銀の槍、問われる
時は移ろい宴会当日。
永遠亭の広い庭では欠け始めた月の下、多くの人妖が集まって宴が始まっていた。
そんな中、医師と九尾と道化師が何やら困った表情を浮かべて顔を見合わせているのであった。
「……藍、この状況はどうすれば良いのかしら?」
「私もどうすれば良いのか分からないな……」
「きゃはは……まさかこう来るとは思わなかったな……」
そう言い合いながら、三人は同じほうを見る。
そこには、三人の想い人である銀髪の青年が座って酒を飲んでいた。
そして、何故三人が困っているのかと言えば。
「…………」
その胡坐をかいた彼の膝の中に、秋の紅葉の女神が鎮座しているからなのであった。
その体からは、静かでありながら強烈な重みを感じる怒りのオーラが漂っていた。
彼女は何も言わずに、将志の膝の上で静かに酒を飲み続けるのであった。
「……俺は料理を作らねばならんのだが」
「……まだ早い」
「……下ごしらえもまだ済んでいない物があるのだが」
「……銀月に頼んできた」
「……いつの間に……」
いつの間にやら行われていた静葉の周到な手回しに、将志は思わず舌を巻く。
彼としては、それを理由にして何とか問題を先送りにして考える時間を得ようとしたのだが、その策は既に潰されていたようである。
将志が移動を諦めたと見るや、静葉は将志の膝の上に深く座りなおす。
彼女の目の前には一合徳利ではなく一升入りの瓶が二本置かれており、どうやら逃がす気は毛頭ないようである。
「……どうして何も言わなかったの……?」
そんな中、静葉は将志の膝の上で身体を反転させ、将志と向き合う形になってそう口にした。
彼女の眼はとても悲しげであり、一言も相談のなかった将志に対する淋しさがにじんでいた。
その目を見て、将志は小さくため息をついて朱塗りの杯の酒に口を付けた。
「……言ったところで、お前に何が出来る?」
「……貴方についていくことが出来る……」
「……それで良いのか? お前には、妹も居るだろうに」
静葉の言葉に、将志は射抜くような視線で彼女の眼を見返した。
その黒耀の瞳は、彼女の言葉が相応の覚悟を持って放たれたものかを見定めようとする意思が見て取れた。
「……穣子も巻き込んでしまえば良い」
「……この幻想郷と言う世界を敵に回すことになってもか?」
「……貴方が主人のためにそうすることが出来たように、私は貴方にそう出来る」
一方の静葉も、瞬きすらすることなく将志の問いに答え続ける。
彼女も必死なのだ。何故なら、将志は主のために全てを捨てる覚悟を持っており、それに追いすがっていくのは並大抵のことではないからである。
故に、静葉には迷いはない。迷う余地など残されていないほど、彼女は必死だったのだ。
そんな彼女を見て、将志は諦観の念のこもったため息をついた。
「……止めにしよう。もしを語っても無益な上に、お互いの意見は平行線になりそうだ」
「……同意」
「……さて、そうとなればせっかくの宴席の場だ。お互いに楽しむとしようか」
「……(こくり)」
将志の言葉に、静葉もそう言って頷いた。
もう過ぎ去ってしまったことに言及するよりも、今を楽しむことの方が有益であるというのは、共通認識のようである。
二人は特に何も話すことはなく、論争のタネをすっかり忘れてゆっくりと酒を飲む。
ただ傍にいるだけで良い。それだけで、二人の時間は穏やかで暖かくなっていくのだ。
そんな二人を、永琳達三人は遠巻きにジッと眺めているのであった。
「何故だろう、何だかあの二人が一緒に居るとすごく近づきにくいわ」
「あの二人はいつもそうなるんだよね♪」
「二人とも普段は物静かだからな。お互いにああしているほうが落ち着けるんだろう」
三人は二人のかもし出す独特の穏やかな世界を眺めながら、口々にそう言った。
二人はとても幸せそうで、この空気を壊したくないという感情が湧き上がって来て近づけないのだ。
楽しそうな表情とも違う、二人の穏やかな微笑。それは普段の彼らを知るものにとっても、これほどまでのものはなかなか見られないものであった。
「……そういえば、あんなに穏やかな将志の顔って、あまり見たことがないわね」
普段の自分では作り出せない表情を見せる将志を見て、永琳は小さくため息をつく。
その手は白くなるほど固く握られており、彼女の抑えている内面がありありと映し出されていた。
そんな彼女を見て、藍は呆れ顔で頭を抱えてため息をついた。
「……永琳。お前本当に嫉妬深いな。少々独占欲が強すぎないか?」
「ええ、強いわよ。本当は誰にも渡したくないもの」
「キャハハ☆ 主様は欲張りさんだね♪」
きっぱりとそう公言する永琳に、愛梨は楽しそうにそう言って笑った。
彼女は彼女で、この状況を楽しんでいるようである。
「……おい、善治。こいつはどういうこった?」
「……なあに、奴がとんでもない女誑しだってことが分かっただけだ、雷禍。そして、リア充と言う名の敵だ」
その一方で、青い特攻服に赤いサングラスをかけた黒髪の男と、銀縁眼鏡にワイシャツ姿の青年が親の仇を見るような目で将志の姿を眺めていた。
彼らを招待したのは銀月であり、今回の満月の騒動で迷惑を掛けたと思ったがために招待されたのであった。
ところがどっこい、実際に来てみれば目の前には寄り添ってほっこりしている男女二名と、それを羨ましそうに眺めている美女三人と言う光景である。
それは、この場にいる淋しい男二人組みの逆鱗を刺激するのに十分であったようである。
「にゃろう……どうにかして爆発させられねえかねぇ?」
「ふふふ……だが、今回は秘密兵器がある」
「ん、何だ?」
「これだ。ついこの間、天狗の里の某所で取られた写真だ」
善治はそう言うと、ポケットにしまった手帳から一枚の写真を取り出した。
その写真には銀髪の青年と黒髪の妙齢の美女が抱き合って眠っている姿が写されており、傍らに写りこんだ銀の槍と黒い翼が彼らの身分を指し示している。
そして、今目の前ではその写真の青年そのままの男が他の女子と仲良くしており、写真の当事者である女性は今日この場にいる者の中には居ない。
それらの事情を察知して、雷禍はあくどい微笑を浮かべた。
「これ、兄貴と天魔か? 何やら面白えことになってんじゃねえか、あぁ? どうやって手に入れた?」
「文と話をして、油断したところをスッた」
「……どこでそんな技術を?」
「イカサマをするには手先が器用じゃないといけないからな。それに、スリの技術なんざ調べれば誰でも分かる。もっとも、俺が必要だったのは逆にねじ込む技術だったがね」
「……犯罪だけは起こすなよ」
もしかしてこいつが一番性質悪いんじゃねーか等と思いながら、引きつった笑みを浮かべながら雷禍はそう口にした。
そんな彼の言葉を無視して、善治は更なる悪魔の言葉を投げかけるべく雷禍の耳元に口を置いた。
「さて、これをあの場に投入したら……楽しいことになると思わないか?」
「かっはっは! 最高だぜ、善治ちゃん! うっし、それじゃあ突ってくるわ!」
雷禍は写真を受け取ると、嬉々として将志たちの所へと駆けていく。
善治はそんな彼を見送ると、くすっと笑って彼に背を向けた。
「……あばよ、雷禍。お前もついでに爆発しな」
「あんぎゃあああああああああああああああああ!」
善治がそう口にした瞬間、雷禍の悲鳴が辺りに響き渡った。
彼の表情は清々しいまでのしたり顔。どうやら、こうなることを最初から計算していて、全てを仕組んだようであった。
善治は雷禍の悲鳴を肴にして、人狼の里から輸入されたビールを飲む。
焙煎された麦の香ばしい香りを漂わせる黒ビールは、爽やかな苦味と目の覚めるようなキレのある喉ごしを残しながら彼を酔わせていく。
「ちょっと良いかしら?」
そんな彼に、声を掛ける者が約一名。
善治がその声に目を向けると、そこには長く艶やかな黒髪の美しい少女が立っていた。
彼はその見知らぬ少女に怪訝な表情を浮かべながら、少し固い表情で口を開いた。
「ん? あんた、何者だ?」
「蓬莱山輝夜。この永遠亭を管理しているものよ」
善治の言葉に、輝夜は特に何も気にすることなくそう答える。
その答えを聞いて、善治の表情から固さが少しなくなり、彼は小さくため息をついた。
「はあ。失礼、自己紹介が遅れた。俺は遠江善治だ。で、その管理者が何の用だ?」
「貴方、さっき妖怪と一緒に居たじゃない? どんな関係かなと思ってね」
「世帯主と居候だ。もっとも、最近はどっちが世帯主か分からなくなってきているがな」
「え、一緒に暮らしてるの?」
「ああ。こんな魑魅魍魎が人間に混じってはびこっている世界だ、別におかしくは無いだろう? 不老不死の蓬莱人さん?」
自分の常識とはかけ離れた事実をつらつらと述べられてきょとんとしている輝夜に、善治は自分の能力の一部を明らかにする。
それは一種の牽制のための言葉であり、初対面の相手の反応からその目的を見定める行為であった。
それを受けて、輝夜は訳が分からず首を傾げた。
「あら、私が何者か分かるのなら、何でさっきそれを聞いたのかしら?」
「あんたがどういうつもりで話をするのか気になったからな。もし偽名でも使おうものなら、早々にお帰り願っていたところだ」
「用心深いのね。でも、そうまでする必要があるのかしら?」
「あるからするんだよ。俺にはここの連中みたいに戦う力はない。それなら、そうならないように予防策をとるしかないわけだからな」
善治は輝夜から眼を逸らすことなく、その一挙一動を逃すまいと目を光らせる。そしてしばらくすると、警戒を解いてビールを口にし始めた。
