銀の月、来客を迎える
ある日の博麗神社の縁側で、紅白の巫女がお茶を飲んでいた。
「はぁ~♪ やっぱり銀月の淹れたお茶は美味しいわ~……」
巫女はその味にとてもご満悦の様子で、ほっこりとした表情を浮かべていた。
「そう言ってくれると、こっちも淹れた甲斐があるってものだよ」
そんな彼女の言葉に、赤い首輪をつけた白装束の少年がそう言って答えた。
彼は手に持った水饅頭の乗った皿を霊夢の隣に置くと、その横に座る。
「あら、気が利くじゃない。流石は執事ね」
「お褒めに預かり恐悦至極……と言いたいところだけど、これぐらいは出来ないと執事なんて勤まらないよ」
霊夢の言葉に、銀月はそう言って朗らかに笑う。
そんな彼に、霊夢が質問を投げかける。
「ところで銀月、明日の宴会の準備は出来てるの?」
「大体は出来てるけど、明日は何を作るかを考え中だよ。毎度毎度同じ料理だと、いくら好物でも飽きるからね」
「それもそうね……この前の宴会は一昨日だものね……」
銀月の言葉を聞いて、霊夢はそう言って苦笑いを浮かべる。
ここ最近、何故か宴会の回数が増えているのだ。このところは三日に一回宴会が開かれており、その度に会場となる博麗神社では、銀月が会場の準備に追われているのであった。
「でも、こういうのは嫌いじゃないさ。みんなが楽しめることは好きだしね」
しかし、銀月はそんな状況でも楽しそうに笑う。彼にとっては自分が苦労していることよりも、周囲の者が笑って過ごせることの方が余程大事なようである。
この辺りのことは、周囲に笑顔を振りまいて回る道化師の後姿を見ていたからこそのことであった。
そんな彼の言葉を聞いて、霊夢は呆れ顔でため息をついた。
「ちょっとは休みなさいよ。ここ最近あんた全然休んでないじゃないの。というか、お弁当屋さんの仕事は一日も休んでないじゃない。それに、修行だって一日に何時間も……」
「もう習慣だからね。逆に休むと調子が悪くなるんだ」
「むぅ……この仕事馬鹿の修行馬鹿」
霊夢はそう言いながら、不満げな表情を浮かべる。
霊夢にとって、銀月は食事などの世話をしてくれるだけでなく、気兼ねなく話の出来て、来客の無いときに程よく暇を潰してくれる相手でもあるのだ。
話題を振ると必ず反応をし、相手に次の話題を振りやすく返してくれる聞き上手な彼と話すのは割と楽しいのであるが、当の本人は同居人をそっちのけで仕事だの修行だのをこなしているので時間がなかなか取れないのが不満な様であった。
その言葉を聞いて、銀月は何かを思いついたようにぽんと手を叩いた。
「ああ、そうだ。実はちょっとした芸を覚えたんだ」
「芸? どんな芸よ?」
「使うのはこれさ」
銀月はそう言うと、懐からまだ青い銀杏の葉を取り出した。
それを見て、霊夢は首をかしげた。
「それを使ってどうするのよ?」
「こうするのさ!」
「っ!?」
銀月はそう言うと、突如振り向いて手首を返して物を投げる動作をした。
すると、近くにあった桜の木から何者かが落ちてきた。
「……え?」
「……気づかないとでも思った? そんなに気配も消さずに堂々としていて、本当に俺が気づかないとでも思ったのかい?」
「くっ……」
呆然とする霊夢をよそに、銀月は落ちた相手に冷たくそう言って話しかけた。
落ちてきた人影には、白い犬耳と尻尾が生えていた。
相手は弓を持っており、上着の袂には矢が刺さっている。その鏃には、先程銀月が持っていた銀杏の葉が刺さっていた。
銀月は飛んでくる矢を銀杏の葉で受け止め、その勢いのまま相手に投げ返したのだ。
相手の姿を確認すると、銀月は顔をしかめた。
「……君は妖怪の山の白狼天狗だな。俺に何の用だ?」
「それは私から説明します」
銀月が問いただそうとすると、横から目の前の者と同じ白い犬耳と尻尾が生えた女性が、十数名の取り巻きを連れて降り立った。
隊長と見られる女性は片手剣と盾を持っており、銀月が動けばすぐに動ける体制を作っていた。
銀月はそんな彼女に眼を向ける。
「突然の攻撃、失礼しました。白狼天狗第七哨戒部隊隊長、犬走 椛と言います。この度は銀月さんに天魔様からの召喚状をお持ちしました」
「……俺に召喚状?」
「これです」
椛は懐から召喚状を取り出し、銀月に手渡す。
銀月が怪訝な表情を浮かべながら中を見てみると、椿本人の字で銀月宛に召喚状が届いていた。
「……確かにこれは天魔様の直筆だね。でも、何で父さんじゃなくて俺に?」
「それは知りません。私はただ貴方にそれを渡すように言われただけですので。将志様の許可証も頂いています」
椛は銀月の質問に淡々と答えながら、将志の筆跡で書かれた、銀月の連れ出しを許可する旨の書簡を提示した。
それを聞いて、銀月は手にした召喚状を見ながら小さくため息をついた。
「父さんの許可まであるのか……なんにせよ、これをもらったからには行かないわけにはいかないか。父さんの面子もあることだし」
「待ちなさい。銀月、あんたいきなり襲ってきた相手についていくつもり?」
銀月の言葉を聞いて、霊夢が銀月の右手首を強く掴んで引き止める。
彼女の眼は目の前の天狗達を強く睨んでおり、今にも退治しようとしているようであった。
そんな霊夢に、銀月は苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だよ。他の天狗達ならまだしも、天魔様なら何回か会ったことがある。直筆の召喚状があるんならそこまで心配はいらないよ」
「そういう問題じゃないわよ! 相手が誰であれ、攻撃してきたんなら敵でしょうが!」
「あはははは、大丈夫だよ。だって……」
銀月がそう言った瞬間、どこからとも無く銀色の光の粒が流れてきて銀月の体の中に入り込む。
それと同時に、銀月から感じられる力がどんどん膨れ上がっていき、強い威圧感を感じるようになった。
「……俺には父さんがいるからね。俺が鬼の四天王と戦えるって言うのは誇張じゃないぞ? 俺を襲うって言うのなら、覚悟しろよ。まあ、君らくらいなら父さんの力を借りなくても大体戦えるだろうけどね」
銀月はそう言いながら、軽い敵意を籠めて椛を睨む。そんな銀月を見て、椛は大きくため息をついた。
