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第1話 忘れられた写真館

 下町の空は、どこか埃っぽい。

 古びた木造家屋が肩を寄せ合うように立ち並び、軒先には色褪せたのれんが揺れている。

 ここは東栄町、都心から電車で三十分ほど揺られた先にある、時の流れから置き去りにされたような場所だった。


 この日、俺――佐藤悠真は、新しく配属された地方支局のデスクから「ネタになりそうな店を探してこい」と雑な指示を受け、商店街を歩いていた。

 記者の仕事に就いて十年、最初は大手新聞社の社会部でスクープを追いかけていたが、ある取材で上層部と揉めて以来、こうして地方を転々とさせられている。半ば左遷のようなものだが、それでも俺は、どんな些細な出来事にも真実が隠されていると信じて、ペンを握ることをやめられなかった。


 東栄町銀座商店街。

 そんな立派な名前とは裏腹に、活気はほとんどない。

 豆腐屋の店先で猫がうたた寝をし、魚屋からは威勢のいい声どころか、どこか諦めたような溜息が聞こえてくる。シャッターが閉まったままの店も多く、その鉄板には、昭和の匂いがこびりついているようだった。


 商店街のアーケードを抜け、路地を一本入った場所に、その店はひっそりと佇んでいた。木製の扉は色褪せ、ガラス窓には店の名前がかすかに読める。

 「森川寫眞舘」。

 レトロな書体が、ここが長年営業していた店であることを物語っていた。扉の脇に、「本日営業」と手書きされた小さな看板が立てかけられている。

 こんな店がまだやっているのかと不思議に思い、俺はためらいながらも扉を開けた。


「いらっしゃいませ……」


 奥から出てきたのは、意外にも若い女性だった。

 年齢は二十代後半くらいだろうか。黒いシンプルなワンピースを身につけ、その細い首からは古風なカメラがぶら下がっている。

 彼女の周りには、使い込まれた機材や、埃をかぶった額縁に入った白黒写真が並んでいた。卒業式の集合写真、家族の記念写真、そして、戦時中の軍服をまとった若者の凛々しい顔。どれもこれも、この町に生きた人々の歴史を写し取っていた。


「あの、取材で来た者なんですが……」


 俺が名乗ると、彼女は少し驚いたように目を丸くした。


「新聞社の方ですか?

 すみません、うち、もうすぐ店をたたむんです。祖父が亡くなってしまって……」


 彼女――森川菜穂は、どこか困惑した様子で言った。

 店の中央に置かれた小さなテーブルには、何冊ものアルバムと、古いネガフィルムが山のように積まれていた。

 彼女は、それらを一枚一枚、寂しそうに眺めている。


「そうですか……それは大変ですね」


 俺は言葉を失った。

 無理に取材を続けるのは気が引けた。代わりに、目の前の写真に目を向ける。


「すごいですね、この写真。皆さん、本当にいい顔をしています」


菜穂は、少し微笑んで言った。


「祖父が撮ったものなんです。

 祖父は、どんな人でも、その人の一番いい瞬間を切り取ってくれるって、この町の人たちに慕われていました」


 彼女の言葉には、祖父への深い愛情と、店を閉めることへの葛藤が滲んでいた。俺は、その正直さに心を打たれ、ふと口にした。


「もしよかったら、少しだけお手伝いしましょうか?」


 その言葉は、思わず口から出たものだった。

 記者として、ネタを嗅ぎつける嗅覚だけが働いたのかもしれない。だが、それ以上に、この写真館が持つ、古き良き温かさを、このまま終わらせてしまうのが惜しいと感じたのも事実だった。

 菜穂は少し迷った後、力なく頷いた。


「ありがとうございます。助かります。実は、倉庫の整理が大変で……」


 彼女に案内され、店の奥にある薄暗い倉庫へ足を踏み入れる。

 そこは、文字通り、時間に取り残された場所だった。埃が舞い、カビの匂いが充満している。古い木箱が積み上げられ、その中には、錆びついた三脚や、型の古いストロボ、そして、何十本ものフィルムが雑然と入っていた。