輝夜の力の強さを能力で知って身構えていたが、その来歴や挙動から自分に対する害意は無く、ただ外の世界に対する興味であると判断してその場相応に気を緩めたのだ。
その彼の言葉を聞いて、輝夜は良く分からない表情を浮かべてうなずいた。
「成程ね。でも、そういった割にはあの妖怪と一緒に暮らしているのは何でかしら?」
「それは簡単なことだ。そうすることで得することがあるからだ。例えば、あいつのお陰で俺はこういう場所にもこられるし、何かあったときに守ってもらうことも出来る。その代わりに、家賃の折半や色々な手続き等は俺がすることになっている」
「一緒に暮らすだけじゃなくて、お互いに利用しあってるわけね」
「そういうことだ」
善治はビールを飲みながら、輝夜の質問に答えていく。
その中で、輝夜は何か引っかかるものを感じて更なる質問を善治に投げかける。
「ところで、一つ聞きたいんだけど良い?」
「何だ?」
「何だか、あんたの言い回しが少し気になるんだけど、あんたは別のところから来たの?」
輝夜は自分の疑問を素直に口にした。
それを聞いて、善治は少し目を細めた。彼は自分の来歴を仄かに匂わせる発言をわざとして、彼女がそれに気付くかどうかをそれとなく試したのだ。
その技術は、外の世界で彼が身に付けたものであった。彼は相手がどのレベルで話をするのかを見極める術を持っているのであった。
善治は彼女の性格や考察力を計算し、友好的な関係を築いて安全を手に入れるストーリーラインを即座に考えて口を開いた。
「その通り。俺がいた世界には、妖怪なんて居なかった。それがある日突然ここに迷い込んで、奴に拉致されてそれっきりと言う奴だ」
「帰りたいとは思わないの?」
「思わないわけじゃないが……正直、もうどうでも良い」
「どうでも良い?」
「そりゃあ、俺が居た世界は文明が発達して便利だったさ。けどな、ここの生活は不便だがこれはこれで良いものだ。向こうじゃ、こうもゆったりとした生活は出来ないだろうさ」
輝夜の質問に、善治はゆっくりとビールを飲みながらそう口にした。
その口から出たのは紛うことなき本心であり、今この瞬間を満喫している証でもあった。
「そうは言うけど、妖怪が怖くないの? 人食い妖怪だって居るのに」
そんな彼に、輝夜は更に質問を重ねる。
彼女にとって、幻想の住人であり、外来人でもある善治はとても興味の引かれる存在であった。
幻想郷の人間ではなく、更に妖怪との交わりの少ない外界の人間。
輝夜は、ようやく巡ってきた外の世界と触れ合う機会を逃すまいと全力を出しているのだ。
そんな彼女の様子を見て、善治は更に興味を引いて会話を繋げるべく口を開いた。
「そりゃあ怖くないと言えば嘘になる。第一、俺は妖怪と戦うような力もないし、襲われたら喰われるしかない」
「じゃあ、元の世界の方が安全なんじゃない?」
「本当にそうか?」
輝夜の言葉を聞いて、善治はそう言って笑う。
「え?」
その言葉に、輝夜は不意を打たれてパチパチと目を瞬かせた。善治の口にした言葉は、あまりにも想定外のものであったのだ。
そんな彼女に善治はどういうことかを説明すべく口を開いた。
「まず、この世界では人里を出ない限りはまず妖怪に襲われる心配が無い。次に、その人里から出る用は普通に生活する限りは皆無だ。更に、人食い妖怪の餌となる人間は外の世界から調達され、その中で需要が満たされている。つまり、この幻想郷で既に顔なじみになっている俺は妖怪に食われる心配は多少なりとも低くなっているわけだ。対して、外の世界は移動手段としての乗り物や作業ロボット等が発達しており、人間のすぐ横でそいつらは動いている。当然それだけの危険性はあるし、実際に交通事故だけで年間四千人以上が死亡しているわけだ。さて、幻想郷で妖怪に食われるのと、俺の居た世界で事故死する確率と、どちらが高いと思うかな?」
善治は自分の持っている考えを輝夜に伝える。
その言葉は滞りなくすらすらと口から出てきて、その情報が正しいと信じ込ませるには十分な力を持っていた。
「……そう言われると、確かに人里に居れば安全な気がするわね」
それを聞いて、輝夜は意外そうな表情で口元に手を当てて考え込んだ。妖怪の危険性とは別の角度からの視点は、彼女にとって面白いものであったのだ。
そうやって真面目に考え込む彼女を見て、善治は思わず苦笑いを浮かべた。
「まあ、本当にそうかは分からないがね。本当は車に轢かれるより妖怪に食われる確立の方が高いかもしれないしな。ある一面だけを見てどちらが安全なのかを判断するのは難しいってことだ。大体、幻想郷の良さはそんなもんじゃない」
「どういうこと?」
「利益優先の考えを持った奴が少なく、人情家が多い。外の世界みたいに殺伐としていないのさ」
善治はそう言いながら、三度ビールに口を付ける。
その様子はとてもリラックスしており、その言葉の意味をしみじみと感じているようであった。
「ふ~ん……それじゃあ……」
そんな彼に、輝夜は次々と質問し続けるのであった。
その一方で、片割れの男が写真を持って言った先では穏やかな空気が一変して別の意味で近づきがたい……と言うよりも近寄りたくない空間が完成していた。
四人の女性が一人の男を取り囲むように立っており、その中心の男は正座をさせられている。
「ねえ、将志? この写真はどういうことかしら?」
「……それは、あの虚けが酔って暴れたからであってな……」
永琳に雷禍の持ってきた写真を見せられて、将志はそう言いながらも必死に目を逸らす。
彼にとっては全くの不意打ちであり、このような写真が撮られていたことも覚えていなかったのだ。
「ほう、では酔って暴れてどうしたらこう抱き合って寝る状態になるんだ?」
「これ、将志くんも酔ってたのかな? じゃないと、こうはならないよね?」
「……人の口の中に酒瓶を突っ込んでくれば、こうもなる」
「……でも、良く見ると頬に少し濡れた痕がある……」
「これ、どう見ても口づけの痕よね? 本当に、一体どういうことかしら?」
弁明をしようとする将志に、一気に畳み掛けるように取調べを行っていく四人の取調べ役。
彼女達は写真に写るどんなに些細な事象も見逃さず、素早く正確に分析して彼の不逞を暴き出していく。
「……それは、これが一番黙らせるのに手っ取り早い方法でだな……」
永琳の問いかけに、将志は苦し紛れにそう口にする。
しかし、それは大きなあだとなった。
「ほ~う? 滅多なことではこうはしないくせに、天魔を黙らせるためにはこうするのか」
「キャハハ……ちょっとあんまりなんじゃないかなぁ……ねえ、将志くん?」
「……以上に遺憾」
鋭く目を光らせて、将志を取り囲むように迫ってくる三人。
藍と愛梨は背筋が凍るような薄ら笑いを浮かべており、静葉はジトッと絡みつくような視線を将志に向けている。
「……どうしてこうなった……」
「自業自得よ。さて、どうしてくれようかしら?」
がっくりとうなだれる将志の肩に手を置きながら、永琳はくすくす笑いながらそう口にする。
その手には、どこから持ってきたのか酒瓶が握られている。
どうやら何か良からぬことを考えているようであり、それを実行しようとしているようである。
それを見て、他の三人もニヤリと笑みを浮かべた。
「……どうするの?」
「このときの将志は酷く酔っているんでしょう? だから、思いっきり酔わせれば……」
「私達も同じことをしてもらえるというわけか」
「キャハハ☆ こんなに酔った将志くんなんて、滅多に見られないもんね♪」
分かっていて質問をする静葉に永琳が答え、藍と愛梨が二の句を告げる。
全員完全に永琳の提案に乗り気であり、将志を酔い潰す気満々といった様子であった。
「あの……お姉さま方?」
そんな中、また別の男の声が聞こえてくる。
その声を聞いて、四人の女性は揃って自分の足元を見る。そこには先程写真を持ってきた男が低い足台と化していた。
その男に、静葉は話を邪魔されて不機嫌そうな表情で声を掛ける。
「……何?」
「私めはいつまで踏んづけられているのでしょうか……?」
「なあに、こういう人を貶めるようなことをする奴は、お仕置きが必要だろう?」
「キャハハ☆ 情報は嬉しいけど、こういうことはちょっといただけないね♪」
雷禍の言葉に、藍は冷たく声を掛け、愛梨はいつも通りの笑顔でそう言い放つ。とりあえず、二人とも簡単には逃がしてくれそうも無い様である。
そんな彼女達に、雷禍は困った表情で頭をかく。
「あ~、俺にそんな趣味はないんだが……」
「それは良かった。それで喜ぶ趣味があったら思いっきり殴れなくて困るところだったからな」
「ってちょっと待てぇ! そりゃひょっとしなくてもただの八つ当たりじゃねえか!」
藍の一言に、自分が鬱憤を晴らす材料に使われていることを知って雷禍は怒鳴り散らした。
そんな彼の叫びもどこ吹く風と言った様子で、静葉は澄ました様子で首を傾げた。
「……悪い?」
「悪いに決まって、ひぃ!?」
雷禍が反論しようとした瞬間、白羽の矢が彼の頬を掠めて地面に突き刺さった。
蒼褪めた表情でその射手を見ると、彼女は鬼も裸足で逃げ出すような怒気を放ちながら、絶対零度の瞳を雷禍に向けて矢を番えて弓を引いていた。
「こんな写真を使って将志を貶めようとしたのよ? これくらいの罰、軽いくらいじゃないかしら?」
「……すみませんでした……」
殺意すら感じる永琳の眼光の前に、雷禍は大人しくするほか無くなった。
「あれ? あーっ!?」