「はぁ……そんな命知らずじゃないですよ、私達は。貴方を手に掛けたら将志様が出てくるのは眼に見えているじゃないですか」
「その割には、さっきの射は割りと本気で俺を殺しにきたと思ったけど?」
「天魔様の指示ですよ……奴なら飛んでくる矢を掴むくらいのことはやってのけるから、挨拶代わりに一発打ち込んでやれって……正直、万が一を考えて戦々恐々としてましたよ」
「……相変わらず、奔放な人だなぁ」
椛のその言葉を聞いて、銀月は大きくため息をついた。そして顔を上げると、周りを見渡して苦笑いを浮かべた。
「けどまあ、それくらいしないと君達も収まりは付かないだろうさ。プライドの高い天狗達が、戦神の息子ってだけで人間の俺に頭を下げなきゃならないんじゃさ」
銀月を取り巻いている若い白狼天狗の表情には侮蔑の視線が混じっており、見るからに敵意をにじませている。
そんな彼らにため息をつくと、銀月は身にまとった力を霧散させ、それと同時に椛に鋼の槍を向ける。
その突然の行為に、白狼天狗たちは一斉に銀月に攻撃を仕掛けた。十数本の征矢が銀月をめがけて飛んでいき、部下の天狗達が剣を抜き放つ。
「銀月!?」
「っと!」
銀月の突拍子も無い行為と天狗達の一斉攻撃に霊夢が叫び声を上げると同時に、銀月は飛んでくる矢を全て叩き落し、剣を持つ相手が一息で踏み込んでこれない所まで引き下がった。
何の躊躇もなく、牽制すら行わずに攻撃を仕掛けてきた天狗たちを見て、銀月は攻撃を仕掛けようとする霊夢を手で制しながら小さくため息をついた。
「やっぱりね。ちょっと槍を取り出しただけでこれじゃ、よっぽど嫌われてるみたいだね、俺は」
「何のつもりですか、銀月さん?」
目つきを鋭くした椛が、槍を片手に苦笑いを浮かべる銀月に話しかける。
すると、銀月は苦笑いを崩さずに肩をすくめた。
「ちょっとしたガス抜きかな? この状況、俺としてもちょっと我慢できないし」
「自惚れないでください。私達だって、いくら戦神の息子とはいえど人間に劣るほど弱くはないんですよ?」
椛はそう言いながら、鈍い銀色に光る鋼の槍を握っておどける銀月に剣を向ける。
その言葉を聞いて、銀月は眼を伏せた。
「……一つだけいいかい? 俺が銀の霊峰の門番の称号を持っているのは知ってるね?」
「ええ、それがどうかしたんですか?」
「……俺にはね、どうしても我慢できないことがある。それは、家族を侮辱されることだ」
「それが今、何の関係があるんです?」
暗い声の銀月の意図するところが分からず、椛は首をかしげる。
それを聞いて銀月は奥歯をかみ締め、槍を握り締める力が強くなる。
「……ああそうかよ、分からないのか。俺をただの人間として見下すってことは、銀の霊峰の門番を見下し、それを任命した父さんの目が曇ってるって言っているのと同じことだ。俺には、それがどうにも我慢ならない」
銀月が少し震えるような声でそう言って空いている左手を振ると、沢山の札が手品のように現れて銀月の回りに浮かびだした。
その札は冷たい銀色の光を放っており、一枚一枚から鋭い威圧感を感じられる。
そして、銀月はバッと勢いよく顔を上げた。
「来いよ、天狗共。お前がただの人間と見下した奴が、銀の霊峰の門番がどんなものかを教えてやる」
銀月はそう言うと、椛に槍の穂先をむける。その表情は能面の様な無表情であったが、その茶色の眼からは寒気がするほどの怒気が発せられていた。
それを見て、椛は剣を構えたまま、苦い表情でため息をついた。
「はぁ、失言でした……ここで引き下がったら、貴方も私の部下達も収まらないんでしょうね」
椛はそう言いながら自分の部下に眼を向ける。部下達は引き絞られた弓の様に待機しており、後は椛が手を放すだけの状態になっていた。
そんな彼らを見やると、椛は銀月に剣の切っ先を向けた。
「良いでしょう。ですが、私も白狼天狗としての矜持があります。一対一の勝負、こちらから申し込ませていただきますよ」
椛がそういった瞬間、天狗達から驚きの声と不満の声が上がる。どうやら、彼らは目の前の気に入らない人間をどうにかしたくてたまらないようである。
何故止めるんです! 俺にもやらせてくれ! など、怒声にも近い言葉が飛んでくる。
「黙りなさい! 貴方達、恥ずかしくないんですか! 自分達の姿を横から見たら、集団で弱いものいじめをしているようにしか見えないんですよ? 少しは恥を知りなさい!」
そんな血気盛んな部下達を、椛はそう言って一喝した。
それを聞いた瞬間、部下達は一斉に黙り込み、引き絞った弓や構えていた剣を収める。
それを確認すると、椛は銀月に小さく頭を下げた。
「うちの部下達の非礼、申し訳ございません」
「まとめて相手にしてやろうと思ったんだけどな、むしろ?」
「それを負けた理由にはされたくありませんので。これなら貴方も言い訳できないでしょう?」
苛立ちを隠しきれない銀月の言葉に、椛は冷ややかな視線でそう言い返す。
そんな彼女の態度に、銀月の口から思わず怒りを通り越した笑い声が漏れ出した。
「あははっ……言うねえ。君も、本当は俺のことを面白く思っていないだろう?」
「……ええ。私だって、人間に見下されるのは御免ですから」
二人はそう言い合いながら、お互いに武器を構える。
すると、椛が銀月に疑問を投げかけた。
「将志様の力は使わないのですか?」
「……それに頼りきりにならなきゃいけないんなら、俺は門番になんかなれないよ」
椛の質問に、銀月は虚ろな笑みを浮かべながらそう言って答える。
もはや銀月には椛の言葉が全て侮蔑の言葉に聞こえ、自分の父親を貶されている様にしか思えないようである。
一方の椛も、人間である銀月の言葉の一つ一つが、天狗という存在を軽く見ているように聞こえており、剣を持つ手に力が篭る。
「行くぞ!」
先に仕掛けたのは銀月。銀月は手にした鋼の槍を無駄のない動きで素早く突き出す。
それは一切の小細工を排した、愚直なものであった。
「当たりません、そんなもの!」
椛はその音のない攻撃を盾で受け流し、銀月の懐に入り込もうとする。
「まあ、そうだよね!」
