婚約破棄されたので国を出たら国が滅びました
「君のおかげで今回もこの国の滞在は最高なものになったよ。どうもありがとう」
「恐縮です」
「これ、宿泊費。もし足りなかったら言ってね」
「まあ、いつもありがとうございます」
東の帝国の第二皇子、イズミ様の言葉に笑顔で返す。イズミ様は長い黒髪を三つ編みにした背の高い殿方で、切れ長の瞳が魅力的な和風イケメンだ。
彼は今は一泊したこの国を出発して南の王国に向かうところである。
私はカリンナ・カミオ。イナチサ王国にあるミカオ侯爵家の娘で、王太子の婚約者だ。
容姿は我ながらけっこう美人で、豊かな赤い髪から薔薇の花に例えられるほど。まあ、そのせいでわがままで評判の王太子に見初められてしまったのだから、良いことばかりではないのだけど。遅くに生まれた王太子は甘やかして育てられ、大変な問題児なのだ。
この国は東西南北を四つの大国に囲まれている。そして、その四つの国がお互いの国を行き来するためにはこのイナチサ王国を経由する必要がある。陸続きの国々は山脈や川、森などで国境が作られているためだ。
元々はこの国の他にも小さな国がいくつかあったのだけど、今ある四つの大国に飲み込まれて残ったのはこの国だけ。
どうして生き残ったかと言うと、当時の国王が大国たちが攻め込んで来た際にその王たちを全力でもてなし、それをたいそうお気に召した大国の王たちはこれ以降ももてなしを続けるならイナチサ王国の存続を認めたのだという。
まあ、大国側からしてもよその大国との緩衝地帯兼補給場所として置いておくことにしたのだろう。
ちなみにこれは魔法で契約されており、破るとその国の王族が死ぬので今まで遵守されている。
「公務なんて億劫だけど、ここに来れるのだけは嬉しいよ。次が待ち遠しいな」
「ありがとうございます。私はもうもてなしの担当を外れますが、ぜひまたお出でになさってください」
「……君が?一体どうして?」
私がそう言うと、イズミ様は目を丸くしていた。
「婚約破棄になったんです」
「なおさらどうして?君みたいに素晴らしい女性を手放すなんて冗談だろ?」
「ありがとうございます。でも、私が至らないんです」
この国では、周りの国からの王族が来ると希望に応じてもてなさなければならない。その役目をするのは王太子。計画から実行までを王太子が、いなければ王妃が担う。
その役目を王太子は私にすべて丸投げて、自分は遊び呆けていた。けれど、忙しい私が構ってくれないと言って浮気三昧。今のお気に入りはどこぞの伯爵令嬢らしい。私は王妃教育に、そもそも王太子の仕事を肩代わりさせられているから、そんな時間を捻出できるわけもないのに。
でも、このお客様のもてなしだけは押し付けられても嫌じゃなかった。
私には前世がある。
前世で日本の老舗旅館の娘として生まれた私は、そのいろはを徹底的に叩き込まれ、私自身も天職だと思って働いていた。その経験もあってか、このもてなし係の仕事はとても楽しかったのだ。王太子に対しての未練は全く無いけれど、この仕事ができなくなることだけは悲しいくらいには。
「至らないってどういうこと?君の仕事ぶりは完璧だったと思うけれど」
「王様方の滞在頻度が減ったそうなんです」
「うん?」
「……イズミ様は必ず寄ってくださいますけれど、王妃様の時よりもてなしを希望するお客様が減っていたようで。きっと、私の考えた宿が気に入らなかったに違いないと。十分なもてなしができていなかったのではと言われまして。その責任を取って婚約の破棄を命じられました」
「あー……」
なにやら思い当たる節があるのかイズミ様がうめく。今の四つの大国たちの関係は良好なので、王族同士でそういった世間話をすることもあるのかもしれない。
元婚約者の王太子殿下によれば、私の提案していた滞在プランは質素で貧乏くさいから皆泊まらなくなったんじゃないかと。
日本の旅館にイメージを寄せた部屋は落ち着ける空間に仕上がったと思ったし、テスターとして何人かに泊まってもらった時は好評だったんだけど、普段から贅沢な生活に慣れた人間には受け付けられなかったのかもしれない。貴族や王族は本音と建前を使い分けるものだから、もっと言葉の裏を読むのだった。
「……でも、本当に君が悪いんじゃないよ。ここでは人の目があるからちょっと言えないんだけど、他の国の人や、うちの親父だって事情があって泊まらないだけだし」
「お気遣いありがとうございます」
これこそ本音と建前だ。微笑みで返すと、イズミ様は苦笑いを浮かべた。
