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銀の槍のつらぬく道  作者: F1チェイサー
永い夜と銀の槍
156/175

永夜抄:銀の槍、高揚する


 暗い宇宙に、色鮮やかな流星群が交差する。

 桃紫の二色の群れが、先頭の白い流星の後を追って正面の銀の群れを飲み込もうとしていた。

 その一方で、物言わぬ式神も自らの主である九尾の狐を守ろうと全力でぶつかっていく。


「……」


 将志はその攻撃を苦もなく躱しながら、自分と同じ力を持つ式神を相手にしていく。

 三対一と言う不利な状態であるにもかかわらず、将志はその卓越した技量で次々に式神を押し返していた。

 更に紫と幽々子の援護射撃も巧みに躱し、逆に上手く立ち回ることで式神の陰に隠れて誤射を誘発させることまでやってのける。


「……まだまだ余裕ね、将志。自分と同じ力量の式神を三人同時に相手しているというのに」

「……例え俺と同じ力量であろうが、こうまで個々の技量が低いのでは話にならん。現に、全員守ることで精一杯になっているだろう?」


 将志は式神達の攻撃に正確に反撃を加えながら、幽々子に平静にそう言った。

 式神達は段々と押され始めており、主人である藍を守ることを目的とした守る戦いを強いられていた。


「……ふっ」


 そんな中、将志は突如として式神達との戦いを放棄して横へ大きく跳ぶ。

 するとその背後にスキマが開き、彼の居た場所を弾幕が通り過ぎていった。

 紫は将志の死角をついて攻撃をしたつもりだったが、どうやら完璧に読まれていたようである。

 その様子を見て、紫は小さく息を吐き出した。


「……やっぱり駄目か」

「……戯け、こんな子供だましで俺がやられるものか」

「なら、これはどうかしら?」


 紫はそう言った瞬間、将志を包み込むように一瞬でスキマを展開する。それは何の予兆も感じられない、突然の出来事であった。

 将志の居る場所はスキマに囲まれて、その中では避けようもないほどの苛烈な弾幕が展開される。


「……っ!?」


 しかし次の瞬間、紫は思わず息を呑んだ。

 中に閉じ込めたはずの将志が自分の前に立っていたのだ。

 将志の持つ『悪意を察知する程度の能力』。それはたとえどんな攻撃が来るか分かっていても、将志自身が動かなければ避けることはできない。紫はそれを狙って攻撃を仕掛けたのだ。

 将志に避けられないように、一寸の狂いもなく瞬時に同時に展開したはずのスキマ。考えてから時間を取ることでタイミングを計り、将志の不意をつくために計算された攻撃。

 それを将志は事も無げに避けきって見せたのだ。

 今まで様々な相手を、目の前の戦神も例外なくその頭脳と言葉で操ってきた彼女にとって、自分の思い通りにならないというのは確かな恐怖を感じるものであった。


「……甘い。お前がその攻撃を考えた時点で、俺にはどう避ければ良いのか分かる。お前がいくら賢いとしても、考えるだけ無駄……いや、むしろ悪手であろうな」


 将志は抑揚のない声で冷たく紫にそう言い放つと、先程紫が展開していたスキマがあった所を見やった。そこには、将志を追いかけて飛び込んできた藍の式神の残骸があった。

 彼には全て見えていたのだ。彼には紫が自分に仕掛けようとしている攻撃の範囲だけでなく、それを仕掛けてくるタイミングまで、全て分かっていたのだ。

 それ故に将志はその紫の思惑全てを利用し、逆に最も効果的に相手を攻撃することが出来たのだ。

 そして、それは紫の戦意を折るのに十分な効力を発揮していた。


「それじゃあ、今度はどうかしら?」


 その横から聞こえてくる声と共に、桃色に光る蝶が一斉に辺りに散らばった。

 蝶は何をしてくるわけでもなく、ただふわふわと宙に浮かんでいるばかり。

 その様子を見て、将志は小さくため息をついた。


「……成程。ただ浮かべるだけの機雷か。確かに、これなら俺の能力は役に立たんだろうな」


 攻撃する明確な意思がなければ『悪意を察知する程度の能力』には掛からない。そう考えて幽々子は攻撃を仕掛けたのだ。

 将志はその考えを肯定する発言しながら、周囲に漂う蝶を眺める。


「……だが、笑止」

「……っ」


 しかし、将志が小さく念じた瞬間に彼の体から銀の光の粒が一斉に吹き出した。

 星の爆発によって生まれる星雲の様に広がるそれは、周囲の蝶の群れを一息で押し流してしまった。


「……この程度のもの、薙ぎ払えば済むだけのこと。苦し紛れの浅知恵でしかない」

「……はぁ」


 再び敵の攻撃を容易く退け、将志は若干呆れたような表情で幽々子を見やった。

 それに対して、幽々子も呆れ混じりのため息をついた。

 力押しは通じない、しかも頭脳戦を仕掛けても全て読みきられる。

 幽々子はその現状を打破する方法をじっくり考えたが、どうやら白旗を揚げざるを得なくなったようである。


「ふふふ……そうだ。それでこそ将志だ」


 紫と幽々子をあっさり退けた将志を見て、藍は嬉しそうに笑って新しい式神を繰り出した。

 新しく命を吹き込まれた式神は、命が尽きかけていた式神よりも苛烈な攻撃を将志に仕掛けていく。


「……ちっ、面倒な」


 将志は少しうんざりした様子で吐き捨てるようにそう口にしながら、藍に目を向ける。

 技量に差があるとはいえ、相手の力自体は自分とほぼ同じなのである。流石の将志も、そのような相手は無視できるようなものではない。

 藍の表情は依然として狂気を孕んだ笑みのまま。その表情から、相手の式神の残数は読み取れそうもなかった。


「……ならば!」


 将志は槍の一振りで式神達を薙ぎ払うと、式神の使い手である藍に向かって一気に駆け出した。

 しかしその槍が届くその瞬間、藍は蜃気楼のように消え失せてしまった。


「……っ!?」

「ふふふっ、私はまだ死ねないよ」


 驚く将志の後ろから、色香と熱を含んだ声が聞こえてくる。

 そこには、まるで最初からそこにいたかのように佇んでいる藍の姿があった。

 彼女は幻術を用いて、その居場所と気配を誤魔化していたのだ。


「……ちぃ!」

「おいおい、今戦う相手は私じゃないだろう?」


 将志は振り返りざまに槍を振るうも、その攻撃は再び空振りに終わる。

 気が付けば藍は大きく離れたところにおり、彼女を守るように式神達が陣取っていた。


「…………」


 将志は内心歯噛みしていた。何故ならば、ここに来て己の重大な弱点が再び現れてしまったからである。

 今の将志には、藍の居場所が分からないのだ。

 将志が戦っている相手は、確かに藍である。しかし、藍は将志と同等の力を持つ式神を作っただけなのだ。その式神に藍の意思は関係なく、一種の人工知能のような術式によって動いているのだ。更に藍自身には将志を攻撃する意思はなく、ただ見ているだけである。

