外伝if:甘く幸せな痛み
注意
この話は本編に関係のない外伝です。
閲覧の際には以下のことにお気を付けください。
・ヤンデレ注意
・ショッキングな描写
以上の点が苦手、またはご了承しかねるという方はブラウザバックを推奨いたします。
では、本文をお楽しみください。
ある日、将志が少し茶を飲もうとして台所にやってくると、そこには普段は見かけない姿が存在した。
その四方にトランプの柄の入ったフリル付きの黄色いスカートをはいて、赤いリボンの付いたシルクハットを被った少女を見て、将志は首をかしげた。
「……む? 愛梨、何をやっているのだ?」
「あ、将志くん♪ えへへ~、お料理してるんだよ♪」
将志の言葉に、愛梨は楽しそうに笑いながらそう言って答える。
愛梨の手には文化包丁が握られており、台に置かれたまな板の上には大根が置かれていた。
それを見て、将志はそれから作れそうな料理を考えながら頷いた。
「……ふむ、何故いきなり料理を?」
「いつも将志くん、とっても楽しそうにお料理してるからね♪ だから、僕もやってみようと思って♪」
愛梨は大根をしっかりと掴み、ぎこちない手つきで切っていく。
その愛梨の手付きを見て、将志は小さくため息をついて口を開いた。
「……それはそうと、包丁を使うときは食材を押さえる手に気をつけなければ」
「あいったぁ!?」
将志が注意を促そうとしたまさにその時、愛梨の口から叫び声が聞こえてきた。
その声を聞いて、将志は額に手を当てて大きくため息をついた。
「……遅かったか……少し待っていろ」
将志はそう言うと、収納札の中から薬箱を取り出して愛梨の傍へとやってきた。
愛梨の手には切り傷があり、そこから血が流れ出していた。大根の押さえ方が悪くて、自分の包丁で切ってしまったのだ。
将志はその傷口を確認すると、消毒液のしみた脱脂綿が詰まった小瓶を取り出し、ピンセットで中身を取った。
「……少し沁みるぞ」
「いたっ!?」
将志が脱脂綿で傷口を拭き始めると、愛梨は痛そうに顔をしかめた。
その後、将志は傷口に清潔なガーゼを押し当て、小さな包帯で留めて止血を行った。
そして包帯がずれないことを確認すると、将志は一つ頷いた。
「……これでいいだろう」
「あ……」
将志が手を離すと、愛梨は少し呆けたような声を上げた。
その意味が分からず、将志は首をかしげた。
「……どうかしたのか? まだ傷が痛むか?」
「……ううん、何でもない……」
愛梨は将志が手当てを施した自分の左手を、ぼーっと見つめていた。
その様子を将志は怪訝な表情で見ていたが、愛梨の言葉を信用して小さく頷いた。
「……そうか。では、せっかく料理をしているのだし、俺と一緒に作ってみるか?」
「え?」
将志の一言を聞いて、愛梨は呆けた表情で顔を上げた。どうやら何か考え事をしていたようで、将志の言葉を聞いていなかったようである。
そんな愛梨に、将志は苦笑いを浮かべる。
「……料理を覚えようという心意気は良いが、いかんせん手付きが危なっかしい。慣れるまでは、俺が付いていてやる。だから、好きなように作ってみるといい」
「うん♪」
将志の言葉に、愛梨は嬉しそうにそう言って頷いた。
そして、それから二人で本日の昼食を作ったのであった。
時は移り、別の日の夕暮れ時のこと。
将志がそろそろ夕食の仕度をしようと台所にやってくると、そこではかまどの前でボウルを持った愛梨が立っていた。
「……む? また料理をしているのか、愛梨?」
「そうだよ♪ 今日はちょっと揚げ物に挑戦しようと思ってね♪」
そう話す愛梨の前には熱された油がなみなみと入っている天ぷら鍋があり、ボウルの中は天ぷらの衣が入っていた。
鍋の油からは僅かながらに白い煙が上がっており、将志はそれを見て小さく息を呑んだ。
「……待て、愛梨。この状態で物を入れると」
「あっつぅ!?」
愛梨がボウルの中から物を入れると、一気に泡が出てきて油が跳ねて愛梨の手にかかり、その熱さに驚いてボウルを落としてしまった。油の温度が高すぎる上に、衣も水分が多かったために起きたことであった。
それを見て、将志は小さくため息をついて薬箱を取り出した。
「……やれやれ。手を出すが良い」
「うん……」