突如として、驚いたような愛梨の声が辺りに響き渡る。
その声を聞いて、永琳がその方に目を向ける。
「どうしたのかしら、愛梨?」
「将志くんがいない! 逃げちゃったんだ!」
愛梨の言うとおり、将志がいたはずの場所には誰も居なくなっていた。
どうやら、四人が雷禍に気を取られている一瞬の隙を突いて逃げ出したようであった。
それを知って、四人の顔に暗い影が落ちた。
「ふ~ん……そっか……逃げるのか……ふふふ……」
藍は妖艶な笑みを浮かべて将志がいたであろう場所を見つめる。
「……キャハ★ キャハハ★ キャハハハハハハ★ 本当に、逃げるなんて悪い子だなあ、将志くんは♪」
愛梨はネジの外れた笑い声を上げながら、空を見上げる。
「……逃がさない」
静葉は鋭い目つきで周囲を見回す。
「……将志の逃げそうな場所なんて限られているわ。追いつくのは容易いことよ」
永琳は将志の逃走経路をシミュレートしながら、小さく笑みを浮かべる。
「あぎゃはぁ! かかと、かかとはダメぇ!!」
そして、雷禍は四人に背中をかかとで踏みつけられて痛みに悶えるのであった。
「……何だか、父さんの居た辺りが大変なことになってるんだけど……」
「あははは……将志さん、やっぱりモテるんだね……」
そんな彼らの様子を、銀月は料理をしながら渋い表情で見ていた。
その隣では鈴仙がその手伝いをしており、火の番をしながら調味料を混ぜ合わせている。
「まあ、昔から色々とあったみたいだし、人の色恋沙汰に首を突っ込む気はないよ。周囲に被害が及ばない限りはね……あ、ちょっとそれとって」
「はい」
「ありがとう」
銀月は鈴仙から玉葱を受け取ると、素早く薄切りにし始めた。
日頃より手入れされている彼の包丁の切れ味は抜群であり、彼は目を傷めることなく、向こう側が透けるほどの薄さにスライスしていく。
そんな彼の包丁捌きを、鈴仙はじっと眺めていた。
「それにしても、銀月君作業早いね。やっぱり慣れてるから?」
「そりゃそうだよ。だって、毎朝百人分くらいは料理してるわけだし、時間までに届けなきゃいけないからね。素早くこなさないと仕事にならないんだ」
「そっか。これじゃあ、あんまり私は役に立たないかもね」
「そんなことはないよ。一人火の番が居るだけで随分と作業は楽になるものさ。だから、そっちの方を見てくれると助かるよ」
「うん、わかったよ」
銀月は鈴仙と話をしながら器に生野菜を盛り付けていき、サラダを仕上げていく。
その中で、銀月は小皿に小さくちぎったレタスを取り、ドレッシングをかけて鈴仙に差し出した。
「この味どうかな?」
「うん?」
鈴仙は小皿からレタスを取り、口の中へと運んで咀嚼する。
口の中ではゴマの香りとほのかな甘みが広がり、レモンの酸味がサッと引いてスッキリした感覚を口の中に残していく。
その味に、鈴仙は笑顔で頷いた。
「美味しいよ。でも、私に聞かなくても良かったんじゃない? 銀月君の方が分かってるだろうし」
「そうでもないさ。これは俺が自分で考えた奴だから、他の人がどう感じるか分からないんだ。だから、今回は鈴仙さんにも見てもらおうと思って」
「そっか。っと、ハーブはこんな感じで良い?」
鈴仙はそう言うと、先程まで混ぜ合わせていた香辛料を銀月に差し出す。
銀月はそれを少しとって口にすると、少し驚いた表情で調合された香辛料を見やった。
「うわっ、これすごい。これ、何使ったの?」
「結構色々な種類のハーブを混ぜたよ? 十種類くらいね」
銀月は香辛料をジッと眺め、口の中で転がしながら鈴仙に問いかける。口の中に残るハーブの香りは絶妙に調和しており、彼の想像を超えたものであったのだ。
そんな彼の反応に、鈴仙はしたり顔で答えを返した。調理を本職としている銀月に料理関係で驚かせられたのが嬉しいようであった。
「そんな複雑な奴なんだ……よくこんな配合考えたね?」
「ふふふ、私だって薬師の端くれだもの。薬草の調合は得意分野なんだから」
「後で教えてくれるかい?」
「う~ん、どうしようっかな~♪ あれを教えてくれたら良いかな~?」
「え~……あれはちょっと……」
銀月と鈴仙はそう言い合いながら、楽しげに料理を仕上げていく。
そんな彼らの様子を、遠巻きに眺めている銀髪のメイドと庭師の二人組みが居た。
「妖夢。あれ、どう思う?」
「何だか夫婦みたいな会話ですね」
「そうよね。よく二人とも「あれ」とか「それ」とかで通じるものね」
仲の良さげな二人の会話を聞きながら、二人はそう言い合う。
二人の会話には実にこそあど言葉が多く、当事者にしかほとんど意味の分からない会話になっていたのだ。
「ところで、銀月への罰をどうするか考えた?」
「ええ、もちろんです♪」
咲夜の返答に、妖夢は眼を輝かせながらそう口にした。
その目を見て、咲夜は全てを察して笑みを浮かべた。
「たぶん、一緒にすることになりそうね?」
「はい♪」
二人はそう言って頷きあうと、銀月のところまで歩いていく。
そして、妖夢は少し急ぎ足で咲夜の前に出ると、銀月に話しかけた。
「銀月さん♪」
「ん? えらく上機嫌だけど、どうしたの、妖夢?」
「それっ」
「ふにゃっ!?」
妖夢に気を取られている間に、咲夜は音もなく後ろから近づいて銀月の頭を撫で付けた。
その瞬間、銀月の体から一気に力が抜け咲夜の方へと倒れみ、咲夜はそれを後ろから抱きかかえて支えた。
「ふぇ……しゃ、しゃくやしゃん……?」
「相変わらず手触りの良い髪ね、銀月。手入れが行き届いてるわ」
銀月は上を見上げるようにして咲夜の顔を覗き込む。
それに対して、咲夜は姉が弟を見守るような穏やかな微笑を浮かべながら銀月の頭を撫でる。
彼女に手には絹のような髪の手触りが伝えられ、銀月には否応無しに全身の力が抜けていく感覚が生み出されていく。
「ふぁあ……あぅ……まだお料理が……ふにゅ……」
「ダメよ。これは罰よ。大人しく受けなさい」
銀月は料理を作ろうとして必死で堪えようとするが、咲夜は銀月を抱え込みながら弱い部分を絶妙な力加減で撫でていく。
そしてとうとう、銀月は腰砕けになって咲夜に抱えられながらズルズルとその場に倒れこんだ。
「ふみぃ……ダメ……ダメなのにぃ~~~~……」
「ああ……気持ちよさそう……ほっぺたもモチモチしてますね」
「むぎゅ……」
紅潮した蕩けた表情で抵抗にならない抵抗を続ける銀月の頬を、妖夢がうっとりとした表情で弄り始める。
妖夢の指先には柔らかでハリのある弾力が伝わってきて、こちらも十分に手入れされていることが分かるものであった。
銀月はもはや言葉を失うほどに骨抜きになっており、完全に触れられている心地良さに負けてしまっていた。
「ぎ、銀月君?」
そんな彼の様子を見て、鈴仙は困惑した表情を見せた。
普段飄々としていて何事も割と冷静に捌いて行く姿しか見せたことのない銀月が、ここまで駄目になったところを見るのは初めてだったのだ。
鈴仙の様子を見て、咲夜はクスリと笑みを浮かべた。
「あら、銀月のこの姿を見るのは初めてかしら?」
「そりゃあそうですよ。だって、これ咲夜さんにしか出来ませんし」
咲夜の言葉に、妖夢は羨ましそうに彼女の方を見る。
妖夢としてはこの蕩けた状態の銀月の頬を弄ることが好きなので、自分で出来ないことが不満なのだ。
彼女の心境としては、ペットに懐かれている飼い主を羨むようなものなのであった。
その妖夢の言葉に、咲夜の笑みが深まる。
彼女もまた、普段はあまり隙を見せない銀月がここまで無防備な姿を晒すほどに懐かれて悪い気はしないのだ。
「そう。銀月は上手く撫でてあげるとこうやって蕩けちゃうのよ」
「結構可愛いでしょう? まるで猫みたいです♪」
「そ、そうなんだ……」
「みぃ……」
咲夜の膝の上にうつ伏せに寝転がり、気持ちよさそうに目を細める銀月。
鈴仙は少し顔を赤らめながら、ジッとそんな彼を見つめている。
その彼女の様子を見て、咲夜は再び鈴仙に声をかけた。
「変なところを撫でない限りは銀月は無抵抗よ。貴女も触ってみるかしら?」
「じゃ、じゃあちょっとだけ……」
咲夜の言葉に、鈴仙は恐る恐る銀月の顔に手を伸ばす。
髪は咲夜が、頬は妖夢が占有しているため、鈴仙は顎の下に手を持ってきて軽くくすぐった。
「んっ……はふ~……」
すると、銀月は鈴仙が触りやすいように頭の位置を少し移動させて、気持ちよさそうにため息をついた。
その様子は、無言で自分の欲求を訴える猫のようなものであった。
「(か、可愛い……)」
その銀月の欲求を、鈴仙は妙に真剣な表情で叶えることにしたのであった。
「んっ……♪」
顎と頬と髪を弄られながら、銀月は蕩けた表情でぐでっとだらける。
それはまさしくご満悦といった様子であった。
「ねえ六花。銀月って本当に猫じゃないの?」
そんな銀月を、彼の古い知り合いである化け猫が不思議そうに眺めていた。
どう見ても人間が普通するような反応ではないので、彼が自分の同属であることを疑っているのだ。
橙の発言を聞いて、問いかけられた桔梗の柄の赤い単衣を着た銀の髪の女性は微妙な表情でため息をついた。
「……そのはずなのですけど、最近段々自信がなくなってきましたわ」
「そっか……」
六花の言葉に、橙はそう言って考え込む。
その彼女に、六花は何か不穏なものを感じて声をかけた。
「何を考えてますの、橙?」
「ううん、銀月が猫だったら何とか使役できないかなぁって。言うこと聞いてくれそうだし」
六花の質問に、橙は素直な気持ちでそう答えた。
普段自分の言うことを仲間の猫達が聞いてくれないので、気の知れた弟分である銀月を使って練習しようと考えたようである。
