氷の精、特訓する
銀の霊峰の一角にて、二つの小さな人影が対峙する。
一つは、氷の翼を持つ、冷たく青い髪の妖精。
もう一つは、足元から炎を吹き上がらせる、くるぶしまで伸びる燃えるような紅い髪を三つ編みにして青いリボンを付けた妖精。
「チルノ、いきなりどうしたんだ? 俺に自分から鍛えて欲しいだなんてよ?」
「あたい、負けたくないの。絶対に負けたくない相手が出来たのよ。あいつに勝つには、あいつの何倍もがんばらなくちゃ駄目なんだ」
チルノはアグナの橙色の瞳を見つめながら、しっかりとした口調でそう告げる。
その視線には強い意志が籠められており、その想いの強さを物語っていた。
その氷の妖精に見合わない熱い意志を受け取って、アグナは小さく笑みを浮かべた。
「ま、そんなとこだろうよ。相手は銀月、そうだろ?」
「……うん」
アグナの問いかけに、チルノは素直に、それで居て少し悔しそうにそう言った。
それを聞くと、アグナは小さくため息を吐いた。
「そいつぁ諦めな。銀月の何倍も努力する何つー無謀なことはやめておけ」
「何でよ、アグナ! やってみなきゃ分かんないじゃない!」
アグナの言葉にチルノは即座に激しい剣幕で喰らいついた。
その言葉からは、強くなることに対しての焦りが見え隠れしていた。
そんな彼女に対して、アグナは苦笑いを浮かべた。
「ばーか、誰もお前が銀月に勝てねえとは一言も言ってねえよ。俺が言ってんのは銀月よりも多く修行を積むってのが無理だってことだけだぜ?」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「そりゃ、量で勝てねえなら質で勝ちゃ良いんだよ。ぶっちゃけ、あの意地っ張りの修行の質はあんまり良いとは言えねえしな」
アグナはそう言いながらチルノに笑いかける。
銀月はせっかく将志達という良い手本が居るというのに、自分一人で修行を重ねているのである。
つまり、自分では気づけない癖や動きの乱れが直せず、修行した分だけその癖が根深く残ってしまう可能性があるのだった。
「それで、あたいは何をすればいいのよ?」
「簡単なこった。お前には俺と戦ってもらうぜ。そんで、戦い方を覚えてもらう」
「戦い方?」
「ああ。と言っても、基礎の練習も手は抜かねえ。むしろ、今よりもレベルを上げていく。良いな?」
「うん、あたい頑張る!」
「その意気だ。それじゃあ、早速始めるぜ!」
アグナはそう言うと、自分の周りに十五個の火の玉を繰り出した。
それを見て、チルノはアグナから距離をとって身構える。
「まずは、弾幕を跡形もなく消し去って見やがれ! そらぁ!」
「それぐらい簡単よ!!」
アグナが飛ばしてくる火の玉に向かって、チルノは氷の雨を降らせる。
その雨はアグナの火の玉を一気に飲み込み、瞬く間に消し去っていく。
それを見て、チルノは不満げな表情を浮かべた。
「ちょっと、アグナ! こんな弱い弾幕じゃ……」
「待ちやがれ、チルノ。俺は跡形も無く消し去れって言ったはずだぜ。こいつが残ってるんじゃ、合格点はやれねえよ」
そう話すアグナの手には、氷の欠片が握られていた。
それは、チルノがアグナの弾幕を消すために放った弾丸の一部であった。
それを聞いて、チルノはキョトンとした表情を浮かべた。
「え……じゃあ、どうすればいいの?」
「俺が撃った弾幕と、全く同じ数、全く同じ軌道、全く同じ力でテメエも撃てって言ってんだよ! はっきり言うが、滅茶苦茶きついぜ? 強くなりてえなら、喰らい付いて見やがれ!!」
アグナは叫ぶようにそう言うと、再び弾幕を展開する。
何度も何度も、アグナはチルノがどんな体勢であろうとも容赦なく炎の弾丸を打ち出していく。
チルノはアグナの修行に必死についていこうとするが、極めて正確な力のコントロールが出来なければならないこの作業が上手くいかない。
何度やっても、氷の欠片が出てきたり、炎の燃え残りが出てしまうのだ。
「はぁ、はぁ……う~、出来ないよぉ……」
