外伝:雷の獣、過去を語る2
明けない夜が過ぎた、穏やかな朝。
人里では変わらない日常が流れ始めていた。
人々の話題は数日前の長すぎる夜の話で持ちきりであり、いたるところの井戸端会議でその話がされていた。
そして、その話はとある貧乏長屋の一室にも流れ込んでくるのであった。
「なあ、雷禍。お前はこの前の異変の解決に行かなくて良かったのか?」
外の話を聞き流しながら、青い着流しに銀縁の眼鏡をかけた黒髪の青年がそう口にする。
その言葉に、赤シャツに青い特攻服を着た男が面倒くさそうに寝転がった。
この二人、どうやら今日は休日のようである。
「……行きたくなかったんだよ、どうしても」
「そりゃまた何でだ? 満月が戻らないと、お前も本来の力が出せないだろうに」
気だるげな声を出す雷禍に、善治はそう口にする。
彼は満月になっても半妖の姿を見せない慧音を見て、満月に異変が起きていたことを察知していたのだ。
「その力が本当に今の生活に必要なら動いてた。だが、今の生活は力のねえ人間だって出来ることしかやってねえんだぜ? んなもんいらねえだろ」
「慧音は外敵と戦うために力を取り戻したいって言っていた。お前もその生活空間を守るために力が要るんじゃないのか?」
「俺に力で勝てる奴なんてそうはいねえよ」
心底嫌そうな声で、おざなりに雷禍はそう答える。
それを聞いて、善治は小さく首を横に振った。
「……そんなに嫌なのか」
「おうよ。嫌なんだよ、自分の力を取り戻すために動くのは。がむしゃらに力を追い求めてた昔を思い出してな」
雷禍はそう言いながら、善治に背を向けるように寝返りを打った。
善治には、雷禍が取り戻すことも嫌になるような何かが力を求めていた当時に起きていたと言うことが、過去を見なくても分かった。
彼は小さくため息をつくと、「文々。新聞」と書かれた紙面を取り出して読み始めた。
それからしばらくして、情報の取捨選択をしながらどこぞの魔法少女と道化師の戦いの記事を読んでいると、玄関の戸が叩かれる音が聞こえてきた。
「あーい、今居留守でーす」
雷禍は寝転がりながら、ぞんざいにそう言い放つ。
すると、玄関の戸が開いて客が中へと入ってきた。
「お邪魔するわよ」
飛び込んできたのは女性の声。
それを聞いて善治が首をかしげると同時に、雷禍は飛び起きるようにしてその客の方に目を向けた。
「ごきげんよう、雷禍。数百年ぶりね」
その先に立っていたのは、緑の髪に赤いチェックのベストとスカートを来て日傘を持った女性であった。
太陽の畑の主、風見幽香である。
彼女を見て、その知り合いらしき人物である雷禍は頭を抱えて俯いた。
「ちょっち待ち……何でテメエがこの場所を知ってんだ? つーか、何で俺がいることがばれたんだ?」
「それは私が案内したからですわ」
その後ろから、また別の大人びたアルトの声が聞こえてきた。
その声の主は、悪戯が成功した子供のような表情を浮かべながら雷禍の前に現れた。
「遊びに来ましたわよ、雷禍。友人を連れてね」
赤地に桔梗の花が描かれた単に身を包んだ銀髪の女性は、幽香の肩を叩きながらそう口にする。
どうやら余程気があったらしく、その様子は長年の親友に対するものの様であった。
そんな彼女の様子を見て、雷禍は訳が分からないといった表情でそのほうを見た。
「姉御、いきなりなんで、それもよりにもよって幽香と一緒に来たんだ?」
「話の流れで貴方のことが話題に上りまして、幽香が貴方に久しぶりに会いたいって言うから会いに来たんですの」
「話には聞いていたけど、本当に変わったわね。正直見違えたわ」
幽香は少し楽しそうにそう口にする。どうやら彼女の中の雷禍は今とは全然違うものであったようである。
それを聞いて、雷禍は諦観を大いに孕んだため息をついた。
「そりゃ何百年も経ちゃそりゃ変わんだろうよ。てか、何で六花の姉御と知り合いになったんだ?」
「スペルカードルールを広めるときに知り合って、話をしているうちに親しくなったんですの。それよりも、貴方こそ幽香と知り合いだったんですの?」
「……正直あまり思い出したくねえが、その通りだ。全く酷え目に遭わされたぜ」
雷禍は大きなため息をつきながら頭を抱える。どうやら余程嫌なことがあったらしい。
そんな彼に対して、幽香は昔を思い出して微笑みながら口を開いた。
「あら、あれは貴方の自業自得でしょう? 私のお花畑を荒らしたのだから」
「その代償が約一年も監禁して雨を定期的に降らせるって可笑しいだろうが! あの時ほど酷え時間はそうそうねえよ!」
にこやかに笑う幽香に、雷禍はそう言ってまくし立てた。
それを聞いて、六花は若干引き気味の表情で幽香を見やった。
「幽香、貴女そんなことしてたんですの?」
「当然よ。だって、私のお花畑を荒らすってことは家族に危害を加えることと同罪ですもの。それ相応の償いをしてもらっただけよ」
呆れ顔の六花に、幽香は笑みを崩さずそう答える。彼女にとって、それくらいは当然のものと言う認識のようであった。
それを聞いて、雷禍は面倒くさそうにごろりと寝転がって幽香に背を向ける。
「ああそうですかい。で、何たって今更俺のところに来たんだ? 先に言っとくが、もう花の世話は御免だぜ」
「それは残念。けど、私はすこし昔話をしに来ただけよ」
「昔話だぁ?」
昔話と聞いて、雷禍はむくりと起き上がって幽香の方を見る。
話題に食いついてきた彼に、幽香は浮かべた笑みを深くした。
「ええ。貴方、私のお花畑だって知ってて荒らしたでしょう? その理由をまだ聞けていないもの」
幽香は穏やかな声で雷禍にそう言った。
その表情は笑みであるものの、当時を思い出して少し怒りがぶり返したようで若干の迫力が出ていた。
