ヒロインに成り代わる代償
冷や水を浴びせたように、その場がしんと静まり返った。
ヘンリエッテはまだ誤魔化せると踏んでいるのか、何のことかわからないといった笑みを浮かべたままだ。さすがに図太い。
目的のためには手段を選ばない度胸は買うが、いくらゲームの世界とはいえ、お金にまつわる話は安易に飛びついてはいけない。
本人は真相を知らないようだから、早めに教えてあげるのが親切というものだろう。
「ヘンリエッテ様。あなたにお金を貸してくれた優しい方、無担保無金利と謳って近づいてきたのではありませんか?」
「……どうしてそれを」
「簡単な話です。だって、高利貸しで有名な方ですから。今の借金の総額、とんでもないことになっているはずですよ。すぐにご確認なさったほうが賢明ですわ」
「でっ、でたらめよ! お金を返すのは三年後でいいって言われているんだから。その間は無金利で……! 第一、あとで一括で返すって話はついているもの」
ヘンリエッテはどうやら人を疑うことを知らないらしい。
詐欺師は優しい顔で近づいてくる。もしかしたら、そこから知らないのだろうか。
(いえ。ゲームのモブとしか見ていなくて、現実だと認識していなかった可能性もあるわね。借金が膨れ上がれば、どうなるか。落ち着いて考えればわかるでしょうに)
アナベルは困ったように頬に手を当てた。
孤児院の子どもたちに教えるように、優しく丁寧に説明する。
「無金利でお金を貸して、商売など成り立つわけがございません。お金を貸す職業の方は、儲けられる仕組みがあるから続いているのです。貸した金額以上を回収するのが彼らの仕事です。金利や担保なしで、お金を貸してくれるはずがないのですよ」
「で……でも。私はちゃんと契約書を読んでサインしたもの。何も問題なんてなかったわ」
「契約書には細工がしてあったはずです。調べればすぐにわかります。……残念ですが、法外の利息で有名な高利貸しに目をつけられた以上、逃がしてもらえないでしょう。あの方たちの情報網はすごいのですって。きっと、どこに逃げても絶対に探し出すでしょうね」
これは脅しでもなんでもない。ただの事実だ。
案の定、ヘンリエッテの表情がこわばった。前世のドラマや漫画から、自分の行く末が想像できたのだろう。
アナベルは哀れな婚約者に視線を戻す。
「エフモント様は、ヘンリエッテ様と永遠の愛を誓われるのでしょう? 真実の愛は偉大ですね。愛する方と生きていくために、借金返済の地獄に自ら足を突っ込んでいくなんて、わたくしにはとても真似できませんわ」
今まで呆然としていたエフモントがはっとした様子で、青ざめるヘンリエッテを見下ろす。彼女はさっと視線を逸らし、うつむいた。
その様子を見てもなお、彼は現実を受け入れられないようだ。
「いやいや、ヘンリエッテに限ってそんなこと……。頼むから噓だと言ってくれ」
「…………」
「ほ、本当に君が借金を? オレはそんな話、聞いてないぞ……ッ」
エフモントが拳を握りしめ、ぷるぷると震えた。
彼が知らないのも無理はない。清廉潔白のヒロインになりきるために奔走する女が、そう簡単に素顔をさらすはずがないのだから。
学園でのヘンリエッテの振る舞いはヒロインに準じていたが、決定的に違うものがある。財力だ。シナリオでは、ヒロインは母親が病死したことで父親に引き取られる。裕福な伯爵家で、美しいドレスや豪華な食事を与えられ、愛情をたくさん注がれるのだ。
けれども、ヘンリエッテは貧乏な子爵家の生まれだ。
仕草や台詞は真似できても、財力だけはどうにもならない。
この乙女ゲームはゆるい設定なので、攻略はさして難しくない。ただ、ネックになるのはプレゼントシステムだろう。
好感度上げで重要なのは二点。
選択肢を間違えない、こまめにプレゼントを贈り続ける。これだけだ。
(攻略するには、相手好みのプレゼントを渡すのが必須。言い換えれば、ひたすら貢ぐ必要があるということ。しかも、エフモントは高価なものでなければ好感度が下がる。あとで回収できると高をくくっていたのでしょうけど、一体どれだけお金をつぎ込んだのかしらね)
ヒロインであれば、毎月お小遣いが支給されるので何の問題もない。
だがヘンリエッテにそんな便利なシステムは適用されない。どうにかしてでも、お金を継続的に調達しなければならない。
彼女はどこから資金を得てきたか。
その答えは、執事に依頼した調査報告書に詳細にまとめられていた。
「女が着飾るのは外見だけではありませんのよ。身の上話を創作し、殿方の同情を集める。その女は悪意なくやってのけることができます。果たして、病弱な家族が一体どれだけいるのでしょうね」
「…………」
「愛の証しに宝石をねだられて、エフモント様はほしいままに与えていたと小耳に挟みましたが……。彼女は、あなたから贈られた宝飾品を今も手元に保管しているでしょうか?」