「泣き言言ってんじゃねえ! お前には出来る! 俺が保障してやらぁ! だから、死に物狂いでやってみやがれってんだ!!」
くじけそうになるチルノに、アグナはそう言って檄を飛ばす。
アグナの指導はチルノが疲れ果てて倒れるまで続き、周囲は草が焼け焦げた跡や溶けかけの氷が散らばっていた。
「あうぅ、一回も上手くいかなかった……」
「まあ、そうだろうよ。俺も出来るとは思ってなかったからな」
チルノは大の字に倒れたまま、悔しそうにそう呟く。
そんなチルノに、アグナは小さくため息を吐いて声をかけた。
すると、チルノは勢いよく体を起こしてアグナに詰め寄った。
「じゃあ、何でそんなことをやらせたのよ!」
「お前はちっと落ち着け。絶対に出来ねえとは言ってねえだろ。現に、俺は今の修行を成功させることが出来る。でも、俺だって最初っから出来たわけじゃねえ。だから失敗して当たり前なんだよ」
怒鳴るように食って掛かるチルノを、アグナはそう言って宥める。
そして、チルノが落ち着いてきたと見ると次の話を始めた。
「さて、チルノ。お前の戦い方についてだけどな、お前はどちらかと言うと弾幕よりも格闘向けだ」
「どういうこと?」
「お前の武器は氷と周囲のものを凍らせる冷気だ。てことは、お前は自分の好きな武器を氷で作り出せるってこったろ?」
「そうなの?」
「そうだ。現に、お前は氷で剣を作って戦ってるだろ? それが、槍にでも斧にでも槌にでもなるってことだ。おまけに、戦ってる最中に持ち替えることも簡単だ。炎がメインの俺じゃあ出来ねえ芸当だよ」
アグナはチルノの能力を自分なりに分析して、そう口にした。
アグナは三叉矛を使うことが出来、炎を自由自在に操ることが出来る。
しかし三叉矛以外の武器を即座に物質化して作り出すことは出来ず、また炎とは一種の現象であるため、形を自由に変えることが出来ても切り結んで防御することは不可能である。
アグナが切り結ぶことが出来る三叉矛を即座に作り出せるのは、そうなるような術式の組み方を体で覚えているからなのであった。
一方、チルノは冷気を操る能力を上手く扱えば、自由な形の氷を即座に生み出すことが出来、氷とは実体を持つ物質であるために相手と切り結ぶことが出来る。
つまり、アグナのように体に徹底的に覚えさせなくても、簡単に様々な武器を作り出すことが出来るのだ。
それを聞いて、チルノは分かったような分からないような微妙な表情で頷いた。
「そうなんだ……で、どうするの?」
「お前には色々な武器を持ってもらう。そいつらを全部使いこなせるようになってもらうぜ。それが出来るようになれば、お前はどこまでも強くなれるはずだぜ」
「そっか……うん、あたい頑張るよ! アグナ! 早く練習しよう!」
「へ、言うじゃねえか! そんじゃ、まずはお前がいつも使ってる剣から行くぜ!」
「うん!」
アグナの言葉に、チルノは氷の剣を作り出した。
チルノの手の中で氷の結晶が見る見るうちに大きくなり、無色透明の冷たい剣が現れる。
その剣を握り締めて、チルノはアグナに挑みかかった。
「やあ!」
「っと、それじゃあ俺は捕まらねえぜ! そらよ!」
「あっ!?」
チルノが振るう剣を楽々と躱し、アグナはその剣を持つ手を蹴り、叩き落す。
チルノがその剣をとっさに拾おうとすると、氷の剣は一瞬で沸騰して蒸発した。
アグナの能力によって溶けてしまったのだ。
「拾おうとすんな! その手にすぐに作り出せ!」
「う、うん!」
チルノは大急ぎで手に剣を作り出そうとする。
チルノの手の中で、氷の結晶が急速に成長を始める。
「おらぁ!」
「わあ!?」
しかし、剣が完成する前にアグナの炎がチルノの手の中の氷を蒸発させた。
「作り出すのが遅え! 弾かれたらとっとと作れ! 相手は待っちゃくれねえんだぞ!!」
「こ、このぉ!」
チルノは再び手に剣を作り出す。
しかし、それもまたアグナは完成する前に叩き落す。
チルノの剣を作る速度は、明らかに戦闘に耐えうる速度ではなかったのだ。
