第5話 古本屋の鍵
焦げ付いた木材の匂いが、今もどこかから漂ってくるような気がした。俺は、携帯の地図アプリに表示された「駐車場」の文字と、目の前の更地を何度も見比べた。20年前、この場所には古い長屋が建ち並び、そして、炎に包まれた夜があったという。その燃え跡の向こうに、少年が立っていた。なぜ、この場所に?そして、なぜ、その写真を森川寫眞舘の祖父が撮ったのか。
俺は、再び古本屋「藤原堂」の暖簾をくぐった。店内は相変わらず、埃と古い紙の匂いが満ちていた。店主の藤原誠司は、新聞を広げて、その日の出来事をチェックしている。彼の顔には、常にこの町の過去を知っている者特有の、静かで重々しい空気が漂っていた。
「また来たのかい、若い新聞屋さん。今度は何を知りたいんだ?」
藤原は、顔を上げずに言った。
「20年前の火事についてです。その火事があった場所と、祐介君が写っていた写真の背景が一致しました。藤原さんは、その火事について何か知っているんじゃないですか?」
俺の問いに、藤原は新聞をゆっくりとたたみ、俺の顔をまっすぐに見つめた。彼の目は、鋭い光を宿していた。
「…あんた、随分と深く踏み込んだようだね。この町の秘密に」
「秘密ですか?ただの火事じゃないんですか?」
「ただの火事なら、警察が、そして町が、記録を消したりしないさ。あの火事は、この町にとって、決して語ってはならない出来事なんだ」
藤原は、立ち上がると、店の奥にある薄暗い書庫へと俺を招き入れた。壁一面に、古びた本や雑誌がぎっしりと詰まっている。彼は、その中から、一冊の古いアルバムを取り出した。
「これだよ。あんたが探しているもの」
埃をかぶったアルバムの表紙には、「東栄町商店街 昭和60年」と手書きで書かれていた。ページを開くと、そこには、20年前の、活気にあふれた商店街の姿が写っていた。祭りの風景、町の人々の笑顔、そして、今ではもうない店の数々。
俺は、食い入るようにページをめくった。そして、ついに、俺が探し求めていた写真を見つけた。
それは、火事があった日の、焼け跡を写した写真だった。まだ煙がくすぶる中、消防隊員たちが現場を検証している。そして、その写真の隅に、一枚のモノクロ写真が挟まっていた。
その写真には、焼け焦げた壁の前で、涙を流す山下祐介と、そのそばに立つ、見慣れた男の姿があった。
「これは…」
俺は、息をのんだ。写真に写っていたのは、菜穂の祖父だった。優しい顔で、祐介の肩に手を置き、何かを語りかけているように見える。
「まさか…」
俺は、震える手で写真を持ち、藤原に尋ねた。
「どうして、おじいさんがここに…?」
藤原は、静かに言った。
「森川さんはな、この町の歴史を写真に収めることを、自分の使命だと考えていた。良いことも、悪いことも。だから、あの夜も、カメラを手に、現場にいたんだ」
俺は、信じられない思いで、その写真を見つめた。菜穂の祖父は、ただの善良な写真家ではなかった。彼は、この町の闇の片鱗を知る、数少ない人物だったのだ。
俺は、すぐに写真館へと向かった。菜穂は、俺が持ってきた写真を見て、信じられないといった顔で固まっていた。
「嘘…おじいちゃんが…どうして…」
彼女は、写真に写る祖父の顔を、震える指先でなぞった。その目は、戸惑いと、信じたくないという思いでいっぱいだった。
「おじいちゃんが、この火事と、祐介君の失踪に関わっていたなんて…信じられない…」
菜穂の声は、悲しみと動揺で震えていた。彼女にとって、祖父は、ただの優しい家族だった。だが、この写真が、その優しい祖父の姿を、全く別のものに変えようとしていた。
俺は、菜穂に、藤原の言葉を伝えた。祖父は、この町の歴史を記録していた。そして、この火事は、その歴史の一部だった。
「もしかしたら、おじいさんは、この写真を、誰かに見せたかったのかもしれない。でも、できなかった…だから、倉庫に隠していたんじゃないですか?」
俺の言葉に、菜穂は顔を上げた。その目には、再び、真実を知りたいという強い光が宿っていた。
「…そうかもしれない。おじいちゃんは、いつも、私に『真実を恐れるな』って言っていた…」
彼女は、アルバムを抱きしめたまま、泣き出した。それは、悲しみの涙か、それとも、祖父の思いを理解したことによる、安堵の涙か。
俺は、この写真が、この町の闇を解き明かす、新たな鍵になることを確信した。
藤原は、なぜこのタイミングで、このアルバムを俺に渡したのか。
彼が、情報を出し渋る理由は何なのか。
そして、この写真に写る、祖父の顔に浮かんだ、複雑な表情は、何を意味しているのか。
真実を解き明かす旅は、さらに深く、この町の過去へと続いていく。