銀の月、奉公する
紅魔館の地下にある、巨大な図書室。
地下深くもぐりこんだその図書室の中では、その主の魔法によって沢山の掃除道具が飛び回っている。
つい先日、一人の馬鹿親がこの図書室の司書を追い掛け回したために、本や書類が散らかってしまっているのだ。
そんな中、出勤して間もない赤い執事服を着た黒い髪の少年が、全体的に紫色の図書館の主の前に立っていた。
「……災難だったわね」
「……ぐすん」
パチュリーが一言声をかけると、銀月はほろりと涙をこぼした。その一言で、つい最近自分が受けた仕打ちを思い出したのだ。
そんな彼に対して、パチュリーはため息を吐きながら首を横に振った。
「でも、仕方の無いことよ。そもそもそういう計画だったのなら、そのための下準備をしなければならなかったわ」
「ええ、身をもって思い知りましたよ……ところで、何で図書館がこんなに荒れてるので?」
「貴方の父親がここで大暴れしてくれたのよ。それで逃げ回ってたこあが本棚にぶつかって回ったって訳」
「……それも自業自得な気がしますけどね」
銀月は少し棘のある口調でそう話した。どうやら、あの手紙にさせられた格好が相当恥ずかしかったようである。
それを聞いて、パチュリーは小さく笑みを浮かべた。
「ああ、あの写真撮影の依頼のことかしら? あれ、出したの私よ?」
「な!?」
「だって、貴方にコスプレさせるなんて今更じゃない。ただの写真撮影じゃ罰にならないわ。だから私がこあの名前を使って、あの依頼を送ったって訳」
驚愕に眼を見開く銀月に、パチュリーはさらりとそう口にする。
その事実に、銀月は愕然とした様子でパチュリーに質問をした。
「……なんでこあの名前を?」
「こうなることが目に見えてたから。私は荒事はそんなに好きじゃないのよ」
「この外道……」
本から眼を離さず淡々と話すパチュリーに、銀月は白いまなざしを送る。
すると、パチュリーはふと何か思いついたように顔を上げ、口を開いた。
「ああ、でも貴方のあの写真見せたら、ツボに嵌ったみたいよ? 最近こあが貴方のメイド服の寸法を咲夜に聞いているのも見たし、私だって怒られるどころか逆に感謝されたわ」
「え……」
銀月は自分の口から呆けた声が出ると同時に、小悪魔が奥の本棚の影から自分を覗いているのが見えた。
「じーっ……」
「…………」
じっと見つめてくる小悪魔。その視線には相当量の熱が篭っており、何を想像しているのか顔を赤らめていた。
そんな彼女を、銀月はただただ見つめ返す。
「……きゃっ」
しばらくすると、小悪魔は両手を頬に当て、楽しそうに笑いながら本棚の奥に引っ込んだ。
どうやら銀月を使って繰り広げた妄想が、随分と過激な方向へと突き進んだようであった。
「…………」
そんな彼女を見て、銀月は無言でパチュリーを見つめた。その表情は何とも情けない表情であり、どうしてくれるんだと言わんばかりの表情であった。
その視線を受けて、パチュリーはそれから逃げるように本に顔をうずめた。
「……そんな眼で私を見ないで。そういう趣味だって知ってたけど、ここまで重症だなんて思ってなかったんだから」
パチュリーは少々疲れた声で、銀月にそう言った。自分の従者の趣味があまりにもアブノーマルで、もはやついていけないのだ。
なお、本人は依頼はしたものの、自分で出した依頼を後で見て自分でドン引きするレベルなのであった。
それを聞いて、銀月は深々とため息を吐いた。
「はあ……もう良いです。それで、私に用とは何でございましょうか?」
「どうにも貴方の魔力の流れが変わったような気がするのよ。気質が変わったというのが正確だけど、その検査よ」
「気質、ですか」
「ええ。はっきり言うけど、貴方の気質が人間から私達寄りに傾いてきているわ。要するに、妖怪に近づいたと言うことね」
「……っ!?」
パチュリーの言葉に、銀月は思わず息を飲み、苦々しい表情を浮かべた。
その表情を見て、パチュリーはピクリと眉を吊り上げた。
「銀月、何か心当たりがあるのかしら?」
「はい……今回の異変で、咲夜さんが止めたときの中で動いたので……」
「ああ、咲夜から聞いた話だけれど、その時に眼が光った事を言っているのでしょう? それはたぶん関係ないわ。一番最初にやった魔法の試験の時にも貴方の眼が光ったけど、あの時よりも一気に妖怪に近づいた感じなのよ。簡単に言えば、気質が異様なまでに変化したってことね」
銀月の口から出た言葉に、パチュリーは少し落胆した声でそう返した。どうやら彼女が期待していた答えは、もっと別のところにあったようである。
一方、銀月はパチュリーの言葉の意味がよく分からず、疑問を口にした。
「それはどういうことですか?」
「気質とはその生物の内面を表すもの。その人間の性格や資質等で変化するわ。もちろん成長したりすることでも変化するけど、その変化は少しずつ行われるものよ。それが今回は違和感を感じるくらいに変化してしまっているわ。これはもう、貴方の何かが変わってしまったと考えるほうが自然なのよ」
「……よく分からないのですが、そもそも気質とは何ですか?」
パチュリーの説明を受けて、それでもよく理解できない銀月は首をかしげる。
勤勉なはずの銀月のその反応に、パチュリーは意外そうに彼のほうを見た。
「む……貴方なら勉強して知っていると思ったけど……ああ、そうか。よく考えたら貴方は魔法への入り口が違ったわね。私の言う気質とは、身体の内から外に流れ出す生命力や魔力、霊力、妖力なんかの総称よ。貴方に分かりやすく言い換えれば、魄と言えば良いかしら?」
魄とは、道教において肉体を支える気のことを指すものである。また、別の解釈では生まれながらに持っている身体の設計図と言う意味も含まれている。
同じ設計図を持っている限り、肉体を支える気はその成長にあわせて変化するだけであり、急激に変わることは無い。それが極端に変化してしまったということは、自分を構成している設計図が変化してしまったのではないか、とパチュリーは考えたのである。