「あうう~……速すぎるよ……」
「何のために今まで能力の制御を練習してきたと思ってんだ!? もっと冷気を集中させろぉ!!」
「わ、分かった!!」
チルノはそう言うと、再び剣を作り始める。
今度は意識を集中させ、冷気を狭い範囲で強力に集める。
すると、先程とは比べ物にならない速度で剣を作り出すことが出来た。
「そりゃあ!」
「あう!?」
ところが、今度は完成と同時に弾き飛ばされてしまった。
それと同時にアグナの拳がチルノの腹を捉え、チルノは激しく咳き込むことになった。
「げほっ……いった……」
「相手から眼をそらすんじゃねえ!! 痛い目にあいてえのか!?」
その後も、アグナはチルノに厳しく、それでいて丁寧に稽古を付けていく。
稽古の時間は太く短く、三十分程度で終了した。
「今はここまでだ。じっくり休んで、体力を回復しておきな」
「ううっ……」
涼しい表情で言葉を発するアグナに、疲れて膝を突き肩で息をするチルノ。
その違いは、両者の力量の違いを如実に表していた。
疲弊しているチルノに、大妖精が青い顔で近づいて声をかける。
「チルノちゃん……」
「大丈夫だよ、大ちゃん……あたい、まだ頑張れるから」
チルノは大きく息を吐いてそう言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
その言葉は力強く、強固な意志に溢れていた。
しかし、先程までの様子を見ていた大妖精は首を横に振った。
「でも、チルノちゃんボロボロだよ? 無理しちゃダメだよ」
「無理じゃない! あたい、絶対に銀月に勝ってやるんだから!」
チルノは立ち上がると、大妖精に向かって叫ぶようにそう言った。
その一方で、アグナの元には闇色の服を着た金髪の少女が突撃をかけてきていた。
「お姉さまぁ~!」
「だぁ~! こっち来るんじゃねえ!」
「むぎゅ!」
一直線に突っ込んでくるルーミアを、アグナは炎を纏ったチョッピングライトで地面に叩き落す。
ルーミアは頭から地面に叩きつけられ、二、三回バウンドした。
「ああん、もう、お姉さまのいけず~!」
「このぉ!!」
「そーれ!!」
「なっ!?」
即座に起き上がってくるルーミアに、アグナは火球を打ち出した。
しかし、その火球はルーミアの放つ弾幕によってばらばらに霧散してしまった。
驚いた表情のアグナを見て、ルーミアは嬉しそうに笑う。
「甘いわよ、お姉さま♪ 私だって成長してるんだから」
「……って、驚くとでも思ったか?」
「え? きゃあ!?」
アグナが急にニヤリと笑ったかと思うと、霧散していた炎が一気にルーミアをめがけて集まり始めた。
一瞬呆けた表情を浮かべるルーミアだったが、アグナの攻撃に気が付くと急いで退避した。
ルーミアが居たところに炎が殺到して大きな火球が燃え上がり、消えていった。
その様子を見て、アグナは感心した表情を浮かべた。
「お、よく避けたな」
「ふ、ふふふ、お姉さまへの愛がある限り、私に不可能は無いわ! 今日こそはお姉さまをいただいて見せるわ!」
「はっ! 調子に乗るなぁ!!」
アグナはそう言うと、炎を手から吹き出した。その炎は横に細長く伸びていき、棒状になる。
そしてその炎が消えると、先端に紅い炎を宿した、白い三叉矛が現れた。
その三叉矛の炎は激しく燃え盛っており、柄に巻きつくように伸びている。
「あら、単純な殴り合いなら私もちょっと自信あるのよ、お姉さま?」
ルーミアが楽しそうに笑いながらそう言うと、その手に霧のような闇が集まり始めた。
その闇は塊になっていき、どんどん大きくなる。
そしてその霧が晴れると、朽ちた十字架のような柄の、闇色の刀身を持つ大剣が現れた。
その刀身は霧状の闇が取り巻いており、底知れない深さを覗かせていた。
「おらあ!」
「それっ!」
アグナとルーミアは気合と共に切り結んだ。
大きな衝撃音と共に火花が散り、その激しさを窺わせる。
「ちっ!」
すると、体重の軽いアグナがルーミアの剣に押されて後ろに下がった。
