銀の槍、諭される
「……失礼するぞ」
「ちぇ、結局あんたは掛からなかったのね」
迷いの竹林と呼ばれる霧のかかった竹林の中の大きな屋敷の玄関に、一人の銀髪の青年がやってきた。
その姿を見て、垂れた耳の兎の少女はつまらなさそうにそう口にした。
彼女が仕掛けた罠の区画を通ってきたというのに、彼には土ぼこり一つ付いていなかったからである。
そんな彼女に、将志は小さくため息をついた。
「……その代わり、銀月が二重の罠に引っかかったがな」
「二重の罠? あれ、そんなもの仕掛けたっけ?」
「うーん、まだなんか首に違和感が……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、私が罠をちゃんと避けられたら……」
将志の言葉にてゐが首をかしげていると、新たに二つの人影が現れた。
一人は白装束に身を包んだ黒髪の少年で、もう一人は上に伸びた兎の耳のブレザー姿の少女であった。
銀月は首を押さえて動きを確かめており、その横で鈴仙が彼に謝り倒していた。
それを見て、てゐは納得した表情で頷いた。
「なるほど、つまり鈴仙が罠にかかって、とっさに助けようとした銀月が落とし穴に落ちて、その上から鈴仙が落ちてきたと」
「……そういうことだ。銀月もまだまだ修行が足りん」
「……それは父さんの能力が反則なだけだと思うけど」
将志の言葉に銀月は若干白い眼で見つめながらそう言い返した。
そんな中、銀月の首の様子を確かめていた鈴仙が、突如として銀月の髪の匂いを嗅ぎ始めた。
「ところで銀月君。なんだか髪から良い匂いがするんだけど、どうしたの?」
「どうしたって、いつも通り椿油で整えて……って、そういえば鈴仙さんには話してなかったね」
「椿油で……だから銀月君の髪って、こんなに綺麗なんだね」
鈴仙はそう言いながら、銀月の髪を撫でる。多少土が付いてしまっているものの、その内側はよく手入れされた滑らかな指どおりの良さであった。
その髪を弄られて、銀月は少しくすぐったそうに笑った。
「まあね。役者は見た目も大事だからね。肌の手入れとかも結構気を使ってるよ」
「……正直、銀月の職人根性には恐れ入る。僅かな休憩時間すらも、役者としての研鑽に当たるのだからな」
「父さんだって人のことは言えないでしょ」
「……そんなことは無いぞ? 俺も遊ぶときは遊ぶし、休むときはしっかり休む。お前のように、休むこと自体が仕事にはならんよ」
銀月の言葉に、将志はそう言って感嘆の表情を浮かべる。
その言葉を聞いて、てゐは苦笑いを浮かべた。
「あんたの遊びって、鍛錬に繋がるようなことしか思い浮かばないんだけど……」
「……てゐさん。実際はそんなに生ぬるいものじゃないから」
てゐの言葉に、銀月の口から暗く少し震えた声が漏れ出した。その声色には、明らかな恐怖が含まれていた。
それを聞いて、鈴仙がキョトンとした表情で首を傾げた。
「そうなの?」
「……あれは、付き合ってたら命がいくつあっても足りない……」
「そ、そんな怖いことをするの?」
銀月の物言いに、鈴仙はギョッとした表情を浮かべて将志のほうを見る。
そんな二人の反応に、将志は深々とため息をついた。
「……随分と大げさなことを言うな、銀月。ただ単に魔法の森の中の食料の試食をしているだけではないか」
「あれは試食じゃない! 拾い食いって言うんだ! と言うか、明らかに毒物だって分かってるものまで口にするのはやめろぉ!」
「……だが、食ったら美味いかもしれないではないか。美味いのならば少し工夫をすれば……」
「だとしても毒物を生で食べるなぁ! どこの世界にトリカブトを根から葉の先まで生でもしゃもしゃ食べる生物が居るよ!? しかもケルベロスの唾液から生まれた特級毒物を!!」
「……ここに居るが?」
「だまらっしゃい! とにかく、せめて人間が食べられるものを標的にしてくれ!」
「……食の発展に犠牲は付き物」
「シャラップ!」
淡々とした将志の発言に、銀月は怒り心頭といった様子で怒鳴り散らした。
それに対して、将志は何で怒られているのか分からないといった表情で反論する。
そんな二人の様子を見て、鈴仙とてゐは乾いた笑みを浮かべた。
「……あの銀月君がここまで怒るって……」
「銀月、ひょっとして何か食べさせられたの?」
「……一度だけ、それはそれは美味しい毒キノコを……しかも、妖怪がダメでも人間なら大丈夫なんじゃないかって理由でね……」
銀月は肩をわなわなと震わせながら、そう口にした。