愛梨は火傷した手を将志に向かって差し出す。それに対して、将志は濡れた布巾で愛梨の手を冷やし、その上で火傷の箇所に軟膏を塗った。
治療が終わると、将志は他に火傷の箇所がないかを確認し、納得してから愛梨の手を放した。
「……うむ。これで治療は終わりだ」
「……やっぱり……」
将志が手を放すと、愛梨はその治療を施された手をジッと眺めていた。
そんな愛梨に、将志は首をかしげる。
「……? 愛梨?」
「ふぇ? なに?」
「……いや、なにやら考え込んでいるようであったからな。この前もそうだったが、何かあったのか?」
呆けた声を上げる愛梨に、将志はそう声をかけた。以前にも似たようなことがあったために、何か様子がおかしいことに気が付いたのだ。
「……違うよ♪ さあさあ、そんなことよりこの前みたいにお料理教えて欲しいな♪」
そんな将志に、愛梨は小さく笑みを浮かべると、いつものにこやかな笑顔を浮かべて手を振った。
その表情を見て将志は少し考えていたが、しばらくしてから涼やかな笑みを浮かべた。
「……ふっ、いいだろう。元より愛梨はいい舌を持っているからな。技術はともかく、味付けは問題ない。お前なら、すぐにでも上達できるぞ」
「キャハハ☆ そう言ってくれると嬉しいな♪」
将志の言葉に、愛梨はとても嬉しそうに笑いながら返事をした。
その返答に、将志は自分の感じた違和感が杞憂であったのかと思い、ホッと息をついた。
「……よし。では、まずはこぼれた食材を片付けてから、天ぷらの技術を教えるとしよう。そうでなければ、お前も満足できまい」
「うん♪ しっかり教えてね、先生♪」
そう言いあうと、二人は台所を掃除し、一緒に夕食の天ぷらを揚げることにした。
それからと言うものの、愛梨は将志と一緒に厨房に入ることが多くなった。
愛梨は将志の教えを次々に吸収していき、物覚えの良い弟子に将志の指導にも熱が入っていった。
「あいたっ!?」
「……また怪我をしたのか……あれほど包丁の扱いには気をつけろと言うに……」
「きゃはは……気をつけてたつもりなんだけどね……飾り切りって難しいね♪」
愛梨は新しいことに挑戦するたびに、小さく怪我をしていく。
その度に将志は薬箱を取り出し、手当てをしていくのであった。
「将志く~ん……」
それからしばらく経ったある日のこと、将志の部屋に愛梨がやってきた。
突然やってきた愛梨に、将志は読んでいた書簡から眼を離してそちらを向いた。
「……どうしたのだ?」
「きゃはは……ちょっと縫い物してたら、針を手に刺しちゃって……薬箱持ってる?」
そう話す愛梨の左手からは、血がぽたぽたと滴っており、傷口が深いことが見て取れた。
それを見て、将志は顔をしかめた。
「……また随分と深く刺したな……これは包帯がいるな。少し待っていろ」
将志はそう言うと薬箱を取り出し、傷口を消毒してからガーゼを当て、包帯で留めた。
「……これでいいだろう。しかし、衣装作りも大変だな。今度は何の衣装だ?」
「これだよ♪」
愛梨はそう言うと、魔法でモニターのようなものを作り出し、衣装の下絵を映し出した。
それは、真っ白な布地で作られた、白い薔薇のコサージュで彩られた華やかな花嫁衣裳であった。
「……これは、ウェディングドレスだな。どうしてこれを?」
「天ちゃんに頼まれたんだ♪ 何でも、西洋風の結婚式のイメージ撮影に使うんだって♪ 相手の方の白いスーツも出来てるんだ♪」
将志の疑問に、愛梨はそう言って答えた。
椿は日頃から保守的で閉鎖的な天狗の性格に頭を悩ませており、何とか外からの文化に触れさせて新しいものを取り入れようと画策しているのだ。
そこで西洋から来た人狼の文化に目をつけ、少しずつ暮らしに変化を与えようとしているのであった。
その至極全うな理由を聞いて、将志は納得して頷いた。
「……ふむ。天魔にしては、随分とまともな理由だな。しかし、このデザインでは縫うのにもかなり力が要るだろうし、布の裁断にも時間が掛かるな。ふむ、ならば俺も手伝うとしよう」
「キャハハ☆ それじゃあ、宜しく頼むよ♪」
将志の申し出に、愛梨は嬉しそうにそう言って答えた。
それに頷くと、将志はふと疑問に思ったことを愛梨に告げた。
「……ところで、このスーツとドレスは誰が着るのだ? 採寸をしてあるならば、分かると思うのだが」
