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銀の槍のつらぬく道  作者: F1チェイサー
萃まる力と夢現
138/175

外伝:雷の獣、過去を語る


 名物となっている桜も葉桜へと移り変わり、初夏の訪れを感じさせる博麗神社の境内。空からは柔らかい月の光が降り注ぎ、地上ではあちらこちらに置かれた灯篭の明かりで暖かく照らし出されている。


「お~い、ギル! 飲み物もって来たぜ!」

「おい、ちょっと待て。何で飲み物がフラスコに入って出てくるんだ?」

「あら、フラスコ型のデキャンタって斬新で良いとは思わない? それに私のお酒は飲めないって言うのかしら?」

「青くて煙を上げながら沸騰してる酒がどこにあるんだよ!? どう見ても何かの薬じゃねえか!」

「ギルバートさーん! 一緒に飲みましょ~!」

「ナイスタイミングだ、美鈴! 今行く! 魔理沙、アリス、そういう訳でな!」

「あ、逃げたぜ!」

「追うわよ、魔理沙!」

「うに~……」

「ふふふ……本当に良い撫で心地ね」

「はぅ~、ほっぺもぷにぷにで気持ち良いです」

「……何をやってますの、銀月……そんなくっついて甘える猫みたいになって……」

「何って……ちょっと休憩かな~?」

「ねえ、六花。銀月って化け猫だったりしないの? すごく気持ちよさそうだよ」

「そんなはずは無いはずなのですけど……それはそうと橙、貴方もして欲しいんですの?」

「あやや、銀月さんったらあんなになっちゃって……何だか最近白狼天狗の間で話題になってますし、写真でも取りましょうかね」

「全く、銀月はいつもいつも同居人をほったらかして仕事だ修行だって……」

「本当にねぇ。昔から真面目すぎるくらい真面目だし、あれはもう病気の域ね」

「あら、真面目で良いじゃない。私は銀月の仕事にはおおむね満足してるわよ。……時々何考えてるか分かんない時があるけど」

「何よ、レミリア。あんたが仕事の時間をもう少し短くしてやれば大体解決するのよ。そうすれば、あいつだって休みが……」

「それは無理よ、霊夢。そんな時間があったら、あの子は修行してると思うわよ?」

「ぐぬぬ……何とかならないのかしら、紫?」

「うふふふふ……ああ、お姉さまぁ……」

「だぁ~! 引っ付くんじゃねえ! ちょっとチルノ、助けてくれ!」

「え、何?」

「あら、貴女もこっちに来るの? ……じゅるり」

「ひっ!? で、でも、助けなくっちゃ!」

「チルノちゃん、大丈夫だよ。アグナちゃんなら……」

「いい加減にしろおおお!」

「わきゃ~!?」

「ふう……少し疲れたな……」

「……なら、少し飲むのをやめて休んだらどうだ、藍? 酔いが回ると起きているのもつらくなるぞ」

「いや……お前の腕の中で眠るのならそれも悪くない。これほど安心できる場所も無いからな……」

「藍ちゃ~ん……そろそろ代わってよぉ~……」

「悪いな、愛梨。将志のひざの上は今日は私のものだ」

「む~……良いもんね~だ、次は僕が独占してやるもんね~……」


 そんな穏やかな初夏の夜の境内で、騒がしいまでに宴会が行われていた。客達は思い思いに食べて、飲んで、語らぎながら騒いでいる。

 彼らは幻想郷のいたるところから来ており、人間も妖怪も神も入り混じっている。

 その中には、当然人里からやってきた者もいるのであった。


「で、慧音。霖之助は来ないのか?」

「ああ、彼なら来ないさ。霖之助はこういう騒がしいところは苦手だからな。それはそうと、あの二人は何をしてるんだ?」

「あいつらか? あいつらなら……」


 慧音の質問に、妹紅はそう言いながらある一点に目を向ける。


「おい雷禍、から揚げ取りすぎだぞ! 俺にもよこせ!」

「はっ、知るかよ! こーいうもんはな、早いもん勝ちだろうが!」

「あ、レモン掛けやがったな!」

「ふっ、お前がから揚げにレモンを掛けない派なのは調査済みだ。ざ~んねんだったねぇ!」

「この外道が!」


 そこでは、赤いサングラスを掛けた青い特攻服の男と銀縁の眼鏡を掛けたワイシャツ姿の男が料理の取り合いを繰り広げていた。

 二人の取り皿の上には山のように料理が取り分けられており、それでもなお大皿の上の料理をとり続けている。

 そんな二人を見て、慧音は大きくため息をついた。


「あの二人は……子供じゃあるまいし、何をやっているんだ?」

「そりゃまあ、雷禍だし。善治も普段から雷禍に弁当のおかずを横取りされてるから、取られないうちにとって置こうと思ってるのさ」

「つまり、雷禍が原因なんだな?」

「そういうこったね」