実は、銀月は時間が合った際に将志によって魔法の森の探索に連れて行かれたことがあった。その時に、将志が食べて倒れたキノコを、何も知らされること無く勧められて口にし、生死の境を彷徨ったことがあるのであった。
なお、この時に銀月を背負って走ったことで、将志は銀月に触れると己の能力の限界を越えられることを知ったのであった。
「あー……そりゃいくつ命があっても足りないわね……」
そんな銀月に、てゐはもはや笑うことしか出来ないのであった。
一行は話をしながら永遠亭の廊下を歩いていく。この屋敷の主の右腕である術者の手によって、住み始めた当時と全く変わらぬ風景を眺めながら居間へと進んでいく。
そして居間に着くと、長く美しい黒髪の少女が寝転がって絵巻物を読んでいた。
その少女こと輝夜は将志達が入ってくるのを察知すると、にこやかに彼らを迎え入れた。
「あ、将志だ。永琳なら今薬の調合をしてるわよ」
「……ふむ。そういうことなら居間で待たせてもらうとしよう。銀月、お前はどうする?」
「俺はいつも通り槍でも振ってくるよ。最近色々と仕事が増えて、ちょっと修行不足だからね」
「銀月、ちょっと待ちなさい」
「え?」
「これが鳴ったら戻ってきなさい」
輝夜は銀月を呼び止めると、なにやら小さな箱状の物体を手渡した。それは、よく飲食店などで商品が完成したことを知らせるブザーのようなもので、永琳が何かあったときのために月から持ってきていたものであった。
銀月にはそれが何か分からなかったが、輝夜が何を言いたいのかは察することが出来た。
「……ああ、そういうことね……」
「頼むわよ。私達の健全な精神が懸かってるんだから」
「ちょっと大げさな気もするけど、分かったよ」
銀月は苦笑いを浮かべてそう言うと、庭へと降りていった。
それを見送ると、今度は将志が輝夜に声をかけた。
「……輝夜。お前の眼から見て、主に変わりは無いか?」
「特に無いわよ。いたっていつも通り、たまに恋煩いをしてるくらいよ」
「……そうか」
将志は輝夜の返答に小さく頷くと、フッと小さく息を吐いてその場に座った。
そんな将志に、輝夜は怪訝な表情を浮かべた。
「……将志? どうかしたの?」
「……何がだ?」
「だって、普段ならそんなこと聞かないじゃない」
輝夜は少しの変化も見逃すまいと、将志をじっと見つめながらそう言った。
それに対して、将志はどうしてそんなことを聞かれたのか分からないといった表情で首を傾げた。
「……いや、何となく気になっただけなのだが……」
「……そう。なら良いわ。それじゃ、お茶でも飲みましょ」
「……ふむ」
輝夜がそう言って視線を切ると、将志は茶を淹れに台所へと向かった。
しばらくして茶が入ると、将志は人数分の湯飲みに茶を注ぎ、盆に載せて居間へと戻ってきた。
それから少しして、輝夜が将志に話しかけた。
「ところで将志、最近六花はどうしてるの?」
「……至って普段どおりに生活しているが……それがどうした?」
「最近見かけないものだから、どうしたのかなって思って」
怪訝な表情を浮かべる将志に、輝夜は質問の理由を簡潔に述べた。
それを聞いて、将志は少し考えてから口を開いた。
「……最近は六花の行動範囲が広がっていてな。それが原因かもしれん」
「行動範囲が広がった?」
「……近頃、愛梨と六花がしきりに俺を休ませようとするのでな。六花が俺の分まで外回りをするようになったのだ。必然的に新たな出会いも増え、交友関係も広くなる。故に、時間が取れていないのだろう」
「そういうこと。な~んだ」
輝夜は拍子抜けした、心底残念そうな表情でそう言ってため息をついた。
その様子を見て、将志は小さく首を傾げた。
「……随分残念そうだが、六花に何か用か?」
「ちょっと久しぶりに喧嘩したくなったのよ。次に会う日が楽しみだわ」
少し弾んだ、楽しそうな声でそう口にする輝夜。その様子は、普段と比べても明らかに上機嫌であった。
そんな彼女を見て、将志はてゐに視線を向けた。
「……てゐ。輝夜は随分と上機嫌だが、何か良いことでもあったのか?」
「いつも負けてた相手に勝ったんですって。勝率的には一厘もないのに、随分とはしゃいでまあ」
将志の質問に、てゐはそう言って呆れ顔を浮かべた。
それに対して、将志は感心した様子で笑みを浮かべた。
「……ほう、妹紅に勝ったのか。あいつに勝つのは生半可なことではないだろうに。成長したな、輝夜」
「そうでしょう? ふふふ、今なら六花にも……」
「……それは厳しいだろうな」
輝夜の言葉に、将志は難しい表情でそう呟いた。
