絶対なんて絶対ない
これは小説ではありません。どちらかと言えば論説文です。だからどうだということもありませんが。
絶対なんて絶対ない。今回はこの言葉について考えていきたいと思う
『絶対なんて絶対ない』
三文節、四つの単語で構成されるこの言葉には、読む人聞く人を一瞬、「ん?」と思わせる効果があるように思える。それは、最も単純であり、そして強烈な逆説としての効果のせいだ。
そもそも僕がこの言葉に注目したきっかけは、偶然ラジオから聞こえてきた、男性ヒップホップユニットの曲の歌詞にこのフレーズが入っていて、思わずそのときしていた作業を止め、絶対に存在しない『絶対』と言うものについて考え込んでしまったからだ。
きっと、その歌詞を作詞した人は、単純なギャグのような意味でそのフレーズを織り込んだのだと思う。でも、結果的に、それは彼らの歌で唯一僕が覚えているフレーズになった。出会いとは不思議なものだ。
逆説と言えば有名なのは、その昔、ギリシャの哲学者ソクラテスが、同じく哲学者で、彼とは違う考えを主張していたアリストテレスに、
「ソクラテスの言っていることはすべて嘘だ」
と言われたのに対して、
「彼の言っていることはすべて本当だ」
と、教科書的な言葉を使えば、頭をひねりたくなるような受け答えをした、という話だ。(ソクラテスとアリストテレスの立場が、僕の記憶違いで玉だったかもしれないけれど、もしそうだったとしても特にこの話のおもしろさは変わらないだろうと思う)
確かにこのソクラテスの答えには、思わず唸りたくなってしまう。うーん。
そして、『絶対なんて絶対ない』と言うたった一言の言葉にも、ソクラテスの話と同じぐらいの奥の深さと面白さ、抜群のイタチごっこ要素が込められていると、僕は思う。
今、僕はイタチごっこ要素という言葉を使ったけど、その意味は、まったく字の通りで、今回僕が取り上げた言葉を例にすれば、この言葉は『絶対』と言うものが存在しないと言うことを言っているのに、そこへさらに、「『絶対』ない」という今さっき否定した『絶対』という言葉を使ってしまったがために、
「絶対というものは絶対ない」=「絶対が絶対ないと絶対に言い切ることはできない」=「絶対が絶対ないと絶対に言い切ることはできないことは絶対にできない」……
と、永遠に否定のしあいが続いていく。そして、これだけ複雑でありながら、この言葉が伝えたいのは、
「絶対というものはこの世に存在しないと言うこと」
「絶対というものはこの世に存在しない、ということもいいきれないから、どこかに絶対というものがあるはずだと言うこと」
この二つだ。この正反対の意味が、一つの言葉の中に含ませられてしまったから、そこに永遠の繰り返しが始まってしまった。
そして僕は、後退も前進もなく、絶対的に肯定することも否定することもないこの言葉に魅せられてしまった。
それはあるいは、(ありがちな推察だが)自分の心の核心部が、そのような永遠のイタチごっこ要素によって作られているからかもしれない。
それは、多くの人々がそうだというように、僕も、非常に曖昧な、どこまで分割していっても分割し終わることのない、まさしくイタチごっこ的な物質によって構成されているのだろうと思う。
だからこそ僕は、努力をしては失敗し、失敗をしてはムキになりムキになってはまた努力し、という永遠の繰り返しに似た人生を送っているのかもしれない。時には(十回に一回ぐらい)成功することもあるけど、その確率すらもそのリピートの中の一部だと言われれば、僕は何も反論できないと思う。
結局僕は、どっちの意味でこの言葉を解釈するのだろう。そのことを考えると、僕は、
「絶対というものが、この世に存在しない」
と言う方に一票を投じたいと思う。理由は簡単。そっちの方が楽しいから。
昔ある人はいいました。
「限界や常識などない。人が想像できることは、すべて現実に起こりうる」―――
起こりうる、という表現がいいですね。