 慧音の言葉に、妹紅は苦笑いを浮かべながら言葉を返し、再び雷禍達の居る方角を見た。


「……と言うとでも思ったのか!」

「なっ!? お前、レモンを掛けない派じゃねえのか!?」

「甘いな。俺はな、掛けずに食べた後で掛けた物の味を楽しむ派だ! レモンの有無など、どうでも良いのだァーーーー!」

「くそっ、なんてこった! 鉄壁の防御が破られた!」


 雷禍と善治は相変わらず低レベルな争いをしながら、大皿の料理を取り分けていく。

 そして二人が大皿の上の最後のから揚げに手を伸ばそうとしたとき、そのから揚げは目の前から消え失せた。


「あ?」

「お?」

「……もう、貴方達取りすぎよ。私の分が全然無いじゃないの」


 キョトンとした表情を浮かべる二人の前で、青い服を着た桃色の髪の少女が頬を膨らませながら、恨めしげに二人が持つ料理の山を眺めていた。

 そんな彼女を見て、雷禍は気まずそうに頬をかいた。


「……っと、すまねえな。ちっと熱くなりすぎた。あとで将志の兄貴か銀月に新しく作ってもらうように頼んどくわ」


 雷禍はそう言いながら、何やら困り顔を浮かべている。

 そんな雷禍の顔を見て、幽々子はキョトンとした表情で首をかしげた。


「あら……? 貴方、どこかで会ったことがあるような気がするわ……」


 幽々子はそう言いながら、雷禍の顔をじっと眺める。

 その言葉を聞いて、雷禍は呆然とした様子で眼をパチパチと瞬かせた後、薄く笑みを浮かべた。


「……お? 何だ、まさかの逆ナンか? けどよぉ、手口としちゃあちっと古くねえか?」

「いえ、そういう訳じゃないのだけど……でも、どこかで見た顔なのよね……」

「そりゃたぶん人違いだろうよ。世界にゃ似た顔の奴が三人は居るって言うしな」

「……そう……」


 雷禍の言葉にも納得がいかない様子で、幽々子はその場で考え込む。どうやら雷禍のことが引っかかって仕方がないようである。

 そんな彼女の様子を見て、雷禍は苦笑いを浮かべた。


「それじゃ、俺達は失礼するぜ」

「あ、おい……」


 雷禍は料理を持ってそそくさとその場を立ち去り、善治も考え込む幽々子の姿に後ろ髪を引かれながらその後に続く。

 まるで逃げるようなその行為に、善治は怪訝な表情を浮かべて話しかけた。


「なあ、雷禍……」

「今は何も言うな。帰ってから話してやる」


 妹紅達のところに戻る途中、善治が問いかけようとするも、雷禍は全く取り合わない。

 その表情は、何やらすっきりしたような、それで居て少し寂しげな表情であった。

 そんな二人がやってくるのを見て、慧音が腕組みをした状態で立ちはだかった。


「こら、お前達! 子供じゃあるまいし、あんなみっともない真似をするな!」

「あ~へいへい、反省してま~す」

「だったら少しはそれらしくしろ!」


 こんこんと説教をする慧音に、聞く気が全くないといった態度をとる雷禍。その表情には先程の複雑な表情は残っていなかった。

 それからしばらくの間人里の一行が宴会を楽しんだ後、慧音が立ち上がった。


「さてと……そろそろ帰らないと明日に響くな。私は帰らせてもらうぞ」

「そうか。それじゃ、私は将志と一戦してくるかね」

「……あんた、あの空気に割り込めるか?」

「え?」


 苦い表情を浮かべる善治の声に、妹紅は将志の居る方を見た。

 そこでは、銀色の髪の青年のひざの上に金色の毛並みの九尾を持つ女性が座っている光景が存在していた。


「……いつも思うのだが、座るときにその尻尾は邪魔にならないのか?」

「確かに、椅子に座るときは些か窮屈に感じることはあるさ。だが、役に立つときもある」

「……ほう。何の役に立つというのだ?」


 将志が問いかけると、藍は静かに将志の胸に体を預け、尻尾を将志の体に優しく巻きつけた。

 そして酒が回って紅潮した顔を上げると、やや熱の篭った眼で将志の顔を見つめた。


「……こうやって、手が塞がっていてもお前を抱くことが出来るんだ」

「……そうか」


 藍の言葉に、将志は静かに頷いて酒を飲む。そんな彼の態度に、藍は少し不安げな表情を浮かべた。


「しかしそんなことを聞くとは、もしかして気に入らないのか?」

「……いや、そうではない。藍は普段椅子に座るときは常に浅く座っているから、気になってな。この尻尾自体は肌触りが良くて気に入っているぞ」


 将志はそう言いながら、藍の尻尾を軽く撫でる。すると、藍は少しくすぐったそうな表情を浮かべた後で安心した表情を浮かべた。


「んっ……それを聞いて安心したよ。もうしばらくこうしていてもいいか?」