それを聞いて、輝夜は浮かべた笑みを消して将志のほうを見た。
「何でよ。やってみないと分からないじゃない」
「……そもそも、六花と妹紅では実力が違いすぎる。弾幕ごっこでなら分からないが、実戦ならほぼ確実に六花が勝つであろう」
「そんなに強いの?」
「……六花が本気を出せば、俺とほぼ同速の刃が飛んでくると思えば良い」
将志がそういった瞬間、輝夜の表情が固まった。
普段争っている六花の強さと、将志の言う六花の強さとの間にかなりの違いがあったためである。
「えっ、それって物凄く強いんじゃ……」
「……惜しむらくは、六花自身が戦うことが嫌いで鍛錬をしたがらない事と、得物が短く戦闘向きではないところだ。あいつの得物が刀辺りで鍛錬を十全に積んだならば、おそらく俺と同等以上の強さであったことであろう」
「つまり、将志に勝てるくらいの強さじゃないと六花には勝てないって事?」
「……少々穿ちすぎだが、そういうことだ。俺と対等に戦う自信があるのならば、六花と戦えるであろう」
将志は輝夜の言葉を素直に肯定した。
その反応を見て、輝夜は悔しげな表情で頭をかき始めた。
「く~っ! と言うことは私は今まであいつに完全に遊ばれてたってことじゃない! 将志! 今すぐ特訓するわよ!」
「……ふむ、良いだろう。六花を相手にしたいと言うのなら、俺も少々本気でかからねばなるまい」
勢いよく立ち上がって庭に出て行く輝夜に、将志は少し気合の入った表情で付いていくのであった。
「……まだまだだ。俺の姿を一度も捉えられん様では、六花の相手は務まらん」
「ふにゃぁ~……」
しばらくして、庭では地面に突っ伏して眼を回している輝夜と、それを涼しい表情で眺める将志の姿があった。
どうやら、輝夜は将志に完膚なきまでにこっぴどくやられたようである。
そんな二人にてゐはため息をつき、鈴仙は感嘆の表情を浮かべた。
「姫様ってば、完全に目を回しちゃってるし。こりゃ仕返しは当分無理だね」
「将志さんの動き、全然見えませんでした……月に行った時、誰にも捕まえられなかったのも納得です」
「……速度でなら、誰にも負けん。烏天狗にも約一名速いのが居るが、俺に追いつくにはまだ遅い」
「本当、父さんの速度にはとてもついていけないよ」
将志が話をしていると、銀月が横から話に入ってきた。どうやら本日の修行は終わったようである。
そんな彼に、鈴仙が話しかける。
「あ、銀月君。もういいの?」
「あんまりやりすぎると、また父さんに怒られるからね。今日は程々にしておくよ」
「……しかし、お前もかなり素早いほうではないのか? 霊夢など、速度ではお前に遠く及ぶまい」
「それが、飛ぶのも走るのも速度なら俺より速いのが居るんだよ。それに霊夢はそこまで速くないけど、感が鋭いからなかなか攻撃が当たらないし」
実際のところ、空を飛ぶスピードだけならばなら魔理沙の方が速く、走る速度ならばギルバートの方が速い。
しかしその一方で銀月はその二人よりも旋回性能に優れるため、見た目的には銀月はとても素早く見えるのであった。
それを聞いて、将志は小さく息を吐いた。
「……だが、室内ならばお前の方が強いだろう?」
「まあ、魔理沙やギルバートには勝てるだろうけど、霊夢には逃げられるかな? けど、負けない自信はあるよ」
「室内ならって、どういうこと?」
「こういうことさ」
首をかしげる鈴仙の言葉に、銀月は軽く実演した。銀月は音も無く壁や天井を走り、相手の死角を利用して消える。
その様子を見て、普段銀月の修行の様子を知らない面々は唖然とした表情を浮かべた。
「とまあ、こうな感じかな?」
「きゃあ!? ちょ、ちょっと、驚かさないでよ……びっくりした……」
突然背後から聞こえてきた銀月の声に、鈴仙は驚いて飛びのいた。
その横で、てゐは人間が聞いて呆れる動作をする銀月を、文字通り少々呆れた表情で眺めていた。
「……銀月。あんた、忍者でも目指してるの?」
「役者の勉強の一環でね。ちょっと修行したのさ」
「……役者とは、実に大変な仕事なのだな……」
銀月の言葉に、将志は大真面目にそう言って頷いた。
そんなずれたことを言う将志に、てゐと鈴仙は脱力してへなへなとその場に崩れ落ちた。
「……む、どうかしたのか?」
「……あの、将志さん? 普通はここまでやりませんからね?」
「……そうなのか?」
「当たり前じゃない。どこの世界に忍術を習得した役者が居るってのよ……この目の前の修行狂い以外に」
鈴仙の言葉に首を傾げる将志に、てゐはそう言って銀月を見やった。
それを受けて、銀月はいかにも心外といった表情を浮かべた。
