魔の狼、荒れ狂う
「なあギル、今日はこっち行こうぜ!」
人里の商店街を、白黒の魔法使いがそう言って駆け回る。
その右手は金髪の少年の左手をしっかり握っており、ぐいぐいと引っ張っていた。
そんな彼女に、ギルと呼ばれたジーンズ姿の少年は大きくため息をついた。
「……魔理沙。お前、行きたい店があったんじゃないのか?」
「あ、そうだった。んじゃまずそこ行こうぜ!」
呆れ顔の彼の言葉を聴いて、魔理沙はその手を引きながら走り出す。
「……はぁ」
そんな彼女の行動に、引きずられているギルバートは更に大きなため息をつくのであった。
「でな、この前霊夢が……」
しばらくして、目的の店を回った後で二人は街中を何するわけでもなくぶらぶらと歩き回る。
魔理沙はギルバートが居ない間に周囲で起こったことを話しており、久々に会えた友人にはしゃいでいるようにも見えた。
「そうか」
それに対して、一方のギルバートは彼女の話を聞き流しながらあたりをきょろきょろと見回していた。
その様子は、明らかに何かを探している様子であった。
「……なあ。さっきから何を探してるんだ?」
「いや、何って訳じゃないんだが……」
気になって話しかけてくる魔理沙の言葉にも、ギルバートは気のない言葉でそう返事をする。
そんな彼の様子に、魔理沙は不満げな表情で言葉を返す。
「それにしては必死過ぎるぜ。正直、今のギルは見ていて怖い」
「は?」
「だってさ、今のお前の目、まるで獲物を狙う猛獣みたいになってるぜ?」
魔理沙はギルバートの目を睨むようにして覗き込みながら、やや強い口調でそう言った。
魔理沙の言うとおり、今のギルバートの眼は餓えた野獣のような威圧感のあるものであったのだ。
その一言を聞いて、ギルバートは少し気まずそうに眼をそらす。
「……それは……」
「よぉ、二人揃って買い物か? リア充爆ぜろ」
ギルバートの言葉を遮って、横から陽気な男の声がかけられた。
二人がその方を向くと、そこには青い特攻服に赤いサングラスをかけた黒髪の男が立っていた。
その彼に向かって、魔理沙は親しみのこもった笑みを浮かべた。
「ああ、ちっと今までギルが空いてなかったからな。久々に遊びに来てるんだ」
「か~っ! 仲の良いこって。リア充爆発しろ」
「そりゃそうだ。幼馴染だし」
「はいはいそうですか、リア充爆発四散しやがれ」
魔理沙は楽しそうに話し、雷禍はにこやかに笑いながら毒を吐き散らす。
「……会いたかったぜ、雷禍」
そんな友人同士の会話の間に、ギルバートはそう言って割り込んだ。
其の眼は先程と同じ餓えた獣のようなものであり、探していたものを目にして更に鋭くなっていた。
それを見て、雷禍は自分の頭が急速に冷えていくのを感じた。
「……良くねえな。良くねえ眼をしてるぜ、テメエ。何を考えてやがる?」
「……一戦、頼めるか?」
「はっきり言ってお断りしたいところだけどな」
雷禍はそう言って、ギルバートの申し出を断わりながら彼の目を流し見る。
「…………」
そこには、青い瞳に爛々と危ない光を湛えた餓狼の眼があった。
それは、断るのなら一方的に仕掛けると、目の前の相手に音のない言葉を伝えていた。
その眼を見て、雷禍は苛立たしげに舌打ちをした。
「……テメエのその眼が気にいらねえ。良いぜ、一発ぶん殴って叩きなおしてやる。外に出ろ」
「ああ……上等だ」
二人はそう言いながら人里の外に向かって歩き始める。
その空気は険悪なもので、道行く人々が避けて通るほどのものであった。
そんな二人に、魔理沙は慌てて止めに入った。
「お、おいギル!? なに喧嘩売ってんだよ!?」
「悪いな、魔理沙。今日はここまでだ」
「雷禍も、ギルを止めてくれよ!」
「無理だな。今のこいつはどうせ何を言っても聞かねえだろうよ。こういう奴は、お望みどおりぶん殴るのが一番早い」
必死に止めようとする魔理沙の言葉を聞くことなく、二人は真っ直ぐに人里の外に向かって歩いていく。
しばらくして、人里の外の野原に三人はやってきた。
「…………」
