観測者ルミナ
ルミナは、自分が向いていない仕事を選んだのだと思っていた。
白衣は似合っている。
知識も、判断力も、評価もある。
それでも――この施設にいると、時々息が詰まる。
「観測対象、今日も異常なしです」
端末を操作しながら、そう報告する。
“異常なし”という言葉は、便利だった。
何も起きていない。
何も感じていない。
何も、問題はない。
そう言い切ってしまえば、
それ以上、考えなくて済む。
ルミナは観測室のガラス越しに、少女を見る。
無色個体。
記録上、そう呼ばれている存在。
少女は椅子に座り、膝の上に手を置いていた。
背筋は伸びている。
姿勢は、やけに“良い”。
――教えられていないはずなのに。
「……」
ルミナは、ふと気づく。
少女が、こちらを見ている。
正確には、見ようとしている。
焦点が合っていない。
視線は彷徨っているのに、
それでも必死に“誰か”を探している目だった。
胸の奥が、わずかに痛む。
「無色個体は、こちらを認識できませんよ」
隣にいた研究員が、淡々と言った。
「自己認識が曖昧ですから。
こちらを“人”として認識する回路が、形成されていない」
「……そうですね」
ルミナは頷く。
理屈は、理解している。
何度も聞いた説明だ。
それでも。
少女が、ほんの一瞬だけ、
こちらに向かって口を動かした。
声は、ガラスに遮られて聞こえない。
唇の動きだけが、伝わる。
――なにか、言おうとしている。
「今、何か……」
「錯覚ですよ」
研究員は、すぐに否定した。
「無色個体は、意思疎通を行いません。
発声はあっても、それは意味を持たない」
意味を、持たない。
その言葉が、ルミナの中で引っかかる。
少女は、意味を持たない存在。
そう定義されている。
――でも、本当に?
観測時間が終わり、記録を閉じる。
いつも通りの作業。
けれど、最後に一行だけ、
ルミナは報告書に書き足してしまった。
【追記】
対象は、外界への認識反応を示す可能性あり。
書いた瞬間、指が止まる。
これは、規定外だ。
余計な感情が入り込んでいる。
消そうと思えば、消せた。
でも――消せなかった。
ルミナは、ガラス越しにもう一度少女を見る。
少女は、もうこちらを見ていない。
膝の上で指を絡め、静かに座っている。
それなのに。
胸の奥で、はっきりと思ってしまった。
――この子は、誰かに呼ばれるべきだ。
その瞬間、
ルミナは“観測者”ではなくなった。
そしてそれが、
この世界にとって、
最初の小さな誤りだった。