「修行狂いって、酷いなぁ」
「……そう思っているお前の方が酷いと思うが」
「……父さんにだけは言われたくないなぁ」
「……よし、銀月。少し一緒に修行をしようか。しばらくの間全身が激しく痛むことになると思うが、なに、気にすることはない」
ぼそっと呟かれた銀月の言葉を聞いて、将志はにこやかに笑いながら銀月の肩に手を置いた。
その瞬間、銀月の顔からさっと血の気が引いていった。
「え、あ、ちょ、ごめんなさいごめんなさい、過ぎたことを言って申し訳ございませんでしたぁ!」
「……It is no use crying over spilt milk」
「へ?」
「……「覆水盆に返らず」と言うことだ。勉強になるだろう?」
「あだだだだだ! 耳、耳引っ張らないで……」
こうして、銀月は地獄の一丁目へと元気よくドナドナされていくのであった。
「…………」
そして数分後。
永遠亭の居間には一体の死体が転がっていた。それが誰で、下手人が誰なのかは言うまでもない。
それを見て、将志は小さく息を吐いて頷いた。
「……ふむ。軽口の代償としてはこれくらいのものであろう」
「将志……あんた……」
「……どうかしたのか?」
「……いえ、流石に死ぬ目には遭いたくないから遠慮するわ……」
「……賢明な判断だな」
銀月が処刑されている間に目を覚ましていた輝夜が満足げな将志に何か言おうとするが、その微笑から刺す様な殺気を感じて口にするのをやめた。
「ふふふ、久しぶりに将志の子供っぽいところが見れたわ」
その様子を見聞きして、微笑ましい表情を浮かべた槍の主がそう言って割り込んできた。
それを聞いて、将志は大きなため息をついた。
「……主。子供っぽいはないだろう」
「今のを見ればそう言わざるを得ないわよ。力で相手をねじ伏せるガキ大将って感じね」
「……くっ……」
将志は白いまなざしを送りながら抗議をするが、永琳は逆に楽しそうに笑いながら言葉を返した。それを受けて、将志は反論できずに気恥ずかしそうに俯き背を向けた。
そんな彼に、永琳は後ろからそっと抱きついた。
「でも、良いじゃない。普段がクールなんだから、少しくらいこういう部分があったほうが可愛げがあって良いわ。私は好きよ」
永琳は将志に抱きついたまま、優しい声でそう口にした。その表情はうっとりとした満足げなものであり、愛情がにじみ出ていた。
「銀月、起きなさい。そろそろコーヒーが飲みたいわ」
「…………」
急激に甘ったるくなった空気に、輝夜が銀月を起こそうとする。
しかし、銀月は全く反応を示さない。その上、心なしか普段よりも顔から血の気がなくなっているようにも見えた。
「……銀月?」
「…………」
そんな彼の様子に、輝夜は不穏なものを感じて再び声をかける。だが、やはり銀月は何も反応を示さない。
それを受けて、横でその様子を見ていたてゐが鈴仙に声をかけた。
「……ねえ、これ何だかやばくない?」
「え……?」
鈴仙は訳が分からないながらも、銀月の口元に手をかざす。しかし、その手に掛かるはずの寝息は感じられなかった。
「え、え、銀月君? い、息が……」
鈴仙はそう言うと、慌てて脈を取り始めた。それと同時に将志に抱きついていた永琳も離れ、緊張した面持ちでその様子を注視し始めた。
その様子を見て、将志は眼を閉じて小さくため息を吐いた。
「……ああ、それはただ寝ているだけだ」
「寝てるって、銀月君全然息してないじゃないですか!」
「……しているぞ。ただし、凄まじく緩慢ではあるがな」
「え?」
将志の言葉を聞いて、輝夜は近くに置いてあった蚊取り線香を銀月の口元に近づけた。すると線香の煙は僅かながらに銀月の口に吸い込まれていき、彼がひどく緩やかに呼吸をしていることが確認できた。
それを見て、鈴仙はホッと胸を撫で下ろした。
「……よかったぁ……もう死んでるのかと思ったわ」
「将志、これはいったいどうなっているのかしら?」
「……銀月曰く、疲労が限界に近くなると『限界を超える程度の能力』を用いてとてつもなく深い眠りに入るそうなのだ。それこそ、何をされても起きないほどのな」
「それ本当なの?」
「……さてな。だが、本当に一時間ほどは何をしても起きることは無いぞ?」
将志は一同に銀月の性質について簡潔に説明した。
それを聞いて、てゐはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「へえ? それじゃあ、何してやろうかっ!?」