 つまり、藍自身の行動には将志に対する悪意など少しもないのだ。それは、将志が最も頼りにしている『悪意を察知する程度の能力』が藍の居場所の特定に使えないということでもあった。

 ここに来て、将志は藍の動きを見失った。と言うことは、今の将志には一番の障害となっている式神を封じる術がないということであった。


「……根競べか……良いだろう」


 しかし、将志は未だに平静を保っていた。

 彼とて戦神の名声を自力で勝ち得た男である。この程度で音を上げるようでは、その名を返上しなければならないだろう。

 彼は紫や幽々子たちの攻撃を捌きながら、藍を倒す方法を考える。


「……」

「……」

「……」


 式神達は依然として怒涛の猛攻を仕掛けてくる。

 それは燃え尽きる寸前の炎がいっそう激しく燃え上がるように、その短い命を燃やしていた。


「……拙い技だ」


 将志はその炎のように激しい攻撃を、流水のように滑らかな動きで往なし、反撃を加えていく。

 その攻撃を受けて、式神達はどんどん傷つき、散っていった。

 繰り返されるその戦いの様子を見て、戦場から離れた紫は首をかしげながら眺めていた。


「ねえ、幽々子。おかしいと思わないかしら?」

「何が?」

「だって、藍は式神の寿命を引き換えにして、将志と同じ力を持つ式神を作り出したのよね?」

「そうねえ。少なくとも、将志と打ち合えるくらいの力は持っているわね」

「それじゃあ、何で将志の攻撃を式神達は避けられないのかしら?」


 紫はそう言いながら、将志と式神達の戦いに目を向ける。

 見ると、式神達の攻撃は将志に全て躱されているのだが、将志の攻撃はまるで吸い込まれるように式神達を捉えている。

 つまり将志と同じ力、『悪意を察知する程度の能力』を持っているにもかかわらず、将志の攻撃を避けられていないのだ。

 その疑問を聞いて、幽々子がふと何か思い出したように口を開いた。


「それ、一回妖夢から聞いたことがあるわ」

「そう。で、一体どういうことなのかしら?」

「夢想剣っていうらしいのよ、あれ。剣じゃないけど。将志は考える前に体が動いていて、気が付いたら敵を倒してるみたいよ?」


 幽々子は妖夢から聞いた話を紫に伝える。

 相手を惑わすための技を虚の技、実際に相手を斬る技を実の技とする。この二つがまともに打ち合えば、実の技のほうが勝つのは必然である。

 そして、夢見心地のような無想の状態で振るわれる技は、余計なものが混ざらない、完全な実の技となって振るわれるのだ。

 更にほぼ無意識の状態で振るわれるために、自身の『悪意を察知する程度の能力』ですら感知できなくなるのである。

 将志の技はまさにその境地にあり、術によって思考しなければならない式神には真似できないものであった。


「……ふっ」


 そして、また一人式神が倒される。

 しかし、どんどん不利になるというのに藍の顔には歓喜の表情が浮かぶばかりであった。


「ふふふっ……いいぞ、将志! さあ、もっと本気を見せてくれ!」

「…………」


 そうして、また藍の手元から数体の式神達が現れる。

 目の前に出てきた式神を見て、将志は小さく息を吐いた。

 式神が増えたこと自体は特に影響はない。彼にとって問題だったのは、式神を繰り出した藍から悪意が掴めなかったことであった。

 心が壊れている藍は、愛しさと好奇心だけで式神を繰り出して攻撃を仕掛けていたのだ。


「……」

「……むっ」


 加えて、ここにきて藍の式神が恐ろしい性質を発揮し始めていた。

 なんと彼らはこの戦いの中で将志の技を吸収し、次々と自分のものにしていたのだ。更に式神同士が互いに連動しているためか、新しい式神もどんどん覚えた技を繰り出していく。それと同時に今まで通じていた技が、どんどん通じなくなっていった。

 将志はその様子を見て、式神達にある種の狂気じみた意思を感じた。


「……藍……そんなに俺が欲しかったか」

「ああ……愛梨に勝てる式神を作ろうとしているうちに……気が付けば将志そのものを作ろうとしていたよ」


 藍は将志の言葉にそう言って答える。

 藍の最大のライバルは、愛梨である。しかし愛梨の力はとても強く、自分の地力だけでは到底勝てそうもなかった。

 そこで彼女は、自分の能力を最大限に生かせる、愛梨に勝てるほどに強い式神を作ることを決意したのだ。そして愛梨に勝てる相手と言えば、将志である。

 彼女は研究に没頭した。誰も見ていないところで、入手した将志の毛髪を編みこんだ式神を、何度も試行錯誤しながら仕上げていく。

 幸いにして、将志は元々守護の妖怪である。自分を守りながら戦う思考は将志の思考を真似て作れば良いし、相手をけして侮らない精神もそのまま映せばよい。

 しかし、彼女にはどうしても出来ないことがあった。

 それは、将志の技の再現。

 藍は将志の技を研究することは出来ても、その真髄までを理解することは出来なかった。何度やっても将志のような槍捌きを得られなかったのだ。

 そこで彼女が思い出したのは、将志の道場破りの話であった。将志は自らの技の研究のために、様々な武術、流派の道場を転々とし、そのことごとくを制覇して見せたのを思い出した。