ギルバートは猛る心を抑えるようにして、雷禍の前に立ちはだかる。
握り締めたれた手の中には、赤い丸薬。それは金髪の少年を群青の狼に変えるものであった。
戦いのスイッチを握り締めたその様子は引き絞られた弓のようであり、ちょっとした合図ですぐにでも飛び出してきそうであった。
「……っ」
そんな彼を、魔理沙は不安と戸惑いの視線で見つめている。
普段のギルバートからは考えられない暴走ともいえる今の彼の行為に、どうすればいいのか分からなくなってしまっているのだ。
「…………」
そんな中、雷禍は特攻服の内ポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつける。
ため息のように上を向いて紫煙を吐き出すその表情は冷めたものであり、これから始まる戦いへの興味というものが全く感じられない。
ゆっくりと、目の前にある嫌なものに取り掛かる時間を先延ばしにするように葉を燃やしていく雷禍。
「……チッ」
そして火が手元までやって来ると、彼はその吸殻を空高く弾き飛ばした。
その瞬間、ギルバートは丸薬を飲んで群青の狼へと変貌した。
「……行くぜ!」
ギルバートは雷禍に向かって全身に溜め込んだ力を解き放つように走り出した。
真っ直ぐ一直線に、彼は目の前の標的に向かって弾丸のように突っ込んでいく。
「がはっ!?」
しかし、次の瞬間に腹に攻撃を受けて倒れていたのは弾丸の方であった。
彼は襲い掛かってくるギルバートの横に素早く回り込み、すれ違い様に刀の柄を腹に叩き込んだのだ。
雷禍は抜きかけの白鞘の刀を手にしたまま、無表情で横に倒れている彼を見下ろす。
「何やってんだ、テメエ?」
「このぉ!」
ギルバートは即座に起き上がって黄金の魔力を纏った爪を雷禍に向かって振るう。
しかし雷禍は身体を半歩下げることでそれを躱し、ギルバートの顔面に頭突きを叩き込んだ。
「あぐっ!?」
「どうしちまったのやら。テメエはもうちょっとマシなことが出来たと思ったがな?」
再び仰向けに倒れこんだギルバートに、雷禍は冷たい言葉を浴びせかける。
なにやら様子が可笑しいことには、彼も気づいている。しかし、ギルバートが聞く耳を持たない以上、納得のいくまで叩きのめそうとしているのだ。
「ああああああ!」
「アホが。ヤケクソになってんじゃねえよ。おらっ!」
「がっふっ!?」
再び真正面から突っ込んでくるギルバートの頭に、雷禍は手にした刀を叩き付けた。
鞘ごと脳天に叩きつけられた刀は激しい衝撃を彼の脳に伝え、その意識を混濁させる。
しかし、それでもギルバートは飛びそうになる意識を必死に保って戦いを続ける。
「うおおおおお!」
「はっ、やれやれだぜ!」
「ぐあっ!」
その後何度倒れても、何度でも立ち上がってギルバートは雷禍に攻め込んでいった。
しかし、雷禍はそのことごとくを一撃で沈めていく。
彼には傷一つ付いていない。ギルバートの攻撃は、目標に触れることすら出来なかったのだ。
「ちくしょう……」
「話にならねえ。そんなんでよくもまあ俺に喧嘩を売れたもんだ。出直して来い」
地に伏せて悔しそうに呻くギルバートに、雷禍は背を向けてそう口にした。
彼は一瞥もくれることなく、真っ直ぐに人里へと戻ろうとする。
「まだ……まだ終わってねえ!」
そんな彼に対して、ギルバートは立ち上がってそう吠えた。
群青色の毛並みは見る見るうちに黄金の輝きを放ち始め、ギルバートの眼が青く光り始める。
その姿は、先日魔理沙が秘密の部屋の中で見たものと全く同じものであった。
「ギル!?」
「オオオオオオオオ!」
驚き青ざめる魔理沙を尻目に、ギルバートは獣の雄たけびを上げながら雷禍へと迫っていく。
黄金の腕の先には、サファイアのような青い爪。それは、触れただけであらゆるものを切り裂いてしまいそうなほど、鋭い光を放っていた。
雷禍はその声に振り返り、ギルバートを迎え撃とうとする。
「……あ?」
その瞬間、雷禍の顔から一瞬全ての表情が抜け落ちた。
それと同時に、手にした刀……ではなく、左手の手刀をギルバートの腹に突き刺した。