銀月はその講釈を聞いて理解したのか頷くと、更なる質問をパチュリーにぶつけた。
「それじゃあ、この前の魔法の試験の時に紫さんが私が妖怪に近づいていると言ったのは?」
「さあ? 妖怪の賢者が何を基準にして銀月が妖怪に近づいていると判断したか、なんて私には分からないわ。確実に言えることは、今、貴方が妖怪に近づいていると言うことだけよ」
パチュリーは銀月の質問にそう言って答え、向き合わなければならない現実を叩きつける。
それを受けて、銀月は暗い顔で俯いた。
「……どうにかして、妖怪化を止められないのでしょうか?」
「今の段階では何も言えない……と言うより、貴方の妖怪化の原因が分からない以上、どうすることも出来ないわ。手がかりだって、貴方の背中の痣だけですもの」
「背中の痣ですか……ここから何が分かるんです?」
「貴方にそういうことをしたのが、とても強い存在であることだけよ。他の事なんてさっぱり分からないわ。契約の印のはずなのに貴方と契約者の繋がりが見えないから、特殊な存在なのは分かるけど」
「そうですか……」
パチュリーは現在の状況を告げ、銀月は落胆する。依然として調査は足踏み状態であり、銀月に契約相手がいることくらいしか分かっていない。
当の銀月も夢の中でその相手である幻月と夢月に会っているのだが、その記憶は完全に抜き取られてしまっており『限界を超える程度の能力』を使っても思い出すことが出来ない。
結果として、銀月の妖怪化の原因は全く分かっていないのであった。
「まあ、悩んだところで仕方が無いわ。調べても分からないのなら、二次災害を防ぐことに集中するしかないわ。貴方の起こす可能性のある二次災害、異変どころの騒ぎでは済まないのだからね」
「……はい」
二人はそう言いあうと、本日の授業を開始するのであった。
「グアアアアアアア!!」
図書館の中央の実験場に、黒い翼竜が光の中から姿を現す。
夜の闇のような漆黒の鱗に炎を宿したような赤い眼を持つそれは、銀月の姿を見ると彼のことを見つめだした。
「…………」
銀月はしばらくの間、その自らを見つめる赤い双眸を見つめ返す。
すると翼竜はその場に伏せ、リラックスした様子で銀月のほうを見だした。どうやら銀月の指示を待っているようである。
それを見て、銀月は小さく息を吐いた。
「……成功ですね」
「ええ……じゃあ、早く送還してちょうだい」
「はい」
銀月はそう答えると、魔法陣を呼び出して翼竜を元の場所に返した。
授業中、銀月は何度も召喚術を行使しており、その額には玉のような汗が浮かんでいる。
そんな彼の様子を見て、パチュリーは怪訝な表情を浮かべた。
「……やはり妙ね」
「妙とは、どういうことですか?」
「銀月、少し鏡を見てもらえるかしら?」
「はい」
銀月はそう言うと、どこからとも無く手品のように収納札を取り出し、中から手鏡を取り出してそれを覗き込んだ。
そこに映ったのは、黒い髪に茶色の瞳の、童顔な赤い首輪付きの顔であった。
それを訳が分からない様子で眺める銀月に、パチュリーは声をかける。
「どう? 何か気付いたことはあるかしら?」
「いつも通りの顔があるだけですが……」
「よく思い出してみなさい。貴方、下位種とはいえ龍を何匹も呼び出しているのよ? この前よりもずっと多くの魔力を使っているのに、何も変化が起こらないのは妙じゃないかしら?」
「……そういえば」
パチュリーの指摘に、銀月はそう言って納得する。
以前魔法を大量行使した際、その影響は銀月の瞳の色の変化として現れていた。しかし、今回はその時よりも更に多くの魔力を使っているにもかかわらず、翠色の前段階である黒色にすらなっていないのだ。
そのことから、パチュリーは銀月の身に何かが起きていることを確信した。
「やっぱり貴方に何か起きているようね。銀月、服を脱いで背中を見せなさい」
「はい……」
銀月はそう言うと、上着を脱ぎネクタイを外し、ワイシャツを脱いで背中を見せた。そこには、以前よりも明らかに大きくなっている鳥の翼のような痣が存在した。
それを見て、パチュリーは僅かに顔をしかめた。
「……痣が大きくなっているわ。貴方の契約主は、どうやら貴方への介入を強くしたみたいね」
「……っ」
パチュリーの言葉に、銀月は小さく息を呑んだ。今回の授業の様子からそうなっていそうだとは思っていたが、実際に聞くのはやはりショックだったようである。
そんな彼の様子に、パチュリーは怪訝な表情を浮かべた。
「銀月、貴方本当に何も心当たりが無いのかしら? この様子を見るに、貴方に何らかの接触があったはずなのだけど」
「……本当に何も分からないのです。私には何も……」
銀月は悔しそうな表情を浮かべてパチュリーにそう言った。
それを聞いて、パチュリーは本を口元にあて、考え始めた。
「……そう……記憶を抜き取られているのかしら? いずれにせよ、このことはジニにも知らせないといけないわ。貴方に起きた変化は、とても見過ごせるものではないもの」
「……はい」
考え込むパチュリーに、銀月はそう言って返事をした。
それを聞くと同時にパチュリーはハッとした表情を浮かべ、少し苦い表情を浮かべて銀月に声をかけた。
「……それはさておき、貴方は少し後ろを見ることをお勧めするわ」
「後ろ?」
その言葉に銀月が後ろを向くと、枝に宝石が下がったような翼を持つ少女が立っていた。
その姿を見て、銀月の表情は一気に硬いものへと変化していった。
「……お嬢様」
「……今までどこ行ってたの?」
フランドールは少し不機嫌そうに銀月にそう言った。
それに対して、銀月はフランドールから軽く眼をそらす。
「それは……」
「ああいいよ、言いづらいなら言わなくても。その代わり、しばらく私の言うこと聞いてもらうからね」
「では、私はいったい何をすれば宜しいのでしょうか?」