 彼女は、式神に将志の学習能力をつけることにしたのであった。

 そして気が付けば、将志の力、将志の技、将志の精神……つまり、将志そのものを作ろうとしていたのであった。

 それに気が付いてから、藍はその式神を大量生産した。

 式神の寿命は短い。それは、自分のものである将志の寿命が短いということと動議であり、それを失うことを恐れたからであった。

 その執着は、藍の式神にも克明に現れていた。

 式神の行動は、将志の思考をそのままコピーしたように動き、些細な動きの癖まで完璧に将志を再現してみせたのであった。


「……そうか……」


 将志は藍の言葉になおざりな返事を返すと、大きく息を吐いた。


「……はぁぁぁぁ……」


 そして次の瞬間、彼の体の中から銀色の光が渦を巻きながら周囲に溢れ出した。

 その光は星屑のように暗い宇宙に広がっていき、近くにいた式神達を飲み込んでいく。

 そして星屑が式神に触れると、閃光と共にはじけた。


「きゃあっ!?」

「くぅっ!?」


 そのあまりのまぶしさに、紫と幽々子は思わず目がくらむ。

 しばらくして目を開けると、そこには体のところどころが掛けた式神達が漂いながら燃えていた。

 将志の力に触れた彼らは、それに耐え切れずに触れた部分から圧壊していったのだ。


「……この試練に感謝する。主を守るためにも、俺は俺自身を乗り越えて見せよう」


 将志の心は非常に高揚していた。

 今まさに主を守るために戦っている事実と、目の前に現れた予期せぬ試練。

 その二つの出来事に将志は自分の中の、かつて主を月に送ったとき以来眠っていた本能を呼び起こされたような気がしたのだ。

 自らの使命を再び全力で実行できる。それは彼にとって、今までにない悦びを与えてくれるものであった。


「……ああ……良いぞ……初めて見るぞ、その表情! もっと、もっと戦え!」


 その表情を見て、藍は子供のようにはしゃぐ。

 今まで一度も見たことがないほど、生き生きとした表情の想い人。

 それを作り出したのが他でもない自分であるということが、藍にはこの上なく嬉しかったのだ。


「……何か違和感があるわね、この戦い」


 そんな二人を見て、紫は再び考え込む。どうやら何かが引っかかっているようである。

 そんな紫に、幽々子は首を傾げた。


「今度は何よ、紫?」

「いえ……それがよく分からないのよ。何か引っかかるんだけど……」


 紫はそう言って口ごもると、再び将志と藍の勝負の行く末を見守ることにした。




 将志が藍達と戦っている一方で、銀月も後を追ってきた霊夢達と戦っていた。

 銀月の周りには銀の光を放つ札が大量に浮かび、巻物も銀月の手から離れて宇宙を自由に泳いでいる。

 それらを操る銀月の手には銀と青の二本の槍が握られており、広い戦場を所狭しと駆け回っていた。


「ほらほらほらぁ!」


 銀月は彗星のように翠色の光の尾を引きながら、銀色の札を次々に撒いていく。

 その速度、手数、威力の全てが普段のものとは段違いであり、たった一人で霊夢達を翻弄するまでになっていた。


「くっ……速い……銀月、こんなに速く動けるのね」

「それだけあいつは無茶をしてるのよ。咲夜も分かるでしょう?」


 自分の知るより格段に強くなった銀月への咲夜の呟きに、レミリアはそう言って返した。

 今の銀月は、普段の修行中に魔力を使いすぎて眼が光りだした段階よりも、更に消耗した状態になっているのは間違いないのである。

 だというのに、今の彼はそれを無視して行動しているのである。それは彼女の目から見れば、無茶以外の何物でもなかった。


「せやっ!」

「くっ!」


 そのレミリアに対して、銀月は通り過ぎざまに鋼の槍で一撃を加える。

 レミリアはそれを打ち返そうとするが、強化された銀月の力が強すぎて弾き飛ばされてしまう。


「お嬢様!」

「……慌てるな。弾かれただけで大したダメージはないわよ」


 レミリアは優雅に体勢を立て直しながら、安否を心配する咲夜にそう口にした。

 しかし、一見平静を装っている彼女も内心焦りを覚えていた。

 吸血鬼を弾き飛ばすほどに銀月の力が強化されていることはもちろんマイナスだが、それ以上に銀月がなりふり構わず自分の力を使っていることが問題であった。

 彼女の脳裏によぎるのは、地下室で起きた悪夢。かつて紅魔館を震撼させたあの大災害が、再びこの場で起きてしまうかもしれないという事実は、レミリアを焦らせるのに十分であった。