「えっと、スーツは将志くんに着せるって言ってたんだけど……」
将志の質問に、愛梨は少し気まずそうな表情を浮かべてそういった。
その回答と愛梨の様子に、将志の表情がどんよりとしたものに変わる。
「……その時点で、ろくな発想ではないだろうが……相手は誰だ?」
「その……銀月くんだって……」
愛梨はとても言いづらそうに、将志の相手を告げる。
それを聞いた瞬間、将志の中で何かがブチンと大きな音を立てて切れた。
「……少しあの痴れ者を〆て来る」
将志はそう言うと、壁を突き破らんばかりの勢いで部屋から飛び出していった。
「……きゃはは……相手が民主主義の暴力で決まったって知ったら、将志くんどうするんだろう……」
そんな将志を見て、愛梨は乾いた笑みを浮かべるのであった。
その日、事の真相を知った将志によって、里の白狼天狗達は壊滅的な被害を受けたのだった。
それからしばらく経ったある日のこと、将志は六花の部屋を訪ねていた。
「……六花、少し良いか?」
「お兄様? いいですわよ」
中から返事が返ってきたのを確認すると、将志は部屋の中へ入った。
すると、部屋の中に居た赤い着物を着た銀髪の女性が将志のほうを向いた。
「何ですの、お兄様?」
「……最近、愛梨の様子が何かおかしいのだが」
将志は六花に訪ねてきた用件を簡潔に述べた。
それを聞いて、六花は首をかしげる。
「愛梨が? 私は特に何も違和感は感じませんわよ? どうかしまして?」
「……何と言うか……些細なことではあるが、最近になって愛梨に小さな怪我が増えた気がするのだ」
将志は愛梨について感じた違和感を六花に述べる。
実際問題、愛梨は何かするたびに怪我が増えており、それはここ最近で一気に増えていたのだった。
しかし、それを聞いて六花は何がおかしいのか理解できなかったようで、キョトンとした表情を浮かべた。
「愛梨が軽い怪我をするのは案外いつものことでしょう? 新しいことにいつも挑戦しては怪我をしてるのは、お兄様もご存知ですわよね?」
「……それが、今回ばかりはどうにもおかしいのだ。最近俺と一緒に料理を始めたのだが、何度も何度も指を包丁で切ったり、油で火傷をしたりしているのだ。ましてや、衣装作りで慣れているはずの裁縫ですら怪我をしているのだぞ?」
六花の指摘に、将志はそう言って反論した。
愛梨は何に取り組むにも一生懸命で、上達するのも早いほうである。新しいことに挑戦するときも、初めのうちは失敗もするが、少しするとあっという間に上達していくのだ。これは、愛梨が『他人を笑顔にする程度の能力』を使って、人を笑顔にさせる手段を少しでも増やそうとしているためのものであった。
それなのに、何度将志が教えても怪我をするという事態は、将志にとってはかなりの異常事態なのであった。
将志の反論に、六花の表情が怪訝なものに変わっていく。どうやら、彼女にとっても将志の話す愛梨の様子はおかしいようであった。
「……確かに、それはおかしいですわね。愛梨にしては、少々抜けているというか何と言うか……」
「……極めつけは、曲芸でも失敗が目立つようになってきた。それも決まって、ナイフ芸や玉乗りなどの怪我の可能性があるものばかりだ。特に、一番得意としているはずの玉乗りで失敗するなど、以前の愛梨では考えられん」
将志は更に最近の愛梨の様子で引っかかることを口にする。
ピエロの妖怪である愛梨にとって、玉乗りの大玉は体の一部のようなものであり、普段歩くのと同じような感覚で玉乗りをしているのである。
それで失敗しているということは、歩いている最中に何度もつまずいて転んでいると言う、病気を疑われても仕方の無い状態なのであった。
そんな愛梨の現状を聞いて、六花は険しい顔でうなり声を上げた。
「……もしかして、愛梨は何か悩みでもありませんこと?」
「……悩み……か。愛梨の悩み事と言うのが分からんな。愛梨の場合、困ったことがあるとすぐに俺に相談に来るからな」
将志は腕を組んで、愛梨のことを考えながらそう言った。
愛梨は基本的に悩みを抱え込まず人に相談するタイプなので、将志は相談してこないということは悩みがないことであると思っていたのだ。