そこをすかさずルーミアは間合いを詰めて攻め込んでくる。
「やあっ!」
「遅え!」
踏み込んでくるルーミアに、アグナはルーミアの裏を取ることでその攻撃を回避する。
そして、背後を見せたルーミアにアグナは攻撃を仕掛けようとする。
「おっと危ない!」
「っと!」
それに対して、ルーミアは霧状の闇を無数の短剣に変え、アグナに向かって撃ち出した。
アグナは闇色の短剣の嵐を三叉矛で弾きながら射線から外れ、体勢を立て直す。
「へっ、やるじゃねえか、ルーミア。お前とこうして戦うのは久しぶりだけど、成長したな」
「そりゃあ、お姉さまを早く捕まえたいもの。捕まえたらお姉さまにあんなことやこんなことを……うへへ~」
「うげぇ、こりゃ絶対負けられねえ……ま、負ける気はしねえけどな!!」
アグナとルーミアはそう話しながら戦いを続ける。
「そーれ!」
ルーミアは闇色の短剣を四方八方に展開し、アグナに上下左右前後から攻撃を仕掛けていく。
その中で、アグナに隙が出来れば即座に手にした大剣で斬りかかる。
ルーミアの重く長大な剣は、唸りを上げてアグナに迫っていく。
「ほらほらほらぁ!!」
対するアグナはルーミアの短剣を炎の弾幕で撃ち落し、小さな体を利用して相手の攻撃をくぐりながら相手に反撃を仕掛けていく。
白い三叉矛の先端からは鞭のように炎が長く伸びてルーミアに迫っていく。
炎はまるで生きている蛇のように自由に形を変え、変幻自在な動きでルーミアに襲い掛かる。
「うわっと! あぶないあぶない」
その攻撃をルーミアは近くに浮かんでいた短剣をとっさに掴み、その剣で切り払う。
闇色の刃は紅い炎を鮮やかに切断し、ルーミアの体に触れることを許さない。
「安心するのはまだ早えぜ!!」
しかしアグナは切り離された炎すらも巧みに操り、ルーミアに攻撃を仕掛ける。
解き放たれた蛇となった炎は分裂を繰り返して数を増やし、ルーミアの周囲を取り巻くように動いて牙をむく。
「甘いわよ、お姉さま!」
ルーミアは襲い掛かって来る炎の牙を近くに浮かんでいる剣を盾にして防ぎ、手にした大剣で薙ぎ払いながらアグナに向かっていく。
片手で軽々と振るわれるその剣は暴風となり、自分を狙う炎を次々とかき消していく。
「へっ、甘えのは……そっちだぁ!!」
そんなルーミアに向けて、アグナは手にした三叉矛を弓なりの体勢から全身を使って投げつけた。
「あ、やばっ」
一方のルーミアは、自分の近くにある短剣を全て防御に使ってしまっている上、周囲を炎に巻かれて身動きが取れなくなっていた。
風を切り裂いて迫り来る三叉矛を、ルーミアは大剣を盾にして防ぐ。
するとその瞬間、大気を振るわせる凄まじい轟音と共に三叉矛が大爆発を起こした。
「きゃあああああ!?」
ルーミアはその爆風で弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
そして地面を何度かバウンドした後、ばったりと倒れこんだ。
「うきゅ~……」
「へっ、俺を捕まえるにはまだ時間が掛かりそうだな!!」
ルーミアは仰向けになって眼を回している。
そんなルーミアを見て、アグナは楽しそうに笑った。
どうやら決着がついたようである。
「……」
チルノはそんな二人の激しい戦いを見て、何やら考え事をする。
その真剣な表情を見て、大妖精が首をかしげる。
「チルノちゃん?」
「大ちゃん、ちょっと付き合ってくれる?」
「え、どうしたの?」
「ちょっと特訓したいの。忘れる前に、試してみたいことがあるのよ」
「それは良いけど……どうしたいのか教えてくれるよね?」
「うん、それはね……」
チルノはそう言うと、大妖精にやりたいことを伝えた。
そして少し移動すると、大妖精はチルノに声をかけた。
「チルノちゃん、どうしたいか覚えてるよね?」
「うん、さっき紙を見て思い出した」
「それじゃあ、始めるよ」
「い~けないんだ、いけないんだ♪ お姉さまに隠れて内緒の特訓しちゃうんだぁ?」