「……ああ。それから、こちらも失礼するぞ」

「え?」


 将志は手にした杯を置き、藍の肩に手を回して優しく抱き寄せた。

 藍はしばらくキョトンとした表情を浮かべていたが、状況を認識すると嬉しそうに眼を細めた。


「……珍しいな、将志が抱き返してくれるなんて」

「……お前がずいぶん酔っているように見えるのでな。尻尾の力だけでは心許ないし、転げ落ちてお前の服が汚れたら大変だろう?」

「そうか……では、これから将志と会うときにはしこたま酒を飲んでおくことにするよ」

「……ほどほどにな」


 藍はうっとりとした表情で将志の頬を撫で、将志は苦笑いを浮かべながら藍の髪を撫でる。

 その周囲に漂う甘ったるい空気に、近づくものは誰一人としていなかった。

 それを見た妹紅は、げんなりとした表情を浮かべた。


「……うっへぇ……何だ、あの甘い空気」

「……爆発しねえかな、あの槍。なあ、雷禍?」

「全くだ。つーか、奴はいつかこの手で爆発させてやる」


 目の前で藍とイチャつく将志に、善治と雷禍はどす黒い視線を送る。

 そんな二人に、慧音は苦笑いを浮かべながら話しかけた。


「こらこら、モテない男の妬みは醜いぞ。雷禍は見た目だけはかなり良い線いっているし、善治はとても頭が良い。モテる要素はあるのだから、他人を僻むのは止めるべきだ」

「マテや。見た目『だけ』はっつーのはどういうことだ、あぁ?」

「それは自分で考えるべきだ。さて、それでは私は先に帰るぞ」

「そうか。それじゃ、私は銀月の様子でも見てくるかな。雷禍はまた六花のところに行くのか?」


 妹紅はそう言いながら、雷禍に眼を向ける。すると雷禍は、少し考えた後にゆっくりと首を横に振った。


「……いや、今日はそんな気分じゃねえ。俺も帰るとすっかね」

「何だ、いつもの雷禍らしくないな。どうかしたのか?」

「特に大したことはねえんだがな。ちっと野暮用だ」


 いつもと様子の違う雷禍に慧音は首をかしげる。しかし、雷禍は苦笑いを浮かべてそう言ってはぐらかした。

 雷禍の眼は虚空に向けられており、心ここにあらずといった様子であった。

 そんな雷禍の様子を見て、善治は小さくため息をついた。


「……と言うことは、俺も帰ることになるな」

「そうか。それじゃあ、また次の宴会だな」

「おう。じゃあな」

「またな」


 雷禍と善治はそう言って軽く挨拶をすると、雷禍が善治を担ぎ上げて帰路に着いた。

 二人は寄り道することなく、まっすぐ家に帰っていく。そして家に着くと、善治は戸締りを確認してから雷禍の前に座った。


「で、雷禍。あの亡霊姫といったいどういう関係なんだ?」

「別にそこまで大した関係じゃねえ……とは、流石に言い切れねえか。ま、大昔にちっと縁があったんだよ」


 そう話す雷禍の視線は窓の外を向いている。

 そこにあったのは桜の木。花が散り、青葉が茂り始めたそれを、雷禍は昔を懐かしむような、それでいて、どこか憑き物が落ちたような表情を浮かべて見ていた。


「縁?」

「ああ。ま、知りてえなら俺の過去を覗いてみな。千年以上昔、俺とあの女、西行寺 幽々子の接点をな」

「……分かった。それじゃあ、失礼するぞ」


 雷禍はそう言うと、雷禍の過去を覗き込んだ。






「や~れやれ、大陸はどこもかしこも戦争だらけだな。くわばらくわばら」


 青く風変わりな装いの一人の男が、海の上を滑るように飛びながらそう呟いた。

 男は島国で生まれた雷獣であるのだが、退屈になって故郷を飛び出し、世界中を長い年月を掛けて旅をしてきたのだ。

 その旅は男の好奇心を満たすのに十分であった。そして、たった今故郷である島国へと帰ってきたところであった。


「さ~て、わが故郷の島国と。日ノ本なんて大層な事言ってっけど、このまま朝日の方角にずっと飛んでったら、日の沈む大陸があるんだよな……変なの」


 男はそう呟きながら、都の方角へと飛んでゆく。長いこと孤独な旅を続けていたせいか、すっかり独り言が増えてしまったようである。

 その行く先には、山が淡く暖かな紅色に染まっているのが見て取れた。


「ん~、どうやら春に帰り着いた見てえだな。見事に桜が咲いてやがる」


 桜が満開になっている山を見て、男はしばし考え事をする。


「おっし、せっかくだから酒でも買って、花見酒とでも洒落込みますか!」


 そして、即座に実行に移すのであった。

 酒屋を捜して酒を買い、花見が出来そうなところを探す。しかし、貴族達も考えることは一緒のようで、桜が見ごろを迎えている場所では必ずといって良いほど貴族達が宴席で騒いでいた。


