第35話 私の運命の人
「アン!」
「きゃああっ!」
リロの声とユーリィの悲鳴が聞こえた。
「分かるな? お仕置きだ」
視線をエフィームに合わせてみる。長い前髪が片目を隠し、右目だけがギラギラしていた。
「ひっ……!」
紛れもない恐怖に情けない声が漏れ出た。最初の一撃であばらは折れている。
「エフィーム! けじめはうちが付けるっち言うたやろ!!」
「必要ない。そいつらは必ずマサキに殺させる。けじめを付けると言うならお前は獲物を逃がさないようにしておけザカエラ」
「ああ……もう……」
「何よそれ! 大人しくなんかしてないから! 私だってシェークスト騎士団のっ……くっ?!」
ザカエラの諦めた様な溜息の後に、リロの勇ましい声が聞こえてきたがすぐに途切れた。
一瞬ぐにゃりと空間が歪んだ感覚。
リロがザカエラの幻術にかけられたのだろう。おそらくはユーリィも。
真っ暗な空間に放り出されてワケの分からない恐怖心でいっぱいにさせられるのだ。
「く……、リロ……」
俺の呻き声を聞いてエフィームが甘い声を出す。
「お友達が心配か? 大丈夫、お前に殺させてやる」
片手でぶら下げられたまま、もう片方の手で顔を殴り付けられ、そのまま往復で裏拳が入る。鈍い痛みが走り、口から白いものが飛び出す。俺の奥歯だ。
「気に入らなかったらやり返して来ても良いんだぞマサキ」
やり返せだと……?
幼い頃から俺を恐怖で支配しているくせに!
「くそ……! くそっ! くそっ……!」
意識して黒いものを纏っているのだろう。これで動ける奴が居るのだろうか。俺だけが、こんなにも恐怖を感じるのだろうか。
何で動けない? 何で! 何で……!!
動けないままに、ただ俺を殴る鈍い音が、何度も神殿に響く。
「マサキ、可哀想に……。ルイスがお前なんかにやられるわけないだろう。本当に殺ったと思ったのか? お前が言うんだ、確かにお前の剣は奴を貫いたんだろうよ。真っ赤な絨毯と言ったか? それを濡らしたものが何故血だと決めつけたんだ?」
「な……に……」
「恐らく絨毯を濡らしたのは血じゃなくてただの水だよマサキ。従順な奴の精霊がやったんだろう。そうなると、お前が貫いたと言う剣も……、ただ真っ直ぐ突けば良いだけの軌道をルイスが作ってやったと考える方が自然だ。まんまとお前は剣を伸ばし、そこに予め水の精霊を忍ばせておいてすぐに傷を癒したと言ったところだ。思い出してみろ、致命傷を狙えるそこ以外に、隙はあったか?」
言う通りだ……。あまりにも、そこしかないと思えた。誘われるままに、水の精霊が待つそこへ俺は剣を……。
「ちくしょう……」
馬鹿にしやがって……!
「悔しいかマサキ、なら血の匂いを覚える事だ」
なおも俺を吊り上げたままで腰の辺りから短剣を取り出し、エフィームはそれでゆっくり俺の額をなぞった。
「ああああっ……!」
ぱっくりと割れた傷口から血が溢れて顔が濡れる。
「アン!! 大丈夫?! アン!」
「甘いぞザカエラ、喋らせるな」
絶え間なく額から流れてくる血に、あまり匂いは感じなかった。
口の中に広がる血の味でさえも。
それよりも俺を心配するリロの声に意識が集中する。
ザカエラの幻術の中でどうして声が出せるんだ。
「甘かつもりは……んんっ……」
「あっ……アン……うっ……くっ……」
「……リロ……やめてくれ……」
今度はリロの苦しそうな声にまた気をやってしまう。
そんな俺を床に投げ捨て、ゴミを見る様な目でエフィームが続けた。
「しっかり覚えろと言っているんだ」
そしてみぞおちに激しい衝撃。蹴られたのか殴られたのか、もう分からなかった。何度も何度も、その衝撃に悶え続ける。
「エフィーム! もうよかやろ! わざわざ死んだふりなんかするっち事は、こっちの計画がばれててなにかしらハメられた可能性が高いばい! 幸い早く気付けたっち、グズグズしとらんで次ん動きば……ンガハッ……!」
ふいにザカエラの呻き声と何か鈍い音が聞こえて、俺とエフィームの間を金色の光が遮った。
リロ……!?
「これ以上アンに酷い事しないで!」
両手を広げてエフィームの前に立ちはだかるリロ。
その向こうにあるエフィームの顔が驚きに変わっている。
「な……、何故動けた……ザカエラ!?」
ザカエラの失態と踏んだエフィームが振り向いて怒鳴りつけるが、ザカエラは祭壇を転がり落ち、更にその身体の上にはユーリィが馬乗りになっているではないか。
「なんねこん子……、めっちゃエグいパンチ打ちよる……」
「武器がなくても! 人は殺せますよ!」
昂ったユーリィの口から想像もしなかった言葉が飛び出す。
二人とも動けたと言うのか……?
ザカエラの幻術は訓練で体験した事がある。
これを解くにはとにかく強い精神力が必要だと教わった。
俺の訓練中の勝敗は五分五分だったが、ユーリィとリロを動かせたものは何だ。ああ、ルイスが生きていると言う希望か……?
今の俺は、ただ、エフィームが怖くて動けない……。
「リロ……、俺なんかに構わなくて良い……。逃げてくれ……」
情けない俺の、今言える精一杯だ。
「ねぇアン、やっぱりフィオーナ王妃は、裏切った時に背中を向けて舌を出していたと思う?」
精一杯の俺の言葉を無視し、エフィームから視線を外さないまま、俺に背中を向けたまま、リロが場違いなほど穏やかにそう言った。
「私……あの子の幻術の中でね、怖かったけど、でもアンが出て来てくれたの。暗闇の中で助けてくれたのはアンだった」
どうして……。現実の俺は何も出来ないってのに……。
「そして色々思い出してたら、私分かっちゃった」
リロの肩口からほんの少し炎が揺らめいていた。エフィームはそれに気付き「ほぅ」と小さく唸ると面白いものを見る様に目を細める。
「アンだったのよね、私の運命の人」
「……何言って……」
「ごめんね、すぐに見つけるって言ったのに、見た目が別人だったから時間かかっちゃった」
――そしたらすぐにあなたの事見つけると思う――
初めて会ったあの日、リロがそう言った事を鮮明に思い出す。
あの日のリロの瞳も、嬉しそうな声も、また会えるのを楽しみにしていると言った事も。
俺は、全部を裏切った……。
俺との約束を信じて、光の中で微笑んだリロを、どうせもう交わる事はないと、俺は裏切った……!
「おい……」
「でももう分かったから大丈夫。アンが、私達を裏切った事に苦しんでるって事も分かったから、だから何が起きてもアンを信じるし、アンを守ってあげる」
「お前……」