「っ!?」
その椛に向かって、銀月はいつの間にか取り出していた札を左手の指に挟み、彼女が攻撃を仕掛ける前に大きく踏み込んだ。
そして想定外の行動に眼を見開く椛に向かって、銀の刃と化した札を振るう。
椛はそれを見て、とっさに盾で銀月の左手を受けようとする。
「散!」
「わっ!?」
攻撃を受けた瞬間、銀月が手にした札が激しい閃光と轟音と共に大爆発を起こした。
その衝撃により、椛は盾ごと体を弾き飛ばされ、大きくのけぞった。
「……まずは一本。と言っても、これじゃあただの初見殺しだけどね」
体勢を崩した椛の首に、銀色に冷たく光る札が突きつけられる。
銀月の声は一切の感情を押し殺した平坦なものであり、その眼は椛を視界に入れてはいない。
そんな銀月の態度に、椛は即座に体勢を立て直して剣を向ける。
「油断した、って言っても言い訳にもなりませんね……ですが、次はありません」
「ふっ、果たしてそうかな?」
苦い表情を浮かべる椛に、銀月は挑発するように笑いながら言葉を返す。
その言葉を聞いて、椛は手にした剣を強く握り締めた。
「……次は、こちらから行きます!」
椛はそう言うと、銀月の退路を断つように弾丸を放ちながら斬りかかる。
その斬撃が銀月に届く瞬間、銀月の姿は椛の視界から一瞬で消えうせた。
「えっ?」
「そこだ!」
目の前で起きた事態に、椛は一瞬呆けた表情を浮かべて止まる。
その隙を逃さず、銀月は札を貼り付けた右腕で彼女の鳩尾を横から殴りつけた。
「散!」
「あがっ……」
死角からの相手の虚を突いた攻撃を、椛は避けきれずに鳩尾に受ける。それと同時に銀月の手に張り付いていた札が爆発し、椛は吹き飛ばされて砂利を跳ね上げながら地面を転がった。
彼女はそのまま気を失い、動けなくなった。
「……もう終わりか。案外あっけなかったな」
銀月は小さくため息をつきながらそう言うと、もはや興味も無いといった様子で左手に持ち替えていた鋼の槍を収納札にしまった。
「この、調子に乗るなぁ!」
「よくも隊長を!」
その様子を見て、我慢できなくなった椛の部下達が銀月に攻撃を仕掛け始めた。天狗達は弓を引き絞り、剣を抜き放って銀月に襲いかかろうとする。
そんな白狼天狗達を見て、銀月は盛大にため息をついた。
「……君達、銀の霊峰を舐めすぎ」
銀月はそう言いながら、パチンと右手の指を鳴らした。
するとその瞬間、天狗達一人一人に向かって銀月の周りに浮かんでいた札が素早く飛んでいき、彼らの至近距離で白い閃光とともに爆発が起きた。
白狼天狗達はその爆発によって、ことごとく打ち倒されていく。それを確認すると、銀月は苛立たしげに息を吐いた。
「ふん、隊長の意思も酌めない三下共め。出直して来い」
銀月は苛立たしげにそう言うと、右腕を軽く振る。
すると、辺りに散らばっていた札がその手の平に戻ってきて、銀月の服の中へと消えていく。
それと同時に気を失っていた椛が眼を覚まし、殴られた腹をさすりながらゆっくりと体を起こした。
「うっ……貴方、本当に人間ですか? 聞いていた以上に強い……」
「俺は人間だよ。ただ、他人とはちょっと違うけどね」
銀月は憮然とした表情で右手をひらひらと振りながら、いつもの質問に答える。
彼の右手には火傷があり、火ぶくれを起こしている。
「その手……」
「ああ、これ? 手の中で札を爆発させたときにちょっと制御を失敗したんだ。ちょっと冷静さを欠いていたよ」
銀月はそう言いながら小さく息を吐き出し、眼を閉じて手に力を籠める。
すると火ぶくれを起こしていた右手の様子が見る見る良くなっていき、終いには跡形もなく完治した。
その人間にあるまじき様子を見て、椛は呆れた表情を浮かべた。
「……銀月さん、貴方はもう人間を騙るのをやめてください。完全に詐欺ですから」
「これは俺の能力でできるようになってるんだ。俺自身はちゃんと人間だぞ?」
「ご冗談を。そうだとしても、普通の人間なら自分が怪我をするような戦い方なんて出来ませんよ。で、貴方は何の妖怪なんですか?」
「だから、俺は人間だって言ってるでしょう!」
自分が人間であると主張する銀月と、銀月が妖怪であると信じて疑わない椛。
二人の口論は、段々と白熱し始めている。
「ちょっと、そこのあんた。銀月にそんなこと言っちゃダメよ」
そんな折、霊夢が椛に話しかけた。彼女は銀月が勝利を収めたことで気分がすっきりしたのか、先程までの敵意は鳴りを潜めている様である。
その言葉を聞いて、銀月は大きく頷いた。
「そうだぞ。いくらなんでも……」
「銀月は銀月と言う種族の妖怪なんだから、覚えておきなさい」
「って、霊夢ぅぅぅぅぅ!?」
「なるほど、そういうことなら納得です。これからは種族を聞かれたら銀月って答えてくださいね、銀月さん」
「そこ! それで納得しない!!」
霊夢のまさかの裏切りに、銀月は大慌てで止めに入る。しかし椛は霊夢の言葉に深く同意したようで、嬉々とした表情で銀月に話しかけるのだった。
「いやはや、将志様の息子さんがどれほどのものかと思って見ていましたが……あの親にしてこの子ありですねぇ」
そこに、空から高下駄を履いた黒い翼の生えた少女が降り立った。
その姿を見て、椛が驚きの声をあげた。
「文様!? どうしてここに?」
「戦神様が溺愛しているお子さんの戦いが見られると天魔様に聞いて飛んできたんですよ。いや~、本当に人間なのかを疑う強さでしたねぇ」
文はそう言いながら、銀月にゆっくりと歩いて近づいていく。
そして隣まで来ると、にっこり笑いながら銀月の肩に手を置いた。
「……ねえ、魔法少女シルバームーンさん?」
「ぶっ!?」
文の言葉を聞いて、銀月は思わず噴出した。
まさか、その方向の話題を切り出されるとは思っていなかったのだ。
「な、何で……」
「いえいえ~、一度貴方がそういうことをしていたのを見たものですから♪ そのときは、まさか将志様のお子さんだとは思いもしませんでしたけどね」
あのときに知っていればスクープだったのに、と文は口惜しそうにそうこぼしながら、魔法少女について書かれた新聞記事を銀月に手渡す。
