33話 最終話
最終話
レティシアは、屋敷の中庭に立っていた。
朝の光は柔らかく、風は静かで、まるで世界が息を潜めているようだった。
(今日で終わりにしよう)
影の一族としての自分。
雑用係としての自分。
元婚約者としてのギルバート。
そして、公爵としてのヴィクトール。
すべてが胸の奥で絡まり、ほどけないまま揺れていた。
だが、もう逃げるつもりはなかった。
その時、背後から足音がした。
「レティ」
振り返ると、ヴィクトールがいた。
いつもの無表情。
けれど、その瞳はどこか不安げだった。
「話がある」
「はい」
彼は少しだけ視線を落とし、言葉を選ぶように口を開いた。
「私は君を守りたい。影の一族だろうと、雑用係だろうと、関係ない。君が君である限り、私は君の傍にいたい」
レティシアの胸が、静かに震えた。
(閣下)
その時、別の声が割り込んだ。
「レティシア。僕も君を守りたい」
ギルバートだった。
彼は、かつての冷たさを捨てた瞳で、まっすぐにレティシアを見つめていた。
「君を傷つけたことを、ずっと後悔していた。もう一度やり直したい」
レティシアは、二人を見つめた。
静かに、ゆっくりと。
(私はどうしたいの?)
長い沈黙が落ちた。風が髪を揺らし、光が頬を照らす。
そしてレティシアは、微笑んだ。
「私は雑用係としてここに来ました。でも、もう雑用係ではありません。逃げるためでも、忘れるためでもなく、ここで生きたいと思ったからです」
二人は息を呑んだ。
「だから私の答えは、もう決まっています」
レティシアは、ヴィクトールの方へ歩み寄った。
「閣下、あなたの言葉に、私は救われました。あなたの優しさに、私は前を向けました」
ヴィクトールの瞳が揺れた。
「レティ」
「私はあなたと生きたい。 雑用係でも、影の一族でもなく ただのレティシアとして」
その瞬間、ヴィクトールは静かに息を吐き、レティシアの手をそっと取った。
「ありがとう。私は、君を一生守る」
ギルバートは、少しだけ目を伏せた。そして、穏やかに微笑んだ。
「負けたよ。でも、レティシアが幸せなら、それでいい」
その言葉は、かつての彼からは想像できないほど優しかった。
メイドたちは泣きながら拍手し、アレクシアは胃を押さえながらも微笑み、ウォーレスは紅茶を飲みながら、やっとだねと呟いた。
ドロシーは、レティシアの背中を力強く叩いた。
「レティ、よく言ったわね。あんたは強い子よ」
「ドロシーさん」
「さ、仕事に戻るわよ。 恋も人生も、日常の中で育つものよ」
レティシアは笑った。
「はい。今日も頑張ります」
過去の痛みも、影の運命も、すべて抱えたまま前へ進める。
(だって私には、守りたい人がいるから)
レティシアは、ヴィクトールの手を握り返した。
(そして私も、誰かを守れる人になりたい)
光の中で、二人の影が重なった。これが、レティシアの新しい物語の始まりだった。