そんな将志に、六花は小さく首を横に振った。
「いずれにしても、私では気付けなかったことですわ。お兄様、しばらくは時間のある限り愛梨に付いてあげてくださいまし」
「……ああ」
将志は六花にそう返事をすると、部屋から出て行った。
部屋を出ると、将志は辺りを見回しながら周囲を歩き回り、長年連れ添ってきた相棒を捜した。
しばらくして、将志は本殿の奥にある道場の中で目的の少女を見つけることが出来た。
「……愛梨、少しいいか?」
将志は道場でジャグリングをしていた愛梨に声をかける。
すると、愛梨は嬉しそうな笑みを浮かべながら、駆け足で将志の元へとやってきた。
「キャハハ☆ 何かな?」
「……これからしばらくの間、愛梨には俺と一緒に動いてもらうぞ」
楽しそうに笑う愛梨に、将志はそう簡単に告げる。
すると、どういうことなのかよく分かって居ない愛梨はキョトンとした表情を浮かべた。
「ほえ? どういうこと?」
「……最近のお前を見ていると、随分と怪我の多いようだからな。悩みがあるというのなら相談に乗るし、体の調子が悪いというのなら少し仕事を代わってやろうと思ってな」
将志は少し心配そうな表情で愛梨にそう告げる。
それを聞いて、愛梨は俯いて少し考え事をすると、小さく息をついて顔を上げた。
「……そっか……それじゃあ、お願いしようかな♪ ひょっとしたら僕自身が気付いていないだけで、どこか調子が悪くなってるのかもしれないしね♪」
愛梨は少し申しわけなさそうな、それで居てとても嬉しそうに笑った。
それを見て、将志も苦笑いを浮かべた。
「……ああ。相棒の調子が悪いとなれば、こちらも気が気ではないのでな。少し窮屈かもしれんが、我慢してくれ」
「ううん、そんなことないよ♪ むしろ将志くんと一緒に居られるのなら大歓迎だよ♪」
将志の言葉に、愛梨は心の底から嬉しそうにそう言って笑う。
その太陽のような明るい笑みにつられて、将志の表情も明るいものになった。
「……そうか。では、今日の予定はどうする、相棒?」
「キャハハ☆ それじゃ、久しぶりに将志くんと遊びたいな♪」
「……いいだろう。言われて見れば、愛梨と訓練をしてからかなり間が開いているからな。相手になろう」
二人はそう言うと、道場で稽古を始めるのであった。
それからしばらくの間、将志は愛梨と一緒に行動して回った。
「あいたっ!?」
ウェディングドレスの製作中、愛梨は再び縫い針を自分の手に刺してしまう。沢山の生地を重ねて縫わなくてはならない部分のため、どうしても力がいる部分であった。
「……愛梨、それだけ重ねて縫うのは力が要るだろう。そこは俺がやるから、布の裁断を頼む」
そこを将志が、愛梨の怪我を治療しながらフォローを入れる。
将志は愛梨が怪我をしないように、細かく気を配りながら作業を続けるのであった。
「あいったぁ!?」
しかし、それでも愛梨の怪我は少しずつ増えていく。
将志はそんな愛梨の行動を注意深く観察して、何か引っかかるものを感じ始めていた。
「……何なのだ、この愛梨の行動に関する違和感は」
将志は一人になると、その違和感の正体を掴もうと必死で考えをめぐらせた。
愛梨の行動自体は、特に問題は見受けられない。愛梨はいたって健康であり、悩み事もなさそうに見える。しかし、それでも何故か愛梨は小さな怪我をしょっちゅうするのだ。
その事実に、将志は疑問を感じ始めていた。そして、将志はとある結論にたどり着いた。
「……まさか、愛梨が自傷行為を行っている……?」
その不吉な結論を、将志は首を横に振って消し去ろうとする。何故なら、将志には愛梨がそういうことをする理由が皆目見当も付かなかったからだ。
しかし、その可能性を拭い去る要素も見当たらず、将志の心は不安感に包まれた。
「……考えていても仕方が無い。一度主に相談してみるとしよう」
将志はそう思い立つと、愛梨を残して永遠亭へと急ぐことにした。
竹林を抜けて永遠亭にたどり着くと、将志は真っ直ぐに主である銀髪の女性の元へと向かった。
「あら、お帰りなさい、将志。突然どうしたのかしら?」
永琳は嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべて将志に話しかける。