「ギャフ!?」
「……テメエ、何のつもりだ、ああ!?」
「ギャン!?」
みぞおちを突かれて屈みこむギルバートの顔面に、雷禍は膝を叩き込む。
すると、ギルバートはまるでバネが跳ね返るかのように勢いよく後ろに倒れこんだ。
雷禍の左手からは赤い液体が滴り落ちている。彼の手は雷雲のような灰色に変化しており、その爪は短剣のように鋭く光っていた。
「フーッ、フーッ……」
ギルバートは胸から血を流しながら、それでも諦めずにまだ立ち上がろうとする。
だがその瞳に理性の火はほとんど残っておらず、本能だけで立ち上がっているような状態であった。
その姿を見て、雷禍は奥歯が砕けんほどに歯を食いしばった。
「何つー様だよ、まったくよお!」
「ガッ!?」
起き上がろうとするギルバートのわき腹に、雷禍は蹴りを見舞う。
何かが砕けるような嫌な音と共に人狼の体が地面を転がり、そのまま倒れ伏す。
「立てやオラァ! 立ってみろや!」
「ギャ……ッ……」
しかし、そんな彼への攻撃を雷禍は緩めない。
彼の頭を後ろから掴み、その顔面を何度も地面に叩きつけ、終いには後頭部を思いっきり踏み抜く。
雷禍の怒りは頂点に達しているようであり、残虐な攻撃を次々に繰り出していく。
それを受けて、ギルバートは段々と動く力をなくし、だらりと四肢を下げるようになった。
それでもその攻撃を緩めようとしない雷禍に、魔理沙は泣きそうな表情で止めにはいった。
「やめろ、やめてくれよ! もうギルは……」
「テメエはすっこんでろ!」
「っ!?」
雷禍の恫喝に、魔理沙は思わず身をすくめる。
何故なら、雷禍はギルバート程度の相手では常に余裕を持ち、留めに入ればため息をついて笑みさえ浮かべながら矛を収めるのだ。
しかし、今回はそれすらしない。それは、ギルバートが雷禍の中の禁忌を犯してしまった証拠であったのだ。
通常では考えられない彼の言動。それは、魔理沙の頭を真っ白に染めていった。
「ア、アア……」
「テメエ、ろくすっぽ制御も出来ねえ力を使ってどうする気だ? 言えよ、言ってみろや!」
「ガ、ハァッ……」
「言えねえのか? それとも喋れねえのか? どっちにしろ今のテメエは蛆虫以下のカスだ! カス以下の以下でしかねえ!」
ギルバートの顔面を左手で締め上げてつるし上げながら、雷禍はそう口にする。
それに対してギルバートは、何も出来ずにただ力なく呻くことしか出来なかった。
そんな彼を見て、雷禍は苛立たしげに舌打ちをして地面に叩き付けた。
「ギャフ……」
「……俺の舎弟にゴミクズは要らねえ。それ以上になってからまた俺のところに来い。それが出来ねえなら、この場で死ね。その方が世のためだ」
力尽きて元の少年の姿に戻っていくギルバートに、雷禍はそう言って去っていく。
その後姿には、次は殺すと言いたげなすさまじい殺気がにじみ出ていた。
そんな彼の姿を見て、魔理沙は倒れ伏しているギルバートの横へ走っていく。
「ぎ、ギル……」
「……ちくしょう……何でだよ……」
「馬鹿! 何であんなことしたんだよ!?」
「……実戦で使わないと、どうなるか分からないだろ……」
自分の行為をとがめる魔理沙に、ギルバートはそう言いながら立ち上がろうとする。
その言葉には、もはや正常な思考というものが欠落している。彼の頭の中には、自分が強くなることしかなくなっていたのだ。
正気を失いつつある彼に、魔理沙は怒鳴り散らすように声を張り上げた。
「違うだろ!? しっかりしろよ! お前今自分が何をしたのか分かってんのか!?」
「……無茶は承知だ。止めるな魔理沙!」
ギルバートはそう言うと、青い珠を飲み込んで無理やり体力を回復させ、空を飛んでその場から去っていく。
「あ、待てよ!」
その彼を、魔理沙は慌てて追いかけるのであった。
ギルバートがやってきたのは、険しい岩山の頂上にある荘厳な社。
そこは、銀の霊峰と呼ばれる集団の総本部である神社であった。その周囲には山頂から中腹、果ては近隣の山のいたる所に訓練場のような施設が散見しており、妖怪達が研鑽に励んでいる。