チルノ達が特訓を始めようとすると、ソプラノの少女の声が聞こえてきた。
チルノがその方を見ると、そこには闇色の服を着た金髪の少女が浮かんでいた。
「何よ、ルーミア。あたい達の邪魔をするつもり?」
「ええ、そのつもりよ。だって、貴女がしようとしていることは銀月と同じなんですもの」
「ちょうどいいわ。大ちゃんと練習するつもりだったけど、あんたで試してあげる!」
「ふぅん? 何をするつもりか知らないけど、私は貴女がそう簡単に勝てるほど甘くはないわよ?」
「そんなの分かってる。けど、あたいだって強くなってるんだから!」
チルノがそう言いきった瞬間、周囲の気温が急激に下がり始めた。
暖かな春の陽気だったものが、凍てつくような冷たい空気へと切り替わる。
すると空気中の水分が一瞬で凍りつき、いくつもの大きな氷柱が空中に浮かび始めた。
それを見て、ルーミアは楽しそうに笑った。
「へー、随分と思い切ったことするじゃない。でも、今の貴女で何分持つかしら?」
「ううっ……」
ルーミアの視線の先には、少し苦しそうな表情で冷気を生み出すチルノの姿があった。
春の暖かい空気を空中に身の丈ほどの氷塊が出来るほどに冷やすことには、かなりの力を消費するのだ。
それでも、チルノは必死で力を制御しながらルーミアに相対する。
そんな彼女を見て、ルーミアは小さくため息を吐いた。
「まあいいわ。寒いのは好きじゃないし、さっさと終わらせるとするわ!」
ルーミアはそう言うと、闇色の大剣を取り出してチルノに向かって行った。
「っ!」
それを見て、チルノは作り出した氷柱をルーミアの進路を妨害するように動かした。
ルーミアの行く手には、先が見えなくなるほどの氷の樹海が作り出される。
「わはは~、無駄無駄ぁ!」
ルーミアは行く手を阻む氷柱を、手にした剣で薙ぎ払いながらチルノに向けて突っ込んでいく。
黒い暴風が青白い氷柱をたやすく砕き、破片が周囲に飛び散っていく。
チルノが精一杯作り出している防壁はほとんど役に立たず、ルーミアはどんどん近づいてきていた。
「……そこだあ!」
「えっ? やばっ!?」
突如チルノが叫んだかと思うと、宙を舞っていた氷の欠片がルーミアに向かって殺到し始めた。
砕かれたことによって鋭利な刃物と化した氷の欠片は太陽に照らされて光の粒になり、嵐のように四方八方からルーミアに襲い掛かる。
不意を打たれたルーミアは一瞬呆けた表情を浮かべた後、身にまとった黒い霧を膜状に展開してチルノの攻撃を防いだ。
「この、倒れろぉ!」
チルノはそう叫びながら、必死で氷刃の嵐を制御する。
その氷の欠片が他の大きな氷にぶつかるとお互いに砕け、鼠算式に数を増やしながらルーミアを攻め立てていく。
しかし、それはチルノが制御しなければならない氷の数が増えることになるので、彼女の負担も増えていくことになるのだった。
ルーミアの周りを、目の前が真っ白になるほどの刃の猛吹雪が吹き荒ぶ。
「ふふふ、頑張るわね。でも、まだまだよ!」
しかしルーミアが手にした大剣を大きく振るうと、その剣が起こす風で氷の刃は吹き飛ばされてしまった。
ぶつかり合って砕けたことによって、氷の粒が小さく軽くなりすぎてしまったのだ。
目の前が一気に開けたルーミアは、チルノが立て直す前に一直線に向かっていく。
「あうっ、このぉ!」
そのルーミアに対して、チルノは氷の剣を二本作り出して格闘戦に切り替える。
相手の懐に思い切って飛び込み、ルーミアが攻撃を繰り出す前に自分から攻撃を仕掛けていった。
「おっと」
その攻撃を、ルーミアは闇の大剣を使わずに易々と回避していく。
日頃から愛梨や六花、アグナや涼などの達人達を相手にしているルーミアにとって、まだまだ修行を始めてから日の浅いチルノの攻撃を避けることはたやすい。
「っ、あったれー!」
彼女は攻撃をすると同時に自分の周りに氷の剣をいくつも作り出し、自分の周囲に浮かべている。
しかし、そのせいでチルノはどんどん疲弊していき、息が上がり始めていた。