「私と遊んで」
「遊ぶと申されましても……何をするのですか?」
「え、えっと……」
銀月の問いかけに、フランドールは途端に慌て始めた。したいことが多すぎて、上手く整理が出来ていないのだ。
そんな彼女を見て、銀月は小さくため息を吐いて一礼した。
「……では思いつき次第、私に」
「あ……」
フランドールに背を向け、立ち去ろうとする銀月。
それを見て、フランドールは淋しげな表情で手を伸ばそうとし、それをこらえた。
「待ちなさい、銀月。いくらなんでも、それは主人に対して取っていい態度ではないわ。主人の意を酌むのも執事の技量なのでしょう?」
そんな二人を見て、パチュリーがそう言って銀月を引き止めた。その口調はいつに無く強く、まるでしかりつけるような声であった。
その言葉を聞いて、銀月は困った表情を浮かべてその方を向いた。
「それはそうですが……」
「仕事に逃げるんじゃないわ。大体、何のためにメイド妖精を雇っていると思うの? 確かに頼りない部分はあるけど、近頃の様子を見れば貴方の不在をカバーできるだけの能力はあるわよ。貴方が主人を差し置いて仕事をする理由なんて無いわ」
「……失礼いたしました」
パチュリーの言葉に、銀月は二人に向けて深々と頭を下げて謝罪した。
そんな銀月を見て、フランドールは何かを思いついたようだ。
「……そうだ。銀月、肩車して」
「肩車、ですか?」
「だって、今の状態じゃ銀月は私を待つばかりだもの。だったら、私を肩車しながら様子を見て回ってよ。銀月が普段どんな仕事をしてるか見たいし」
フランドールは、普段は地下にある自分の部屋の中に閉じこもっている。それ故に、銀月や他のメイド達がどんな仕事をしているかを知らないのだ。
好奇心旺盛な彼女は、自分の従者が普段どんな仕事をしているかが気になったのであった。
そんなフランドールの提案に、銀月は困った様子で額を手で覆った。
「お嬢様、私の肩の上から仕事を見るのは危険を伴います。ですので、肩車をしながらと言うのは」
「あら、そうでもないわよ。そもそも、副長と言う立場は部下を管理する立場よ? いつでも自分が仕事をしている様では部下であるメイドが育ちにくいし、管理も不十分だと言わざるを得ないわ。もっとも、これに関しては咲夜にも言えることだけど」
銀月がフランドールに説明をしていると、横からパチュリーが口を挟んだ。
その内容に、銀月は少し唖然とした様子でパチュリーの方を見やった。
「あの……私はいつから副長になったのでしょうか?」
「レミィから聞いてなかったのかしら? あれだけ見事にメイドをまとめられるのだから、別に副長と呼ばれてもおかしくは無いわよ。おめでとう、銀月。これで貴方も中間管理職よ」
銀月の質問に、パチュリーは淡々とそう言って外堀を埋めていく。実際問題、銀月が副長になったのはそれなりに前のことなのだが、本人だけが知らされていない事実であった。
退路を完全に断たれて、銀月は観念して大きくため息を吐いた。
「……はぁ……かしこまりました。では、私の肩にお乗りください」
「やった♪ それじゃあ、乗るよ」
フランドールは嬉しそうにそう言って笑うと、銀月の肩に飛び乗った。
それに対して、銀月はフランドールがバランスを崩さないように微妙に体の動きを調節し、スムーズに肩の上に乗れるようにした。
「乗り心地はいかがでしょうか?」
「視線が高くて新鮮ね。私、ここで一番背が低いもの」
銀月の肩の上で、ご満悦な表情を浮かべるフランドール。いつもと違った視線で周囲を見られることと、普段仕事以外ではあまり構ってくれない銀月と遊べるのが嬉しいのだ。
そんな彼女に、銀月は小さく頷いて声をかけた。
「では問題はなさそうですので、仕事に戻るとしましょう」
そう言うと、銀月はパチュリーの指示通りにメイド妖精達の様子を見て回った。
そこでは、メイド妖精達がリラックスした様子で、それでいて真面目に仕事をしていた。
銀月が彼女達に褒美として提供している一品は、一定のノルマを達成した場合に与えられる報酬である。そのために、メイド妖精達はそのノルマまでは言われたことをしっかりやるようになったのだった。
そんな彼女達を確認すると、銀月は満足げに頷いた。
「ふむ……皆さん、しっかりやっているようですね」
「ねえ、銀月。何だか皆随分楽しそうね。仕事って楽しいの?」
和気藹々とした雰囲気で仕事をしているメイド妖精達を見て、フランドールがそう口にする。どうやら、彼女が想像している仕事は少々退屈なもののようであった。
それを聞いて、銀月は小さく首を横に振った。
「それは人ぞれぞれですよ。仕事が楽しいと言うものもいれば、仕方なく仕事をしている者も居ります」
「じゃあ、銀月は仕事をしていて楽しい?」
「ご想像にお任せいたします」
「えー」
銀月の返答に不満げに頬を膨らませるフランドール。そんなフランドールを肩に乗せたまま、銀月は厨房へと向かった。
綺麗に整理されているタイル張りの厨房に着くと、銀月はフランドールに話しかけた。
「お嬢様、本日の私の業務に移りますので、降りていただいて宜しいでしょうか?」
「今日は何をする予定だったの?」
「私の勝手な都合で周囲に迷惑を掛けてしまいましたからね。そのお詫びにケーキを焼こうかと」
自分の肩から降りて話を聞くフランドールに、銀月は冷蔵庫から材料を取り出しながらそう答える。
それを聞いて、フランドールは眼を輝かせた。
「あ、いいなー。私も食べたい」
「お嬢様とレミリア様にはまた別のものを用意してありますので、そちらをお持ちします」
「そうなんだ。それじゃあ、楽しみに待ってるわ」
「かしこまりました」
銀月はそう口にすると、手際よく調理を進めていく。その作業風景を、フランドールは興味津々といた様子で見つめていた。
銀月は生地を型に流し込むとオーブンにいれ、炎を宿した札を中に入れて扉を閉めた。