それを聞いて、六花は頭を抱えて俯いた。
「いろんな方面の方が黙っていないでしょうし、それは諦めたほうが賢明ですわ」
「う~ん……」
橙は残念そうに唸りながら、銀月をジッと眺める。
その様子は未練たらたらといったものであり、目の前の猫っぽい人間のことを諦めきれないようであった。
「うぃ~……兄ちゃん、どこだ~!」
そんな二人の前に、燃えるような紅い髪の小さな少女がよろよろと歩いてきた。
彼女は酷く酔っているようであり、その歩調は今にも倒れてしまいそうな千鳥足であった。
「アグナ、そんなに酔っ払ってどうしたんですの?」
「だってよぉ……俺達を置いてくなんて淋しいじゃねえか……だから、兄ちゃんに思いっきり甘えて訴えてやるんだよ……」
アグナは焦点の定まらない目で、六花にそう訴える。
どうやら将志に構ってもらえずに自棄酒をかっ喰らったらしく、その手には何本目なのか分からない徳利が握られていた。
「生憎と、お兄様は逃亡中ですわ」
そんなアグナに、六花は短くそう告げる。
アグナがこういう席で酔っ払うのは割といつものことなので、特に気にすることは無いと思っているようである。
「……ぐすん……ちっくしょぉ……兄ちゃ~ん……ひっぐ……どこ行ったんだよぉ~……淋しいよぉ~……」
六花の言葉を聞いて、アグナは親とはぐれた子供のように涙をぽろぽろとこぼしてぐずりながら将志を捜して歩き始める。
余程淋しいらしく、周囲の様子に目もくれずにふらふらと会場の外に歩いていくのであった。
「……今のアグナ、何だか将志様がなかなか来ないときの藍様みたい」
「アグナも大変ですわね……まあ、お兄様も自分の置かれている状況に無頓着なのはどうにかしないといけませんけど」
アグナの様子に、橙は自分の主人の姿を重ね合わせ、六花は大きなため息をついた。
六花にしてみれば、超仕事妖怪である普段の将志の現状は大いに憂慮すべき事態なのであった。
「でこたーーーーーーーーーん!」
そんな中、また別の少女の悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。
そのあまりにも聞き覚えのある叫び声に、六花は「ああ、またですの」とでも言いたげな表情を浮かべて頭を抱えた。
「今のは涼の声ですわね……今度は一体何事ですの?」
六花は橙を連れたまま、涼の声がした方向へと歩いていく。
「にひひひひ……つっかまーえた!」
「ふぎゅ~……何でこんなところに落とし穴が……」
するとそこでは、頭に二本の角が生えた鬼の少女が、落とし穴にはまった黒い戦装束の少女を嬉々とした表情で引き上げているところであった。
どうやら涼は落とし穴に落ちたときに頭を打ったらしく、目を回しながら頭を押さえていた。
そんな彼女を、垂れたうさ耳の生えた小さな少女が呆れ顔で見ていた。
「あんたしっかりしているようで抜けてるわね。ここに罠があるのは、さっき教わってから知ってたでしょうに」
「ふ、不覚……」
「さあ、涼! ちょっと付き合ってもらおうか……」
「い、嫌でござる! 二日酔いは嫌でござる!」
涼の肩を抱きながら、萃香は黒い笑みを浮かべて自分の顔を相手の顔に近づける。
それに対して、涼はその顔を手で押しながら必死で逃げようとする。
そんな彼女の様子に、萃香は更に笑みを深めて顔を離した。
「あ、そう? それなら程々にしておいて、意識が残ってる状態で身包みはがして鎖で縛ってあれやらこれやら……」
「一体何を考えてるのでござるか!? は、放すでござる!!」
「うひひひひ……覚悟するのだ~!」
萃香はそういうが早いか、涼の手足を即座に鎖で縛り上げ、地面に転がした。
それを受けて、涼は真っ赤な顔で涙を浮かべながら、もがき始めた。
「ひぃ……て、てゐ殿! た、助けて欲しいでござる!」
「一介の兎が鬼相手に何が出来ると?」
「せ、殺生な~!」
涼の訴えを、てゐは極めて冷静に判断して答えを返した。
それに対して、涼はじたばたとしながら悲壮な表情で訴えを続ける。
「さてさて、御開帳と行こうか、涼ちゃん?」
萃香はそんな彼女の上にまたがり、服の襟に手を掛け押し広げるようにして乱暴に脱がそうとする。
それを受けて、涼は萃香を振り落とすべく暴れだした。
「こ、こら、服に手を掛けるなでござる!」
「良いではないか、良いではないか」
「いやあああああああああああああああああ!」
夜の竹林に、涼の悲痛な叫び声がこだました。
その決して長くは続かないであろう抵抗とそれをさせる犯人を見て、六花は盛大にため息をついた。
「萃香……あれではただのエロ親父と変わらないですわね……」
「助けなくて良いの?」
「しばらく涼が再起不能になるだけですし、いつものことですわ。それよりも、お兄様も銀月も料理が出来そうにありませんし、ここは私が作ることにしますわ」
「あ、今日は六花が作るんだ」
「ええ。お兄様のように派手なことは出来ませんけどね」
六花はそう言うと、収納札から割烹着を取り出して身に付け、台所へと歩いていく。
そんな六花に、橙は付いていくのであった。
「と、その前に」
しかし六花は何か思いついたようにふと立ち止まり、踵を返した。
突然の六花の行動の意味が分からず、橙は首をかしげた。
「どうしたの? 台所はあっちだよ?」
「ええ、知ってますわ。その前に、忘れ物があったんですの」
六花はそう言うと、宴会の会場の中へと歩いていく。
その視線の先には、ボロボロになって倒れている青い特攻服の男の姿があった。
「いつまで寝てるんですの、雷禍?」
「……お~痛ぇ。思いっきり踏みやがって……て、どうしたんだ姉御?」
六花が声を掛けると、雷禍は痛む体を軽くほぐすように動かしながら彼女のほうに目を向ける。
そんな彼に、六花は用件を切り出すことにした。
「今から料理を作りますので、その配膳を手伝ってほしいんですの。貴方なら、出来ますわよね?」
六花は少し挑発的な物言いで雷禍にそう問いかける。
その言葉を聴いて、雷禍は不敵な笑みを浮かべた。
「へっ、お安い御用だぜ、姉御。さてと、一丁一仕事しますかね!」
雷禍はそう口にすると、勢いよく立ち上がって六花の後についていく。
彼は台所に行くまでに、誰がどこに座っているかを見ながら、配膳の順番や置く位置を決めていく。
その様子は見るからに気合が入っており、その魂胆が誰が見ても分かる状態であった。
「……何かすごく張り切ってるけど……」
「ええ。単純で良いですわ」
そんな彼を見て微妙な表情をする橙に、六花は微笑ましい表情でそう口にするのであった。
「…………」
雷禍の姿を眺めているのは一人ではない。
桃色の髪の亡霊も、彼の行く先をじっと見つめている。
「そんなに雷禍のことが気になるのかしら?」
そんな彼女の隣に、白地のドレスに紫色の垂をつけた金髪の女性がやってきた。
幽々子はその声を聞いて雷禍から視線を切り、その声のほうへと目を向けた。
「ええ。だって、絶対彼は私に何か隠してるもの」
「本当に知らないのではなくて?」
「それはないわ。だって、彼は私が話を聞きに行く度にお財布が空になるまで私にご飯を食べさせるのよ? 普通なら、そんなことしないで逃げるなり追い払うなりするでしょう?」
「それじゃあ、貴方に惚れているということは考えられないかしら?」
「それもないわね。今の彼を見れば分かるけど、彼が熱を上げているのは六花。それに、彼って見た目や言動の割に案外硬派よ。少なくとも、浮気するようなタイプじゃないわ」
幽々子は感情ではなく、雷禍の行動から冷静に分析してそう口にする。
実際、幽々子がしている行動はどう大目に見ても歓迎される行為ではない。むしろ嫌われても仕方のない行為である。
しかし、雷禍は何度同じことをされても決して拒絶することなく、何とか理由をつけて切り上げる方法を採っているのである。
その様子は、誰の目から見ても不自然なものであるし、当然ながら紫にとっても違和感の残るものであった。
「……それで、雷禍が自分のことで何か知ってると思ったわけね。一つ聞きたいのだけれど、幽々子はどうしてそこまで雷禍のことが気にかかるのかしら?」
「それは気にもなるわよ。だって、彼は私と話すときにどこかつらそうなんですもの」
幽々子は自分の話に付き合っているときの雷禍の姿を思い出しながら、そう口にする。
幽々子と話しているときの雷禍は、基本的には普段どおりである。しかし豪放磊落ともいえる性格の彼が、彼女の前ではどこか居心地が悪そうなのだ。
大声で笑うこともなく、頻繁に目をそらし、自分からあまり口を開かない雷禍。普段の彼を知っているものからすれば、その様子は何かあったとしか思えないような態度なのであった。
それを聞いて、紫は小さくうなずいた。
「つらそう、ねえ。でも、幽々子にはそんな態度をされる心当たりが無いと」
「そういうこと。けど、どうにも手がかりが無いわ。どうしようかしら」
考え込む幽々子に対して、紫は口をつぐむ。
実は、紫には心当たりがあった。
紫も、生前の幽々子に自分の能力と妖怪であろうと死に至る危険性を聞かされていた。
つまり、幽々子の能力で死んだ、もしくは死に掛けた妖怪が居るということになる。
しかも、妖怪であることを話した自分にも恐れることなく好意的であったことから、その妖怪と仲が良かった可能性すら考えられた。
その一方で、雷禍は幽々子の記憶にないところで何か接点がある可能性が濃厚であり、距離を置きながらもどちらかと言えば好意的な感情を今の幽々子に向けている。