「ちっ、どこもかしこも混んでやがんな……風情もへったくれもねえ。どっか良いとこは無いもんかねえ?」


 男はぶつぶつと呟きながら、花見の出来る場所を探す。

 すると、とある大きな屋敷の敷地内に、周囲に誰も人が居ない桜の木を発見した。


「お、ここ空いてんじゃねえか。ここにすっか」


 男は不法侵入だとかそういうことを特に考えることなく、そこで花見をすることを決めた。

 そんな彼を迎えたのは、見事な花をつけた桜の老木であった。

 その桜は、鮮烈でありながら儚げで、見るものを釘付けにするような幻想的なものであった。


「……こりゃあすげえな……」


 男の口から、思わず素直な感想がこぼれ出る。目の前の古い桜は、長い年月を生きてきた彼をもってしても、これ以上の物はないと言わしめるだけものであった。

 持ってきた酒のことなどすっかり忘れ、ただ黙って目の前の桜を見上げる。


「誰?」

「んあ?」


 そんな彼に声をかけるものが一人。男が振り返ってみると、そこには桃色の髪の美しい少女がたたずんでいた。

 その表情は虚ろで、そもすれば消え去ってしまいそうな様子であった。

 男は彼女の姿を認めると、特に悪びれた様子もなく手をひらひらと振った。


「あ、お邪魔してま~す」

「出てって」

「まあ、そんな固いこと言いなさんなって。ちっと酒飲んだら出て行くからよ」

「良いから出てって! まだ死にたくないでしょう!?」


 少女がそう叫んだ瞬間、男は空気が凍りつくような感覚を覚えた。それは、自らの生存本能が察知した、濃密な死の気配によるものであった。

 その意味を理解して、男は不敵な笑みを浮かべた。


「ははぁ……なるほど、そういうことかよ」

「分かったでしょう? さあ、早く出て行って!」

「かっはっは! 笑わせんな、この程度で俺がどうにかできると思ってんのか? そらよ!」

「きゃっ!?」


 まるで全てを拒絶するように叫ぶ少女を、男は近寄って突然抱きしめた。

 思いもかけない男の行動に、少女は不意を突かれて思考が停止する。そんな彼女を見て、男は得意げに笑った。


「どうだ? こうしたって俺は全然平気だぜ?」

「いやあっ!」

「おぶうっ!?」


 そんな男の顎に、我に返った少女の拳が突き刺さった。少女の渾身の一撃を受けて男は少女を手放し、後ろに下がった。


「いてて、顎の先たぁ痛えところを殴ってきやがる。手、大丈夫か?」

「いった~い……」


 男が話しかけると、少女は殴った手を痛そうに振っていた。どうやら、堅い顎の骨を殴ってしまったために手を傷めてしまったようである。

 そんな彼女を見て、男は小さくため息をついた。


「ったく、慣れもしねえのに拳で殴るんじゃねえの。下手に骨を殴ったりすっと、自分の手のほうが壊れちまうんだからよ」


 男はそう言うと、腰に提げた巾着から小さな薬壷を取り出し、中に入っていたすり潰された薬草を布に塗ると、それを少女の痛めた手に巻きつけた。

 少女はそれを呆然とした様子で眺め、湿布された手をまじまじと見つめる。そんな彼女を見て、男は怪訝な表情を浮かべた。


「なんだ? 湿布がそんなに珍しいのかよ?」

「……なんで平気なのかしら?」


 男の言葉に、少女は視線を自分の手に湿布を施した男に向けた。その眼はとても不思議そうで、男の体を上から下までじっくり眺めている。

 そんな彼女に、男は首をかしげた。


「んあ? 平気って、何が?」

「私の近くに居て、何も無いのかしら?」

「何かあったらこうやって酒なんて飲んでねえっつーの」

「貴方……いったい何者?」


 少女は怪訝な表情を浮かべながら、目の前でのんきに酒を飲んでいる男に問いかける。

 すると男は、ニヤリと笑みを浮かべた。


「何者っつったら、俺は雷獣だぜ? こわ~い妖怪だぜ?」


 男は体の回りに青白い稲光を走らせながら、少女にそう言い放った。その不敵な笑みからは、力への自信が感じ取れた。


「……妖怪って、もっと恐ろしいものだと思ってたわ」


 少女の何気ない一言に、男は思わずその場ですっこけた。そして素早く起き上がると、少女に詰め寄った。


「おい、どういうこったテメエ!?」

「だって、本当に怖い妖怪なら、高い薬を使ってまで人間の手当てなんてしないわよ。妖怪って、思ったより優しいのね」


 少女は穏やかに微笑みながら男にそう話した。その瞳には、先程までの虚ろな表情は残っていなかった。

 そんな少女の笑顔に、男は不機嫌そうに屋敷の縁側に座った。


「ちっ、勝手に言ってろ。その代わり、酒の肴に俺の話に付き合いやがれ」

「ええ。いいわよ」


 男はそう言うと、少女に話を始めた。男は酒を飲みながら、旅をしてきたことを話し始める。

 少女はその話を、楽しそうに聞いていた。自分が知っている世界よりも更に広い世界の語る男の話は、少女にとって興味深いものであった。

 そしてしばらくして瓶の中の酒がなくなり、杯の中の最後の酒を飲み干すと、男は立ち上がった。


「っと、酒が切れたな。さてと、俺はこれで帰るとしますかね」

「そう。それじゃあ、今度はお酒を用意して待ってるわ」

「おいおい、そんなこと言われたらまたここに来ねえといけなくなるじゃねえか」


 少女の言葉に、男はそう言って笑みを浮かべる。


「ええ。そうなるように、そう言ったんですもの」


 すると、少女もそう言って小さく微笑み返した。どうやら、少女は男の事が気に入ったようであった。

 そんな彼女の言葉に、男は楽しげに笑い出した。


「かっはっは! こりゃ来ねえ訳にはいかねえな! んじゃ、また来るわ!」


 男はそう言うと、屋敷を後にした。

 それからしばらくの間、男は時たま屋敷を訪れては少女に話をした。

 少女は自分の能力が及ばない男の話を楽しげに聞いていた。長い年月を広い世界を旅することに費やしてきた男の話の引き出しは多く、少女を退屈させることはなかった。

 ある日、少女はふと疑問に思ったことを男に尋ねることにした。


「ところで……貴方、お名前は?」

「あ? 何だ、いきなり?」

「だって、貴方何度も会ってるのに一度も名乗らないし、私の名前も聞こうとしないじゃない。どうして?」


 少女は不思議そうな表情で男の顔を眺める。そんな少女に、男は小さく首を横に振った。


「そりゃ、名前を交換したところで俺にゃ意味がねえからだ」

「どういうことかしら?」

「大体、一度会った奴にそうそう何度も会うことがねえからな。名前を覚えたところでどうしようもねえ。で、呼ぶ奴が居ねえもんだから、俺の名前もねえって訳」


 男は広い世界を長い年月を掛けて旅してきた。その間に多くの人間や妖怪達に出会ってきたが、戦争や討伐などを受けて死ぬものも多く、再び会える確立は限りなく少ないのであった。