「……あとは、焼けるのを待つばかりですね」
「ねえ、銀月」
「何でしょうか?」
「貴方はどうして逃げ出したりしないの?」
フランドールは、とても真剣な表情で銀月にそう質問をした。
そのただならぬ雰囲気の声色に、銀月はゆっくりと彼女のほうへと振り向いた。
「……どういうことでしょうか?」
「だって、貴方は私のことを思わず殺してしまいそうになるくらい怖がっているわ。でも、貴方は今まで指定された仕事の日には必ずここに来て、私のところに来てくれる。あんなに私のことを怖がっているのに、何で?」
無表情で問い返してくる銀月に、フランドールは真剣な、それでいて少し戸惑いの色を含んだ表情を浮かべた。
銀月が普段自分に向けている恐怖心がとても根深いものだと言うことは、彼女もよく理解している。何故ならば、銀月は常に自分に殺されないかと身構えているのを知っているからである。だと言うのに、銀月はそれでも自分の仕事を放棄することなく、自分の命を奪うかもしれない相手の下にいるのだ。
フランドールには、何故銀月がそんなことをしているのかが理解できなかったのだ。
そんな彼女に、銀月は眼を閉じて一息つくと、フランドールを見ながらゆっくりと口を開いた。
「……それは、父が私に申し付けたことだからです」
「それじゃあ、お父さんに言われたからってだけで私のところに来ているの?」
「だけ、と言うのは流石に語弊がありますが、概ねは父の気を楽にしてやりたいと言うことが第一ですね」
「どういうこと?」
「……父に、息子を手に掛けるようなことはさせたくありませんから」
銀月は静かに、はっきりとフランドールにそう告げた。
その言葉を聞いて、フランドールは悲しげな表情で俯いてしまった。
「……酷いよ、銀月。それって、私には自分を殺させても良いって言ってるんでしょ?」
「仕方の無いことです。何故なら、私を殺せるのは父とお嬢様だけなのですから」
「何でそんなこと言うの……仕方が無いなんて、何でそんなことが言えるの……?」
「お嬢様。幻想郷は管理者である紫様と、紫様が頼りにしている、父を含めた協力者によって管理されています。彼らは寛大であると同時に非情で、何よりも公平です。翠眼の悪魔はともすれば幻想郷を脅かしかねない存在、その存在を彼らは許すわけには行かないのです。それは、例え寵愛している息子であろうとも」
「本当にそれで良いの? だって貴方、あんなに死にたくないって言っていたのに……」
「それが父のためならば。私の命は父に拾われたもの。父のためならば、この命も惜しくはありません」
暗い声で質問を投げかけるフランドールに、銀月は淡々と平坦な声で、真っ直ぐにフランドールを見つめてそう答える。
その答えにフランドールは反論をしようと顔を上げるが、銀月の純粋な眼を見て反論を諦めてしまった。
「……貴方の一番は、お父さんなのね」
フランドールは震える声でそう言いながら、銀月に対してそう言った。
銀月を一度殺して以来、フランドールは他人の死と言うものの存在を知った。それは彼女にとって、冷たく暗く、悲しいもので、人形が壊れてしまうのとは全く違うものであった。
それを父のためならば受け入れるという銀月の発言は、やはり悲しいものであった。
「はい。ですが、私は貴女以外に殺されるつもりも無いのです。例え父の憎悪を買い、父が私を殺しに来ようとも、父やお嬢様の他に私を殺せる者が現れようとも、私の命を奪うのは貴女であると決めているのです」
悲しみに肩を落とすフランドールに、銀月はそう声をかけた。その声色は平坦であるが、どこか優しいものであった。
その言葉を聞いて、フランドールは呆けた表情を浮かべて銀月を見た。
「どうして?」
「……それが、私の望むことだからです。もし、私がどうしようもなくなった時は……お嬢様。貴女の手で私を壊してくださいませ」
銀月はそう言うと、深々と頭を下げた。
それは銀月の心の底からの願いだと、フランドールには分かった。
「そう……ごめん、ちょっとお姉様のところに行ってくるわ」
「かしこまりました」
フランドールは複雑な表情を抱えたまま、小さく会釈する銀月に背を向けて厨房から出て行った。
厨房を出て、わき目も振らずに姉であるレミリアの部屋へと走っていく。吸血鬼の脚力で出されるスピードにメイド妖精達が慌てて飛びのくが、彼女には一切気にする余裕は無い。
そして部屋の前に着くと、レミリアの部屋のドアを開けて中に入った。
「お姉様、ちょっといい?」
「あら? 珍しいわね、フランが私のところに来るなんて。どうかしたのかしら?」
フランドールが部屋に入ると、仕事の書類を片付けていたレミリアが顔を上げた。
自分から部屋に来るということの珍しさに、レミリアはノックを忘れていることを注意することを忘れて声をかけた。
「……私、銀月がよく分からないの」
レミリアの質問に、フランドールは短くそう告げた。
それを聞いて、レミリアは小さくため息を吐いた。
「はぁ……まあ予想は付いてたけど、やっぱり銀月のことか。それで、あいつは今度は何を言い出したのかしら?」
「銀月ね、自分を殺すのは私じゃないとダメなんだって。何でそんなことを言い出したのか、全然分からないのよ」
「大方、自分の父親に子供殺しの十字架を背負わせたくないだけじゃないのかしら?」
「でも、銀月はそれが自分の望むことだって言ったわよ? それに、私以外に自分を殺せる人が出てきても、私に殺されたいんだって」
フランドールは困惑した様子で銀月の言葉をレミリアに伝えた。
それを聞いて、レミリアは口に人差し指を当てながら銀月の思惑を考え、口を開いた。
「フランに自分を殺させることが、銀月が望む死に方、ね……確かによく分からないことを言っているわね」
「お姉様……私、本当に銀月を殺さないとダメなのかしら?」
フランドールはそう言いながら、レミリアに視線を向ける。その視線はとても不安そうで、銀月を殺すことへの抵抗感を感じているようであった。