 俺は黙々と木箱を運び出し、菜穂はそれらを分類していく。

 しばらくして、菜穂が一本のフィルムを手に取った。


「あら、これ……なんでしょう?」


 それは、茶色く変色した古いフィルムケースだった。ラベルには何も書かれていない。


「もしかしたら、祖父が撮ったものかもしれません。でも、見たことのないフィルムですね」


 菜穂は不思議そうに呟いた。

 彼女は、現像する気はないようだった。店の荷物を整理して、早く片付けてしまいたいという思いが伝わってくる。


「もしよかったら、現像してみませんか?

 もしかしたら、おじいさんの傑作が眠っているかもしれない」


 俺は、またもや好奇心に駆られてそう言ってしまった。記者としての勘が、このフィルムには何かあると囁いていた。

 菜穂は戸惑った様子だったが、最終的に俺の提案を受け入れた。


 現像機にセットされたフィルム。

 薬品の匂いが、暗室に満ちる。俺と菜穂は、現像液に浸されたフィルムが少しずつ姿を現していくのを、じっと見つめていた。

 はじめに浮かび上がったのは、見慣れた町の風景。商店街のアーケード、町内の祭り、そして、子供たちの笑顔。だが、一枚、また一枚と現像が進むにつれて、不思議な違和感が募っていく。


 そして、その一枚に、俺たちの視線は釘付けになった。

 写っていたのは、見覚えのない路地裏。古い塀に囲まれ、ひび割れたアスファルトが続くその道は、東栄町とは思えないほど殺風景だった。

 そして、その路地の奥に、こちらに背を向けた少年が立っていた。


「誰、この子……?」


 菜穂が呟いた。

 俺は、その少年の表情が見えないことが、かえって不気味に感じられた。


 さらに次のコマには、同じ少年がはっきりと写っていた。白いTシャツに半ズボン、ランドセルを背負い、笑顔でこちらに手を振っている。


「あれ?この子……」


 俺は、どこかで見たことがあるような気がした。

 いや、違う。この写真は、明らかに古い。俺がこの町に来る以前の、ずっと昔の写真だ。

 だが、この少年の顔には、妙な既視感があった。


 その日、俺は東栄町について、そして「森川寫眞舘」について書いた記事を提出した。

 活気のない商店街に、心温まる写真館。どこにでもあるような、普通の記事だ。

 だが、俺の頭の中は、あの少年の写真でいっぱいだった。


 なぜ、あの写真は倉庫にしまわれていたのか。なぜ、彼だけが、見覚えのない路地で写っているのか。

 そして、なぜ、俺はあの少年の笑顔に、奇妙な違和感を覚えたのか。

 

 その夜、俺は支局のデスクに戻ってから、古い新聞の縮刷版を漁った。何年分もの記事を読み漁り、ふと、ある記事に目が留まった。


「東栄町、小学生男児が行方不明」


 見出しの下には、幼い頃の男の子の顔写真が載っていた。俺は、息をのんだ。 写真に写っていたのは、フィルムの中の少年と瓜二つだったからだ。

 記事には、名前が記されていた。


「山下祐介」


 20年前に行方不明になったという。

 当時の新聞は、その事件について詳しく報じていた。町中を捜索したが、行方は知れないままだと。


 俺は、心臓が高鳴るのを感じた。

 このフィルムは、ただの古い写真ではなかった。それは、20年の時を経て、再び姿を現した、一つの「事件」の証拠だったのかもしれない。

 俺は、この町が抱える闇を、少しだけ覗き見てしまったようだった。

 この町の過去には、一体何が隠されているのか。

 そして、あのフィルムは、なぜこの写真館に眠っていたのだろうか。

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