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死神のしごと~タナトスの場合~  作者: ミズアサギ
第2章 夫人の頬に触れるとき

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4/4

第1話

第2章、スタートです。

こちらも3話完結です。

 

 うるさい。


 心地よい睡眠を邪魔する喧騒に、ブルーノ・ランドルフは不機嫌そうに瞼を開いた。



「は?」


 覚醒したブルーノの目に飛び込んできたのは、見慣れた寝室の真っ白い天井ではない。なんと、車道のど真ん中にいる。ブルーノは自分が置かれた状況が理解できずに、慌てて体を起こした。


 ヒヒーン!


 ブルーノが反対側を見ると、速度を上げた馬車がすぐそこまで迫っていた。


 __死ぬ




 ブルーノが目をぎゅっと閉じたと同時に、ものすごい力で手首を掴まれた。痛いと感じる間もなく、ブルーノは車道の端へと引き摺られた。

 すぐ隣を、速度も落とさず馬車が通り抜ける。ブルーノは馬車の傍若無人ぶりに呆気に取られたが、まだ手首を掴まれたままだと気がついた。


 ブルーノが手首の先を見る。そこには、真っ黒いケープをフードごと被った小柄な少年がいた。身なりからすると平民だろうが、クルクルしているその髪は王族のような金色だ。少年は漆黒の瞳で、ブルーノを黙って見ていた。


「あ、ありがとう。助かったよ」


 ブルーノは立ち上がると、ジャケットの土埃を払う。胸ポケットに、さっき受け取ったばかりのネックレスが入っていることに気がついたブルーノは、金貨を一枚少年に渡した。


「本当はきちんとお礼をしたいのだが。すまない、今日は妻との結婚記念日なんだ」


 そう言い残すと、ブルーノは片手を挙げて立ち去った。少年はブルーノの後ろ姿を見送ると、渡された金貨をじっと眺めた。




 ブルーノ・ランドルフは、二十二歳の時に二つ年下のノーラと結婚した。

 今日は三回目の結婚記念日だ。仕事が終わり、ノーラのための注文しておいたネックレスを受け取った。

 どれだけあそこにいたのかはわからないが、まだ日は落ちていない。晩餐には間に合うだろう。

 ブルーノはランドルフ子爵家の玄関を開けた。



 ランドルフは、少しの違和感を覚えた。朝は記念日のお祝いムード一色だった屋敷が、やけに静かだ。

 仕事に出る時に使用人が楽しそうに飾り付けしていた花もない。第一、誰も出迎えに来ない。


 ランドルフはキョロキョロしながら、ホールを抜けた。その先の応接室から声がする。

 ランドルフは応接室に入ろうとして立ち止まった。少し開いた扉からは、ローラの後ろ姿と、対面して座る両親が見えた。が、その両親の顔がとても険しい。


 ノーラと揉めたのか……急いで中に入ろうとしたランドルフの手首を、誰かが掴んだ。

 驚き振り向くと、先ほど別れた少年が立っていた。少年はランドルフの肩ほどの身長しかなかったが、手首を掴む力はとてつもなく強い。


「君は一体……」



 声を出そうとしたランドルフを、少年は唇に指を立てて黙らせる。そして、その指を応接室の中に向けた。ランドルフはつられて応接室の三人に視線を戻す。



「ノーラ。残念だが、もう息子のことは忘れて欲しい」


 父が放った言葉に、ブルーノは愕然とした。結婚して三年。ブルーノたちに子はいない。それについて直接言われたことはなかったが、ノーラは以前から両親に責められていたのだろうか。


「かといって、あなたにはもう実家はないの。遠縁のフェザー男爵家に嫁いで頂戴。きっと良くしてくれるはずよ」


 ブルーノは怒りで頭が真っ白になった。気づくと応接室に怒鳴り込んでいた。


「父さんも母さんも、ノーラになんて酷いことを言うんだ! そもそも俺はノーラと別れる気はない!」


 ランドルフは三人の前に立ち、そうはっきりと宣言した。怒りで手が震える。昔から仲の良い家族だった。もちろんノーラのことも、実の娘のように可愛がってくれていたのに、一体なぜ。