そんな彼女の様子を見て、六花が事態を飲み込めずに頭をかいた。
「少々お待ちくださいまし。幽香、私いまいちどういう状況だったのか飲み込めないんですの。今の話ですと、雷禍は貴女のことを知っていて、その上で酷い大暴れをしたという風に聞こえますわよ?」
「実際そうだったのよ。あの時ほど頭にきたこともなかったわ。それで、どういう状況でそんなことをしたのか、教えてくれるわね?」
幽香は有無を言わせないという態度で雷禍にそう言い放った。
その何が何でも聞き出そうとする彼女の態度に、雷禍は少し考えて大きくため息をついた。
「……まあ、今となっちゃどうでも良い話か。良いぜ、話してやる」
雷禍はそう言いながら、今まで黙っていた善治に視線を向ける。
それは善治が自分の過去を気にしていると思っていたからである。
「…………」
善治は無言で頷くと、昔話を始める雷禍の過去を覗き込んだ。
/
その獣の周りでは常に嵐が吹き荒れていた。
その嵐は家屋を吹き飛ばし、作物を薙ぎ倒し、命すらも押し流し、破壊するものがなくなってやっと収まるのであった。
しかし、目の前に破壊する対象が現れると再び嵐を纏い、大暴れを始める。
『雷禍』と名づけられた災厄は、桜の舞い散る別れからもう長い年月の間それを繰り返していた。
「……まだだ、こんなんじゃ足りねえ!」
雷禍はその爪痕を見て、苛立たしげにそう叫んだ。
彼が求めているのは、自分の内なる力。何かを守れる力。それを得ようとしてひたすらに暴れ周り、周囲に被害をもたらすのであった。
皮肉なことに、その方法は間違っていなかった。彼が巻き起こした暴風雨は人々に怖れられ、その怖れはある種の信仰となって『雷禍』の名前を強くし、また彼の力を高めたのであった。
それを感じながら、彼はがむしゃらに力を求めて更なる災厄を振りまくのであった。
「くそっ! 何でこんなことしか出来ねえ!?」
しかし、物事には全て限界がある。
雷禍は人に怖れられるようになったものの、段々と伸び悩むようになっていった。何故なら、人間の数は有限であり、しかも死ねば怖れることもなくなるからである。
彼は考えた。ただ暴れるだけではなく、もっと確実に今より強くなれる方法を。人間の怖れを失わないように暴れながら、昼夜を問わず考え続けた。
そんな中、雷禍はとあることを耳にすることになる。
それは、彼が茂みに隠れて疲れを癒しているときのことであった。
「こら! 太陽の畑に近づくなと言っているだろ!」
「え~、なんで~? あんなに綺麗なのに~?」
突然聞こえてきた声に雷禍がそのほうを覗き込むと、そこではむすくれている少女と父親と見られる男がいた。
どうやら近づいてはいけないところに行こうとした娘を父親が叱っているようである。
「……ふん」
雷禍は興味なさげに再び茂みに隠れようとする。
「太陽の畑にはあの風見幽香が居るんだぞ! 妖怪すら近づけないのに、お前なんかが近づいたら間違いなく殺されるぞ!」
しかし、次の言葉で彼はその動きを止めることになった。
「……なに?」
男の言葉を、雷禍はもう一度深く考える。
今までの経験から、自分が怖れられれば怖れられるほど力が強くなることは分かっている。しかし、今はそれに限界を感じていたところである。
男の言葉は、そんな雷禍に一筋の道を指し示すものであった。
「……そうか……人間で足りねえんなら妖怪ってか……」
雷禍が見つけ出した道、それは妖怪からも怖れを集めることであった。
彼が今まで集めていたのは、人間からの怖れ。それだけではなく、寿命も長く力も強い妖怪からも怖れられれば、更なる力が得られると考えたのだ。
そしてそのためにやらなければならないこと、それも男の言葉から一緒に考え付いた。
それは、妖怪すら恐れる相手を自分が倒すことであった。
「太陽の畑、風見幽香……やってやろうじゃねえか」
雷禍はそう思うが早いか、早速太陽の畑に直行するのであった。
夏を迎えて強い日差しが降り注ぐそこは、辺り一面を向日葵の花によって埋め尽くされていた。
その光景は黄金に輝く草原のようであり、夏の風に吹かれて気持ちよさそうに揺れているのであった。
「ハッ……そらよ!」
その美しい光景を、雷禍は粉々に打ち砕く。
彼の力により空は一気に荒れ始め、向日葵の群れを薙ぎ倒すほどの風と草木を焼く雷が猛威を振るい始めたのだ。
穏やかな夏の風景は、一瞬のうちに暴れまわる天災の景色に変えられてしまったのだ。
「出て来やがれ、風見幽香ぁ!」
雷禍は吹き荒ぶ暴風と鳴り響く雷鳴の中、相手の名前を叫ぶ。
力への渇望。その眼に映るのは、ただそれだけであった。
「……お望みどおり出てきてあげたわよ」
そんな彼の前に、目的の人物は現れる。
その表情は薄ら笑い。それは怒りを通り越し笑うしかなくなったという状態の、極めて危険な笑みであった。
彼女にとって家族とも言える花達を殺されたのだから、それも無理もない話である。
幽香はその怒りを隠すこともせず、体中からオーラとなった強大な力が周囲にあふれ出していた。
「来やがったな。俺と勝負しやがれ!」
しかしそんなことなど雷禍には関係なかった。
彼にとって大事なのは、力を得ることこそ全て。それが無謀だろうが何だろうが、全て受けて立つ覚悟が彼には出来ていたのだ。
そんな彼の言葉に、幽香の笑みは更に深く凶暴なものへと変わっていく。
「へえ……自殺志願者とは驚いたわ。楽に死ねると思わないことね」
彼女にとって、雷禍の覚悟や行動の背景など関係ない。ただ、自分の家族を害した罪人であるという事実しかないのだ。
自分に勝負を挑む雷禍に、幽香はありったけの殺意を込めてそう口にする。
「殺せるもんなら殺して見やがれ……ぶっ倒れるのは、テメエの方だ!」