その記事に掲載されているシルバームーンの写真を横から覗き込みながら、霊夢が銀月に話しかけた。
「よかったじゃない、銀月。役者としての顔が売れるかもしれないわよ?」
「……こんな売れ方はしたくなかったなぁ……」
にこやかにそう話す霊夢の眼は、まるで何かを哀れむような瞳で銀月を見ていた。
そんな霊夢の視線を受けて、銀月はがっくりと肩を落とすのだった。
その銀月に、椛が少し困惑気味に話しかける。
「あの……シルバームーンの正体って、本当に銀月さんなんですか?」
「……残念ながら、本当に俺だよ」
「それじゃあ、登場のときの口上を言ってみてください」
「えー……なんでまた……」
「まあ、そこは気にせず」
椛の要望を聞くと、銀月はげんなりとした表情を浮かべて彼女に眼を向ける。
椛の眼に満ちていた先程までの敵意はどこかへ吹き飛んでおり、どちらかと言えば好奇の視線で銀月を見ているようであった。
そんな彼女を見て、銀月は力なく首を横に振った。
「はぁ……分かったよ……」
銀月はそう言うと、観念したように大きくため息をついた。
そして次の瞬間、カメラのフラッシュのようなまばゆく白い光が銀月から発せられた。
「っ!?」
「うっ!?」
「わっ!?」
突然の強い光に、三人はその目を覆う。
そして光が収まると、そっと眼を開けた。
「心の闇は夜の闇……その闇照らすは月明かり……闇に迷うその心、私の月が照らしましょう……魔法少女シルバームーン、ただいま参上!! 世にはびこる悪の手先よ、月の光に懺悔なさい!!」
するとそこには、白と青を基調としたフリフリのコスチュームに白いマントをつけて三日月の飾りが付いた長い杖を持ち、ノリノリで口上を述べてポーズを決める銀月が立っていた。髪は青みを帯びた銀色の髪をサイドポニーにしており、声も可愛らしい少女の声に変わっていた。
それを見た瞬間、天狗二人の眼が光った。
「おお、本人直々に披露してくれるとは! 早速取材を……」
「わ~、本物です!」
「うきゃっ!?」
文が取材を始める前に、椛が真っ先に魔法少女と化した銀月に突撃をかけた。
そのあまりの勢いに、銀月は思わず身を引いた。
「ど、どうしたの?」
「一度直接会いたかったんですよ! だって、そんなに可愛いのに悪を退治するなんて、格好良いじゃないですか!」
「そ、そう? にゃはは、ありがとう♪」
椛の尻尾はばたばたと振られており、その眼は憧れのヒーローを見る少年のようにキラキラと輝いていた。
そんな興奮気味の椛に、銀月は少し困惑しながらも愛想のいい笑顔で返事をする。
その様子を見て、霊夢が唖然とした表情を浮かべていた。
「……いったい何事?」
「あー……そういえば、椛はこの手の勧善懲悪物の話が大好きでしたね……」
文は椛の様子を見て、乾いた笑みを浮かべて頬をかく。よく見ると、周囲で倒れていた部下達も普段は見せない隊長の無邪気な態度にぽかーんとした表情を浮かべていた。
そんな周りの様子など構う様子もなく、椛は銀月に話しかける。
「あの、シルバームーンさん! 私に魔法を見せてくれませんか!?」
「う~ん、魔法は相手を懲らしめるときにしか使っちゃいけないんだよね……」
「……そうですか」
銀月が困った表情を浮かべてそう言葉を返すと、椛は残念そうに肩を落とした。
するとそこに、新しい人影が舞い降りてきた。
「キャハハ☆ み~つけた♪」
楽しそうな声と共に降りてきたのは、うぐいす色の髪に瑠璃色の瞳で、赤いリボンの付いたシルクハットをかぶった少女であった。
少女の左目の下には赤い涙の、右目の下には青い三日月のペイントが施されていて、はいている膝上くらいの長さの黄色いスカートにはトランプのマークが描かれていた。
その姿を見て、銀月は首をかしげた。
「愛梨お姉ちゃん? どうかしたの?」
「ノンノン♪ 愛梨なんて子は知らないよ、シルバームーンちゃん♪ 僕の名前はシエルピエロさ♪」
銀月の質問に、愛梨は人差し指を横に振りながら楽しそうに答えた。どうやら、銀月の演技に乗っかる形で芝居を始めているようであった。
それに気が付いた銀月は、シルバームーンの演技を続行する。
「シエルピエロ? それで、どうかしたの?」
「それはね……この子を攫いに来たんだよ♪」
「ひゃぁっ!?」
「あ、文様!?」
愛梨はそう言うと、近くに立っていた文を捕まえて空へ飛び上がった。その突然の行為に文は全く反応できず、更に抵抗しようとしても何故か妖術や能力の行使が出来なくなっていた。
それを見て、銀月は表情を一気に引き締め、杖を持つ手に力を籠めて愛梨を追いかけ始めた。
「っ! 何のためかは知らないけど、そんなことさせないよ!」
「キャハハ☆ それじゃあ、全力で取り返してごらんよ!」
愛梨がそう言うと、手にした黒いステッキから次々に短い虹色のレーザーが機関銃のように発射された。
その攻撃を急旋回やローリングといった、戦闘機のようにアクロバティックな動きで躱しながら、銀月は愛梨に向かっていく。
「行って、ルナビット!」
銀月がそう言うと、銀月の杖の先から五つの光の玉が飛び出して愛梨に向かって行った。光の玉は愛梨の周りを飛び回りながら、何度も何度も攻撃を仕掛けていく。
愛梨はそれを踊るような華麗な動きで次々に躱していく。
「キャハハ☆ ま~だまだ♪ クラウドウェブ♪」
愛梨がそう言って指を振ると、銀月の周りをくもの巣のように雲が取り囲んだ。その雲には強烈な冷気が蓄えられており、触れただけで凍り付いてしまいそうであった。
「こんなものじゃ、私は止められないよ! ムーンブレード!」
銀月は手にした杖の先端から三日月形の光の刃を作り出し、その雲を切り裂いた。それと同時に、銀月を取り囲んでいた雲はちぎれて消えてしまった。
そんな銀月を見て、愛梨は楽しそうに手を叩いた。
「やるね~♪ それじゃあ、これはどうかな? サンダーケージ♪」
「うわっ!?」
激しい稲光と雷鳴を共に一瞬にして現れた雷の檻に、銀月は思わずその動きを止める。
それを見て、愛梨はにっこりと浮かべていた笑みを更に楽しそうに深めた。
「そこぉ♪ レインバルカン♪」
「きゃあああ!?」
