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死神のしごと~タナトスの場合~  作者: ミズアサギ
第1章 私のざまぁは気づかれない

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第3話

 

「気は済んだ?」


 タナトスが呆れたように言う。リディアは憤然としながらハンカチーフで髪を拭いている。


 タナトスに部屋から出される時、リディアは必死に机にしがみついた。机から引き剥がされる瞬間、何かに掴まろうと手にしたインクの瓶をリディアは持ってきてしまったのだ。


 ブラッドがニコルの額にキスするのを目にした瞬間、リディアは怒りに任せてそのインク瓶をニコルに投げつけた。ニコルのピンク髪には黒いインクがベッタリ……となるはずだった。



 しかし今、なぜかリディアのグリーンの髪が黒いインクで汚されている。


「いいから、あなたのハンカチも貸しなさいよ」


 涙目になりながら命令してくるリディアに、タナトスは渋々自分のハンカチを差し出した。

 インクの瓶を投げた瞬間。きっとリディアの良心がブレーキを掛けたのだろう。リディアの手を離れたインク瓶は、そのままリディアの頭に落下したのである。


「インクがかかったパートナーの姿を見て、そのパートナーを嫌いになるほど狭量な男かな」


 リディアの髪を拭いてやりながらナタトスが聞く。が、リディアから返事はなかった。ブラッドがそんな人間ではないことは、リディアが一番よくわかっている。


「あなたは無事で良かったわね」


 リディアが鼻を啜りながら憎まれ口を叩く。タナトスは、リディアの目尻を自分のケープの袖で拭いてやりながら言った。


「このケープ、黒だから目立たないけど相当被害に遭っていると思う。袖とか」


 リディアは慌ててタナトスの手から顔を背けた。が、小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。



「額にキスしてたでしょう? どうしても許せなかったの。だって、生涯キスをするのはリディアだけだってブラッドが……」


 そこまで言うと、リディアは俯いてしまった。タナトスは黙ってリディアの髪についたインクを拭き続けた。




「もう……いいかな」


 しばらくしてリディアが呟いた。タナトスは手を止めてじっとリディアを見つめる。


「もう、いいや。ブラッドなんて、どうでもいい」


 リディアはタナトスをまっすぐ見て言った。その目には怒りの色も諦めも色もない。「無」の色だけが浮かんでいた。

 タナトスは立ち上がり、リディアの手首を掴んで歩き出した。


「ちょっと、どこに行くのよ。まだ髪が汚れたままよ!」


「まだらの髪が毒虫みたいでかっこいい」




 タナトスはギャーギャーと騒ぐリディアを引っ張り、早足にどこかに向かう。リディアが疲れて大人しくなった頃、ようやくタナトスの足が止まった。


「ここは……」


 リディアは目の前の建物を見て息を呑んだ。

 そこは、リディアとブラッドが結婚式を挙げる予定の教会だった。


 呆然として動けないでいるリディアを気にすることなく、タナトスはリディアを教会の敷地内へと引っ張って行く。リディアは抵抗しようとしたが、あまりの力強さに諦めた。


 タナトスは聖堂には入らず、裏手へと進む。そろそろ日が落ちる時間。教会には人の気配がない。

 タナトスは教会のシンボルである聖なる木の影に隠れるようして、リディアを屈ませた。黙って従うリディアは、タナトスが指差した先に人がいるのに気がついた。


 こちらに背中を向けて跪くブラッドに寄り添うニコル。落日の赤色の中にいる二人は、まるで永遠の愛を誓っているように美しく、リディアはこくりと喉を鳴らした。


「これを見せたかったの?」


 前を向いたままのリディアから掠れた声が出る。それを意図したのならタナトスは意地悪だ。リディアはそう思ったが、不思議と怒りは湧かない。それどころか、ブラッドとニコルの姿に驚くほど感情が動かない。


 ついさっきまでは怒りや恨みしかなかったのに、とリディアは首を傾げる。それより、かすかに感じる違和感の方が気になって二人を凝視した。


「投げるものが無いから、大人しいね」


「えっ」


 タナトスが呑気に口を開くと同時に、違和感の正体に気づいたリディアは声を上げた。

 跪いたブラッドが両手をついて深く項垂れる。リディアは気づかなかったが、ブラッドはたくさんの花で埋もれる墓石の前にいたのだ。そこに刻まれた名を見て、リディアは息を止めた。




 跪くブラッドの肩は震え、嗚咽が漏れ聞こえてくる。

 その背中を、ニコルが抱くように支えていた。寄り添い合うように見えていた二人だが、今は悲痛そうにしか見えない。

 ブラッドの元へ歩き出そうとするリディアの手首を掴み、タナトスは自分の唇に人差し指を当てて見せた。


「まだ近くにいるような気がするんだ」


 ブラッドが声を絞り出す。ニコルは、そんなブラッドの背中を黙って撫で続けた。


「家業のための婚約だったが、愛していた人をすぐに忘れられやしない。その上、ニコルにも酷いことをしている。君にも最愛の人がいただろうに」


 ニコルが首を振る。その手はブラッドを一人にしないというように、ずっとブラッドに触れている。


「彼とは身分が違い過ぎました。それに投資を条件にして、喪が明けてすぐのブラッド様に婚約を申し出たのは私の父です」


 タナトスがリディアを窺う。リディアもタナトスを見つめる。


 そうか。そうだったわ。全部思い出した。

 あなたの心は変わっていなかったのにね。信じられなくてごめんなさい、ブラッド。逆恨みしてごめんなさい、ニコル……


 リディアが心の中で二人に謝罪した時。リディアの目の前から景色が消えた。



 ***



「思い出した?」


 どれぐらい時間が経っただろうか。タナトスの声にリディアは我に返る。

 リディアが今いる場所は、先ほどの教会の墓地ではなかった。ここは光も闇もない、音も遠い不思議な場所だ。ただ、なんとなく行くべき先はわかる。リディアが見つめる先には、薄い光が差していた。