「まだまだ行くぞ!」


 それを知ってか知らずか、銀月は身に纏った翠色の光を更に強めながら攻撃を仕掛けていく。

 その気迫たるや凄まじいもので、近くに寄れば無事では済まされないという恐怖を周囲に振りまくほどであった。

 そんな鬼気迫る様子の銀月に、妖夢の頬を一筋の冷や汗が流れ落ちた。


「こんな銀月さん、見たことありません……何だか、寒気がします」

「……ああ。だが、これだけは言えるぜ。今の銀月は、完全にいかれてやがる」


 妖夢の言葉に、ギルバートは鋭い目つきで銀月を睨みながらそう口にした。

 その言葉には押し殺された怒りがにじんでおり、今にもそれが爆発しそうであった。


「次のは、とっておきだぞ!」


 銀月はそう言うと、空中に素早く魔法陣を描いた。

 中に描かれた魔法陣は、たちまち銀色の光を放ちながら起動する。

 そして、その魔法陣から緑色に光る眼を持つ、身の丈ほどの体高の虎が現れた。

 その一部始終を見て、ギルバートの表情が驚きに染まった。


「なっ……召喚術だと!?」

「ああ、そうさ。さあ、目の前の敵を倒せ!」


 銀月がそう言いながら虎の頭を撫でると、虎はギルバート達に襲いかかるべく走り始めた。

 重々しいその巨体は全身のしなやかな筋肉によって軽やかに跳ね、風を切って敵に突っ込んでいく。


「ギルバートさん!」

「任せろ!」


 ギルバートは真正面からその虎の突撃を受けとめる。

 トラックと正面衝突したかのような衝撃を受けたその瞬間、ギルバートの手には痛みを覚えるほどに冷たい感触が伝わってきた。

 よく見るとその虎の毛並みは折り重なった部分が青みを帯びており、まるで分厚い南極の氷のような色をしていた。

 どうやらこの虎は超低温の氷の毛並みを持っているようであり、触れているとこちらが凍り付いてしまいそうであった。


「ちっ、冷てえな……」

「そこっ、っ!?」


 銀月は異世界の氷の虎と組み合っているギルバートを攻撃しようとするが、横からの攻撃に反応してそれを受け止める。


「いい加減にしろ、銀月。お前にとって、父親はそうまでしなきゃいけないものなの?」


 その攻撃の主は、手にした真紅の槍で銀月の首を薙ぎ払う。


「レミリア様のフランドール様に対するものと同じだと思うけどな? 人のこと言えるのかい?」


 レミリアの一撃を身をかがめることで避け、その風切り音が鳴り止まぬうちに銀月は手に握った銀の札で下から切りつける。


「黙れ。お前と私のは全然違うわ」


 それをのけぞるようにして躱し、レミリアは振りぬいた槍を返して銀月の頭に叩きつける。


「何が違うって言うのさ」


 上に伸び上がった銀月は身体をひねりながら宙返りをするように足を振り上げて槍の柄を横から蹴り、その回転の勢いをそのままに札から鋼の槍を取り出して薙ぎ払う。


「私は、お前ほど自分を捨てたりはしないわ」


 重たい音を奏でながら横に薙ぎ払う一撃をレミリアは這うようにして躱し、自らを弾丸のようにした突撃を仕掛ける。


「仲間を道連れに地獄に落ちるって言ったのに?」


 その紅い弾丸を銀月は槍で受け流しながら横に避け、レミリアの背中に銀に光る札を投げつける。


「簡単に全てを捨てるほうがよっぽど狂ってるわ」


 レミリアは宙返りで銀の流れ星を回避し、頭上から銀月に向かって弾幕攻撃を仕掛ける。


「それだけの覚悟があるってことさ」


 その弾幕を縫うように飛んで躱しながら、銀月は青白い槍をレミリアに突き出す。


「それは違うわ」


 レミリアはそれを自分の懐に引き込むように受け流し、鍔迫り合いの体勢を作ろうとする。


「違わないさ」


 それに対して銀月は勢いのまま突進し、レミリアを後ろに弾き飛ばす。


「……っ、お前に限ってそれはない」


 レミリアは慌てることなくふわりと体勢を立て直し、今度は逆に銀月に向けて突っ込んでいく。


「じゃあ、なんだって言うのさ」


 それを向かい打つべく、銀月はレミリアに向けて冷たく光る青白い槍を構える。


「お前は最初から父親しか見えていないだけよ。そして何より、自分自身が見えていない」


 その岩すらも豆腐のごとく貫く槍の穂先を、突撃するレミリアは身体をひねりながら、ドレスの背中が少し裂けるくらいギリギリでやり過ごす。


「くっ!?」


 そして、レミリアは銀月の襟首を掴んだ。


「よく聞け、銀月。私は確かにフランに全てを賭けられる。何故なら、フランは私の一部だからだ」

「だからって、咲夜さんや美鈴さん、パチュリー様も道連れに出来るのかい?」

「ええ、出来るわよ。だって、私にとっては咲夜も美鈴もパチェも、全部私の一部なのだから。そして銀月、お前ももう、私の一部なのよ」

「俺は君のものじゃあないだろう? ぐっ!?」


 自分の眼を覗き込んで話すレミリアに、銀月は淡々とそう言って返す。

 それを聞いて、レミリアは銀月の襟首を思いっきり締め上げた。


「だから、そんなこと知ったこっちゃないわ! 私の運命の上に立っているのなら、全部私のものよ! 自分のものを自分の思い通りにして何が悪い!」


 レミリアはあらん限りの声で、わがままを言う子供のように喚き散らした。

 それは本気で銀月を自分のものだと思っていることの表れであり、自分のものが自分の思い通りにならないことに腹を立てた言葉であった。


「……私の許可なく壊れることは許さない。例え将志に恨まれようとも、お前だけは絶対に紅魔館に連れ帰ってやる」


 銀月の首を締め上げたまま、吐息がかかるほど顔を近づけてレミリアはそう口にする。

 彼女にとって、もはや異変もその後の面倒事もどうでも良いものに成り下がっていた。

 今の彼女の命題は、勝手に壊れようとしている「自分のもの(大切な人)」を、いかにして「無事に持って帰ろう(救おう)」かと言うことだけであった。


「……ふっ、ふふっ……俺もレミリア様のもの、ね……ふふふ……」


 その言葉を聞いて、銀月は静かに笑い出した。

 そして次の瞬間、レミリアの手の中から彼の姿は一瞬で消え失せた。


「なっ!?」

「やっぱり、レミリア様も俺と変わらないよ。だって、それは俺にとっての父さんとも置き換えられるんだから」


 驚愕に目を見開くレミリアの前から、少年の涼やかな声が聞こえてくる。

 その表情は穏やかでいて、淋しげな儚い笑顔。どうやら、銀月には彼女の言葉の真意が伝わったようである。


「やっぱり、全然違うわね」

「っ!?」


 しかしその銀月の言葉は、横から飛んできたナイフと共に否定された。

 銀月はその攻撃を素早く後ろに飛びのくことで躱すと、一斉に咲夜に向けて周囲に浮かべた札を飛ばした。


「……咲夜さんか。じゃあ聞くけど、一体何が違うって言うんだい?」

「くっ、お嬢様は死なないわ」

「そりゃ、吸血鬼はそう簡単には死ねないさ」

「そうじゃないわ。お嬢様は例え自分が人間だったとしても、絶対に貴方みたいな事はしない」


 銀月の激しい札による攻撃を躱しつつ、咲夜はアウトレンジからの攻撃を仕掛けながらそう口にする。

 それを聞いて、銀月は攻撃の手を止め、不思議そうな表情で昨夜を見つめた。


「何でさ」

「貴方は自分のことを父親の所有物だと思っている。お嬢様は、私達を自分の一部だと思っている。貴方は自分が壊れても父親は大丈夫だと思っている。お嬢様は自分が壊れたら周りも一緒に死ぬと思っている。それが違いよ」


 咲夜は銀月に、銀月とレミリアの違いについて述べた。

 銀月は、自分は父親の「モノ」だと思っている。彼にとって自分の命はほぼ「物」であり、将志という所有者のためなら磨り減っても仕方が無いものである。

 つまり、その考え方には自分と言う消耗品が切れたときの所有者への影響が考えられていないのだ。それは極めて独善的なものであり、あまりに身勝手な考えであった。

 一方のレミリアは、咲夜や銀月は自分の一部だと思っている。心臓が止まれば末端組織である手足も死を迎えるように、自分が死ねば周囲も巻き込むであろうことをきちんと理解しているのだ。