……紫の中では、ほぼ完璧に答えが出来上がったのだ。
「分かったわ。それじゃあ、私のほうからも少し当たってみるわ」
しかし、紫はそれを口にしない。
何故なら、それは雷禍本人の口から明かされるべきことであり、今はまだ自白させるだけの証拠も、そのための方法も持ち合わせていないからである。
それ故に今は話すべきではないと判断されたのだ。
「お願いするわ」
そんな彼女に、幽々子はそう言って料理が出てくるのを待つのであった。
/
ところ変わって、賑やかな宴会場の中心から少し外れたところ。
「……」
そこでは、金髪青眼の少年が一人静かにウィスキーのロックの入ったグラスを傾けていた。
周囲の賑やかさに溶け込むようにして座っておきながら、彼の周りだけまるで音の無い世界のように重苦しい静寂に包まれているのであった。
「楽しんでるかしら、ナイト様?」
その静寂を破ったのは、彼の知り合いである金の髪の人形遣い。
そんな彼女に、ギルバートは憂鬱そうにため息をついた。
「……ナイト様てのは何だ、ナイト様ってのは」
「別に茶化したつもりはないわよ。だって、あの時の貴方は本当におとぎ話の騎士みたいだったんだから」
アリスは別段からかう様子も無く、優しい声でそう口にする。
何があろうと決してへこたれることなく何度でも立ち上がり、守ると決めたものは必ず守り通す。
そんなギルバートの姿は、彼女から見て物語の中の勇敢な騎士の様であったのだ。
その彼の評価を聞いて、ギルバートは軽く頬を染めながらアリスから目をそらした。
「……その言い方、どうにも調子が狂うな……」
「それにしても、随分沈んでるじゃない。どうかしたの?」
「……いや、俺も随分修行が足りないと思ってな」
アリスの言葉に、ギルバートは暗い声でそう口にした。
「何言ってるのよ。私知ってるわよ? 貴方が影でもの凄い努力していること。それも、銀月のことを笑えないくらいね」
それを聞いて、アリスは訳が分からずきょとんとした表情を浮かべた。
ギルバートは、普段遊び暮らしているわけではない。次期領主という立場の彼はそれに向けた勉強も行っているし、戦闘に関してはアルバートやバーンズに稽古をつけてもらったり、魔法の森の怪物達を相手に腕試しをしたりしているのだ。
その頻度たるや、ほぼ休みなし。彼は、銀月のことをとやかく言えないほどに日々精進を続けているのだ。
それを知っているアリスには、ギルバートが何を持って修行が足りないと言っているのか分からなかったのだ。
そんな彼女に、ギルバートは俯いて首を横に振った。
「全力だったんだ……」
「え?」
「俺が月影に向かって、魔理沙の攻撃と一緒に出した一撃。あれな、あいつを思いっきりぶん殴るつもりで出したんだ」
「それがどうしたのよ?」
「分からないか? 一度狂ってまで出した俺の全力は、魔理沙の攻撃で疲弊したあいつの防壁しか壊せなかったんだぜ? と言うことは、本来なら俺の本気は月影に指一本触れられないって事だ。こんなんじゃ、本当に銀月が暴走したときにどうしようもなくなっちまうんだよ」
ギルバートは、悔しげにそういって自分の右手を握り締める。
濃密な満月の力を使って出した、自分の限界以上の力をこめた一撃。しかしその一撃は、自分の思うほどの戦果を挙げられなかったのだ。
彼には、それがどうにも我慢ならないようであった。
「何も、そこまで思いつめることないじゃない。今回みたいにまたみんなで止めれば……」
「……それじゃあダメなんだよ」
「え?」
「自分でもつまらん意地だとは思うけどな、あいつとはサシで対等じゃないとダメなんだよ。そうじゃないと、俺の気がすまない」
アリスの言葉を遮って、ギルバートはそう口にした。
その言葉には、幼いころから競い合ってきた好敵手に対する、執念のような感情が込められていた。
それを受けて、アリスは一つの疑問を抱いてギルバートに話しかけた。
「……ねえ、どうしてそうまでして銀月にこだわるのかしら?」
「あいつは、俺が初めて会った人間で、生涯をかけて倒す相手であり、俺の鏡だ。だから、奴にだけは絶対に負けたくない」
「鏡、ねえ? どうして銀月が鏡なの?」
「お前さ、銀月と戦ってみてどう思った?」
「どうって……そうねえ、技の引き出しは多いけど、一つ一つの技は割と大味だったわね」
ギルバートの問いかけに、アリスはそう口にする。
体術、槍術、呪術、魔法と、銀月の繰り出してきた技は実に多岐にわたり、実戦レベルで繰り出してきた。
しかし、いくら修行に時間を費やしたとしても限界がある。銀月は技を使えはするものの、まだまだ荒削りな部分が多分にあったのだ。
「お前から見てもそうなんだな。でもな、それじゃあ何であいつはそんな大雑把な技で銀の霊峰の門番格までこれたと思う?」
アリスの言葉を聞いて、ギルバートは少し苦笑いを浮かべながらそう口にした。
銀の霊峰の門番とは、そう生易しいものではない。腕の立つ妖怪達が競い合い、その中で勝ち上ってきた者だけが名乗ることを許される称号のようなものなのだ。
銀月はまだ歳若く、更に身体能力で劣る人間である。そんな彼が銀の霊峰の門番になっている事実は、言われてみれば異常とも言えるものであった。
「そう言われてみれば……それで、貴方の出した答えは何かしら?」
「奴は力や技だけで強いわけじゃない。奴の最大の武器は相手のどんな細かい癖も見逃さない観察力と、戦いの中でも自分の悪い癖を直せる並外れた成長力。それが銀月の強さだ」
ギルバートは、自分の思う銀月の最大の長所を口にした。
銀月の最大の特徴は、相手の視線や予備動作、果ては表情の微妙な変化から動きを予測する能力と、そこから見えてくる自分の悪い癖を修正し、成長していく能力なのだ。
これは対戦相手からしてみれば、自分の攻撃が読まれているような感覚を覚え、更にはどんどん強くなっていくように見えるのだ。
そして戦いが終わってみれば、最初は自分より劣っていたはずの人間が、自分よりも強くなって帰ってくるのだ。
彼と対峙する者にとって、この異常な成長能力を脅威としないものはほぼ居ない。何故なら、長引けば長引くほど彼は自分の弱点を消しながら相手の弱点を看破し、自分よりも確実に強い相手となって立ちはだかるからである。
その話を聞いて、アリスは納得してうなずいた。
「成程ね。つまり、銀月の動きを良く分析すれば自分の欠点が浮かび上がってくる。だから鏡なのね」
「そういうことだ。奴に負けること自体も癪に障るが、自分に負けたような気になるのも腹が立つ。だから、奴には俺が俺を越えられるように、俺と対等で居てもらわないと困る」
銀月に勝つということは、今の自分に勝つということ。逆に言えば、彼に負けるということは、今の自分を超えられなかったということ。
この関係を保つためには、常に自分と銀月が同格の強さで居てもらわなければならない。
だからこそ、ギルバートは銀月に執着しているのであった。
「そういうこと……」
アリスはそう言って笑みを浮かべると、ギルバートの隣に座り、彼と腕を組んでしなだれかかった。
それを受けて、ギルバートは背筋にぞわぞわっとしたものを感じて彼女のほうを向いた。
「っ!? 何の真似だ、アリス!?」
「あら、隣にこんな良い女が居るのに、ライバルのことしか考えないナイト様が悲しくてね」
アリスはニヤニヤと笑いながら、ギルバートの腕を抱きしめる。
その行為に得体の知れない悪意のようなものを感じて、ギルバートは思わず体を引く。
「やめろ! お前の場合、絶対にそういう問題じゃねえだろうが!」
「滅相もないわ。何だったら、その唇奪っても良いのよ?」
下からそのアクアマリンのような色合いの青眼をのぞきこみながら、アリスはそう口にした。
その視線と口調はとても挑発的であり、誘うような色香が含まれていた。
「……おい、何のつもりだ」
そんな彼女に、ギルバートは身構える。
彼にしてみれば、この突然のアリスの態度の変化は想定の範囲外であるため、その裏にあるものを探ろうとしているのだ。
その様子を見て、アリスは突然笑い出した。
「ぷっ……あはははは! 貴方、本当にからかうと面白いわ」
「ったく、本当に何なんだよ……」
「今の、銀月の姉さんの真似しただけよ。なのに、貴方ってばすごく真剣な顔で私を見るんですもの。意外と慣れていないのね、こういうの」
呆れ顔のギルバートに、アリスはそう言って笑った。
突然見せた真剣な表情が、余程笑いのツボにはまったようである。
「……本当に、そう思うか?」
「え? きゃっ!?」
しかし次の瞬間、アリスはギルバートに押し倒されていた。
アリスはその唐突な彼の行為に一切抵抗できず、完全に主導権を握られてしまった。
「なあ、さっきの言葉、本気にして良いか?」
「え、ええっ!?」
「口から出た言葉ってのは、決して消えることはないんだぜ? なら、その責任は取らなきゃな?」
ギルバートは人差し指で彼女の顎を持ち上げその親指で桜色の唇を撫でながら、アリスの眼を覗き込んだ。
その眼はとても攻撃的な光を放っており、挑発してきた相手に倍返しを仕掛けるものであった。
からかっていた相手からの思わぬ反撃に耳まで真っ赤になったアリスは、しばらく目を泳がせた後、大きく深呼吸をしてギルバートの眼を見返した。
「……ギルバート。貴方、慣れてないって言われたのがそんなに気に喰わなかったの?」
「ああ。事実と違うことは、ちゃんと否定しておかないとな」
アリスの一言に、ギルバートはフッと笑いながらそう言ってアリスの上から退いた。