「さては信じてないな……?ところで、婚約破棄されて王太子妃でもなくなった上に国を出なきゃいけないわけだけど、これからのことは決まってるの?」
「はい。幸い、うちは領地を持っておりませんし、父は財務大臣の職と爵位を返上して、国を出ると言っています。私と母、それから弟もそのつもりでいます」
私は父を止めたけれど、父は頑なで絶対に気持ちを変えなかった。
最初、私の失態でこうなってしまったのだから、罰は自分だけが受けると言ったのだ。でも、家族は私のことをねぎらってくれ、『ここまでやって来れたのはお前のおかげだ』とまで言ってくれて。私を責める素振りは一切なかった。
さすがにおかしいと思って母にこっそり聞いてみたら、父は仕事が激務すぎてもう限界だったんだとか。それで、今回のことは渡りに船だったらしい。
今や誰よりもウキウキで国を出る準備をしている。そうそう、父の後釜には王太子の浮気相手の伯爵令嬢の父親が座るらしい。さもありなんな人選だ。
「今のところ、東の国に行かせていただこうと思っているんです。実は別荘があるので、そこに移り住もうかと」
「うち!?」
「いや、でも、もし嫌でしたら行き先を変えますので……」
「嫌じゃない!むしろ嬉しいよ!……あ、えっと、ほら!うち、今、文官が足りてなくさ。君のお父上のような人が来てくれたらいいなと常々思ってたんだ。ほら、お父上はうちの国に留学もしてたんだろ?のどから手が出るくらいに欲しい人材だよ」
「まあ。それを聞いたら父も喜びますわ」
今のところでもツテを頼った就職のあてはあるようだけど、父は東の国が文官募集をしているのを聞いて採用試験を受けようかと言っていたから、これを聞いたらとても喜びそうだ。
イズミ様は私にお怒りじゃなさそうだし、ひと安心。今から東の国に行くのがとても楽しみである。
「惨めだな」
カミオ一家は最後の王への挨拶を済ませ、このまま東の国に向かうらしい。数台の馬車が連なって城を離れていく。
その様子を自室の窓から見下ろしていた王太子、タカレバー・イナチサはつぶやいた。
金の使い方に文句の多い財務大臣と堅物で可愛げのない婚約者が一気に片付いて、もう笑いが止まらない状況だった。
国一番の美姫と呼ばれた母譲りの美貌と並んでも見劣りしない女を選んだつもりだったが、やはり容姿しか見なかったのは失敗だった。自分に相応しいのはやはり……、タカレバーは横に目を向ける。
「いい気味だこと。まるで夜逃げのようですわね」
隣に寄り添っていた新しい婚約者、フィリアがくすくすと笑った。
フィリアは砂糖菓子のように甘い声と大きな瞳が愛らしい女性で、カリンナとはまるで正反対の雰囲気を持つ。
思えば、婚約を破棄できたのはフィリアのおかげだった。彼女が以前より隣国の王族たちのこの国での滞在頻度が減っていることを指摘してくれたおかげで、カリンナを婚約者の座から追いやることができた。
カリンナの宿泊プランははっきり言って最低なものだった。
床に座らせ、床に直接布団を敷いて寝かせる。食事も地味で粗末。自分は口にする気も起きなかった。
その他にも外に風呂を作っていたり、あまりにめちゃくちゃ。
父上にもこの事を伝えると、すぐに婚約破棄を認めてくれたばかりか、カミオ侯爵を財務大臣から辞することを受け入れてフィリアの父親を新しい財務大臣にしてくれた。
「これから忙しくなるぞ」
「精一杯お手伝いいたします」
「頼りにしている」
フィリアか考えた贅を凝らした豪華な部屋はきっと他国の王族も気に入ることだろう。
以前、東の国の王子がカリンナに金を払う姿を見たことがある。後からこっそり確認すると、中身はすべて金貨でずっしりとした重さがあった。
あれが今以上の頻度で手に入るようになったら、どれだけ国庫が潤うだろうか。少しくらい小遣いとして抜いても十分そうだった。
タカレバーはフィリアの肩を抱き寄せながら笑った。これからが楽しみでならなかった。
「ねえ、部屋にあったお菓子って食べちゃったけど、本当に無料なの?」
「はい。あちらはサービスになります」
「よかったー!すっごく美味しかったから、もしかして有料かもって心配になっちゃったんだよね」
「ありがとうございます。こちら、そのお菓子を作ったお店のドリンクサービス券です。カフェもやっておりますので、もしよろしければ行ってみてください。少しわかりにくい場所にありますが、裏面が簡単な地図になっていますのでお使いください」
「うわ、嬉しい!ありがとう、さっそく行ってくるね!」
「はい、行ってらっしゃいませ」