だが、その殺意も目の前の無謀な挑戦者は介さない。彼は幽香と話す間にも暴風と雷を操り、太陽の畑を破壊し続ける。
そしてひたすらに暴れまわる雷禍に、とうとう幽香の堪忍袋の緒が千切れた。
「良いわ、掛かってきなさい。貴方がしたことを、死にたくなるほど後悔させてあげるわ」
幽香は手にした日傘を雷禍に向け、そう言い放った。
先程浮かべていた笑みさえも消え、凍てつくような冷たい殺気が彼女の眼から発せられる。
それに対して、雷禍は右手に雷を纏わせて幽香に殴りかかった。
「だらぁ!」
「ふっ!」
「ぐはぁ!」
力に身を任せた、渾身の一撃。
しかしそれは容易く幽香に返され、雷禍は腹に攻撃を受ける。
咳き込む雷禍に、幽香は冷笑を浮かべて口を開いた。
「何、それ? その程度の力で私に喧嘩を売ってたわけ?」
「にゃろう!」
「はっ!」
「ぐあっ!」
飛び蹴りを仕掛けてきた雷禍を、幽香は日傘で難なく叩き落す。
その技も何もない子供の喧嘩のような攻撃は、幽香にとって嘲笑ものであった。
「くすっ、馬鹿ねえ。自分の身の程も知らずにこんなことをするなんて、笑っちゃうわ」
「っ、のぉ!」
それからと言うもの、雷禍は全身に青白い雷光を纏いながら幽香に襲い掛かっていった。例え躱されようとも、受け止められようとも、彼は諦めることなく攻め続ける。
そのたびに幽香は軽く受け流し、相手に対して手痛い一撃を加えていく。それは決して相手を気絶させることなく、激しい痛みを与えるような攻撃であった。
「……がぁ……あああああああ!」
しかし数十回と同じことを繰り返すも、雷禍はボロボロの体を引きずりながらもがむしゃらに向かってくる。
もはや、彼は自分が彼女に勝てないことは分かっていた。しかし、それでも後には引けなかったのだ。
だらりと下がった右腕に引きずっている左足、身体を覆っていた雷光も弱まり、額や口からは血を流している。それでもその眼は依然として強い光を放っており、言うことを聞かない身体を無理に動かしていた。
そんな彼の痛々しい姿を見て、幽香は疲れたように小さくため息をついた。
「……目障りよ、消えなさい」
幽香はそう言うと、日傘の先端から極太の白いビームを放つ。
その光線は、襲いかかって来る愚か者を一瞬で飲み込んでいった。
「がぁっ……」
彼の意識は、一瞬で溶けていった。
「……んあ?」
雷禍が目を覚ますと、なにやら見知らぬ天井が広がっていた。
天井といっても隙間が空いており、そこからは青空が姿を覗かせている。それを作り出しているのは、なにやら棘のついた蔦であった。
「何だ、こりゃぁ?」
雷禍はそう言いながら、辺りを見回す。
すると、今自分が居る場所が四畳半ほどの狭い茨の檻の中であることが分かった。
周囲は先程自分が破壊した太陽の畑が無残な姿を晒しており、悲しげな様子で横たわっていた。
「目を覚ましたかしら、雷禍?」
後ろから聞こえてきた声に、雷禍は振り向く。
そこには、チェックのベストとスカートを身につけた緑色の髪の女性が立っていた。
雷禍の視線を受けて、彼女は冷ややかな笑みを浮かべた。
「多少力はあったみたいだけど、所詮はただの雷獣ね。正直、お話にならないわ」
「……どうして俺の名前を知ってんだ、ああ?」
「噂には聞いていたのよ、貴方のことは。ちょっと力が強いくらいで調子に乗っていたんじゃないかしら?」
幽香は冷たく言い放つ。
雷獣とは、本来そこまで力の強い妖怪ではない。雷雲に住む事は出来ても、嵐を自分で起こせるようになるほど成長したものは決して多くないのだ。
雷禍は雷獣の中では噂になるほど飛びぬけて強い方ではあるが、彼女には及ばないものであったのだ。
そんな彼女に、雷禍は一つの疑問を投げかけた。
「どうして殺さなかった?」
「言ったでしょう? 楽には殺さないって。貴方にはその狭い檻の中で一生過ごしてもらうわ」
「ハッ、そいつはお断りだ!」
雷禍はそう言うと、手に雷光を纏わせて自分を囲っている茨の檻を切り裂く。しかし引き裂いたはずの茨は即座に再生し、元の状態に戻っていった。
それを見て、雷禍は怪訝な表情で目の前の茨を見やった。
「……なに?」
「貴方程度の力でその檻が破れるわけないわ。そういうことをするのは眼に見えていたもの。この程度の檻も破れない、それが貴方の力よ」
「テメェ……!」
嘲笑混じりの幽香の言葉に、雷禍は悔しげに彼女を睨み付ける。
そんな彼に対して、幽香はふと何か思いついたように雷禍に声をかけた。
「ああ、そうそう。場合によっては、逃がしてあげても構わないわよ?」
「は?」
「これから毎日決まった時間に雨を降らせて、後は晴れにする。貴方の能力なら、出来るわよね?」
再び怪訝な表情を浮かべる雷禍に、幽香はそう提案する。
彼の能力は『荒天を操る程度の能力』。この能力ならば風雨を制御でき、自分の花にとっても有益である。
それは雷禍に自分のしたことの償いをさせる行為であり、また相手にとって非常に屈辱を与えるものであると彼女は考えたのだ。
「……チッ」
雷禍はしばらく考えると、軽く舌打ちをして能力を使う。
すると空が一気に曇りだし、激しいにわか雨が降り始めた。しかししばらくすると、それが嘘のように元の晴れの天気へと戻っていった。
それを見て、幽香は意外そうな表情で雷禍を見やった。
「ふぅん……随分素直じゃない。貴方、意地とか自尊心とかそういうものは無いのかしら?」
「あったからって、どうなるんだ?」
「ん?」
投げやりに話す雷禍のあまりに想定外の言葉に、幽香は我が耳を疑って問い返す。
暴れるという行為は、一種の自己顕示行為である。それも、自分より強い相手に喧嘩を売るともなれば、その傾向は更に顕著である。そして、そういう者は大抵とてもプライドが高いものである。