 二度と会わないのであれば、名前を覚えていても意味がない。それがこの男の考え方であった。故に、この男は名前を持つことをしなかったのだ。

 その話を聞いて、少女は軽く頷いて口を開いた。


「そう。それなら、私が貴方に名前を付けてあげるわ」

「あぁ? いらねえよ、んなもん。俺は名無しの雷獣で十分だっての」

「私が貴方を呼ぶときに困るのよ。酒代代わりに受け取りなさいな」


 申し出を断る男に、少女はそう言って食い下がる。その言葉を聞いて、男はため息と共に肩をすくめた。


「へいへい……で、俺は何てお名前なんですかね?」

「そうね……それじゃあ、貴方の名前は雷華。雷の華と書いて雷華よ」


 少女は男に、そう言って名前をつけた。自分に付けられた名前を聞いて、男は唖然とした表情を浮かべた。


「はぁ? おいおい、俺が華なんて柄かよ? どうせ付けんならもっと男らしい名前をつけろや」

「嫌よ。私はもうそう呼ぶって決めたんだから、貴方は雷華。姓は……どうしようかしら?」

「待ちやがれ、テメエが考えたら乙女っぽい名前になりそうだから自分で付けらぁ。そうだな……轟。これならいいだろ」


 引き下がろうとしない少女に、男はそう言って先手を打った。その男の行為に、少女は面白くなさそうに頬を膨らませた。


「……もう少し可愛らしい名前があるでしょうに……」

「うるせえ。男なら、可愛いよりは勇ましい方がいいだろうが。というか、これ以上かわゆい名前にするのは勘弁してください」


 男はそう言って、少女に向かって土下座を敢行した。男として、あんまり可愛い名前になってしまうのは避けたいようであった。

 そんな彼の大げさな行動を見て、少女はクスクスと笑った。


「私の名前は西行寺 幽々子よ。貴方のお名前は?」


 少女は自分の名前を静かに告げ、男に名前を尋ねる。

 それに対して、男は幽々子に怪訝な表情を向けた。


「んあ? 何だ、いきなり?」

「貴方の最初の名前交換よ。習慣にしないと、せっかく付けた名前も忘れてしまうでしょう?」

「……拒否権はねえの? ぶっちゃけめんどいんだけど」

「…………」


 面倒くさそうにする男に、幽々子は白い眼を向ける。そして、しばらくそうしていると、いたたまれなくなった男は小さくため息をついた。


「……へいへい」


 男は小さくそう言うと、自分に付けられたばかりの名前を思い出して確認する。


「俺の名前は轟 雷華だ」


 そして、男は自らの名前を始めて口にした。それは、酷く投げやりな自己紹介であった。


「ええ、宜しくね、雷華」


 その短い自己紹介を聞いて、幽々子は満足そうに笑った。

 しかし、雷華のほうは何やらそうではない様で、何やら肩を抱いて震えていた。そしてしばらくすると、突然叫びだした。


「……くぁぁ~! 背中がぞわぞわするぅ~!」

「どうかしたのかしら?」

「いや、だって絶対似合わねえって、この名前!」

「でも、自分で名乗ったからにはそれが貴方の名前よ、雷華」

「ぎにゃああああああ! は、恥ずかしくて、死ぬる……」

「ふふふふふ、大げさよぉ、雷華」

「ぐふぇあぁ!?」


 自分の名前を呼ばれるたびに、雷華は頭を抱えて身悶える。そんな彼の反応が楽しくて、幽々子はその名前を呼び続けるのであった。

 それからまたしばらくの間、雷華と幽々子の交流は続いた。

 老いた桜が花を散らし、緑の葉をつけ、枯葉を落とし、雪化粧をする。

 その様子を見届けながら、雷華が屋敷の外に出られない幽々子に、外を出歩いて見かけたことや、ふと思い出した旅の途中でであった物事について話をする。

 幽々子は雷華の話を興味深げに聞き、その感想を述べていく。雷華も話を返してくれる幽々子と話すことを楽しんでいた。


「……死んでしまったら、どうなるんでしょうね」


 そんなある日のこと、幽々子はポツリとそう口にした。

 それを聞いて、雷華は飲んでいた酒を脇に置いて幽々子に眼を向ける。


「ん~? いきなりどうしたっつーんだ?」

「私の周りでは、どんどん人が死んでしまうわ。その魂は、どこに向かっていくのかしら?」


 どこか遠い目で空を眺めながら、幽々子は雷華にそうたずねる。それは、自らが死なせてしまった者達を思い出しているようにも見えた。

 そんな彼女に、雷華は小さく笑って答えた。