 大切な相手のために命を懸ける両者の、ただ一点の違い。しかしその違いは、決定的な違いとなって二人の間に横たわっていたのだ。

 その違いを聞いて、銀月は静かに目を伏せた。


「……それでも、これだけは譲れない!」


 銀月がそう一言力強く言い放つと、銀月が纏っていた翠色の光が、突如として銀色に変わり輝きを増した。

 淡く彼を覆っていただけだった翠色は宝石のように煌めく光の粒となって、燃え盛る銀色の炎から散る火の粉のように周囲へと広がっていった。

 それは咲夜の言葉を振り払うかのようであり、自らの意思を確かにするためのものであった。


「やあああああ!」

「ふっ!」


 そんな銀月に向かって、妖夢が凄まじい気迫と共に白刃を振るった。

 銀月はそれを受け流そうとするが、彼女の渾身の一撃はその反応速度を上回って彼を押し込んだのだ。


「……いい加減、頭にきました。銀月さん、貴方は今何をしているか分かってますか?」

「まあ、大体は。全力で父さんの手伝いをね」


 俯き震えた声で問いかける妖夢に、銀月は淡々とした口調でそう問いかける。

 それを聞いて、妖夢の中で何かが切れた。


「なら、何で貴方は生命力を削ってまで戦うんですか! その力、貴方の命を、魂を削って出してるんでしょう!?」


 妖夢は殴りかからんばかりの勢いで銀月に怒鳴り散らした。

 彼女は気が付いたのだ。目の前の彼が纏っている光の揺らめきが、白玉楼に浮かぶ魂の揺らめきに良く似ていることを。


「そうまでしても、俺は父さんへの恩返しがしたいんだ」


 その言葉を、銀月はそう言って暗に肯定した。

 その返答を聞いて、妖夢は強く、砕けそうなほどに歯を食いしばった。


「……斬ります。貴方が本気でそう思っているなら、将志様のためになりません」


 妖夢は銀月の眼を睨みながら、はっきりとそう口にした。

 それは自分の感情が抑えきれずに飛び出した言葉であった。


「……あ?」

「きゃあっ!?」


 妖夢の言葉を聞いた瞬間、銀月の顔から表情が抜け落ちた。

 彼は妖夢を思いっきり突き飛ばすと、大きく振りかぶった鋼の槍を彼女に叩き付けた。


「……そういうことは俺を止められるようになってから言おうか」

「くっ、うっ!」


 逆上した銀月は、重い鋼の槍を力任せに何度も妖夢に叩きつける。

 それは感情に身を任せた拙いものであったが、彼女が反応しきれないほどの速度と力があった。

 妖夢は必死に受けるが、その衝撃と速さのせいで受けるのが精一杯で、苦しい状態に追い込まれた。

 そして次の瞬間、彼女は横薙ぎの一撃を受けて大きく弾き飛ばされた。


「うわあああ!」

「……どうしたのさ。俺を斬るんじゃなかったのかい!?」


 銀月はそう言いながら、銀月は再び鋼の槍を大きく振りかぶって妖夢に追い討ちをかけようとする。

 しかし全身の力を使って振り下ろされたそれは、妖夢の身体に触れる前に止まった。


「……どうだ、止めてやったぜ」

「……ギルバート」


 銀月の目の前には、右腕だけ人狼化したギルバートが立っていた。

 彼は人狼化しなければいけないほど身体に溢れた力を制御し、右腕だけに集めて銀月の攻撃を防ぎきったのだ。

 その後ろには、ぐったりと宙に浮かぶ白い虎。どうやら、ギルバートの一撃を受けて倒されたようであった。


「そらっ!」

「ちっ!」


 ギルバートは黄金に輝く右腕を銀月に向かって繰り出す。それは首を狙って放たれた攻撃であり、当たれば命を奪いかねないものであった。

 その攻撃を、銀月はまた青白いミスリル銀製の槍で受け止める。

 圧縮された力同士のぶつかり合いによる火花を激しく散らしながら、二人は鍔迫り合いの状態になった。


「……またその攻撃か。さっきから、君は俺を連れ戻す気はないみたいだな?」

「へっ、当たり前だ。俺は人間が嫌いだし、何より人狼の危機だ。邪魔をするのなら、お前にも死んでもらう」

「……生憎と、父さんのためにも君に殺されてはやれないな」

「ハッ、よく言うぜ。そんなこと言う奴が、命を削って戦うかよ!」

「……っ!?」


 ギルバートは突如として右腕に集めていた力を左手に一瞬で移し変え、斜め下からその黄金の爪を振り上げた。

 それは銀月の白装束の胸元を引き裂いた。すると銀月の胸には、翠色に輝く魔法陣が存在した。


「知ってるぜ、その胸の魔法陣。それは、数年分の命を一日に圧縮する魔法だ。お前のその光は、本来長い時間を掛けて使われるはずだった命の輝きだ。銀月……親父さんは、本当にお前がそうすることを望んでいるのか?」


 ギルバートは銀月の胸にある魔法陣を見て、怒りをにじませた声でそう口にする。

 今の銀月の力の源。それは、未来の自分が生み出すはずであった力。つまり、今の銀月は個人でありながら大勢の未来の自分によって構成される軍隊のようなものであった。

 数年分の生きるための、身体を動かすための力を、たった一日の短時間で消費する魔法。

 それは、銀月の力を吸血鬼や人狼を楽に退けるほど爆発的に増大させると共に、自分の命を著しく縮めるものであった。

 それを父親のために容易く使ってしまえる銀月を、ギルバートは許すことが出来なかった。

 何故なら、自分の最大のライバルであり仲間だと思っていた銀月は、実は自分のことなどほぼ眼中になかったのだと知らされたからである。


「……黙れ」


 ギルバートの言葉に、銀月は俯き、小さく低い声でそう口にした。


「何?」

「……ギルバート。俺には覚悟ってものがある。客観的に見て、自分の考えが壊れている事だって大体分かってる。だけどな、だからと言って俺は恩返しを、人生を賭けると決めたことを曲げるつもりはない!」