横から殴りつけるような激しい豪雨が、銀月に向かって襲い掛かる。
大粒の雨は突風によって吹き飛ばされ、相手にダメージを与えるのに十分な速度を持って打ち付ける。
その攻撃には回避する余地はなく、銀月はまともに受けてしまったのであった。
「シルバームーンがんばれー! もう文様ごと撃ち落しちゃってください!」
そんな苦戦している正義の魔法少女を、椛が下から一生懸命応援していた。
まるでテレビを見てはしゃぐ子供のような椛に、霊夢が呆れたようななんともいえない微妙な表情で話しかける。
「……ねえ、あの烏天狗、一応貴女の上司よね?」
「良いんです! 他の人質ならいざ知らず、人質が文様ならシルバームーンが勝つことの方が大事です!」
「あとで覚えておきなさいよ、椛ー!!」
椛の暴言に、文は手をバタつかせてもがきながらそう叫んだ。必死で逃げようとしているのだが、愛梨の力が見た目以上に強い上に妖術を封じられているので、逃げることが出来ないでいる。
そんな彼女を見て、銀月は歯を食いしばって愛梨をにらんだ。
「くっ、何とかして人質を助けなくっちゃ!」
「キャハハ☆ どうやってこの子を助けるのかな?」
「こうするわ、フェンリルリボン!」
「あ」
銀月の右手に突如現れた赤いリボンは、まっすぐに文に向かって伸びて絡みつき、愛梨の手から文の体を奪い去った。
愛梨は拘束技を人質の救出に使われると思っていなかったらしく、呆気にとられた表情を浮かべて手放した。
「くらいなさい、ムーンレイストーム!」
銀月は愛梨が人質を手放したのを見ると、そう言って手にした杖を空に掲げた。
すると杖の先から銀色の光の玉が空高く、勢いよく飛んでいき、強烈な光を放ち始めた。そして、その光はレーザー光線の雨となって、愛梨の頭上に降り注いだ。
「うきゃあ」
愛梨はピエロのように滑稽な仕草と声を上げて受身を取る。愛梨はレーザーの攻撃を少し肩に受け、若干のダメージを受けた。
そして自分の肩についた傷を見ると、肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「あ~あ、今日は調子が悪いみたい♪ 今日はもう帰るよ♪」
「逃がさないよ!」
「キャハハ☆ まだまだ君には捕まらないよ♪ それじゃ、まったね~♪」
逃げようとする愛梨に銀月は詰め寄るが、愛梨はマジックボックスの中に入るとその入れ物ごと幻のように消え去ってしまった。
「……逃げられちゃった……」
目の前から消え失せた愛梨を見て、銀月は悔しげな表情を浮かべた。
そんな銀月の元に、椛が全速力ですっ飛んできた。
「やりましたね! 悪の怪人から人質を無傷で救出するなんて、流石はシルバームーンです!」
「……そうだね。まずは人質が無事だってことを喜ばなきゃね」
はしゃぎまわる椛の言葉に、銀月はハッとした表情を浮かべた後で表情を緩めた。
敵を逃した悔しさを感じるよりも、人質が無事だったことに安堵する。
「はぁ……やっと開放されました」
銀月の腕の中から、ホッとした様子の少女の声が聞こえてくる。
その声に銀月は我に返り、腕の中の少女に優しく声をかけた。
「大丈夫? 怪我はない?」
「ええ、怪我はないです」
「にゃはは、それはよかった♪」
無事な様子の文を確認すると、銀月は嬉しそうに笑みを浮かべた。
それは見るものをつられて笑顔にさせるような、太陽のように暖かい笑みであった。
それを見て、文は微妙な表情を浮かべた。
「銀月さん、聞いていたよりもかなり可愛いですよね。それも、そこらの女子が嫉妬するくらいに」
「えへへ~、可愛い文ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな♪」
「……口説き癖は親譲りですか、そーですか」
頬を染め、照れた表情を見せる銀月に、文はそう言って呆れ顔でため息をついた。
銀月の仕草や表情はとても可愛らしく、またとても自然に行われている。それは銀月が演技のために研究に研究を重ね、体に染み込ませた仕草であった。
知らぬものが見たら可憐な少女と見紛うその様子を、椛の部下の白狼天狗たちはジーっと眺めていた。
「……何であれで男なんだろうな」
「あんなに可愛いのに……」
「というか、さっき女用の下着を穿いてたぞ、あいつ」
「げ、それマジかよ……て言うか、見たのか、お前は……」
「いや、待て。こうは考えられないか? 戦神の子供という立場上、男でなければならないというしきたりが存在し、自らの性別を隠すために男と偽り、男であるように育てられた。しかし本当は普通の女の子として過ごしたかった。だから自分が本来女であることを忘れないように、このようなことを演技と称して行っている……もし、これが正しいとしたら?」
一人の仮説を聞いて、白狼天狗たちは眼を閉じてその状況を妄想した。
「「「「……ありだな」」」」
白狼天狗の若者たちはそう言って深々と頷くと、銀月に再び眼を向ける。
「……っ!? な、なに、今の寒気?」
銀月は背中に薄ら寒いものを感じ、体を震わせた。自分の演技のせいで妙な話をでっち上げられていることには気づいていないようである。
銀月は大きく首を横に振ってその嫌な感覚を振り払うと、大きく深呼吸をした。
「さてと、演技はここまでかな。それじゃ、元に戻るね」
「待ってください! その前に、次回予告をお願いします!」
「はい? 次回予告?」
文の声に銀月が首をかしげると、どこからともなく黒子が現れて、何やら厚紙を取り出した。
「次回、『人里に迫る夜』」とだけ書かれたそれを見て、銀月は少し苦い表情を浮かべてため息をつくと、演技を再開した。
「う~ん、シエルピエロって何だったのかな~? そんなことを考えている間も、悪の手先は待っちゃくれないの!? 今度は人里で悪巧みをしてるみたい! 何をするのか知らないけど、絶対に止めなくちゃ! 次回、『人里に迫る夜』! 夜空に銀の月が輝く限り、悪が栄えることはない!」
明るくノリのいい声で、銀月はそう言いながら決めポーズをとる。そしてしばらくして、銀月は大きくため息をついた。
「……ねえ、何これ?」