ギルバートはそのうちの最も大きな建物、本殿に続く門をくぐる。
「待ちな。ここに何の用だ?」
そんな彼に、横から幼い少女の声が聞こえてきた。
目を向けてみると、そこには燃えるような紅い髪の小さな少女が、門の裏に寄りかかっていた。
その声を聞いてギルバートは立ち止まる。
「……勝負を申し込みに来た」
「それは、俺にか?」
いつになく厳しい表情で、それで居てどこか冷めた様子でアグナはそう口にする。
どうやら、彼の纏う空気の違いを敏感に感じ取っているようであった。
「ああ、出来るのなら」
そのいつもより温度の低いオレンジ色の瞳に、ギルバートはうなずいた。
それを聞いて、アグナは大きなため息をついた。
「条件が一つある」
「何だ」
「チルノ! 出て来い!」
「なに、アグナ?」
アグナが呼び出すと、アグナとは対照的な青い髪の氷精が空からふわりと降り立った。
その頭上には他に二つの人影と、一つの闇の塊が。どうやら、彼女らは集まって演習を行っていたようであった。
その呼び出した相手が隣に来ると、アグナはギルバートを指差した。
「こいつと勝負してやってくれ」
「え、ギルバートと?」
チルノはキョトンとした様子で首をかしげる。
それに対して、アグナは小さく微笑みかけた。
「ああ。お前なら出来るだろ?」
「うん! 任せておいて!」
師匠の信頼にあふれた微笑を見て、チルノは威勢よく返事をした。
それにうなずくと、アグナは再び厳しい表情でギルバートに目を向けた。
「俺と戦いたいなら、チルノと戦って勝て。そいつが条件だ」
「……分かった」
ギルバートは苦い表情でそう返事をし、チルノの前に立つ。
すると、チルノは少し驚いた表情で彼のことを見やった。彼女も、ギルバートの雰囲気の違いを何となく察することが出来たのだ。
「あ、あれ? なんか様子がおかしいよ?」
「気にするな、チルノ。それを教えてやるのがお前の仕事だ」
「う、うん」
横から聞こえてきたアグナの言葉に、チルノは少し戸惑いながら返事をした。
その言葉に、ギルバートは苛立たしげに目の前の妖精二人を睨んだ。
「……さっさと始めるぞ」
「うん。じゃあ、こっちから行くよ!」
そういうが早いか、チルノは氷の弾丸をギルバートの周囲にまき始めた。
透き通った青白い弾幕はギルバートを取り囲み、その行動を制限する。
「ちっ!」
「うわぁ!」
その弾幕を、ギルバートは巨大な黄金の光の玉を前に打ち出すことで一掃する。
突然目の前に現れた太陽のようなそれに、チルノは驚いて飛びのく。
そんな彼女に、ギルバートは追撃のもう一発を放つべく力を溜め込んだ。
「はあっ!」
「当たんないよ、そんなの!」
特大の光の玉をチルノは素早く横に動くことで躱す。
ギルバートから放たれた攻撃はあまりに力任せなものであり、単調なものである。
その様なものは、普段アグナによって訓練を受けているチルノにとっては退屈なほどにお粗末なものに見えるのであった。
「おらっ!」
そうと見るや、今度は大量の金と青の弾丸をチルノの周囲にばら撒き始める。
力任せとはいえ、弾幕ともなれば話は変わる。物量に任せたその攻撃は、チルノを押しつぶす壁のように迫っていった。
「っ、避けられないなら!」
しかし、それでもチルノは動じない。
彼女は冷静にスペルカードを取り出して、スペルを宣言した。
樹氷「ブリザードフォレスト」
チルノがスペルを宣言した瞬間、巨大なつららが彼女の周りに浮かび上がった。
その数は百近くに及び、外から見れば戦う二人が氷の森の中に迷い込んでいるかのような光景であった。
金と青の弾丸の壁はその森をも飲み込んでいき、つららの森はチルノを守りながら、音を立てて砕け散っていく。
そして、その瞬間にチルノの反撃が始まった。
「なぁ!?」
ギルバートの眼が驚きに見開かれる。
砕け散った氷の破片が、一斉に自分に向けて降り注いできたのだ。
しかも広範囲にわたって弾幕を広げていたのがあだとなり、自分が広げていた以上の弾幕が自分に向けて返ってきたのであった。