「ぐおっ!?」


 銀月が顔を上げた瞬間、銀月の体から爆発したかのように翠色の暴風が吹き出した。

 吹き飛ばされたギルバートが体勢を立て直すと、双眸に激しい命の輝きを湛えた銀月はそれと同じものを纏った札を手にしていた。

 銀月の手には強く力が込められている。

 彼も分かっているのだ。レミリアの言うことも、咲夜の言葉も、ギルバートの疑問も、それが正しいかもしれないことは理解しているのだ。

 しかし、それでも銀月は止まらない。その正しさすらも押し流す、強迫観念すら感じる何かが、彼の背中を強く押した。


「……それで燃え尽きるなら本望。それが俺の覚悟だ!」

「ぐぅああああああっ!」


 銀月が札を投げると、それは全てを吹き飛ばす猛烈な突風となってギルバートに襲い掛かった。

 圧倒的な力の暴風に、ギルバートは巻き込まれて抵抗も出来ぬまま後方へと吹き飛ばされた。

 銀月の覚悟、それはあまりに自分や周囲を省みない、全てを捨てるようなものである。

 しかしその覚悟は銀月が捨てたものに比例して力を与えた。

 その熱量は、全てを捨てきれないものには到底超えることの出来ないほど。目の前のものがみんな吹き飛んでしまうほどの力が銀月の中で脈動していた。


「さあ、まとめてかかって、っ!?」


 銀月が気合を入れて構えた瞬間、顔から血の気が引くのを感じた。

 ……足りないのだ。先程まで聞こえていた声と、その主の姿が足りないのだ。


「しまった! 魔理沙! 霊夢!」


 二人の不在に気が付いた銀月は、大急ぎで奥へと突っ込んでいく。


「気付かれた!? 追いかけるわよ!」


 一方で銀月の異変に気付いたレミリアも、全速力でその後を追い始め、他の者も後に続く。

 そう、レミリア達は将志と銀月の闘争心を煽ることで、霊夢と魔理沙の存在を隠したのであった。

 心が壊れている藍すらも利用したその作戦は、確かな効果があったようであった。


「……ちっ、しくじった!」

「おいおい、私を置いていかないでくれよ、将志」


 周囲のの言葉を聞いて、将志も自分が少し熱くなりすぎていたことを悟る。

 その後を、藍達も追いかけていくのであった。



「おい霊夢! もっと速度でないのか!? 早くしないと!」

「これが精一杯よ! 私だって、早く解決してあの馬鹿に説教してやるんだから!」


 戦闘から離脱していた魔理沙と霊夢はどんどん先に進む。

 霊夢は自分の勘を頼りに全力で飛び、魔理沙はその後ろについていく。

 すると、目の前に月が現れた。

 その月は普段見慣れているものであり……いつもと違って気が沸き立つような月であった。


「お、満月だな」

「やっぱり、ここにあったのね」


 その満月を見て、霊夢と魔理沙は目的のものが見つかったと短絡的に考えてそう口にした。


「そう、ただの満月。どこまでも純粋な、月の民すら忘れ去った太古の記憶なのよ」 


 そんな二人の前に、長く艶やかな黒髪の少女が現れた。その横には先程まで将志の横に立っていた彼の主。

 二人はまるで、彼女達が来るのを待ち構えていたかのように、月の前で佇んでいた。


「お出迎えって奴だな」

「そうね。あんまりうちの姫が暇だったみたいだから、少し遊んでもらおうと思ったのよ」

「本当に退屈すぎるわ。ここに居ても誰も来ないし、やることもないんですもの」


 魔理沙の呟きに、永琳と輝夜は目の前の敵に全く動じることなくそう口にする。

 その言葉はまるで家に友人が遊びに来たかのようであり、緊張感の欠片もなかった。


「それにしても、将志の眼を掻い潜ってここまで来るなんて、なかなかやるじゃない。一体どうやったのかしら?」

「まあ、色々ありまして」


 ふと気になったことを輝夜は霊夢に質問し、霊夢はそれに少し困った様子でそう答える。

 藍と将志の関係をある程度知っている霊夢は、壮大な痴話喧嘩に何と言えば良いのか分からないのだ。


「……ふぅん。そうね。将志だって、あの藍に思うところはあるわよね」


 しかし、その言葉に永琳の口からワントーン下がった低い声がこぼれた。

 実際の将志は永琳の側についたからこそ藍と戦っているのだが、自分よりも彼女に構っている現状が余程面白くない様子であった。

 そんな彼女の声を聞いて、輝夜が肘でわき腹を突いた。


「……え~りん、声が怖いわよ」

「……ひょっとして、らぶ?」

「ええ。もうどうしようもなく」

「自分で認めちゃうのかよ……」


 霊夢の言葉に即答する永琳に、魔理沙もどう言葉にすれば良いのか分からなくなる。

 本来ならば火花を散らしていてもおかしくはない状況に至ってなお惚気に走る永琳に、輝夜は頭を抱えてため息をついた。


「何とか言ってあげてよ。いっつも人に見せ付けて来るんだから」

「うっわぁ、それはちょっと……ってちっがーう!」


 輝夜の一言にドン引きする霊夢であったが、ふととあることに気が付いて霊夢が叫んだ。

 その声に、輝夜はキョトンとした表情で首を傾げた。


「どうしたのよ、いきなり大声出して?」

「あんた達! さっさと本物の月を返して、大人しく成敗されなさい!」

「……生憎と、そうはいかん」

「わあっ!?」


 本来の目的を思い出した霊夢の後ろから、やや低めのテノールの声が聞こえてくる。

 どうやら、彼女達が稼いでいた距離は彼にとってはほぼ無きに等しかったようだ。

 驚く霊夢を尻目に、永琳はその声の主に多少ジト眼の混じった視線を向けた。


「随分とてこずってるみたいね、将志?」

「……俺と同じ力の相手を、無制限で相手してるからな。だが、特に問題はない」

「嘘だろ……もう追いついてきたのか!?」

「……俺を甘く見すぎだ。あの程度の距離、すぐに詰められる」


 愕然とする魔理沙に、将志は無情にそう告げる。

 将志の速度は、常識の範疇では捉えられないくらい速いのだ。

 普通の魔法使いが全力で飛んだ程度では、彼は散歩気分で容易に追いついてしまうのであった。


「そう、これくらいならすぐに追いつける」


 しかし、その速度を出せるのはもはや一人ではない。

 韋駄天もかくやと言うほどの速度を持つ彼の速度は、彼と同じ力を持つ式神も当然使用できるのだ。

 藍は自らの作り出した式神の腕に抱かれながら、将志を追いかけてきたのだ。


「……藍」

「うふふふふ……まだ終わっていないぞ、将志。もっと本気を出してくれよ」


 相も変わらず藍の瞳からは理性の光は感じられず、ただ狂気に染まった愛情が燃え盛っているだけである。