それを受けて、アリスは再び大きく深呼吸をしてギルバートに話しかけた。
「ふぅ……確かに、慣れてないわけじゃなさそうね。で、相手はやっぱり魔理沙なのかしら?」
「……お前なあ。俺と魔理沙がそんなことするような仲に見えるか?」
「え? だって、前科あるじゃない、貴方達」
「ねえよ!」
ギルバートはアリスの一言をそう言って思いっきり否定する。
「ふふふっ……少しはスッキリしたかしら?」
そんな彼の様子を見て、アリスはくすくすと笑った。
どうやら、アリスはこの宴会の中で沈み込んでいる彼が気にかかり、励まそうとして声を掛けたようである。
その彼女の思惑を知って、ギルバートは穏やかな笑みを浮かべた。
「……お陰で、この場くらいは悩む暇は無さそうだ。サンキュ、アリス」
「あら、貴方が私に礼を言うなんて、明日は雨かしら、ナイト様?」
「……お前ってやつは、本当に……はぁ……」
茶化すような反応を見せるアリスに、ギルバートはがっくりと肩を落とすのであった。
/
ギルバートがアリスと話しているころ、紅白の巫女は一人でちびちびと酒を飲んでいた。
その視線はある一点に向けられており、ちらちらとその方を見ながら退屈そうにしている。
そんな彼女のところに、白黒の魔法使いがやってくるのであった。
「お~い、霊夢。お前何やってんだ?」
「順番待ちよ。あの状態の銀月に絡んでも面白くないし」
霊夢はそう言いながら、視線をその方角へと移す。
「んぅ」
「…………」
「顎の裏をくすぐられて気持ちよくなるなんて、本当に猫みたいね」
「目がトロンとしてて可愛いです♪」
そこでは未だに銀月が三人に弄られて蕩けた表情を浮かべていた。
「……ぅゅ?」
「…………くっ」
鈴仙が手を止めると、銀月は熱に浮かされた潤んだ瞳で彼女の眼を見つめる。
まるで「どうしてやめるの?」とでも言わんばかりのその眼に、鈴仙の手は再び動き出すのであった。
そんな彼女たちを見て、魔理沙は乾いた笑みを浮かべた。
「……あいつ、完全に遊ばれてるな……と言うか、何であいつは抵抗しないんだ?」
「知らないわよ。けどまあ、終わったら徹底的に飲んでもらうわ」
霊夢はそう言いながら、再び自分の杯に酒を注いだ。
そんな彼女の言葉を聴いて、魔理沙はふと気になったことをたずねることにした。
「なあ、霊夢。お前って宴会になるといっつも銀月に絡むよな。それも、わざわざ会場から銀月を捜してまでさ」
「そうね。それは認めるわ」
「何でああまで絡むんだ?」
魔理沙はそう言いながら、霊夢の眼を見つめる。
それに対して、霊夢は小さくため息をついて杯に注がれた酒を飲み干してから口を開いた。
「私ね……銀月のこと、ほとんど何も知らないのよ」
霊夢は魔理沙にそう言って話を切り出した。
それを聞いて、魔理沙は呆けた表情で耳を疑った。
それが今その本人と一番近い人間の発言とは思えなかったからである。
「はぁ? 私は銀月のことを一番知っているのは、お前か銀月の親父さんだと思うけどな?」
魔理沙がそう言うと、霊夢は首を横に振った。
「私もそれなりに銀月のことは知ってるつもりだった。小さいときから一緒に居て、いろんなあいつを見てきたから……でもね、最近少しずつあいつのことが分からなくなっていくの」
「どういうこった、そりゃ?」
「銀月はね、今まで自分から私に本気で相談とかしてきたことなんて一度もないのよ。そのくせ、私から尋ねても笑ってはぐらかす。魔理沙、あんたは銀月の悩みとか愚痴とか聞いたことある?」
霊夢は沈んだ瞳のまま、魔理沙にそう言って問いかける。
それに対して、魔理沙は思い返すように上を向き、しばらくして首を横に振った。
「……そういや、そんな話は聞いたことがないな。あいつ悩み無さそうだもんな」
「ううん、銀月も絶対に悩んでるはずなのよ。私は銀月の困り顔は何回も見てきたわ。それこそ、あの銀月が眠れないときもあるくらいよ。悩みがないはずがないわ……けど、銀月は私には何も言わない。私には笑顔しか向けない。私はあいつが何で悩んでいるのか分かったことが一度もないのよ……その度に、私が知ってるあいつは上っ面だけで、本当のあいつのことを知らないんだって思い知らされるのよ」
霊夢はそう言って陰鬱なため息をついた。
色々と知っているはずだった幼馴染が、実は自分に対する隠し事が沢山あると知った。更に、その潰れてしまいそうだった内面を自分は全く知ることが出来なかった。
その事実は、霊夢の心に暗い影を落としている。彼女はもう、自分が知っている銀月の情報が、自分で信じられなくなってしまっているのであった。
想像以上に深刻な悩みを持つ彼女の様子に、魔理沙は少し慌てた様子で霊夢を励ますべく声を掛けた。
「で、でも、私は外で会ったときに銀月が真剣に悩む姿なんて見たことないぜ?」
「それはね、銀月は全部自分で解決しちゃうからよ」
「あ~……そうだな、あいつ大体何でも出来るからな……」
「悩み事を抱え込んでも、多少のことなら全部自分の力で解決できてしまう。全部自分で出来るから、周りに自分が何で悩んでいるか相談しない。お父さんやルーミアにも話しているのを見たことがないわ。あいつの悩みには、他人どころか家族すら入り込む余地がないのよ……時々、ずっと近くに居るのに、誰よりも遠くに居る気がするわ」
そう話す霊夢の顔には、どこか淋しげな表情が含まれていた。
自分の日常の中で、最も近くにいるはずだった幼馴染。しかし、その心は近くにあるように見えて、遠すぎるほどに遠かった。
手で触れられる位置にいるのに、その内面にはいくら手を伸ばしても届かない。その距離感を、霊夢は確かに感じ取っていたのだ。
「……あいつは何でも出来る。どんな悩みがあっても自分で解決できる。おまけに、私のわがままだって全部聞いてくれてる……もう、返せって言われても返しきれないくらいの借りがあいつにはあるわ。なのに、あいつは返す機会すらくれない。結局、私には宴会でお酌するくらいしか出来ないのよ」
「霊夢……」
「……あいつの部屋、空っぽでしょ? それはもう、すぐにでもどこかに行けるくらいに。私ね、いつか銀月が誰の手も届かないくらい遠くに行ってしまいそうで怖いの。こんなんじゃ、私には銀月をつなぎ止めて置けないかもしれない……でも、私には何も出来ないのよ……」
霊夢はそう言うと、心を静めるために自分の杯の酒を飲む。
霊夢にとっての最大の不幸は、銀月のくれるものが全て無償のものであることであった。
今の自分に銀月を引き止めておけるだけの要素はない。積み重なった銀月への借りは増え続ける一方であり、それに際限などない。
しかし、銀月は返す余地を与えてくれないのだ。身の回りの世話は元より、仕事の手伝いも、悩みを聞くことすらさせてもらえない。
返したくても返せない。返させてくれない。その結果、霊夢の胸中には罪悪感にも似た焦りが募っていく一方なのであった。
その見た目以上に厄介なことになっている二人の関係を知り、魔理沙は視線を隠すように帽子を下げた。
「……すまん、霊夢。色々言ってきたが、私の勘違いだったみたいだな。お前は何もしていないんじゃなくて、何もさせてもらえないんだな」
「魔理沙……私、一体どうすれば良いの……? 今回だって、私は銀月のことを何も分かってあげられなかった……もう、銀月に何をしてあげれば良いか分からないの……」
霊夢の杯に、少し塩辛い滴が一つ落ちる。
指の隙間から零れる砂の様に、銀月が自分の手から静かにゆっくりと零れていく。
それをただ見ていることしか出来ない現状に、霊夢はもう限界に近かったのだ。
藁にもすがる様な霊夢の問いかけを聞いて、魔理沙は少し考えてから口を開いた。
「そうだなぁ……実はさ、私も案外同じこと考えたことがあるんだぜ」
「……ギルバートに?」
魔理沙の言葉に、霊夢はゆっくりと顔を上げて彼女のほうを見る。
そんな彼女に、魔理沙は一つうなずいて話を続けた。
「ああ。ほら、あいつ何だかんだで面倒見良いだろ? だから、借りを返すんならどうしようかって一度考えたことがあるんだ」
「それで、どうしたのよ?」
「それがな……やっぱり何をしたら良いか分かんなかったんだ。それに、男ってのはプライドがあるもんだから、男同士でしか話せないことも結構あるんだよな。だから、聞いても分からないんだぜ」
魔理沙は苦笑いを浮かべながら、ありのままの事実を霊夢に話した。
それを聞いて、霊夢は少し落胆した様子で魔理沙を見やった。
「……それじゃあ、どうするのよ」
「だから、周りに聞いたんだぜ」
「へ?」
「別に、銀月のことを知るために本人をじっと観察する必要は無いんだぜ? むしろ、銀月のことをもっとよく知っている奴に聞いた方がずっと早い。だから、ギルバートや親父さんに聞いたりして、お前の前じゃ見せない行動を教えてもらえば良いんだ。ついでにこっちからも銀月のことを話して、自分じゃ出来ないことを頼めればもっと良い。その方が、一人で考えるよりもずっと早くて簡単だろ?」
「そうね。そうするわ」
魔理沙の言葉を聴いて、霊夢は少し肩の荷が下りた様子でそう口にした。
零れ落ちるなら、誰かが受け止めてやればいい。
今まで自分が何かしなければいけないと思う気持ちが強すぎたことに気づき、時には人任せにしてもいい事が分かって気が楽になったのだ。
「……で、霊夢。実際のところはどうなんだ?」
「何の話よ?」
「いや、そんなにまで銀月を引きとめようとする理由が気になってな」
魔理沙はニヤニヤと笑いながら霊夢にそう問いかける。