それでもなお、チルノはひたすらに歯を食いしばり、連続で手にした剣をルーミアに叩きつけようとする。
「甘いわ!」
「あっ!?」
そんな彼女の剣を、ルーミアは剣で弾き飛ばした。
硬い物同士がぶつかり合う鈍い音と共にチルノの氷の剣はくるくると回転しながら宙を舞い、地面に突き刺さる。
「ま、まだっ!」
するとチルノは自分の近くに浮かべていた剣をすばやく手に取り、攻撃を再開する。
それと同時に、チルノが手にした剣と全く同じ氷の剣がチルノの横に現れて待機状態になる。
そんなチルノを見て、ルーミアは楽しそうに笑った。
「あははっ、どこまで付いて来れるかしら?」
「うっ!」
ルーミアはそう言うと、再びチルノの剣を弾き飛ばす。
それに対して、チルノは即座に待機させていた剣を手に取り、その分を補充する。
ルーミアが次々と剣を弾き飛ばし、チルノは次々に剣を持ち替える。
地面には弾き飛ばされた剣が次々と刺さり、緑が萌える地面を氷に閉ざしていく。
「ふっ、や、とうっ!」
ルーミアは剣を振るう速度をどんどん上げていく。
散発的だった弾く音も段々と連続したものになり始め、ルーミアの冷気で冷えた体にも熱が入り始める。
「くっ……うう……」
一方のチルノも、ルーミアの速度に喰らい付こうと可能な限り速度を上げる。
しかしチルノの消耗は激しく、更に周囲の空気が乾燥してきたために氷の剣の生成が追いつかなくなり始めていた。
それでも彼女は歯を食いしばってルーミアに挑み続ける。
「そぉら!」
「きゃっ!?」
そして、とうとうチルノはルーミアに押し切られてしまった。
氷の剣を全て弾き飛ばされ、彼女自身も近くに生えていた木に叩きつけられる。
「はい、残念でした♪ ただの物まねじゃ、私には勝てないわよ?」
チルノの首を掴み、木に押し付けるようにしてルーミアはそう言って笑った。
実は、今のチルノの戦い方は先程のアグナとルーミアの戦いを見て思いついたものであった。
砕かれた氷を使って攻撃するのはアグナの、始めから自分の周りに剣を浮かべるのはルーミアの真似である。
「ううっ……」
チルノには地面に刺さっている氷の剣をルーミアに向けて飛ばす技もあるが、もうそれだけの力は残されておらず、悔しげな表情でルーミアを見つめるしかなかった。
そんな彼女を見て、ルーミアの笑みが妖しげなものに変わった。
「うふふ……それにしても、私やお姉さまの真似して強くなろうとするなんて、可愛いじゃない。お姉さまや銀月の前に、貴女も食べちゃおうかなぁ?」
「うっ……」
ルーミアはそう言いながらゆっくりとチルノの頬を舐め上げる。
その舐め方はねっとりとした、チルノの肌をじっくり味わうようなものであった。
食べられるかもしれないという恐怖とぞくぞくとした未体験の感覚に、チルノは身をすくめる。
眼には涙が浮かんでいるが、それでも気丈にルーミアを睨み返している。
そんなチルノを見て、ルーミアはその妖艶な笑みを深めた。
「あらあら、眼に涙を浮かべてそんな顔しても可愛いだけよ? ふふっ、決めた。やっぱり貴女も食べちゃおう♪」
「っ!」
するとルーミアは上気した顔で、少し息を荒げて興奮した様子でそう言い、チルノの頬に軽く噛み付いた。
チルノの頬にルーミアの鋭い牙が突き立てられ、赤黒い液体がジワリと滲み出す。
それをじっくりと舐め取ると、ルーミアは熱い吐息を漏らした。
「はぁ……銀月ほど美味しい訳じゃないけど、妖精の血って新鮮ね。お姉さまの血も、こんな感じなのかなぁ? それにとっても柔らかいわ」
「あうっ……」
ルーミアの言葉を聞いて生命の危機を感じ取ったのか、チルノは力の限りもがいて拘束から抜けようとする。
しかしルーミアの押さえつける力は強く、抜け出すことが出来ない。
そんなチルノを見て、ルーミアは愛おしそうにチルノの頬を撫でた。
「うふふ、元気ね。銀月みたいにしおらしいのもいいけど、貴女みたいに反抗的なのもそそるわ……」
「何やってんだテメェはああああああ!!」
「ぎゃん!?」