 その壊れた友人の姿を見て、永琳の眼に僅かに悲しみのしずくが光った。


「藍……」

「……主は手を出すな。あいつは、俺が引き受ける」


 将志は永琳を守るように、藍の前に立った。

 すると、向こうから何やら多数の影が近づいてきた。どうやら、先程将志が置いてけぼりにした侵入者達が追いついてきたようであった。


「わぁ、すごい満月ですね」

「妖夢、むやみにあの月を見るのはおやめなさい」

「そうね。あの月は、普通の人間が見たらただじゃすまないわ」


 のんきな声を上げる妖夢に、幽々子とアリスがそう言って嗜める。

 二人は目の前の満月が放つ濃密な狂気を感じ、警戒の色をあらわにする。

 その横で、レミリアの表情が凍り付いていた。


「この月は……咲夜が危ない!」

「私は大丈夫ですよ」

「……まあ、貴方は鍛えてるものね」


 従者の無事を確認し、ホッとした表情を浮かべるレミリア。


「しまった……」


 そんな中、紫はただ一人目の前の月を見つめて蒼褪めていた。

 その表情は愕然としたものであり、手にした扇子を持つ手にも力が入っていない。


「……紫?」


 そんな彼女を見て、霊夢は怪訝な表情を浮かべた。

 しかし、その理由をすぐに彼女は理解することになる。




「……あははっ♪ 何だか凄くいい気分♪」




 場違いなくらいに明るい声色の少年の声に、一同はその声のほうを向く。

 するとそこには、白装束に赤い首輪をつけた少年が居た。銀月である。

 銀月も、他の者と同じように太古の月の光によってその強大な力と溢れる狂気を吹き込まれていた。ただでさえ悪魔になりかけている彼は、通常の人間よりも遥かに強い影響を受ける。

 その影響は銀月の体の一部に強く現れる。それは特に著しい変化であり、皆の目を強く惹き付けるものであった。

 その一部分……彼の瞳は見るものの心を奪うような、神々しさすら感じる美しい翠色に輝いていた。


 ――そう、月の魔力と狂気は、銀月の中に眠っていた『翠眼の悪魔』を呼び覚ましたのだ。


「銀月さん……? その眼は、まさか……」

「……やはりそうなのね、銀月。貴方が、翠眼の悪魔」


 銀月の身に起きた変化に呆然とする妖夢と、その正体に確信を持って眼を細める幽々子。

 その二人の反応を見て、銀月はけらけらと笑った。


「あ~あ、ばれちゃった。そ、これが俺のもう一つの顔ってわけさ。『翠眼の悪魔』なんて大層な名前が付いてるけど、正体が人間でびっくりしたかい?」

「ええ……でも、逆に納得が行ったわ。貴方は人間であって人間じゃない。そんな異質な存在だったのね」

「人間じゃないなんて、酷いなあ。これでも、俺はちゃんと人間なんだよ?」


 今までの疑問が晴れたといった表情を見せるアリスに、銀月は人をおちょくるような、おどけた道化のような口調でそう言った。

 その様子は普段の冷静な銀月の様子とは明らかに違い、無邪気に遊ぶ子供のように楽しそうな様子であった。


「どういうこと? 今回はちゃんと意識があるのね、銀月?」

「死に掛けたわけじゃないからかな? よくわかんないけど、今までにないくらい気分が良いんだ♪ 何だかすぐにでも暴れたい気分さ♪」


 警戒心をむき出しにして自分をにらみつけるレミリアの質問に、銀月ははしゃぐようにそう答える。

 もはや完全に気がふれており、ふとした切欠で爆発しそうな危険物と化しているようであった。

 そんな彼を見て、咲夜は小さくため息をついた。


「だからって、うちに帰ったときにそれで暴れられても困るわね。斜め四十五度から叩けば治るかしら?」

「咲夜さんには叩かれたくないなぁ……どっちかって言えば、撫でて欲しいかも♪」


 咲夜が声を掛けるも、銀月から帰ってきたのはふざけた回答。

 しかしその手はしっかりと槍を握っており、攻撃を仕掛けようものなら即座に反撃してきそうな様子であった。


「銀月……!」

「そんなに睨まないでよ、霊夢。怒ると体に悪いんだよ?」


 霊夢は手にした御幣を握り締めながら、狂ってしまった銀月を強く睨みつける。

 そんな彼女にもまともな返事を返さない銀月であったが、ふと思いついたように手を叩いた。


「それはそうと……俺よりも先に心配する相手が居るんじゃないかなぁ?」

「え?」


 銀月は楽しそうに笑いながらそう言って、ある方向を指差す。

 それを聞いて、一同はその方向を見やった。


「あ……あぁうぁ……」


 するとそこでは、頭を抱えて俯いている群青の人狼の姿があった。 

 その口からは苦悶の声が漏れており、何かを必死で堪えているようにも見えた。


「……ギル?」

「っ!? 気をしっかり持ちなさい、ギルバート!」


 訳が分からずに首をかしげる魔理沙と、慌てて声を荒げるレミリア。

 その彼女の様子から、周囲は何やら尋常ではない出来事が起きているのだと察した。


「くぅ……くぅん……」

「お、おい! 本当に一体どうしたんだ!?」

「くっ、近づいては駄目!」


 ギルバートに駆け寄ろうとする魔理沙を、レミリアはとっさにそう言って止める。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」


 次の瞬間、ギルバートは千里先まで届くような大きな遠吠えを上げた。

 その群青の毛並みは遠吠えと共に見る見るうちに色が変わって行き、神々しいまでの黄金色へと様変わりした。

 そして全身の毛並みが金色の輝きを持つに至ると、彼は抑えられない衝動を解き放つかのように飛び出した。

 その一連の現象を見て、レミリアは焦燥を孕んだ苦い表情を浮かべた。


「くっ、やはり人狼には耐え切れないか!」

「どういうことよ、レミリア!?」

「人狼は悪魔や人間、普通の妖怪とは比べ物にならないほど月の力と狂気への感受性が高いのよ。こんな密度の月の狂気を受ければ、人狼なら制御しきれなくなってもおかしくないわ!」


 レミリアは今の現象を簡潔に説明した。

 レミリア達吸血鬼や紫のような妖怪は元より妖怪として生きており、人間からすれば元より狂っている存在である。よって、月からの狂気はほぼ関係なく、力だけを受け取ることが出来る。

 しかし人狼は違う。彼らは元々月の力に対する感受性が高いだけのまともな人間が、月の狂気に当てられて妖怪化したものである。つまり、人狼は妖怪でありながら人間でもある存在なのだ。

 力の衰えた満月の光でさえ狂ってしまう人狼達。そんな彼らが、原初の月を見てしまったらどうなるか?

