第6話 祖父の影
「おじいちゃんが、どうして…」
菜穂の震える声が、静かな写真館に響いた。彼女は、古本屋の藤原からもらったアルバムのページに挟まれた写真を見つめていた。焼け焦げた壁の前で、山下祐介に寄り添うように立つ、祖父の姿。その優しいまなざしは、いつもの祖父そのものだった。だが、この写真が、祖父を事件の中心人物へと引きずり込んでいる。
俺は、菜穂のそばに立ち、言葉を探した。
「もしかしたら、おじいさんは、ただ、偶然そこにいたのかもしれない。そして、困っている祐介君を助けようとしていた…」
俺の言葉に、菜穂は首を横に振った。
「そうならいいけど…でも、なんでこの写真、誰にも見せてくれなかったんだろう。なんで、倉庫に隠していたんだろう…」
その問いは、俺の胸にも重くのしかかった。確かに、もし祖父が、善意で祐介を助けようとしていたのなら、この写真を隠す必要はないはずだ。むしろ、警察に提出して、祐介の捜索に協力するべきだった。
「…祖父の日記を、もう一度探してみます」
菜穂は、そう言って、店の奥にある祖父の書斎へと向かった。
書斎は、祖父の性格をそのまま表したかのように、几帳面で整然としていた。棚には、年代物のカメラや、世界各地で撮られた写真集が並んでいる。俺と菜穂は、祖父が使っていた机の引き出しを片っ端から開けていった。
そして、一番下の引き出しの奥に、一冊の古いノートが見つかった。表紙には、何も書かれていない。菜穂は、慎重にそれを手に取り、埃を払った。
ノートを開くと、そこには、几帳面な文字で、日々の出来事が綴られていた。写真館の営業記録、町の出来事、そして、家族への思い。日記は、祐介が失踪した日に、不自然な空白ができていた。
俺と菜穂は、その空白の前後のページを、食い入るように読んだ。
「昭和60年8月22日、大雨。祭りの夜、私はカメラを手に路地裏を歩いていた。そこで、祐介君に会った。彼はひどく怯えていた。私は…彼を、助けようとした。しかし、力及ばず…」
「助けようとした…」
菜穂が、震える声でその文字を読み上げた。
「…力及ばず…って、どういうこと?」
俺も、その言葉の意味が分からなかった。もし祖父が祐介を助けようとしていたのなら、なぜ「力及ばず」と書いたのか。そして、なぜ祐介は、行方不明になったままなのか。
俺は、再び交番へと向かった。小泉は、俺の顔を見るなり、「また来たのか」と呆れた顔をした。
「小泉さん、ちょっと聞きたいことがあるんです。20年前、祐介君の失踪の夜、森川寫眞舘のおじいさんが、現場近くで目撃されていたりしませんでしたか?」
俺がそう尋ねると、小泉の表情が、一瞬で凍り付いた。
「…なぜ、そんなことを聞く?」
「日記に、祐介君を助けようとして、力及ばず、と書かれていたんです。それで、もしかしたら…」
俺は、正直に告げた。小泉は、窓の外をじっと見つめながら、重い口を開いた。
「…目撃情報があった。いや、正確には、俺が目撃したんだ。当時、俺は応援で、現場近くを巡回していた。そしたら、森川さんが、誰かと揉めているのを見たんだ。だが、すぐに引き離されて、相手の顔は…見えなかった」
小泉の言葉に、俺は背筋が凍るような思いがした。
「…揉めていた相手は、誰だったんですか?」
「それが…分からなかったんだ。だが、森川さんは、その相手に、何かを渡しているように見えた。そして、その相手が、祐介を連れて、どこかへ行ってしまった…」
小泉は、それ以上は語ろうとしなかった。彼は、その時の光景を思い出し、苦しそうに顔を歪めていた。
俺は、交番を後にして、再び写真館へと戻った。菜穂は、祖父の日記を読み返していた。
「ねえ、佐藤さん…これ…」
菜穂は、日記の別のページを指さした。そこには、祐介が失踪した日とは違う日付で、こんな記述があった。
「…祐介を助けられなかった。私は…彼の苦しみを知っていたのに、見て見ぬふりをしてしまった。私は…罪を犯した」
菜穂の顔から、血の気が引いていく。
「…助けられなかった、じゃなくて…もしかしたら、助けなかった…?」
小泉の言葉が、俺の頭の中を駆け巡った。
「助けられなかった」ではなく、「助けなかった」のでは。
その可能性が、菜穂の心を深く裂いた。
「そんなはずない…おじいちゃんは、そんな人じゃない…」
菜穂は、首を横に振りながら、日記を強く握りしめた。だが、その言葉には、確信が持てないことが、はっきりと表れていた。
俺は、どうすることもできなかった。彼女の祖父が、本当に祐介を見捨てたのなら、それはあまりにも残酷な真実だ。だが、この町の闇の深さを考えると、その可能性を否定することはできなかった。
優しい祖父の面影と、日記に滲む悔恨の言葉。その行間に隠された、もう一つの真実。
菜穂の心は、深く傷つき、揺らいでいた。
この町の真実を追い求めることは、彼女にとって、祖父の人生を、そして、彼女自身の人生を、否定することになるかもしれない。それでも、俺は、この謎を解き明かすことを、やめるわけにはいかなかった。