てゐがそう口にした瞬間、銀色の刃が音も無く目の前に飛び出してきた。
彼女がその刃の先を辿っていくと、渋い表情を浮かべた将志が槍を突きつけているのが見えた。
「……下手にちょっかいかけるのはよせ」
悪戯をしようとしたてゐに、将志は淡々とそう告げる。
そんな将志に、永琳が小さくため息を吐いて肩に手を置いた。
「将志、いくらなんでもそれはやりすぎよ。ちょっとからかう位のものじゃない」
「……すまない。最近は少々銀月の周りが荒れているのでな」
永琳の言葉を聞いて、将志はそう言って槍を引っ込めた。
その発言を聞いて、輝夜が何のことか分からずに首を傾げた。
「荒れている?」
「……銀月の顔が売れ出してな。銀月を嫁に欲しいと言ってくる者が居るのだ」
輝夜の質問に、将志は苦々しい表情を浮かべてそう答える。
それを聞いて、一同はその自分達とほぼ変わらぬ認識に揃って苦笑いを浮かべた。
「嫁って……」
「けど、正直銀月君なら納得できるなぁ……」
「ふふっ、早くしないと他の人に取られちゃうわよ、うどんげ」
苦笑いを浮かべている鈴仙に、永琳はにこやかに笑いながらそう声をかけた。
その言葉に、鈴仙は驚きの表情と共に顔から火を吹き出した。
「ふぇ!? 何でそこで私に振るんです!?」
「さあ、何ででしょうね?」
「もう、悪ふざけが過ぎますよ、師匠……」
意地の悪いことを言う師匠に、鈴仙は拗ねた表情でそう言って俯いた。
しかしその一方で、輝夜とてゐはとても真剣な表情で腕を組んでうなっていた。
「でも、よく考えたらここに来る男って将志と銀月しか居ないのよね」
「そうね。おまけに将志に手を出したらお師匠様に殺されるから、結果的には銀月しか残らないのよね」
「そういうこと。だから捕まえるんなら今のうちに捕まえておかないと、後がないわよ? それに、銀月は見た目も可愛いし、性格も良いわ。外でも引く手数多なんだし、ぐずぐずしている暇はないわよ?」
「そ、そんなこと言われても……」
二人の発言に頷いた永琳の言葉に、鈴仙はしどろもどろになる。
そんな彼女を見て、輝夜は大きなため息を吐いた。
「……駄目だこりゃ……と言うかえーりん、今もの凄く自然に将志を取ったら殺すって認めなかった?」
「さあ、何のことかしら?」
輝夜の質問に答える彼女の笑顔は、恐ろしいほどに美しかった。
永遠亭の奥にある、塀に沿って数本の松が植えられた小さな裏庭。その裏庭で昇り始めの三日月の光を受けながら、銀の槍が軽やかに弧を描く。
槍の担い手である青年は、気の遠くなるほど長い年月をかけて研鑽を積んできた技術を余すことなく披露していた。その心には何も無い。しかしその無の心により、彼は最高の動きを感覚で掴んでいるのであった。
その鍛錬の風景に、担い手が主と認める女性が静かにやってきた。
「ああ、やっぱりここに居たのね、鏡月」
永琳は静かに、自分だけが呼ぶことの出来る名前を口にした。
すると将志は最後の一振りと共に残心を取り、優雅な仕草で槍を収めた。
「……その名を呼ぶということは、他は何か取り込み中か、××?」
将志はそう言いながら永琳の元に歩いていき、縁側に座る。
そして彼が縁側に座るのを確認すると、永琳はその隣の肩が触れ合うほどの位置に腰を下ろした。
「ええ。流石に心配だったのか、輝夜達は銀月に根掘り葉掘り聞いてるわよ。うどんげなんか、目を覚ました銀月を即座に医務室に連れて行こうとしたくらいだし」
「……だから、寝ているだけだというに。しかし、銀月の性格を考えると心配になるのも仕方があるまい」
永琳から他の者の様子を聞かされて、将志は笑みを浮かべた。
一方の永琳はそんな彼に微笑み返すと、静かに口を開いた。
「ねえ、鏡月」
「……どうした、××?」
「そろそろ銀月をもう少し自由にさせてみたらどうかしら?」
永琳は柔らかく、それでいて少し真剣な声色でそう口にした。
それを聞いて、将志は訳が分からずに首を傾げた。
「……どういうことだ?」
「どうも話を聞いていると、貴方は少し親としてやりすぎよ。正直、過保護といわざるを得ないわ」
「……だが、親は子を守るものだ」
「戦場で姫を守るのと、日常で子を守るのは違うわよ。貴方は少し気にしすぎよ。何がそんなに気になるのかしら?」
「……不安なのだ。銀月は、自分のことは何も語らん。故に、俺はあいつに何をしてやれば良いのか分からんのだ。だから、俺は自分で出来る精一杯のことをしているつもりなのだが……」
将志は永琳の眼を見つめながら、不安げにそう応えた。永琳の言葉を聞いて、今まで自分のしてきたことに自信が持てなくなってきていたのであった。