突如として、幼さを残した少女の叫び声と共に赤い彗星がルーミアのわき腹に突き刺さり、ルーミアは弾き飛ばされて木に叩きつけられた。
そして、彗星となっていた燃えるような紅い髪の小さな少女がルーミアに掴みかかった。
「おいテメェ、俺や銀月に飽き足らず今度はチルノにまで毒牙にかける気か!?」
「だってしょうがないじゃない。お姉さまや銀月ほどじゃないけど、可愛かったんですもの。私、気に入っちゃった♪」
「可愛ければ何にでも手を出すのか、テメェは!? これ以上被害者を増やすんじゃねえ!!」
アグナはルーミアの襟首を掴んで揺さぶりながら、凄まじい剣幕でまくし立てる。
そんな彼女の様子に、ルーミアはにっこりと笑った。
「……あれあれ~? ひょっとして、お姉さま焼きもち焼いてる?」
「あぁ?」
「だって、お姉さまは私がチルノに手を出したことに怒ってるんでしょ? それって、自分以外に手を出すなってことよね?」
「な訳ねえだろ!! 俺はこれ以上テメェの被害者が出ないように……」
「ああもう、そんなツンデレなお姉さまが大好き♪ んちゅ♪」
ルーミアはそう言うと、おもむろにアグナの頬を掴んで唇を奪った。
その瞬間、アグナの眼は大きく見開かれて顔が一瞬で赤くなり、眼に見えてうろたえ始めた。
「お、お前……お、女同士でキスを……」
「あら、愛があれば問題ないわよ。それに、お姉さまのファーストキスって訳じゃないでしょ? 私もファーストキスはもう済ませてるから大丈夫よ」
「ば、馬鹿野郎! そういう問題じゃねえ! こ、こういうことはだな、一番好きな異性とだけでな……」
「わはは~、お姉さまって本当に乙女ね♪ 可愛い可愛いお姉さま♪」
ルーミアはそう言って楽しそうに笑いながら、わなわなと肩を震わせるアグナに頬ずりをする。
そんなルーミアに、アグナの堪忍袋の緒が音を立てて切れた。
「う、うるせええええええ!!!!」
「わきゃぁ~!?」
アグナは巨大な火柱を上げながら、ルーミアに全身の力をフルに使ったジャンピングアッパーカットをかけた。
その様子は、まるで火山の火口から天に向かって龍が昇っていくかのようであった。
ルーミアはその一撃を顎に受け、激しい炎が起こす熱風によって空の彼方まで吹き飛ばされていった。
「あ、あのやろう……何てことをしやがる……」
アグナは肩で息をしながら、ルーミアが星になった方角を見上げる。
その顔は耳まで真っ赤に染まっており、明らかに困惑した様子であった。
「……くーっ! あいつにキスされるなんて不覚だぜ! しかも女同士だって言うのによ……」
「あ、あの、アグナ?」
「っ!! テメェ、今の見てたな、チルノ!?」
チルノが声をかけると、アグナは鬼気迫る表情でチルノの肩を掴んで問いただした。
そのあまりの勢いに、チルノは思わず体を引く。
「えっ、う、うん、見てた」
「絶対に誰にも言うんじゃねえぞ!! もし誰かに話したりしたら、テメェを魂まで残さず灰にしてやるからな!!」
「う、うん」
顔がぶつかるギリギリまで近づいてまくし立てるアグナに、チルノは頷かざるを得なかった。
それを確認すると、アグナは大きく深呼吸をした。
「悪い、取り乱した。大丈夫か、チルノ?」
「うん、あたいは大丈夫……でも、負けちゃった……」
「まあ、負けたっつっても俺達の戦い方を真似するって言うのは悪くねえよ。後は自分なりに工夫してみろ。それに、お前は絶対に弱くはねえし、強くなれる。絶対に最強にしてやるからな」
アグナは落ち込むチルノにそう言って簡単にアドバイスをし、励ましの言葉を送った。。
しかしその様子はどこか落ち着きが無く、そわそわとした様子であった。
そんな彼女の様子に、チルノは首をかしげた。
「アグナ、どうしたのよ? もじもじしてるけど」
「……あー……こりゃ駄目だ。悪い、チルノ。今日はもう終わりにしておいてくれ。じゃ、またな」
「え、ちょっ……」
アグナは一言言い残すと、空を飛んでその場から立ち去っていった。