「よ~し、これで次のネタが出来ましたね。え~っと、怪人役には誰を持ってきましょうか……」
「またシルバームーンの活躍が見れるんですね! 楽しみです!」
銀月の質問を聞き流しながら、文はニヤリと笑いながら手帳に何やら書き込んでいき、椛はキラキラと眼を輝かせる。
そんな二人の反応を見て、銀月は絶句した。
「……あれ、ひょっとしてまたこんなことするの?」
「……まあ、頑張りなさいな」
呆然とする銀月の肩を、霊夢が哀れみの視線を送りながら軽く叩く。それと同時に、銀月はがっくりと肩を落とした。
「なんかもうどうでもいいや……とりあえず、元に戻ろう」
銀月はそう言うと、白いマントで自分の体を一瞬覆い隠す。そしてそれが取り払われると、いつもの白装束に赤い首輪をつけた黒髪の少年が現れた。
少年はこの先のことに憂鬱なため息をつくと、大きく伸びをした。
「それじゃ、妖怪の山に行かないとね」
「あ、それ行かなくても大丈夫ですよ」
仕度を始めようとする銀月に、文がそう言って声をかけた。
その言葉を聞いて、銀月は怪訝な表情を浮かべた。
「……どういうこと?」
「天魔様は銀月さんが哨戒部隊を相手にどれくらい戦えるかっていうデータが欲しかっただけなんですよ。だから、貴方を迎えに行くのにわざわざ一部隊を差し向けたんですよ。まさか、これを瞬殺するほど強いとは思ってませんでしたけど」
また貴方に対する警戒度が上がりますねぇ、等と言いながら、文は自分の手帳を眺める。
手帳の中には先程の銀月と椛の戦いの様子、それと一部隊を一瞬で無力化させた銀月の様子が事細かに描かれていた。
そんな文に、銀月は若干白い眼を向けながら話を続ける。
「それで、いいデータは取れたのかい?」
「ええ、バッチリです。ついでに新聞のネタも十分すぎるほど頂きましたし、言うこと無いですよ」
手帳とカメラを掲げながら、文はにこやかに笑いながらそう話した。
任務のついでに面白いネタの源となる人物を発見できたので、文個人としても美味しい任務だったようである。
そんな彼女を見て、銀月はがっくりと肩を落とす。
「新聞のネタは勘弁して欲しいなぁ……」
「とにかく、私たちの任務はこれで完了です。椛、帰りますよ」
「了解です。では、今度会うときは人里ですね、銀月さん。また会いましょう」
文は銀月を期待に満ちた表情で見つめる椛に声をかけると、ホクホク顔で哨戒部隊と共に妖怪の山へと帰っていった。
それを見送ると、銀月は頭を抱えて盛大にため息をついた。
「はぁぁ……あの時の一回で終わりのはずだったのに……」
「あんたも運が無いわね~、パパラッチに写真撮られてたなんて」
「ううっ、ちょっと気分転換に滝行でもしようかなぁ……」
銀月はにじみ出る涙を袖で拭いながら、落ち込んだ声でそう話した。
それを聞いて、霊夢は大いに呆れた表情で言葉を返す。
「何でちょっと気分転換で滝行なのよ……それよりも、お茶を淹れてちょうだい。それと、あんたも付き合うこと。良いわね?」
「え~……滝行って終わるとすっきりするんだけどなぁ」
「あんたにずっと仕事だの修行だのされてると、こっちがすっきりしないのよ。ほらほら、ちゃっちゃと台所に行く!」
霊夢はそう言うと銀月の左手の袖を握りながら、ぐいぐいとその背中を押して母屋へと向かっていく。
「うわわ!? 押さないでよ、霊夢~!」
そんな霊夢に、銀月は足をもつれさせながらも逆らわずに台所に向かうのだった。
その日、霊夢は退屈せずにすんでご機嫌であった。
ところ変わって、妖怪の山。
山頂付近にある天狗の里に建つ、ひときわ大きな寝殿造りの屋敷の一室にて、二人の天狗が話をしていた。
「……以上で槍ヶ岳 将志の息子であり、銀の霊峰の門番、銀月と第七哨戒部隊の交戦の報告を終了します」
文は目の前に座る、黒い翼を持つ領主たる妙齢の女性に一部始終を報告した。
それを聞いて、天魔と呼ばれる役職に就く女性は小さく頷き、考え込む仕草をした。
「ふむ……流石に銀の霊峰の門番、勝てないとは思っていたが……まさか三分も持たんとはな。それなりに優秀な部隊を差し向けたつもりだったが……」
「どう思われます?」
「……人間にしてはどうもおかしい。いくらなんでも強すぎる」
椿は文の口から語られた一部始終から、銀月の力をそう評価した。
それを聞いて、文も同意見なようで頷いた。
「ですよねぇ。博麗の巫女も吸血鬼に勝ったそうですけど、あれは弾幕ごっこでしたし……」
「本当に問題なのはそこではない。問題なのは、隊長格の天狗が、ただの一撃で落とされたという事実だ」
「どういうことなんですか?」
「哨戒天狗の隊長にはな、私の力を籠めた魔よけのようなものを持たせているのだよ。それがあれば、生半可な攻撃ならば無力化することが出来るし、強力な攻撃も威力を抑えることが出来る。これによって隊長を頑強に見せ、全軍の士気を上げるようになっているのだが……」
「それを、銀月さんは一撃で破って椛を倒したということですか」
「そういうことになる。そして、銀月は二度目の戦いで、隊長の水月に拳を放つ際に、初撃で爆発を起こした。ということは、銀月はその加護が掛かっていることを即座に見抜いた可能性すらあるのだ」
「将志様のところで経験を積んでいたから、そういうことが出来たのでは?」
「さっきも言ったが、本当に問題となるのは威力の方だ。大魔法でもないのに、ほんの一工程の術式で私の加護を突き破って相手を完全に無力化する。これがどれだけ無茶なことか分かるか? はっきり言おう。銀月は、ある意味では将志を超える化け物だ」
椿は銀月について、力強くそう断言した。
彼女は天狗をまとめ、銀の霊峰の重鎮達や鬼の四天王をも上回る自分の力に自信を持っている。その自分が与えた加護を、人間がいとも容易く力技で破ってしまった。その事実は、椿に少なくない衝撃を与えたのであった。
その大げさとも言える表現に、文は面食らった表情を浮かべた。
「そりゃあ、銀月さんが化け物なのは認めますけど……将志さんを超えるほどではないと思いますよ?」
「現時点の単純な戦力としてみれば、それはそうだろう。だが、よく考えてみろ。銀月はな、神でも妖怪でもなく、人間の身で我々に化け物と言わしめているのだぞ? この意味が分かるか?」