それを見て、将志は苦い表情を浮かべる。
「……主。済まないが、ひとつ相談に乗ってほしいのだ」
将志は申しわけなさそうに永琳にそう頼み込む。
その姿を見て、永琳は苦笑いを浮かべながら小さくため息をついた。
「そんなに気にすることはないわよ。他ならないあなたの頼みですもの。でも、まずはお茶を飲んで落ち着きましょう? 今のあなた、全然余裕がないもの」
「……そうか」
永琳は将志に優しい言葉を投げかけながら、その頬を軽く撫でる。
将志は眼を閉じてそれを受け入れると、大きく深呼吸をした。
「……ふう。では、早速茶の準備をしよう。その間に、相談の内容を整理しておくとしよう」
「ええ。それじゃあ、私の部屋で待ってるわよ」
二人はそう言いあうと、それぞれの行動に移した。
将志は心を落ち着かせるように、静かに茶を淹れる。その間に、愛梨に関することを頭の中でまとめ、再び結論を出した。
「……可能性はある、か……」
将志はその事実を静かに口にしながら、永琳の部屋へと向かう。
そして部屋をノックすると、永琳が戸をあけて出迎えた。
「待ってたわよ、将志。さあ、中に入りなさい」
「……失礼するぞ」
将志は寝台以外の壁一面に本棚が並んでいる部屋の中へ入ると、中心にある机の上に茶を置いた。
まずは二人とも茶に口をつけ、小さく息を吐き出して心を落ち着かせる。
そして、永琳から話題を切り出した。
「それで、相談って何かしら?」
「……最近、愛梨の様子がおかしいのだ」
「愛梨の様子が?」
「……一見、何の問題も無く過ごしているのだ。しかし、明らかに以前と比べて怪我の回数が増えているのだ」
「怪我って、どんな怪我かしら?」
「……包丁で手を切ったり、縫い針で手をさしたり、転んで擦り傷を作ったりだ。どれも些細なものなのだが、頻度が多すぎてな……」
「成程ね。日常生活で気をつけていればしないような怪我をしているのね。それで、あなたはどんな結論を出したのかしら?」
将志は永琳に愛梨の最近の様子を説明する。
それを聞いて、永琳は特に考えることもなく頷くと、再び将志に問いかける。何故なら、将志は自分に相談するときは何らかの解を用意してから相談をすると分かっているからであった。
「……あまり考えたくはないのだが……愛梨が自傷行為をしているのではないかと」
将志は苦々しい表情で、自らが達した結論を永琳に話した。
それを聞いて、永琳はその言葉の意味をしっかりと吟味した上で、大きく息を吐き出しながら首を横に振った。永琳とて、いつも心の底から楽しそうに笑う愛梨が自傷行為に走っているということが信じきれないのだ。
「あの愛梨が自傷行為、ね……どうしてそう思うのかしら?」
「……愛梨は今まで、滅多なことでは怪我をする事はなかった。怪我をして笑顔に出来る相手などいないからな。ところが、最近の怪我の回数は異常だ。あれほど怪我に気をつけていた愛梨が、三日に一度は怪我をするとは正直考えられんのだ」
「そういうこと……健康状態に問題はないのかしら?」
「……少なくとも、見た目では何も分からん。俺と訓練をしたときも、普段の動きと変わらぬ、もしくは普段以上に調子の出ていることもあった。体調を崩しているとは、到底思えん」
将志は低く暗い声で結論に至った根拠を述べる。
永琳は将志の話す愛梨の様子から何か病気を患っている可能性を考えたが、どうやらそれはゼロであるらしいと結論付けた。
そして、将志の言い分が通ってしまうことも理解し、大きくため息をついた。
「それで、自傷行為を疑った訳ね……にわかには信じられないことだけど、確かに話としては筋が通っているわね」
「……だが、何が愛梨をそこまで駆り立てるのかが分からんのだ。愛梨がそうまでする理由とは、一体なんだろうか?」
「……将志。愛梨の周りで、何か変わったことはなかったかしら?」
永琳は少し考えた上で、愛梨の環境の変化について尋ねることにした。
環境の変化によって、愛梨の精神状態に変化があったのではないかという仮説を立てたのである。
将志はしばらく考えていたが、眼を伏せて首を横に振った。
「……いや、愛梨の周りで特別変わったことはなかった筈だ。新しいことに挑むのもいつものことであるし、それに失敗して怪我をするのもいつものことであった」