チルノは彼女を引きとめようとするが、間に合わなかった。
「チルノちゃん……」
そんなチルノの元に、近くで様子を見ていた大妖精がやってきた。
彼女は泣きそうな表情であり、その声と肩は震えている。
そしてチルノのそばまでやってくると、彼女はチルノに抱きついた。
「どうしたの、大ちゃん?」
「ごめんなさい……私、チルノちゃんが危なかったのに何も出来なかった……」
大妖精はそう言って涙を流しながら、チルノを抱く腕に力を籠める。
その言葉には、友人の危機に恐怖で動けなかった悔しさが籠められていた。
争い事が苦手な彼女は、チルノのように強くなるための訓練はあまり受けていない。
更に元々臆病な性格であるために、ルーミアに襲われるチルノを見ても恐怖のあまりに動けなかったのだ。
「……私、強くなる。最強にはなれないかもしれないけど、友達を守れるくらいには強くなる!」
大妖精は顔を上げ、チルノにそう宣言する。
その瞳には強い光が湛えられており、言葉には強固な決意が表れていた。
そんな彼女の言葉に、チルノは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そっか。それじゃあ、これからは一緒に頑張ろう、大ちゃん」
「うん!」
チルノと大妖精はそう言って笑いあう。
「よし、そうと決まれば早速特訓よ!」
「さ、流石に少し休もうよ、チルノちゃん!」
そう言って元気よく駆け出していくチルノを、大妖精は慌てて追いかけるのであった。
一方、銀の霊峰の境内では、銀の髪の青年が槍を振るっていた。
その動きには全く乱れがなく、見ていて引き込まれるような力強さを感じることが出来る。
そんな彼の隣に、燃えるような紅い髪の小さな少女が降り立った。
それを受けて、将志は槍を振るう手を止めてアグナのほうに向き直った。
「……どうかしたのか、アグナ」
「あのな、兄ちゃん……んっ」
アグナはそう言いながら、将志に抱きついてキスをする。
それを受けて、将志は困ったような笑みを浮かべて小さくため息を吐いた。
「……それはまだ当分先ではなかったのか?」
「ごめん、兄ちゃん。俺、ちょっと我慢できない」
「……っ!?」
頬を染めて切なそうな表情のアグナの言葉に、将志の表情は凍りついた。
アグナに完全にスイッチが入っている。
将志はまるで狩人に狙われた哀れな標的になったような感覚に襲われた。
そんな将志の様子など気にも留めず、アグナは将志の唇に自分のそれを合わせ、軽く吸った。
「んちゅっ……えへへ、やっぱキスはこうじゃねえとな……ちゅっ……」
アグナは満足げにそう言って笑うと、将志の唇をじっくり味わうのであった。
唾液でべとべとになった将志が解放されたのは、アグナが抱きついてから三時間が経過した時のことであった。
あとがき
という訳で、チルノ主役回でした。
アグナの修行によって、チルノも順当に強くなっていきます。
私の中では、チルノはなんと言うか純粋で熱血硬派なイメージがありますね。
アグナの暑苦しいほどの熱血さではなく、普段はそんなでもないけど目的のためならどこまでも熱くなれるタイプだと思います。
……なんかルーミアに目をつけられてるけど。
チルノの氷の剣を周囲に浮かべる光景は、衛宮士郎ver.「無限の剣製」やソウルイーターのミフネの技の規模を小さくしたものを思い浮かべればOKです。
ついでに言えば、アグナの三叉矛は言い換えるとトライデント、要するにポセイドンの持っているあれの刃の部分に灯がともっているもの。
ルーミアの大剣のイメージは、よくよく考えたらONE PIECEのミホークの黒刀「夜」そっくりですね。
それから、大妖精にも強化フラグが立ちました。
……けど、テレポート能力って使いこなせるとチート化しそうで怖い。
スキマで移動するゆかりんと違って、ワンアクションで移動できますからねぇ……
あと、ルーミアの捕食対象に一人追加。
頑張れ、チルノ。
では、ご意見ご感想お待ちしております。