兎の獣人のお客様にキャロットケーキは受けが良かったらしい。サービス券を受け取った女性は軽い足取りでその店に向かったようだった。
私は今、東の国の宿屋で働いている。家族やイズミ様がここでは自分で宿屋を開いてみたらどうだと言ってくれたんだけど、イナチサ王国でのことがある。
あの時の私の対応は間違っていたのか一度見つめ直したくて、イズミ様にご紹介いただいた宿屋で従業員として働いていた。
ちなみに、先ほどのサービスのお菓子は私の提案だ。
味はいいのに立地が悪くてなかなかお客の入りが悪いお菓子屋さんと提携して、格安でお菓子を卸してもらう代わりにお店の宣伝をしている。これの評判は上々で、お菓子屋さんの売り上げも増えたそうだし、宿屋もリピートしてくれる人が増えた。
たかがお菓子ということなかれ。こういう小さな気遣いの積み重ねがお客の獲得に繋がるのだ。
「調子はいいみたいだね」
「イズミ様、いらっしゃいませ。今日はどうなさったんですか?」
「たまたま近くに来たから寄ってみたんだ」
お客様の背中を見送る私に声をかけたのはイズミ様だ。彼は私のことを気にかけてくれていて、よくこうして様子を見に来てくれていた。
「仕事にはもう慣れたかい?」
「ええ。おかげさまで」
「それはよかった。……さて。じゃあ、そろそろ答え合わせをしようと思うんだけど、君の接客に致命的な問題点はあったかい?」
「……それが、どうしてもわからなくて」
父やイズミ様はどうして隣国の王族たちがあまり来てくださらなくなったのか教えてくれようとしたのだけど、私がそれを拒んだ。それは自分で見つけたかったからだ。
しかし、こうして他所の宿屋で働いてみてもさっぱりわからず。むしろ、あの時の行動をなぞっても喜ばれるばかりなのである。王族と平民の価値観の違いだろうか。私にはもう皆目見当もつかない状態だった。
「わからなくても仕方ないよ。……どうして隣国の王族たちがイナチサ王国で滞在するのを少なくしたかといえばね、」
「カリンナ!!」
ぶち破る勢いでドアが開く。
えっ、なに!?今、イズミ様がすっごく大事なことを言うところだったのに!
少し苛つきながらそちらの方を見て、しかし私は驚きで目を見張った。だって、そこにいたのはイナチサ王国王太子にして、私の元婚約者だったからだ。
しかし、一瞬誰だかわからなかった。
だって、毎朝二時間かけて髪の毛をセットさせるくらい見た目に気を遣っていた彼が、髪はボサボサ、肌もなんだか荒れ気味だ。服は一度着たらもうその服は着なかったのに、見覚えがあるものを身につけている。
「これはこれはタカレバー殿下。そんな慌てた様子でどうなさいましたか?」
「い、イズミ殿下……」
やだ、目が血走っていてなんだか怖い。
思わず後ずさったところをイズミ様に支えられた。そのまま彼は私の肩を抱きながら、にこやかにタカレバー様に話しかける。
それでようやくタカレバー様はイズミ様の存在に気づいたようだ。はっと目を見開いて、しかしすぐに彼にすがりついた。
「あなたがカリンナたちを連れて行ったのですか!どうか彼女を返してください!」
「言いがかりはやめていただきたい。カミオ一家は自分の意志で我が国へ移住したのですよ」
イズミ様が毅然と返すと、今度は私に顔を向けた。
「カリンナ、前のことは水に流してやる。王太子妃にも戻してやるから国へ戻ってこい!」
「嫌です」
私は使用人にお世話される優雅な生活よりも今の方が性に合っているし、家族の皆も今の方が楽しそうだ。だから即答して謝ると、
「……お願いだ!謝るから戻ってきてくれ!フィリアと別れる!だから……、」
タカレバー様、なんと土下座をした。
呆気にとられた私が固まっていたら、「やれやれ……」イズミ様が訳知り顔を浮かべている。
「自分たちがどれだけ彼女に助けられていたか、ようやく理解できたかい?」
「助ける……?」
私って、王様方のお気に召さない宿を提供して不興を買ってしまったのではなかったのだろうか。
なにやら置いてけぼりの気配がする。きょとんとしていると、優しい笑顔を浮かべたイズミ様が私の方を向いた。
「君自身も王族をもてなす仕事を担当していたからわかると思うけど、あれって費用が結構かかるよね」
「それはまあ。でも、他国の王に中途半端なことはできませんし……」
とはいうものの確かに予算には限りがあるから、いろいろ考えた末に物珍しさで勝負しようと前世の旅館を゙再現していた。
王妃がもてなし係りをしていた頃は恐ろしいくらい費用をかけていて、父からその書類を見せられて血の気が引いたのは記憶に強く残っている。あれは財政をさぞかし圧迫したことだろう。