「そう……残念だけど、それだけじゃ何も分からないわね。とにかく、今の段階では様子を見るしかないわね」
将志の返答に、永琳は残念そうにそう言って大きく息を吐いた。将志の悩みを解決したいのは山々であるが、情報が少なすぎてどうにも出来なかったのだ。
永琳は少し温くなってしまったお茶を一口飲むと、俯いて黙り込んでしまった将志に声をかけた。
「ところで、今日は何か予定はあるのかしら?」
「……いや、今日は特に予定はない。どうかしたのか?」
「ちょっとうどんげに料理を教えてあげて欲しいのよ」
永琳は将志にそう言って頼みごとをした。将志を銀の霊峰から離れさせて、少し気分転換させようと考えたのだ。
そんな彼女の言葉に、将志は首をかしげる。何故なら、どうして鈴仙の料理の指導を永琳が頼むかが分からないからであった。
「……鈴仙に? 構わないが、何故だ?」
「あの子、銀月に負けてばかりじゃ悔しいからって、最近自分なりに努力してるのよ」
永琳は微笑ましい表情を浮かべて鈴仙の最近の様子を告げる。
鈴仙は銀月から料理を教わったりしているのだが、銀月が居ないときでも自分なりに復習しているのであった。
それを聞いて、将志は小さく笑みを浮かべた。
「……成程。確かに自分よりもずっと年下の男に料理を教わるというのは、悔しくもなるだろうな」
「あはは……それがちょっと違うのよ」
「……違う?」
「銀月に言ったら怒られるかもしれないけどね。銀月に女力で負けるのが悔しいらしいのよ。ほら、銀月って家事全般が得意だし、お化粧の仕方も私達よりも上手でしょう? 性格も立ち振る舞いも良いし、輝夜やてゐも女なら完璧な大和撫子だってぼやいていたわよ」
永琳は苦笑いを浮かべながら、銀月に対する各々の評価を述べた。結果として、永遠亭に住む永琳を含めた全ての住人が、銀月に女力で負けていることを認める結果となったのだ。
それを聞いて、将志も異論を挟むことができずに苦笑いを浮かべた。
「……成程。銀月が聞いたら確実に拗ねるな。しかし、同じことなら俺でも出来ると言うのに、何故銀月だけ言われるのだろうか?」
「将志はそう言われるには色々と男らしすぎるわよ。銀月は見た目も可愛いし、相手に献身的でしょう? 性別が女だったら、間違いなく引く手数多の女の子になってたわね。ちょっと優しすぎるところもあるけどね」
永琳はにこやかに笑いながらそう口にする。
それを聞いて、将志も楽しそうに微笑んだ。
「……そう言われると、そうかもしれんな。確かに、銀月は少々優しすぎる。さてと、俺は鈴仙に声をかけてくるとしよう」
「ええ、宜しく頼むわ。何だったら、私にも教えてくれてもいいのよ?」
将志が立ち上がりながらそう言うと、永琳もそう言いながら立ち上がる。
それに対して、将志は笑って頷いた。
「……ああ。主が望むというのであれば、喜んで教えよう」
「ええ。それじゃあ、宜しく頼むわよ」
二人はそう言いあうと、揃って鈴仙を呼びに行く。
この日の授業は、鈴仙がひたすらに苦瓜をかじる事態となった。
永遠亭から帰ってくると、将志は現在気にかけている相棒の姿を捜す。
「テメエいい加減にしろ、この野郎!」
「あいたたたた! あ、でも腰にお姉さまの柔らかさが」
「死ねええええええ!」
「あぁん!」
しばらく捜していると、くるぶしまで伸びた燃えるような紅い髪の小さな少女と、闇色の服の金髪の少女の姿を見つけた。
アグナはいつものやり取りをしながら、ルーミアにパ○・スペシャルを掛けていた。
そんな二人に大きくため息をつきながら、将志は声をかけることにした。
「……アグナ、ルーミア、愛梨を見なかったか?」
将志が声をかけると、二人は技をかけたままの状態で将志のほうを向いた。
「あっ……お兄さま? いっ……いいえ、私は見てないわ……ねえ、お姉さまぁんっ!?」
「おう。けど、ピエロの姉ちゃんなら自分の部屋に居るんじゃねえか? 頼まれてた衣装を作るとか言ってたからな」
ルーミアは技をかけられて少し悶えながら応え、アグナはルーミアの腕をひねり上げながら知っている情報を話した。
それを聞いて、将志は一つ頷いてアグナの頭を撫でた。
「……そうか。では、愛梨の部屋に行くとしよう。感謝するぞ、アグナ」