「いっけぇ!!」
チルノは一気に畳み掛けるべく、その弾丸をギルバートに集中させる。
ギルバートの目の前が一面の青白色に染まり、前も見えぬほどの猛吹雪が彼を飲み込もうとする。
「このぉ、舐めるなぁ!!」
狂狼「キャノンボールクレイジーウルフ」
それに対して、ギルバートはスペルを使っての強行突破を試みた。
自分自身の姿を黄金の砲弾へと変え、目の前の吹雪もろともチルノを貫こうというのだ。
砲弾は吹雪を切り抜けることに成功し、続いての目標に狙いを定める。
「……そこだぁ!」
ところが、チルノはそれを待っていた。
ギルバートの技が終わる位置の近くに、まるで申し合わせたかのように移動していたのだ。
何度も何度も同じ技を愚直なまでに繰り返し練習し、身体で覚えた戦い方。その感覚と経験による直感が、チルノに有利な状況を自ら作り出させたのだ。
それを見た瞬間、ギルバートは全身が凍りつく感覚を覚えた。
吹氷「アイストルネード」
チルノの体が激しく回転する。
自らの冷気を巻き込んだそれは、彼女の周りに凍てついた竜巻を作り出した。
「ぐあああああ!?」
ギルバートはそれに巻き込まれ、上に打ち上げられた。
氷精の放つ強烈な冷気によって関節が凍りつき、身動きの取れないまま宙を舞う。
「ぁぅ……これで、とどめだ!」
その彼に対して、チルノは攻撃の手を緩めない。目が回ってふらつく足を懸命に踏ん張り、更なるスペルを発動させる。
氷塊「グレートクラッシャー」
宣言と同時に、一瞬でチルノの手の中に巨大な氷塊が現れ、鈍い風切音と共に素早く振り下ろされた。
完全なる一撃。
動けない相手を仕留める、大質量の氷の塊が無防備なギルバートを地を鳴らす轟音と共に押しつぶした。
「ぐぇぁ……」
ギルバートは立ち上がれない。全身の体温を奪われ、満足に手足を動かすことすらままならないのだ。
この勝負、チルノの完全勝利であった。
それを見て、アグナはため息交じりに首を横に振った。
「話にならねえな。ま、分かりきってたことだけどな」
「ぐっ……まだ……」
ギルバートは凍りついた全身を何とか動かしながら、再び立ち上がろうとする。
「……そこまでだ、ギルバート」
その頭上から、やや低めのテノールの声が聞こえてくる。
その声に顔を上げると、銀の髪に黒曜石の様な瞳の青年の姿があった。
「……親父さん」
「……正直、見れたものではないな。いつものお前ならば、こうはなるまい。今のお前には焦りがある。更に言えば、迷いすらある。そんな状態では、結果は臨むべくもない」
「じゃあ、どうすれば良いって言うんだよ……」
「……すまないが、俺の口からは周りが口にしているであろうことしか言えん。だが、お前の性格では、それは聞けんのだろう?」
将志は痛ましいものを見る表情でうなだれるギルバートを眺めながら、そう口にする。
彼の眼には、目の前の人狼が出口のない迷路を彷徨っているように見えている。
しかし、将志には何も出来ない。何故なら、彼には目の前の人狼の持つ悩みを持ったことがない。そのような者が助言をしたところで、逆効果にしかならないのだ。
そして何よりも、将志には彼の本音を聞けそうにない理由に思い当っていた。それ故に、将志はギルバートに何も言えないのだ。
そんな彼の言葉を聞いて、ギルバートは口ごもる。
「それは……」
「……ならば、あがくだけあがけ。そうするより他はなかろう。それがどう転ぶかは、お前次第だ」
将志はそう言って、ギルバートから視線を切った。
それは彼が言える、最大限の応援の言葉であった。
「…………」
それを聞いて、ギルバートは礼も言わずに立ち去っていく。その瞳には、更に強くなった強さへの執念の炎が灯っていた。
その彼を見送りながら、将志はその脇に隠れていた小さな気配に声をかけた。
「……魔理沙、居るのだろう?」
「あ、ああ……」
ギルバートの後を追おうとしていた魔理沙は、将志に声をかけられて立ち止った。
その彼女に向かって、将志は首を横に振った。