そんな彼女に対して、レミリアは苦笑いを浮かべた。
「そんなのは貴女の勝手よ、フラン。別にあいつが望んだからって、銀月を殺すのがフランでないといけない理由にはならないわよ。そういうことを言ってきたら、一回頬を張り倒して目を覚まさせてあげなさい」
「……そっか」
レミリアの言葉を聞いて、フランドールは少しホッとした表情を浮かべた。
そんな彼女に、レミリアは優しい笑みを浮かべたまま話を続ける。
「でも、良かったじゃない」
「え?」
「だって銀月がそう言ったってことは、銀月はちゃんとフランのことを考えているって言うことでしょう?」
「でも、それが自分が死ぬときのことだなんて……嫌だよ……私、もう銀月を壊したくない」
「まあ、それは置いておいたとしても、あいつの性格から言って悪い方には向いていないと思うわよ。少なくとも、嫌われているわけではないと思うわ」
「それはそうだけど……」
楽観的に話すレミリアに、フランドールはそう言って口ごもる。彼女の中では、銀月を殺したくないという思いと、頼まれたことを叶えなければならないとの間で揺れているのだ。
そんなフランドールを見て、レミリアはかねてより疑問だったことを口にした。
「それにしても、フランも随分と銀月のことを気にするわね。どうしてかしら?」
「あのね、私は今までずっと地下室に居たでしょ? だから、何も知ることは無かったし、お姉様が持ってきたお人形でしか遊べなかったわ。そんな私を、銀月は手品や曲芸でとても楽しませてくれたわ。会ったばかりなのにすごく優しくて、すごく楽しそうに笑ってたのよ……でも、私のせいで銀月はああなっちゃった。銀月、私の前ではいつも無表情だけど、時々すごく苦しそうな表情のときがあるのよ。そんな銀月は見たくない。私は、前みたいに楽しそうに笑う銀月が見たいのよ」
フランドールはレミリアに、銀月を気にかけている理由をそう話した。
銀月以前にも霊夢や魔理沙が彼女の前に姿を現していたが、自分から楽しませてくれたのは銀月が初めてであり、一緒に笑いあうのも初めてであった。フランドールはそんな彼の笑顔をずっと見ていたくて、ずっと一緒に遊んでいたくて、あの日に力尽くでも引き止めたのであった。そしてその結果、銀月は暴走し、一度死ぬことになってしまったのであった。
フランドールはそのことを深く悔いており、何とかその時の笑顔を取り戻そうと努力をしているのであった。
それを聞いて、レミリアは今までのフランドールの行動を思い返し、納得して頷いた。
「そういうこと。だから、銀月の恐怖心を少しでも和らげるために、銀のタロットを送ったのね」
「うん……」
「そこまで銀月のことが気になるのなら、咲夜に少し探らせてみようかしら? 私としても、どういう心境の変化があったのか気になるし」
レミリアは思案顔でそう口にする。その言葉を聞いて、フランドールはキョトンとした表情を浮かべた。
「心境の変化?」
「気付いていないのかしら? 銀月、最初に貴女に向けていた嫌悪感がほとんど無くなっているのだけど」
「そうなの? 銀月、何か理由をつけては私の前からどこか行こうとするけど……」
「その理由はよく分からないけど、銀月はフランと話すとき、前は眼を閉じて話していたわ。それが今は、少しずつだけど眼を向けるようになってきたのよ。だから傾向としては、銀月の感情はプラスに向いてきていると思うわ」
「そうなんだ……」
フランドールは、レミリアの言葉に少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた。
彼女は銀月の笑顔を取り戻すことに必死で、その小さな変化に全く気付けなかったのだ。それをレミリアから聞かされて、希望が持てるようになったのだ。
そんなフランドールの様子を見て、レミリアも安堵の表情を浮かべる。彼女にとっても、大事な妹の繊細な心の負担になっている銀月の問題は大問題であり、何とか解決の糸口を見つけようと必死なのであった。
「それで、何でいきなりそんなことを気にし始めたのかしら? 銀月の性格から考えて、貴女から銀月にそう答えさせるような質問をしたと思うのだけど?」
「私ね、銀月がパチュリーと話しているのを見たの」
「パチェと話を……」
フランドールの言葉を聞いて、レミリアの顔が曇った。銀月のフランドールとそのほかに対する態度の違いは彼女のよく知るところである。その違いを見て、レミリアはフランドールがショックを受けないように彼女のいる前では銀月との接触を避けるように呼びかけていたのだ。
しかし今回、フランドールは銀月が他の者と話しているのを目撃してしまったのだ。レミリアは、彼女がどのくらいのショックを受けたのかが心配でならないのだ。
「銀月、パチュリーと話をしているときと私と話をするときじゃ、全然様子が違うの。パチュリーと話しているときはとてもリラックスしていて、パチュリーも少し楽しそうだったわ。でも、私と話す銀月はそうじゃない。私と話す銀月はいつもどこか苦しそうで、見てて悲しくなってくるの。お姉様、どうすれば良いの?」
「……悪いけど、今の私達には何も出来ないわ。幸いにして、銀月は少しずつ私達にも心を開いていっている。だから、銀月が私達にちゃんと向き合えるようになるまで待ちましょう?」
「うん……」
苦い表情を浮かべるレミリアに、フランドールは落ち込んだ様子でそう答えた。やはり自分に見せない表情を浮かべた自分の従者を見るのはショックが大きかったようであった。
その悪い空気を振り払うかのように、レミリアは顔を上げて伸びをした。
「さてと、それじゃあちょっと咲夜のところに行ってくるわ」
「あれ、いつもみたいに呼び出さないの?」
「お前がしたように、メイドの仕事の様子を見るのも主人の仕事よ。それに、たまにはこちらから出向くのも悪くないわ」