「へへっ、どういたしましてだぜ」
「……あっ……なんか、お姉さまに掛けられてると思うと、痛みも快感に……」
「うらぁ!」
「あ♪」
将志はアグナの返事を聞くと、何も言わずに愛梨のところへと急いだ。
そして、愛梨の部屋へと向かう廊下にて、将志は異変を感じ取った。
「……!? 血の臭いがする、だと?」
驚きの表情と共に、将志は思わずそう口にした。
鉄がさびたような、独特の臭い。その臭いが廊下に微かに漂っていたのだ。
将志は気を引き締め、急いでその臭いを辿る。すると、すぐ近くにあった部屋の中から臭いが漏れているのが確認できた。
その部屋の前に立つと、将志は息を呑んだ。
「……ここは、愛梨の部屋……」
焦燥をはらんだ声で、将志は小さくそう呟いた。
将志の頭の中に嫌な想像が浮かび上がる。それは、将志が危惧していた、一つの可能性であった。
将志は、意を決して愛梨の部屋の戸を開けた。
「……っ!?」
将志の眼に飛び込んできたのは、真っ赤な液体が広がっている床であった。
部屋には鉄のさびたような血の臭いが充満しており、その流れた血の量を如実にあらわしていた。
「あ……将志くんだぁ……」
その中心で、ウェディングドレスを着た愛梨が将志の姿を認めて、嬉しそうに笑いながら話しかけた。
真っ白なはずのウェディングドレスは血で真っ赤に染められている。特に肘まで覆う手袋からは滴るほどに血が流れており、レースのスカートを濡らしていた。
血の気を失った青白い顔の愛梨の声はとても弱弱しく、座り込んだまま立つ事すらできない様子であった。
将志は急いで駆け寄り、愛梨の体を抱き寄せ、血の滴る手袋を取り払う。
「な…………」
その中を見て、将志は絶句した。
手袋を外した愛梨の手は、両腕共に指先から肩口まで深々と刺された無数の針の穴によって埋め尽くされていたのだ。
その大量の傷口からは次々と血が流れ出し、周囲を真っ赤に濡らしていた。
「きゃはは……血でべったりになっちゃって、頼まれてたウェディングドレス、駄目になっちゃった……だから、自分用にサイズ直してみたんだ……どうかな……似合ってるかなぁ……」
「愛梨、一体何があった!?」
「ちょっと針で怪我しちゃって……」
「戯け! これが過失による怪我であるはずがない! どう見ても故意に傷つけられたものだ! 何故だ、何故こんなことをした!?」
虚ろな笑みを浮かべる愛梨に、将志は恫喝するようにそう言った。
すると、愛梨の表情が泣き出しそうなものへと変わる。
「……だって、僕が怪我すると、将志くんは傍に居てくれるから……」
「……何だと?」
「将志くんは、いつも僕を頼りにしてくれる……色々と僕に任せてくれる……でもね、そうあればあるほど、将志くんは僕を置いて他のところへ行っちゃう……僕だって、将志くんの傍に居たいのに……僕が料理を始めたのだって、少しでも将志くんと一緒に居たいから……本当は、料理だけは将志くんに作ってもらう側で居たかったよ……」
愛梨はぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、掠れた声で将志にそう訴える。その言葉からは長い間積み重なった淋しさが溢れ出しており、もう堪えきれない様子であった。
その押し寄せる津波のような淋しさを埋めようとして、血に染まった両腕で愛梨は将志に抱きついた。
「けどね……僕が怪我をすると、将志くんは僕を必ず助けてくれる……主様や銀月くんじゃなくて、僕の傍に居てくれる……それを知っちゃったら、もう我慢できなかったよ……」
将志に抱きつくと、愛梨は衰弱してはいるものの、落ち着きを取り戻したようであった。
しかしその表情はいっぱいいっぱいで、今ここで将志が愛梨を拒絶すればその場で自殺してしまいそうな様子であった。
そんな変わり果てた愛梨の様子に、将志の頭の中は真っ白になった。
「……愛梨……馬鹿なことを……」
「きゃはは……だってもう、こうしないと苦しくてしょうがないんだ」
力の抜け落ちた将志の呟きに、愛梨はそう言って弱弱しく笑った。
その声を聞いて、将志は自分の胸にしがみついている愛梨を見やった。
「……なに?」
