名前のない祈り
無色の少女は、祈るという行為を知らなかった。
誰かに教えられたことはないし、
祈ったところで何かが変わるとも思えなかった。
それでも。
夜になると、
胸の奥が、少しだけざわつく。
白い部屋の照明が落ち、
世界が曖昧になる時間。
少女は、膝を抱えたまま、
目を閉じる。
――もし。
そんな言葉を、
心の中で転がしてみる。
もし、誰かが、
わたしを見ていたら。
もし、わたしに、
呼ばれる言葉があったら。
それは祈りというより、
ただの想像だった。
けれど、その想像が、
胸を少しだけ軽くする。
「……」
少女は、口を開く。
声にするかどうか、迷って――
結局、声にしない。
言葉にしてしまったら、
世界に否定される気がした。
研究室では、
ルミナが一人、端末を眺めていた。
無色個体のデータ。
数値は、相変わらず安定している。
それなのに、
彼女の中には違和感があった。
「……祈り、か」
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
馬鹿げている。
非科学的だ。
無色個体が祈るはずがない。
名前も、信仰も、未来も持たない存在が。
――本当に?
ルミナは、記録を遡る。
夜間の脳波データ。
そこに、
微細だけれど、確かな変化があった。
活動している。
何かを“思っている”。
「……」
彼女は、端末を閉じた。
これは、報告しない。
報告すれば、危険判定になる。
守りたい、という感情が、
はっきりと芽生えている。
カイルは、巡回の途中で、
足を止めた。
白い部屋の前。
今日は、少女は眠っているように見えた。
目を閉じ、呼吸は穏やか。
その顔は、
少しだけ、安らいでいる。
「……」
カイルは、扉越しに小さく呟く。
「祈るな」
誰に向けた言葉か、
自分でもわからない。
祈りは、希望を生む。
希望は、奪われた時に人を壊す。
それを、彼は知っている。
それでも。
少女の胸の奥で、
小さな祈りが、生まれていた。
名前も、形もない祈り。
――呼ばれたい。
ただ、それだけ。
その願いが、
やがて世界のルールに、
静かに亀裂を入れることになる。
まだ、誰も気づいていなかった。