椿はそう言って文に問いかけた。
すると文は少しだけ考えて、乾いた笑みと共に答えた。
「ひょっとして、銀月さんが本当に人間をやめる可能性とか?」
「十分にありえる話だ。それが菅原道真のような怨霊になるか、関帝聖君のような英霊となるか、はたまたそれ以外の何になるか……その辺りのことは分からんがね」
重いため息と共に椿はそう呟いて俯き、口を噤んだ。
そんな彼女を眺めながら、文は再び考えるしぐさをした後、少し意を決したように口を開いた。
「……天魔様。本当は銀月さんについて、何か掴んでいるのではありませんか?」
文はそう口にすると、少し疲れた様子の椿の反応をうかがった。
すると椿は顔を上げ、興味深げな表情で文を見やった。
「ほう? 何故そう思う?」
「そもそも、何故銀月さん個人をここまで詳しく調べ上げる必要があるのか、と言うのが疑問なんです。銀月さんは将志さんに拾われた子ですが、今はまだ天魔様が直々に偵察を指示するほどの脅威になるとは思えないのです。という事は、銀月さんには天魔様が偵察を直々に命じるほどの何かがある、そういうことになりますよね?」
文はこれまでの経緯から推察されることを椿に告げる。
文の言うとおり、銀月は立場こそ特殊であるものの、その強さとしては彼よりも強い者は多いとは言わずともそれなりに数は居るのである。特殊な立場も、彼が所属する銀の霊峰が妖怪の山と極めて友好的な関係にあることから、現時点で即座に脅威となりえる可能性は極めて低い上に、そもそも銀の霊峰と戦闘になるのならば他に調べなければならない相手はいくらでもいるのである。
であるにもかかわらず、椿が調査をしているのは銀月個人についてなのである。数多の情報を扱ってきた文にとって、この事は疑問を呈するのに十分であった。
その推論を聞いて、椿は感心したように頷きながら大きくため息をついた。
「……文。頭が回ることは良いことだ。だが気をつけなければ、気づいてはいけないことに気づいてしまう恐れがある。それが原因で、お前に何らかの火の粉が降りかかるかもしれない。そうなってしまった時、私が助けに行ける保証は無い。よく覚えておけ」
「あはは……気をつけます」
静かに釘を刺す椿の言葉に、文は乾いた笑みと共にそう返事をした。それは、遠まわしに文の推論が正しいと述べていた。
文の返事を聞いて、椿は再び小さくため息をついて話題の転換を図ることにした。
「……ところで、銀月の演劇はどうだ? なかなかに愉快なことになったと思うのだが」
「それが天魔様……椛……第七部隊の隊長は上司の私が人質になっているのに、私ごと撃ち落せって言ったんですよ」
文はよよよ、と泣きまねをしながら最上級の上司に部下の至らぬところを報告した。
それを聞いた瞬間、椿の細い眉がつり上がった。
「何だと? ……文。その椛とやらをここにつれて来い」
「はい。それでは行ってきます」
硬い声色の椿の声を聞いて、文はしたり顔で自分の至らぬ部下を呼びに行った。
しばらくすると、文に呼ばれた椛が椿の待つ屋敷に姿を現した。
「犬走 椛、ただいま参りました。天魔様、私に御用とはいかがいたしましたか?」
「……貴様、上司である文の身の危険が降りかかるにもかかわらず、銀月に文ごと撃ち落すように言ったそうじゃないか」
椿は威圧感のある低い声で、椛に呼び出した要件を告げる。
その獲物を狙う猛獣のようなあまりの迫力に、椛は顔を一気に蒼くして震え上がった。
「……あ、あの……それはですね……」
しどろもどろになる椛に、椿はゆっくりと歩いて近づいていく。
その姿を見て、椛の震えはどんどん大きくなっていく。
「でかした。今月の給料には色を付けておいてやる」
そして、椿は満面の笑みを浮かべてそう言いながら、椛の肩を軽く叩くのであった。
「え、あ、はい…………?」
突然の椿の態度の変化に、椛は眼をパチパチさせながら間の抜けた声を上げる。どうやら言われたことの意味がよく理解できなかったようである。
その一方で、部下が怒られることを期待していた上司も混乱したようで、焦ったような声を上げた。
「ちょっと、天魔様!? 何でそうなるんですか!?」
「お前が銀月のおふざけの攻撃ごときでやられるような奴じゃないだろうに」
「でも、銀月さん結構本気で攻撃してましたよ!? あんなのに当たったら痛いじゃないですか!」
「なに、気にすることはない。むしろその後のリアクション次第では、ネタとして美味しいと思うが?」
「私は芸人じゃないんですよ、天魔様!」
椿が見当外れのことを言うたびに、文はその頭を引っぱたかん位の勢いで詰め寄る。
文と椿はまるで漫才師のようなやり取りで会話を進める。
「……あれ? 天魔様って、こんなに愉快な人だったっけ?」
その様子を、椛はすっかり置いてけぼりにされた状態で眺めるのであった。
「……お楽しみのところ済まないが……一つ良いだろうか、天魔殿?」
そんな中、更なる人影が現れた。
やや低めのテノールの青年の声が部屋の中に響いた瞬間、椿の顔からさっと血の気が引いた。
「うっ……この声は……」
「……妖術で俺の筆跡を模写し、偽造書類を作り上げ、それをネタに銀月に接触するか……随分と手の込んだことをするのだな?」
「ぐあっ!?」
銀の髪の青年は椿の隣に音も無く素早く近づくと、彼女の体を軽々と担ぎ上げてバックブリーカーを掛けた。
体を弓なりの状態で固められ、椿は苦しそうな声を上げる。
自らの上司に突然の暴挙に出るその青年を見て、椛が驚きの声を上げた。
「お、お前はいつも私達を弄ぶ人間!? どうやってここに入ってきた!?」
「……む? 珍しいな、白狼天狗がここに居るとは。文、知り合いか?」
「ええ、私が一応管理を任されている部隊の隊長ですよ。今日は訳あってここに呼び出したんですよ」
青年は警戒心をあらわにする椛を見た後、文と親しげに会話をする。
その様子を見て、椛は怪訝な表情を浮かべた。
「……文様。この人間とお知り合いなので?」
「知り合いも何も、超有名人ですよ。貴女、鑑 槍次と言う名前を聞いたことありませんか?」