しかし、目の前の雷獣はそれに唾を吐くような発言と行動を行ったのだ。幽香には、それがあまりにも意外だったのだ。
「……くそっ、何でもねえよ」
「……そう。それじゃあ、精々頑張ることね」
黙りこんだ雷禍を背に、幽香は若干の違和感を覚えながらも自分の家へと帰っていった。
それからしばらくの間、雷禍はひたすらに雨を降らし続けた。
幽香の顔色を伺いながら、面倒に思いながらもその要望に応えていく。
「…………」
その中で、雷禍はただひたすらに考える。
それはこの檻を脱出するにはどうすれば良いかと言うものと、この檻の中でどうやって自分の力を高めていくかと言うことであった。
彼は幽香との勝負で、自分がまだまだ力が足りないということと、如何に力任せに戦っていたかと言うことを知らされたのだ。
自分を囲む茨を崩すには力が足りない。しかし、今の自分に他所から力を増やすことは出来ない。となれば、今ある力でできることをするしかない。
「……まあ、やってみっか」
そこで雷禍は、自分の力を上手く制御する練習を始めたのであった。
花が根腐れすることなく土が流れないように、雨の量や降らす時間を調節しながら能力を使っていく。
それは今まで彼が行ってこなかったことでもあった。何故なら彼が起こす嵐は常に全力のものであり、制御の必要がなかったからである。
彼はその時間を少しでも長く取るために、降る雨の量を極端に少なくしたり、超局地的に雨を降らせたりもした。
その中で、彼は段々と自分の力を制御する方法を身体で覚えていったのであった。
「はぁぁぁ……」
雷禍の目の前で、等身大の雷球が目の前の茨に炸裂する。
それは身に纏わせただけの無秩序な力とは違い、明確な方向性を持ち圧縮された力であった。
しかしその修行の成果も、目の前の茨の檻の再生能力を超えることが出来ず、脱出は失敗に終わったのであった。
「何度挑戦しても無駄よ。貴方にこの檻は破れない。努力はしているようだけれどね」
そんな彼に、幽香は別段怒るようなこともなく話しかける。
彼女は雷禍が自分の作った檻が破れるとは微塵も思っておらず、また普段が予想以上に真面目なので大目に見ているのであった。
それどころか、彼女は日々限られた中で成長しようとする彼に感心すら覚えているのであった。
「……チッ」
雷禍は苦い表情を浮かべながら、本日の修行を開始する。
ぽつり、ぽつりと雨は降り出し、依頼人の望む優しい雨が周囲に降り注ぐ。
しかし、空からは依然として柔らかな陽の光が差し込み、見上げれば少し白んだ青空が広がっていた。
それを見て、幽香は感嘆のため息をついた。
「天気雨、ね。随分器用なことも出来るようになったのね、貴方」
「どうでも良いだろうが。とっとと失せやがれ」
幽香の言葉にも、雷禍はぶっきらぼうにそう言って追い払おうとする。
雷禍にとって、幽香は完全に敵であり、近くに居ると警戒せざるを得ない相手なのだ。
しかし、幽香はそんな言葉にも動じず、雷禍に話しかけた。
「一つ聞きたいのだけど、良いかしら?」
「…………」
幽香の言葉に、雷禍は何も答えなかった。
それを是と受け取って、幽香は気になっていることを尋ねる事にした。
「貴方、何で全然暴れたり反抗したりしないのかしら? そんなに外へ出たいの?」
「見りゃ分かんだろうが」
「それじゃあもう一つ。どうしてあの時逃げなかったのかしら? あの時に逃げれば、捕まらずに済んだのに。そもそも、どうして私に喧嘩を売りに来たのかしら?」
幽香には、一つ不思議に思っていることがあった。
雷禍は逃がしてもらうために、真面目に仕事をこなしている。だが、そもそも捕まる要因となった出来事を何故起こしたのかが分からなかったのだ。
と言うのも、雷禍は自分をおびき出すために花畑を荒らし、逃げるチャンスがあったにもかかわらず、最後まで喰らいついてきたのだ。
どうして危険を冒してまで戦いを挑み、どうして一歩も引かずに戦わなければならなかったのか。それほどまでしなければならない理由が、幽香には分からなかったのだ。
「答える義理はねえ」
しかし、雷禍から返ってきたのは拒絶する内容の即答であった。
目すらも合わせずにそう言い放つ雷禍に、幽香は大きくため息をついた。
「……そう。また来るわ」
取り付く島も無い様子の雷禍に背を向けると、幽香は花の手入れに向かうのであった。
「……くそっ、まだ抜けられねえか」
幽香が去ってから、雷禍は苛立ちを隠さずにそう口にした。
早く抜け出して更なる力を得なければならないのに、事態は一歩も好転していない。
現に、どんなに頑張って工夫をしても目の前の茨の檻はびくともしないのだ。
「……今のままじゃ、あいつに合わせる顔がねえなぁ……」
ごろりと寝転がりながら、少し泣きそうな声で雷禍はそう呟く。
二度とあんな思いをしないために強くなると誓ったあの日から、がむしゃらに頑張ってきた結果が今の状況なのだ。
雷禍は陽だまりの暖かさと疲れの中でまどろみながら、ふと昔のことになってしまった楽しかった日々を思い出した。
もうこの世に居ないであろう少女に、外の話をしていた自分。その光景が頭の中を駆け巡る。
その中で、雷禍はふと目を覚まして空を見上げた。
「……どうせ出られねえんなら、一丁あの世に向けてやってみようかね」
雷禍は起き上がると、突如として天気雨を作り出した。柔らかな日差しの中、しとしとと雨露が降りそそぐ。
しかししばらくそれを続けるも、雷禍の顔が段々難しいものになっていった。
「おりょ、案外難しいな……こりゃちっと練習が必要か?」
その日から、雷禍はひたすらに天気雨を降らせ始めた。
微調整を行いながらも必ず天気雨にし、何かに取りつかれたかのようにそれを繰り返したのだ。
