表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コロロと高カカオチョコ  作者: fudo_akira


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第9章|一月の空白、あるいは静かなる贖罪

大きな事件なんてなくても、人の心は静かに変わっていく。

気づけば、昨日まで当たり前だったものが、今日は少しだけ遠い。

忙しさに紛れて見ないふりをしてきた違和感が、ふと輪郭を持つ瞬間がある。

この物語は、その“気づき”の手前で揺れる女性たちの話だ。

誰にも言えない心の温度を、そっと思い出すように読んでほしい。

十二月の末。 街を彩っていた華やかなイルミネーションは、役目を終えたかのように一夜にして姿を消し、代わりに凍てつく冷気と、新しい年を待つ落ち着かない静寂が街を支配していた。


あきらは、郊外の場末にある古いアパートの一室にいた。 会社を懲戒解雇され、広報の女から突きつけられた法外な損害賠償と弁護士費用を支払うために、分譲マンションを含む資産のほとんどを切り崩した。手元に残ったのは、わずかな着替えと生活必需品。そして、バッグの底に紛れ込んでいた、あのカカオクランチのチョコ二つの包み紙だけだった。


暖房の効きが悪い六畳間で、あきらは結露した窓の外を見つめていた。 社会的死――。その重みを、彼はこの一ヶ月、骨の髄まで味わわされていた。あきらがユキに向けた「国家機密」や「極秘組織」といった虚言は、第三者から見れば弁解の余地のない狂気でしかなかった。誰一人として、彼の真意を問う者はいなかった。


一月の中旬。あきらは新しい仕事を見つけた。ビルの夜間清掃だ。 深夜から明け方にかけて、誰もいなくなったオフィスビルを巡り、ただ黙々と汚れを落としていく。誰とも目を合わせず、言葉も交わさない。それは彼にとって、一種の儀式のような、静かな救済の場でもあった。


ある夜、清掃を終えた駅前のロータリーで、あきらは一台の車を見かけた。 あの十月の午後、イオンの駐車場で見かけた車種だ。ナンバーの末尾二桁も記憶と合っている。一瞬、心臓が爆ぜるように跳ね上がる。彼は反射的に、工事用コーンの影に身を隠した。


クリスマスで賑わう駅前は、カップルや親子連れで溢れていた。 車から降りてきたのは、大学生くらいの娘を連れた見知らぬ親子だった。ユキにどこか雰囲気の似た母親の、穏やかな横顔。それを見たとき、あきらの頬を冷たい一筋の涙が伝った。


(ああ、俺が壊したのは、これだったんだな)


ユキの笑顔。あのエスカレーターホールで、別れを告げるように手を振った、あの柔らかな笑顔。 自分はあの笑顔を信じて、彼女の「さよなら」を正しく受け入れるべきだったのだ。彼女を「守る」という名目で、彼女を最も恐れていた場所へ引きずり戻したのは、他ならぬ自分だった。


「……ごめん、ユキ」


あきらは、白く濁る吐息とともに、初めて心からそう呟いた。 執着でもエゴでもなく、ただ一人の人間として彼女の幸せを遠くから祈ること。それが、一生をかけて背負い続けるべき「罰」なのだと。


アパートに戻ったあきらは、大切に保管していたチョコの包み紙を取り出した。もとの輝きを失い、角が擦り切れてボロボロになったそれを、彼は迷うことなくゴミ箱へと落とした。


思い出という名の重しを、一つずつ捨てていく。 広報の女が作り上げた「正しすぎる世界」からも、ユキとの「偽りの楽園」からも、彼は今、ようやく解き放たれようとしていた。


十年という時間は、消えたのではない。別のものに変換されたのだ。 皮肉にも、警察署で語られ、書き取られた出来事、形式的に列挙された調書、彼の取り調べ内容と、彼女の証言。 それだけが、二人が確かに交差していたことを示す「この世界で唯一の記録」となった。


そこには、感情は含まれていなかった。 慈しみも、悦びも、十年の歳月の温度も、すべてが法的な用語へと置換され、脱臭されていた。 それは関係の履歴ではなく、終わりが公式化された証明書。二人がもう二度と「愛し合う人間同士」に戻れないことを公的に定義した、冷たい墓標だった。


翌朝。窓の外には、夜通し降り続いていた真っ白な雪が降り積もっていた。 汚れも、嘘も、後悔も、すべてを等しく覆い隠すような、無垢な白。


あきらは古びたダウンジャケットを羽織り、仕事へ向かうためにドアを開けた。 誰の目にも留まらない、けれど確かな一歩。 彼の贖罪は、これからも続いていく。 真っ白な世界に向かって、彼は深く、深く、祈りを捧げた。


(完)

大人になると、恋も別れも、声を荒げずに静かに終わっていく。

その静けさの中で、自分だけが取り残されたように感じることもある。

けれど、痛みの正体に気づいた瞬間から、人は少しずつ前に進める。

ユキの物語は、誰かの過去の記憶と重なるかもしれない。

読み終えたあなたの心に、そっと寄り添う余韻が残っていたら嬉しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