「……止められないのなら、そっとしておいてやれ。さもないと、意地でも戦いをやめないぞ、あれは」
「……そっか」
将志の言葉に、魔理沙は悔しげにそう言って俯いた。
苦しんでいる友人に何もしてやれなかった。その事実が、彼女の胸に突き刺さるのだ。
そして、今の自分には何も出来ないということも、何となく理解していた。
「……兄ちゃん、あれで良いのかよ? あいつ、きっとまた他所で暴れるぜ?」
その横で、アグナがギルバートの去っていた方を見てそう口にした。
無用な喧嘩を仕掛けているのが気に食わない様であり、かなり機嫌を損ねている様子であった。
そんな彼女の言葉に、将志は小さくうなずいた。
「……これで良い。あいつを止められるものは間違いなく居るし、それはすぐに現れる。ただ、それが俺達ではないというだけだ」
「どうして俺達じゃ止められないんだ?」
「……男には、男にしか分からない事がある。その逆もまた、然りと言うことだ」
将志はただそれだけ言うと、小さく息をついた。
そんな彼の一言を聞いて、アグナは白い目で将志を見やった。
「兄ちゃん、俺も一応女なんだけど?」
「……お前は少々男らしすぎる。性別に反してな」
不服そうなアグナの物言いに、将志は薄く苦笑いを浮かべて答えるのであった。
「わ~っ!? い、いきなり何なのよ!?」
そんな中、突然チルノの叫び声が聞こえてきた。どうやら緊急事態らしく、声に全く余裕がない。
そんな彼女の声に、二人はその方に目を向けた。
「何よ、せっかくご褒美にペロペロしてあげようっていうのに。だからさぁ、まずはその服を脱いでから……」
「ひゃうっ!? く、くすぐったいってば!」
するとそこには、チルノの体に抱きついて笑みを浮かべる宵闇の妖怪の姿があった。
その手はチルノの洋服の中に伸びており、それが動くたびにチルノはくすぐったそうに体をよじる。
そして次の瞬間、ルーミアの手からチルノの姿が突然消え失せた。
「チルノちゃんに手を出さないでください!」
そう口にしたのは、緑の髪の大妖精であった。
彼女の手の中には先ほどまでルーミアに弄られていたチルノの姿が。どうやら、瞬間移動の能力を使ってチルノを手元に引き寄せたようである。
そんな彼女を見て、ルーミアはつまらなさそうに頬を膨らませた。
「え~、良いじゃないの。取って食おうって訳じゃないんだし」
「貴女が言うと二重の意味で信用ならないわよ! 大体それがご褒美っておかしいでしょう!」
そう言って抗議するのは、夜雀の妖怪。
彼女自身もルーミアの被害にあったようであり、叫ぶような猛抗議を行っている。
しかし、そんな彼女達の言葉にもめげず、ルーミアは再びチルノにとりついた。
「立派なご褒美じゃない。脳が蕩けて飛んでいくほど気持ちよくなれるんだし……」
ルーミアはチルノの腰に抱きついて服をまくり上げ、中を手でまさぐりながら脇腹に舌を這わせる。
その動きは異様に柔らかく、じれったい刺激を相手に与える。
「あ、あぅ……やめてよぉ……こんなのっ、やだぁ……」
それを受けて、チルノは逃げるように身をよじる。
しかし力の強いルーミアからは逃げられず、その手や舌が動くたびに弱い電気が走るような感覚を覚えてはびくりと体を震わせる。
普段は感じることのないその刺激に戸惑いと恐怖を覚えているのか、その眼には涙が浮かんでいた。
「何やってんだテメエはぁぁぁぁぁぁ!!」
「きゃん♪」
そんな白昼堂々淫行を働く不逞の輩に、アグナは紅蓮の炎を纏った強烈なドロップキックをお見舞いするのであった。
ルーミアはそれを受けて、とても嬉しそうな表情で地面を転がる。
その表情は、周囲で見ているものがドン引きするレベルの恍惚としたものであった。
「あぁん♪ なになに、お姉さま嫉妬してるの? しょうがないなぁ、それじゃあまずはお姉さまからペロペロしちゃう♪ それ~♪」
ルーミアは即座に置きあがると、一直線にアグナに向かって、両手を広げて突撃していく。
そんな彼女に、アグナの堪忍袋の緒はいつものように百万回ぶっちぎれるのであった。