「君の仕事に対する姿勢は尊敬するよ。……それでね、君の考えた宿泊プランは見事に王たちの心を射抜いていた。しかし、そう足しげく通っては国と君の負担になって、サービスの質が下がるのではと考えたんだね。利用するのはひと月に一度まで王たちは決めた。……しかし、そうしたらどうだ。自分らが頻度を落としたせいで君は国を追われて、代わりに用意されたものは自分達の嗜好をまるで無視したものばかり。なまじ、君の個人に寄り添うサービスを知っていたから怒りは凄まじかったようだよ」
「……ちなみに、どのような宿泊プランを提供なさったのでしょうか?」
「そうだね。菜食主義の北の王にそりゃあもう分厚い牛肉のステーキを振る舞ったり、美容にうるさい南の女王に砂糖とバターたっぷりのお菓子を出し、愛妻家の西の王に夜伽役を差し向ける。それで、うちの親父は露天風呂に入って一杯やるのが楽しみだったのに、キンキラキンの趣味の悪い風呂に案内されて帰国後一週間は機嫌が悪かった。わざとやっているのかと思うほどだよね」
「カリンナの考えたプランが気に入ったならそう言ってくれればよかったんだ!そうしたら、俺もこいつを追い出したりしなかった!」
「言ったら、カリンナを休みなしで働かせただろう?ただでさえ王妃教育と君の仕事を肩代わりして忙しいというのに。それに、先ほども言ったが他国の王族を迎え入れるのは金がかかる。まったく足を運ばなくなったわけでもなし、むしろ喜ばれると思ったんだが?……ああ、カリンナの父上がそう進言したのを娘可愛さの戯言だと切って捨てたんだったか」
二人の話を聞きながら、私は顔を覆う。一応、各国の王たちの好みなどをまとめたものを置いてきていたのだけど、彼らは全然見てくれなかったらしい。
北の王様には精進料理をお出ししていたし、南の女王様には脂質が少ない和菓子をお出しして、普段節制しているお二方には大変喜ばれていた。また、西の王夫妻には二人でゆっくり寛げるように警備の配置などに気を遣い、お忍びで楽しめるデートコースの提案、露天風呂をお気に召した東の帝にはとっておきのお酒とおつまみを用意していた。
それらをまるで逆のことをやっていたとは……。もう関係ないとはいえ、なんだか申し訳なくなってきてしまった。
それと父も。国を出たのも私についてくれただけではなくて、国を見限ったのもあったらしい。
それを言ってくれれば私もこんな罪悪感に襲われなくて済んだのに……。ああ、でもそれを言ったら『カリンナは顔に出やすいからな』って言われちゃいそう。確かに、状況がバレたら国から逃げられなくなってしまう。
「それで、王様方は来なくなってしまったんですか?」
「逆だ!来るんだ!三日と空けずにやって来て、しかもあいつら金を払わないんだ!そのせいで国の財政は破綻寸前だよ!どうか戻ってきて助けてくれ!」
「まあ、侵略しない代わりに宿を提供する約束なのですから、代金はいただきませんのよ?」
「で、でも、イズミ殿下は払っていたじゃないか!」
タカレバー様は唾を飛ばしながら食い下がる。
……こんなことも知らないなんて。私はもう大きなため息が出てしまった。
「イズミ様は自分は王じゃないからと気遣ってくださっていたんです。契約は王をもてなすことでしたから」
「俺は親父に行くなら金を払えときつく言われていたしね。……ま、諦めた方がいいんじゃないかな。カリンナ以前はイナチサ王国が余計な力をつけないように定期的に泊まりに行ってたけど、もうそれも嫌なんだってさ。親父たちはいっそのこと通い詰めてそっちの国をさっさと潰すつもりだよ。国が勝手に破滅する分には契約違反にならないからね」
「そ、そんな……」
「俺も好きな子が粗末に扱われて頭にきてるんだ。だから、さっさと帰って今後の事を考えた方が賢明じゃない?」
イズミ様は呆然とするタカレバー様の腕を掴んで外に放り出すと、一切の躊躇なく扉を閉めてしまった。そうして、振り返って私の顔を見た彼は「あっ」大きな声を上げて。
どうやら先ほどの自分の『好きな子』発言を思い出したらしい。瞬く間に顔を赤くして、
「まあその、そういうわけなので……」
ボソボソと言いながら、恥ずかしそうに顔をそっぽに向けてしまった。
その後、国としてやっていけなくなったイナチサ王国は四つに分割され周囲の東西南北の国に吸収された。
そうして、私は吹っ切れたイズミ様の怒涛のアプローチを受けて、彼の妻となることになるのである。