「知らねえよ。蝶にでも聞いてみたらどうだ?」

「蝶に?」

「ほら、よく言うだろうが。蝶は霊を運んでくるって奴だ。大陸のどっかの国じゃ、蝶は復活とか魂の象徴だったりするらしいぜ」


 首を傾げる幽々子に、雷華はそう言って答える。それを聞いて、幽々子は感心して頷いた。


「霊は聞いたことが有るけど、復活の象徴って言うのは初めて聞いたわ。それじゃあ、今まで私が死なせてしまった人達も、蝶が生き返らせてくれるのかしら?」

「さあな。けど、そう信じたほうが夢があるんじゃねえの?」

「夢、ね……」


 幽々子はそう言って、しばらく考え込む。そして、再び雷華に目を向けて口を開いた。


「ねえ、雷華。貴方の夢って何かしら?」

「んぁ? 何だ、いきなり?」

「貴方は色んなところを、ずっと一人で旅してきたじゃない。どうしてそんなことをしているのかしら?」

「どうしてかっつーのを訊かれてもな。何となく楽しいから、としか言いようがねえな」


 幽々子の質問に、雷華は困ったような苦笑いを浮かべてそう答える。

 その回答に、幽々子は少し面白くなさそうな表情を浮かべた。


「それじゃあ、ここに来てるのも何となくなのかしら?」

「ばーか、ここに来てるのは何となくじゃねえよ。ただで酒が飲めて、ちょうどいい話し相手が居るからだよ」


 雷華はそう言いながら、幽々子の額を人差し指で軽く押した。

 それを聞いて、幽々子は少し嬉しそうに微笑んだ。


「それは良かったわ。これで何となくとか言われたらお酒に毒を盛ってたわよ」

「うげ……もう少しで毒を盛られるところだったのかよ……くわばらくわばら」


 笑顔で物騒なことを言う幽々子に、雷華は顔を蒼く染めてそう呟いた。

 そして一口酒を飲んで落ち着くと、幽々子に問いかけた。


「そいや、お前には夢って何かないのか?」

「……今の私じゃ、何も出来ないわよ」


 雷華の質問に、幽々子は暗い表情でそう答える。自分が外に出ると、人を死なせてしまう。その思いが幽々子の心に影を落としていた。

 その様子を見て、雷華はため息混じりに頭をかいた。


「おいおい、そう腐れんなよ。願うだけならタダなんだぜ? 夢がありゃ、それだけで生きるのが楽しくなるってもんよ」

「そんなものかしら?」

「おうよ。ほれ、何でも良いからしたいことを言ってみな」

「そうね……いろんな所に行って、美味しいものをいっぱい食べたいわ」


 幽々子は少し考えてから、思いついたことを口にした。

 すると、雷華は腹を抱えて笑い出した。


「ぷっ……かはははは! 何だそりゃ!? 花より団子、色気より食い気ってか!?」

「な、何よぉ、笑うことないじゃないの!」

「ははは、わりぃわりぃ、あんまり予想外だったんで、ついな。そうか、そりゃ良い夢じゃねえか。いつか叶うといいな」

「叶うかしら?」

「知らねえよ、そんなこと。けどまあ、叶えようとしなけりゃ叶わねえことだけは覚えておきな」


 少し不安そうな幽々子の質問にそう言って答えると、雷華はスッと席を立った。


「んじゃま、今日はこれで失礼するぜ」

「……ええ」


 幽々子の返事を聞くと、雷華は荷物をまとめて飛び去っていった。

 雷華は、少し寂しそうな彼女の視線に気づくことはなかった。


 数日後、雷華はいつものように幽々子の待つ屋敷へとやってきた。

 そんな彼を、幽々子は硬い表情で迎え入れた。


「……来たのね、雷華」

「おう、タダ酒呑みに来たぜ、幽々子」


 幽々子の言葉に軽い口調でいつものように返事をする雷華。

 そんな彼の様子を見て、幽々子は静かに俯いた。


「無理、しないでちょうだい」

「んぁ? 何だ、いきなり?」

「……段々と、私の『人を死に誘う程度の能力』が強くなってきているのよ。そして、それが貴方にも影響が出始めているわ」

「んな馬鹿なことがあるかよ。見てのとおり、俺は元気だぜ?」

「全然違うわ……そんな蒼い顔で言われても、強がりにしか聞こえないわよ……正直につらいって言ってちょうだい」


 幽々子はそう言いながら、悲痛な面持ちで雷華の顔を見やった。

 雷華の軽快な口調とは裏腹に、その顔からは血の気が失せ、頬はこけ、まるで死人のような顔つきに成り果てていた。それは、明らかに幽々子の能力が効果を表している証拠であった。