「そこまでよ。それ以上はお花が傷むわ」
「…………」
しかし、一日に降らせられる雨の量には上限がある。草木のことを考えると、毎日するならば一日に降らせられる雨の量はごく少量なのだ。
その日の限界を超えて降らせることが出来ない彼は、煮え切らない表情で過ぎていく時間を寝て過ごすしかなかった。
そんなことが数週間と続いたある日のことであった。
雷禍は、幽香が雨の中でじっと自分のことを眺めていることに気が付いた。
「テメエも随分暇だな。俺を監視してどうするってんだ?」
「別にどうもしないわ。ただ、最近貴方の様子が可笑しいから見ているだけよ」
幽香は雷禍の言葉にそう答えを返した。最近ずっと雷禍が天気雨ばかり降らせている理由が分からなかったのだ。
それを聞いて、雷禍は怪訝な表情で幽香を眺めた。
「あぁ? 何が可笑しいってんだ?」
「気付いていないならそれで良いわ」
雷禍の返答に、幽香は短くそう答える。
どうやら雷禍は自分の行為に没頭するあまり、天気雨を降らせ続けることが異変として捉えられていることに気付けないのだ。
二人はしばらく降り続く雨と太陽光を眺め続ける。それは、雷禍が小さく舌打ちをするまで続いた。
「……くそっ、駄目だ」
雷禍がそう言うと同時に、降り続いた雨が止み穏やかな晴れ間が広まった。
その一言を聞いて、幽香は怪訝な表情を浮かべて雷禍に目を向けた。
「何が?」
「テメエには関係ねえ」
「関係ないかどうかは私が判断するわ。何が駄目なのかしら」
いつもより強い口調で、幽香は雷禍に問いかける。
天候は花の成長に強く作用するため、どうでも良いと片付けるわけにはいかないのだ。
そんな彼女に、雷禍は苛立たしげな表情を浮かべた。
「チッ……虹が作れねえ。それだけだ」
雷禍は天気雨の目的を、短くそう口にした。
彼は、楽しい時を与えてくれたあの桜の少女に虹を見せたくて、そのために努力していたのだ。
しかしそれを聞いた幽香は、どうして彼が虹を作りたいのかが分からずに首を傾げた。
「虹?」
「だから、テメエには関係ねえっつってんだろうが!」
叫ぶように、雷禍は幽香にそう言い放つ。
それは明らかな拒絶の意思であり、幽香が知る中でも特に強い一言であった。
「……まあ良いわ。その気になったら教えてもらうわ」
それ以上の問答は無意味と感じ、幽香は一旦質問をやめて自分の仕事をすることにした。
それからも、雷禍は虹作りに没頭し続けた。
元は力の制御の練習の方法の一つでしかなかったそれは、いつしか目的へと変化していた。
もはや茨の牢から出ることなど一切頭からなくなっており、ただひたすらに止められるまで雨を落としては陽を当て続けた。
そして、出来ないまま数ヶ月の時が過ぎていくことになったのだった。
「今日も虹はできないわね」
そんな彼に、幽香はある日声をかけた。
それは単純な興味からの行動であり、以前より気になっていたことを聞き出すためのものであった。
「……どうして俺に何もしねえ?」
それに対して、雷禍の口から疑問の声がこぼれだした。
その声を聞いて、不意を打たれた幽香はキョトンとした表情を浮かべた。
「え?」
「テメエはもう長いこと俺を閉じ込めているだけだ。死にたくなるほど後悔させるといった割には随分ぬるいんじゃねえか?」
雷禍の疑問、それは幽香の自分に対する処遇であった。
彼女は口では怖いことを言っておきながら、実際に自分にしたことと言えば茨の檻の中で緩い強制労働を課しているだけである。
その他に関して言えば、利用価値を見出しているのか食事もちゃんと出るので、実際はかなりまともな生活を遅れているのだ。
それに対して、幽香は納得して頷いた。
「ああ、そういうこと。それは単純な心変わりよ」
「心変わりだぁ?」
「この様子なら、下手に手出しするよりもこうして働いてくれた方が有益だもの。それに、貴方の性格がどうも想像していたものと違うのも気に掛かるし」
「はぁ?」
「もっと凶暴なものだと思っていたのよ。けど、実際の貴方はどこか違う。荒いのだけど、凶暴って訳じゃないように見えるわ」
幽香は雷禍に対して、自分が思うところを素直に口にした。
実際、雷禍は無駄に暴れたり周囲のものを破壊するといった凶暴性を示すことはほとんど無かった。むしろ、最初に見せたあの暴力性がどこから出るのか不思議なくらいである。
そのことから、幽香は力で抑え込むよりも素直に言うことを聞く今の状態を維持することを選んだのであった。
それを聞いて、雷禍は興味を失ったように幽香に背を向けた。
「ハッ、勝手に言ってやがれ」
「でも一番気になるのは、何が貴方をそんな風にしたかなのだけど……私には言ってくれそうも無いわね」
自分の言葉を聞いて睨み付けてくる雷禍に、幽香はため息混じりにそう口にした。
「分かってんならとっとと失せろ。テメエに話すことなんざ何もねえ」
雷禍は幽香にそう言い放つと、再び虹を作ることに挑戦し始めるのであった。
彼は毎日休むことなく挑戦し続け、その度に失敗しては工夫を加えていく。
「やれやれ……後ちっとだと思うんだがなぁ……」
また幾日か経った後、雷禍はそう言いながら仰向けに寝転がって空を眺める。
冷涼な秋、厳寒な冬、温暖な春が過ぎて、再び厳しい夏の暑さがやってくる時期になっていた。
幾度となく雨を降らせても、未だに彼の求める虹は出来ていない。今日もまた雨を降らせては、虹のない空を悔しげに見つめることしか出来ないのであった。
「……見せてやりてえな、やっぱ」
自分の意思を確認するかのように、雷禍はそう呟く。
それは彼が自分のやる気を何ヶ月も維持してきた方法でもあり、今回に限っては思い出を忘れないようするものでもあった。
