して、将志はふんっとは名を鳴らした。


「……俺は子を甘やかすことはない、覚えておけ」

「何を言っている。世の中には飴と鞭と言う言葉があるだろう? 少し甘えさせるくらいの度量をだな」

「……飴と言うのは相応の努力をしたものに与えられるものだ。お前にやるには、努力が足らん」

「何だよ~、私だって頑張っているのだぞ~?」

「……していないとは言っていない。だが、足らんと言っているのだ。何をすればいいのかは分かるだろう?」


 殴られた頭を擦りながら抗議する椿に、将志は冷たくそう言って突き放す。

 それを聞いて、椿は少し考えるそぶりを見せた。


「そうか……」


 椿はそう言うと、将志の肩から身を離して今度はその膝に座った。

 そして胸元を軽くはだけた状態にしてから、将志の首に手を回した。

 それに対して、将志は怪訝な表情で首をかしげた。


「……何の真似だ?」

「む、お前にしては反応が薄いな」


 将志の反応に対して、今度は椿が怪訝な表情を浮かべた。

 顔を赤くして慌てると言った反応を期待していたのに、実際に帰ってきた反応はかなり淡々としたものであったからである。

 そんな椿の反応を見て、将志は愉快そうに笑みを浮かべた。


「……くくっ、お前に対してだけはもう平気なのだ」

「ぐっ……貴様、流石にそれは女として傷つくぞ」

「……なに、これに関しては理由がちゃんとある」


 不機嫌そうな態度の椿に対して、将志は笑みを崩さない。

 それどころか、将志は更にからかうような笑みを浮かべながらそう口にしたのだ。

 それを聞いて、椿は目の据わった笑みで将志を見やった。


「ほう? それは私を納得させられるだけの理由なんだろうな?」

「……ああ。まず大前提として、お前の容姿は女性として十分魅力的であるし、十分に大人の女性としての色香を含んでおり、性格も割と好みの部類であることを念頭に置いてもらおう」

「それは口説き文句と取って構わないか?」

「……ふっ、好きにするが良い。どうやら俺は口説き魔と呼ばれているようだし、口説く相手が増えたところで瑣末なことだ」


 将志は飄々とした様子でそう断言する。

 この男、自分に口説き癖があるのを認知しているのだが、そんな大げさな話ではないと思っているようである。

 それを聞いて、椿はあきれ果てたと言った表情でため息をついた。


「開き直ったな。で、その口説けるような相手が目の前で素肌を晒しているにもかかわらず、普段そういうものに遭遇したら脱兎のごとく逃げ去るお前が平然としているのはどういうわけだ?」

「……それはだな……」

「うん?」


 突如として、将志は膝の上に座っている椿の背中と膝の裏に手を回し、仰向けに寝かせるように抱きすくめた。

 いわゆるお姫様抱っこと呼ばれるものを、座ったままやった状態である。

 突然行われたその行為に、椿は目を白黒させて将志を見やった。


「ん、んん!? 貴様、何を……」

「……俗に言う、お姫様抱っこなるものをしているのだが?」

「そんなことは分かっている! 何でいきなり……」


 段々と状況を理解していくにつれて、椿の顔は首の下から耳の先まで段々と赤くなっていく。

 将志の腕の中で小さく縮こまり、声も段々と小さくつぶやくようなものに変わっていった。

 そんな彼女の様子に、将志はにやりと笑みを浮かべた。


「……だからだ」

「……?」


 将志の口から発せられた言葉に、椿はキョトンとした表情で彼を見る。

 顔はもう全面が真っ赤に染まっており、声を発する余裕もなくなっているようであった。

 その彼女に、将志は笑みを崩さぬままに話を続ける。


「……お前は気安く人を誘うような言動をするが、意外と純情で照れ屋なのだ。それこそ、愛梨と比べられるほどのな。ほら、現に俺に抱きすくめられただけでこの通りだろう?」