 それを幽々子に指摘され、雷華は大きくため息をついた。


「やれやれ……流石に顔色までは誤魔化せねえか。ああ、その通りだ。ぶっちゃけ、息は苦しいし寒気が止まらねえ。死の気配が近くにあるのがよく分かるぜ」

「それじゃあ、何でそんなになってまでここに居るのよ……」

「そりゃああれだ、ここで過ごす時間が楽しいからだ。今まで生きてきた中で五本指に入るくれぇな」

「死ぬのが怖くないの?」

「へっ、やりてえことをしながら死ぬんなら本望だ。命あるもの、いつ死ぬか何ざ分かりゃしねえんだ。なら、死を恐れたってしょうがねえだろ?」


 幽々子の言葉に、雷華は相変わらずの軽い口調で答えを返していく。その表情は晴れやかで、自分の身に起きること全てを受け入れようとしているようであった。

 そんな彼の優しい言葉が、棘となって幽々子の心に突き刺さる。楽しいからと言うたったそれだけの理由で、命がけで自分と一緒に居てくれる雷華。そんな彼が自分のせいで死んでしまうと言う事実に、彼女の胸は張り裂けそうになる。


「……やめてちょうだい……私は、貴方を死なせたくない……!」

「幽々子……」


 俯いて搾り出すような幽々子の声に、雷華の表情から笑みが抜け落ちる。幽々子の頬には幾重もの涙の筋が出来ており、地面をぬらしていく。

 雷華は何も出来ない。何故なら、今は何をしても幽々子を傷つけてしまうだけであると分かっていたからである。


「ごめんなさい……でも、これじゃあ貴方を死なせてしまうわ……だから、もう……来ないで……お願いよぉ……」


 泣きじゃくりながら、幽々子は雷華にそう言い放った。その言葉は自らに返り、刃となって心に傷を付けていく。

 雷華はしばらく幽々子を眺めた後、大きくため息をついて肩をすくめた。


「……へいへい、言われたとおりにしてやるから泣くんじゃねえよ。正直、テメエ何ざ星の数ほどいる人間の一人に過ぎねえんだ。俺は寂しくもなんともない。……だから幽々子、お前は安心して俺と縁を切れ」


 雷華はそう言うと、幽々子に背中を向ける。しかし、立ち去ろうにも幽々子のすすり泣く声に後ろ髪を引かれ、去ることが出来ない。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「だから泣くなっての。言ってなかったが、俺は泣き虫は嫌いだ。それに、俺を女を泣かせた男にするんじゃねえ」


 ひたすらに謝る幽々子に、雷華は抑揚のない声でそう口にする。

 彼は背を向けたまま上を見上げていた。その視線の先にあるのは、桜の老木。二人が出会うきっかけとなったその桜は散り始めており、物憂げな桜吹雪となって二人を包み込んでいる。

 幽々子から雷華の表情を窺うことは出来ないが、その背中が何かを語っているような気がした。


「雷華……」


 幽々子は袖で涙を拭い、歯を食いしばって泣きそうになるのをこらえる。

 すると、雷華はフッと小さく笑った。


「そう、それでいい。あと、もう俺の名前を口にするなよ。二度と会えない相手なんて、死人みたいなものだ。それもこういう場合は、思い出しても辛ぇだけだからな」


 雷華はそう言うと、三歩前に進んだ。その何万歩よりも距離のある三歩を、幽々子は黙って見送る。


「……じゃあな、幽々子」


 雷華はそう言って一つだけ手を振ると、振り返ることもなく空へと飛び立った。

 彼はどんどん高度を上げていき、雲の上へと上っていく。それと同時に、彼の周囲に暗雲が立ち込め、終いには巨大な積乱雲と化した。

 そして、雷華はその激しい暴風雨と雷が飛び交う真ん中で立ち止まった。


「ちきしょう……この、ド畜生がああああああ! 俺は、たかが人間の能力に負けたのか……女一人も救えねえのかよぉ!!」


 泣いている幽々子に何もすることが出来なかった自分の無力さを、雷華はそう言って泣き叫ぶ。

 その叫びは吹き荒ぶ嵐とけたたましい雷鳴にかき消され、誰の耳にも届くことはない。ただ、荒れ狂うその天気だけが周囲にその心の中を映し出している。

 しばらく叫んだ後、雷華は自分の顔を右手で覆った。


「……力だ。俺に力が足りねえからこうなったんだ……なら、どんな手段を使ってでも強くなってやらぁ!!」


 そう叫ぶ彼の瞳は、おぞましいまでの狂気に満ちていた。


 それからと言うもの、彼はただ力だけを求める荒れた行動を繰り返すようになる。

 強い妖怪が居ると聞いては戦いを挑み、力を得られる宝があると聞けば略奪し、大嵐を起こしては各地を荒らしまわる。

 そして、いつしか『雷華』と言う名前が広がり、その音だけを拾って彼をこう呼ぶようになった。


『雷禍』


 雷の華は、こうして禍の雷と成り果てたのであった。





「……こんなことがあったのか、雷禍」

「ああ、千年以上も昔の話だ。どうしようもなく弱くて、まだ何も知らねえ時代の話だ。今にして思えば、銀の霊峰の話が耳に入って来なかったのは不思議なもんだ。もっと早く六花の姉御や将志の兄貴に会えてりゃ、違ったのかも知れねえな」

