第8話 アシュバルト・アレン
正直、最初は少しばかり同情したが、俺は愛剣を握り直してアッシュに切っ先を突き付けた。脅しではなく、今度こそ本当に貫く為に。
「やりたい事なら……あるよ」
と……、蹲って泣いていたアッシュが不意に顔を上げる。
子供の様に涙をぬぐいながら。
止めてくれとか助けてくれとか、アッシュがそう言ったなら、俺はそのままアッシュを仕留めただろう。
だが予想外の言葉に気を削がれた俺は、思わずそれは何だと聞いてしまった。
「僕は……、僕は、花が好きなんだ!」
「……はぁ?」
心底不快そうにザカエラが反応する。
しかしアッシュは止まらなかった。
好きな事には饒舌になるタイプってのは居るもんだが、普通は状況を見てはしゃぐよな。
「シェークストの最北の街にトアナって言う花の街があるんだ。知ってる?」
「……知らないな」
「出来ればその街で花を育てて生きられたらって思う……。僕の加護だけど、僕限定で渇きを潤す事が出来るって言うのはちょっと違うんだ。植物になら僕の力を分け与える事が出来る! その証拠に、ほら見て! あそこに置いてある花、リュウセイランだよ! この街の気候でリュウセイランを咲かせる事が出来るなんてすごいだろう? たぶん、植物に与えられる潤いに関しては僕に及ぼされるものよりもずっと栄養的に優れたものだと思うんだ」
「……」
何なんだこいつ……。
今まさに死を突き付けられてるってのに、なんでありもしない未来を語り目を輝かせる事が出来るんだ。
くだらない国同士の争いに巻き込まれた弱いもん同士だと思ったが、てんで脳天気な奴……。
リュウセイランだか何だか知らないが、みるみる身体の毒を抜かれていった様な感覚に陥る。
やっぱり加護付きってのはみんなどこかおめでたい。ザカエラもそうだ。
「なしてうちば見ると? 可哀想になりよったと?」
「違う。聞いてただろう、殺す価値もない男だ」
「そん価値を決めるのはうちらじゃなか。分かっとうはずやろ」
ザカエラの目付きが鋭くなる。
子供の姿に加え、敢えて纏っているであろう緩い空気感は、相手を油断させる為の彼女の戦術の様な物だと言う事はとっくに分かっていた。
だから今更そう怯む事でもないさ。
「ここまでされて、最初からろくな抵抗を見せない。きっとこのままこいつは大人しく斬られるつもりなんだろう。だったら俺がやる事でもないじゃないか」
「いい加減にするっちゃ! こんなところでこんな重大な命令違反をしてまで助ける意味はなかやろ。変わりにうちらが死ぬ事になるかも知れんけんちゃ!」
「どっか行け、この国に帰って来るな」
ザカエラの言葉は聞こえていた。
言っている事ももちろん理解出来た。
人を殺す覚悟だって、ちゃんとあった。
だけど、どうしようもなく気が削がれた。
それだけだ。
「……えっ?」
俺の言葉に、アッシュが間抜けな声をあげる。
「……こん子が騎士団に全部ばらしたらどがんすっと?」
ザカエラはもう大声をあげない。
「そうなったら入りたくもない騎士学校へ入って毎日毎日人を殺す勉強をするんだ。やりたきゃやれよ」
騎士学校が毎日人殺しの方法を教える場所と言うのは語弊があるだろうが、なるべく酷い言葉を選んでアッシュにそう投げ捨てた。最終的にはそんな事にもなるのは間違いないんだからな。
「逃がしてくれるって事……? あ……ありがとう……」
アッシュが震える足に力を込めて立ち上がり俺にそう礼を言った。
「バカか! 早く行けよ!」
あまりのお人好しに俺はいよいよ苛立ち、顎で扉の方を指して急かす。
「待った待った。いくらなんでもこのまんま行かせるワケなかでしょ」
そう言ったザカエラの指先から小さな青い粒が生まれ出て、そのまま指先に浮いている。
「うっ?!」
その粒が消えたと思った途端に、アッシュが頭を抑えて小さく呻いた。
「風の精霊の石ば埋め込ませてもろうたちゃ。妙な事したらそいつが爆発するよ。分かったら気が変わらんうちに逃げるちよか」
ザカエラにも、アッシュを簡単に殺す事が出来るのだ。敢えてそれを教えてやる様に、ザカエラはその少女の姿には似つかわしくない鋭い視線でアッシュを牽制した。
しかし、期待していた効果が得られたかは分からない。何故ならアッシュは、頭に爆弾を仕込まれてなお、逃がしてくれる事に対して礼を言い、こう続けたのだ。
「あのっ……出来たらその窓際の花に、リュウセイランに時々水を……」
「はよ行かんね!!!」
とうとうザカエラが身体に風を纏わせながら叫び、その鋭い風がアッシュの頬をわずかに斬り付けた。
さすがにアッシュはそこから逃げ出す。まだ足がもつれて上手く走れない様だったが、扉を開け放したまま飛び出し、とにかく闇雲に走り去った様だった。