そんな彼の言葉を聞いて、永琳は何かに納得した様に大きく頷いた。
「そう。そういうこと……そういえば、貴方は親が居なかったわね。だから、親から子への愛情がどういうものか分からないのね」
「……俺は、間違っているのだろうか……?」
「そうね。今の将志はどうすれば良いのか分からなくて、ただがむしゃらに守っている状態よ。でも、親が子を守るのはそうじゃない。親は、子を守りすぎてはいけないのよ」
将志の言葉に、永琳はそう言って応える。
周囲から見れば、彼は異常なまでに、それこそ執着とも取れるほどの過保護さを見せている。だが、将志にとってはそれが当然のことであった。
何故なら、彼は主を守る妖怪だから。彼にとって、守ることは対象を危険から遠ざけること。これが全てなのだ。だからこそ、将志は銀月の様子を逐一確認し、銀月に害をなすとみなしたものは全て排除してきたのだ。
つまり、将志は親としての子供の守り方を知らないのだ。槍の付喪神として古びた倉庫の中で一人で生まれた彼にはそれを知る術が全く無く、また彼自身も銀月を迎えるまで必要としていなかったためであった。
「……では、どうすれば良いというのだ?」
「何もしなくて良いのよ。何もしないで、ただ静かに見守ってあげれば良い。そして、銀月が助けを求めてきたり、間違った道に進みそうな時に助けてあげれば良いわ」
すがる様な視線を向ける将志に、永琳はそう言いながら彼を安心させるように抱きしめる。
その腕の中で、将志は苦悩の表情を浮かべて口を開く。
「……だが、子が苦しむ姿を見て助けない親など、余程の薄情者でなければ居はしまい」
「そりゃそうよ。でもその苦しさを乗り越えて、子供は成長していくものよ。だから、貴方はその時に銀月を褒めてあげれば良いわ」
「……そういうものなのか?」
「そういうものよ。親が出しゃばっても、良いことは何もないわ」
将志の疑問の声に、永琳は優しくそう言って答える。
それと同時に、将志の表情から一気に険しさが引いていった。
「……そうか……銀月には、悪いことをしたな……良かれと思ってしたことが、あいつの成長の機会を奪ってしまうことにことになるとは……」
「気にすることはないわよ。確かに銀月はこまめに見てあげないと無茶をしちゃう子だし、気になるのも当たり前だもの。だから、今よりも少し銀月を信用してあげれば良いのよ」
「……ありがとう、××。何と言うか、一気に心が晴れた。そうだな、親だというのに、子を信頼することをすっかり忘れていた……銀月は、自分が考えているよりもずっと強い」
将志は永琳に、そう礼を言った。その表情は、憑き物が落ちたかのように晴れやかであった。
そんな彼に、永琳は彼を抱きしめる腕に力をこめながら笑い返した。
「どういたしまして。それはそうと、ちょっと良いかしら?」
「……どうかしたのか?」
「今まで気になっていたことが解決したでしょう? だから、その分私に気を回して欲しいのよ」
永琳はそう言いながら、期待のまなざしを将志に送る。
それを受けて、将志は困った様子で苦笑いを浮かべた。
「……××のことなら、常に気にかけているのだがな?」
「全っ然足りないわよ。少なくとも、私を前にして銀月の心配をしている時点で不合格よ」
「……それだけ信頼していると言うことでは駄目なのか?」
「駄目よ。信頼してくれるのは嬉しいけど、私が欲しいものはそれじゃあ足りないわ。貴方の視線、貴方の言葉、貴方の思考。私は、鏡月の心の全部を私で埋め尽くしたいのよ。それも、貴方の理性が吹き飛んでしまうくらいに」
永琳は不満げな表情を浮かべて、少し強い口調でそう口にした。今まで銀月に関することの相談役ばかりさせられていたので、かなり不満と甘えたいと言う欲求が溜まっていたようであった。
そんな彼女の言葉を聞いて、将志の表情が途端に曇り始めた。
「……俺の心、か……これは、まだ××にやることが出来ん」
「……何でよ」
「……俺自身が、まだこの心が本当に自分のものなのかが分からんのだ。もしかしたら、この心も俺の本心ではなく、何かによって作られたものかも知れん。そう思うと、怖くてこれが本心だとは言えん……どうしても、怖いのだ」
「どうしてよ……もっと自信を持てば良いじゃない……何でそんなに怖がるのよ……」
永琳は泣きそうな声で、半ば責めるようにそう口にする。想い人の心がすぐ近くにあるのは分かっている。しかし、ずっと求めているそれは掴もうとするたびに幻のように手をすり抜けてしまう。それだけであるならばまだ冷静で居られたのだが、長いこと頭を悩ませていた銀月の問題が解決し、ようやく自分の方を向いてもらえると思った矢先のことだったのだ。永琳にはそれが淋しくて仕方が無いのだ。