「で、それからあんたは修羅道に堕ちたわけだが……今はそんなでもないよな? いったい何があったんだ?」

「ま、それもいろいろあったんだよ。とにかく、幽々子との出会いがなけりゃ、今の俺はねえよ。もっとも、自分より強ぇ六花の姉御に惚れちまった辺り、力に憧れただけなのかも知れねえがな」


 雷禍の過去から戻り、善治は雷禍に話しかける。それに対して、雷禍は昔を懐かしむような穏やかな表情で答えを返す。

 どうやら、今の雷禍にそのことに対する後悔はもう無い様である。彼はもう、その過去すらも自分の一部として受け入れているようであった。

 そんな彼に、善治は一つの質問を投げかける。


「……自分のこと、話さないのか?」

「ハッ、話すわけねえ。あいつは昔の辛ぇことを全部忘れて、俺が見たこともねえような笑顔で今を楽しんでんだ。今さら俺がしゃしゃり出て話すことなんざねえよ」


 雷禍は善治の質問を、そう言って一笑に付した。昔泣いていた友人が今笑っている。彼はその事実だけで十分だったのだ。

 そうして二人が話していると、玄関の戸を叩く音が聞こえてきた。


「あ~い、どちら様ぁ?」


 雷禍はそう言いながら、玄関の戸を開ける。


「こんばんは。先程振りね、貴方」


 するとそこには、青い服を着た桃色の髪の少女が立っていた。

 その予想外の来客に、雷禍の思考は一瞬停止する。


「……あぁ、さっきの姉ちゃんか。で、俺に何の用だ?」

「どうにも貴方のことが引っかかって仕方がないのよ。だから、貴方の顔を見れば思い出すんじゃないかと思って」


 少女はそう言いながら、雷禍の顔をじっと眺める。そんな彼女の話を聞いて、雷禍は呆れた表情を浮かべた。


「そんだけのためにわざわざうちの場所聞いてきたのか? そいつぁご苦労なこって。で、何か思い出したか?」

「う~ん、やっぱり駄目ねぇ。でも、何もないって訳じゃなさそうなのよねぇ……」


 幽々子はそう言いながら首をかしげる。余程雷禍のことが気になっているようで、雷禍が口で言っても動きそうになかった。

 一方、雷禍はどうしたものか考えながら幽々子と話を続ける。


「ああそうかい。んで、どうすんだ?」

「しばらく貴方の顔を眺めることにするわ。そうすれば、何か分かるかもしれないし」

「やぁん、そんなに見つめられると照れるぅ~」

「…………」


 頬に手を当て、くねくねと体をくねらせておどける雷禍。そんな彼を、幽々子は若干白い視線を交えながら見つめ続ける。

 その視線に耐えかねて、雷禍は大きくため息をついた。


「……悪かった、ふざけたことは謝るからそんな眼で俺を見んな。つーか、落ち着かねえからせめてただ見つめんのはやめれ」

「じゃあ、どうすればいいのかしら?」

「そうだな……ラーメンでも食いに行くか?」

「それはいいわね。ちょうどお腹も空いたことだし」

「……アンタ、宴会の時に何だかんだで俺より食ってたよな?」


 雷禍と幽々子は二人並んで夜の町へと繰り出していく。

 夜の人里は寝静まっており、明かりのついているのは居酒屋や一部の店くらいしかない。


「私の名前は西行寺 幽々子よ。貴方のお名前はなんて言うのかしら?」


 その途中、幽々子は何気なく雷禍に向かって自己紹介をした。

 それを聞いて、雷禍は眼を閉じ、天を仰ぐ。


「……轟 雷禍だ。宜しく頼むぜ、幽々子」


 そして、雷禍は自分の名前と相手の名前を噛み締めるようにそう口にした。その表情は穏やかな笑みで、少し嬉しさがにじみ出ていた。

 そんな彼の自己紹介を聞いて、幽々子は眼を閉じて考え込む。


「……やっぱり、何か懐かしい感じがするわ」

「そうか? ま、とりあえずラーメン屋に行こうぜ。あの店、宴会があったりするとあっという間に混むからな」

「そう。なら、急ぎましょうか。お腹が空いた状態で待たされたくないもの」


 雷禍と幽々子はそう言いあうと、足早にラーメン屋へと向かっていった。


「さてと、俺は寝るとするかね」


 そんな二人を、善治は小さく笑みを浮かべて見送るのだった。



 翌日から、雷禍はラーメン屋でバイトを始めることになった。


あとがき


 という訳で、雷禍の過去にスポットを当てた話でした。

 雷禍さんの名前が他の連中と毛並みが違うのは、こうしたほろ苦い経験があったからなのでした。

 なお、この後で幽々子は紫と会うようになるのですが、雷禍に言われたとおり彼のことは話題にあげなかったため、紫は幽々子が妖怪に会っていたことは分かっても、雷禍である事は知りません。


 ……それにしても、雷禍も随分と裏設定が組まれたキャラになってきたなぁ。



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