「床でも舐めて、空に飛んでいきやがれぇぇぇ!」
走ってくるルーミアの顔面を地面に叩きつけ、そのまま持ち上げて火炎竜巻に飲み込むアグナ。
その竜巻は天高く燃え上がり、激しい上昇気流を生みだした。
「あ~~~~~~~れぇ~~~~~~~~~~~~!」
その攻撃を受けて、ルーミアは常に北に存在する星まですっ飛んで行くのであった。
「……毎度毎度この茶番も良く飽きないものだ」
将志は呆れ顔でそう口にする。
もはや銀の霊峰の日常風景となってしまったそれに、溜め息しか出ない様である。
「……どうして、私じゃ止められないんだ?」
その横で、搾りだすような声で魔理沙がそう口にする。
その肩は震えており、その手は硬く握られている。
彼女には分かっているのだ。ギルバートの、自分の力不足に喘ぐ気持ちが。
何故ならギルバートに銀月が居るように、魔理沙には霊夢という強力なライバルが居るのだ。自分がどんなに努力しようともそれを軽く超えてきてしまう天才。それを相手にしているからこそ、自分もギルバートが銀月に負けて焦る気持ちも理解できるはずだと思っているのだ。
それなのに、ギルバートは自分の言葉を聞いてすらくれないのだ。彼女には、それがとても淋しかった。
その姿を見て、将志は少し考えてから、小さくため息をついた。
「……そうだな……(お前だからこそ、止められないのではないか?)」
そうして、将志は魔理沙に考えられるその理由を話したのであった。
金髪の青年が、ボロボロの姿で宙を漂う。
その表情は暗い。必死で気が狂うような特訓を重ねたにもかかわらず、雷禍には本来なら瀕死になるほどに痛めつけられ、更には自分より格下であったはずのチルノにすらあっさり負けてしまったのだ。
今の彼には、自分を見つめなおす時間が必要だった。
「ギルバート」
そんな彼に、後ろから少女の声がかけられる。この声色は冷たく、まるで赤の他人に話しかけているようであった。
「……なんだ、アリス」
その声を聞いて、ギルバートは振り返ることなく返事をした。
心身ともにボロボロになった彼は、こんなみっともない状態で振り返ることなどプライドが許さなかったのだ。
そんな彼に、アリスは小さくため息をついて口を開いた。
「次はどこで暴れるつもりかしら?」
「……さあな。魔法の森の怪獣にでも殴りこみかけるか?」
「そんなことされたら迷惑よ。暴れるのをやめるか、せめてもっと被害の出ないところでしなさい」
自分の心を隠すように背を向けたまま、わざと砕けた口調でそう口にするギルバート。
それに対して、アリスは相変わらず冷たく突き放す。自分に目も向けようとしない彼に、彼女の苛立ちは募っていく一方であった。
それでも、やはりギルバートは背を向けたまましゃべり続ける。
「じゃあ、どこでやれってんだ?」
「そうね、紅魔館とか?」
「分かった」
ギルバートは小さくそう返事をすると、紅魔館へと真っ直ぐ飛んでいった。
結局、最後まで彼はアリスを見ようとはしなかった。
「……馬鹿」
そんな彼の後姿に、アリスは俯いて小さくそうつぶやいた。
彼女はギルバートが去ってからしばらくの間、彼がそうしていたように漂っていた。
ギルバート大暴走。
そこらじゅうで暴れまわって迷惑をかけ始めています。
魔理沙もアリスも、そんな彼に思うところがあるようですが、なかなか上手く伝わらない様子。
そんな彼に、雷禍が大激怒です。
彼が何故ギルバートにここまで腹を立てたのかは、後日明らかにします。
というより、今のギルバートが過去話の雷禍そっくりなんで、当然過去に話が飛ぶんですけどね。
チルノは確実に成長していっています。
チルノは頭で考える前に、身体で色々覚えて成長していくタイプだと私は思っています。
個人的には、チルノが一般の妖精よりも強いのはその成長率が異様に高いからだとも思っています。
そしてここまでのシリアスな空気を全て台無しにするルーミア嬢。
アグナも毎度毎度彼女のお守りに手を焼いているようです。
……どうしてこうなった。
では、ご意見ご感想お待ちしております。