「将志くんが居ないだけで、淋しくて押しつぶされそうになるんだ……息が苦しくて、胸が痛くて、死んじゃうんじゃないかって思うくらい……それにね、僕、この痛みが嫌いじゃない……ううん、むしろ大好きなんだ。だって、こうすれば将志くんが近くに居てくれるから……他の誰でもない、僕の傍に……」
愛梨はそう言いながら、なおも血を失い続けている真っ赤な両手を目の前に掲げた。
その表情は恍惚に染まっている。傷を負えば想い人と共に居られるという事実が、痛みを甘く、魅惑的なものへと変えているのだ。
甘美な痛みに酔いしれる愛梨。その光を失った瞳の奥には、淋しさに押しつぶされ、愛しさに焼き尽くされた心の残骸があるだけであった。
「きゃはは……痛いよぉ……いつもみたいに、将志くんに手当てしてもらわないと……うれしいなぁ……これでまた、将志くんの傍に居られるよ……」
壊れた心で、愛梨は将志を抱きしめながらそう言って笑う。その表情はとても幸せそうで、喜びに満ち溢れていた。
「……どうして、こんなことに……」
将志には、もはや抱き返す気力も、流す涙さえも残されていなかった。
時は移ろい、永遠亭。
将志はいつもそうしているように、台所の食材をチェックして本日の夕食の献立を決めていた。
そして大体の献立を決めると、主に確認を取りに行く。
「……主、今日の夕食は和食で構わないか?」
「ええ、構わないわよ。でも、ここにある材料じゃ、ちょっと幅が狭いと思うのだけど?」
「……ふむ。では、少々調達に行くとしよう」
永琳の言葉に、将志はそう言って頷く。
そして買い物袋を手に取ると、台所の隅で包丁を研いでいる人物に声を掛けた。
「……行くぞ、愛梨」
「キャハハ☆ 了解だよ、将志くん♪」
将志が声を掛けると、愛梨は包丁を置き、嬉しそうに笑いながら早足で将志の隣に並んだ。
そんな二人のやり取りを見て、永琳は少し面白くなさそうに小さくため息をついた。
「……将志。最近愛梨とずっと一緒に居るけど、何かあったのかしら?」
永琳は将志にそう問いかける。
実は、最近になって普段一緒には来ていなかった愛梨が将志と一緒に来るようになったのだ。二人は何をするにも一緒で、永琳も嫉妬するほどのものであった。
永琳の問いかけを聞いて、将志の表情が曇る。
「……これは、俺の贖罪なのだ」
「贖罪?」
「……そうだ。愛梨の心を壊してしまった、俺の……」
将志は消え去ってしまいそうな暗く小さな声で、そう口にした。
ずっと一緒に過ごしてきて、お互いのことは何でも知っているはずであった相棒。その本当の心に気付けず、愛梨を狂わせてしまったことを将志は深く悔いているのだ。
その深い悔恨の念は将志の心に大きな穴を開けており、将志はそれを埋めるために、許しを請うように愛梨の傍につくようになったのだ。
将志の傍に居たいという想いによって心を壊した愛梨と、その姿に傷つき、その心の傷を癒すために自らの犯した過ちを愛梨の傍に居ることで償おうとしている将志。
今の将志と愛梨は、お互いの壊れた心をお互いの存在で埋め合う、酷く依存し合った歪な関係になってしまっていた。
「もーっ! だーめーだーよー! 暗い顔してたら、幸せが逃げちゃうよ♪ 笑う門には福来る、だよ♪」
そんな暗い顔をしている将志に、愛梨はふくれっつらでそう言って抱きつく。
それを受けて、将志は自分にべったりとくっついている愛梨に向かって微笑んだ。
「……そうだな。では、行くとしようか、相棒」
将志の手が愛梨の頭を軽く撫ぜ、うぐいす色の髪をさらさらと揺らす。
その必要以上に優しい将志の手の感触に、愛梨は幸せそうに眼を細めた。
「えへへ~♪ うん♪ 今日も一緒にお料理しようね♪」
「……ああ」
将志と愛梨は連れ立って歩いていく。その姿は、仲睦まじい恋人のようであった。
「僕、君の傍に居られて、とっても幸せだよ、将志くん♪」
何故か永琳以外の原作キャラよりもリクエストの多かった、愛梨のヤンデレ話でした。
愛梨の場合、人を傷つける方向には行かず、自傷行為を行うことで相手を自分の傍におこうとするタイプですね。
要するに、「私はあなたが居ないとダメなのよ」と言う奴です。
……あと、銀月と白狼天狗にはひどいことをしたと思っている(棒読み)。
では、ご意見ご感想お待ちしております。