そう言うと、レミリアは部屋を出て咲夜の部屋へと向かった。
特に急ぎの用でもないので、レミリアは優雅に紅魔館の燭台の明かりに照らされた長い廊下を歩く。
最近成長し、統率の取れてきたメイド妖精達の働きぶりに感心しながら歩いていると、目的の部屋の前についた。
「咲夜、部屋に居るのかしら?」
レミリアはそう言うと、半開きになっていた咲夜の部屋の中を覗き込んだ。
「何度触っても、本当に良い手触りの髪ね。少し嫉妬しちゃうわ」
「ふに~……」
すると中では、ベッドの上に座った咲夜が、優しい表情を浮かべて銀月に膝枕をして頭を撫でていた。
銀月はとても気持ちよさそうで、ベッドに身体を投げ出してとろけた表情を浮かべていた。
「……なあに、これぇ?」
そんな珍妙な光景を見て、レミリアは唖然とした様子で思わずそう口にする。
咲夜も銀月も、普段はとても真面目でクールな性格なのだ。そんな二人が目の前で訳のわからないことをしているのだから、そんな言葉も出るであろう。
その言葉を聞いて、咲夜は顔を上げた。
「おや、お嬢様。いかがいたしましたか?」
「……咲夜。アンタ、何やってんの?」
「銀月が私にお詫びをしたいと言うので、しばらく撫でさせてもらってるんですよ」
「何でそうなるのよ……」
「いえ、銀月の撫で心地がとても良いので」
「ふぃ~……」
頭を抱えるレミリアに、咲夜は銀月の頭を撫で続けながらそう答える。
銀月の口からは普段からは考えられない気の抜けた声が聞こえてきて、なおのことレミリアを脱力させる。
「……この緩みっぷりを見てると、とてもお詫びに来ているとは思えないのだけど?」
「良いんですよ。銀月はこうでもしないと休ませられないので」
「それにしても、そんなに撫で心地良いの、こいつ?」
「お嬢様はいつも体を弄繰り回しているのでご存じないでしょうが、髪を梳いたり頬を撫でたりするととても気持ちが良いんですよ」
「へえ? どれどれ」
「みっ……」
レミリアはそう言うと銀月の頭を軽く撫で始め、銀月は感覚の変化にピクリと身体を震わせた。
レミリアの手にはさらさらとした心地の良い感触が伝わってきて、咲夜の言い分を納得するのに十分であった。
「……確かに、すごく滑らかな手触りね。何と言うか、動物だったら真っ先に乱獲されて毛皮にされそうな感じね」
「……流石にその例えはどうかと……」
「ところで、何で銀月はこんなに緩い顔をしてるわけ?」
「いえ、どうやらこうして撫でるのが気持ち良いらしくて……妖夢じゃダメみたいですけど」
「それって、咲夜が撫でるのが上手いって事じゃないの?」
「そうなのでしょうか……」
咲夜は相も変わらず銀月を撫でながら、レミリアの言葉に答える。
そんな彼女を見ながら、レミリアは少し考えてから口を開いた。
「……咲夜、貴女私を撫でなさい」
「はい」
帽子を取ったレミリアの指示に、咲夜は考える間もなく従った。右手で銀月を撫でながら、左手でレミリアの頭を優しく撫でていく。
それを受けて、レミリアはくすぐったそうな表情を浮かべた。
「……確かに撫でられていて気持ち良いけど……銀月みたいにとろけるほどじゃないわね」
「ええ、銀月も最初はそうだったんですよ。それで銀月が触られて気持ち良さそうなところを探しているうちに、こうなったんです」
「す~……す~……」
咲夜とレミリアが会話をしていると、咲夜の膝の上から安らかな寝息が聞こえてきた。咲夜に撫でられていた銀月が寝入ってしまったのだ。
その表情はとても穏やかで、すっかり安心しきったものであった。
その姿を見て、レミリアは突如としてうずうずし始めた。
「……何だろう。こうも無防備な姿を見てると、いじめたくなる気持ちがふつふつと湧いてくるわ」
「いじめる、と言うのは言いすぎですが、確かに少し悪戯したくなりますね」
「あら、何だかんだ言って咲夜も銀月に悪戯するのね?」
「ええ。例えば、そこの花瓶の中に河童から貰ったビデオカメラを設置してあったり」
「ビデオカメラ? ……それって、これのことかしら?」
レミリアが咲夜の言葉を元にして花瓶を見てみると、花の中に一つガラス質のレンズを持つ細長い物体を確認した。
それは河童の発明した防水カメラであり、幾度かの改良を加えた試作品であった。
なお、依頼をしたのは天狗の一団であり、依頼を受けた河童はそれはもうノリノリで、ジェバンニもびっくりな速攻開発を行っているのであった。
レミリアの質問に、咲夜は一つ頷いて答えた。
「はい。この場に起きている出来事を、映像として保存しておく道具だそうです。だから銀月がこうやってとろけている姿もバッチリ録画されていますよ」
「で、それを録画してどうするつもり?」
「いえ、何やら妖怪の山の天狗達がそれを買い取りたいということですので」
撮影したものの使い道を、咲夜は簡潔にそう言って述べた。
宴会の際に、銀月が咲夜に撫でられるととろけてしまうことは周知の事実である。それを映像化して保存しようとして、烏天狗達が咲夜にこのカメラを手渡していたのであった。
ちなみに、カメラのスイッチのオンオフは咲夜が操作するため、彼女自身のプライベートはきちんと保護されているのであった。
それを聞いて、レミリアはそのあまりにもくだらない行為にがっくりと肩を落とした。
「……理解したわ。これは確かにお仕置きね……と言うか、天狗達はいったい何を考えてるのかしら?」
「さあ……とにかく、人気ではあるみたいです。こんなものが出回るレベルですし」
咲夜はそう言うと、天狗から渡されていた一冊の本を取り出した。
レミリアはそれを受け取ると、中のページをパラパラとめくる。
「写真集? これ、全部銀月ね」
「はい。この前人里で開かれた催しで撮影されたものです」
レミリアは咲夜と話をしながら、一枚ずつ銀月の写真を眺める。
写真の中の銀月は服装に合わせて様々なポーズをとっている。それは全身を使った銀月の表現によって、同じ人物のはずなのに何故か全く違う性格の人物のように思えた。