銀月について話す霊夢がとても真剣で四六時中彼のことを考えていたであろうことが見て取れたため、霊夢が銀月に対してある一定の感情を抱いていることを勘繰ったからである。
「……あんたねえ、私と萃香の二人暮らしで生活できると思う?」
そう話す霊夢の瞳は、己が生死がかかっていることを感じさせる切実なものであった。
「……そうだな。流石にお前達のミイラを見るのはごめんだぜ」
そんな霊夢に、魔理沙は黙るより他なくなったのであった。
沈黙した魔理沙を見て、霊夢はすっと立ち上がった。
「さてと……そろそろ私に譲ってもらおうかしら」
霊夢はそう言うと、色々と弄られまくっている銀月の元へと歩き出した。
「ふみぃ……」
「ちょっと、起きなさい銀月」
「うゆっ!? げほっ、げほっ!」
蕩けて駄目になっている銀月を、霊夢はその襟首をつかんで引っ張りあげて現実に引き戻す。
その影響で首が絞まり、銀月は激しく咳き込み始めた。
それに対して、咲夜が少し残念そうに霊夢に眼を向けた。
「あら、もうそんな時間かしら?」
「そうよ。あんたら、こんなに長々と良く飽きないわね?」
「だって、すべすべでもちもちしてて気持ちよくて……あう~、これの代わりって無いんですよね……」
霊夢は咲夜達に呆れ顔を見せながら一言話すと、妖夢は名残惜しそうな眼で銀月を見る。
その一方で、あと一人である鈴仙は目の前からいきなり銀月がいなくなってきょろきょろと辺りを見回していた。
「あれ? あれ?」
「あんたも、いったい何やってるのよ?」
「え、えっと……あんな銀月君が珍しくて、つい……」
鈴仙は少し言いづらそうにそう口にする。
小さい頃から知っている人間に愛玩動物扱いに等しいことをしていたと言うことに、自分で少し戸惑っているようであった。
そんな彼女の肩に、咲夜が立ち上がりながら軽く手を置いた。
「まあ、また次の機会があるわよ。銀月の弱いところは分かっているのだし」
「でも、咲夜さんがいないと出来ないじゃないですか。むぅ、やっぱり不公平です」
「……は、はぁ……」
笑みを浮かべる咲夜に、不満を漏らす妖夢。
そんな二人にあっけにとられたまま、鈴仙も彼女についていくのであった。
それを見届けると、霊夢はぐったりと横たわっている銀月に再び声をかける。
「いつまで寝てるのよ」
「っと、霊夢か。いけない! 俺料理の……」
霊夢の声に、銀月は慌てて起き上がろうとする。
それに対して、霊夢は銀月の肩に手を置いて彼が立ち上がるのを阻止した。
「それならもう六花が終わらせたわよ。そんなことよりここに座りなさい」
「うっ……」
霊夢の一言に、銀月の顔からサッと血の気が引いていく。
今回は異変の後であり、以前のように死ぬほど飲まされそうな気配を感じたからであった。
「嫌とは言わせないわ。今回あんたがどれだけ周りに迷惑をかけたか、分からないわけじゃないでしょ?」
「……はい……」
そんな彼に、霊夢は畳み掛けるように言い放つ。結局銀月はあきらめてその場に座るしかなかった。
彼が座ったのを確認すると、霊夢は一切の遠慮もなく胡坐をかく彼のひざの中に納まった。
「さあ、今日は思いっきり飲んでもらうわよ」
「はぁ……分かったよ。今日ばっかりは、君には逆らえないみたいだしね」
酒瓶を片手に息巻く霊夢に、銀月は諦めのため息をつくのであった。
/
霊夢が立ち去ってすぐの頃、魔理沙は少し水を飲もうとして母屋の台所へと向かっていた。
「ん?」
そんな中、魔理沙は妙なものを見つけて廊下で立ち止まった。
よく見てみると、天井に何やら妙なものが張り付いているのだ。
それは人の形をしており、小豆色の胴衣に紺の袴、そして銀の髪に銀の槍を身につけていた。
そのあまりに不審な人影に、魔理沙は思わず引きつった笑みを浮かべて声を掛けた。
「……親父さん、そんなところで何やってんだ?」
「……何、ちょっと想定外の事態が起きただけだ」
将志はそう言いながら、軽快な身のこなしで魔理沙の前に降り立つ。
その様子は何事もなかったかのようであるが、服には竹の葉や土が付着しており、外を逃げ回っていたであろうことがよく分かった。
そんな彼に、魔理沙は分かっていながらも質問をする。
「そりゃ、さっきの修羅場に関係があるのか?」
「……ちょうど良い。お前には少し話があるのだった」
「あ、逃げた」
露骨な話題そらしに、魔理沙は冷ややかな眼で将志を見つめる。
そんな彼女の視線を受けて、魔理沙は苦い表情を浮かべた。
「……やかましい。で、話と言うのは、お前の使ったあの魔法陣についてなのだが」
将志の言葉を聴いて、魔理沙はどの魔法陣のことかを考える。
そして、彼女は自分が将志の技を盗み取った時の魔法陣のことを指しているであろう事に思い至った。
「ああ、あれか。あれがどうかしたのか?」
「……一体どういう経緯で、あのようなものが生み出されたのか気になるのでな」
「だって、本で勉強したことは自分でも分かるだろ? だったら、相手の魔法がどんなものかが分かれば、その魔法は使えるはずだぜ」
魔法とは、書物に書かれているものをそのまま書き記すなら、使用者の魔力さえ足りていれば全く同じものが使える。
ならば、相手が実戦で使ってきた魔法の作り方が分かれば、自分もそれが使えるのではないか。
魔理沙の考えたことは、実にシンプルな考え方なのであった。
それを聞いて、将志は感心してうなずいた。
「……成程。職人が師の技を盗むようなものか。いや、全く参考になる」
「親父さんはそんなことしなくても十分なんじゃないか?」
「……そんなことはない。一人の発想と言うものは貧困なものだ。俺の槍も、元は借り物だったのだが……久しくそのことを忘れていた。お前のお陰で、そのことを思い出すことが出来た」
「親父さんの槍が借り物?」
「……俺も元は一本の槍。その持ち主の記憶も多少は残るのだ。そして、どんなに偉大な使い手にも、必ず師は居るものだ。俺の持ち主は、色々なものに師を見出していたようだ」
将志は自分の槍を眺めながら、そう口にする。
彼も元は一体の槍の付喪神である。その本体である槍には、持ち主であった者の残留思念が残されている。
そして彼が研究を重ねて進歩させてきた技の根幹には、今でも元の持ち主の技の記憶と感覚が息づいているのだった。
自分の古い過去を思い出している将志に、魔理沙はふととあることを思い出して声を掛けた。
「そういえば親父さん、何で親父さんのスペルカードは流れ星をモチーフにしたものが多いんだ? 親父さんは槍の妖怪だけど、星にはほとんど関係がないし……」
「……俺の技は、月にいる主に捧げるためのものだった。せめて俺の技だけでも、主の近くにいる月の傍に届けたかったのだ。故に俺は星になることを目指した。月の空に俺の星が映るように、そして今は主が長きを過ごした月を彩るように……それだけのことだ」
将志は主である永琳とは長い間離れ離れになっており、自分が居なくなったあとの永琳がどうなっているかが分からなかった。
だからこそ、将志は月に向かって槍を振るい、自らの力で月を彩る星を作り出した。
一番の友を失った主が孤独を感じないように。自分が今ここに居るという証を示すために。
将志はそれが届いていないと知りながらも、主のことを思うとやめることが出来なかったのだ。
「ああそうかい。全くごちそう様だぜ」
魔理沙はうんざりした表情でそう口にした。
将志が口にした内容は、どう考えても酷い惚気にしか聞こえなかったようである。
「……どういう意味だ?」
そんな彼女の言葉を聴いて、本気で意味が分からない将志はきょとんとした表情で首をかしげた。
その様子を見て、魔理沙は唖然とした様子で将志に向き直った。
「……親父さん、それ本気で言ってるのか?」
「……だから、どういう意味だというのだ?」
「親父さんさぁ、今ものすごい惚気話をしたって分かってるか?」
「……惚気話?」
魔理沙の言っていることの意味がどうしても分からず、大真面目に考え込む将志。
「分からないのか……こりゃ重症だぜ」
そんな彼を見て、魔理沙は頭を抱えてため息をつくのであった。
「……さてと、俺は少し散歩に行くとしよう。では、またな」
将志はそう口にすると、魔理沙の返答も待たずにそそくさと立ち去っていく。
「……何をあんなに慌ててるんだ?」
あまりに迅速な将志の行動に、魔理沙は首をかしげる。
「あ……そういうことか」
しかし、後ろから聞こえてきた足音に振り返ると全てを納得した。
「この辺りだと思うのだけど……」
「おっかしいなぁ~? 将志くんのことだから、戻ってきてると思ったんだけどなぁ?」
「……いや、ついさっきまでここに居たみたいだ。つまり、少し間に合わなかったという訳だ」
永琳と愛梨は辺りを見回し、藍は空気中に漂う何かのにおいを辿りながら魔理沙のほうへと向かってくる。
どうやら未だに将志は見つかっていないらしく、探し続けているようであった。
「……ちょっと」
「銀月の親父さんなら、あっちの方に急ぎ足で出て行ったぜ」
捜している一行の中から、静葉が魔理沙のほうへと歩み寄って声を掛けた。
それに対して、魔理沙は特に何も隠す必要はないので先取りして答えた。
「急ぎ足……?」
その返答に、永琳は首をかしげた。
将志の性格上、自分の技をそのままやり返す技を使ってきた魔理沙とは何らかの話をしていた可能性が極めて高い。
しかも、その相手がその場から立ち去っていないということは、本当に自分たちが来る直前までこの場に居たことになるのだ。