その中で、雷禍は自分のやり方に悪いところがないのかを考える。
「……ん?」
そんな中、雷禍は空に浮かんでいる太陽に目を向けて身体を起こした。
薄曇の空にまぶしく輝く太陽には何やら青白い輪が出来ている。それは、雲の中の微細な水滴によって光が屈折して出来た光環と呼ばれる現象であった。
それをよく見てみると、太陽によって薄くなっているが、その輪は外側が赤っぽく、内側が紫掛かった青色。つまり、虹と全く同じ彩色をしていたのだ。
雷禍はそれをしばらくジッと眺めると、大きく頷いて立ち上がった。
「うし、やり方変えてみっか」
雷禍は起き上がると、おもむろに雨を降らし始めた。
その雨は今までと同じ天気雨。しかしまとまった雨を降らし続けていた今までと違って、今回は細かく降る霧雨を降らせたのだ。
雷禍は、霧雨を降らせることで水蒸気の塊である雲と似たようなものを地上に降ろし、光環を目の前に作り出そうとしたのだ。
空の様子は、ギラギラとまぶしく太陽が降り注ぐ中に霧雨が降るという異様な事態。
その状態は、晴れた日の日中にホースで水を撒いた状態によく似ていた。
「……っしゃあ!」
そうして目の前に現れたものを見て、雷禍は立ち上がって大きく勝鬨の声を上げた。
その声を聞いて、幽香が雷禍の傍にやってきてその視線の先にあるものを見上げる。
「何かしら、いきなり大声を出して……」
幽香が見上げた先にあったものは、心地の良い青空に堂々たる七色の橋が掛かっている光景であった。
そして、それは雷禍が作り出したものだと、幽香は状況からそう判断した。
「…………」
幽香はその虹に心を奪われた。
目の前の虹からは、以前自分の花畑を荒らした者のものとは思えないような、真っ直ぐでどこか優しい輝きがあったのだ。
それは頭の中が真っ白になるような、言葉を失うような衝撃を彼女に与えたのだ。
「どうだ、見たか! はっはぁ!」
続いて幽香はその虹を作り出した張本人の顔をみやる。
その表情はとても晴れやかであり、達成感に満ち溢れた無邪気な笑みを浮かべていた。
「……ふっ」
幽香は静かにため息をつく。
その瞬間、雷禍を閉じ込めていた茨の檻が解けていく。
はしゃいでいた雷禍は自分を取り囲んでいた茨がなくなっていることに気付き、しばし目を白黒させる。
そして状況を理解すると、静かにその檻のあった外へと歩いて出た。
「……へっ、あばよ」
雷禍は小さく笑みを浮かべると、意気揚々と外へと飛び出していった。
彼は振り返ることなく、自らが作り出した虹の彼方へと飛んでいく。
「……また会いましょう、雷禍」
幽香は虹の向こうへ消えていく雷禍を見送りながら、小さくそう呟く。
彼が去った後には、七色の橋の下で向日葵たちが雷禍を見送るようにゆらゆらと楽しそうに揺れる光景が残された。
そして、幽香は虹が消えるまでずっと眺め続けたのであった。
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善治は全てを見終わり、意識を現在に引き戻す。
その視線の先では雷禍が六花への説明を終えていたようであり、幽香からの質問を受けているようであった。
「ふぅん? 貴方なら、大嵐でまとめて吹き飛ばそうとか考えそうだと思ったのだけど?」
「そこまで考えなしじゃねえよ。勝てねえ相手に無駄な喧嘩を売って時間を無駄にする気はなかった。さっさと自由になって、少しでも早く強くなりたかったんだよ、俺は」
幽香の言葉に、雷禍は淡々とそう言って返す。
どうやら今の質問は、雷禍が茨の檻の中で妙に神妙にしていたことに関する答えのようであった。
それを聞いて、幽香は納得して頷いた。
「そういうこと。納得が行ったわ。貴方にとって、暴れることは目的じゃなくて、手段だったのね」
「まあな。あんときゃ暴れれば暴れるだけ強くなれたからな。あんたに喧嘩を売ったのも、もっと力が欲しかったからだかんな」
雷禍は当時のことを隠すことなく幽香に告げる。
頑なに黙っていたことを、今こうして話している。それは、彼にとってそれがもう過去に昇華されていることの現れであった。
「それじゃあ、貴方は何であの時、必死になって虹を作ってたのかしら?」
「……別に、大した意味はねえよ。単純に力の制御を練習してただけだ。加減が難しいんだよ、天気雨を作ったりするのは」
続いての質問に、雷禍は少し口ごもった。
それは、幽香には隠し事のサインとして見られることになった。
「本当にそうかしら? 本当にそれだけなら、あそこまで執着するとは思えないのだけど?」
「はぁ……あのなぁ、あんな出来ることの少ねえところで、それ以外に何が出来るっつーんだ? 雪や雹を降らせるわけにはいかねえだろうが」
ため息をついて間をおき、少し考えてから雷禍は正確でもないが間違ってもいないことを口にする。
それに対して、幽香はその言葉の意味を考える。そして、彼女は関係ありそうだと思うことを聞いてみることにした。
「じゃあ虹を作りたかったのは、貴方が力を求めた理由に関係あるのかしら?」
「……まあ、無いとは言わねえよ。で、それを知ってどうするつもりだ?」
雷禍の視線や口調から、明らかに温度が下がっていく。
それは以前のような激しいものではないが、拒絶の意思ははっきりと見て取れるものであった。
その様子を見て、幽香は苦い表情と共にため息をついた。
「……成程ね。それは、現在のことにも関係があるのね」
「そういうこった。で、話は変わっけど、あんたはなんたって俺なんぞに会いに来たんだ? たった一回、一年間閉じ込めていただけの相手をよ? まさか、わざわざ昔話がしたいだけだったとか言わねえよな?」
雷禍は話題の転換を図ると同時に、気になっていることを幽香に問い返した。