「皆、私のことを無視していた訳じゃなかったのね」


「そうだね」


「あなたは?」


「迎えに来た」


「そっか」


「うん。行こう」



 リディアを漆黒の瞳で見つめていたタナトスが、光の方向に歩き出した。リディアは慌ててタナトスを追うと、そのケープの裾をギュッと握った。


「あなた、本当に意地悪ね。最初に教えてくれたら良かったのに」


「きっと信じなかったよ。それに、けっこう面白かった」


「……いい性格してるわね」


「初めて言われた」


「でしょうね」



 他愛もない話をしながら、いつの間にかリディアはタナトスの隣に並んでいた。タナトスのケープをしっかりと握ったまま。


「もしかして私、勘が悪い方なのかしら」


「相当ね。あと、素行も口も」


「普段は素行も口も悪くはないわ。ねぇ、他の人はそんなすぐに受け入れられるものなの?」


「うーん、君の場合は……」



 タナトスは黙った。

 リディアが亡くなった日。本来ならすぐに見つかるはずのリディアの魂を、タナトスは見つけることが出来なかった。

 死神(タナトス)にとって一番厄介なことに、リディアを強く想う人が多過ぎたからだ。タナトスが隣にいるリディアを見る。リディアは黙ってタナトスの言葉を待っていた。



「びっくりするほど鈍かったから」


 タナトスが誤魔化すと、何よそれと、リディアはタナトスの背中を叩いた。

 未だにリディアの両親と兄は毎夜泣いている。夜会にはリディアを悼む声が溢れ、リディアが押しかけたお茶会は友人たちがリディアを偲んで涙を流していた。

 特にブラッドの想いは、タナトスに眩暈を起こさせるほど強かった。

 タナトスはそのことをリディアには言わないでいた。



「あの人、泣いていたわね」


 タナトスは思わず立ち止まった。リディアはちらりとタナトスを見たが、歩みを止めない。ケープの裾を引っ張られ、慌ててタナトスはリディアの後ろを歩く。リディアは前を向いたまま、後ろのタナトスに話し掛ける。


「人の心は変わるって言ってたわよね」


 以前、タナトスが言った言葉だ。そうとも限らなかったよ……タナトスは心の中で答える。


「今は変わって欲しいと思ってるの」


 タナトスは、リディアの墓の前で泣いていたブラッドを思い浮かべた。二人はしばらく黙って歩いた。

 やがてリディアが立ち止まる。薄い光はいつの間にか目に前にあった。

 リディアは、タナトスのケープから手を離した。


「行くわ」


 前を向いたままのリディアが光の向こう側に進む。

 タナトスは思わず、リディアの手首を掴んだ。


「っ! だから痛いってば。タナトスの記憶力ってミミズ以下なの?」


 せっかくアザが消えたのにと、リディアが恨めしそうに言う。タナトスは慌てて手を離した。


「記憶力、毒虫よりは悪くない」


「やめてよ、その毒虫」


「毒虫、かっこいいよ。まだらで」


 何それと、リディアが睨む。タナトスは黙ってリディアを見つめた。


「今までありがとうね、タナトス」


「……仕事だから」


 仕事じゃ仕方ないなと笑ったリディアだったが、ふと寂しげな顔をして言った。


「人の心が変わるって本当ね。あの人のこと大好きだったのに、もう名前が思い出せない。あんなに隣にいたかったのに」


 リディアは、タナトスのケープを見つめる。


「それに今は、タナトスともっと話していたかったって思っている」


 そう言うと、リディアはパッと笑顔になった。その目には暖かそうな涙が浮かんでいる。


 ……その涙に触れてみたい。


 そう感じた自分に、タナトスは動揺して目を揺らした。


「行って」


「行くわ」


 光の中にリディアが消えて行く。リディアが見えなくなる瞬間、タナトスの耳にかすかにリディアの声が届いた。


「また心は変わるのよ。きっと」



 やがて光は消え、リディアの気配もなくなり、また光も闇もない音も遠い世界が戻ってきた。

 タナトスはしばらくその場に立ち尽くした。ふと視線を落とす。リディアが握っていたケープの裾は、不恰好な皺になっていた。


「心が変わってくれないとつらいくせに。心が変わられても寂しいくせに」


 タナトスは呟く。もう、それに答える声は聞こえてこない。


 毒虫みたい……タナトスはケープの皺を指でなぞり、ふふっと笑った。そしてフードを深く被り直す。


「またね、毒虫ちゃん」



 踵を返す。色も音もない世界に、タナトスの足音だけが溶けていった。


 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

次からは新しい章になります。

引き続き、タナトスのお仕事っぷりをお楽しみ下さい。


次回から夕方ごろの投稿になります。

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