「……では、何故俺はこんなに自分の心に自信が持てないのだ?」
そんな彼女に対して、将志は真っ直ぐな、それでいてつらそうな視線を向けてそう問い返す。
その感情の篭らない言葉に、永琳は顔を上げた。
「……どういうこと?」
「……俺は、自分のしたいことをしているつもりだ。だが、ふと気が付くとその行為を客観的に眺めている自分が居るのだ。そして、まるで自分が自分ではないような気分になるのだ……この心、本当に俺の本心なのだろうか……俺は、その度に考えるのだ……」
将志はただ淡々と、無表情でそう口にする。自分の心が本物であるのか分からない彼は、自分の心が本物であるかどうかを事あるたびに確認する。しかしそうすればそうするほど、ますます自分の心が分からなくなっていき、自らその傷口を広げていく。
彼の心にあるのは、自分の心に対する懐疑と、自分自身が存在していないと言う虚無感であった。
将志はそのつらい心情を少しも見せまいと、無表情を貫く。しかしその無表情こそが、永琳の心に深く突き刺さった。
「……あの時、貴方を置いていかなければよかった……力尽くでも、一緒に連れて行けばよかった……!」
永琳は将志の胸に顔をうずめ、掠れた声でそういった。彼女の肩は振るえ、将志の胸には熱く濡れる感覚が伝わってきた。
そんな彼女の様子に、将志の表情が僅かに崩れた。
「……それを嘆くのは酷であろう……それにあの状態では仕方が……」
「そんなことで納得できるわけないじゃない! 鏡月は離れ離れになった私を思い続けて心を壊したのよ!? 私が貴方の心を壊したようなものじゃない! 私が貴方を置いていかなければ、貴方の心は壊れずにすんだ! 私が貴方を置いていかなければ、貴方はこんなに苦しむことはなかった! 私が貴方をっ!?」
永琳の口から、後悔の念が次々と溢れ出す。将志と離れ離れになったあの日のことを、永琳は未だに引きずっているようであった。
しかしその泣き叫ぶ永琳の頬を、将志は両手で挟み込むように張った。乾いた音と共に頬から伝わる痛みに、永琳は呆然とした表情で将志を見やった。
「……全く、らしくもない。済まないが、少々腹が立ったのでな。気付けをさせてもらった」
「……鏡……月?」
「……何度でも言う。俺はあの時の選択を後悔などしていない。これは絶対だ」
「でも、そのせいで鏡月の心は……」
「……確かに、それが俺の心に与えた影響は決して小さくはないだろう。だが、そのお陰で得られたものも沢山あるのだ」
涙に濡れた永琳の言葉に、将志は静かに、迷い無くそう言って答えた。それは、将志が確かに感じることの出来る、数少ないものの一つであった。
その力強い言葉に、永琳はこぼれる涙を手で拭った。
「得られたもの……?」
「……俺はそのお陰で沢山の仲間を得た。自分の居場所を見つけることも出来た。そして何より……少々気障な言い回しだが、主ではなく××が大切だったのだと知ることが出来たのだ」
「……え?」
将志の唐突な一言に、永琳は呆けた表情で固まった。
そんな彼女に、将志は少し気恥ずかしそうな表情を浮かべて口を開いた。
「……実は、だ……今だから言えることなのだが、俺は本当は妹紅の荒療治の後から、××の従者であることをやめようと思っていたのだ」
「……どうして?」
「……誤解をしないで欲しい。俺は××が嫌いになったわけではない。俺は××と一緒に居る理由を肩書きに求めたくなかっただけなのだ」
不安そうな眼を向ける永琳に、将志はそう言って答える。
それに対して、永琳は将志の発言の真意を掴めずに、不安な表情のまま首を傾げた。
「それじゃあ、何で鏡月はまだ私の従者としてここに居るのかしら?」
「……出来なかったのだ。俺は自分を使命感から解放するために、従者の肩書きを捨てたかった。だが、その肩書き一つ分××との距離が遠くなると思うと、これがどうしても捨てられなくなってしまったのだ。それに、俺にとってやはり主と言うものは特別なものだ。その相手が、いくら考えても××しか思いつかなかったのだ。その時、俺にとってやはり××は特別な存在だと思い知ったのだ……あの時別れていなければ、生涯知ることは無かったであろう」
将志は永琳に、自分の言葉の真意を口にした。
将志に心を忘れさせ、薄っぺらな仮面の心を作り出していたのは、彼の使命感である。彼はそれから自分を解き放ち、少しでも本心で彼女にぶつかるために従者の肩書きを捨て去ろうとしたのだ。