「なっ、何が言いたい!」

「……だから、俺はお前が隣で脱ぎだそうと平気なのだ。何故なら、お前には俺の前で本気で脱ぐような度胸はないのだからな」

「こ、このっ、言ったなぁ!」


 椿は叫ぶようにそう口にすると、半ば自棄になって自分の服に手をかける。

 その表情は涙目であり、恥ずかしさと馬鹿にされた悔しさが混ざり合って訳が分からなくなっているようであった。


「……やれやれ」

「うっ!?」


 それを見て、将志はため息をつきながら、持ち方を変えて椿を強く自分の胸元に抱き寄せた。

 彼女の手は将志と自分の胸の間で押さえつけられ、動かすことが出来ない。

 さらに、将志の手は脚から腰に、背中から頭にと抱き枕を抱くように位置を変えており、腕と一緒に顔も将志の胸にうずめる形になっていた。

 そして椿が大人しくなったのを確認すると、将志は小さく苦笑いを浮かべた。


「……いくらお前とは言え、こう涙目でむきになられると敵わんな」

「……何のつもりだ」

「……女に泣かれるのは好きではないのでな」

「むぅ……こんなときだけ女扱いするんじゃない」


 将志の胸に顔をうずめたまま、椿は彼の言葉に返していく。

 彼女は恥ずかしさから将志の顔を直視できず、そのまま答えるしかないようである。

 そんな彼女に、将志は何度目になるか分からないため息をついた。


「……女扱いに慣れていないと後々苦労するのではないか? それに言っただろう、お前は十分に魅力的な女だと」

「……口説くな」


 椿はそう言うと、更に深く顔をうずめた。

 ようやく収まってきたパニック状態を蒸し返すような言葉を流そうと必死なのだ。

 しかし、そんな彼女を見て将志はくすくすと笑い出した。


「……くくっ、そのような仕草が可愛らしいから、俺も気障な台詞の一つでも吐きたくなるのだ」

「~~~~~~っ!! 毎度毎度貴様という奴は!!」


 椿はそう言いながら、バッと顔を起こして将志を睨む。

 自分が気持ちを治めようと必死になっているのに、次々に追い討ちをかけるようなことを言う将志が気に食わないのだ。


「……だが、お前も大概だろう? 毎度毎度似た様な状態になる上に、俺がこうしても逃げることも無いのだからな」


 腕の中で睨みつけてくる椿に、将志はニヤニヤと笑みを浮かべたままそう口にする。

 その言葉を聞いて、椿は反論できずに再び将志の胸に顔をうずめた。


「……酒のせいだ。そういうことにしておけ」

「……では、そういうことにしておこう」


 椿の言葉に、将志は小さく笑って手にした酒を飲むのであった。



 * * *



「将志よりも天魔にびっくりだな、これは」

「キャハハ☆ 天ちゃんの意外な一面発見だよ♪」

「……これについて一言」

「お願い、忘れて」


 周囲からの言及を受けて、椿は両手で顔を覆って小さくなっていた。

 予想以上に生娘のような反応をしている自分の姿を見て、自分で恥ずかしくなってしまった様であった。


「それにしても、貴女将志にあんなこと言われるなんて余程のことよ? 私だって言われたことないのに……」

「……おい、その袖の中に隠しているメスは何だ?」

「あら、特に他意はないわよ」


 その横で、暗黒の空間を作り出している女が約一名。

 袖口からは何か金属の棒のようなものが覗いており、鋭い光を放っていた。

 そんな嫉妬心を隠そうともしない永琳に盛大にため息をつきながら、藍が気が付いたことを口にした。


「しかし、将志はこうしてみると意外とSなんだな。普段の将志は随分受身なものなのだが」

「それは貴女がそれを上回るからだと思うわよ。貴女どう考えても攻め過ぎだもの……私には何もないけれど」


 藍は普段とは違う攻め手の将志に興味を覚え、永琳は我に返って藍の彼に対する対応に物申した。

 その最後の一言には、羨望と一握りの寂しさのようなものがにじみ出ている。なお、実際のところは将志は永琳が主であると言うことを念頭に置いているので、一定の礼節を守っているだけの話なのだが。