 ランドルフはノーラを見た。ノーラはずっと視線を落としたまま、表情に感情を表さずに黙っている。

 両親を見た。相変わらず険しい表情で黙っている。三人とも、ブルーノを一度も見なかった。


「おい、返事を……」



 ブルーノが再び大声を出した時、少年がブルーノをつついて壁にかかる鏡を指差す。少年がここまで入ってきたことにも驚いたが、ブルーノは鏡を見て完全に言葉を失った。




 鏡には、マントルピースだけが映っている。その前に立つブルーノは映っていないのに。

 ブルーノは一歩後ずさった。途端に、足元が崩れるような感覚に襲われる。

 少年はブルーノの手首を引いて応接室の隣にある控室に入った。




「一体これは、どういうことだ」


 少年は控室のソファーに座ると、柔らかさを確認するようにポンポンと跳ねた。混乱しながらも、ブルーノは少年の向かい側に腰掛ける。


 この少年と出会ってからおかしなことだらけだ。一体、この少年は……。

 ブルーノが少年を観察する。それに気づいた少年も、ブルーノの目を見据える。少年の漆黒の瞳に吸い込まれそうになった瞬間、ブルーノの脳裏には生々しい記憶が甦った。





「あぁ、馬車に轢かれたのだったな……」


 少年がコクンと頷く。結婚記念日のあの日。無事ネックレスを受け取り、嬉しくなったブルーノは花束も贈ろうと思いついた。

 花屋のある通りの向こうに駆け出したブルーノは、近づく馬車の車輪の音など聞こえないぐらい浮かれていた。



「なかなか起きなくて驚いた」


 初めて少年が口を開いた。その声は、少年らしい高さで、しかし変声期を迎えているのか掠れてもいた。


「どれぐらい経ったんだ?」


「ちょうど一年」


「一年!?」


「その間に何人か迎えに行ったけど、みんなあんたを見てギョッとしてたよ」


 思いのほか時間が経っていたことに、ブルーノは信じられないというように頭を抱えた。


「公園の隣の大きな屋敷の婆さん。あんたのことを見て『あの子は小さい頃、その辺に寝そべってたからよく叱ったものだわ。懐かしい』って笑ってたよ」


「あの夫人、亡くなったのか!? あれは死なないと思っていたが……」


「死なない人間なんていないよ」


 そっか、あの夫人が。ブルーノが考え込んでいると、応接室から物音がした。慌てて見に行くと、応接室の前でノーラが頭を下げているところだった。



「お世話になりました。せめて後継を産んでいれば……私が至らないばかりに。どうか、お元気で」


 ノーラはそう言うと、もう一度頭を下げ侍女に連れられて行く。ブルーノは怒りのぶつけ先を探して応接室にいる両親を睨みつけた。

 が、そこには泣き崩れる母と、目に涙を溜め母の背中を摩る父の姿があった。


「あのバカ息子のせいで、ノーラには酷いことをしたわ」


「本当に。しかし、これ以上ノーラを引き留める訳にはいかん。悲しいけれど、ノーラの幸せのために」




 ノーラを悲しませているのは、両親ではなくブルーノ自身だ。そのことに気づいたブルーノの怒りは、後悔や懺悔へと変わっていく。

 その上、両親にも辛い思いをさせている。両親には、一人息子であったブルーノだけでなく、娘のように可愛がっていたノーラまでも失わせたのだ。ブルーノの目から冷たい涙が溢れた。




「じゃあ、そろそろ行こうか」


 隣から声がする。ブルーノは少年を恨めしそうに見ながら言った。


「君には人の心がないのか? 君、名前は」



「タナトス」

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