 その結果が、今のギルバートであった。


「やっほ~♪ 父さん♪」


 ギルバートが狂いだしたちょうどその時、銀月は将志のところに行っていた。

 煌々と翠色に光るその眼を見て、将志は若干心配するようなまなざしを送った。


「……銀月。無事なのか?」

「そうだね~♪ 気分爽快って感じ♪」

「……確認するが、これからどうするつもりだ?」

「父さんのお手伝いに決まってるじゃん♪ よ~し、頑張るぞ~♪」


 手にした槍をぐるぐると振り回しながら、銀月はキラキラと眼を輝かせながら将志の言葉を待つ。

 その姿を見て、将志は小さくため息をついた。


「……それなら、ギルバートの相手を頼む」

「おっけ~♪」


 将志の言葉を聞いた瞬間、銀月は周囲を飛び回っているギルバートに向かって飛び出していった。

 一対の翠の流星が金色の彗星に向かっていく様を見て、困惑した様子の輝夜が将志に話しかけた。


「ね、ねえ、将志。銀月、本当に大丈夫なの?」

「……狂ってこそいるが、俺の手伝いをする気は変わらんらしい。今は信じるしかあるまい」

「そう。それよりも、淋しいじゃないか。私を放っておくなんてさ」


 輝夜と話す将志の目の前に、藍が数体の式神を従えてやってくる。

 艶っぽい吐息が混じった声で話す彼女と凛とした雰囲気で彼女を守る式神の姿を見て、将志は静かに槍を構えた。


「……行くぞ」


 将志はそう言うと、音もなく式神に走り出した。

 誰も手出しはさせない。他人に口を挟む暇すら与えずに走り出したその背中は、何よりも雄弁にそう告げていた。

 輝夜はその姿を見送ると、混沌とした周囲の様子を見ながら隣に立つ永琳のほうを見た。


「……えーりん、この場合私達はどうすれば良い?」

「私達は私達のお客さんの相手をすれば良いわ」


 永琳はそう言いながら弓と矢を両手に持ち、矢を番える。


「あら、いきなり弓を引くなんて物騒ね」

「本当ね。お客さんって言うんなら、お茶とお茶菓子くらい出ても良いんじゃないかしら?」


 その先には、スキマ妖怪と亡霊姫が立っていた。

 弓矢を自分に向ける永琳の姿を見ながら、二人は油断無く相手を見据えながら迎撃体制をとる。

 そんな二人に、永琳は小さく微笑んだ。


「あら、それなら薬草茶と薬団子を出すわよ?」

「生憎と私は健康体よ」

「健康だからこそ効く薬もあるのよ。毒とかね」

「美味しい毒なら大歓迎よ? 私は食べたところでどうってことないし」


 お互いに牽制しあいながら、三人は軽口を叩き合う。

 その内容を聞いて、輝夜が冷や汗をかきながら割り込んだ。


「話が物騒すぎるわよ。ところで、貴方達はここにいて良いの? みんな大変なことになってるけど?」

「それについては心配してないわ。あの子達なら放っておいても平気よ」

「だから、手の空いている貴女達におもてなしをしてもらおうと思ったのよ」


 紫と幽々子は輝夜の質問にそう答える。

 二人は本当に周りのことを心配している様子は無く、周囲を全く見ていなかった。

 それを見て自分の遊び相手が現れたと悟った輝夜は、にこやかに微笑んだ。


「いいわ。それじゃあ、私達が貴女達をもてなしてあげる。退屈はさせないわ」


 月を背景にして、輝夜は永琳と並び立つようにして体勢を整える。

 彼女の周りには五つの宝が浮かぶ。その宝は、かつて輝夜が人間に出した五つの難題の品であった。

 その姿を見て、紫は開いていた扇子を閉じ、幽々子は大きく息を吐いてスイッチを切り替える。


「貴き月の民すら解けない私の術と、数多の人間が解けなかった姫の問題」


 永琳はそう口にしながら、挑んでくる相手に向けて矢を引き絞る。


「貴女達は、どこまで解けるかしら?」


 そして輝夜がそう口にした瞬間、戦いが始まった。


 ども、お待たせしました。

 しかしまあ、今回の話はあれですね。病人発狂回。特に藍しゃまと銀月。


 まず、将志と戦っている藍しゃまですが、式神の性能が大変なことに。

 前回も言いましたが、早い話がこの式神……と言うよりもその術式は『寿命が短い将志そのもの』を作り出す術なんです。

 身体能力や『あらゆるものを貫く程度の能力』はもちろん、『悪意を察知する程度の能力』や道場破りで相手の技を瞬く間に吸収する学習能力も備えた式神が、今回藍の作り出した式神です。

 要するに、技が拙かったのは単に術が生まれたてだったからで、将志との戦いでどんどん技や動きを覚えていくとんでもない術なのでした。

 もちろん、デメリットはあります。

 まずは、文字通り防御力が紙。

 これは将志本人の防御力が紙以下なので、むしろ強化されたっぽい?

 次に、将志でも取得に長い年月がかかるものは使えません。

『悪意を察知する程度の能力』は、それが『能力』と化していたから使えるだけで、後述の無想無念の境地には至れません。

 それに今回みたいに藍が発狂でもしていないと本編みたいな乱発は出来ません。

 将志が口にしたとおり、術者にかかる負担は将志の毛髪と言う強力な媒体で補っていてもかなりのものがあり、消耗が激しいんです。

 今回の藍は、発狂することで出たヤンデレパワーでそれを無理やり作り出しているのでした。マジでチート。


 しかしそれを迎え撃つ将志はもっとチート。

 この男、無想無念の世界で戦うことが出来るので、自分の『悪意を察知する程度の能力』を無効化してしまうんです。

 つまりこの人、無意識で敵をぶったたいているわけです。こいしちゃんもびっくりです。

 おまけにこの戦神、久々の強敵にノリノリである。


 そして今回おぜうさまは何でこんなに格好良くなっちゃったんだろう?

 筆を進めていくうちにどんどん格好良い傲慢さが出てきて、本来の主人公差し置いて主人公っぽい感じに。

 このおぜうは絶対にれみりゃとか呼べない。


 銀月はもうどうしようもないですね。

 命を自ら削って戦った挙句、月の狂気で悪魔化しました。

 しかし今回は意識は失っておらず、超ハイテンションの状態でやってきました。

 その一方で、ギルバートも凶暴化。

 今まで一部しか変わっていなかった金色の体毛が全身に回って、パワー全開です。


 さて、混沌としてきた戦場ですが、これからどうなるのやら。



 では、ご意見ご感想お待ちしております。

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