「ええ。九尾の狐をたった一人で退治した、源 頼光に並んで妖怪達を震撼させた人間ですよね? 人間学で習いました」
「その鑑 槍次が、当時のままの姿で目の前に居る、って言ったらどうします?」
「そんなことある訳ないでしょう。だって、彼は人間だったんですよね?」
「……残念ながら、文の言うことは本当だ。俺はかつて、鑑 槍次と名乗っていた頃がある」
「え……?」
青年の突然の告白に、椛は訳が分からずその場に固まった。
まるで関節がさび付いたロボットのように硬い動きで椛がそのほうを向くと、小豆色の胴衣に紺色の袴を身にまとった青年は小さく頭を下げた。
「……申し遅れたな。俺の名前は槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
銀髪の青年、将志はそう言って椿にバックブリーカーを掛けたまま自己紹介をした。
その口から発せられた大物の名前に、椛は再び硬い動きで文のほうを見た。
「……文様?」
「ええ、本当のことですよ。彼は銀の霊峰の首領で戦神・建御守人こと槍ヶ岳 将志様です。天魔様とは旧知の仲なんですよ?」
「証拠は、証拠はあるんですか!?」
文の言葉に、椛は冷や汗をだらだらと流しながらそう詰め寄った。
どうやら、自分が今まで人間だと思って攻撃していた相手がとんでもない大物だった、と言う事実を認めたくないようである。
「証拠も何も、背中の槍が見えないんですか? 建御守人の象徴たる、『檻中の夜天』で飾られた銀の槍が」
文はそう言いながら、将志の背中に背負われている銀の槍に眼をやった。
身分を隠す必要が無いために赤い布は取り払われており、けら首の部分には銀の蔦に覆われた真球の黒耀石が埋め込まれていた。
そのこれ以上ない身分証明書を確認すると、椛は慌てて将志に敬礼をした。
「え、あ、あの、失礼いたしました! そんなお方だったとはいざ知らず!」
「……何、気にすることは無い。俺は天魔から依頼を受けて、抜き打ちでお前達哨戒天狗の様子を見ているのだ。そのためには、俺を人間だと思ってもらわねば困る。故に、俺が槍ヶ岳 将志だと言うことは伏せておいて欲しい」
「は、はい!」
「ぅ……おい! いい加減に放せ……!」
椛と将志が話をしていると、将志の肩に担がれている椿が抗議の声を上げた。
「……ふん」
「ぐあぁっ!?」
すると将志は、自らの能力を使って椿を頭から床に突き刺した。椿は首まで床に埋まり、ぐったりとその場にうつぶせに伸びた。
そんな滅茶苦茶な光景を乾いた笑みで眺めながら、それについて考えることをやめた椛が文に疑問を投げかけた。
「でも文様。鑑 槍次が人間ではないって分かっているのに、何で未だに人間として扱われてるんですか?」
「それは天魔様の意向ですよ。人間の中にも私達妖怪に打ち勝つような存在が居る。そう思わせることで、人間を侮らないようにさせるって言うのが狙いだったんです」
「そうだったんですか……」
「ぐっ、現に、銀月は化け物じみた強さだっただろう? 人間を侮っていると、足元をすくわれるというものだ……!」
「あ、あれは人間じゃありません! 銀月って言う名の妖怪です!」
床から頭を引き抜こうと努力をしながらの椿の言葉に、椛はそう言って反論した。
その言葉を聞いて、一部始終を一緒に見ていた文も頷いた。
「本当にそうですよねぇ。彼、思考回路が人間とはズレてますし、何より身体能力が完全に人間をやめてますし……そこのところ、父親としてどう思います?」
「……まあ、俺としても銀月を本当に人間と断定して良いものかは悩みどころではあるな。正直、銀月が本当に人間なのかどうか自信が持てん」
「あれはもう妖怪でいいだろう。仮に人間だったとしても、人間と言う名の妖怪だ」
床から頭を引き抜き、髪についた木屑を払いながらの椿の言葉に、一同は沈黙を持って答える。父親にすら本当に人間なのか疑われる銀月は、正直泣いても許されるだろう。
そんな中、将志がふと思いついたように椛に話しかけた。
「……ところで……名は何と言うのだ?」
「失礼しました! 私は犬走 椛と申します!」
将志の質問に、椛は勢いよく敬礼をしながら名前を名乗った。
それを聞いて、将志は小さく頷いた。
「……ふむ。椛は何故ここに呼び出されたのだ?」
「それがな、こともあろうに上司である文を巻き込む可能性があるにもかかわらず、文ごと敵を撃ち落すように言ったそうなのだ」
「……やれやれ、そういう事か……」
深刻な声色で紡がれる椿の声に、これまた深刻な表情でため息をつく将志。
「……よくやった。褒美に俺が何か一品ご馳走するとしよう」
そして、将志は微笑を浮かべてグッとサムズアップをしながら椛にそういうのであった。
「……あるぇ~?」
「うむ、さすがは将志だ。よく分かっている」
呆然とした表情で頭をかく文と、ニヤリと笑みを浮かべながら頷く椿。
「……偉い人の考えが分からなくなってきました……」
そして、椛は頭を抱えてため息をつくのであった。
後日、椛は将志から実際に高級会席料理が振舞われ、その月の給料は五割増であった。
これにより、部下による上司弄りが横行したのは言うまでもない。
という訳で、椛の初登場&魔法少女シルバームーン再び&上司と部下と部外者の中間管理職弄り、でした。
椛はオーソドックスにまじめな哨戒天狗部隊の隊長だけど、ヒーロー物が大好きな人になりました。
しかし……う~む、白狼天狗のモブたちに妙な風が吹き始めたような……
シルバームーンの台詞や次回予告なんかは書いてて楽しかったですね。
一番面白かったのはその後でへこむ銀月ですけど。
あと、何だか知らないけど天魔様こと椿さんのカリスマブレイクが著しい……おぜうさま並みに。
と言うか、この小説の女性キャラで一番扱い悪いんじゃ……次点はたぶんぐーや。
ちなみに、全キャラ総合で一番扱いがひどいのはぶっちぎりで銀月、その次が雷禍さん辺りでしょうなぁ。
そして、じわじわと迫ってくる異変の足音。
三日おきの宴会は、すでに始まっています。
では、ご意見ご感想お待ちしております。