つまり、将志は偶然ではなく、何らかの方法で自分達の足取りを知って行動をしている可能性が出てきたのだ。
そして、同じことを考えていた藍が何かに気づいて声を上げた。
「……しまった、『悪意を察知する程度の能力』か!」
「きゃはは……こんなことまで分かっちゃうんだね……」
「……むう」
藍の答えに、愛梨と静葉は困った表情を浮かべた。
将志をしょっ引こうと考えているのに、その考えから行動を読まれていては捕まえるのは非常に難しいからである。
しかしそんな中で、永琳はその意見を否定するように首を横に振った。
「いえ、問題はないわ。このまま追い続けましょう」
「何か勝算でもあるのか?」
「ええ。将志は間違いなく、人目につくところに出てくる。その時が勝負よ」
永琳はそう言うと、再び将志の後を追い始めるのであった。
ところ変わって、宴会場の中。
会場内のほとんどの参加者が酒に酔いしれる中、少しばかり言い争う声が聞こえてくる。
「大体、軽々しく命なんて掛けんじゃないわよ。あんたが死んだら、私生活できないのよ?」
「ほんとごめんって。もう、そう何度も怒らないで欲しいな」
真っ赤な顔でこの前の騒動に言及する霊夢に、銀月は少しうんざりした表情でそう口にする。
どうやら何度も同じ話をされているようであり、流石に嫌になってきているようであった。
そんな彼のつれない様子に、霊夢はふと気になることが出来てそれを聞くことにした。
「……あんた、私のために命をかけなさいって言われたら、どうするの?」
「ああ、俺なら絶対にそんなことはしないね。たぶん、父さんの話を聞かなくてもそうしていたと思うよ」
どこか恐る恐るといった感じの霊夢の質問に、銀月は朗々とそう答える。
そのあまりにあっさりとした銀月の返答に、霊夢は少し面白くなさげな表情を浮かべてその眼を見る。
「何でよ?」
「霊夢を世話するには、生きてないと駄目だろ? だから、死なないように死ぬ気で頑張るさ」
霊夢の問いかけに、銀月は実に楽しそうにそう口にする。
彼にとっての、霊夢と一緒に居る意義。それは、自分が霊夢を世話することである。
それは出会った当初から続けてきたことでもあり、もう彼自身それを楽しんでいるようであった。
しかし死んでしまってはそれも出来なくなる。だからこそ、銀月は彼女のためにだけは死ぬことは出来ないのだ。
「そう……」
それを聞いて、霊夢は複雑な表情を浮かべる。
依然として、銀月は自分を世話し続ける気でいる。しかし、それは銀月の気持ち一つなのだ。
そして何よりも、銀月の中には悪魔が潜んでいる。その悪魔が銀月の体を蝕み続けたその時……銀月がどうするかは、今回の異変を見れば火を見るより明らかであった。
霊夢の眼には、銀月の姿がまるで今にも消えてしまいそうな蜃気楼のように映っていた。
「……心配しなくても、そう簡単にいなくなったりしないよ」
「え?」
ふと聞こえてきた声に、霊夢はふと我に返る。その目の前には、苦笑いを浮かべる銀月の姿があった。
呆気に取られる霊夢の顔を見て、銀月は浮かべた笑みを深めた。
「だって、露骨に顔に出てるんだもの。また俺が簡単に命を投げ出したりしないかどうか心配だって言うのがさ」
「そりゃそうよ。だって、実際に自殺を図ったわけだし」
霊夢はそう言いながら銀月にジト眼をくれる。
そんな彼女に、銀月は困った表情で頬をかいた。
「今は、もう大丈夫だから。少し……ううん、すごく怖いけど……もう自分で死のうなんて考えない。最後の最後まで、どこまでも足掻いてやる」
銀月はそういうも、その言葉の後半の声は震えていた。
そして己がうちから込み上げてくる感情に耐え切れなくなり、銀月は霊夢に抱きついた。
「だからさ……俺に何かあったときは……その時は、助けて……たぶん、その時の俺は潰れてるだろうからさ……」
銀月は震える声で、泣きそうになりながらそう口にする。
後ろからひたひたと迫ってくる、自分が自分でなくなってしまいそうな得体の知れない恐怖。彼は誰にも頼れないまま、一人でその恐怖におびえて苦しんでいたのだ。
その恐怖の片鱗が、彼の口から初めて自分から零れだしたのだ。
「頼まれなくたってそうするわよ。だからそう心配しないでいいわ」
霊夢はそう言いながら、自分を抱く銀月の腕に手を添える。
これから先どうなるか分からないが、銀月は今確かにこの場に居て、自分に助けを求めている。
そのことが、今の霊夢にはとても嬉しかったのだ。
「さあ、何はともあれ飲んでもらおうか」
銀月の態度に気をよくした霊夢は、彼に酒を勧めることにした。
そんな彼女に、銀月の顔からサッと血の気が引く。
「お、お酒は節度を保って……」
「なぁにぃ? きこえんな~?」
「……現実の前に、酒で潰れそう……」
こうして銀月は、今回もまた死亡が確定するのであった。
そんな彼の姿を、横で見ているものが約二名。
「やれやれ、今日はもう無理そうね」
「う~……きっついお仕置き用意してあげたのに……」
そこにいるのは薄紅色の服を着た蝙蝠の翼を持つ少女と、闇色の服に赤いリボンをつけた金髪の少女であった。
レミリアは退屈そうな表情でため息をつき、ルーミアはふくれっつらを浮かべているのであった。
「あら、良いじゃないのルーミア。無理に今日しないでも」
「どういうことよ、レミリア? 私だって、とっても心配してたのよ? お姉ちゃんとして、思いっきり叱ってあげなきゃだめなんだから!」
レミリアの言葉に、ルーミアはそう言って反論する。
ルーミアとて、銀月の身内なのである。しかも、彼女にとって銀月はアグナの次に身近な存在なのである。
その彼が、自分の知らないところで自殺しかけていた。それを聞いて、ルーミアはしばらく立ち直れないほどのショックを受けていたのだ。
彼女は今日この場を借りて、銀月に躾け目的で色々するつもりだったようである。
そんな彼女に、レミリアは薄く笑みを浮かべて首を横に振る。
「だから、今日の今からじゃ時間も十分に無いでしょう? 後日にしておけば、もっと長い時間……ね?」
「あ……そういうことね。良いわ。そういうことなら我慢するわ。うふふ……ああしてこうして……」
……どうやら、銀月には今後もひどい人災が待ち構えているようであった。
/
「……しばらくはここで待機だな」
しばらくして、将志は宴会場の人ごみの中にまぎれていた。
再び外に逃げたように見せかけて、相手をやり過ごそうとしていたのであった。
将志は更に紛れ込むため、近くにある料理に手を伸ばす。
「あ~、兄ちゃんだ~!」
「……む?」
そんな彼を、とうとう炎の妖精が見つけたのであった。
アグナは一直線に将志の下へと走り、その胸に飛び込む。
実際にはひどい深酒をしたせいで千鳥足になっていて、その口からはむせ返るほどの酒精が漂っていた。
「うわ~ん、どこ行ってたんだよ~! 淋しいじゃねえか~!」
「……アグナ、少々飲みすぎではないか?」
「うるせえ! 誰のせいで飲みすぎたと……わ~ん! 兄ちゃん、行っちゃやだぁ~!」
酔っ払ったアグナは見た目相応の子供のようにそう言って泣き喚く。
感情が高ぶって制御できなくなっているのか、彼女の髪からは火の粉が激しく舞い落ち、近くにあるものを焦がしていく。
「……アグナ、分かったから少し落ち着け。このままでは周囲に迷惑が……」
「キャハハ★ つっかまーえた♪」
「……不覚」
アグナを宥めようとしたその時、楽しげな笑い声とともに将志の肩に手が置かれる。
その感触に、将志は自らの運命を悟ったのだった。
その日、将志は見事なまでの大虎にさせられたのであった。
というわけで、永夜抄後の宴会の一幕でした。
随分と遅くなってしまいましたね……色々詰め込んだせいで、かなり長くなりましたし。
まず、将志について。
椿との関係がバレました。
今までの話を見返してみれば分かるのですが、実は将志が一番アプローチ(しているように見える)のは椿だったりします。
積極的に自分から仕掛けるのも、椿に対してが一番回数が多いです。
さて、それをえーりん達が知ったらどうなるか? というお話でした。
続いて、善治の内面を少し出してみました。
彼の得意分野はこのような心理戦です。相手の行動を先読みし、波風を立てぬようにして自分の望む結果を引き出そうとするのが彼のやり方です。
今回は輝夜を相手に、仲間のふりをしたリア充を爆発させながら何とか友好関係を築こうと努力した形になります。
お次は雷禍。
よりにもよってゆかりんに目をつけられました。
これにより、正直白状させられるのは時間の問題となりましたが、明確な証拠がないのでまだ踏み切られない様子。
だというのに、当の本人は六花に現を抜かして大はしゃぎです。
次はギルバート。
彼の銀月に対する執着の内容が明らかになったお話です。
種族としての誇りや個人としてのプライド、その全てがかかっていれば、そりゃ執着もしますね。
この問題は、しばらく続くことになります。
最後に、霊夢と銀月。
二人の関係において、本当に問題があったのは銀月のほうだったというお話。またお前か。
霊夢の気持ちを分かりやすく例えるならば、ある程度親しい友人程度の相手がこちらに次から次へとお金を渡してきて、返そうとしても何故か断られる状態です。
こういうとき、裏で何かやってるんじゃないかって普通は疑いますよね?
霊夢の気持ちはこれのもっと深刻なやつです。
一方の銀月は、ようやっと霊夢に自分の悩みをぶつけることに。
さて、こいつが全てを吐き出すのはいつのことになるのやら……
では、ご意見ご感想お待ちしております。