数百年前にたった一年しか関わりのない相手の話を聞いて、わざわざ会いに来るほどの理由が彼には思いつかなかったのだ。
「もう一度、あの虹が見たいのよ」
そんな彼の質問に、幽香ははっきりとそう口にした。
その口調から最初からそのつもりであったであろうことを確認すると、雷禍は怪訝な表情で彼女を見やった。
「虹だぁ?」
「そう。悔しいくらいに綺麗だった……私は花の美しさは引き出せても、作り出すことは出来ないわ。だから、あんなに荒んでいた貴方があんなに綺麗な虹を作り出せるって言うのが、とても不思議だったし、すごく悔しかったのよ」
幽香は眼を閉じて、小さく息をつきながらそう口にした。
彼女の脳裏には数百年経った今でも、あの時の虹が鮮明に焼き付いて離れていないのだ。
それを作り出した者が近くに居るとなれば、会いに行きたくなると言うのが情と言うものであろう。
そんな彼女の言葉に、雷禍は首を傾げた。
「悔しい、ねえ。それが俺を逃がした理由か?」
「そうじゃないわ。あの虹を見たとき、もう逃がしちゃっても良いやって思ったのよ。ただの乱暴者にはあんなのは作れない。だから、もう一度あの虹を見て確認したいのよ。あの時の虹が、本物だったことをね」
幽香は真っ直ぐに、相手を見定めるように雷禍を見つめた。
彼女は確認したかったのだ。あの時の虹を作り出した雷禍が、本来の彼の姿であるかどうかを。
雷禍はしばらく考えると、大きくため息をついた。
「……ったく、見たら帰れよな」
雷禍はそう言うと、長屋の外に出て小さく息をつく。
雲ひとつない快晴の空を眺めると、ちらりと六花と幽香の方を見て眼を閉じ、静かに見せたい光景を思い描く。
そして手を振った瞬間、空が見る見るうちに暗くなり始めた。
外にいた人妖たちは突然の空模様の変化に慌て始め、外に干していた洗濯物を急いで取り込み始めた。
その間にも、分厚い暗雲が空一面を見る見るうちに覆いつくしていく。
その様子を見て、赤い蛇の目傘を差した六花が怪訝な表情を浮かべて雷禍を見やった。
「ちょっと雷禍、太陽が完全に隠れたら虹は見えませんわよ?」
「わかってるっつーの。ちっと黙ってみててくれや、姉御」
六花の懸念を他所に、雷禍は更に雲行きを怪しくしていき、ついには雨が降り始めた。
虹は一向にできる様子もなく、突然の雨は激しいにわか雨となって降り注いだ。
その突然の豪雨を見て、幽香が険しい表情で雷禍を見る。
「雷禍? 虹を見せてくれるんじゃなかったのかしら? 前の貴方なら、天気雨くらい簡単に作れたでしょう?」
「だぁ~かぁ~らぁ~! 黙って見てろっつってんだろうが!」
雷禍がそういった瞬間、空が一気に明るくなり始めていった。
激しい雨が止み、暗い影を落としていた雲が晴れ、太陽が顔を見せ始める。
「あら……」
そしてそうして生まれた景色に、六花は思わず息を呑んだ。
目の前に現れたのは、白み始めた雲の隙間から柔らかな光が入り込み、まるで銀色のキャンバスに黄金の光のカーテンがかかっているかのような神秘的な風景。
その光景を背景にして、世界を覆いつくしているかのような大きな虹が掛かっていた。
その七色の光に一点の曇りなし。雷禍の作り出した虹はとても鮮やかで、見るものの心を奪う美しさがあった。
突然の雨に眉をひそめていた人里の住人達も、自分が雨に濡れていたことも忘れてその虹を眺めていた。
「…………」
幽香は何も言わない。彼女は表情の抜け落ちた顔で空をじっと眺めている。
彼女もまた目の前の光景に心を奪われているようで、その表情はずっと捜し求めていた美しい絵画を眺めているようなものであった。
「どうだ? これで満足か?」
そんな彼女に、雷禍がはなしかける。どうやら思ったとおりのものが出来たらしく、微かに笑みを浮かべながら彼女の肩に手を置いていた。
実際には惚れた女の居る手前、大見得を切ってわざわざこんな複雑なことをしたのだが、言いだしっぺにも効果覿面でご満悦の様子であった。
「……本当に、何で貴方なんかがこんな綺麗な景色を作れるのかしら。それが不思議でならないわ」
すると幽香は、とても満足げな笑みを浮かべて雷禍にそう答えた。
どうやら、雷禍の虹は幽香のお眼鏡に適ったようである。
幽香は六花の傘の外に出て日傘を差すと、くるりと雷禍に向き直る。
「それじゃあ、また会いましょう。今度は、私のお花達をこの景色で飾りたいわ」
幽香はそう言うと、虹を眺めながら雨上がりの街並みに消えていく。
彼女の足取りは、まるで目の前の景色が流れるのを惜しむようにゆっくりであった。
「はいはい、十秒で忘れるから覚えてたらな」
そんな彼女に、雷禍はおざなりにそう言って返すのであった。
すると、彼の肩を六花が軽く叩いた。
「さて、雷禍さん?」
「ん? 何だ、姉御?」
「貴方、随分気合入っていましたわね? さっきの虹」
「まぁな。で、それがどうした?」
六花はニヤニヤと笑いながら雷禍にそう問いかける。
すると、雷禍は自分の自信作が認められたことで洋洋と返事をした。
そんな彼に、六花は更なる質問を重ねることにした。
「幽香に惚れでもしたんですの?」
「はぁ?」
六花の言葉に、雷禍の表情がぴしりと固まった。
雷禍にとって、六花のその言葉は完全に想定外のものであり、おまけに予想斜め上の方向へと話が飛躍したものであったのだ。
そんな彼に、六花は笑いを堪えながらジト眼をつくり、雷禍の顔をしたから覗き込んだ。
「私に告白しておきながら、他の女に現を抜かすんですのね」
「いや、ちげーし! あれは姉御に見せるために、」
「虹が見たいといったのは幽香ですわよ? あれじゃあ、幽香に向けたメッセージになると思うのですけど、違いまして?」