しかし、それは同時に将志が永琳の元を訪ねる理由がなくなってしまうことと同義であった。自分の心に自信が持てない彼には、彼女の元へ行くのに理由が必要であった。それを従者であることに求め、また自分の存在意義である『主を守ること』の対象を永琳に求めるしかなかったのだった。
それを口にすると、将志は静かに腕の中の永琳に眼を向けた。
「……だから、もうしばらく待ってくれ。俺がこの心に自信が持てるようになった時、改めてこうして話をしよう」
将志は申しわけなさそうに、真剣な声で永琳にそう言った。
それを聞いて、永琳は自分の眼に溜まった涙を将志の胴着で拭った。
「……もう、そこまで言えるのに、何で自分の心に自信が持てないのよ……」
苛立たしげな、ふてくされた声で永琳はそう口にした。ほとんど愛の告白に近い言葉を並べられたのに、将志の心の問題のせいでそれがまだ素直に受け止められないのがもどかしいのだ。
そして大きなため息をつくと、将志の首に手を回して頭を抱きこんだ。
「良いわよ。私達に残されたのは永劫の時。離れ離れだった時間や貴方が心に悩んだ今までの時間だって、それに比べれば些細なものよ。貴方が納得できるまで、いつまでも待ってあげる。そして、永劫の時の九割九分九厘以上を鏡月と一緒に過ごすわ」
そう口にする永琳の声は、とても穏やかなものであった。
それを聞いて、将志は安心した表情で笑みを浮かべた。
「……すまない。そして、ありがとう」
「けど、ただ待つだけなんて嫌よ? 私は私で、鏡月を完全に堕として見せるんだから」
「……そうか。では、期待しているよ、××」
色香をにじませた笑みを浮かべ、眼を覗き込みながら語りかける永琳。
そんな彼女の言葉を聞いて、将志もまた嬉しそうに笑った。
しかしそんな将志の反応に、永琳はがっくりと肩を落とし、大きなため息をついた。
「……はぁ……そこで貴方も『××を堕としてみせる』って言ってくれれば良いのに」
ジトッとした視線を向けながら、不満をぶつけるように永琳は将志にそう言った。
それに対して、将志は困ったような苦笑いを返した。
「……俺の見立てでは、もうとっくに堕ちていると思うが?」
「だまらっしゃい。そんな事言う口は、こうしてやるわ」
永琳はそう言うと、おもむろに自分の唇で将志の口を塞ぎにかかった。
将志の唇には暖かく柔らかな感触が伝わると同時に、軽く吸われている感覚もあった。
しばらくして永琳が息が続かなくなって口を離すと、将志は嬉しそうに微笑んだ。
「……ふふふっ、また軽口を叩きたくなるようなことをしてくれるな」
「はぁ……叩いてくれて良いのよ? もっとも、叩かなくてもするけど」
永琳は熱い吐息と共にそう言うと、再び将志と口付けを交わし、強く抱きしめる。そこには、彼を絶対に逃がさないという、強い意思が込められていた。
そんな彼女を、将志はただ優しく受け入れる。永琳の背中に腕を回し、彼女を優しく包み込んでいる。
すると永琳は、そんな将志の様子に口を離した。
「……ふぅ……これよ……貴方はいつも、私にさせるばっかり……たまには貴方からもして欲しいわ……」
永琳は熱の篭った、切なげな視線を将志に向けてそういった。その吐息は荒く、もっと彼を感じていたいという気持ちが現れていた。
その言葉に、将志は困り顔で口を開く。
「……だから、それは待ってくれと言うに……心の十分に篭らぬ口付けなど、悲しいだけだぞ?」
「……この、堅物……」
永琳はそう言うと、再び将志に思いをぶつけるのであった。
「……銀月君、ゴーヤってまだ残ってたっけ?」
「……ゴーヤもコーヒーも大量に持ってきてるよ、鈴仙さん」
その日の夕食は、ゴーヤ尽くしと相成った。
久々の将志と永琳の主従タイムでした。
今回は糖分控えめです。糖分の取りすぎは身体に毒です。
というか、久々に甘い話を描いた気がする。
さて、今回は将志がどうしてあんな親馬鹿と化していたかと言うことに焦点を当ててみました。
これは本文中にあったとおり、『親としての守り方を知らないから』でした。
要するに、将志は親と言う存在を護衛と混同していたと言うことです。
その割には、銀月に毒キノコ食わせたりしていますが。
今回の永琳の言葉によって、これから将志はこれまでのような親馬鹿さは無くなっていきます。
それにしても、この状態でえーりんが外に出られるようになったらどうなることやら……
では、ご意見ご感想お待ちしております。