そんな銀月の写真を見て、レミリアは感嘆のため息を吐いた。
「ふむ。銀月のこと、甘く見てたわね。まさか、ここまで着こなすなんて……役者志望と言うだけはあるわね」
「そうですね。メイド服だけじゃなくて、他の服も完全に着こなしてますもの」
「特にこの魔法少女の衣装なんて、完全に板についているわ。こいつ、普段からこんな衣装着てるのね」
「ええ、よく天狗の新聞の紙面を飾っていますね。銀月、その格好で色々と動き回ることが最近増えているんですよ。どうにも、頼まれてやったら引っ込みが付かなくなったみたいで」
「……ところで、女装だらけなのは誰の趣味なのかしら? それに、随分ときわどい写真もあるけど」
「さあ……大衆の総意で決まった衣装ですから……」
レミリアの指摘に、咲夜も乾いた笑みを浮かべてそう答え、二人して沈黙する。
世の中には自分達では理解できない魑魅魍魎がいる、そう実感した瞬間であった。
「……盛大に話がずれたわね。咲夜、銀月を仕事に戻しなさい。話があるわ」
「はい。銀月、もう良いわよ」
「う……ん……もうお終いなの……?」
咲夜が銀月の頬を軽く叩くと、銀月はゆっくりと体を起こして咲夜を見た。その眼は潤んだ瞳の上目遣いで、もっと撫でて欲しいと訴えかけるようであった。
しかし、自分の横から気配を感じてゆっくりとその方を見ると、そこには面白いものを見たといった表情を浮かべたレミリアが立っていた。
それを見た瞬間、銀月の表情が一気に引きつった。
「ってレミリア様!? し、失礼しました!」
「アンタ、捨てられた子犬みたいな眼をしてたわよ。完全に咲夜に飼いならされてるじゃない。と言うか、本気で今まで私に気付かなかったのかしら?」
「うっ……」
「ああ、良いのよ。そのまま咲夜に飼われてここに住み着いてくれれば御の字よ。私に構わず、思う存分撫でられていれば良いわ」
「うぅ……」
レミリアに言いたい放題言われ、顔を真っ赤にして俯く銀月。見られることは慣れていても、こうして直接言われることには慣れていないようである。
そんな銀月を見て、レミリアはおもむろにその首についた錠前つきの赤い首輪に人差し指をかけて自分の眼前に引き寄せた。
「それとも……私がお前を飼ってやろうかしら?」
「あっと、し、仕事がありますので失礼致します!」
にやりと笑いながら自分の眼を覗き込むレミリアの言葉を聞いて、銀月は身の危険を感じて大慌てで部屋から飛び出していった。
そんな銀月を見て、咲夜は口に手を当てて笑みを浮かべた。
「くすくす……あんなに慌てる銀月も珍しいわ」
「そうね。あの普段のすまし顔も、崩れるときは崩れるものね……ただ、フランの前じゃ絶対に銀月を撫でちゃダメよ。フランが傷つくわ」
「承知しました……それで、お嬢様。私に話とは?」
「銀月にフランのことをどう思っているかを、それとなく聞き出して欲しいのよ。フラン、銀月のことが気になってしょうがないみたいだから」
「そういうことですか。それなら、以前銀月から似たような話を少し聞きましたよ」
レミリアの指示に、咲夜はそう言って答える。
その言葉を聞いて、レミリアは興味深げな表情を浮かべた。
「そうなの? 銀月はなんて言っていたの?」
「自分の主人が怖くなることは無いか。と、私に尋ねてきました」
咲夜は銀月が話していた内容を、簡単にレミリアに告げた。
レミリアはその質問の意味を少しだけ考えると、大きなため息を吐いた。
「……なるほどね。銀月、未だにフランのことが怖いのね。それで、他には何か言っていたかしら?」
「私が羨ましい。そう言っておりました」
「咲夜が羨ましい? どういうことかしら?」
「私もその言葉の真意までは分かりません。ですがそう話す銀月は、とても悔しそうな表情でした」
「悔しそう? 苦しそう、では無くて?」
「はい。あれは、何かに対して苛立っている表情でした。普段自分の感情を演技で隠してしまう彼がそんな表情をするのですから、よほど強い感情なのだと思いますよ?」
「銀月は苛立っている、ね……何に対して苛立っているのかは聞いた?」
「いいえ。その時は私が羨ましいといった後、逃げるように立ち去ってしまいましたから。たぶん、今私が尋ねても答えてはくれないと思いますよ」
口元に手を当てて首をかしげるレミリアに、咲夜は自分の思うところを正直に述べる。
それを聞いて、レミリアは銀月がいったい何を考えてそんなことを言ったのかを考える。そして、しばらくすると彼女は小さく頷いた。
「そう……ありがとう、咲夜。それなりの収穫はあったわ」
「それは幸いですわ」
小さく笑みを浮かべるレミリア。どうやら、彼女の予想以上に事態は好転してきている様であった。そんな彼女に、咲夜も微笑み返した。
レミリアは部屋を立ち去ろうとするが、しばらくするとふと立ち止まって咲夜に向き直った。
「そうだ。咲夜は銀月の質問に何て答えたのかしら?」
「秘密ですよ、お嬢様」
レミリアの質問に答えた咲夜の表情は、とても楽しそうな笑顔であった。
「失礼致します」
地下へと続く螺旋階段の扉が開き、赤い執事が中へと入る。
その姿を見て、その部屋の主であるフランドールは首を傾げた。
「あれ、銀月? どうしたの?」
「しばらくは私の言うことを聞くように、と仰ったのはお嬢様です。ですので、その任を果たしに来たのです」
「他の仕事はもう良いの?」
「はい。メイド妖精達に任せて、私の分をフォローしてもらっています」
少々困惑気味のフランドールに、銀月は淡々とそう答える。
そんな彼の言葉に、フランドールは嬉しそうな表情を浮かべた。何故なら、銀月が他の仕事をメイド妖精に任せて自分のところに来たのは、これが初めてであったからである。
「……そう。それじゃあ、さっき銀月が作ってるって言ってた私の分のおやつが食べたいな」