「……でも、一つだけ問題が」

「問題?」

「……天魔の立場になってみて。好きでもない人にこんなこと……する?」

「……しないな」

「どういうことか聞かせてもらおうかな♪」


 静葉はそう言いながら、椿にジトッとした視線を送った。

 椿の取った行為は自分の胸元をはだけて迫ると言う過激なもので、自分の身体を張ったものである。

 少なくとも、一定以上の好意や余程の目的がなければ出来ないことであるのは間違いなかった。

 それを聞いて、一同は椿に目を向けた。


「それは、好きか嫌いかで言われれば奴のことは好きさ。有体に言ってしまえば、私が知っている男の中で一番好意的でもある。だが、お前達の言うような恋慕の情は持っておらんよ」

「へぇ、将志でも足りないなんて、随分と高望みしているのね?」

「足りないわけではない。だが私にとっては、気軽に馬鹿をやれる今の距離が一番良いのだ。これは奴にとっても同じことだろうよ。だからこそ、私も将志もふざけてここまで出来るのだ。どちらかが本気ならば、決してここまではしないだろうさ」


 椿は率直に自分の考えを伝えた。

 そこには自分の気持ちを偽っている様子は何処にもない。彼女は間違いなく真実を口にしているのだと、一同は感じ取った。


「ふむ、その言葉は偽りではないようだな。つまり、私達の心配は杞憂だったというわけだ」

「キャハハ☆ 天ちゃんは僕達とはまた違う関係みたいだね♪」

「まあ、男女の仲は恋仲だけじゃないものね」


 ほっとした様子で胸を撫で下ろす三人。

 これ以上競争相手が増えると言うことではなかったので、一気に雰囲気が柔らかくなった。


「……でも、まだ続きがあるみたい」


 しかし、そんな中でも静葉は先が気になってビデオを再生するのであった。



 * * *



 悪魔がささやいたのは、椿がすっかり落ち着いて大人しくなったときのことであった。


「……ところで、いつまでこうしているつもりだ?」


 にやりと意地の悪い笑みを浮かべながら、将志は唐突にそう口にした。

 その言葉を聞いた瞬間、椿はびくりと身体を震わせた。


「っ!? そう思っているなら放せ!」

「……断る」


 慌てて腕から逃れようとする椿を、将志はしっかりと抱きかかえることで阻止する。

 そんな彼を、椿は身動きが取れない中で顔だけ動かして睨んだ。


「何故だ!?」

「……先程も言ったと思うが?」

「こ、この、放せ!」

「……ふむ」


 何とか脱出しようともがく椿を見て、将志は小さく頷いた。

 そして、将志はすっと腕の中に顔を近づけた。


「っっっ!?」


 ボンッと言う音が聞こえてきそうなほど、爆発的に椿の顔が真っ赤になる。

 彼女の頬には小さく濡れた痕。そこには、先程まで柔らかく濡れた何かが触れていたのであった。

 その姿を見て、将志は酒でほんのり赤くなった表情で意地の悪い笑みを浮かべた。


「……くっくっく、本当に可愛らしい。こうするのは久々だが、その様子では相変わらず周りの奴らはお前に手出しできていないと見える。もっと挑戦的な奴が居てもいいだろうに、見る目がないというか、根性が足りんと言うか……」