雷禍の反論を、六花はそう言って叩き潰す。
確かに、虹が見たいと言い出したのは幽香なので、作った虹をもっとも喜ぶのは幽香のはずである。
幽香からしてみれば、雷禍は自分のためにこれ以上ないほど全力を尽くしてくれたと思っても全く不思議ではないのだ。
「……なんてこったい」
六花のの指摘を受けて、雷禍はがくりと肩を落とした。
そりゃあ自分が超本気になってしたことが完全に裏目に出たとなれば、凹んでも仕方のないことであろう。
そんな彼の前で、六花は大げさな様子でこれ見よがしに大きくため息をついた。
「ああ、貴方のせいで私の乙女のプライドはズタズタですわ……この落とし前、どうしてくれますの?」
雷禍の顔を狙い済ました上目遣いで見つめながら、六花が問いかける。
その瑞々しい真っ赤な唇から放たれる言葉は呆れ口調であり、それで居て誘うような色気のある言葉であった。
それは明らかに雷禍を困らせるためのものであり、彼がどんな反応を見せるかを楽しむためのものであった。
そんな彼女の様子を見て、雷禍はハッとした表情で六花の顔を見やった。
「あ、ひょっとして姉御、妬いてる……ひっ!?」
「……今度ふざけたこと言いましたら、その舌を三枚に下ろして差し上げますわ」
雷禍の顎を掴み、包丁の切っ先で顎の先をつつきながら六花はそう口にした。
その口調には手にしたよく切れる包丁のような鋭さがあり、先程のような甘さは一切含まれて居なかった。
「……ら、らじゃー……」
雷禍の返事は、口にしたものと「はい」か「イエス」しか存在していなかった。
蒼褪めて冷や汗を流す彼の様子を見て、六花は雷禍から身体を離した。
「それじゃあ、行きますわよ」
「ど、どこに?」
「どこって……誠意は見せてくださらないの?」
突然の一言に呆ける雷禍に、六花は薄く笑みを浮かべてそう答える。
そして、六花が何を望んでいるのかを大体理解した雷禍は、六花に背を向けて財布の中を確認した。
「……分かりました」
暗く沈んだ声で雷禍は六花にそう話す。
雷禍の財布の中には、寺子屋に通う小さな子供が駄菓子を少し買える程度の金額しか入っていなかったのであった。
そのあまりにも悲惨な財布の中身を見るに見かねて、今まで沈黙を守っていた善治が六花に声を掛ける。
「その前に、ちょっと良いか?」
「何ですの?」
「今、少し雷禍と話がしたいんでな。すぐ終わる」
「……ええ、良いですわよ」
善治の言葉に、六花は小さくため息をついてそう応えた。
それを聞くと、善治は雷禍を連れて長屋の中へと一度入っていく。
そして中に入ると、善治の言いたいことが分からない雷禍が口を開いた。
「で、何だ、一体?」
「……何も言わずにこれを持っていけ」
善治はそう言うと、自分の財布の中から紙幣を数枚取り出して雷禍に手渡した。その金額は二人でなら一日少し贅沢が出来るほどの金額であった。
それを見て、雷禍は驚きの表情を浮かべて善治を見やった。
「マジで!? 良いのか!?」
「これは貸しにしといてやる。ちゃんと返せ」
「サンキュ! 正直マジで財布の中やばかったんだ」
雷禍は善治から金を受け取ると、嬉々とした表情で自分の財布にそれをしまった。
「……本当に良かったのか?」
そんな彼の横から、善治はぽつりと雷禍にそう離しかけた。
それを聞いて、雷禍は何のことだか分からずに首を傾げた。
「ああ?」
「今あいつらに喋れないことを、俺にばらして良かったのか?」
善治は雷禍にそう問いかける。
何故なら、雷禍は善治の『あらゆる生物の正体が分かる程度の能力』が相手の過去を見通す能力でもあることを知っていて、その上で能力の使用を許したのだ。
善治は、今でも続いている因縁の相手である一人の少女との過去を何故教えたのかが分からなかったのだ。
そんな善治の質問に、雷禍は小さく笑みを浮かべた。
「ああ、そゆこと。別にテメエになら良いんだ」
「そりゃ何でだ?」
「一緒に暮らしてる奴に隠すと色々とやりづらくなんだろ? それに、テメエの口の堅さは信用できっからな」
怪訝な表情を浮かべる善治に、雷禍は笑顔でそう言って肩を叩く。
それを聞いて、善治は小さく笑い返した。
「了解。じゃ、精々その信用に答えるとするよ。そんなことより、話は終わったから早く行け」
「おう、行ってくる」
「ああ、精々絞られて来い」
六花の元に向かう雷禍を、善治はそう言って見送る。
長屋の外では雷禍は六花に何やら言われており、彼女に頭を下げながら後についていく。
「……あいつ、女の家に招待された上に他の女にデート申し込まれたの分かってんのかね? 修羅場ってしまえ、リア充め」
そんな雷禍に、善治はそう吐き捨てて再び新聞を読み始めるのであった。
その日、帰ってくるなり雷禍は崩れ落ちた。
途中で幽々子に遭遇したらしく、神経と共に財布の中身も衰弱しきった彼が手にしていたのは、二件分の新しいバイトの制服であった。
そんな彼を見て、善治が心の中で小さくガッツポーズをしたのは余談である。
この頃の雷禍さんはとんでもない暴れん坊で、怖いもの知らずだったんです。
おまけに暴れることが目的じゃないから、そう簡単には引いたりしませんし、手段を選んだりもしません。
例えるなら、力を求めることが目的になった頭の足りない衛宮切嗣見たいな感じでしょうか。
もう完全に彼自身が災害と化しています。
幽香さんはこんな感じ。
キレたらドSになるけど、普段は礼儀正しい淑女と言ったイメージです。
雷禍に対しては、最初こそ怒りはしたものの、その行動の裏に理由があることを察して様子を見ていた感じであります。
……それにしても、名前をほとんど出していないのに幽々子の存在感が半端じゃない件について。
では、ご意見ご感想お待ちしております。