「そうですね。もうそろそろ良い頃でしょう。では、取り出しますので少々お待ちを」
銀月がそう言って手を軽く振ると、手品のようにその手の中に一枚の札が現れる。そしてその中から、カスタードプリンとアイスティラミスとバナナで飾られた、よく冷えたパルフェを取り出した。
「お待たせいたしました。プリンとティラミスのパルフェです」
銀月はそう言いながらテーブルの上にパルフェを置き、食器とナプキンを並べる。
それを見て、フランドールの目が輝いた。
「うわぁ、すごい! それじゃあ、頂きます!」
フランドールはそう言うと、嬉しそうに食べ始めた。彼女はその味が気に入ったのか、銀月が居ることを気にせずに笑顔で食べ続ける。
「……ふっ……」
そんな彼女を見て、銀月は小さく、少し嬉しそうに笑うのであった。
時は少しさかのぼり、銀月がフランドールを肩車して図書館から出て行った直後のこと。
パチュリーが本を読もうとすると、突如として図書館内に新しい気配を感じてその方を見た。
「優しいんだか、残酷なんだか」
そこには、どこか胡散臭い笑みを浮かべた、紫色のドレスの女性が立っていた。
その姿を見て、パチュリーは興味なさげに手元の本に視線を戻す。
「……いつから居たの、八雲 紫?」
「銀月に気質の話をするところから」
「つまり、最初から居たのね」
「そうとも言うわね」
本から眼を離さずに、淡々と話すパチュリー。
そんな彼女に、紫は胡散臭い笑みを浮かべたまま本題を切り出した。
「それで、何で言わなかったのかしら? 銀月は、自分の能力を使えば使うほど悪魔に近づいていくって」
紫がそう口にした瞬間、パチュリーの動きがピタリと止まった。そしてしばらくすると、再び本のページをめくり始めた。
「……言ったところで意味無いわよ。だって、銀月には自分以上に大切な相手がいるのだから」
「まあ、そうでしょうね。例え自分に何が起きようとも、父親の期待にだけは応えようとして能力を使い続けるでしょうね」
「なら、せめて知らずに苦しまない方が何倍も幸福よ。今の銀月は、少しでも父親に追いつこうと必死なのだから」
「そうね。もしここで能力がもう使えないと知ったら、それを補うために今以上に修行に打ち込むようになるでしょうね」
相変わらず淡々と話すパチュリーと、胡散臭い笑みを崩さない紫。パチュリーは最低限のことだけを答えようとし、紫はそれ以上のことを聞き出そうとしているようであった。
二人の間に、ただページをめくる音だけが響く。その間、紫はジッとパチュリーのことを眺め続けていた。
「……一つ気になるのだけど、貴女はどう思っているのかしら?」
ふと、パチュリーは顔を上げて紫にそう尋ねた。
それに対して、紫は開いた扇子を口に当ててにこやかに微笑んだ。
「何のことかしら?」
「銀月が翠眼の悪魔になるということについてよ」
「ああ、それね。私は特に気にしていないわ」
「それはどうして?」
「だって、翠眼の悪魔の存在そのものは、幻想郷にはほとんど影響しないもの」
パチュリーの質問に、紫は笑みを崩さずあっさりとそう答えた。
その回答を聞いて、パチュリーは怪訝な表情を浮かべた。
「……おかしい。なら、何で銀月は今も銀の霊峰に監視されているのかしら?」
「貴女、何か勘違いしていないかしら? 銀月が保護されていた理由は、どんな能力を持っているか分からなかったからよ? 分かっていたのなら、銀の霊峰に預けるまでも無く人里に送ったでしょうね。今監視をしているのだって、銀月の影から糸を引いているのが誰でどんな目的なのかが知りたいからで、銀月本人はそこまで関係はないわ。ちょっと気にしすぎなのよ、あの子は」
「つまり、貴女には銀月の妖怪化を止める理由が無い?」
「はっきり言ってしまえば、無いわね。と言うより、それは銀月以外の全員に言えることでもある。正直に言えば、翠眼の悪魔になることで恩恵を得られる人物の方が多くすらあるわ。その中には、貴女も私も含まれる。もっとも、その筆頭である将志は子供の意思が優先みたいだけど」
「じゃあ、何故貴女は銀月の妖怪化を防ぐほうへと誘導しているのかしら?」
朗々と喋る紫に対して、パチュリーはそう質問をする。その様子は、少しでも目の前の胡散臭い女から情報を聞きだそうとしているようであった。
そんな彼女を見て、紫は浮かべた笑みを深めた。その笑みは、何か深い意味がありそうな、とても妖しい笑みであった。
「さっきから質問ばっかりね。確かに理由は無いわよ? けど、全くの無意味と言うわけでもないのよ」
紫は楽しそうに笑いながら、パチュリーの頭の中を引っ掻き回す言葉を口にする。
それを聞いて、パチュリーは少し苛立たしげに彼女のほうを見た。
「……分からないわ。でも、そこから先は教えてくれなさそうね」
「ええ。ここから先はまだまだ内緒。それじゃ、銀月のことを宜しく頼むわよ」
紫はそう言うと、スキマを開いてその中へと消えていった。それを見届けると、パチュリーは手にした本を開き、静かに読書を始める。
そしてしばらくすると、再びパチュリーの動きがピタリと止まった。
「……そう……そういうこと。なら、こちらも好きにさせてもらうわよ」
パチュリーはそう言うと、静かに本を閉じて席を立った。
……また一ヶ月たってしまった。
何かこう、最近とても集中力がなくていかん。この話を書いているかと思えば、心綺楼のネタを描いてたりするし……
それはともかく、今回は久々の紅魔館。
仲良くなろうと必死なフランちゃんに対する、銀月の心境の変化が今回のテーマでした。
銀月は避けようとする一方で、よく分からないことを言い出しています。何ででしょうねー(棒読み)
紫とパッチェさんの話がどういう意味なのかは、あえて深く描きませんでした。
どういう意味なのか、今後じっくり描かせてもらうことにします。
……あと、こあにへんなスイッチが入った様な気がする。
では、ご意見ご感想お待ちしております。