「なっ、なっ、な……」

「……呆けている場合か? 先程も言ったとおり、俺はお前に対してきちんと女としての魅力を感じているのだぞ? そのままされるがままで良いのか?」


 顔から火を噴き、目にジワリと涙を浮かべて口をパクパクと動かす将志に、将志はにやりとした笑みを見せる。

 もっとも、本当に何かするつもりならばこういうことを言う前にするのだろうが、混乱した椿には思い至るはずもなく。


「~~~~~~っ!」


 椿は突如として自分の杯の酒を口に含み、将志の口の中に無理やり流し込んだ。

 無理な体勢で余りに強引に押し込んだため、口の横から酒がたらりと流れ、服の上に落ちていく。

 それを受けて、将志は椿の身体を手放した。椿は素早く将志から身体を離すと、将志の膝に居座ったまま甕酒を手元に手繰り寄せた。

 てっきり自分の腕の中から逃げ出すものだと思っていた将志は、その行動の訳が分からずキョトンとした表情で首をかしげた。


「……何のつもりだ?」

「一時逃れたところで同じことだ! 貴様を酔い潰して、再起不能にしてやる! ついでに記憶も吹っ飛ばしてくれるわ!」

「……甕酒を持ってきたのが運の尽きだ。瓶であれば、直接飲ませられたものを。どうする? そうやって、口移しで飲ませ続けるのかね?」

「うるさい、もうヤケだ! どんな手段を使ってでもとことん飲ませてやる!」


 将志の忠告に耳も貸さず、甕と柄杓を手にする椿。

 酒の酔いによる思考力の低下と将志の悪戯による混乱によって、椿は完全にパニック状態に陥っていた。

 ぐるぐると目を回しているその表情を見て、将志は小さくため息をついた。


「……さて、どっちが先に倒れることやら」


 少々やりすぎてしまったか等と呟きながら、将志は困った笑みを浮かべるのであった。



 * * *



 椿は静かに、震える手で停止のスイッチを押した。

 何度も何度も深呼吸をするその様子から、爆発しそうな感情を何とか収めようとしているであろう事が見て取れた。

 そして、椿は壁に掛かっている大剣を手に取ると、客人達に向き直った。


「……とりあえず、今から奴を殴りに行こうと思うが良いか?」


 そう口にする椿の顔は羞恥と怒りで真っ赤になっており、肩がプルプルと震えていた。

 その言葉を聞いて、客人達も一斉に立ち上がった。


「ええ、構わないわ」


 永琳は無表情で弓を取り出し、矢筒を腰に取り付ける。


「僕も、ちょっと悪ふざけしすぎだと思うしね★」


 愛梨はニッコリと微笑んで、五つの玉でジャグリングを始めた。


「悪い子にはお仕置きしないとなぁ?」


 藍がにやりと黒い笑みを浮かべてそう口にした瞬間、槍を持った紙の式神が横に現れた。


「……〆る」


 静葉が静かにそう言うと、何処からともなく紅葉の葉が散り始めた。

 もはや全員やる気満々であり、止めるものもそこには存在しなかった。



 後に将志は語る。

 このときばかりは本気で死を覚悟した、と。


誠に申し訳ない。


 前回からもう早三ヶ月たってしまいました。

 まあ、リア事情話したところで言い訳にしかならんのでしませんが、滅茶苦茶忙しかったとだけ言っておきましょう。

 ……まあ、副次的原因として、「拝啓、親父殿~」に少し浮気したりしてたからなのですが。


 で、今回はこの前の宴会で出てきた写真について、椿が問いただされるお話でした。

 はい、最終的には椿の公開処刑で終わりました。

 どうにも、この手の話では椿のほうが圧倒的不利のようです。


 それにしても……えーりんはどうしてこうなってしまったのだろう?

 そりゃあ、一番最初の友達で、初恋の相手で、さらに主従関係とかあるからって少し依存気味に描きましたよ?

 でも、幾らなんでもここまで嫉妬心を丸出しにするようなキャラになるとは思わなかった。

 というか、依存通り越してヤンデレの域に入り始めている気がする。


 あと、天狗の変態共についてはもうお察しください。

 二次的被害がえらいことになりそうな気もしますが、それもお察しください。

 静葉は危うく変な世界に片足を突っ込むところでした。


 ……つぎは、何とかもう少し早くあげられたらいいなと思います。


 では、ご意見ご感想お待ちしております。

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